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むかしむかし、日本のある山奥の村に、力丸(ちからまる)という名の若者が住んでいました。力丸は並外れた力を持ち、「人類最強の男」と呼ばれていました。
力丸は一本の指で巨岩を持ち上げ、素手で巨木を倒すことができました。村人たちは力丸の力に驚嘆し、彼を誇りに思っていました。
ある日、村に「世界最強の挑戦者」を名乗る武人がやってきました。彼は力丸に勝負を挑んだのです。
村人たちは興奮しました。「力丸なら絶対に勝てる!」と、誰もが確信していました。
力丸と挑戦者の対決の日、村中の人々が見守る中、二人は向かい合いました。
挑戦者が言いました。「最強を決めるのに相応しい勝負をしよう。あの山を真っ二つに割ってみせろ」
力丸はうなずき、全身の力を振り絞って山に向かって拳を振るいました。山は大きく揺れましたが、割れることはありませんでした。
次に挑戦者が同じように拳を振るうと、山はみるみる真っ二つに割れていきました。
村人たちはがっかりしました。力丸は負けてしまったのです。
しかし、力丸は穏やかな表情で挑戦者に歩み寄り、こう言いました。「あなたの勝ちです。私は最強ではありませんでした」
すると挑戦者は微笑んで答えました。「いや、力丸。最強なのはあなたです」
村人たちは混乱しましたが、挑戦者は説明を続けました。
「真の強さは、自分の限界を知り、素直に認められること。そして、負けを受け入れる勇気を持つこと。あなたはその両方を持っている。それこそが人類最強の証なのです」
力丸はその言葉に深く感銘を受けました。そして、自分の力は人々を助けるためにあることを悟ったのです。
それからというもの、力丸は自分の力を村の発展のために使い、同時に心の強さを村人たちに教えていきました。
後に力丸はこう語ったそうです。「本当の強さとは、筋肉や技にあるのではない。他者を思いやり、自分の弱さを認められる心にあるのだ」と。
そして「人類最強の心」の物語は、強さの本当の意味と共に、長く語り継がれていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月1日19時35分に書く無名人インタビュー870回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは ザード@ さんです!

年齢:30代後半
性別:シス男性
職業:人類最強の男


現在:「君には協調性がない」

qbc:
今、何をしている人でしょうか。

ザード@:
人類最強になってしまってしまったので、自分が人類最強であることを世界に知らせようとしています。

qbc:
人類最強ってどういう意味ですか。

ザード@:
ちょっと物理学で変な定理を証明したんですけど、どうもこれ誰も気づいてない、最初に気づいたのが私っぽいんです。そういう意味で人類最強だと言ってます。
量子力学に関する定理を証明したんですけど、これまだ誰も証明しない定理っぽいんで。

他の物理学者に見せたら「論理的に不備は見つからない」と言われたので多分合っているのかなあと。ちなみに君は人類最強だっていうのは、実は自称じゃなくて他称です。大学院で【某大学】の教授から1回言われたことがあって。

qbc:
今、身分としては何をされているんですか?

ザード@:
身分自体はあくまでも会社員です。院を出た後趣味で物理学の研究を続けてる人です。

qbc:
その証明したものって。一般的な人でもわかるように説明すると、だいたいどんな感じのことなのでしょう。

ザード@:
宇宙は実は10次元だって聞いたことありますか。

証明したのは実際には宇宙は10次元だと主張している超弦理論に関する定理ではなくて量子力学基礎論や量子情報理論における定理なんですけどね。
簡単に言うと物理学者が究極の理論を証明しても、今度は「それが何故究極の理論なのか」という次の疑問が生じてしまい、この連鎖は停止しないことを厳密に示しました。そして超弦理論における余剰次元のコンパクト化された6次元ってそもそも何って言うとそこには宇宙を計算するプログラム、要するに物理法則が詰まっているのではないかという定理や主張を示しました。

qbc:
会社員でいらっしゃる?

ザード@:
はい。会社員です

qbc:
どういう経緯で、この証明をされたんですか? 趣味で?

ザード@:
2011年(大学院修士課程2年)のときに【某大学】の教授に「君は自分が博士課程に進学しないということがどういうことなのかわかっているのか? 人類が君という才能を失うことを意味しているんだ。このままでは人類の発展が10年遅れる。それも君がここで諦めたという非常にくだらない理由でだ。アインシュタインが特許庁の役人のままだったら今の物理が、科学が、人類がどうなっていたのかをよく考えろ」と言われて私の魂が救われたからです。
魂を救ってくれた人間の恩には報いる必要がありました。研究者に恩で報いるには研究を続けるしかありません。後、本来的には院卒ってアカデミアに関わり続ける義務がありますし。

qbc:
卒業後に、研究を続けられていた、ということですか?

