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先生昨日神を見たんですよ。人

むかしむかし、ある村に、見神(けんしん)という青年が住んでいました。ある朝、見神は村の長老のもとを訪れ、目を輝かせながら語りました。
「先生、昨日、神様を見たんです」
長老は穏やかに微笑んで、見神の話に耳を傾けました。
見神は語り始めました。
夕暮れ時、川辺で見た小さな光、
風に舞う木の葉の中に見えた姿、
月明かりに照らされた水面に映った影、
それはどれも確かに、神様の姿でした。
長老は、見神の目の輝きを見つめながら言いました。
「神様は、見る人の心の中にいるもの。あなたが見た神様は、きっと本物ですよ」
後に見神は村人たちにこう語りました。
「神様は、私たちの身近にいる。気づく心さえあれば、どこにでも見つけられるんです」
そして「神は心の目に映る」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年1月8日11時40分に書く無名人インタビュー983回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 定ナオヒコ さんです!

年齢:30代後半
性別:男性
職業:兼業アーティスト

Instagram:https://www.instagram.com/p/DC3AYyeyJoH/?igsh=MXZ6Y2wxYml1a3VsYg%3D%3D


現在:聖と俗っていうものの関係性にやっぱすごい悩んでます、その意味では。

qbc:
今、何をしている人でしょうか?

定ナオヒコ:
アートをしています。

qbc:
アートというと、何をされてるんですかね?

定ナオヒコ:
平面の絵を描いてる人です。

qbc:
どんな絵ですか?

定ナオヒコ:
最初は結構絵の具とか使ってやってたんですけど、最近は色鉛筆とか、クレパスとかですね、を使って、イコンっぽい絵って言うんですかね、聖なるものを希求する絵を描いてます。なので、表題としてはイコンっていうふうにいつも言ってて。色鉛筆とかクレパスとかを使ったイコンを作るっていうことをしてます。

qbc:
いつ頃から絵を描いてるんですか?

定ナオヒコ:
昔から描いてはいたんですけど、でもこの3年ぐらいですね。3年間ぐらいが、主に絵でやろうと思って描き始めてたんですよ。3年前会社を辞めた時点ぐらいから、絵を描き始めてですね。だから今はもう、3000枚ぐらいは3年間で描けたという感じですね。そうですね。そんな感じで絵を描いてる状態ですね。

qbc:
イコンって言うのは、分からない人向けに説明すると、どんな絵を描いてるっていうのをちょっと教えていただけますか?

定ナオヒコ:
元々はキリスト教とかの東方正教会が信仰のために描いていた絵なんですけど、それをそのまま描いても多分意味がないだろうから、描く対象がキリストとかじゃなくて人にして、イコンの様式だけ持ってきて、当てはめるっていうようにしてますね、今は。
その精神性はちょっとくどくなるけど、一旦無神論的ないしニーチェの「神は死んだ」的な発言のベースにして、神じゃなくて人の方をイコンの様式に当てはめるっていうようなことをしてますね。ちょっと難しいテクニカルな話になっちゃいましたけど。

qbc:
何のために描き始めたんですかね?

定ナオヒコ:
他にやることが結構なくなったっていうのがあって。自分としてはサラリーマンとして、2社ぐらい大きいところ、いわゆる名門と言われるところに入ってたけど、なかなか個人の力だけで何かできるっていう領域に縛りがあったから。
そこで絵を書くっていうふうにすれば、当初の想定としては、個人の力だけで行けるとこまで行けるぞっていうふうに考えたからっていう感じなんですよね。その意味では。

qbc:
全然分からないですね。(笑) サラリーマンをやってたと。辞めたことと絵を描くことは関係してるって言いたい?

定ナオヒコ:
大企業入って、人生の文脈に落とすんだったら、何かしらの自己実現ないし自己達成をしたいわけじゃないですか、人間って多分。そのときにサラリーマン世界ではなかなか満たせなかったので。それで絵を描き始めることで、それを満たすっていうことをやり始めたっていう感じなんですよね。

qbc:
3年描き続けて一旦満たされたんでしょうかね?

