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八方美人で悩んできた人生の人
人生に実況中継ついてたらどうなるんだろうな。うるさいかな。リピート放送で聞くのかな。それとも生で聞くのがいいのかな。分からんな。
実況中継あったら、自分の人生もりあがるのかな。ふつうに、学校。ふつうに学校行くのでも、実況中継してくれるのなら、毎日の登校も、あるいは通学でも、そういうのでも、なんか楽しくなるのかな。
実況者が、おおーいつもの曲がり角を曲がるときに、昨日の夜に家族とケンカ、もめ事があったことを思い出して、今、心痛があります! これを職場に持ちこんだら、きっと大変だぞ、みんなまわりから心配されるぞ。
心配されたストレスっていうのもあるんだぞ。どうなるんだぞ?
でも、まあ、人生にそういう副音声があるのなら。まあ、楽しいのかもね。
人生は一人で生きられない、ってことよ。
うんうん。
まあ、分かったかな?
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは ミミハムココロ さんです!
年齢:20代前半
性別:男
職業:大学5年生
現在:良く言えば、僕は自分の許せないラインとか、人生における軸がそんなにないからこそ、結構人に感情移入しやすいんですよ。
qbc:今何をしている人でしょうか?
ミミハムココロ:僕は残り1年の学生です。やりたいなと思ったことをとにかくやっている時期ですね。
qbc:どんなことされてますか?
ミミハムココロ:スペインに一度留学していて。そもそも大学がスペイン語を専攻する学部なので元々スペインに関わる人生で、大学生の間に行こうと思ってたんですけど。
1年間留学する中で唯一やり残したことに、スペインの700キロぐらいを歩く巡礼があるんですね。時間的にその時は余裕がちょっとなくて、留学中の間には結局行けなくって。
帰ってからもう1回行こうと思ったら、今度はお金的に余裕が無くって、ちょっともう諦めた感じなんですけれども。それに代わる何かを日本で、巡礼でも何でもいいんですけれどもやりたいなっていうのが今の目標であり悩みですね。
qbc:その他、やりたいことや今やっていることはありますか?
ミミハムココロ:今本当に卒論のテーマをまず決めないと駄目なので。まずそれで悩んでるのと。それこそ巡礼というか歩くのが好きなので、日本でできる巡礼を探してはいますね。
夏休みまでにいろいろやることを決めて、夏休みにやりたいなとだけ思ってます。
qbc:気分としてはどうなんですか?
ミミハムココロ:気分ですか。
qbc:今の感情としては?
ミミハムココロ:気分としてはもう、就活が一旦終わったので。今、すごく開放的ですね。
本当にやりたいなと思ったことを素直にやろうと思ってて。フルマラソンをやりたいなと思って、昨年の11月もフルマラソンやって。実際走り切れてすごく楽しいなと思ったんで。この1年は、今までやってなかったことをやりたいなって。
qbc:就職が決まったのはいつだったんですか?
ミミハムココロ:就職が決まったのが、昨年の12月の末で。すごく早く終わったんで、今年の1月から来年の3月までっていう長い時間、暇になったんで。
qbc:働くとかいろんなルートがあるじゃないですか。やりたいことはどういう方面なんですか?
ミミハムココロ:一番やりたいことで言うと、京都に住んで在宅でリモートワークしたいなっていうのが心のどっかにあって。で、できれば書く仕事でお金が稼げたら楽しいだろうなというのがあるんですけれども。
実際自分が内定いただいて承諾した企業がそういう会社かっていうと全然そんなことなくて。たまたまインターンシップからトントン拍子で進めさせていただいてご縁があって、自分的に不安がなかったからここにしようっていう。
下着系、アパレル系の会社なんですけど。リモートワークできるかといったら、そんなこともないんですけど。とりあえず、まずはどっかしら入って、何年か頑張りたいなっていう気持ちです。
qbc:今、1日で何をやっていることが多いですか?
ミミハムココロ:最近はnoteを書くことが多いですね。それこそ、このインタビューもそうですけど、人生の振り返りがすごい楽しいので。
その時に思ったことはその時にしか残らないっていうのに気づいて。今22歳ですけど、22歳の考え方ってもうその時しかないと思うんで。
だから毎日日記をつけるように。今年の1月5日から毎日日記をつけているんですけど。
それとは別で、noteももう3年ぐらい書いてるんですけど。書くペースは明らかに今年に入ってから増えてます。
qbc:書くことをしてみて変化はありました?
ミミハムココロ:コロナの、2021年の2月にnoteは始めたんですけど。書くようになってからは、自分のことを自分で分かってあげられてるなっていう感覚が増えて。
人に何か話す時も、書いた内容通りっていうのはあれですけど、書いたことがベースであると人にも話しやすいんで。
そういう意味では、就活で自分のことを話すことはすごく楽でした。やっててよかったなってすごく思います。
qbc:どんなことを書いてるんですか?
ミミハムココロ:本当にざっくばらんなんですよ。
その日見た映画、自分が中学生の頃に受けたトラウマとか。自分のおじいちゃんが最近認知症が進んで入院したとか、もう自分にまつわることがほとんどで。
社会情勢に対して書いたりとか、恋愛コラムを書いたりとかそんなんじゃなくて。とにかく自分の知った、見たことベースで書いてるんです。
qbc:日記ってことです?
