
どうやったら相手のためになるんだろうかって超いい社会だと思う人
むかしむかし、ある村に、為助(ためすけ)という若者が住んでいました。為助はいつも「どうやったら相手のためになるだろう」と考えながら過ごしていました。
村人たちが驚いたのは、為助が考えるのは、目の前の人のためだけではなかったことです。
朝市で野菜を売る時も、
「買う人の家族も喜んでくれるかな」
「この値段なら、みんなが買いやすいかな」
「新鮮さを保つには、どう並べたらいいかな」
と、関わる人みんなのことを考えていました。
井戸を掃除する時も、
「明日使う人が気持ちよく使えるように」
「子どもたちが安全に水を汲めるように」
「お年寄りが楽に水を運べるように」
と、様々な人のことを思い描いていました。
ある日、村の賢者が為助に言いました。
「あなたの考え方は、まるで波紋のよう。一つの親切が、次々と広がっていくのじゃ」
為助は日々、そんな波紋を生み出していきました。
すると不思議なことが起こり始めました。
村人たちも、誰かのために何かをするようになり、
その誰かが、また別の誰かのために動き、
その連鎖が村中に広がっていったのです。
後に為助はこう語りました。
「一人のためを思うことが、実は多くの人のためになる。そんな考え方が広がっていけば、きっともっといい社会になるはずです」
そして「一つの思いやり、百の幸せ生む」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年12月27日18時17分に書く無名人インタビュー975回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 今野富康 さんです!
年齢:40代後半
性別:男性
職業:先生業専門の集客・販促マン
現在:僕自身は別になんか普通に、言ってることとやってることに矛盾がないように言ってるので
qbc:
今何をしている人でしょうか?
今野富康:
今、二つやってることがありまして。一つは、コンサルタント。士業、研修講師、コーチっていうような、先生業の方向けの集客、販促のサポートってのが1個目の、もう12年ぐらいやってる事業です。
もう一つは、SNSを使った中小企業の採用サポートっていうのをやってまして。これは割と最近スタートした事業ですね。
qbc:
これはお仕事っていうことですかね?
今野富康:
はい。
qbc:
今、その他何かされてることってありますかね?
今野富康:
その他は、結構コンサルティングをご依頼いただくことが多くて。なぜか先生業の方のコンサルティングっていうのが多いですね。
qbc:
何をコンサルティングされるんですかね?
今野富康:
集客とかですね。販売促進に関して、どうやって自分のサービスの価値を伝えたらいいかよくわかんないっていうような方のお手伝いがすごく多いです。
qbc:
お仕事はやられてて、今どんな状況ですか?どんな感じですかね?
今野富康:
そうですね。結構素晴らしい価値を提供されてるにもかかわらず、それが伝わってない人が思った以上に多いなっていうことと。あと皆さん、結構高い確率でいろんな経営塾みたいなところで、大金を払って何にもならなかったみたいな方がすごい多いっていうのが、最近感じてることですね。
qbc:
そういうところに行っても何も得てないっていうことが多いと?
今野富康:
そうですそうです。
qbc:
あぁ、なるほど。
今野富康:
なので、僕が最初に話したお話しした販促とか集客のサポートをするときは、基本、いただいてる報酬以上の売上加算が実現するまでサポートを続けるっていう、ちょっと結構自分にもプレッシャーを課した受け方を今してるので。それは、あまりにもひどい目にあった方が多いので、同じようなことが起きないように自分への戒めも込めてそういうふうにやってます。
qbc:
具体的に、どういうことをされるのか聞いても大丈夫ですかね?
今野富康:
もちろんです。まずやらなきゃいけないことって、大体コンセプトがブレブレになってるんで、提供してるサービスはどういうコンセプトで誰に向けてどういうパッケージで提供されるのかっていうところの整理から、まずスタートしまして。それを整理した上で、そのターゲットになってるお客様たちにどう伝えるか、届けるかっていうことを検討して。いわゆる集客のフローとかですね、販売の流れっていうのを組み立てて。それを組み立てたものを、例えばこれメールが必要だよねとか、LPが必要だよねとか、セミナーかませないとうまくいかなそうだよねっていうのを全部設計して、それを作り込んでいくのを一緒にやってくみたいな感じですね。
なので、お客さんがセミナーやったことないよってことだったら、お客さんの売りたいものはこれで、持ってらっしゃる情報とかノウハウはこれだから、っていうのを事前に聞いた上で、こういうセミナーやってみましょうかっていう提案までやりますね。
qbc:
じゃあ、なんか普通に一緒にやってあげるってことですかね?
今野富康:
そうですそうです。
qbc:
なるほど。このお仕事するの、どんな気持ちでお仕事されてますかね?
今野富康:
すごくいい人だったりノウハウであったりいい会社っていうのが、届かないってのはすごい残念だなと、お客様に届かないっていうのが。
それって、コンサルタントの方とか会社さんとかそういう良いノウハウ持ってらっしゃる方が、売れなくて困るっていうこと以上に、実はその先のエンドユーザーの方がむちゃくちゃ損してるんですよ。そういういい方法知ってたら払わなくていいお金とか労力とか、あと心理的な苦痛とか、そういうのをエンドユーザーの人は味わいまくってるっていう状況なんで。
良いものを持ってるんだったら、ちゃんと伝えきってエンドユーザーさんに届けて、そしたらエンドユーザーさんも嬉しいし、売れた方も嬉しいし、お手伝いしてるこちらとしても嬉しいっていう状況が実現するので、その形を作りたいなと思ってやってます。
qbc:
なるほど。なんか士業向けみたいなのに特化してる理由って何かあるんですかね?