定ナオヒコ:
いや満たされないですね。やっぱり、例えば今年1年間がデビューというふうに自分で決めて、コンペとか出し始めて。つい先日、国立新美術館か、展示するやつで最優秀賞をもらえたけど、その後出会いが何かあるのかっていうと、特にないっていうことがあって。
今言ってるのは、何か賞とか取ったけど、じゃあ何がアーティストとか芸術家に起こるのかっていったら、特にそれ自体で何か起こるわけじゃないっていうことがあって、逆にどんどん満たされないっていう、渇望の方に行きましたよね、その意味ではね。

qbc:
描いてるときはどんな気持ちで描いてるんすか?

定ナオヒコ:
描いてるときは、充足はしますね。絵を描いてるとき自体は少し気が楽というか。あんまり何も考えなくていいじゃないですか。
でも抽象的にそれ全体の光景として、芸術をやってることは確かに充足するけど、芸術家としてやってること自体は、やっぱりすごい渇望を逆に引き起こすっていうことがありましたね。だから結構なんか複雑な感じでした。

qbc:
渇望っていうのは、自己実現の渇望?

定ナオヒコ:
そうですね。自己実現だと思います。どこまで行けば、自己実現ないし自己達成があるのかっていうことを、やってみると、どこまでいってもこれ終わらないんじゃないのかっていうのがやっぱり見えてきて。そこで結構毎日そのことに悩みますよね。もうやり始めた以上ずっと絵は描くけど。
当初想定してたのは、どっかの時点で自己実現ないし自己達成っていうことが生じて、それで何か自分が知らないことが起こるんじゃないかって思ってたけど、別にそうでもないっていう。
やっぱり結局日常が続くっていうことがあって、日常感覚から超越するような何か感覚に至ると思ってたんですけど、そうでもないっていう。やっぱり日常がどっかで続くっていうことがあって、そっちの方がよく浮き彫りになって見えてきたって感じなんですよね。

qbc:
そうじゃない世界ってどういう世界なんですかね?

定ナオヒコ:
ある種の宗教体験ないし神秘体験みたいな形で、いわゆるエクスタシスとかいう状態です。瞑想とかしたら、ぱっと一瞬なりとも、非常に超越的な感覚になるようなバイタルあるじゃないですか。あるんですよ。そういうものに自分の人生を掃除させようと思ってたんだけど、なかなかそれがうまくいかなくて。

qbc:
そうすると、既にそういう経験をした人はいるっていう前提ですよね。

定ナオヒコ:
そうですね。自分自身が結構そういう人だったんで。

qbc:
元々は経験できてたと。

定ナオヒコ:
そうですね。瞬間的にそういう領域に入るってことは。いわゆる宗教的な体験っていう形でよくあった。

定ナオヒコ:
でもそれって一瞬で過ぎ去っちゃうじゃないですか。強烈な直感がきて、ものすごく満ち足りるっていう状態になったりするけど、でもそれを日常生活とかに持ってきて、それを恒常的にする。ずっとそれが続くようにしたいっていうのがあったけど、なかなかそうはうまくいかないっていうのがあるんですよね。
だから瞬間と永遠みたいな話で。なんですよね。

qbc:
ざっくり現状の目標、やりたいことっていうのは、長続きする宗教体験?

定ナオヒコ:
抽象的に言えば、あるエクスタシス状態、すごい満たされた多幸感がある、その宗教体験をピークにするような心的状態ないし心身の状態っていうのはあるとして、確かにそれを日常とか生活の中で完全に物にしたい。物にしたいというか、それを芸術の領域で何かしら体現したいっていうのが目標ですよね、だから。

qbc:
それは描いてるときなのか、それとも社会的に評価されたときなのかっていうのは、どっちですか?

定ナオヒコ:
やっぱりまだ具体的には見えてなくて、どういう形式なのか。例えば賞を取ったときに、何か例えば世界観が開けるとかあるじゃないですか。

qbc:
賞を取って?