ザード@:
というか大学在学中の指導教官がクソ野郎でまともな院生生活が送れず、一方全然無関係な【某大学】教授は「君はアインシュタインに匹敵する天才だ」といってくる。
やり直すとかそういう意味で研究をやめるという選択肢は取れませんでした

qbc:
大学を卒業して、会社員になったんですか?

ザード@:
院出たあとはずっと会社員ですね。途中クビになったりはしましたが
ただ今の日本のアカデミアの惨状や自分が今の研究を完成させるのに10年以上かかっていることを考えると博士課程進学が正解だったとも思えないのが辛いんです。
アカデミックポスト取る自信はありましたがその場合1年に1本は論文出す必要があるわけで10年もアウトプット無しで好きなことやって遊んでるわけにはいきません

qbc:
会社員のかたわら、個人的に論文を書かれていたということですか?

ザード@:
まだ論文にはしてません。というより修士課程の指導教官が「何が差別に当たるのかは定義できない」とか言い出すクソ野郎だったこともあり査読論文を通した経験がないため結果を論文にするところで止まってます。

qbc:
なるほど。証明はできたが、まだ論文は書けていない、準備中だ、ということですね?

ザード@:
要約するとそういうことです。今後なんとかして世に出します。ただ単に英語で論文を書いた経験がなく書き方が分からないというだけなのでこれは頑張ればなんとかなると思っています。

qbc:
性格は、周りの人から何と言われますか?

ザード@:
周囲からの性格の評価は最悪ですね。
ただなんでそうなのかはわかっていて、トラウマ障害や虐待の後遺症が表に出ちゃってるからです。

qbc:
自分自身では、自分の性格をどんな性格だと思ってますか?

ザード@:
なんとも言えないですね。
「君には協調性がない」
とか言ってくる人の真意が
「1930年のドイツでも周囲に強調して一緒にヒトラーを指示するのが真の協調性だ」
とか言ってくる危険人物だったりもするし。

愉快な人物でいようとはしていますがこれはただの仮面です。そして仮面を被っているという部分がトラウマ障害や虐待の後遺症だという部分につながってくる。

過去:「君たちが就職するのは国威のためだ。日の丸を背負っていることを忘れるな」

qbc:
子供の頃に、なにがあったんですか?

ザード@:
まず幼稚園は非常に素晴らしいところでした。書類上は【ある地域】で2番目に古い園です。書類上は2番目なだけで実際は1番古いらしいです。明治時代からある幼稚園なのでそういう風になっちゃったんです。親はそっちのほうが子供に良さそうだとわざわざ近所の幼稚園ではなく家から遠いそちらの園を選んでくれました。
そこはミッション系なんですが最後の晩餐の話を先生がするときに「主は自分自身の血と肉を振る舞った…って書いてありますがイエス様の肉じゃなくて牛さんのお肉です。イエス様の血じゃなくて赤ワインです。そんなことしたらイエス様殺される前に死んでしまいます」と話されて、これを聞いて私は6歳にして世界の真実を知ってしまった

その幼稚園方針が素晴らしいんですよ。
別な園児が遠足の日でもないのに「遠足に行きたい」と言い始めると先生が遠足に行きたい人を集めて本当に遠足に行ってしまう。
私は遠足が大好きだったので毎回参加する一方、図書室の窓からJRの駅が見えたので朝の会終わって10時から図書室でずっと駅の引込線見続けて、12時に弁当食べて13時から帰りまでずっとまた図書室でずっと駅の引込線見たりしてました。
あとクッキー作る日に自分一人だけ「クッキーなんて作りたくない」といって本当に作らなかったりもしました。ただこれ、実際には老人ホーム訪問のイベントの際にお年寄りのところに持っていくためのクッキーを作っていたのでそれを知ったときは「分かってたらクッキー作ったのに」とは思いました。

当時私は何故か字が読めたので保護者向けだよりの園長先生の言葉を読んだら
「ここにはいろんな子どもたちがいます。活発な子、周囲の輪に入れない子など。ぼーっとしていて何もしていないように見える子供がいます。しかしその子も何かをやっているのです。何かを考えているのです。我々大人はそれを見ないといけないのです」
と書いてあるのを読んで、ああ私みたいなヤツのこともちゃんと見てくれてるんだと感動した記憶があります。

それと幼稚園を卒園した直後「これから小学校に上がるから足し算くらいできないとなあ」と布団の中で30分考えたら自力でゼロから足し算のやり方を導出してしまった。

何故か漢字が読めたのもそうですがこの時点の子どもの知的水準としては相当上だったということに気づいたのはかなり後ですね。ただ、これは勉強したからこの水準に達せたのではなくてたくさん遊んで走り回ってたからこの水準に達することが出来たんだというのは強調しておきます。運動マジ大事。

qbc:
小学生の頃は?

