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自分と人の幸せを繋ぐ人【過去編】

こんにちは、無名人インタビュー主催のqbcです。
現在編はいかがでしたか? まだお読みになられていない方は、ぜひ現在編からお読みください。
リアルタイムの音声インタビューではなく、別の方式で、という思いから生まれたこの「往復書簡」インタビューですが、実は、思った以上の成果がありました。
それは何かと言いますと。
通常の無名人インタビューは、いわば,
「サッカーのように常に動き続けるインタビュー」
です。音声なので、止まるところが、基本ないんですね。考える余裕はありますけど、でも、例えば答えを考えるのに1日置いておこう、といったことはできないです。
しかし、一方、往復書簡インタビューは、
「野球のように止まる瞬間のあるインタビュー」
です。野球はピッチャーが球を投げるまでの間に、静止する時間があります。往復書簡では、この静止した時間に、自分のことを落ち着いて、ゆっくり考えることができるのですね。この間によって、想像以上に自分というものに対して深く沈みこむ時間を作ることができました。
通常の60分の音声インタビューが悪いというわけではかならずしもありません。通常の音声インタビューでは、動的な中で生まれるひらめきが、やはりあります。
一長一短というよりも、それぞれの特性があると考えたほうが良いと思っています。

と、いうことで、今回は過去編をお楽しみください。
【まえがき・インタビュー:qbc(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは りょーこ さんです!

この記事は、現在編、過去編、未来編全3回の、過去編です。
現在編はこちら。未来編の公開は、お待ちください。

12/19 13:25 りょーこ

qbcさんへ

今回もよろしくお願いします
インタビューに答えるの、楽しいです!

★子供の頃は、どんなお子さんでしたか? 性格的なことや、どんな遊びをしていたか、などをお伺いしたいです。

子供の頃は(今もw)気が強かったです。
岩手の田舎で育ち、同じ学年の子は歩いて行ける距離は1人だけ、しかも男の子。
なので近所の子供同士、学年ミックスで遊んでいました。
なんの遊びをするのかは大抵私が決めてました。
違う遊びになったりすると、へそを曲げて帰るなんてこともしょっちゅうでした。

岩手の言葉でごうじょっぱりって言うんですが、気が強くて強情。
ごめんなさいがとにかく言えませんでした。

遊びは、地域の子達と遊ぶときは外でかくれんぼしたり、川遊び、鬼ごっこ、それぞれの家を探検したりしてました。
あとは、自分の家の敷地が広かったので、山に登ったり水路で遊んだり1人遊びもよくしてました。

★外で遊ぶ、家の中で遊ぶ、どちらが好きな子供でしたか?

小学校までは外、中学生からは中で遊ぶのが好きに変わりました。
中学に上がって小学生の子と遊ぶことがなくなり、漫画を読んだりテレビを見たり。

遊ぶことが減っても外で過ごすのは好きだったので玄関の扉を開け放して過ごしてました。
ただ、春秋の農繁期は子供も農業に駆り出されてたので遊んでないことも多かったです。

今も天気がいい春秋は何か仕事したくなりますw

12/20 19:00 qbc

りょーこさんへ

ご返信、ご回答、ありがとうございます。
ゆっくりしたペースのお手紙インタビュー、私も楽しいです。
前回の回答の頃に比べると、急激に気温が下がってきた気がします。
寒いですね。

子供のころについてのご回答、ありがとうございました。
「ごうじょっぱり」の言葉の響き、おもしろいですね。
リーダーシップはもともとお持ちの気質だったのかなと思いました。

「近所の子供同士、学年ミックス」というお話も、
「繋ぐ人です。人と人、学びと人、人と想い、色んなことをつないでいます。」
インタビューの最初の質問の回答を思い浮かべました。
子供の頃から、色々なものを吸収しておられたのでしょうか。

★小中高と、クラスではりょーこさんはどのような存在でしたでしょうか?
 ※友人関係や部活動、好きだったことなど、ご自由にお答えください。

★小中高を通じて、悩んでいたことや、よく考えていたことなどがあれば、教えてください。

★高校のあとの進路進学は、どのように考え、どこに決めましたか?
 ※特に、そう考えたきっかけの部分をお伺いしたいです。

過去パートに入ると、現在で聞いてきた点が過去の点と結ばれて、線になってゆきます。
子供のころと大きく変わった人もいれば、変わらない人もいたり。
ゆっくりと過去を振り返りながら、ご自身のたどられた道すじの変化をお楽しみください。