今野富康:
あ~、そうですね…士業とかコンサル業とか先生業っていうような、ちょっとざっくりしたくくりなんですけど。特化してる理由は、振り返ってみると12年お手伝いしてきたところの、8割方がそういう人たちだったっていう。振り返ったら全部大体そうだったっていうのが理由なんですけど。
おそらく、その方たちが感じてるフラストレーションは、例えばマーケティングの業者さんに依頼をする、何かを依頼して話をしたりすると、話をわかってもらえないんですよね。
例えば司法書士の方とかは、紹介費とか払えないルールになってたりするけど、そんなこととかお構いなしに、これお金払って紹介してもらえばいいじゃないですかみたいなことを言う人はたくさんいるだろうし。そもそも業界用語が通じない中でその業者さんとやり取りすること自体がストレスになってるケースがすごく多い。
あとはコンサルタントの方たちで、ちょっと知能指数高めの方たちは、話に業者がついてこれなくて、同じ説明を何度もさせられたりとか、それ前言ったよねっていうのを繰り返し何回も説明しなきゃいけなくなって、嫌になってくることが多々あるみたいで。そこが、たまたま上手くこなせたっていうのが、多分要因の一つなんじゃないかなと思います。
qbc:
それを始めたきっかけみたいなのって何かあったんですかね?
今野富康:
始めたきっかけはですね、何個かあるような気がするんですけど。
一つ目は、独立したときに、最初のお客様がちょっと業界の人だったら誰でも知ってるようなセミナーとか研修をやってる会社だったんですよ。その関連で、研修講師の方と知り合ったりとかコンサルの方と知り合うことが一番最初多かったんで、それがきっかけっていえばきっかけですかね。
qbc:
そしたら、独立したきっかけって何だったんですか?
今野富康:
独立したきっかけは、簡単にいうとリストラをする側になってしまったんですね。経営企画的な立ち位置にいたことで、親族経営の会社だったんですけど、従業員で唯一リストラを事前に知ってて、どういうふうにそれをやらなきゃいけないのかっていうことを検討する側に僕が回ってたので。言ってみたら、会社生き残らせるために誰をクビにするかみたいな相談をなんか内々でしなきゃいけない立場になってしまった。
要は、会社を生き残らせるために、仲間をクビにしなきゃいけないっていうことを、やらざるを得なかった。そういう経緯があって、仲間を切り捨てておいて自分だけそこに残りますっていうのも、なんかちょっと違うなと思いました。本来であれば、経営判断を間違った経営陣がクビになるべきだと思っていました。一方で彼らは「オーナー」でもあるわけでそうもいかない。しかし、僕は経営陣じゃないけど、従業員としては一番近い立場にいて方向修正をすることができなかったわけです。そういう意味では、自分は経営側だよねって思ったんで、辞めてきたって感じですね。
それで独立しちゃったんですよ。ノープランで。なので、最初に接点があって仕事に繋がったところをきっかけで広げていったっていうのがスタートですね。
qbc:
なるほど。何かお仕事以外にはどんなことされてるんですかね?
今野富康:
仕事以外…仕事以外だとどうだろう…。まぁ、ランニングをちょっとやってるぐらいですかね。今はちょっとって感じですけど、5、6年前までは100キロマラソンを走ってたので。結構走り込んでましたね。
今、ここが岐阜県岐阜市なんですが、ここから西に行くと関ヶ原町っていう、関ヶ原の合戦の関ヶ原がありまして。30キロぐらいなんですけど、そこを往復して、往復60キロとかっていうのをほぼ毎月走ってましたね、その当時は。今はやってないんですけどね。
qbc:
今されてることで、お仕事以外にされてることって何かあります?
今野富康:
仕事以外は、ランニングをちょっとやってるぐらいかな。ほとんど…仕事以外だともうほとんどランニングぐらいしかないですかね。あと月に1、2回、なんか家族で車で遠出をするぐらいかな。
qbc:
なんか趣味的なものって、あったりしないんですか?
今野富康:
趣味か…。
qbc:
仕事してる、あとは生活、入浴とか移動とか睡眠とかそういう時間があって、それ以外は何に時間使ってるのかってことですね。
今野富康:
いや、他のことに時間使ってないですね。
qbc:
じゃあ、ほとんど仕事ってこと?
今野富康:
ほとんど仕事ですね。朝起きて、仕事を始めて、さっきのランニングが夕方とかに入ることはありますけど、仕事をしてます。ずっと仕事をして、寝る直前まで仕事をして寝るみたいな。
qbc:
なるほど。行き詰まるというか、他に何かしたいという欲求とか起きないんですかね?
今野富康:
そうですね。今はあんまり起きてないかもしれないですね。なんか他に2つ、今やろうとしてるから、そこで時間をだいぶ食ってる気がするんですけど。あんまり他のことやろうと思えば、家族と時々月に1回か2回か遠出するぐらいですよね、そうなると。
でも言われてみれば、ほんと何もやってないですね。ほんと仕事してるなぁ。
qbc:
なんか、以前は何かをしてたみたいなのがあるんですか?
今野富康:
以前は…何やってたかな。以前は、それこそプラモデルをちょっと作ったりとかした時期もあるんですけど。あとは本読むか漫画読むか。そんな感じですよね、そんなに何か…。
そうか、以前だったら釣りやってたってことありますね。
qbc:
今はそういう、ちょっとした読書も釣りもされてない感じ?