ザード@:
小学校の頃から吃音のせいでいじめが始まります。変な話ですが知恵がつくからなんでしょうね。こいつ他と違うぞと。ただ、親はその辺を察していたのか学校サボってディズニーランドに連れて行ってくれたり、学校休んで一日ゲームやってるのを認めたりはしてくれました。そうそう、旅行といえば小3の頃「青函トンネルの横孔? メンテナンス用のトンネルみたいな部分25kmを歩く」というツアーがあって、開催が平日だったのに親が申し込んでくれて学校休んで参加したんです。ところが夕方の北海道の地域ニュースで「青函トンネル25kmを歩くような過酷なツアーになんと小学生も参加しています!」と思いっきりテレビ報道されてお茶の間に映ってしまった。学校サボって旅行行ってたとクラスのみんなにバレてしまったという出来事がありました。

qbc:
中学校はどんな感じだったんですか?

ザード@:
問題なのがそこです。
例によって私が吃音でいじめられるわけです。インターネット風に言えば障害者は殴っていいやつだみたいな空気ってありますよね。
で、私が先生に相談するわけです。

真の問題はここからです。私のクラスに何らかの重度障害の人がいました。そして障害者なんて殴っていいと思う人達は「ザード@は言葉を話せないだけで先生に相談するくらいの知恵はあるからターゲットを変えよう」と考えました。
そこでその重度障害の人へのいじめが始まります。

わざわざ近くに行って匂いを嗅ぐ仕草をして
「臭い!」
と言ったり
健常者生徒の側から殴っておいてその障害のある生徒がやり返したら
「せんせー殴られましたー。暴力っていけないんですよねー」
と"先生に相談"したり。

授業中先生がその障害のある生徒の順番を飛ばして当てると
「せんせー、何で順番を飛ばすんですかー? それって差別ですよね?」
と言い出したり。このときですが教師が
「差別と区別は違う!」
と言うんですが差別大好きなクラスメイトは
「わかんなーい」
と。

ここで問題なのが私が吃音によるいじめを先生に相談したためにターゲットがシフトしたことと、私が吃音であるゆえに止めに入っても
「何を言っているのかわからない」
と言われればそこで話が終わってしまうことです。

この場合の何を言っているのかわからないはお前の吃音が聞き取れないと何故差別がいけないのかわからないの2つの意味の可能性があります。

あいつらを止めて障害のある生徒を守れなかった、この罪悪感にはずっと苦しんでます、もちろん今も。そもそも私が吃音でいじめられていると先生に相談しなければよかったのではないか。そうすればターゲットが移ることもなかった。私が勝手に被害担当になるだけで済んだ。その罪悪感は一生消えないのでしょうね。

qbc:
どんな障害のある人だったんですか? その子は。

ザード@:
ちょっとよくわからないですね。少なくとも発達障害とかではないです。もっと全然重度です。
「普通学級にあんなのがいるせいで俺達健常者が逆に迷惑するんだ」
とか言ってたやつが普通に【某大学】に行ったのを知ってるので学力や学歴じゃ人間の価値は測れないと私は知っています

qbc:
そのとき、ザード@さんは、どういう気持ちでした?
いじめられているのを見ていた時、止めようとしたけど止められなかった時。

ザード@:
気持ちという意味では説明しようがないくらい最悪でしたね。
ただ少なくとも何としてでもこの事実を記録して世に出さなければとは思いました。
吃音故に止められないならこの凄惨な現実を世の中に出すのは義務であろうと。
この凄惨な現実を世の中に出すのは義務だと感じた理由があって、当時私は自分に物語を作る能力があることに気づいたんです。そして現実がこんな最悪な状況でも物語の中では自分は自由でいられる。こんな素晴らしいことがあるんだろうかと思いました。そしてそれと同時に神が自分に物語る能力を与えたのはこの差別という凄惨な現実を小説で表現せよとおっしゃっているのではないか、そう感じるようになりました

qbc:
高校時代は?

ザード@:
高校の話は非常に複雑怪奇です。
公立高校で行政事件に巻き込まれるんですが、最終的にそもそも何で高校が行政事件を起こしたのかというと、あそこ公立高校なのに自分が行政府の出先機関だと理解していないという衝撃的な事実を特定しました。

qbc:
どんな事件だったんですか?

ザード@:
2003年頃:ザード@が教師から馬乗りになって殴られる
2009年頃:学校が『謝罪』する
2016年:再調査開始(これも行政の前例踏襲をひっくり返すことになるので本当は難しい判断だったとのこと)

結果、そもそも暴行の事実どころか学校が『謝罪』したという事実すら文書で残っておらず実際には行政事件だったと判明する。
解決金として200万円がザード@に支払われる。

その後「いやいや、発端はただの暴行事件で暴行罪の慰謝料の相場なんて30万でしょおかしいだろこの金額」と思いずっと追いかけていたのですが。

つい最近学校がそもそも自身を行政府の出先機関だと理解しておらず、
「うちの教師から暴行を受けたと主張するザード@を名誉毀損で訴えます」
と公務員の犯罪の事実摘示では名誉毀損が成立しないのに虚偽の主張をして当時私が運営していた「学校教師から暴力を受けていました」というサイトを取り下げさせていたため、虚偽の主張による自分に有利な方への現状変更が行われており学校による背任罪が成立していると判明しました。

だから2016年の再調査当時【ある地域】が私に200万円握らせて口をふさぐしかない状況に追い込まれていたと発覚しました。つまりおそらくこれ【ある地域】知事が私に支払った金です。

qbc:
大学生の頃は?