よろしくお願いします。

qbc

2023/1/7 20:30 りょーこ

qbcさん

すっかりお返事が遅くなってしまってすみません^^;
帰省中に岩手でコロナに罹ってやっと明日で東京に帰れます。

★小中高と、クラスではりょーこさんはどのような存在でしたでしょうか?
 ※友人関係や部活動、好きだったことなど、ご自由にお答えください。

小学校、中学校は特定の友人を持たずにいました。
ワイワイはするけれど、休みの日を一緒に遊ぶほどではない付き合いでした。
中学校では昼休みの多くは図書館で、部活が終わったらすぐ帰る生活。
人との関係を煩わしく思っていた気もします。
高校で初めてうわべの人付き合い以上の友人関係を持てるようになりました。
高校では頭のいい人が自分の周りに増えて、すごく人に興味を持つようになったんですね。
それまでは、別にあいつらと付き合う必要ないし…みたいな冷めた子でした。
ちなみに、小中の同級生は今全く付き合いがありませんw

★小中高を通じて、悩んでいたことや、よく考えていたことなどがあれば、教えてください。

自分の居場所がないなーと思うことがなぜか多かったです。
仲間外れにされてるとか、そういうことはないんだけど
どこにいても誰と仲良くしても、なんとなくしっくりこない、と思っていました。
今考えると、そんな風な態度でしたから同級生もあつかいかねて、距離をとっていたのかもしれないって思います。
その感じは小中で強く感じてました。

★高校のあとの進路進学は、どのように考え、どこに決めましたか?

中学の時点で理学療法士になりたいと決めていたので、その道の学校に行くことになりました。
岩手にも学校はありましたが、大学に行きたかったのと、家から出たかったのと、当時付き合っていた人が仙台の大学を目指していたのもあって、仙台の理学療法学科のある大学に進学しました。
2歳上の兄も仙台の大学に行っていたので、一緒に暮らすなら家から出てもいいと
父が言ってくれたので、頑張って受験勉強しました。

2023/1/10 13:00 qbc

りょーこさん

私も今年のお正月、三が日は大丈夫だったんですが、4日から寝込んでました。
病み上がり、お大事にお過ごしくださいね!

過去のご回答、ありがとうございました。
「高校から学校が楽しくなった」パターン、時々お伺いしますね。「大学から」パターンもあるのですが。
ただ不思議と、一度楽しさを知った以降はつまらない、ということはなくなることが多いみたいですね。
自分に合う場所を探すのが上手になるのかもしれません。

ということで続き過去の質問です!

★中学の時に理学療法士を目指されたきっかけはなんだったのでしょう?

★大学生活はいかがでしたか?(一番夢中になっていたこと、人間関係など)

★当時の家族関係って、どんな感じでしたか?(離れて暮らすようになり、どう変化したのか。今と比べて、など)

★大学卒業後の、どういった進路就職に進まれましたか?

なんとなーく1月も超えそうな気がしてきましたが。
ゆっくり人生を眺めていくの、不思議な手触りがありますね。

qbc

2023/1/12 13:34 りょーこ

qbcさん

お互い病み上がりですね。
なんだか親近感ですw

一度楽しくなった後はつまらなくならない、確かにそんな感じがします。
自転車に一度乗れるようになったら一生乗れるように、楽しい時間を過ごした経験は一生ものの気がしますね。

★中学の時に理学療法士を目指されたきっかけはなんだったのでしょう?
当時部活動で器械体操をしていました。
段違い平行棒のフィニッシュ技を失敗して、手をついたところ肘を粉砕骨折してしまい手術することになりました。
その後のリハビリで、理学療法士という職業を知ったのが一番大きいです。
リハの人にお世話になったというよりは、自分が知っている職業が一つ増えて、知っている中でも面白そうだったから、という感じです。

リハの学校に入った時に、周りの人が志に溢れていてちょっとびっくりしましたw

★大学生活はいかがでしたか?(一番夢中になっていたこと、人間関係など)
楽しかったです!
よさこいに夢中になっていて、大学を超えた学生連合チームに所属していました。
いくつか似たようなチームがあって、それぞれ特色があってイベントに出たりするのも楽しかったです。
東京理科大のチームに混ぜてもらって合同練習したり、北海道や浜松などに遠征したり
大学生活の半分はよさこいに費やしていました。
大学内では数人の友人以外はあまり交流がなく、ほとんど学外の友人と遊んでいた気がします。
おかげで今も大学の友人は多くないですw