ミミハムココロ:そうです、日記です。
qbc:書き始めたきっかけって何ですか?
ミミハムココロ:書き始めたきっかけは、京都でオンラインで在宅したいなっていうぼんやりとした夢を大学1年生の頃に持って。
自分なら何ができるかなと思った時に、最初はアフィリエイトというか、広告がついたサイトで日記を書いたら、それを読んだ人が増えれば増えるほどお金入るんじゃないかって思って。
どういうブログがあるのかも覚えてないですけれども。広告付きのサイトで、自分でサイト作ってブログ書いてっていうのが結局合わなくって。まずは、お金とか関係なく、書く練習をしようと思って、noteにしました。
qbc:京都で在宅リモートっていうのは、どこから来た発想なんですか?
ミミハムココロ:在宅じゃなくてもいいんですけれども。京都に住みたいなっていうのがずっとあって。
自分は大阪生まれで、今滋賀に実家があって。両親2人とも実家が京都にあって。
で、今も生きてるのが父方のおばあちゃんなんですけれども。祖母が左京区に住んでて。で、左京区はすごく居心地がいいんですね。左京区というか四条にかけて。
だから、京都っていっても京都市ですね。京都市にいつか自分も住みたいなと思って。鴨川でのんびりしたり、ゆるい生活をしたいっていうのが小さい頃にぼんやりとあって。だからなんとなく京都がいいなって。
qbc:ゆるい生活ってどんな感じですか?
ミミハムココロ:それこそ仕事に追われすぎて、ストレスで自分が自分でなくなるっていうのは絶対に避けたいなと思ってて。僕の優先順位はあくまでやっぱり生活なんで。
その中で、最低限お給料をもらって、たまに本読んだりたまに散歩したり。お金をかけなくても楽しむ方法というか趣味はある程度分かっているつもりなんで。
あとは住む場所ですね。都会過ぎず田舎すぎずみたいな。京都はすごく歴史を感じられるんで、ぼんやりとした魅力にずっと惹かれて、よく京都には行くんで。
だから、ゆるい生活っていうのは、何なんでしょうね。僕もあんまり分かってないんですけど。
qbc:自分が自分でいられなくなったことってあるんですか?
ミミハムココロ:スペインでワーキングホリデービザを使って、10ヶ月ですけど社会人みたいにちゃんと週40時間働いたことがあって。飲食の、しかも40時間って少ない方だとは思うんですけれども。
やっぱり、業界柄っていうか残業も当然ありますし。シフト制なんで、何かあったら、いない人たちの分をいる人たちで回すみたいなのがあって。
なおかつしっかりと何年も続いてるレストランじゃなくて、僕が行った時でオープン2ヶ月目みたいな。結局、そこは僕が帰って数ヶ月で潰れちゃったんですけど。
やっぱり、体制が整っていない場所で皆が自分を酷使して成り立たせてる仕事のあり方って、生活に全然余裕がなかったなって思って。
だから今はいたわり過ぎなぐらい、自分を大事にちょっと甘く見積もってるんですよ。
qbc:その経験から、他に得たものはありますか?
ミミハムココロ:主に2つあって、1つは、やっぱり駄目なことは言わなきゃダメだなって。主張する大切さをまず学びましたね。
よく外国人の方が主張があるとか、日本人は周りに合わせてあんまり言わないとか、留学行く前から言われていた偏見というかイメージだったんですけど、実際これはあるなと思って。
これは無理だっていう緊急事態になった時に、自分の同僚は上司に対してしっかりと言ってたし、そういう話し合いの場を設けさせてくれみたいに言ってたんで。
初期の自分だったら多分泣き寝入りというか、どうにか上手くやり過ごす方法を探してただろうなと思って。
もう1つは、同僚でキッチンのフィリピン人がいたんですけど。どんだけ忙しくても、その状況を楽しんでたんですね。それは今でもすごく自分も影響を受けてる。バイトする中でも、やっぱり気持ち一つで、痩せ我慢じゃないですけど、気持ちから入って実際楽しくなることってあるんだなと思って。
その2つは大きな学びっていうか、記憶に残ってますね。
qbc:なんでその人はそんなに楽しそうなんですか?
ミミハムココロ:フィリピン人だからじゃないですかねって僕は思うんですけど。それも偏見ですけど。なんでなんでしょうね、もう根っからの陽キャみたいな、そういう感じだと思います。
qbc:自分は苦しんでいるけどフィリピン人は楽しそうみたいな、具体的なエピソードはありますか?
ミミハムココロ:いやもう材料が切れたとか。もう明らかにキャパオーバーで、キッチンの設備も含め全然体制が取れてないレストランだったんで。いつか潰れるなって分かりながら、皆でだましだまし頑張ってたんです。
実際お客さん自体は来るけど、値段の価格設定が間違ってるから、もう全然売り上げにならないんですね、こんだけ回転してるのにみたいな。
でも、上は上で頑固なんで、どうしても変えられない部分もあったんですけど。そういうのがあった時に、少なくともここ4人は楽しくやろうやみたいな感じで。とにかくムードメーカーというか。
楽しくないなってなりそうな環境を、彼がすごく楽しくさせてくれたんで。基本的にずっとでしたね。何かのタイミングで僕が駄目だった時に彼が盛り上げてくれたっていうよりは、彼がいるからずっと楽しめたって感じです。
qbc:周りからどんな性格だと言われますか?