今野富康:
そうですね。読書は…読書はちょっと頑張ってしてますけどね、寝る前とかに。さすがになんか仕事だけになっちゃうと、頭が固くなるんで。ちゃんとした量子力学の本とか読んでますけど。怪しげな自己啓発的な「量子力学」ではなくて。
qbc:
なるほど、わかりました。性格は周りの人からなんて言われることが多いですかね?
今野富康:
性格か~…何て言われるかなぁ。何て言われてるかな…性格、なんて言われてるだろう。信頼できるとか、よく言われる感じはしますね。
qbc:
なるほど。性格的な部分でいうと?
今野富康:
性格的な部分で言うと…どうなんだろうな。何か信用できるとか…、性格的な部分ってどういうことなんだろう?
qbc:
あぁ、まぁいろんなものがあるかと思うんですけど。約束を守ってくれたら真面目だねとか、っていういろいろ言い方あると思うんですけど。
なんて言うかな、これ想像ですけど、仕事の話になっちゃうのかなって気がちょっとするんですよね。
今野富康:
あぁ~。
qbc:
まぁ仕事で言われる部分もいいんですけど、周りの人から言われる性格的なことって…。
今野富康:
なんだろう…。性格ですもんね。
qbc:
じゃあご自身では自分の性格ってどんな性格だなって思いますかね?
今野富康:
僕自身はどうだろうな…難しい。難しいですね、自分でどう思うかか~。なんかうちの奥さんとかからは、なんか「ウソがない」とはよく言われますね。すごい正直というか、表裏無いっていうのは。
あ、それはでも、みんなに言われるかな。性格的にはなんか、あんま表裏が無い。僕自身は別になんか普通に、言ってることとやってることに矛盾がないように言ってるので、なるべく。そういうところはあるかもしれないですね。
qbc:
なんかパートナーの方も含めて、ご家族とかあと親友と距離の近い人から言われる性格の一面ってなんかあったりします?
今野富康:
あとは「抜けてる」とは言われますね。
qbc:
抜けている。なるほど。
今野富康:
真面目だとは思うんですけど。なんだけど、とんでもない忘れ物したりすることが時々ありますね。小学校のときに一番びっくりしたのは、ランドセルを忘れたっていう、で、そのまま学校に行くっていうのですね。
qbc:
じゃあ、大人になってからは?
今野富康:
大人になってからは、一応、大学を、結果的には専攻で一番の成績で卒業したんですけど、これ結構薄氷を踏むような結果でして。なんていうのかな、大学ってこの授業を受けますよってのを先に履修届で出さないといけないんですよね。それで必須科目を1つ届を出すのを忘れて、危うく留年するとこだったんですよ(笑)ギリギリセーフで、多分15分ぐらいの差で、成績一番なのに留年するっていう、すごいミラクルが起きそうになったっていう。
あと、スーツケースを忘れるとか。新幹線で寝過ごして岡山で降りるつもりが気がついたら小倉だったとか。いろいろそういう、なんか間抜けなエピソードがいっぱいありますね。
qbc:
なるほど。頻度的にはどれぐらいの頻度で起きるんですか?
今野富康:
どうだろうな、年に1回か2回はそういう大きなミスをしているような気がします。まあね、なんか命に関わるような仕事をしなかったんでよかったなと思ってるんすけど。医者だけはできないなと思ってます。
qbc:
なんか今、一番楽しいことって何ですかね?
今野富康:
今一番楽しいことか…なんだろう。今一番楽しいことは、家族でどっかに出かけるってのは一番楽しいですかね。仕事以外で言うと。
qbc:
最近なんか、どこに行ったかっていうのは?
今野富康:
最近は、車で東京に土曜日に行って、日曜日に帰ってきました。
qbc:
片道どれぐらいかかるんですか?
今野富康:
片道、6時間から7時間ぐらいですかね。
qbc:
それ1人運転されてきたんですか?
今野富康:
はい。
qbc:
あ、なるほど。
今野富康:
行きは中央道で、紅葉を見ながら東京まで行ってきまして。帰りは新東名で1回朝小田原に行って、小田原城に寄ってからちょっと海に行って、その後、新東名で帰ってくるみたいな、そんなことをやりましたね。
qbc:
なるほど。その他、どこに行かれました?
今野富康:
その他、子供と奥さんは何かアーティストのライブに行ってたんで、その間、僕は新大久保に韓国のご飯屋さんがいっぱいあるっていう話を前々から聞いてたので、新大久保ウロウロして。ちょっと現地っぽいクッパの店を見つけてですね、なんか現地ってこういうの食べてんだろうなっていうのを食べて、1人でそれで喜んでましたけど。
qbc:
なるほど。好きな食べ物って何ですかね?
今野富康:
好きな食べ物は、そうですね…なんかこうモツ料理みたいなの、結構好きかもしんないですね。
qbc:
モツ料理?
今野富康:
なんだろう、モツ焼き屋さんとか。あとなんかその韓国料理のお店もモツ煮込んだクッパみたいなやつを食べたんですけど。そういうモツ料理系は好きですね。あと魚も好きですけど。
qbc:
ありがとうございます。
過去:家を失ってホームレスになっても勉強を続けるとか、そういう根性は自分にあるのかっていうことを、一応現場を見て確認しようと思って
qbc:
ちょっと過去について聞いていきますね。子供の頃はどんなお子さんでしたでしょうか?
