写真と人 インタビュー Rulu-005 2023/09/26
冒頭
——今回はどういう撮影でしたか。
以前モデルを希望してくださった方からもう一度撮りたいということで連絡をもらって、2回目の撮影になりました。
前回は駅前のビジネスホテルで撮影をして、彼女の思い出の場所ということだったんですが、今回は、彼女が希望した倉庫の部屋を借りました。なんか変なすごい部屋で。
天井が斜めになってるんですよ。
奥の窓がある側の天井はすごく低くて、頭がつくかつかないかぐらいの高さしかない。手前に向かって天井が高くなっている不思議な造り。
すごく埃っぽくて、私も彼女も裸足で撮影していたら足の裏が真っ黒になってしまいました。そういう場所です。
2回目なので、普段みたいに最初、喫茶店でインタビューをしてっていう感じではなく、合流後はそのままスタジオに向かいました。
撮影前のメールでのやり取りで、もっと深掘りしたいエピソードがあるんですかって尋ねて。
死生観みたいなものを考えたりとか表現したいというようなことと、花を買ってきますと。薄紫、薄ピンク色のトルコキキョウ。
一度目の撮影で既に心を開いているので、2度目のセッションでは、いつか平等に訪れる死生観の表現をしたいと。
あとは黒のワンピースを着ていきますということを聞きました。
正直お花を持ってきますって言われたときに、一瞬ちょっとこれは断ろうか、悩んだんです。
以前、花とヌードというテーマで、裸の女性を何人か撮ったことがあるんです。
花と裸の女性というものを第三者が客観的に見たとき、別の作品が頭に浮かんだり、意図が伝わりにくいとか、誤解されやすいのかもしれないと思って。
よかったら、qbcさんにもちょっと聞きたいんですけど、
例えば薔薇の花を持っているとか、裸で花を持っている写真を見せた時に、特に男性の方に見せた時に、あぁ自分に自信があるんだねとか、ナルシシズムをすごく感じるみたいで、そういう感想が多くて戸惑ったんです。
自分的には、綺麗に撮ってるつもりはないし、
本当はもっと彼女たちが持つ別の部分を見てほしかったんだけれども、やっぱりお花は綺麗なものだから、そちらに引っ張られてしまって。
どうですか? 花と写ってる女性の写真を見て。どういう写真かにもよると思うんですけど。うん。なるほど、なるほど。
はい。はい。はいはい。はいはい。はい。なるほど。うん。はいはい。ええ。はい。なるほど。
そうですね。あとは何か、カメラマンの理想の姿を具現化してるというふうに見られたり、意図が全く伝わらなかった。花を使っての表現を自分が上手くできなかったというのが自分の中に苦い思い出としてあって。写真は自分では気に入っているし悪い写真ではないと思っています。ただ、過去に花と女性というテーマで撮られた作品ってすごく多いから。
だからちょっと困ったなって思いながら。
花の品種には全く詳しくないので、トルコキキョウって言うんだぐらいの感じなんですけど、それをすごく埃っぽい汚い倉庫に、彼女がちぎってばらまいたときに、何かゴミみたいと思ったんですよ。
丸めたティッシュを散らかしてるみたいな部屋に見えて、その画面を彼女にも見せて、ちょっとゴミみたいに見えませんかみたいなって言ったら、彼女もゴミが散らかってるみたいに見えますね、みたいな感じでキャッキャしてました。
撮影
今回スタジオを3時間借りて、前後準備とかあるので、実質2時間半前後ぐらいですかね。
スタートから花を取りだしてきて、前半は服を着て撮って、後半になったらヌードの撮影に変わるんですけど、そこからはもう花は無視してっていう感じで。
最初の方は花はどうなるのかなと思いながら、花をどうするんだろうとか思いながら、見守ってるような感じです。
花を床へまいたりとか寄せて集めたりとか、潰したりちぎってばらまいたり。
その中で、印象的な出来事があって。
彼女が花を私に渡そうとしてきたんですね。
以前、彼女との最初の撮影の時のインタビューで、モデルの人がカメラマンに手を伸ばしてきたときに、その手を握り返さないんですかっていう話があったじゃないですか。
私はその時に、介入しすぎないように握り返さないって答えたと思うんですけど、このときは、なんか、受け取らないといけないような感じがして。