★当時の家族関係って、どんな感じでしたか?(離れて暮らすようになり、どう変化したのか。今と比べて、など)
大学の最初の2年は兄と同居、その後の2年を一人暮らしでした。
実家で暮らしていた時は兄とそこまで仲良くなかったですが、一緒に暮らすようになって、だいぶ関係が良くなったと思います。
同居といってもそれぞれ自分の彼氏彼女のところに入り浸っていたので、月のうち5日〜10日一緒になる程度でしたが。
子供2人が家から出たことで、両親は親っぽくなくなったというか自由になった気がします。
父は子供を管理しようとすることが減って、母は自分の楽しみを優先することが増えたと思います。
8歳下の弟がいるのですが、家を出たことで逆に関係が難しくなりました。
年齢が離れていることもあるし、それまで小さい母親みたいに接していたので、どう接するのかいいのかアップデートされていません。

★大学卒業後の、どういった進路就職に進まれましたか?

当時付き合っていた彼が東京に就職を決めたので、それに合わせて私も上京しました。
上京する以外に就職の条件は考えてませんでした。
なので、面接に行って受かったところに就職した感じです。
その頃回復期リハビリテーションという制度が始まり、就職の間口が一気に広まったんですね。
時流に乗って、埼玉にある川越リハビリテーション病院に勤めました。
今もそうですが、最初に務めるのは病院理論があって、何も考えずに病院に決めました。

コロナ後は、思いの外体力の戻りがイマイチです。
qbcさんもどうぞ、お大事に!

りょーこ

2023/1/13 12:44 qbc

りょーこさん

私は病気中あんまり食べられなかったので、ちょっと瘦せて体の調子良くなりました!
逆に食べさせないために病気になったかと思うくらいですね。。

学生時代のお話ありがとうございます。
器械体操、よさこい、とまた新しいワードが出てきて、驚いています。
どうしてグラフィックレコーディングを? と思ったのですが、もともといろいろなことにチャレンジしてきた方だったんだな、と印象が更新されました。

★就職されてからの20代は、どのようなものだったでしょうか?(現在に影響のあった出来事、といった視点で振り返っていただきたいです!)

★30代でしたことエピソードトップ3はなんですか?

なんとなく、社会人になってからめちゃくちゃいろんなことをしていそうな気がしているのですが、、
書くのが大変になってくるかもしれません。ゆっくり振り返ってくださいね!

qbc

2023/1/17 12:06 りょーこ

★就職されてからの20代は、どのようなものだったでしょうか?(現在に影響のあった出来事、といった視点で振り返っていただきたいです!)

回復期病院で2年足らずで辞めたことは、自分にとって転換点でした。
病院の目まぐるしさや、生活に関わってる実感が持てなかったことから在宅ケアに転職。
医師との距離も近く、かなり恵まれた職場で、そこで生活を支えることの難しさと面白さ、医師とチームを組むお作法など最初の職場では味わえなかった経験をしました。
正直、治療家としては技能的にも低かったです。
手技の勉強会などにも行きましたが、自分の力でその人を良くした(治した)的な実感はほとんどない20代でした。
でも、人間関係が良くなるとほとんどの方は表情が明るくなったり、場合によっては体の回復が上向いたりするのを見て、人は治療によって治っていくだけじゃないのかも…? と思ったことが今の私の仕事の仕方にも表れてると思います。

印象的なのは「リハビリなんてしたくない、寝かせて欲しい」というおばあちゃんと「少しでもいいからリハビリしてよ!」と対立している娘さんがいました。
どちらの気持ちを優先しても角が立つので、どうしようかと悩んだのですが、結局は間をとって「運動っぽいことはするけれど、無理にはやらない」ようにして、並行して「お互いの気持ちを聞き取って、相手に伝える」ことをいたところ、気がついたら対立が減っていたんです。
「本当に体が動かなくて億劫なんだけど、娘の気持ちはありがたく思っている」という母。
「嫌なことをさせたいんじゃなくて、元気のない様子が気になっていたんだ」という娘。
結局はお互いの気持ちを伝えていなかったことで介護生活が対立していたんです。
これは、どちらか片方の味方をしたら辿り着けなかった結果です。
そして、体を治すだけでもダメだったと思います。

このエピソードが、私が訓練しないリハビリは面白くて素晴らしいと思った出来事です。
(長くてすみません)

★30代でしたことエピソードトップ3はなんですか?