ミミハムココロ:八方美人とは言われますね。
八方美人って最初に言われたのが中学生の頃で。高校生の時に、いい奴ぶんなよって1回言われて。高校3年生の時も、八方美人やんなみたいな感じのことを言われて。
あんまりそれまで自分のことを振り返ってなかったんですね。でも、それを言われた時は本気で落ち込みました。
大学1年生になってnoteで振り返る癖がついてから、可視化っていうんですかね、曖昧にほったらかしにしてた自分の生き方が自分でようやく分かってきて。
一人っ子っていうのもあって、小さい頃から友達を家に呼ぶのがすごく楽しくて。それなりに偏見や好き嫌いがなく、分け隔てなくいろんな人と遊んでたんですけど。
やっぱり年齢が上がるにつれて、この人は好きこの人は嫌いみたいなのを皆持ち出して。僕がいろんな人とつるんでると「俺がアイツの悪口を言っているのにアイツとも仲良くしてるのなんで?」みたいな。
僕としては、あなたが彼を嫌いだから僕も合わせるって道理がないなと思ってたんですよ。あくまで僕は個人個人であなたたち2人と接してると、今だったら思うんですけど。
当時はそんなこと考えもせずに、ただ楽しかったらいいやって思って、フラフラフラフラしてたんですね。だから、自分の考えや自分の中で許せないラインが全然築き上げれないままこの年になっちゃって。良く言えば柔軟みたいな。
大学生になってnoteで文章に書き起こしてようやく、1人1人をあんまり大事にできてなかったんだろうなと分かって。いろんな人と繋がってる自分気持ちいいな、みたいな。
それをしっかりと分かる人は、適宜僕の人生において、いい奴ぶんなよとか八方美人だの、そういう言葉を使って指摘というより感想を言ってくれてたんで。
振り返ると、面白いというより、ありがたかったんだなとは思います。
qbc:ミミハムココロさんの友達が、ミミハムココロの付き合ってる友達嫌いなんだよって言ったら、どういう対応をするんですか?
ミミハムココロ:それこそ中学生の頃とかは、言ってることコロコロ変わってて。だから、どっちにもいい顔してたんですよ。あー分かるわ、俺もアイツあんまり好きじゃないかもみたいな。で、片方でも同じことをしてるっていう。
分かるわけないと思ったんですよ。でも、漏れたのか漏れなかったのか覚えてないですけど、結局僕の認識は八方美人っていう風になってたんで。言葉として漏れてなくても、雰囲気で分かってたんだろうなと思って。
高校生の時にいい奴ぶんなよって言ってきたやつは、それまで別に仲良くなかったけど、高校3年生でクラスが一緒になって。仲良しの3、4人がいたんですけど。
そのうちの1人に結構長いこと付き合ってる彼女がいて。でも、最近ちょっと別れそうみたいなのが周りから見てても分かって。
その時に別の1人が「アイツどう思う? 別れると思う?」ってLINEで急に聞いてきて。LINEで全然喋ってもなかったのに急にそんなこと聞いてくるから、なんやろと思ったけど。
僕LINEで言うっていうのがデメリットでしかないと思ってたんで。無難に返しておこうと思って「んー分からないに1票」みたいな返信をしたんですね。
そうしたら「いい奴ぶんなよ」って返ってきて。その時は本当にちょっと気にしいだったんで、俺はいい奴ぶったんだって見透かされたような気がして。今思うと考えが違うだけなのに。
で、結局次の日に感謝しに行って、ありがとうって。「いい奴ぶんなよ」って言われて俺もハッとしたから、正直にお前みたいに言ってくれるヤツおらんからありがとうって言いに行ったのを覚えています。
qbc:考え方が違うなって時は、今はどんな対応をするんですか?
ミミハムココロ:なるべく本心で話すように心がけてますね。自分が本当に分かるなと思ったら、分かるわって。
例えば、誰かの悪口を言ってて、本当に自分が分かるなと思ったら言うようにしてますし。別にそこまで俺はそう見えないなって思ったら、それをそれとなく上手く言う方法を模索してますね。
要は、その人はそう思ってるんだからそれが正しいんですよ。でも僕はそう思ってないわけで。でも、その人は僕にそれを伝えた。共感してほしいよりも話したいが多分先行してるんで、敵対する必要はないなと思って。
だから、いかにトゲのない言い方で、自分は別にそこまで思わんけどそう思うんやねみたいなのをどうやったら伝えられるかなって、この1、2年はよく考える癖をつけてます。
qbc:自分では性格はどう思います?
ミミハムココロ:八方美人かどうかってことですか?
qbc:そこも含めて。どんな性格だろうなって。
ミミハムココロ:良く言えば好奇心が旺盛で、悪く言えば飽き性だなと思います。
qbc:身近な人、家族恋人親友。距離の近い人から言われる性格の一面ってあります?