定ナオヒコ:
もうすごく俗的に言えば業界の人と繋がりができて、コマーシャルギャラリーと契約できて、出世できますみたいな。
でもなかなかそんな簡単な話にはならないし。結局どの芸術家も何十年も続けてね、特に何かあるというわけでもないっていう部分があるだろうから。そこの乖離にも悩んでますよね。その何て言うんだろう。
果たしてギャラリー契約して、それは当然目標としては持ちながらも、ギャラリーと契約して、絵が売れて有名になったってなったときに、「しかしそれは僕が本当に求めてたことに、宗教的なピーク体験みたいなものと何か関係があるんだろうか」みたいなことの困惑は、常に付きまといながらやってますね。
もちろん俗的に言えば、当然「成功したい」「出世したい」の一点張りですけど、ただそれ自体が一体達成した後に、本当に何か良きことがあるんだろうかっていうこと自体に、やっぱりずっと何か困惑は付きまとってる状態なんですよね。

qbc:
ちょっと全然角度を変えるんすけど、その絵を書くこと以外って今何されてるんですか?

定ナオヒコ:
仕事はね、年明けからまた新しいところで始まるっていうのがあるんですけど。今はもう全く絵だけですね。彼女と同居しながら。あと年明けに彼女と結婚、籍入れるだろうなっていうのがあって。

qbc:
絵を描くことと、あと日常生活。寝たり、ご飯食べたり入浴、あると思うんすけど、それ以外で時間使ってることあります?

定ナオヒコ:
読書とかですかね。本はやっぱり読むので。

qbc:
何読んでますかね?

定ナオヒコ:
今手元にあるのは、『聖なるもの』っていう本ですね。

qbc:
どんな本ですか?

定ナオヒコ:
ルドルフ・オットーの『聖なるもの』とか。この3年で700冊以上読んでるんですよ。だから、結構ハードコアな内容の本になっちゃって。

qbc:
キリスト教の本ですか、それは?

定ナオヒコ:
いやそれ自体は宗教学の本ですね。キリスト教の本も読みますね。カール・バルトの教会教義学とか、ローマ教会とかの方は、読みますね。
だからキリスト教的な煩悶っていうか、苦しみみたいなものも持ってて。要はキリスト教が言うその聖なる世界でも、日常生活が何か本当に普遍的に変容するのかって言ったときに、わからないんですよねそこがね、だから。
何言ってるかっていうと、キリスト教の難しい本読んだところで、俺の給料とか、給料は良いとしても、幸せになるのかっていうことなんですよね。俗的な意味で、給料が上がっても幸せになるかはわからないけど、何か恐怖とか不安がなくなるのかって言ったときに、なんか逆にキリスト教の本読んでるときの方が非常に恐怖と不安は、ある意味では増す部分はあるなと思ってて。
あまりに俗域から離れた聖なるものについてやってると、ある種の困惑が生まれますよね。俗域が無意味化しちゃって、もうお金とかなくてもいいのかって言われたときに、いや当然絶対お金いるんだけど、でもなんかちょっとぼやーっとしちゃうというか、「いいんじゃないか」みたいになっちゃうみたいな瞬間もあって。聖と俗っていうものの関係性にやっぱすごい悩んでます、その意味では。

qbc:
趣味っていうとどんな趣味があるんですか?

定ナオヒコ:
いやかなり多くて、今はやってないけど音楽で路上弾き語りとか昔してたし。本、読書もするし、本っていうか現代詩ですね、詩書いたりしてたし、イラストレーションとかもしてた時期あったし、趣味もいっぱい経験しましたね、その意味では。語学とか、絵とか。

qbc:
今の趣味っていうのは?

定ナオヒコ:
やっぱ読書ですかね。絵を本業として捉えるんだったら、やっぱ読書が趣味になっちゃうとこがあって。

qbc:
人からは性格なんて言われます?

定ナオヒコ:
穏やかと言われるときと、破天荒と言われるときの両方がある感じですね。かなり破天荒ではあったから。

qbc:
自分ではどう思います?

定ナオヒコ:
すごい悩み深い人間だなと思います。

qbc:
どんな悩みが?

定ナオヒコ:
例えばキリストについて悩むみたいなことって、別に日常生活と全く関係がないはず。全くとは言わないけど。でも「なんで俺がキリストについて悩まないといけないんだろう」っていつも思いますね。

qbc:
それは何で悩んでるんですか?

