写真と人 rumica kaji-010 2024/03/27
「彼女はいったい何を作ろうとしているんだ」篇! です!
まえがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
「写真と人」インタビューとは?
作品を作りあげようとする人の心を継続して言葉に残してゆくインタビューシリーズです。
SNSで募集した無名の人たちを撮影するプロジェクトをしているカメラマンのrumicaさんへの連続インタビューです。だいたい月に1回、インタビューしています。並行して、一人の人を撮影し続けるプロジェクトも開始しました。
被写体募集はこちらの記事からどうぞ。
これまでの「写真と人」
1回目は2023/8/2に行われた。
実際に行われたプロジェクトの撮影の様子を聞きつつ、撮影者と被写体の間に「ゆらぎ」があることを発見した。
ゆらぎとは、撮影者が撮影に没頭し、それまで意識していた被写体である他人という存在を忘れ、ただシャッターを押し続ける状態のことを意味した。
2回目は2023/8/16に行われた。
実際に行われた撮影の様子を聞きつつ、引き続き、撮影者と被写体の間の「ゆらぎ」について聞いた。
プロジェクトの始まったきっかけも聞いた。
3回目は2023/8/30に行われた。
実際に行われた新宿歌舞伎町の激しい撮影の様子を聞きつつ、Ruluさんの過去についてすこしふれた。
4回目は2023/9/13に行われた。
実際に行われた撮影の様子を聞いた。部屋での撮影だった。「ゆらぎ」が発生したかどうかについて聞いた。
Ruluさんが過去に精神科に通院し、自由連想法のように言葉を紡いだ経験があることを聞いた。“単語がバラバラになって、文字がバラバラになって、洗濯機みたいになって、頭の中でぐるぐる回ってるみたいな感覚”
5回目は2023/9/26に行われた。
実際に行われたプロジェクトの撮影の様子を聞いた。1回目の被写体と同じ被写体だった。撮影者と被写体について、詳しく聞いた。
6回目は2023/10/25に行われた。
実際に行われた撮影の様子を聞いた。今回も部屋での撮影だった。
Ruluさんが、「顔が写ってないんですよね」と言った。その他、窓や鏡といったモチーフの写真についても考察した。
7回目は2023/11/29に行われた。写真集を作るためのダミーブック(手作りの試作本)作成もついて聞いた。過去の撮影を、カメラマンとは違う視点で見返し、新たな物語の再構築をした。
8回目は2023/12/20に行われた。一人の人を継続して追いかけるフォトプロジェクトを開始したことについて聞いた。
9回目は、2024/1/24に行われた。ダミーブックの進捗と、zoomでのリモート撮影について聞いた。
今回は10回目で、3/27に行われた。
個展に向けての模索「コラージュ」
qbc:
直近では、どんな感じのことされてましたか?
rumica kaji:
今度、初個展になるんですけど、7月10日から27日まで、神保町にあるThe Whiteというギャラリーでやるので、その準備を今やっている感じです。
まだ先のような、あっという間に来てしまうような感じで。今までいくつかグループで、複数人で展示するとか、本当に壁の一部だけっていうことはやったことがあるんですけど。一つの空間を自分が使う、入口に入ってから空間自体を使うっていうことが初めてなので、その構成をどうしようか、今はああでもないこうでもないと毎日考えてますね。
qbc:
なるほど。
rumica kaji:
写真が、個展についてああだこうだ考えて書いたりとかしてるスクラップブックなんですけど。一応、案をいくつか考えたりとか、スペースのレイアウトとかももらったので、その中で作品のサイズだったりとか、あと本を今回メインに見せたいので、展示台を使うとか壁に棚を設置するとか、もしくは天井から吊るすとか、考えてる感じですね。
壁にちょっと制限があって、ガンガン釘を打てる感じじゃないんですね。一般的は壁に釘を打って、額を掛けていくっていう流れなのですが。
右側の壁は、下地がコンクリートで、釘が利かないということで。釘を打って額を掛けるっていうことが難しいので、直貼り、写真をもう直接壁に貼っていく、額に入れずにやっていく感じになるかなっていうのと。
あと左の壁は、木の壁なんですけど、厚さ10センチぐらいのベニヤみたいな木で壁を作ってるんですね。なので釘は打てるんですけど、そんなに強度がないんですね。仮の移動壁みたいな感じなので、細い釘で軽いものしか掛けれない。額もガラス入りとかだと重かったりするので、掛けても軽いものしか、強度的に難しかったり。展示中に落下しちゃったりすると危なかったりするので、ちょっと制限がいろいろあるのと。
結構長細い空間なんですね、入口入って、幅が2mで、長さが3.8mとか。なので真四角なホワイトキューブじゃなくて、長細い、ちょっと閉塞感が出るかなみたいな空間で。それが秘密の部屋みたいで気に入っているんですけど。今まで何人ぐらいだろう、30人、40人とか撮影してきてるものを、この空間にどう展開していくのがベストなんだろうっていう。
難しく感じてますね。難しい。
qbc:
お写真、何枚くらい展示されるんですか?