両手で持ってたカメラを右手だけに持ち替えて、左手でお花を受け取って、すごく距離的にも近くて、
どちらかというと近い距離で写真を撮るときは、私の方が被写体に寄っていくんですけど、今回は被写体のほうから私の近くに来て、その花を渡そうとしてくる。
向こうから、物理的に距離が近づいてくる。
カメラを撮っている人間に対して、そういうアクションを起こすっていうのは、今までの撮影の中で初めての経験だと思います。
それで受け取らないといけないない気がしたのかな。
——5390の写真のあたりですか。
そうです。そのあたりですね。
最初はもうワーッて散らかして、コンテンポラリーダンスみたいな感じの動き、自由に動いていくスタイルから。
途中から自分で散らかした花をこう、集めだして、それを、はいと渡してきて。
それを片手で私は撮ることになる。ただ、レンズのピントの合う距離があるので、片手でカメラを持つと、結構ピントが外れてたりとか、ポイントが合ってないとか、フレームがちゃんと構成できてないとか、そういうカットが、この辺は多い。
でも、構図をきちんととることやピントが合わないことは、この瞬間はいいんだろうなと思って、もうそのまま撮って、ていう感じですね。
その出来事が、すごく印象的な出来事だったので、撮影が終わって食事に行ったときに、あれはどういう感情だったんですか? って聞いてみたんですね。
普段はそういうこともあんまり聞かずに帰って、自分で一人で考えて、でも自分はこう解釈したみたいな答えを自分一人で出すんですけど、
このインタビューを今はqbcさんに一緒にやっていただいて、質問を聞かれたりするじゃないですか。
だから、それで多分私も、その時どういう感情だったんですか? みたいな感じで質問をして。
そしたら、何でしょう、その、小さい子供が、幼稚園とかで。
何て言ってたかな。
例えばその、新しいお友達が幼稚園に来て、その人が一人でポツンとしています。
自分は、おもちゃをたくさん持っていて、それを一人でちらかしたりして遊んでて、それをちょっとなんだろう、ポツンとしている子がいることに気づいて、このおもちゃを、あなたも使っていいよみたいな。
私のおもちゃを貸してあげるっていう気持ちと、一人で遊んで散らかしてごめんねみたいな気持ちとか、すごく幼稚なんだけど、そういう感じだったっていうのが、すごいなんか意外でした。
そういう感じなんだと思って。
彼女の中で、時間がすごく戻ったんでしょうね。
——花を渡された時に、どういう気持ちになりましたか。
撮る、撮られる関係に、モデルとカメラマンは通常あるんですけど。
カメラマンは、見られるということもあまりないので、何だろう、いろんな気持ちが。
何でしょう、見られる側の表現の場に引きずり出されたような感覚もありましたね。
どちらかが見るとかという一方的な関係性ではなく、対等な感じ。
——初回の撮影の時は、手を差し伸ばされても、介入を避けるために握り返さなかったわけですが。
今回は、どうして花を受けとったのでしょうか。
花を渡された瞬間は、これは渡されるのかな、みたいな。
なんか、花をこちらに見せてきたりとか、距離が近くなったりして。手渡されるのかなって思って。私、花を見たときに、どうしようって、まず最初は。どうしたらいいんだろうって。
ちょっと戸惑うというか動揺して。
前回のことを思い出して、前回は手を握り返さなかったし。
掲載されたインタビューは、御本人も読んでるので、私のポリシーというか、考え方として、介入せずに撮るスタイルですっていうことも、理解してると思うんですけど。
でもそれをわかってて、でもそういう行動になる。なるから。
時間にしたらほんの一瞬で、大したことないんでしょうけど、私にしたらすごく長い時間で、いろいろ思い出したりとながら、何かばーって考えて、でも、最初は介入しないならそのまま両手でカメラを持ち続けて見守るとか、立ち位置を変えるとかもできると思うんですけど、そこから動いちゃいけないみたいな感じがして、だから一歩も下がらずにその場にとどまる。その次のアクションとして、その花を受け取る。