今野富康:
子供の頃は、すごいちっちゃい頃、いろいろなんか勝手に実験して、親が冷や汗をかくっていうような感じの子供だったらしくて。なんか例えばですね、ブロックを電子レンジでチンして、火を噴いてですね、親がすごい慌てるとか。なんかソケットにいろいろ突っ込んでどえらいことになるとか。そういうことをよくやってたっぽいですね。子供の頃は。
qbc:
そういうってどういうことなんですか?
今野富康:
そういう何ていうか、これやったらどうなのかなっていうのを試してしまって。で、親が慌てるっていう、危ないやつですね。
で、多分その当時のことを何となく思い出すと、火が通ってるものは食べられるっていうのが頭にあって。で、火が通ってないのは生だから食べられないよっていうのは親に教わってたから、これブロックって火が通ってれば食えるんじゃないかなと多分思ったんですよ。そんでレンチンして、レンジの中で火を噴いて、どえらいことになるとか。そういうことをやってた気がします。
qbc:
それは何歳ぐらいの頃だったんですかね?
今野富康:
それは多分幼稚園ぐらいですね。
qbc:
幼稚園の頃に?なるほど。
なんかその頃好きだった遊びとかって覚えてらっしゃいます?
今野富康:
その頃は…そうですね、何やってたか、あ、積み木とかすごくやってた覚えがありますね。積み木でいろんなものを作るとか、ブロックで何か作るとか。なんか作って、これやったらどうなのかなみたいなことを、想像して遊んでた気がしますね。
qbc:
なんか小学校の頃はどんな感じの子なんですか?
今野富康:
小学校ぐらいまでは、比較的いろんな子と仲良くしてたような。小学校低学年ぐらいまではですね。気がします。あとは、よく絵を描いてたような覚えがありますね。
qbc:
周りの人間関係とかそういうのは覚えてます?
今野富康:
そうですね。小学校のときは、割といろんな子と分け隔てなく遊んでたような覚えがありますね。小学校…そうっすね、ずいぶんちっちゃい子供の割には、遠くまで遊びに行ってたなっていう記憶があります。
qbc:
遠くまで?
今野富康:
そうですね。千葉県の船橋市に住んでたんですけど、学区がそこそこ広かったんで、何キロぐらいだろう…多分、なんか2、3キロ遠くまで、小学校1、2年の段階で遊びに行ってたような気がするんですよね。
だから今の子たちだと、1人でそんなとこまでいかないと思うから、ずいぶん遠くまで遊びに行ったなっていう記憶がありますね。
qbc:
なるほど。なんでそんな遠くまで行ったのかって覚えてます?
今野富康:
多分、クラスメイトが農家の子とか、あと学区の外れに住んでる子が多くて。僕も学校の外だったから、外れから外れに遊びに行ってたんで、ずいぶん遠かったなっていう感じですね。
qbc:
なるほど。中学校の頃は?
今野富康:
中学校の頃は、もう柔道ばっかりやってましたね。
qbc:
あぁ、中学から柔道を始めたんですか?
今野富康:
はい。中学と高校で。
qbc:
どれぐらいやられたというか、どこまで?
今野富康:
一応、団体戦で県大会優勝するところまではやってまして。同じ高校の後輩は、本当に強くて、オリンピックで金メダル取ってるようなのが2人いますね。
qbc:
え?それは学校自体がめちゃくちゃ強かったっていうこと?
今野富康:
そうなんですよね。その子たちのときは一番強くて。僕らは一番最初の代だったんで、頑張って県大会優勝まででしたけど。割と一応県内の強豪ですかね、千葉県内で。
qbc:
へぇ。高校が?
今野富康:
はい、高校が。
qbc:
ご自身では実力的に、どれぐらいに感じますか?
今野富康:
団体戦で県大会優勝したぐらいなんで。まぁ、そんなに強い方じゃないっすね。なんか周りの仲間とかね、後輩がむちゃくちゃ強かったから、その中だとまぁまぁじゃないですかねって、普通っすねみたいな感じでした。
qbc:
なるほど。中学校の時はどんな感じだったんですか?
今野富康:
中学校のときは、結構なんか自分の意思が結構はっきりしてたので、それをやるためにどうしたらいいのかというのを考えてまして。柔道やりたかったんで、部活にちゃんと出るためには学級会とか長引くと鬱陶しいので、学級委員になって仕切って終わらせるとか。部活に支障が出ないように、いろいろこうやってたような覚えがありますね。
qbc:
高校はどんな?
今野富康:
高校はもう、本当に部活一色で。もうずっと柔道をどうにかして強くなるっていうことばっかりやってました。ただ、中学も高校も、共通の親との約束は、成績を落とさないことだったので。それを遵守しなきゃいけないから、柔道をすごく一所懸命にやってたけど勉強もちゃんとしてましたね。
qbc:
高校の後、進路進学は?
今野富康:
附属校だったんで、そのまま大学に行きまして。で、これもなんか附属だと、高2の終わりか高3の頭かに、どこを志望しますかっていうアンケートみたいなのを出して、それによって志望学部、学科が決まるんですけど。書き間違えまして。ただ部活がきつすぎて早く寝たかったんで。まぁ書き間違えたのも人気学部だから多分落ちるだろうと。僕が行きたかったのは、1個目行きたいところ書いて、2個目書き間違えて、3個目が2番目に行きたいとこだったんですけど、そのまま提出しちゃったんですね。
qbc:
書き間違えてっていうのはどういう?