ミミハムココロ:優しいとは言われますね。それこそ就活の時に親に聞いたり、他己評価を友達に聞いたりしたんで。その時は優しいとは言われましたけど。
あとポジティブって言われます。これは自分でも思います。ポジティブと好奇心の強み2つで就活乗り切ったんで。
qbc:どこが優しいと思います?
ミミハムココロ:いろんな人と話すのが好きだったんで、昔も今も。いろんな人のいろんな価値観に触れてきたと思うんですね。そしたら、皆自分の考えがあって。
良く言えば、僕は自分の許せないラインとか、人生における軸がそんなにないからこそ、結構人に感情移入しやすいんですよ。寄り添いやすいというか。寄り添い方が合ってるのかは分からないですけど、結構その人の気持ちになりやすいっていう意味では。これは優しいと言えるのか、今話してて僕も分かんなくなったんですけど。
例えば、会話一つにしても、聞くのが好きだからこそ、どうしたらこの人は話しやすくなるかなとか、結構気にしいというか。割と何かしらに気づく方かなと思うんで。
それこそ優しいって言ってくれてる人の中には多分、八方美人とは思わないけど、いろんな人と分け隔てなく接してる自分の印象を残してるだけの人もいると思いますね。
それが本当の僕かって言われても分かんないですけど。
qbc:最近食べた中で一番美味しかったものを教えてください。
ミミハムココロ:この前、5日間友達と卒業旅行でタイに行って。タイで食べたオムライスがあって。
それがもう、今までで一番脂ギトギトで味濃いやつだったんですけど。それがめっちゃ美味しくって。
2人でタイ旅行に行って、そのレストランに入って、僕が適当にオムライスを頼んで。友達が野菜系の肉野菜炒めを頼んで。
僕があまりに美味しいって言うから一口あげて。あんまりに美味しいって彼も言うから、2人で1つずつもう1回頼んでっていう。最近美味しいなって感じたのはオムライスですね。
qbc:合計3回頼んだってことですか?
ミミハムココロ:そうです。店員の女の人にも笑われて。
最初は当然普通に頼んで。僕があまりに美味しいからさっと注文しに行ったら、まずそこでフフって笑われて。友達も食うってなってもっかい頼みに行って、もう1回フフっと笑われて。
qbc:オムライスはどんな感じだったんですか?
ミミハムココロ:本当にね、脂なのか分からないですけど、ギットギトで卵がすごく重たくって。特にすごく珍しい味付けがあるわけでもなく、ただ無性になんか。
タイのお米って全部が当たりじゃなくって。バンコクに行ったんですけど。アジア街で初日に食べたご飯はあんまり美味しくなかったんですね。
タイのご飯はあんまりなのかなと思ってたら、翌日行ったオムライスのご飯も卵も全てがあまりにも美味しくって。前日の比較対象があったおかげもあって、オムライスがすごく美味しく感じました。
過去:でも、自分のことはすごい2人とも愛してくれてるなって感じましたし、親として嫌だったなと思うこともないんで。すごく複雑な気持ちを抱いてましたね。
qbc:子供の頃は、どんな子供でしたか?
ミミハムココロ:あんまり親に本心は話さなかったですね。本心を話さないというか話せないっていうんですかね。それこそ人の目を気にすることの延長なのかもしれないんですけど。
親のことは好きでしたけど、心から信頼を置いてたかって言われると、そこもモヤっとするなって今思って。
例えば、父親の方で言うと、思いやりがすごく大事だっていう風に昔から言ってて。思いやりは絶対に持てって。柔道やってたんで、そういうところから多分その言葉来てるのかなと。
思いやりは大事だって言うんですけど。思いやりと、してあげた感が混ざってるような時がよくあって。
例えば、小学生高学年になったら自分で皿なんて洗えるわけですよ。自分が先に食べ終わったから、自分のものを持っていって、自分で洗おうとしたら、置いておいていいよって言われるんですね。
置いていいよって言われるけど、別に自分で食ったもんだし洗おうと思ったら、2回目ぐらいにちょっと怒り出して。「置いといていいから」みたいな。
そんな俺悪いことしてんのかなと思って。でも、それは向こうからしたら「洗い物なんてしなくていい、俺がやってあげるから」っていう。それを感じてなんか嫌だなって思って。
でも、自分のことはすごい2人とも愛してくれてるなって感じましたし、親として嫌だったなと思うこともないんで。すごく複雑な気持ちを抱いてましたね。好きだけど、あんまりちゃんと本心で話せてないなみたいな。
qbc:話せるようになったきっかけはあったんですか?