定ナオヒコ:
やっぱり結局人生生きてきて、30代まであって、生きてきてそれ自体をメタ的に捉えたときに、「それ自体が一体何なんだろう」っていうその視点がやっぱ生まれて、そこで何か複雑に悩んでしまったところがあると考えてるんですよね、だから。

qbc:
そこで悩んでしまったと。

定ナオヒコ:
そうですね。いや普通に行けば、大学出て、いい企業入れて、そのままサラリーマンしてれば、問題はなかったと思うんだけど、それ自体が何なのかっていう。お金自体、お金を稼いでご飯食べて、生活をして、たまに楽しいことがある。
でも結局死んじゃうじゃんっていう結局論に行き着いて、そっからずっとうじうじ悩む、うじうじとは言わないけど、こういう生活と関係がないようなことを考えるようになっちゃいました。

qbc:
性格に戻るんですけど、身近な人から言われる性格の一面であります?家族とかパートナーとか親友とか、距離の近い人。

定ナオヒコ:
いややっぱ面白いって言われますよ。ユーモアがあって楽しいっていうのと、ただやっぱちょっと「考え過ぎな部分があるよね」とか言われますね。面白いってのはよく言われます。

qbc:
どのあたりが面白いって言われますか?

定ナオヒコ:
日常会話だと結構冗談みたいなことしか言わないんで、変な立ち振る舞いしたり、ジョーク、ここで今このモードな中で、ジョーク言うのか的な感じはあるにせよ、そういうユーモアなことはやるので、何かそんな感じなんですよね。

qbc:
好きな食べ物は何ですか?

定ナオヒコ:
鍋とかですかね。昨日も彼女と鍋食べて。キムチ鍋とかですかね。昨日はキムチ鍋作って、一緒に食べて。だから結構鍋は食べるんですよ。自炊として良いし。だからそれで鍋をよく食べますね。鍋好きです。


過去:それで、なんか単に木が揺れてるだけのビジョンだったんですけど、その感覚がなんていうのかな、言いようもない感覚というか、あまりに美しいものを見たときの感覚というんでしょうか。

qbc:
ありがとうございます。過去について聞いていくんですけれども、子どものときはどんな子どもだったんですか?

定ナオヒコ:
子どものときは、身長が高かったですよね。小学校5、6年で170センチ超えてたりしたから。身長高かったのと、体力ことが結構ありましたよね。中学校のときは100m走とかも
学年1位とかだったし。

qbc:
小学校上がる前、本当ちっちゃいときはどんな子どもだったんですか?

定ナオヒコ:
幻覚とか見ましたね。一時期そういうときもあったかな。

qbc:
どんな?

定ナオヒコ:
宇宙人特番を見た日の夜に、宇宙人の幻覚見るみたいな。すごい分かりやすいパターンで。
宇宙人にさらわれるっていう特番見た日に、寝るじゃないですか。宇宙人がやってくるみたいな。目を開けると3匹いるみたいな。
でもそのときやっぱ理性があったから、「これが幻覚なんだ」みたいな、小学生ながらに、どうにかそれが幻覚であるというふうに理解したから、おかしくならないで済んだっていう感じですかね。
あとはいたって普通というか、兄弟3人いて、その中の長男で。父親の仕事で、幼稚園のときに、あれでしたね、スイスか。スイスに1年間ぐらい住んでたっていうこともありました。

qbc:
何歳ぐらい?

定ナオヒコ:
それが多分5歳ぐらい。
それ以前になると、もう3歳ぐらいで記憶が途切れて、思い浮かばないかなっていうのがあって。それなりに幸せでしたね。普通に。

qbc:
小学校とか中学校はどんな子どもだったんですか?

定ナオヒコ:
小学校の真ん中まではいたって普通だったんですけど。身長が伸びるのと合わせて、成績も結構バカーんて伸びて、小中学校は結構勉強をしてたイメージですね。すごい勉強ハードにした感じがあります。いわゆる受験戦争、分かりやすいですよね。分かりやすく中学生だったっていう。
でも音楽とかしたかったですね。音楽はずっとしたいなって、受験勉強しながら思ってました。

qbc:
高校はどんな感じ?