今野富康:
考古学が一番行きたくて考古学一番に書いて。本当は次が日本史だったんですよ。なんですけど、何を思ったのか西洋史って書いちゃって。西って書いちゃったから、書き直すの面倒で西洋史って書いて。3番目、日本史で書いて。それで提出したんですよね、志望票みたいなの。
そしたらですね、見事、西洋史になりまして(笑)それで西洋史専攻になったっていう。
qbc:
その書き間違いっていうのは、なんでそんなことしたんですか?
今野富康:
なんででしょうね…。なんかボールペンで、下書きせずに書いたんですよ、多分。それでなんか「修正とかして来るな!」みたいなのを、多分言われてたような記憶はあるんですけど。書いて、「やばい!書き間違えた」ってなって、でも明日も部活だなと思ったんですよね。で、死ぬほどきつかったんですよ。一応、強豪校を目指してる段階ですけど、僕らのときは。
もう超きついから早く寝たいと思って、もういいやと思って、そのままもう志望書いて出したんですよ。で、西洋史は毎年結構人気が高くて、成績順で志望が決まるから、多分自分より成績良い人が志望してるだろうと思って出したら、たまたまその年だけいなかったんですよね。で、間違って西洋史に行くっていう、そういう結論になりました。
qbc:
大学生活自体はどうだったんですか?
今野富康:
大学は結構真面目に…。そもそも大学に行く段階で、志望が適当だった理由のもう一つは、多分もしかすると大学いけないなと思ってたんですよ。親がなんかお金ないって言ってて、学費が出せないかもっていう話を聞いたんで。僕は半分ぐらい防衛大を受けるつもりで護衛艦とかなんかいろんな潜水艦とかの見学に行ってたりとか。もうお金がないから防衛大に行くつもりで半分動いてたところもあって、それで適当だったんですよね。
だけど、うちのじいちゃんばあちゃんが学費出してあげるよっていうふうに言ってくれたんで、大学に行けたと。なので、じいちゃんばあちゃんが学費出して良かったなと思ってもらえるように、死ぬほど勉強したんですよ。
だから、大学時代は勉強とバイトを死ぬほどやってたっていう。
qbc:
でも、なんだっけ、成績は良かったっておっしゃってませんでした?
今野富康:
そう。だから成績は一番取ったんですね。大学生なんてみんな真面目に勉強しないじゃないですか。だから周りは真面目にやってないけど、僕はもうガチで勉強してたので。じいちゃんばあちゃんに、卒業したときに「専攻で一番だったよ」ということが言いたくて、めちゃくちゃ勉強したんで。それで一番取って卒業してっていうそんな感じですね。
qbc:
大学生活自体はどうだったんですか?楽しいとか楽しくないとかそういうのは。
今野富康:
楽しかったですよ。大学時代はだからね、みんなは勉強嫌がるけど僕は勉強する気で行ってるから、せっかく取るんだったら面白そうなのを全部受講してやろうと思ったんで。興味あるやつは全部受講して全部単位取ってみたいなことやってたので。大学自体は割と充実した感じがしますよね。面白かったっすね。
qbc:
なるほど。大学卒業後は?
今野富康:
卒業後は大学院ですね。修士課程に行って、研究員を1年やって、博士課程でずっと歴史の勉強をしていた感じです。
qbc:
そうなんですね。え?西洋史?
今野富康:
西洋史です。
qbc:
西洋史でそのまま進んだんですか?
今野富康:
そうです。西洋史で進んで。大学の学位論文は、フランスの言語統一がテーマでした。フランスって本当は元々多言語国家なんですけど、フランス革命とかいろいろを経て、フランスってイル=ド=フランスっていうパリ周辺の言語に統一されていって今のフランス語になってるんですけど。そういう共通語みたいのが広がっていく過程の研究を学部時代はやって。修士はポルトガル史に切り替えて、ポルトガル史の研究をしてたっていう感じですね。
qbc:
それで博士課程までいったんですか?
今野富康:
はい。博士課程まで。
qbc:
じゃあ博士までとったんですか?
今野富康:
博士号は取れてないです。残念ながら。うちの親父に借金があるのが発覚しまして。学費とかは自分で、バイトと奨学金でまかなってたんですけど。さすがに実家がですね、やばいっていうことになって。親戚に借金を立て替えてもらうので、それをきっかけに就職するっていう感じになりましたね。博士課程の2年の後半ぐらいで発覚したので3年のド頭は、ほとんど就活みたいな感じですね。
それで就職が決まってからはバイトしたお金を実家に入れてみたいな、そんな感じですね。
qbc:
特に西洋史をやりたくはなかったって仰ってました?
今野富康:
はい。
qbc:
それで、なんでずっと進んでたんですかね?
今野富康:
やりたくないなと思ってたのは、なんか知らないからやりたくないなと思ってたんすけど。でも実際やってみたら結構面白かったんですよね。あれ?って思って、意外と面白いぞって思って。
あと、いい先生に巡り合ったってのもありまして。よく先生自体が授業をさぼってましたけど。すごく学問的には非常に優れた人がいてですね。その先生の影響とか。
あとは歴史の研究をして勉強してて、なんか高校まではもう暗記科目みたいな感じがしてたんですけど、なんかいざ西洋史に来てみたら、実はそうでもないなっていう。ちゃんと仮説を立てて、それが正しいかって検証をしてみたいなことをやってたので、これ結構面白いかもしれないなと思って。どはまりしてちゃんと勉強してました。
qbc:
ご両親からはどのように育てられましたか?