ミミハムココロ:それこそ、去年ですね、留学中に同じ日本人の同僚と付き合ったんですね。同じように日本のワーホリビザで来てる子と。
鹿児島の子なんですけど、家族をすっごい大事にしてる子で。留学中で寂しいっていうのもあったと思うんですけど、何かあったらお母さん、お姉ちゃん、お父さん、弟って全員に電話してるんですね、個人個人で。
僕からしたらあんまない光景で。留学行ったからやっぱり何回かは電話するんですけど。やっぱり、自分から相談したいなってなったら最初の相手は親じゃないんで。友達とかを頼ってて。
その子も当然友達も頼ってるんですけど、その子の中心にあるのはやっぱ家族だなってすごく分かって。今までいろんな友達と接してきましたけど、ここまで家族を大事にしてるって目に見えて分かるなって子はいなくって。
なんかすごいカルチャーショックっていうか、圧倒されて。で、その子の話を聞いていて、自分、あんま家族のこと大事にできてなかったんだろうなって思って。
自分なりに、大事にしてないっていうか話しづらい原因は分かってたんで。自分が間違ってたかっていうと、それもうーんって感じだったんですけど。
おじいちゃんの認知症が進んだってこともあって、人の死を久しぶりに身近に感じたんですね。それを思った時、親のことを大事にしたいなって思えたんで。
今までがどうとか関係なく、ちょっと殻を脱いでというか、ちゃんと話すようにしたいなと思って、留学の途中から一気に接し方は変わりましたね。
qbc:どういう風に変わりました?
ミミハムココロ:本当に友達とだったら、くだらないことというか別に必要のない話もするんですよ。でも親とは、必要がある会話しかしてこなかったんですね。
だから、必要のない話というか、目的もなく電話をかけるようにしました。最初は当然自分にない文化だったんで、もちろん意図的に頑張って電話してたんですけど。
そのおかげで途中からLINEもしやすくなったし、日本に帰ってからも自分の思ってる話をだいぶしやすくなったんで。変えて良かったなと思います。
qbc:家族と話している時はどんな感情ですか?
ミミハムココロ:家族と話している時は、開放っていうんですかね。ようやくこの域に来れたんだなみたいな。
ちょっと一息つけるというか。ずっと話せることなら親と話したいなというのはあったんで。ただ、ぼんやりとした話しづらさがあって邪魔してたんで。自分の中ではようやく。恥ずかしさとかもあったと思うんですけど、そんなの取っ払って。友達に話すようなノリで話せるようになってきたんで。
向こうも明らかにそれは嬉しいって言ってたし、嬉しそうだったし。今まで話せなかったってところも正直に話したんで。それを言ってからは、だいぶ気楽にいけるようになりました。
qbc:話せなくなったきっかけはあるんですか?
ミミハムココロ:スマホが流行った時期に、自分のスマホなんて持てなかったんで、親がスマホ持つようになって、パズドラっていうゲームをずっとやるようになったんですね。
パズドラでいいスコアが出たら、友達にLINEを通して送るみたいなのをやりたくって。親のLINEしかなかったんで、お母さんのLINEをよく見せてもらって、友達に送るっていうのをやってて。
ある日いつものように送ろうと思ってフォルダを開いて、画像を選択しようと思ってたら、疑惑ですけどお母さんが不倫してるんだろうなみたいなものを、当時小学生でしたけど分かって。
写真があったんで、あーって。そこで一気にスーッて。なんか失望っていうか。そこら辺から、やっぱり明確に境目っていうんですかね、ちょうど自分でいろいろ考えられるようになった時期+そういうのが見えたってのもあって。
ちょうど小学生中学生を境に、母親の方に関しては100%信頼はできないなみたいなのがあったんですね。でも、それでもまだ母親の方が喋りやすいなと思うぐらい、父親は怖いっていうのもあったし。
小学3年生ぐらいの時は、2回注意しても分かんなかったら、もうしょうがないけど体で覚えるしかないっていうスタイルで、ビンタされたことが何回かあって。今思うと理にかなってるんですけどね。むやみやたらな暴力じゃないんで。
やっぱり、その影響で怖いっていう印象が父親にはあって。なおかつ、さっき言ったように、思いやりを履き違えてるなって思う時もあったんで。
そういうのがいろいろ重なって、両親どっちにもそんなに本心は話せないなみたいなのがあったんですけど。
だから、母親の方もそんなこともあるよなと思ってるし。自分の父親とずっと一緒にいたらそら疲れるだろうなとも思うし。2人とも親としてしっかり自分のことを大事にしてくれてるんで。じゃあもう、バレてないわけやし好きなようにしてたらいいやんって僕は思うんで。
小さい頃は、写真を見つけたのとビンタされたの2つがきっかけですかね。
qbc:小中高まで振り返ってみて、いかがですか?
ミミハムココロ:小中高でスポーツをやってて。小学生の頃はずっと水泳をやってて。地域のサッカーと野球も1年か2年ずつぐらい経験して。
中学受験を1回したんですけど、たまたまポストにビラが入ってて「やってみる?受験」って言われて。二つ返事で。11月からやったんですけど、11月から大した準備もなしにできるわけなくて。
当然落ちて、皆と一緒の地元の中学校行って。中学校では野球部に入って。それこそ本当に八方美人でしたけどいろんな人と話せて、今でも続いてるコミュニティもあって、すごい楽しかったです。
ただ、中学校でいじめを受けたので。いろんなことを経験したのが中学校ですね。
高校に入って新しいことがしたいなと思って、アルペンスキー部ってところに入って。そこで、自分が英語好きだなって思ったんで、英語をずっと勉強して。大学選びも外国語っていう基準で選んで。
受験勉強はもう後悔しないぐらい頑張れて。行きたかった大学に行って、今はスペイン語でずっと勉強してる感じです。
qbc:なんでスペイン語を選んだんですか?