rumica kaji:
枚数とかは、まだ全然決まってないですね、うーん。最初のプランで考えてたのは、無印みたいな、賃貸でも棚が設置できるみたいなやつがあるじゃないですか、ちょっとした棚。それを両サイドにガーッて打って、バインダーにその人のテキストを挟んで、そこに掛けて、その隣にその人のZINEがあるみたいな。
写真を展示するのではなくて、テキストとZINEっていう形で見せると、限られた壁面であっても、結果的には点数を8人分とか並べると、写真のボリューム自体は結構見せれるんじゃないかなっていうことで、まず最初考えて。あとプラス、映像作品。
映像作品って今テストで作ってるけど、今まで作ったことなくて、初めてやってるんですけど。でも撮影した初めの頃から、何だろう、この人たちが動いてる生きてるみたいな、10秒とか30秒とか短い時間でもいいから、撮影の合間に時々動画を撮影させてもらったりしてるものとかもあって。そういうものを繋いでいって、中央に台を置いて、小さなモニターを置いて、その映像が見れる。本と映像っていう感じで。本が8冊、あとアートブックが、非売品の1部が一つ。あと映像作品が一つっていう感じで、最初考えてたんですけど。
実際に展示スペース見てみると、やっぱ横幅2.1mなんで、両サイドに棚がせり出してきて、真ん中に展示台を置いて、誰かが座って映像作品をそこで見てるってなると、結構他の人が横を通って回ったりとかするのが難しいなって。なので、アドバイスを頂いている先生方と相談して、最初の展示案はボツになって。
今度は、次の写真が、本を天井から吊るすっていうのが、今生きてる案で。ただ天井もしっかり吊るせるようなものがあるわけではないので、本をちょっと軽くしないといけない。なので、軽くて嵩がしっかりあるような紙をいくつか探し、ちょっと買って試したりとかしてるところです。
なので、展示物としては天井から吊るす本と。あとその次の写真が、ちょっとこれは実際に展示する写真じゃなくて、家にあった紙をアタリで貼ってるだけなんですけど、壁にたくさんバババッて貼っていく。大きい写真だと点数少なくなるし、小さい写真だといっぱい貼れるし、っていう状態で壁にレイアウト。どさっと写真持って行って、現場でばばばばってバランス見ながら貼っていく。
でもこのやっぱりバランス見ながら貼っていくっていうのも、慣れてないと結構難しいことらしいので、ある程度のまとまりまとまりを家で作っておいて、貼る。当日、小さい写真をたくさん貼ってくってなると、いくらこのスペースでも結構やっぱ搬入に時間かかってしまうので。なので写真が何枚かっていうのは、もう全然今は言えない。そんな感じですね。
で、この直貼りと本を吊るすのと、と思っていて。やっぱりスペースの関係で、座って真ん中に映像作品を流すっていうのは、ちょっと今回はやめよう、盛り込みすぎたなと思って、やめようってなって。ただ、どうなんだろう、iPadとかを壁にくっつけれるようにして流す、立って見るような形とかだったら、映像も使えるかもしれないなっていう。本当にまだの段階で。
qbc:
はい。
rumica kaji:
その次に、グレーの紙に貼ったやつがあるんですけど。直貼りするのに、ある程度のまとまりを家で作ってみようっていって、作ってたんですけど、気がついたらコラージュになっちゃって。途中で自分でも、あれ何やってるんだろう、なんでこんなことになったんだろうって、ちょっとまだ今、はてなはてなはてなが自分でもいっぱいなんですけど。
1枚目は、土台にしようと思ってた紙に、モデルの人の言葉を、白インクで英語で書いて。日本語で書いてもよかったんですけど、すごい生々しくなりすぎちゃって。私が手書きで日本語で、その人の言葉を書くっていうのが。英語だと、英語の上に、私が別の紙を貼ったりしてるので、全部読ませるっていうよりは、「何か言葉があるんだな」っていうのと、ところどころ単語単語で、例えばRoomって書いてるとか、ADHDって書いてるとか、Look at meって書いてあるとか。
よくXとかで、言葉がいっぱいマス目に書いてあって、最初に目についた単語三つが、あなたに必要なものですとかっていうの、知りません?