今野富康:
なんか勉強しろとは言われたんですけど、言われるのは嫌すぎて、中学校ぐらいから言われなくてもやるようになったんで。まぁまぁそんな感じです。
それ以外のことはあんまり言われなかったですかね。あんまりうるさく言われた覚えはない。結構自由にやらせてくれてたんだと思います。そういう意味では。最低限の勉強はしなさいっていう、最低限のところをクリアした先はそれほど細かく言われなかったのと。
あとは、僕は結構早い段階でこれをやりたいってのはあったから、それをやらせてくれました。柔道を結構本気でやってたんで、それをやらせてくれた感じですね。
qbc:
やりたいことっていうのは?
今野富康:
中学高校は、もう柔道をやりたくて、柔道を一生懸命やってて。その条件が、成績を落としちゃ駄目よっていうことだったんで。それで勉強もちゃんとやってみたいな感じだったんですね。
qbc:
就職されたのは何歳だったんですか?
今野富康:
27ですね。
qbc:
まぁ一応、バイト代と奨学金で結構な金額を学費をつぎ込んで、特に博士課程にはお金かかったんですけど。ただ、それがパーになってるわけですよね。
で、最悪の場合、家がなくなるなみたいな感じだったんですよ、当時。借金の金額的にも状況的にも。家を売ってどうにかしなきゃいけないような金額でした。下手をすれば、家がなくなって一家離散だなっていうような状況だったので。
実際に、当時まだ20年ぐらい前だと、上野の東京芸術大の前の辺りって、ブルーシートのテントがいっぱいあったんですよね。ホームレス村があって。西郷さんの銅像の辺りから公園に入ってくるとその先しばらくホームレス村だったんですけど、そこを見に行って。
見に行って、その状況で、家を失ってホームレスになっても勉強を続けるとか、そういう根性は自分にあるのかっていうことを、一応現場を見て確認するために現場を見てみようと。
それで思ったのは、自分はともかく、家族とか、あとは当時付き合ってた彼女(今の奥さん)とかがそこに巻き込まれるのはよくないよねっていう。仮に自分が望み通りの結果を得て研究者になったとて、家族とか、当時の彼女、今の奥さんとかが、なんかつらい思いをするんだったらそれって全然嬉しくなくないみたいなことを現場に行って思って。それだったら、「みんなが嬉しい結果になる選択をした方が自分はいいな」と。それで就職するっていう判断をしたんですよね。それが26歳の11月ぐらいです。
qbc:
その後は、どれぐらい働かれるんですかね?独立する前まで。
今野富康:
その後は5年ぐらい会社員でした。2社あって、1社目は人材紹介会社です。2社目が販促物を作る会社ですね。テレビとか家電量販店のポップとか、あと等身大パネルとか、なんか旗とかあるじゃないですか。ああいうのを作る会社に転職して、そこで経営企画をやってた感じです。
qbc:
それで、今、岐阜っておっしゃってましたけど、その時って関東だったんですか?
今野富康:
はい、関東です。住んでたのは千葉と埼玉ですね。勤めてたのは東京都内です。
qbc:
それで、いつ頃、岐阜に来られるんですか?
今野富康:
2013年の3月ですね。
qbc:
それはもう独立していたということ?
今野富康:
はい、もう独立して。独立して半年ぐらい。
qbc:
引っ越しされた理由ってあるんですか?
今野富康:
さっきもお話した通り、ノープランだったんで、最悪、食いっぱぐれるなと思ったんですよ。食いっぱぐれたときに、うちの奥さんの実家の近くだったら、奥さんと子供は何とかなるだろうっていう。少なくともその方が、奥さんが特に気持ち的にも安心だろうなと思って。ちょうどマンションの契約が満期で更新のタイミングだったんで、岐阜でいいんじゃない?ということで、岐阜にしました。
qbc:
なるほどね。独立してからの数年ってどんな感じだったんですかね?
今野富康:
独立してからは、先生業の方のセミナーの集客とかプロデュースとか、LPの制作とか、そういう仕事を中心にやってましたね。
qbc:
やっていて、その中でエピソードがあったりなんだりとか何かっていうのは特になく?
今野富康:
エピソード?エピソードか~…
qbc:
今10年ぐらいやられてるわけですよね?
今野富康:
そうですね、12年。
qbc:
12年ですよね。その中であんまり変化っていうのは起きてないんですか?
今野富康:
変化は…そうですね、なんか年数が進んでくると、結構大きい案件にも関わるようにはなって。例えば大きいところだと1ヶ月で8000人ぐらい集客するようなこともやったことありますし。あと、2週間で1800万とかって売り上げが立てるようなキャンペーンとか、そういうのもやったこともありますし。結構、いろんな販促キャンペーンを数々やってきた感じですね。
qbc:
それは士業の方で?
今野富康:
それはコンサルタントの方ですね。片方は、8000人集めたのは、いわゆる経営コンサルタントかな。その方のキャンペーンで。
1800万円っていうのは、研修会社の教材ですね。研修会社が10年ぐらいかかって200本ぐらいしか売れなかったものを、2週間で300本売りました。
qbc:
それは、お客さんは岐阜の方なんですか?
今野富康:
いや、これがね、東京なんですよ。片方が東京で、片方が北海道ですね。
qbc:
それはお仕事的にはオンラインとかインターネットでっていうんですかね?