ザード@:
大学生の頃はまず高校の頃の事件でメンタルがやられたせいで受験に失敗して底辺大学に進学してしまったコンプレックスで苦しみました(事件さえなければワンチャン【某大学】狙えるくらい偏差値はあったんです)。

他の大学と比べて明らかにレベルの低い、自分の学力と全く釣り合わない講義を受けながら学生生活を送っていました。ただ図書室に引きこもることが可能だったのは利点だったのかもしれません。それでも単位は出るので。しかし当然ながら周囲のレベルがあまりにも低く、普通の大学なら出来るような周囲の学生との討論のようなものが全然体験できなかったのはコンプレックスになっちゃってます。

非常につまらない学生生活を送りながら、2008年頃のmixi全盛期にそこで彼女を作ります
ただし彼女は別の県在住で遠距離。

しかしその彼女は虐待を受けて多重人格だった。

その虐待の内容が苛烈で。
母親から「お茶作ったから飲め」とゴミ箱のゴミを抽出したものを飲まされたり。

母親から「お前なんかうんこみたいなもんだ」と便器に入れられて水洗を流されたりとそりゃ人格も分裂するわというとんでもないものでした

そして彼女は両親が離婚し父親と一緒に暮らしているのですがその父親の様子もなんだかおかしい、一旦切り離してお互い冷静にさせたほうがいいと考え別な県から私の家(当時実家から大学に通っていました)に呼び寄せました。まあ2週間も離せば落ち着くだろうと。

しかし彼女の父親もなんだかやはり変だし、彼女本人に至ってはこっちに来てから3つだった人格を6つに増やします(その中の一つは猫の人格です)。

もう面倒見きれないので私の居住区の保健所に連れて行って相談したところ
「父親もおかしいので家族療法が必要だ。そのためには彼女の県で病院を探したほうがいい」
と言われ、彼女の県に移動し病院を探し始めました。

しかし彼女の県の病院や保健所の対応は
「何でうちに相談に来るの?」
「家族の問題を相談しないでくれる?」
「病院は治療するところであってお悩み相談所じゃないんだよ」
というひどいものでした。10件くらい行ってほぼ全部この対応です。

中学の件も合わせて私は誓いました。
人類、弱いものを守ろうともしないコイツらは必ず滅ぼさねばならない。
それも肉体的に人類を全部滅ぼしても宇宙は続くので必ず新しい生命が生まれてまた差別をやり始める。
だから人類の概念を滅ぼさなければならない。
私は必ずそれをやり遂げる。
(実は冒頭の物理学の研究はこの活動の一環)

qbc:
何を勉強されていたんですか?

ザード@:
学部と院では光物性と呼ばれる領域、特に非線形光学と磁性を組み合わせたものやホログラフィを専門にしていました。あくまで低レベル大学に進学する羽目になったのは高校の事件で精神的にやられて受験に失敗しただけだったため、院で磁気非線形とホログラフィという全く異なる2種類の研究が出来たのはラッキーでした。頭自体はいいので要求水準が低いから可能だったということです。ただこれも査読論文までは書けなかったため一般の修士号持ち相当の能力を自分が有しているかというと疑問です。

qbc:
院自体での生活は、どうだったんですか?

ザード@:
クソそのものですね。指導教官も研究室のメンバーも全員クソだと今から振り返ると断言できます

学部時代の元カノの件がB3のときにあったため、吃音による差別や高校での教師からの暴力も合わせて完全に意味不明になっていた、プラスそのショックの表現としてあえて「意味不明な振る舞い」をしていた私に対し指導教官は
「君の意味不明な振る舞いは発達障害ではないか」
「おかしな振る舞いにより君は大きな損をしている。もっと普通にしろ」
などと繰り返してきました。

更に同じ研究室のメンバーもこのような人物は攻撃していいんだという態度でした。というか事実として攻撃されていました。私の振る舞いを私が知らない(と彼らが思い込んでいる)場所で笑いものにしたり、講義があるので飲み会に遅れていくと言うと
「あ、そう」
とだけ返事があったり

最近やっと気づいたのですがこの指導教官、私に対しては
「お前は発達障害で異常な振る舞いで損をしているからもっと普通にしろ」
とは繰り返し述べるくせにこういう研究室メンバーの人を笑い者にしたりするような態度について
「それは変だから普通にしろ」
とは最後まで言っていないんです。

そして大学院出たのが2012年なのですが、2024年1月に当該の指導教官から
「定年だから必要なら学位論文を取りに来い」
と言われたので最後だと思い対決しに言ったらこの教授