qbc:
知ってます知ってます。
rumica kaji:
ああいう感じで、birthとか、単語とかも、私が手で書くものに関しては、そんな感覚で目に何個か入るぐらいでもいいのかなっていうのが、ベースで。そんな感じで、ちゃんと全部読めなくてもいいやって感じでばーって書いて。
その後に、インタビューのときに、交換日記みたいに一つのノートを共有して、私が何かを書くときもあるし。モデルになってくれた人に、絵とか言葉とかを書いてもらうこともあって、今回はモデルの人が書いてくれた絵と文章のところで。これはノートをそのままスキャンしたものを上に貼って、ちゃんと読める状態にして、コラージュ。これが一種類と。
あともう一つ載せてるのは本当に、写真を印刷してそれを破って、ここから、何でしょうね。無意識、いろんな雑誌とかから言葉を切り抜いてバーッて集めて。そのときの感覚で、貼っていく。本当にこれはコラージュなんですけど、それをやったりとかして。今週はこれを4枚ぐらい作ったのが最新の状況で。
なので、このコラージュを直接、これも重たくもないし額に入れなくていいように、ちょっと耳付きの、手漉きみたいな紙を配置したので、これをこのまま壁に貼っていく。あとは別の写真、シンプルの写真と、コラージュとちょっと重なるようにペタペタ壁に貼って、構成して。
ただ、なんでしょうね。コラージュを作るっていうのは、ある意味、写真の扱い方としてはちょっと暴力的だと思うんですね。破ったりハサミを入れたり、ちょっと素材化、素材にしてしまうから。やっぱり額に入れて飾るっていうものに比べると、すごく乱暴に感じると思うので。やっぱり、取り扱ってるものも、結構デリケートなものでもあるので。
例えばこれを、第三者だったりモデルになった人が見に来たときに、モデルさんがちょっと想像してたものと、かなりかけ離れると思うんですよね。それに対する、本当にいいのかなっていう気持ち、迷いとか、ちょっと怖いなっていう気持ちもまだ残りつつ。
シンプルにこうこうこうこうこう、これがこの人の言葉です。それでこれがこの人ですって、すごいわかりやすくやっていく方法もあると思うんですけど。でも、いろんなことがレイヤー的に、複雑にある感じがして。
彼女たちの問題だけじゃなくて、やっぱり自分も過去に精神科に通ってたりとか、精神分析受けたりとかっていう立場もあるし。一方で、看護学生のときは精神科病棟に、閉鎖病棟に実習に行って、入院してる患者さんとの関わり、ケアする側としての関わりがあったり。就職してからは精神科病棟じゃなくて、急性期の病院なんだけど、やっぱりいろんな人が、病気には平等になるので。いろんなバックグラウンドもあって、いろんな生活をしている人との関わりがあって、っていう中で、すごいそういう簡単なことじゃないとか、自分の中でどう主軸に置くかが定まってないとか、言われればそうなんですけど。
でも頭の、ごちゃごちゃしてる、いろんなレイヤーとか出来事とか、いろんな人に会ったこととかそういうこととか。人を理解することはできないんだけど、その人に関心を向けるとか、どうやってそれを表していくかとか、どうしたらいいんだろうって思ってるうちに、なんかでも気がついたらこうなってたから、今はこうしたいのかなっていう、今時点では。っていう、全然そういう、ごちゃごちゃしてる感じです今。頭の中がすごく。
qbc:
どうして、写真を破いちゃうんでしょうかね?
rumica kaji:
そうですね、作ろうと思ったときにそのまま、土台の上に大きい写真を置いて。でも、もっとぶわーって出てきたみたいな感じに。破いた方が、何か出てくる、それが何なのか私もやっぱり本人じゃないとわからないし、本人でもわからないこと、わかってないことって、たくさんあるから、わかんないんですけど。
qbc:
破いているのは、全員分ではない?