定ナオヒコ:
高校で有名私立受かったんですけど、「何で勉強しないといけないんだろう」と考えて、地元の公立にしたんですよ。そこで勉強をやらずに、音楽やっぱバンドしましたね。学祭とかで、バンドやったのが一番思い出深いですね。

qbc:
どんなバンド?

定ナオヒコ:
いやもうただのコピーバンドですね。高校生一番程度が低い。ただボーカルできたのが一番嬉しかったです、すぐクビにされちゃったけど。

qbc:
何のコピーバンドだったんですか?

定ナオヒコ:
BUMP OF CHICKENとかでしたね。

qbc:
その後どうするんですか?高校卒業後の進路は?

定ナオヒコ:
その後は高3になって、学年下から2番目になっちゃって、成績が。そっから夜中とかに、深夜の公園とかで勉強するようになって。寝ないためにみたいな感じですね。それでどうにか成績上げて、地元の旧帝大にどうにか入れたっていう状態でした。

qbc:
大学生活は?

定ナオヒコ:
大学生活は本当に何もなかったですね。ザ・普通で。特にこれといって、彼女ができたぐらいか。今付き合ってる彼女が大学時代にできて。
でもその時期はやっぱ本読んだり、ちょっと友達とアート関連のコンペに出したりっていうのはちょっとしたりしたんですよね。

qbc:
絵を描き始めたのはいつだったんですか?

定ナオヒコ:
イラストレーションはもう大学のときに始めたですね。ただアートの絵は3年ぐらい前ですね。

qbc:
宗教体験というか、キリスト教についてはいつから?

定ナオヒコ:
それもちょうど3年前ぐらいですかね。

qbc:
そうなんですか。3年前に戻っちゃうんすけど、それはなんで急にキリスト教に傾倒していくんですか?

定ナオヒコ:
それはだから神秘体験みたいなのがあって。結構聖書に書いてある的な内容のものをぱーっと見るっていうことがあって。それがあったから、自分としてはあんまりキリスト教好きじゃなかったんですけど、もうそういう神秘体験したら、行かざるというか、関心を持たざるを得ないだろうっていうのがあって。でしたね。

qbc:
大学の後はどうするんですか?

定ナオヒコ:
すぐ就職して、大手電機メーカーでしたね。
そこの人事部門に配属されて。結構熾烈なパワハラとかあったけど、どうにか3年間やったって感じでしたね。

qbc:
その後は?

定ナオヒコ:
その後大工。肉体労働の大工をして、ちょっと友達と起業みたいなこともして。でしたね。その後にまた、次は大手自動車メーカーの人事部に入ったんですよね。

qbc:
それは20代?何歳の時?

定ナオヒコ:
28とかのときに自動車メーカーに入ったんですよ。それも結構奇跡的で、もう1回大手のね、企業辞めた後に肉体労働とか大工とかやってる人がなかなかね、また自動車メーカーに人事部門で入るってことはないはずだったんだけど、なんか面接がうまくいって、入れちゃったんですよ。

qbc:
そこに何年いらっしゃったんですか?

定ナオヒコ:
そこに4年間ぐらいいましたね。

qbc:
その後は何されるんですか?

定ナオヒコ:
その後辞めてアートに振り切ったんですよね。

qbc:
それで現在と。

定ナオヒコ:
はい。

qbc:
ご両親からはどのように育てられましたか?

定ナオヒコ:
結構普通だったかもしんないですね。

qbc:
普通ってめちゃくちゃ難しい表現ですね。(笑)どういうふうに育てられたかをちょっと聞きたいですね。

定ナオヒコ:
父親が大学関連の教員だったんで、勉強は結構ある程度しっかりさせられたかなとは思ってますね。
母親は絵を描く人だったんで、だからと言って絵を教えてもらったっていうこともなくて、なんかその中で、やってた感じですかね。

qbc:
どのように育てられたんですか?2人のプロフィールはちょっとわかったんですけど育てられたっていうと、何ていう感じだったんすか?