「何が差別に当たるのかの統一的・具体的な定義は困難。従って私が君を差別したという指摘には当たらない。君が私から差別されたと感じているのはただの君の主観に過ぎない」

ととんでもないことを言い出しました。
付け加えると再三人に向かって普通にしろと連呼したくせにこの人物は何が普通なのかすら話せない様子でした。

というかそもそも「普通」なんかにしてたら研究なんてできるはずがないため今にして思うとこいついったい何だったんだと思います。

このような人物が【某大学】で修士取って【某大学】で博士取っているという事実が私をずっと苦しめています。

それと大学自体が当時とんでもない方向に舵を切っていて、何故か就職セミナーの講師として元自衛官を雇い、彼に就活セミナーと称して
「君たちが就職するのは国威のためだ。日の丸を背負っていることを忘れるな」
などと講義で喋らせ特攻隊員の遺書が印刷された「就活資料」を配布するという奇行が行われていました。流石に大学に抗議したものの「ただの一般論であり問題ない」らしい…

qbc:
「私の振る舞い」とは、どんな振る舞いだったんですか?

ザード@:
当時はかなりメンタルやられていたので外野から見れば明らかに異常でした。
発言の主語が抜けることが多かったり、会話にいきなり割り込んだり、他人を尊重しないような行動をしちゃったり…ただそのため「こっちにも悪い面はあったから仕方ない」という意識があったのですがこれは院に在学していたときのとある出来事と、2024年の指導教官との最後の会話の内容で完全に吹っ飛んでいます。少なくともあのような集団相手に「道徳的に正しい振る舞い」で接する事自体が倫理的に正しくない…。

qbc:
その時は、どんな気持ちでしたか?

ザード@:
途中からだんだん
「こいつ人に向かって『周囲に合わせて普通にしろ』と連呼してるが、これもしかして『1930年代のドイツでも周囲に合わせて普通にしろ』
のとんでもない意味で話してきてないか」と感じるようになりました。

当時は自分がこのような歪んだ認識に至ること自体をトラウマ体験の後遺症だと捉えていたのです。が、「何が差別に当たるのかは定義できない」と言い出す人間の言うところの「普通」なんて明らかにこの意味なわけで、言葉がその意味に聞こえるならばその意味で相手は話しているともっと自分に自信を持つべきだったなという後悔は強いですね。

ただ、この気持ちを克服して、あるいはその感情の正体に気づかせてくれる出来事が2011年の就職活動中にありました。当時他大がやっているベンチャー企業の求人に出したのですがその面接の際に以下のような会話がありました。
「ザード@さんはとても研究者に向いている人物だと思いました。君、何でドクター行かないの?」
「お金がないからです。それに指導教官との仲も悪く成果ゼロなのでD進は難しいです」
「君は自分がドクターに行かないということがどういうことなのか分かっているのか? 人類が君という才能を失うことを意味しているんだ。このままでは人類の発展が10年遅れる。それも、君が、ここで諦めたという非常にくだらない理由でだ。アインシュタインが特許庁の役人のままだったら今の物理が、科学が、人類がどうなっていたのかをよく考えろ」
「じゃあもっと努力して業績を上げろということですか?」
「努力? 君は一体何を言っているんだ。君には才能がある。だから努力なんてするな。何故ならば、努力など誰にでもできるからだ」
「業績がない? 今論文を一報も出していないこととこれからも成果が出ないことは全くの別だ。ただ単に君は大器晩成型だというだけの話かもしれないじゃないか。逆に院で素晴らしい結果を出した人物がそれからも成果をあげ続けるという保証もどこにもない。何故ならば業績など出した瞬間に過去の栄光になってしまうからだ」
「でも自分パワーポイントを作るのが下手だし話すのも苦手で…それに頭も悪いし…」
「さっきから君は一体何を言っているんだ。パワーポイントなんて作れなくても研究なんてできるじゃないか。君は頭は悪いが才能がある。努力はしているが、それを持ち合わせてなどいない多くの人間に対して申し訳が立たないとは思わないのか。君が論文を出さなかったら本来君がやるはずだった研究を誰かが余分なコストを支払って肩代わりすることになる。それに責任を持てるというのなら博士課程に進むのはやめなさい」
結局そのベンチャーには落ちるんですがこれほどわかりやすいメッセージはないですね。

そしてこれで指導教官が私を「普通」に押し込もうとしたり、あるいは高校で教師から暴力を受けたり、あるいは中学でひどい差別的な体験をしたりといったことの真の意味が明らかになります。