rumica kaji:
そうですね、全員ではないですね。まだ試作で4枚ぐらいしか作ってないし。
載せてないんですけど、これのまた別は、インタビューをして文字起こしをしたテキストとか、自分が書いたテキストを、今度はテキストばっかりを全部切って、バラバラにして見せて、この紙にわーって貼り付けたようなやつとかもあって。
例えば一つのパーツが三行だったりとか、一行半だったりとか、ブロックごとなんですけど。でもひと言ふた言ぐらいずつ、でもそのとき目についた、気になったものとかを切り取って、どさっと貼って、とかっていう感じですね。
qbc:
表現したいのって、被写体の人たちなんでしょうかね? それとも、自分自身ですかね?
rumica kaji:
一番最初にコラージュで試したときは、1人の人の写真、その日の撮影からたくさんたくさん切り抜いて、破るじゃなくて切り抜いて、重ねてたくさん集めて行って、みたいな感じでやって。そこに入ってくる言葉もその人のものだから、そういう感じで1人1枚みたいな感じで最初作り始めてたのが、どんどんどんどんそれが混ざってきて。でもこうやって混ざってきたら、特定の個人を表すっていうよりは、自分の意識の介入が強くなっちゃうのかなって思いますね。
自分の方が、アプローチとしては外にアプローチしに行って、たくさん話をして、集まってきて、でも結局それが、例えばジャーナリストとか新聞記者とかルポライターとかだったら、そこまで自分の主観を入れずに、こういう人がいますとか、こういうことがありますとかを、その人の物語として表せばいいと思うんですけど。でも自分はそういうふうにはなれなくて。
やっぱり人と会うことによってとか、話したりすると、影響したり、自分でも何か思い出したり考えたりすることとか、たくさん出てきて。それは、悪いことだと思ってなくて、それもそれで何か表現したら、いいとも思うし。そう。質問なんでしたっけ。(笑)
qbc:
表現したいのは、自分なのか被写体なのかっていう質問です。
rumica kaji:
やっぱりコラージュっていう作業によって、自分自身が結局表されることになるんだと思います。だから、それがいいのか悪いのかっていうことも、もっかいちょっと整理して考えないといけないし、悩みます。
qbc:
それは、展示の機会が2回あれば、解決する問題ですか?
rumica kaji:
それもありますね。展示が、例えば1回しかできないっていうことだったら、今やろうとしてることは、すごく粗いし、チャレンジだし。ちょっと失敗して、例えばモデルの人が、「こう見せられたくはなかった」って思うかもしれないし。すごくチャレンジなことをやるから、1回しかできないっていうんであれば、これはアイディアとしてしまっておく、多分やらないだろうなって思うんです。
もっと、やっぱり1人1人、自分なりにこの2年ぐらい向き合って、やっぱり話もじっくり聞いて写真を撮ってきて、ってすごく大切なものであることには変わりなくって。なので、そっちを優先すると思うんですね。
もう、一度しかできないわけではないので。最初の展示としては、今のごった煮の混乱してる頭の中を、恐怖とか不安とかの方が今いっぱいだけど、それをやってみるっていうのも、やってみることで得られるものも何かあるんじゃないかなって思うんですよね、やらないよりも。
1回しかできないわけじゃないので、今年の後半か、来年の前半ぐらいに、もう少し大きめのスペースを借りて、そこでは釘打ち額装っていう形で、もうシンプルに写真で見せる。写真で、見た人に語りかけるような展示を、この後にしたいなっていうところまでは考えてますね。
その共存のさせ方として、例えば部屋が区切れるとかだったら、そういうブースと、こういうブースと、ってあってもいいけど。ちょっと閉塞感のある空間に入って、結構そのなんじゃこりゃみたいな感じって、それはやっぱり同じ空間全体を使った方が、より効果的なんじゃないかなと思って。でもその共存させるだけじゃない、共存させるためのアイディアとして、本を。壁で分けるんじゃなくて、展示の空間と、そこに置く本っていう形で分ける。本は、その分すごく丁寧に寄り添って作っていくものにする。そういう共存のさせ方がいいのかなとは思ってます。
qbc:
個展の展示方法のアイデアを整理すると、まず頭の中をそのまま投影させたコラージュ作品を展示室の壁に直貼りする。で、写真の形そのままの写真は、本にして天井から吊り下げると。
こう考えると、でもそのままの写真を壁にして、コラージュを本のほうにするって方式も考えられますよね。
rumica kaji:
それだと、多分、意味がわからないと思うんですよね。
今のプランであれば、入って壁のコラージュを見て、何か起こってるのか。それを、ちょっと混乱しつつ、でも本を読んでいくと、何かそういうことがあったんだなっていうことがわかって。だから、いろんな視点があっていいのかなって思うんですよね。
例えば、私1人の視点にしても、やっぱり自分の中の、例えば病的な部分と結びついて、コラージュのようにちょっとどこかに行ってしまうような視点のものもあれば、すごく作家として制御された、理性的な在り方をしてる自分もいるし、でも実際どっちも自分の中にいるし。それとは別に、写真を撮ってないときの普通の生活をしてる私もいるし。
で、今度は被写体の人たちの視点もあるし、そこに関与してない、ただ鑑賞するだけの人の視点も、いろいろあるから。統一した見せ方を展示でも本でもするっていうのも一つなんだけど。でも展示ではその一つの、コラージュの視点と、本では今までやってきたこと、続けてきたことを丁寧に見せていくっていう、共存のさせ方かなっていう感じですね。今は。
qbc:
なるほど。
rumica kaji:
それから、コラージュが、A3より大きいぐらいなんですね。A3ノビぐらいのサイズで、でっかい本を作る、コラージュブックみたいなのっていうのもちょっと一瞬考えたんですけど。それも面白いんですけど、ただその今回の空間的に、壁に写真を大きく伸ばして壁に掛けて見るときって、ちょっと後ろに引いたりとか、引いてみたり、そんなに近くでじって見ないから、後ろに引けるだけの空間があるとか、そういう方が良かったり。でも、現実的に、額装でたくさん掛けると壁がもたない。そういう風にならないってなると、結局直貼りになっていって。
コラージュじゃなくても普通に写真を直貼りしていくっていうことも、できるんですけど。でもやっぱり写真をむき出しで直貼りで貼るって、コラージュしてもしなくても、取り扱いとしてはちょっと荒いというか生々しいという感じになってしまうから、それだったらもうコラージュの方を壁に展開して、本の方が今回のスペース、空間自体は活かせるのかなって思うし、またスペースが違ったら、それが逆転した方がうまくいくかなと思いますね。
qbc:
今、どんな気持ちで個展準備に取り組んでいらっしゃいますか?
rumica kaji:
今は、ごちゃごちゃしてますね。
qbc:
感情、明るい、暗いとかで言うと? 喜怒哀楽とか。
rumica kaji:
明るい、暗い。楽しい。なんだろうな。暗いかな、やっぱり不安なので。でも無難にやって、無難にいいですねって言われて、そんなにすごい誰かに刺さったっていうのもなかったけど、誰かに「ちょっとこれはどうなんだ」とか言われることもなく、無難に終わったねって言うよりかは、まだ新人作家なので。これでキャリアができてくると、ちょっと難しいと思うんですけど。今だから、まだ積んでる実績がないので、チャレンジできる、してもいいよねっていう気持ち。でも、明るくはないでしょうね。暗い。暗くもないかな。でも怖いですね。
qbc:
個展以後の活動のイメージは?
rumica kaji:
全然わかんないですね。何か変わると思うんですけど、予想は全然つかないですね。終わらないかもしれないし。
qbc:
個展をするって決めたのは、いつなんでしたっけ?
rumica kaji:
個展やるって決めたのは、いつだろうな。去年……
いや、もっと後ですね。自分で会場を押さえて、この時期にそろそろ個展をやりましょうって思ったわけではなくて。金村修ワークショップの企画展で、年間の受講者の中から、講師の人たちが「この人の展示見てみたい」って思った人に個展開催の権利を与えるっていうものがあるんです。それで、2023年度の受講生の中から選んで頂いて、という流れになります。それでまたワークショップで諸々のことを相談しながら、その準備に取り組んでるっていうところです。
塩竃フォトフェスティバル参加
qbc:
塩竃フォトフェスティバルに参加されたそうですね?