どういう気持ちで花を渡してるのかその時はわからないんだけど。何が起こったのか。
彼女も、最初は裸足であぐらをかくように座って撮ってた私の足元に、花を集めるだけだったんですよね。
なんか遊んでるなみたいな感じで。
その時はまだ、彼女も、渡したいけど、どうしようかな、みたいな感じだったのかもしれない。
そういう流れがありました。
第三者からしたら、撮影中に花を受け取ったっていうだけのエピソードなんですけど、撮影してる現場では、お互いのすごい葛藤みたいな、言葉はないですけど、無言で何かのやり取りが行われているっていう。
後半
後半はヌードの撮影に入りますね。
彼女がスモークマシーンをレンタルしてくれていました。もやもやとしてる感じで、現実の日常とは違う非日常な感じの、境目のような感じにして、それで死生観について、彼女が思うことを現すと。
彼女は心臓に持病があるんですね。
それで、心臓の薬もずっと飲んでるし、これまでに何回も入院していて、それこそ死にかけたというか、そういうふうなこともあって。
彼女の言葉を借りて言えば、つらくてつらくて、もうこのまま思考も全部止めたいみたいなこともあったけれども、
でも本当に実際に死にそうになったときに、すごい生きたいなって思ったから、死にたいとか軽々しく言いたくはないと。
あと、彼女は私と同じ医療従事者なんです。
看護師は、やっぱり人の死にすごく近い仕事なので。
いろんな人が来るわけですよ、急性アルコール中毒とか、薬をたくさん飲んで救急で運ばれたりとか、ビルから飛び降りて、もう全身ボキボキになって、救急搬送されてきましたとかそういう人とかも、色んな人が来ます。
だから、なおさら生死について考えることがあるというか。
人が死ぬことについてとか、倫理的なこととか含めて、考えないといけないことが多い。
仲の良かった患者さんが亡くなって、死亡退院されて、最後エンゼルケアで髪を洗ったり、体を拭いて着物を着せて、そういう最後の看護をしたりとか、
そういうことがあるので、死というものは漠然としたものではないんですよね。
リアルにある。
もう、人間絶対死ぬんだ、死んじゃうだって。
それで、スモークっていうのが、麻酔が覚めかけている時みたいに、朦朧としてる、はっきりしてないような感覚のとき。
なんだろう、目は閉じてるけど、目の前がらせん状になったり、ぐるぐるぐるぐるスパイラル状になったり、そういう映像が再生されてるような感じになって、ふわんと落ちた感じとか、そういうものが見えたり感じたりしたと。
でもそういう時でも、耳だけは、はっきりと聴こえていて。
本当かよくわかんないんですけど、死ぬときって、最後まで聴力は残ってるっていうふうに言ったりするんですけど。
麻酔がきいてて頭がぼんやりしてるし思考もはっきりしないし、でも先生の話し声だけは、聞こえるなとか。
そして目を開けると、視界はなんだかかすんでいる。
いきなりクリアには見えなくて、頭も明晰じゃなくって、靄がかかったような状態になってて、もやっとぼやっとして、自分的には、何か、自分の存在がすごく曖昧な感じなんですけど、でも何だろう、手術は無事に終わりました、こういうことをしましたとか、先生と家族が話しているのは聞こえる。
そういう時の感覚。
死生観っていう時に、彼女は麻酔から覚めた時の、もやがかかったような状態を表現したくてスモークが必要だと思ったっていうことで。
服を着てない裸の状態で、スモークを焚いて撮影をするという。
それで黙々と撮ってるうちに、彼女がもし私が涙を流しても、シャッターを切るのを止めないでくださいねって言って。
私は、わかりましたって言って。
そうしたら、もう彼女の涙が出てきて、またそれを黙々と撮って。
そうしてるうちに、いつのまにか時間が来て、撮影が終わりということになりました。
泣いてもカメラ止めないでくださいねって言われて。
多分そのことを言わなくても、多分私は止めずに淡々と私は撮るだろうから、言わなくてもそうするよ、みたいな気持ちですよね。
泣いたからといって、大丈夫ですか、みたいな。
ちょっと休憩しますとか、そういうふうには絶対にならないですね。
後半の後半
——1回目とどう違いましたか?