今野富康:
そうですね、オンライン。オンラインでやってることが元々は多いですね。
qbc:
ありがとうございます。なんか人生の転換点っていうのがあるとするならば、どこにあると思いますか?
今野富康:
あぁ、上野公園じゃないですかね。いや、あのときに、結局自分がやりたいことって大事だけど、自分がやりたいことをやった結果周りに与える影響とか…。自分が頑張ったって思ってた、頑張ってやってきたと思ってたけど、結局それって周りの人がちゃんとしててくれたから頑張れる環境にいただけであって。個人の頑張りなんか知れてるし。それだったら、自分が頑張ったから望む結果を得たいっていうよりかは、周りの人が嬉しい結果になるように何かやった方がいいんじゃないかなって、そのときに思って。
だから今も、いろんなプロジェクトやるんですけど、なるべく割を食う人がいないようにプロジェクト組むし。お客さんにリターンを戻すのは当然ですけど、仕事を回すこちらの中でも、なるべくみんなが満足できるような分け前の分配になるようにとか。安く買い叩かれる人がいないようにっていうようなことを、気にしながらやってるんですよね。みんな嬉しいのが一番いいので。それを思ったのはやっぱり、上野公園ですね。
qbc:
この無名人インタビュー受けた理由って何ですかね?
今野富康:
いや、なんか知り合いが何人か、既に無名人インタビューを受けてて。すごいいい感じの記事にしてもらってるなと思って見てたんで。
qbc:
どなたですかね?
今野富康:
杉本幸雄さんと、大石ももこさんと、あとハイジさん。
すごいいい感じで記事になってるなって、いいなと思って。
qbc:
じゃあそこの経営者の集まりというか、お知り合いの?
今野富康:
そうです、そうです。
qbc:
なるほど、わかりました。
今野富康:
元々、杉本さんからの繋がりで大石さんとかハイジさんは知り合ったんですけど。
qbc:
なるほど。
未来:そこに愛はあるのかい?
qbc:
未来について聞いていきたいんですけれども。5年10年30年で最終的に自分が死んでしまうっていうところまでイメージをしていただいて、今どんな未来を思い描いていますでしょうか?
今野富康:
岐阜に若者が帰ってこれるような会社を増やしておきたいと思ってます。というのは、岐阜に住んですごい気に入ってるんですよ。いろんな経緯で来たんだけど、結果岐阜めちゃくちゃ気に入って、いいとこだなと思ってるんですけど。
岐阜出身の若者に東京で会うことが多いんですね。特に優秀な人たちは東京にいて、話すと、すごい仕事してる人たちが、岐阜出身なんだけど岐阜に帰る気はないっていうのを、ほぼほぼ全員言うんですよ。
なんで?っていうと、刺激がないとか何とかって話もあるけど、根本的に仕事がないんですよ。岐阜にいい会社もあるんだけど、そういう若者がバリバリ活躍するような、才能に溢れたちが活躍するような会社っていうのがまだまだ少ないし。あったとしてもあんまり知られてないとこあるんで。そういう戻ってきたいと思えるような会社を岐阜に増やしたいし、自分もそういう会社を作りたい。
なんか超わかりやすく言うと、日本一の会社を岐阜に作りたいなと思ってます。
qbc:
どんな?っていうか、事業内容とかそういうのは特になく?
今野富康:
そうですね、なんか僕のジャンルでいうと、そういうやりたいのは、まず最初の方でお話したSNS採用サポートの話で。あれって、採用って結局人は辞めちゃったら意味ないから、いい会社を作るっていうところが、実は最強の採用戦略なんですね。そのジャンルで一番になる会社が作りたいなと思ってて。これが採用のマーケティングと、採用の人事のシステムと。
あとはそういう優秀なコンサルタントの方をきちんと連れてきて、制度作りをしてもらうっていう。たぶんそれ必要なので。そのジャンルでできたら一番いいなと思ってますね。
ただ、どれで一番取るか当然わからないんで。とにかくこの岐阜に帰ってきて大丈夫だぞって若者が思えるような会社を作りたいと思ってますね。
qbc:
なんかそうすると、岐阜に今愛着あるような感じなんですか?
今野富康:
はい。めちゃめちゃ愛着ありますね。
qbc:
どんな気持ちなんですかね?岐阜に対して。
今野富康:
とにかく住みやすいし、自然が近いし。大都市も近いし。名古屋まで電車で20分ぐらいなんですよ。こんな住みやすいとこなかなかないよねってすごく思ってて。なんであんまり人気がないんだろうと、むしろ僕は思ってるんですよね。
考えてみると、いわゆる強い産業が今の岐阜にあまりないので、それが唯一の弱点かなと思ってて。それが補えればいいなと思ってるんですよね。
qbc:
もしもの未来の質問っていうのを聞いていて。もしも、もう今は自分で働かなくていいよって、自分の好きなことやっていいよって言われたら、何を始めますか?
今野富康:
働かなくていいよってなった場合…
qbc:
時間好きに使っていいよと。家族も養ってもらえると、家族も切り離すんだったら切り離してもいいし、好きにしていいよと。お金もあげるからみたいな。もちろん家族と一緒に暮らしてもいいんだけれど。とにかく自分の好きなことしていいよって言われたら?
今野富康:
いや、なんかいくつもあるんですよ、やりたいこと。例えば、発電所を作りたいと思ってます。
qbc:
発電所?