rumica kaji:
そうなんですよ。3月15日から17日まで、塩竃フォトフェスティバルっていうのが、地域の写真祭みたいなのがあって。私は九州に住んでたので、東京から上って行ったことないんですよ。地理もちょっとよくわかってなくて、東京から上は全部東北みたいな。
本当にもう、日本の西の端に住んでたので、そういうちょっとレベルの低い認識でいて。でも東北ってあんまり行く機会ないじゃないですか。東京とか大阪とか、あとは沖縄とか北海道とかだと、旅行とかで行こうとか思ったりするんですけど。でも東北に行こうと思うと、どこ行ったらいいかよくわかんないから、行く機会としてもいいなって思ったし。
塩竃が、宮城県にあるんですね。宮城県の海沿い、海側というか。新幹線に乗って仙台で降りて、仙台からローカル線で30分ぐらいのところにあって。でも東京からだと、どれくらいだろう。2時間ぐらいで着くのかな。結構、距離的にはそんなに負担もなくて。なので、思い切って参加してみました。
その中で、大きな目玉のイベントとしてポートフォリオレビューというのがあって。写真作品を20とか30枚とかファイルに入れて、それを持っていって、レビュアーの方たち、ギャラリーの人だったり、展覧会の企画をしてるキュレーターとかデザイナーとか、あと今回は映画監督の人とか雑誌編集者の人とか写真家の人とか、いろんな人がいるんですけど。その人たちに、1対1で20分間写真を見てもらうみたいなイベントがあって。それもすごく受けてみたくて、行ったのもありますね。
qbc:
なるほど。
rumica kaji:
やっぱり普段は自分でコツコツ孤独な作業なので。自分はもう取材から撮影まで全部1人で全部やってることだから、全部のことがわかってるんだけど、そうじゃない初見の人が見て、何がどれだけ伝わるのかとか、人が見てどうなのかっていうことも、そろそろちょっと考え始めないといけない時期だなって思ってて。
私は2人の方に見てもらえて、1人の方はちょっと厳しめというか。私と被写体の関係性だったりとか、その中で行われているケアとか癒しのこととか、自分を整理するとか、そういうことが行われていて。それが、見る人にとっても、みんなが写真にそうやって写りたいとか、例えば無名人インタビューでも、全員が興味があったり、話を聞いてもらいたくても、全員が応募できる勇気があるわけではないじゃないですか。ずっと読者のままでいて、気になりつつ、でも自分のこと話すのは抵抗があるとか、写真に撮られるのはっていう人もいて。
でもそういう人たちにとって、例えばnoteで公開して読める、読者として読むことによって、なんだろう、直接参加できなくても、こんな人たちがいるんだって思ったりとか。
自分の作品においても、やっぱり本を作りたいっていうのが一番大きくて。本を読んだ人にとっても、やっぱり人が必要なタイミングで手に取って何かが響いて、読む人にとっても利益というか、その本を買ってよかったとか読んでよかったとか、そう思えるものになるっていうところまでを目指してるんですけど、本を作ることに関しては。
でも、そのキュレーターの方からは、特に例えば自分が悩みがなくて困ってない、必要としてなくて、写真に写りたいわけでもないし、どちらかというと写真には撮られたくないタイプですっていう、そういう人がこの本を見るメリットがありますか、という話があって。そうだな、だからやっぱり私と関係性がある人以外の部分へのリーチというところが、まだ力が足りないんだなって思ったのと。
qbc:
はい。
rumica kaji:
もう1人の方はデザイナーの方だったんですけど、その方はすごく評価してくださって、写真自体、写真の力もすごく強いし、やってることもすごい強いし、この手作りの本、その方はすごい有名なデザイナーの方なので、私が覚えたてのInDesignで作った下手くそな本とか、もうけちょんけちょんに言われるだろうなと思いながら、見せてみたんですけど。
こういう手製本、自分で縫って作ったような本で、それって逆に文字組のちょっと下手くそなところとか、そういうところも含めて本が少し歪んでるとか、でもモデルの人が書いてくれた手紙が貼り込んであったりとか、いろんなメモがあったりとか。そういうのがかえっていい味を出しているというか、こういうのはもうどれだけやってもいいというか、本当に尊い、尊いだったかな、ポジティブな言葉を多く頂きました。。
その上で名前のRumica Kajiが、RとKを大文字にするよりも、小文字でrumica kajiにした方が、字の並びがいい感じだよとか、デザイナーならではの視点で。1枚目にこれが来てるのはばっちりだし、この色の組み合わせとかこういうのもいい、ここはこの字がいいとか、このページだけフォントがゴシックなのはちょっと合わないからフォントを変えた方がいいとか。
テキストも人によって、文字の大きさとか太さ、細かったり太かったり、フォントが違ったり、その人のイメージによって、ページごとに全部揃えなくて変えちゃってもいいんじゃないかなとか、結構具体的なアイディアをたくさん出してくれて、行った甲斐あったなって思いました、っていうことが、近況として最近のことであったよっていう話ですね。
qbc:
なるほど。梶さんって、なんでそんなにいろいろできるんですかね? 製本とか。
rumica kaji:
え、作りたいからじゃないですか。
qbc:
写真は入口のハードルが、デジタルだったらボタン押すだけで撮れるじゃないですか。でも製本は、初手から敷居が高いですよね。
どうして作れるんですか?