今思えば、1回目は、自分の作品を作るから、みたいな感じで、理性的に考えてる部分がありました。
今回は2回目なので、彼女が彼女で自分の世界に入っていくのを、私は私で眺めていたというか。
実際に、すごい美しかったんですよね、光景が。
埃っぽい自然光が暗い部屋に入ってきて、そこに人間が1人いて、っていう。
なんか本当に、頭真っ白というか、余計なことをあれこれ考えずに、何か綺麗だなとか思いながら、見てました。
——どういう写真が、理想なんでしょうか。
人間を、感じる写真。
演出はあんまりしたくなくて。
でもドキュメンタリー写真の、例えば新聞記者の方が、事実を正確に伝えるために撮った写真は、技術があると思うけど、表現とはまた少し違うじゃないですか。
だからその何か、極力、スモークとか花とか、全部、場所を借りてとかも演出だろうと言われればそれまでなんですけど、そこで起こる、人間の心の動きが本当のもの、人間ってこうなんだなとか。
そういうものを見たい。そういうものが見える写真ですね。
人間が写ってるなって思ってもらえるような写真。
2回目の方が、彼女がオープンに表現してくれたおかげで、彼女の人間的な部分っていうのが、1回目よりすごく見えるようになったなって思っています。
でも1回目の写真っていうのも。
例えば彼女と今度3回目に、また駅前のビジネスホテルで撮影をしますってなったときに、初対面の緊張感とか微妙な距離感とか、こういうものは、彼女とは撮れないと思うんですよね。
だからそういった意味では、うん。
理想の写真としては、2回目の方が近いけれども、でも初対面で、ちょっと緊張したりとか距離があったりを探り探り撮影をして、
お互い、それも、なんでしょう。人間の行動として自然の姿なので。
最初にしか撮れなかった写真っていうのも、すごく大事。
写真の記録性を考えると、同じ私が撮って、同じ人が写っていて。
1回目と2回目を見比べたときに、何年も経ってるわけじゃないけど、その時間の経過を感じてもうらえるといいなと思うんですよね。
その関係性が、少し変わっていたりとか、そういう変化も全部ひっくるめて、人間らしいといいなと思いますね。
——今回は、「揺らぎ」はあったんですか。
すごくありましたね。
彼女が泣いたところよりも、花を集め始めた時くらいからかな。
でも、動揺に近いのかな。すごく動揺して揺らいだっていう。
ドキドキとか、何が起こるかわかんないみたいな。
うん。うん。確かにそうですね。うん。うん。はい。嬉しいです。はいはい。はい。うん。嬉しいですね。
自分の中で、良い写真というか、写真を選ぶ基準、良いとか駄目とか思ったりする時に、写真が強いか強くないかを、すごく重視してるんですね。
光が良いとか悪いとか、上手いとかそういうのじゃなくて。
見たときに、強い写真。
すごく強い感情が表れてるとか、エモーショナルで力強いとか、ガツンとしたエピソードが聞けたとか、例えば人間の闇に近いような部分とか、そういうことが写真の強さに繋がるんじゃないかなってずっと思ってきたんですけど。
だから、あえて綺麗に撮らない。
綺麗に上手に撮らないように気をつけている部分があるんですけど、今回はもう途中から、特にヌードになってからなんですけど、そこにこだわらなくてもいいや、みたいな。
自分の中でこだわりがあったものが、ちょっと手放されたみたいな感じがあります。
別に、美しい光景があって、美しいなって自分の気持ちがあったとしたら、それはそれとして、残して表現していいんだなって。
そう、自然に思ったりとか。
今回、カラーが多くて。
最近はカラーによくすることが増えたんですけど。
カラーにすることに、なんかすごく抵抗があったんですよね。
だけど、カラーの方が綺麗だなとかも思って。
カラーの写真が今回、増えたかな。
そういう、ちょっとした変化というか、変化はありますね。
涙を流したのはですね。5610からですね。
はい。