つまり吃音症の障害者である私が「自分には最初から才能があった」という事実に気づくと、その才能といういくら努力しても努力なんかじゃ決して及ばない暴力的なまでの力を振り回して健常者社会を障害者に対しても平等な社会に作り変えようとしてくる。だからザード@が「自分には才能がある」という圧倒的な事実に気づいてしまわないよう目眩ましをするしかない。そのために社会のマジョリティたる健常者は暴力を用いたりお前が変だと繰り返して私が自分の実力を過小評価するように仕向けてきた。しかしいまや私は真実に気づいた。たしかに私は頭が悪い。だが同時に才能がある。それも就職活動で何回か会っただけの教授に成果すらろくに出していない状態でアインシュタイン級だと言わせるようなとんでもないレベルの。つまり私は人類最強だ。そうでなければいけない。そうでなければ度重なる差別被害も何もかもが全て虚構になってしまう。彼らはただ単に健常者としての既得権益を守るために障害者を一定の枠に押し込めようとしていただけなのだ。

念の為ですがその教授、ただ単に大学院で成果が出ず腐ってた私を鼓舞したいだけであれば
「君には才能がある。だから努力して結果を出せ」
といえばいいんです。
だけど当該の教授は
「君には才能がある。だから努力なんてするな」
と隠されたこの世の真実を口にしているんです。このことの重要性は強調しておきます。

qbc:
大学院の後はどうされたのでしょうか?

ザード@:
【ある都市】の会社に就職するもやはりトラウマ体験の後遺症が抜けきっておらず、会社が体育会系だったこともあり自主退職に追い込まれます。

その後【ある地域】の実家に戻って【ある都市】のIT系企業に再就職します。

このタイミングで高校の件について【ある地域】教育委員会にメールすると当該高校の、何回かの交代を経た後の校長から蓋開けて再調査するという連絡が来ました。ところがその際に私の親は
「何でメールなんかしたんだ。つらい過去なんかもう忘れて克服しろ」
とか変なことを言い出しています。話の流れで言えてませんでしたが私の親の高校の件に関する態度は一貫してこれです。

qbc:
それが、何歳ころのお話です? メールしたのが。

ザード@:
2016年なので30か31かそのくらいになりますね、メールしたときが。

qbc:
その後、どうなるんでしょう? 調査の結果は。

ザード@:
まず公立高校なので、校長から「これは行政の前例踏襲に反する異例の措置である」という説明がありました。
そのうえでまず初回の話し合いで校長から
「そもそも学校がザード@さんに暴行したという記録が一切残っていない。当時の職員会議の議事録も確認したが一切議題にした様子がない。学校に不登校状態の生徒がいたのにだ」
「じゃあこれ暴行事件じゃなくて行政事件じゃないですか」
「そのとおりだ。大変申し訳無いがそういうことになってしまう」
みたいな会話がありました。

そして何回も話し合いをして校長が当該教員に対して何回聞き取りをしても(最終的に40回以上という普通なら「お前自主退職しろよ」というメッセージを発することになるレベルの回数の聞き取りを行ったらしい)自白を全く取れないため業を煮やした校長が
「ザード@さんさあ、当該教員から受けた被害額っていくらになる?」
「100じゃ効かないですね」
「だろうな。これ本当は校長でもやっては駄目なんだが当該教員の公務員共済の借入可能額を調べた。あいつは今満額借入可能で枠は200万円だ。これで手を打ってくれないか」
という会話があり、結局当該教員から200万円を受け取り、校長は教育委員会に報告書を提出しました。

しかし、ここで新たな疑問が噴出します。

1.そもそも金200万円を補填せよなどという越権行為な命令を当該教員に出すメリットが校長にはない。
2.当該教員も自白せず自分は暴行などしていないと言い張っているのにザード@に金銭を補填するメリットがない。そもそも校長からそのような命令をされたら脅迫で警察に駆け込むか教育委員会に駆け込むのが筋である。

というわけで2016年以降はこの謎を解こうと動くことになります。

ちなみにこの校長ですが、途中から
「この高校は一体何だ。教師が誰も生徒の方を向いていない」
と普通校長が絶対口にしないような言葉を言うようになり、別な高校に異動する際には学校の校長室の歴代校長の顔写真を飾らずに去るという相当怒ってるなこいつという行動をしています。というかこんなの他で聞いたことがない…。

そして、実際に金銭の支払いもあった以上、高校の事件についての記事を再度Webに掲載しようとしました。その際に関係者はなるべく実名を出そうと思い(金銭の支払いがあったうえに関係者は公務員なので問題ないと思った)そのようにしました。

その直後のことです。当時再度転職して実家から出て一人暮らししていたのですが、親からメールが来ました。

「校長が記事を3日以内に消さないならあなたを名誉毀損で訴えると言っています。早く記事を消しなさい」

しかし、当時既に例の校長は当該高校から別な高校に異動しており、当該高校の記事を消せと命じる権利は校長にはないはずだと思い親に

「記事のどこが問題だから消せと何の権利で主張しているのかまずは校長に確認してくれ」

と返事を出しました。それに対する親の返事は

「難しいな」という、今から振り返ると意味不明なものでした。

そして再度親から

「校長は貴方を名誉毀損で訴えると言っていました。猶予は3日取るそうです。早く記事を消しなさい」

とメールが来ました。

なにか変だぞと思い、調査の際に校長に教えてもらっていたヤフーメールの個人アドレスに
「記事を消さないと私を名誉毀損で訴えると言っているそうですが、本当に訴訟になったらそっちに勝ち目ないですよ。どういうことなんですか?」
とメールしました。