定ナオヒコ:
どうなんだろう。でもこれ、今この情報だといわゆる普通にとしか言わないんです。何か特殊なことが課せられたとかいうことはなくて、普通なんか本とかも読めって言われたとかもなく、読み始めたっていう感じだったから。

qbc:
比較したことあります?自分の子供時代と他人の子供時代。

定ナオヒコ:
ちょっとあれでしたね。勉強については意識がある家だったかなとは思います。でもその程度ですね。そんな家ざらにあっただろうし、なんか本当普通でしたね。兄弟も姉も弟も普通でしたし、自分だけが何かちょっと変な感じになっちゃったなっていう意識がありますね。

qbc:
変になっちゃった?

定ナオヒコ:
例えば会社をこれだけ変えたり、肉体労働をしたりとか、やっぱり絵を描くとかいうことを会社辞めてやり始めるっていうのは、結構自分の家ではあんまり想定してなかったことだろうなと思いますね。

qbc:
ありがとうございます。生まれ育ったところの風景ってどんなところですか?

定ナオヒコ:
団地ですね。団地があって、もう本当普通ですね、そういう意味では。すごい言われてみると、結構普通だったなと思って。団地があって、普通にやっぱ子供たちが何人か遊んでるような団地で。特にこれといってなくて。
でも海が近くに、近くとは言わないな。なんかそんな感じでしたね。団地のイメージがありますね。

qbc:
人生振り返っていただいたわけですけど、自分の人生の中に転換点を置くとしたら、いくつ置いてもいいですけど、どこに置けると思います?

定ナオヒコ:
やっぱピークはあれだな。だからキリスト関連の神秘体験しちゃったのが、なんかえぐかったなって思いますね。

qbc:
3年前ってこと?

定ナオヒコ:
3年前ですね。

qbc:
何があったんですか?

定ナオヒコ:
寝る直前に結構ビジョンとか幻覚が見える人で、夢とはまたちょっと違うんですよ。幽体離脱みたいな。
それで、なんか単に木が揺れてるだけのビジョンだったんですけど、その感覚がなんていうのかな、言いようもない感覚というか、あまりに美しいものを見たときの感覚というんでしょうか。
ビジョンはいっぱい見る人だったんですよ。もう腐るほどあって、幽体離脱してたり、いろんな幻覚とかビジョンはもうもういっぱいあったし、なんかとんでも系のものもいっぱい見たけど、そのとき見たのは木が火のように揺れてる光景で、強い風に吹かれるっていう。それはものすごく神聖に感じて、この世界ではやっぱ感覚したことがないものだったんですよね。
それがやっぱり何かものすごい転機で。それ考えると、自分で何か達成して転機を得たっていうよりかは、神がいるんだったら向こうからやってきて、なんか勝手にそれが転機になっちゃったっていうのに困惑してますね。
だから自分がどんなに頑張っても別に大した影響とか人生とかに与えられないけど、その神秘体験みたいな形で向こうからやってきたら、こんなに変わっちゃうのかっていう。変な困惑ですよね。


未来:だから、実はその意味では、そういう宗教体験みたいなものと生活って切り離せるようで、やっぱどっかで完全に切り離すことはできないだろうと思ってて。

qbc:
未来について聞いていくんですけれども、5年10年30年40年と、最後自分が死ぬっていうところまでイメージして、どんな未来をイメージできますかね?

定ナオヒコ:
もう俗的に出世したいですね、その意味では。俗行き感覚として、やっぱ絵とかで売れたいし、コマーシャルギャラリーとかと契約して、自分の絵がある程度売れるまで行きたいし。それをやっぱ40、あんまりな、本音を言うと40代までに何かコマーシャルギャラリーとの契約はしたいと思うけど、多分無理だろうなっていうのがあって。だから絵でギャラリー契約、コマーシャルギャラリーとの契約がしたいってのはやっぱありますね。
ただ、実直に言うと多分もう確率的にはほぼないに等しいだろうから、無難な意味では、80歳90歳まで生きるか分かんないけど、最後まで絵は描きたいなっていうのが一つありますね。

あと絵だけじゃなくて、詩とか、文芸とかもやるから、そういう創作仲間、友達とか増えたら嬉しいなって思いますね。創作の友達とか、友人をこれからどんどん増やしていきたいなと思うし、それで獲得した友達とかいたらやっぱ大切にしていきたいなっていうのはあるし。
あと彼女との結婚ですね。結婚はもう来年ぐらいにしたいなと思ってて。やっぱ添い遂げたいっていうのはあるし。

qbc:
何年付き合っていらっしゃる?