ミミハムココロ:最初は英語の教員になりたくて。受験の時に先生に相談したら、英語をできる奴はもう今時死ぬほどいると。+αで言語を持ってた方が強いって言われて。
僕が行きたい大学はもう決まってたんで、そこで他に専攻できるのが中国語ロシア語スペイン語なんですね。失礼かもしれないけど、その3つ並べた時に僕スペイン1択だなと思って。
サッカー好きだし、すごい小さい頃からヨーロッパに行ってみたいっていうのがあって。もうスペインだなと思って、教員になるためにスペイン語を選びました。
qbc:選んでみてどうでした?
ミミハムココロ:本当にいい選択だったなと思います。スペイン語もそうですし、僕の大学はすごく皆真面目で、本当に言語が好きなんで。スペイン語ってのもあって陽気な人も多いし。
大学選択は、今のところ人生の節目における選択の中では一番良かったなって感じ。
qbc:中学校の時はなんでいじめられたんですか?
ミミハムココロ:中学校は本当にランダムというか、僕だったからいじめられたっていうのはあんまりなくて。男の子の集団が10人ぐらいいて、いつものメンバーでいつメンって呼んでたんですけど。
いつメンの中に、僕が登下校を一緒にしてた幼稚園の頃からの友達も1人入ってて。そいつと一緒にいることも多かったから、流れで僕もそこに混ざってて。
中学2年生の時に、小学校からの友達が1人いたんですけど、そいつが急に変わってヤンキーみたいな感じになって。で、いつメンの中心核になって、ランダムにいじめが始まったんですね。
いつメンの中でもそうですし、外にもちょっと危害を出すみたいな感じで。僕はたまたま中にいる時のいじめの対象になって。肩パンゲームとか。肩パンって分かります?
qbc:肩にパンチ。
ミミハムココロ:そうです。あと、柱にベルトでくくりつけられて放置とか。あと、僕の家が結構たまり場になっちゃってて、僕の親が共働きでいなかったんで。
僕の家にあるこんにゃく畑が毎回しこたま食われたりとか。家の壁に油性ペンでSEXって書かれたり。駄目だなと思って、それは上手いこと隠したんですけど。度を過ぎたものもあるし些細なものもあるし。
でも、結局それが中学2年生で始まって、中学2年生の間に終わったんですよ。中学3年生になってからは、そいつらは他校と喧嘩するようになって。校内でいじめをするというのが自然と減っていって。
だから、たまたま消えたってだけで。いじめられて僕が何かをしていじめが解決したんじゃなくて、台風みたいにワーッて通り過ぎた。
qbc:ご両親からは、どのように育てられたと思いますか?
ミミハムココロ:本当に、一人っ子の特権は全てもらったというか。不自由なく育ててもらったんで。
それこそ僕がやりたいって思ったことは、受験もそうですし。高校も公立行けなくて私立行ったんですけど。私立行って、ただでさえお金がないのに、スキー部ってすごくお金がかかるんですね。
でも、スキー部やりたいって、やったことないからやりたいって言ったら、費用すごかったのに3年間いろんな合宿とか個人合宿も含めて出してくれて。
単純にまずお金の面で全く不自由なく育ててくれたっていうのと。共働きだけど、しっかりご飯も作ってくれて。理不尽に怒られたこともないんで、すごく幸せに育ててもらったなと思います。
qbc:生まれ育ったところの風景ってどんな感じだった?
ミミハムココロ:大阪で生まれて6歳までいたんで。大阪のマンションに住んでて。その時は父親が仕事に行ってて、母親が専業主婦だったんで、お母さんと一緒にずっといる光景が多くて。
滋賀に引っ越してからは共働きになったんで、家の中は基本1人だったので1人遊びをよく思いつくようになって。
滋賀に行ってからは、友達といる風景を特に覚えてて。でも、イベントごとには家族と一緒に過ごしたんで。初めてされた質問なんで合ってるか分かんないですけど。
qbc:いつから一人暮らしだった?
ミミハムココロ:19歳の時ですね。大学1年目からしようと思ってたんですけど、ちょっとコロナの影響で大学がオンラインになって。じゃあ一人暮らしする意味ないなってなって、1年目はおとなしく実家で。
2年目からはハイブリッド授業になって対面が増えたので、それで神戸の方に引っ越して。
それからもずっと神戸神戸で。スペインで一人暮らしして、帰ってきてからも神戸なんで。
qbc:じゃあ今、神戸なんですね。
ミミハムココロ:神戸です。
qbc:大学は神戸?
ミミハムココロ:そうです。神戸にある外大に行ってて。たまに滋賀に帰るって感じです。
qbc:過去のことで話しきれていないことあります?
ミミハムココロ:ないですよ。自分でnote書いてて、最初は自分の溜まってた過去の振り返りを書いてたんで。今答えてて、自分でもあの記事で書いたなとか思い返しながら喋ってた部分もあるんですけど。
結構喋ったことないというか、あんまり言語化したことない部分も聞かれたりしてるので。まだ話してないことあるんでしょうけど。留学の話もしたし、過去の話もしたし。家族との話をこんなに振り返ったことがなかったんで。
qbc:自分の人生の転換点。いくつ置いてもいいんですけど、どこになります?