rumica kaji:
ネットとかGoogleとかで調べて、本作りたいなって思ったら、製本を教えますってワークショップを探して。
でも製本を習いに行ったのは、プロジェクトが始まる前なんですよ。プロジェクトを始める前だったけど、多分今時間があるうちに、製本の技術を身につけておけば、多分後々役に立つなって、勝手にそのとき思って習いに行ってたんですよ。
プロジェクト始めて、最初は写真だけのことで考えていったけど、これをもっと自分の思いにフィットする形にアウトプットしていくには本が必要だし。それは大量生産とかオンデマンドされた商品みたいなものじゃなくて、もっとあなただけに見せますよみたいな。
これは私の1冊しかない本だけど、展示のときだけ見せてあげますぐらいの本が、フィットするなと思って。このために製本を私は習いに行ったんだみたいなのを、思い出してやって、みたいな感じですね。でもコラージュは、全然やり方わかんなくて。今でもわかんないので、ちょっといろいろ失敗しながら。
qbc:
写真集を作ろうってアイデアはいつ思いついたのですか?
rumica kaji:
いつからなんだろう。プロジェクト始めて1年経った時ぐらいからですかね。最初の1年は全然そんなこと考えてなくて、本当にひたすらひたすら人と会って写真を撮って、っていうことしか考えてなかったから。
終わりに
この「写真と人」シリーズも初期のころは写真を撮っている感覚について聞いていくことがメインテーマになっていて。その回答はいったん、「写真は外の世界とのコミュニケーションの手立て」というのがわかったんですよね。
今回、塩釜の風景の写真も見せていただいたんですが、
なんていうか、やっぱり窓越しガラス越しの写真が多いよな、って思いながら眺めていました。
例えばこの写真だって、ロープのこっちとむこうを感じさせますよね。
こういった、窓、ガラス、あちらとこちらを分けへだてるものがある風景写真に特徴なのは、壁じゃないってところですよね。向こう側は見えてるんですよね。不透明の壁じゃなくて、透明の境界線。透明っていうか、もう見えているし、行こうと思えば行けるところが写っている。
なのに、行けない感じがするように写っていていて。眺めている主体というのが強く感じさせられていて。まあこれも私qbc視点での感想ですけれどもね。
今回、「写真は外の世界とのコミュニケーションの手立て」の結果だった写真をびりびりにちぎってコラージュし始める、ということをしだしたわけですが、ここには作家のどんな思いが、こめられているんでしょうかね。
謎ですね。人はわかんない。わかったふりもしないですよ。
今回、ひさしぶりに1対1ではない、人物写真以外の梶さんの写真を見ることができて、すこし胸のすく思いがしました。
私は梶さんが人物写真撮影の合間に撮る物や風景の、他人という異物とコミュニケーションする重い腰をあげるような厄介で手間のかかる作業(そんなこと梶さんは一言も発してないけれども)の息継ぎのようにして撮られる写真に安堵感を感じて好きだったのだけど。
今回、インタビュー前に送られる写真フォルダに、そうではない、人と人とのコミュニケーションのさなかではない、自由な歩行の中で見つけられたっぽい塩釜のすこし朽ちた、ちょっと(いやかなり?)さびれた街並みの写真がわりとたくさんあって、ほくほく人心地がしました。
人の写っていない写真に人のぬくもりを感じるというのは不思議なものですが、まあカメラマンの心の傾きぐあいが感じられるからそこに人はいますよという。
制作・まえがき・あとがき:qbc(無名人インタビュー主催・作家)
編集:なずなはな(ライター)
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