定ナオヒコ:
もう12年、10年以上付き合ってますね。10年以上付き合ってて、さすがにもう結婚しない方がおかしいだろうし。でも自分としてはまだこの3年がもうアートに振り切っちゃってて、職がなかったので、来年から年明けから職が見つけられたので、その職をしながら、どうにか結婚するっていう感じですね。一番直近の目標としては。

だからもう一つは芸術やってて、岡本太郎とか、草間彌生みたいになんていうか、バーンって世の中にものすごく出るっていうことができるのかって言われたときに、現実的にはかなり難しいだろうから、あんまり目立ってない状態でどういうふうにアートをやってることの意味を醸成していくのかっていうことは、やっぱずっと未来まで考えるんだろうな、将来も考えるんだろうなって思ってますね。

だから、より現実的に言うと、もちろん目標としてはギャラリーとか、コマーシャルギャラリーとの契約まで行きたいっていうのはあるにせよ、おそらくそれは確率的には不可能だろうから。コマーシャルギャラリーと契約できなかったときに、どういうふうな芸術活動ができるだろうということを、考えながらやっていきたいとは思ってます。なんか、そういうこととかですかね、今のところ。

あとあれです。カトリック教会で洗礼をやっぱ受けるまでいきたいなと思います。なんていうんだろう。もう自分としては別に生まれながらのクリスチャンではなかったから、何も家系とも関係なかったから、日曜に礼拝しに教会行くのとかも、ものすごく面倒くさいんですよ。
普通のクリスチャンは平気で日常の日課としてそれやっちゃうけど、僕全くそういう人間ではなかったので、1回教会通ったんですけどもう面倒くさくてやめちゃって。だから、でもまだまだ人生長いから、長い目線でいけばまた教会に通って、洗礼を受けるまで行きたいなとぼやーっと思ってます。
ものすごく面倒くさいですね。やっぱミサとか行くと1時間近くずっと礼拝しないといけないし、それを毎週日曜日午前中潰してやるっていうのは、結構一般的な世界から言うと凄まじいことしてるなって思いますね。

qbc:
ちなみに、ちょっと正確に聞いてなかったんですけど、宗教体験があってから仕事を辞めたんですか?どっちが先だったんですか?

定ナオヒコ:
宗教体験の方が先でしたね。それでやっぱちょっと相当上がっちゃって、その体験をちょっと課題視しすぎて、なんていうんだろう。会社とかで「もう神見ました」みたいな状態になっちゃって。
それでやめましたね。ちょっと相当そのとき精神が飛躍しました。でもちょっと一般的に言うと、それはやっぱり神秘体験の課題だったから良くなかったし、それはそれでしかないっていうことがまだわかってなかった頃でしたね。

それで、産業医の先生と一緒に職場を見回る立場だったのに、その産業医の先生と安全とか健康を管理する側だったんですよ。仕事としては。なのに、本人が「先生昨日神を見たんですよ。楽園見たんですよ。」みたいなの言い出しちゃったから。
何か逆転しちゃったんですよね、そう意味ではね。それはちょっとやりすぎだったなと思いますね、今考えると。インパクトそれぐらいあったっていう感じですかね。

ただ、やっぱり危険だったのは、それをあまりに確かにすごいことだったけど、日常生活にそのままインストールして持ってこようと思ったのが最大の間違いでしたね。それはそれとして日常生活を送ってれば、そんなに事を荒立てずに済んだんじゃないかなというふうに思いますね、今は。

qbc:
もしもの未来の質問っていうのをしていて、ちょっとつまらないかもしれないですけど、もしもその宗教体験がなかったらどんな人生になってたと思います?