なんだろう、幽体離脱して、魂になって、自分を見てたみたいな感覚から、すっと体に戻ってきて、現実に引き戻されたような感じで。
その時に涙を流していましたね。
ここからはスモークも操作せずに、シンプルに彼女の表情とか、姿っていうのをストレートに撮っていきました。
今回はまた、新しい感じです、自分の中で。
今までは、強い苦しみとか感情とか、そういうものを吐き出してもらって、カメラに納めないといけない、みたいな。やや強迫観念みたいなものから、そうじゃなくて、
もうやっぱり人間って、いろんな側面があるから、もっと何かを信じて撮ってみてもいいんじゃない、こうじゃないといけないっていうんじゃなくて、そのまま撮ってみてもいいかなって。なんか、写真を見ながら思う。
——食べ物は、カラーで撮らないんですか。
なんか私、食べ物を美味しそうに撮れないんですけど。
1回目の時も、ご飯食べたんですけど、彼女、初めて会う人と外でご飯を食べれないって言ってたんですよ。
だから飲み物とかプリンとか、軽食ぐらいでとか言ってて。1回目の時は、ホットサンドを頼んで、綺麗にそれを平らげて、テーブルの上もすごく綺麗な空のお皿の写真だったんですけど。
なんか2回目は、何だろう、お互いに何か出し切ったというか、乗り越えたというか、ちょっと同志みたいな感覚が湧いていて。
こんなに気にせず汚く食べ散らかせるっていう関係性の写真なんですね。
テーブル見て、ちょっと嬉しくなったんですね。
全然なんか、嬉しそうな写真にはちょっと撮れなかったんですけど。
——こういうことって、以前にもありましたか。
もう、5年6年とか撮り続けてる子とかいたんですけど、なんだろう、そんなに写真は変わんなかったんですよ。
今日は海、今日は山だね、今日は部屋だね。
今日はスタジオだね、みたいな感じで。
それぞれ違う絵にはなるんだけど、今回のような意味での変化、写真の変わり方って、なかったんですよね。
そのときはインタビューもしてなかったし、相手の人間性とかパーソナリティをそこまで気にせずに、このシチュエーションでこういうのを撮ったらかっこいいとか、そういう感じだったのかなって。
ただ回数を重ねたからといっても、今回のような変化は起こらなくて。
だから、関係性を意識して、話を丁寧に聞いた上で写真を撮るとか、あとはこうやってインタビューをされることで、
私、自分一人だと、そこまで思考して言語化しないし。
インタビューで聞かれると、答えないといけないじゃないですか。
それでまた、そこで自分の気持ちとか感情と向き合って、この時に何が起こったんだろうって、写真自体に対する理解が深まっていくから。
そういう丁寧さ、写真への向き合い方っていうものが大きいのかなと思いました。
1回目がすごい何ヶ月も前っていうわけでもないですし、なんかびっくりです。
終わりに
このインタビューには懸念があって、カメラマンと被写体であるモデルさんとの人間関係の邪魔に、私qbcがならないか、というものがあって、
だけどそれは、今回インタビュー1回目に登場するモデルの方が、インタビューを読んだうえで参加したことで、まあ払拭された。
良かった。
もう書いたっけなこのこと。
このインタビューの目的は、インタビューというものは現実に何か生まれるものっていうか、「ただの話」なのだけれども、この話というものを重ねることによって、現実に何か変化が起きるのか、それを追いかけたかった。
今回のインタビューを聞くと、どうも変化をもたらすことには成功したみたいだ。
良かった。
でも無理に変化を起こしたいというわけではなくて。
なぜなら名目というやつは、人にいつも迷惑かけるからな。
楽しくお話できれば(お話聞ければ)それでいい。
制作:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
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