TOP1 
ブックオリティという出版ゼミに入った。
女医に背中を蹴飛ばされて入った出版ゼミ。
高額ゼミで参加者も名が売れている人ばかりだったので、場違い感がものすごかったですが、そこで出会った人や出来事は、とても印象深かったです。
「やってみなければ始まらない、やってみたら凄かった」は、この経験で味わったことで、今でも行動の指針になっています

TOP2
Facebookをはじめた、ブログを書きはじめた、noteに転向した。
誰かと繋がること、発信することに意識を向けはじめたのが30代半ばからでした。
ええかっこしいなので、いいことをさらっと発信して、誰かの心にグサッと刺さって欲しいとずっと思ってましたが、10年近く発信を続けてやっと諦めがつきましたw
長かったです。

TOP3
働きかたが変わった。
出産と震災がきっかけではありますが、常勤で週5働くことから、複数職場、短時間勤務という働きかたに10年かけてシフトしました。
もちろん正社員で働く方が制度上、給与上有利なんですが、それ以上に面白い経験ができたり、行動力が上がったりと、人生の中では大きなメリットがあったと思います。
理学療法士はなんだかんだ言って体力勝負の仕事なので、長く働いて社会との繋がりを持ちたいと思う私にはちょうど良いと思っています。

いやーーー、長いですね(^◇^;)
qbcさんの予想通りのかなりの分量でした
どうまとまっていくのか、とても楽しみです!

追伸
twitter楽しく拝見してます
どんな預言だったのか気になってますw

りょーこ

2023/1/18 9:00 qbc

りょーこさん

qbcです。過去の振り返り、ありがとうございます!

丁寧にまとめてくださり、興味深く読ませていただきました。

20代のエピソード、「医師とチームを組むお作法」や印象的なエピソードの「どちらか片方の味方をしたら辿り着けなかった結果」は、まさに最初の質問の回答「繋ぐ人」を思いだしました。
「人と人、学びと人、人と想い、色んなことをつないでいます。」ですね。
繋ぐという主題がアレンジされて、生活や仕事のいたるところで繰り返し現れている人生ではないのかなとイメージしています。

30代エピソードもありがとうございます。
質問前におそらくりょーこさんの30代はかなりボリュームがあって、どう質問しようかと考えていたのですが、ランキング形式にして良かったです。
女医さんは、いっぺん死んでみるの上原暢子さんでしょうか?
スワンさんともそこでお会いしてるのでしょうかね。
ブックオリティやFacebookといった新たな外の世界との出会いに刺激を受けつつ、
働き方など、日常の生活をゆっくり変えていった時期になっていたのかなと想像しています。

と、いうことで、過去は今回にして、次からは未来に行きましょうか。

過去の最後の質問は、すこし気楽なものにしています。

★この2、3年という過去を思い返して、何か変わったなあということがありますか?
(心境、していること、趣味など、大きい小さい、物理精神、なんでもオッケーです)

★過去一番の食卓は何でしたか?
(この日の家のご飯、この人と一緒の会食など、味や雰囲気、エピソード含めた総合判断でお願いします!)

追伸の返信
Twitterご覧いただきありがとうございます!
預言カフェは、コーヒーおいしくてよかったです。
内容は、今までよく頑張ってきた、包みこみ、受け止めてやるぜ的なものだったかと思います。
録音してあるのでまたちゃんと書き起こしてみようと思います。

では、病後お大事にしてくださいませ。
まためちゃ寒くなりましたよね。

qbc

2023/1/21 9:59 りょーこ

qbcさま

今日は一段と冷えますね!
ブックオリティに蹴とばして突っ込んだのはのぶちゃん(上原先生)で、ブックオリティで知り合った面白い人たちのうちの1人がスワンです。

こんなところでスワンの名前が出るとは思いませんでしたw
ブックオリティ1期は終了後も会ったりしていて、楽しい仲間たちなのです。
本を出す目的ではなく参加した会でしたが、私の人生の転換点になった出来事でした。