定ナオヒコ:
多分、仕事続けて、前の仕事を続けながら、絵は描いてたんじゃないかなと思いますね。少なくともクリスチャンになる動機はなかっただろうし、本もこれだけ読むということも生じなかったかなと思います。だから普通にサラリーマンしながら、アートをやって、傍らでやるっていう状態だったんじゃないかなと思います。そこに何かあんまりその神秘体験がどうのこうのとか、キリストがどうのこうのとかはなかったんだろうなとは思いますね。

qbc:
人生で一番楽しいことって何ですか?

定ナオヒコ:
めっちゃ難しいな。楽しいことですよね。やっぱり絵を描けるのが楽しいかな。ですかね。彼女といるのがやっぱ楽しいですね。そう。彼女と一緒にいれるのが一番楽しいです。やっぱ土日とか一緒に出かけるのとかは楽しいし。平日も夜は一緒にいれるのは楽しいですね。やっぱ回答としては、彼女ですね。

qbc:
彼女か絵かって言ったらどっちをとりますか?

定ナオヒコ:
私は彼女ですね。

qbc:
絵がなくなるとか、宗教的経験が失われるっていうこととイコールになるという意味で言ったら、どっちをとりますか?

定ナオヒコ:
それはやっぱ宗教体験とっちゃうんじゃないかな。その場合はやっぱ宗教体験とっちゃうだろうなと思います。

qbc:
絵を描くことってのは宗教体験を得るためであるのであれば、絵を描かなくても宗教体験が得られるんであれば、絵を描かなくてもいいですか?

定ナオヒコ:
結構そこは構造があって、やっぱりなんだかんだそういう領域を日常生活、俗域に持ってこようとはやっぱしてるんですよ、まだ。でもそのやり方が多分、「会社で神を見ました」みたいなことではないんだろうなと思って。

それを絵とかアートで表現、もう直接は伝達できなくても良いとして、何か間接的に絵とかでそういうものが伝わるんじゃないだろうかっていうふうに考えてやってますね。だから、実はその意味では、そういう宗教体験みたいなものと生活って切り離せるようで、やっぱどっかで完全に切り離すことはできないだろうと思ってて。

そのときに「会社で神を見た」みたいなあまりに直接的な方法ではなくて、絵を描いて、その絵を見せるとか、その暴力的じゃなく、じんわりなんか伝わる場合は伝わればいいなみたいな、なんかそういう感じで絵を描いてますね。なんかそんな感じです。

qbc:
なるほど逆にその一番やりたくないことは何ですか?

定ナオヒコ:
やりたくないこと、いっぱいあるけど。
暴力を受けることは嫌ですね。パワハラ受けるのは。やりたくないことじゃないですもんね。

qbc:
なるほどね。違いますけれども。そうですね。自分からやりたくないこと。

定ナオヒコ:
やっぱ暴力を行使することとかじゃないですかね。それはやりたくないですね。どう暴力を行使せずにやり過ごすのかっていうことは考えますね。

qbc:
入信って彼女と一緒にするんですか?

定ナオヒコ:
いや自分だけだと思います。

qbc:
どうして定さんは宗教的体験が起きたんですかね?

定ナオヒコ:
全く分かんないんですよ、それが。その意味では。考える人ではあったんですけど、物事を考える、哲学とか好きで考える方であったけど、そんなにめちゃくちゃ死ぬほど考えるのかって言うとそういうわけではない。だからなんか青天の霹靂でしたね。その意味では。

qbc:
なるほどね。ありがとうございます。最後の質問はですね、最後に言い残したことはっていうので、遺言でもいいですし、読者向けメッセージでもインタビューの感想みたいなものでもいいんですけど、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

定ナオヒコ:
「僕の絵を見に来てください」みたいなプロモーションでもいいんですか?

qbc:
全然大丈夫ですよ。

定ナオヒコ:
じゃあ、絵を見に来てねみたいな感じですね。

qbc:
ありがとうございます。

定ナオヒコ:
創作友達になってねも。やっぱりいりますね。

qbc:
わかりました。ありがとうございます。


あとがき

人生は戦いだなあ。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:本州】

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