そうすると再度親からメールがあり

「まだ誤解があるようです。校長はこの記事は迷惑だと言っています」

と意味不明なことが書かれていました。

直後親から電話がありそこで判明したのは校長は私を名誉毀損で訴えるなどとは最初から主張していない。単に200万円の支払いを命じるなどダーティなことをやったので自分の実名を消してほしいだけという事実であった。校長はその消すための猶予を3日取ると言っただけだった。もっと言えば校長が自身の名前を記事から消してほしいのは「当該の高校はとんでもないところでありそのような高校を監督したことは自身の経歴上の汚点である。だから当該高校と自分の関わりは極力消したいので記事に自分の実名が出ているのは困る」と言っているだけであった。

という事実が判明しました。

何とこの親校長の言いたいことと全然違うことを再三繰り返していたのです。しかも「まだ誤解があるようです」とか言って親ではなく息子が誤解して勝手に変なことやってるかのように言い、自分は悪くないかのように振る舞っている。

思い返せば前からずっとそうだった
そもそも何故高校在学中にこの親は高校を暴行で訴えなかった? 負けるのが怖かったからではないか?(付け加えると弁護士に相談ってどうやってやればいいのかわからなかったらしい)

中学の時、とんでもない差別被害にあっている息子にこの親はどういう態度だった? ただ単に発達障害が周囲に適応できず不登校になっただけと都合よく思い込んでいたではないか。

何故この親は私が小説を書けると言うと
「あんたにそんな能力はない」
と否定するようなことを言う?

何故この親は
「100%成功する保証がない限り何のアクションもするな」
と繰り返し主張していた?

何故この親は高校の被害なんて忘れて克服して生きろと繰り返し言っていた?
何故この親は「私が被害を告発しないと隠蔽成功で高校の勝ちになってしまう」と言うと「被害を告発するなんて被害者仕草でみっともないからやめなさい」
と繰り返し主張した?

更に「被害を告発するなんて被害者仕草でみっともないからやめなさい」なんてのは日本でよく言われる被害者叩きのテンプレ的言動、要するにただの一般論で、そこに何の具体性もない。何故こいつらは当事者意識を持って具体的な発言ができない?

全て逃避ではないか。

思えば子供の頃旅行に連れて行ってくれたのも全部そうだ
これはただ単に「親として正しい振る舞いをしないと虐待を疑われて近所の人に児童相談所に通報される」という恐怖からの振る舞いだ。

何故私の人生はこんなに問題が山積みになる?
それはそもそも親がおかしいからだ。その逃げ回る親の教育を受けてその影響下にあるからだ。だから私はこんなにも異常なのだ。これが私の苦労の正体だ。

未来:電子書籍をAmazonで個人出版して販売しているのでもしも興味があればご覧になってみてください。

qbc:
最後自分が死ぬことをイメージした上で、どんな未来を思い描いていますか?

ザード@:
そもそも親に「100%成功する保証がないならそれをやるな」とか言われて実力はあるのに何も出来ないという人生をずっと歩く羽目になったので、まずは若い頃本来ならばできるはずだったことや体験をしたうえでになります。
というか年齢的に現役でいられるのは後たかだか30年くらいなのでそこから逆算するとまず冒頭で書いた論文を出版して、まだ詳しくは言えないけど量子コンピュータ関連で次の研究テーマは決まってるからそれについて研究して、小説も出版して、まで達成したらやりたいことはあらかたやりつくしたので後はいつ死んでもいいのかなと思います。
後悔のない人生と言うより、才能のある人間として自分にしか出来ないことは全部やってからこの世を去る義務はあると思います。そしてそれは非常に重たいです。才能という自分の内側にあるものからはどうあがいても逃げられないからです。

そして文明を築き上げてから4000年以上も経つのに未だに差別も克服できないような人類は必ず滅ぼす、これもやりとげます。

qbc:
もしもの未来の質問です。もしも、自分に吃音がなかったり、苦しい経験がなかったとしたら、どんな人生になっていたと思いますか?