さて、インタビューのお返事していきますね。

★この2、3年という過去を思い返して、何か変わったなあということがありますか?
(心境、していること、趣味など、大きい小さい、物理精神、なんでもオッケーです)

自分については、自信を持つようになりました。
PT20年目を超えてやっと自分にできないことや苦手なことを受け入れて、言葉にだせるようになりました。
今までは治療が得意ではない、苦手だということをひた隠しにしてきたんです。

また、今までは単なるパート勤務を掛け合わせた労働婦人って感じでしたが、いろんな仕事や活動をして、人と意識的に出会い付き合うようになってからは、フリーランスらしくなってきた気がします。
将来的にはこの辺りをもっと伸ばしていきたいな~って思ってます。

そして、人との付き合い方がうまくなりました。
エレメンツコードっていうんですがその人のキャラクターを属性(エレメンツ)として分析して、自分の理解を深め、他者の理解の足掛かりとし、よりよいコミュニケーションが取れるようにしていくものなんですが、それを学んでから、苦手な人との付き合い方がすごく楽になりました。
講座まで入っちゃったんですよw
診断は月に1回無料でできるので、ぜひ!
ただ、届く情報量が結構多いので解釈に困るかもしれません。
その時は私が読み解きさせてくださいね!インタビューのお礼にできたらうれしいです。

…っと脱線しちゃいましたね

★過去一番においしかった食卓は、いつ、誰と、何を食べたときでしたか?
(この日の家のご飯、この人と一緒の会食など、味や雰囲気、エピソード含めた総合判断でお願いします!)

一番おいしかった食卓は実家で兄弟そろって食べたご飯ですね。
私は2歳上の兄、8歳下の弟がいて、実家が岩手の兼業農家なんです。
そこに年末に集まって食べるご飯がすごく好きなんです。
特にここ数年はちょうど震災の年が弟が就職活動中でその余波で就職に失敗し、もともと対人関係も上手ではないところから実家で引きこもっていたんです。
一方で兄は銀行に、私は病院に就職し、それぞれ2人子供がいて…と順風満帆な人生を送っていたものですから、弟がずっと家族のあつまりには顔をださず、私たちが実家に帰ると、家をでて漫画喫茶に行ったりしていました。
そんな中、数年の兄の働きかけのおかげか雪解けがあって、コロナ直前のお正月、久しぶりに全員が揃って食事をすることができました。
母は私たちや孫にご飯を食べてもらって嬉しそうにしていて、父もおいしそうにビールを飲んでいて、
ああ、家族が揃ったなぁって思えたひと時でした。
母の作る唐揚げは醤油に漬け込んだにんにくをたっぷりすりおろして作るので真っ黒なんですが、それがすごくおいしいんです。
好きな食べ物は? と聞かれたら基本適当に答えるのですが、こうやって掘り下げてみると、幸せの味はお母さんの唐揚げだったんだなぁって思います。

ふふふ、長くなっちゃったーーーw

あ、エレメンツコードについてはこちらになります。

良かったらやってみてくださいね。
紹介者のところに私の名前を書くと私が喜びますw

2023/1/22 17:36 qbc

りょーこさん

急にまた寒いですね!

いっぺん死んでこいの上原さん、スワンさん、不思議なつながりがあって私も驚いています。
色んなところで人ってつながってるものですね。

過去の総括ありがとうございました。
軽い質問、、のつもりでしたが、ボリュームでましたね。
フリーランスになった、働き方を変えた、というのが大きな転換点だったように思います。
食卓質問も、想像していた以上な広がりがあり、興味深く読みました。
レストランが来るかなあ、と思っていたのですが、家庭の食卓でした。
食事はドラマですね。

と、いうことで、未来にいきましょう。

★5年後10年後、そして20年30年、最後は死ぬまでを考えていただいて、未来について、どういったイメージをお持ちでしょうか?

未来の質問は、最初はひとつです。ゆっくりお考えくださいませ。

そしてエレメンツコード、さっそくしてみました。
りょーこさんの名前書いておきました。
確かに、、情報量が多くてどういうことなのか。。
読み解きぜひお願いしたいです! どうしたらよいでしょう。

よろしくお願いします!!

qbc

お読みいただき、誠にありがとうございました!

未来編を楽しみにお待ちください!!!

この記事は、現在編、過去編、未来編全3回の、過去編です。
現在編はこちら。未来編の公開は、お待ちください。

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!