ミミハムココロ:高校2年生がまず1つ。高3の受験がもう1つ。あと1つはやっぱり留学。今ぱっと思いつくのはこの3つですね。
qbc:高2って?
ミミハムココロ:高2で、歌手の椎名林檎さんって方を知ったんですね。それこそ話したいことっていうと、僕は音楽がすごく好きで、音楽だけはずーっと根本にあって。
幼なじみの影響もあってすごく早い段階で、何かいい音楽ないかなって探す癖があって。いろんなフェスにも行ってたのが中学生時代だったんですけど。
高校2年生の時にたまたま椎名林檎さんと出会って。彼女の曲をいろいろ聞いてると、死生観、死に関することが多いんですね。
その中で「明日 くたばるかも知れない、だから今すぐ振り絞る」っていうサビがあるんですけど。くさいセリフって言い方は失礼ですけど、分かりきってるじゃないですか、死ぬなんて。
でも、その歌詞は、スーッとその言葉が頭に入ってきて。そこからやっぱり、人って死ぬもんなって。だからやりたいことは全部やらないとなみたいなのが明確に転換期として入ったんで。それが最初の転換期ですかね。
qbc:月に負け犬?
ミミハムココロ:そうです。
qbc:あとは大学進学とスペイン?
ミミハムココロ:そうです。やっぱり、中学はほぼノーカンですけど高校受験に失敗して。今まで2回受験失敗して。別に失敗って言い方があれですね、個人的にはどっちに行っても楽しめるとは思ってたんですけど。事実として落ちたんで。
3度目の正直というか、今回は頑張りたいなというか、行きたい大学も明確にあったんで。スキー部が高2の3月、冬でもう一旦引退なんで。
他の人たちよりは早く部活が終わるってこともあって、絶対に人よりもアドバンテージというか、先に始めてそのまま逃げ切ろうっていう。そういう受験を心がけて。
もうほんっとに緻密に計画立てて、振り返り、この日はこの科目を何分勉強したとか、もう計画計画計画で行ったら、本当に上手いこといって。
全く勉強が手につかない時期もあったんですね。12月は11日間そういう日があって。別に鬱ってわけじゃないんですけど。あーもう受験終わるかなと思ったけど、それも結局乗り切れたんで。
自分の中では100点満点の受験ができた。出し切ったっていう経験が人生で一番強かったんで、それが転換点ですね。
未来:ポジティブにいたら楽しいと思います。
qbc:5年10年30年、自分が死ぬところまでイメージすると、未来は今どんなイメージですか?
ミミハムココロ:それこそ死ぬことをずっと意識して高2からは生きるようになったんで。逆算して、なるべくその場で死んでもこんだけ楽しんだからまあいっかって思えるような生き方をしたいと思ってて。
その中で一つまだ結婚ってのはやれてないんで、結婚はぜひしたいなってのがあって。だから、80まで生きてもいいんですけど。今の自分の考えとしては、やっぱ1人で80まで生きてたら、多分寂しくて死んじゃうだろうなと思ってて。
だから結婚したいなと思える人と出会えるように、自分でも何か頑張ろうと思ってるのと。あと、ひとまず仕事が決まったんで。一旦はそこで頑張って。あとは流れに任せて。
それこそ、最初に言ったサンティアゴ巡礼も、死ぬまでにやりたいことなんで。スペインの巡礼ですね。もし余命がわかったら、もしくは転職するってなったら、1回30、40日間ぐらいドーンと空けて、スペインに行って。700キロ歩いて自分の人生を振り返るっていうのも決めてることなんで。
もう一つ言うと、京都に住みたいってのがあるんで。これがどのタイミングで、一時期だけなのか、ある時期から死ぬまでなのか分かんないですけど、京都に住むって夢はどうにかして叶えたいとは思ってます。
qbc:大学ではスポーツはしたんですか?
ミミハムココロ:大学はですね、一応フットサルサークルには入ってて。ちゃんと練習するサークルだったんで。
大学1年生の頃はコロナで何もしなかったんですけど。2年3年と、留学行くまではすごく参加してて。
帰ってきてからは、それ以外の本読むとか映画見るとか、そっちに時間使いたいなってなっちゃって、今は全然行ってないんですけど。
qbc:椎名林檎さん以外に、好きな音楽はあります?
ミミハムココロ:宇多田ヒカルさんも好きですね。結構、10年前とか15年前ぐらいからの人たちが好きです。
だから、スピッツとかも最近はいろいろ探してます、いい曲あるかなって。でも、最新の曲も、ないがしろにするのもあれなんで。
結構アップテンポが好きなんで、ビビッと来るいい歌手いないかなとか、単品でもいいんでいい曲ないかなとか、探すのがすごい好きですし趣味ですね。それこそ5月もライブ3本行くんで。
qbc:未来において、こういう感情でいたいなとか、感情面では何かありますか?