ザード@:
念の為ですが、障害者に向かって「もしも障害がなかったらどうだったと思いますか」と質問するのは場合によっては差別になります。少なくともinclusionの概念には反していますよね。

そのうえで質問に答えると、仮に私に吃音や苦しい経験がなくても、今も世の中のどこかで弱者が苦しんでいる現実が変わるわけではありません。

それどころかそういった経験がなかったらおそらく実力的に私は大学や会社はそれなりのところにいけるわけでそこで感化されて
「障害者が差別されるのは差別されないようにするための努力が足りないからだ」
とか言い出すような非常につまらない人間に成り下がっていたリスクが見えて(事実「何が差別に当たるのかは定義できない」と言い出した指導教官は【某大学】や【某大学】を出ている人です)それが非常に怖い。

もう一つ辛いのがその前提に立つと私はいい大学に進学できていたのはほぼ間違いないわけで(偏差値的には駿台全国の難しい方の模試で【某大学】見えてたので)、その「いい大学」に受かったら私は自分が頭がいいのではなく才能があるのだという事実に気づくことなく、才能というかけがえのないものを燃やして、頭のいい人間をシミュレーションして、つまり努力して、周囲のただ単に頭が良いだけで何の能力もない人間と協調して当座の結果を作り込むだけの非常につまらない人間になっていたであろうことです。

つまりつらい経験もなく「いい大学」に進学できたとして、それでいい会社入って高い給料受け取れる身分になっていても
「君は頭が悪いが才能がある」
「才能がある人間は努力などしてはいけない。何故ならば努力など誰にでもできるからだ。そんなものは世の中にいる大勢に好きなだけやらせておいて、君はどんなにしょぼくてもいいから君にしか出来ないことをやりなさい」
という言葉がおそらくそこにはどこにもない。その言葉を受け取れず、自分は頭がいいのではなくて才能を燃やして頭のいい人間のフリをしていただけなのだと気付けないのだとしたら人生は大局的には完全敗北です。

そうなるリスクが非常に怖い。どこかの漫画が言っているように遠回りこそが最高の近道だったというわけで、おそらく今いる場所は私にとっては最善世界に近いのだと思います。

付け加えると「つらい経験」がないと親の呪いを解呪する術も消えるわけで「100%成功する保証がないならそれをやってはいけない」「曖昧な一般論だけ述べて具体的な個別の論は述べず逃げ回る」という親の呪い由来の私の奇妙な行動を消すことは出来ず結局は負けでしょうね。リスクを取って冒険して成功を掴むということが親の言葉のせいで思考から完全に消されていたので。

そもそも「いい大学」を出た人生なんていわば「普通の人生」です。そんなのを送ってる人なんて世の中には探すまでもなく大量にいる。私は才能があり人類最強なのでそんな誰でも送れる人生なんて過ごさず自分の人生を最後まで歩み切る必要がある。そのコースに入れないのならばそれらは全て虚構ですね。キリスト教的に言えば神が示された光の道を歩むべきだし、正義の道を歩むことこそが運命なんだと思います。

qbc:
最後の質問です。最後に言い残したことはありますか?
遺言でも、読者メッセージでも、インタビュー後の独り言のようなものでも構いません。

ザード@:
親の呪縛を解けたときの開放感と言うか「お前が私の人生のラスボスだったのか」感はものすごかったです。文字通り全ての答えだった。そいつは私の近くからずっと私を苦しめ続けていた。他の敵を巧妙に招き入れながら。

そりゃ当事者意識を持たず具体的な発言から逃げ回っている人間の影響下で育てばそりゃ周囲からは「お前は変だ」「お前は他人の気持ちがわからない」と言われるようになるわ、と。

それだけならまだしも私の周囲にいた「お前は他人の気持ちがわからない」といってくる人間は重度障害者を差別したり、あるいは「何が差別に当たるのかは定義できない」と言い出すような人間ばかりです。そのような人間の気持ちって理解しちゃっていいものなのでしょうか。そういう人間から「お前は他人の気持ちがわからない。もっと周囲に合わせろ」と言われるのは「俺達と一緒に差別して楽しい気持ちになろうぜ」の意味に他ならず、向こうが「他人の気持ちがわからないお前は発達障害だ」とか言ってきたとしても決して協調の姿勢を見せてはいけなかったのでしょうか。結果論的ですが私は彼らから見て「他人の気持ちがわからない」振る舞いを最後までやり続けました。これこそが差別にNOを突きつける重大なメッセージとなっているのではないでしょうか。

最後に宣伝ですがいくつか電子書籍をAmazonで個人出版して販売しているのでもし興味があればご覧になってみてください。商業主義的にプログラム関連の書籍が多いですが小説も書いてます。

オススメは小説なら「月光のリフレイン」、プログラム関連なら「新説・SIの働きにくさはCOBOLの所為だった!?」です。「嘘ことわざ辞典」も刺さる人には刺さると思います。

余談ですが私の創作意欲は「文明を築き上げてから4000年以上も経つのに未だに差別も克服できず自分やその他マイノリティをこんなにも苦しめ続けている人類を滅ぼす」という怒りがほぼ全てなので、特に小説はそれ踏まえて読んでいただけると隠された真意が見えてくると思います。

あとがき

私は差別をしないためにインタビューしているのではない。
その人を知るためにインタビューしている。
【インタビュー・編集・あとがき:qbc】
https://note.com/unknowninterview/n/n696e4662d38a

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