ミミハムココロ:やっぱり自分が八方美人で悩んできた人生なんで。良い悪いは置いといて、これからはもうちょっと1人1人を大事にしたいと思うようになったので。
ゴールデンウィークでちょうど感じてたんですけど、今でも遊ぼうって言ってくれる人が多い方なんですよ、僕。最近それが心から嬉しいというか、なんかありがたいなと思って。
自分が遊びたいなと思う人とか、これからも末永く関係を続けたいなと思う人は、できる限り真摯な対応というか、友達だからそんな堅苦しくはしたくないんですけど。
でも、大事に思うんだったらちゃんと態度で示さないと、離れていっちゃうというか。相手も時間に限りがあるんで。ちゃんとフラフラせずに、この人のこういうところ好きだからこういう人と一緒にいれるために頑張ろうというか。
誰に時間を割くかっていうのはちゃんと優先順位を決めようと思ってます。
qbc:人の気持ちを推し量る側面はどこから来たんですか?
ミミハムココロ:単純に人が好きなんで。自分のことは自分で分かっているつもりだったんですよ、ずっと。
最近noteに書いて、人と話すことで分かることもあるなと感じてて。だから、やっぱり自分の話をするのも大事だと思うんですけど。
でもそれ以上に、自分と違う人生を生きていたり、自分と違う考えで長い年月生きている人の話を聞く方が新鮮なんですね。
だから、できる限りいろんな人の話を聞きたいし、歴史も結構好きで。いろんなことを浅くでもいいから知って、それに対して自分がどう思うか自分の中でぐるぐる考えるのが好きなんで。
単純に人に対する興味というか好奇心。で、たまたま生まれ持ったのか分かんないですけど、話すより人の話を聞く方が好きなんで。
だから、どうやったらもっと自分を信頼してもらって話してくれるかなとずっと考えています。とにかく話が聞きたいんで。
qbc:話って何が好きなんですか?
ミミハムココロ:本当に考え方がしっかりしてるなと思う人は、ルーツを辿れば元からそういう考えのもとで動いてたりするんですね。だから、人から結構嫌われることも多かったみたいな話もされるんですけど。
それって要は、トゲがあるけどその分自分がしっかり主張できてるってことなんですよ。自分の周りにもそういう奴がいて。改めて話すようになると、かっこいいなと思って。
結局、僕はそういう生き方がもう22年経ってもできてないから。人って変わらないというのが僕の結論で。だから変わらないなら、僕は僕で良さを伸ばすしかないと。
ただ、こういう生き方もあると知るのはすごい楽しいんです。それこそこの無名人インタビューみたいな感じですけど。インタビューのつもりじゃないんですけど、その人の生まれ育った場所の話とか、昔の話を聞くのが結構好きなんで。
qbc:もしもの未来の質問で、人の気持ちに対して好奇心を抱けない人間だったらどうなっていたんですか?
ミミハムココロ:あんまり興味がない人ってことですよね。
qbc:そう。
ミミハムココロ:その場合は、もっと自分に素直に生きられて楽しそうですよね。今も全然自分のことに素直ですけど。やっぱり、根本は八方美人なんで。
qbc:八方美人と人の気持ちを考えるって、逆位置にあるものなんですか?
ミミハムココロ:そう言われると難しいな。八方美人って結局自分のためって感じなんでね。結局、自己保身なんですよね。人に興味なかったらどうなってるでしょうね。
qbc:自己保身だけで上手く回るんだったら、楽しそうだよね。
ミミハムココロ:違う、なんかそこまで野心ないんですよね。人を押しのけてとか。結構ビビリなんで。
人を押しのけて、それでも我が道を行きたいことは僕の人生ではあんまりなくて。ふわふわしてるんですよ、全て。でも、それで上手いこといってる部分も多いんで。
もしかしたら、目標をすごくきちんと立てて進んで、ついてきてくれた人を信じるみたいな道で生きてきたかもしんないすね。それこそ受験みたいな感じで、全部計画を立てて計画通りに絶対に進めるっていう強い推進力は、今の僕にはないものかもしれないので。
だから、人に興味がなかったら、人から見てふわふわしてない人間になってる気がします。興味があるから、やっぱり人の数だけあっち行ったりこっち行ったりしちゃうんで。
もし興味がなかったら、自分のことにもっと興味あって、自分の心の声にだけとにかく寄り添って、やりたいように。それこそ自分のキャパが許す限りで仕事も進めるでしょうし。だから、多分結婚もできないと思います。分かんないですけどね。
qbc:最後に残したことはありますか?
ミミハムココロ:今思うと、八方美人だった自分も大事な時期だったなと思うし。フィリピンの同僚から教えてもらったことですけど、やっぱり考え方一つでガラッと世界は変わるんで。
過去に自分がやってきたことって、もうどうしようもないので。でも、意識一つで自分はすごい救われる経験ができてるんで。
僕、自分のことはあんまり責めないんで。責めない代わりに、常に頭を動かして、どうやったらポジティブにできるかなとか、どうやったらこの状況が良くなるかなとか、やっぱ考え続ける方が楽しくなると思うんで。
生きてたらいいことあると思うんですよね。いじめられた経験も、いじめられない方がいいってよく言うし、それは当然そうなんですけど。いじめられた経験がある以上は、もうそれとどう上手く使ってやるかっていう部分が僕はあるんで。まあだから、気持ちですね。ポジティブにいたら楽しいと思います。
あとがき
さわやかだなあ。ほんと、さわやかだなあ、と思う。すごくさわやかだよ。
でも、同時に、あたたかな、本当に、あたたかな。
ありがたや、ありがとう。
ありが10匹さるが5匹。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:erica】
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