今野富康:
発電所も、いわゆる火力じゃなくて、水力で且つ高さを必要としないやり方があるんですけど。言ったら、川の中で、川の端っこに段差作ってそこに大きい低速で回るスクリューを置いて回すと発電できるんですよね。そういうものとか、何種類かそういう発電できる方法があって。なんか沿岸の、海の近くで火力とか石炭とか発電するんじゃなくて、いろんなところで細かく発電してった方が、実はいいんじゃないかなと思ってて。そうすると無駄も少ないですし。それがやりたいっていうのが1個あると。
あとは、畑ですね。農業が本当はしたい。それも固定種で化学肥料などはなしでやりたいんですよ。
qbc:
固定種?
今野富康:
固定種は、例えばトマト作って、そのトマトから取れた種でもう1回同じように来年も作れるってのが固定種なんですね。
qbc:
へ~、はい。
今野富康:
今って、売ってる種って1代限りで2代目を作るのも難しいし、そもそも種子法でそれが禁止されちゃってるんで。だから、もう何回でも作れる。種を持ってたら何回でも好きなだけ作れるっていうような種類の作物で農業をやりたいと思っています。そうしないと農業が持続可能にならないんで。っていうのが2つ目で。
3つ目は、児童養護施設とか、母子家庭とかでお金がない家庭の子たちの教育っていうのをやりたいなと思ってますね。
qbc:
なるほど。なんかいつ頃からそういうことをやりたいと思ったんですか?なんかあんまりこれまで聞いた話の中に入ってなかったんですね。そういう農業とか、子供に対してとか、あと電力に関しても。
今野富康:
そうですね…。これはですね、元々僕歴史なので。歴史をやってて、自分は日本史専攻じゃないけど、日本史は一通りは勉強してます。日本の場合って、第2次世界大戦を始めたのは何でですか?といったら、結局エネルギーなんですよ。石油なんですね。石油を断たれちゃったから、インドネシアとかに攻め込まざるを得ないみたいな状態になってるんで。エネルギー自給率上げるってのはめちゃくちゃ重要なテーマなんですよ。
あと、ここのマンション(仕事場)なんかもうエアコンしかないんですけど、エアコンっていうのが、本当に不合理で嫌だなと思ってるんですよ、暖房として。火力発電で作った電気を送って、途中でたくさんロスを出して、届いたところでもう1回熱に変換する。存在自体がすごい無駄なんで。せめて近くで発電してよっていう。だからエネルギーのことを考えると、発電から考えなきゃいけないなっていうのと。
あと、その食べ物に関しても、世の中ちょっときな臭くなってきてるけど、武器買ったところで戦争に勝てないと思ってます。そういうことじゃないんだよねと。戦争が始まった途端に食べ物が入ってこなくなって、それで干上がるからっていう。だから、食べ物を作るっていうのが、この国にとっては至上命題として絶対必要なことなんですよね。それはもう歴史的にそうなんで、それはもう元々やりたいことなんですよね。小手先のなんか広告のことやったって、食い物がなくなったらアウトなんで。少なくとも人類史上、飢えた側が戦争に勝ったことはほとんどありません。
それとあとエネルギーと、この二つは必要っていう。それはもうそういう必要性だし。
あと、児童養護施設とか学校とかっていうのは、元々僕の中学校の学区に、児童養護施設があって。まぁ何十年にもわたってすごい虐待をされてて、それが発覚して、児童福祉法が変わるぐらいのことが起きたんですよ。そこの出身の子たちが同級生なんですよね。
彼らのつらさは、当時全然ね、彼らも悟られないように隠してきていたし、僕も気づかなかったし。ということが、本当は起きていたっていうのを大人になってから知って。そういうことが起きないようにしないと駄目よねと。起きないようにするためにはどうしたらいいんですかっていうと、どんな境遇にいようと勉強してそれを乗り越えられる道があるよってことは、常に示されてないと、その不幸な状況っていうのは多分再生産されるっていう。で、不幸になってしまった子たちを今さら救うことはちょっと難しいんですよね。もうその経験をしてしまってるんで。むしろ、そういう辛い状況の子たちが生まれないように仕組みを整えなきゃいけない。
それをやるためには何が必要かっていうと、今の世の中だと多分勉強する環境を作るとか。あとはまぁ、そういうひどい目にあわない施設を作ってあげない限りは、どうにもならないと思ってるんで。それをやりたいっていうふうに思ってるんですね。
ただ、今おっしゃっていただいた通りで、仕事と直接的に結び付かないじゃないですか。だから仕事っていうのは全部とっぱらって、何もかも無条件できるんだったらっていう条件下だったら、その三つをやりたいってことですね。
qbc:
ありがとうございます。じゃあ最後の質問なんですけども、最後の質問が最後に残した言葉っていうもので。言い残したこととか遺言でもいいし、読者向けメッセージでも、インタビュー振り返っての独り言みたいになってもいいんですけど、最後に言い残したことがあればお伺いしております。
今野富康:
言い残したこと…あぁそうですね…、すごく思ってることは、何でもいいけど、なんか「そこに愛はあるのかい?」っていうのを問いたいですね。なんかお客さんのためを思って何かをやるとか、家族のためを思って何とかやるとか、友達のためでも何でもいいんですけど、そういう思いのもとに仕事がしたいなと思っているし。
みんながそんなふうに、これが相手のためになってんのかなとか、これどうやったら相手のためになるんだろうかっていうことを考えてる社会って、超いい社会だと思うんですよ。なんか今は、お金をコレクションしてどんだけ溜め込んでるかが勝負みたいになってるから、それちょっとあんまり楽しくないなと思ってて。お金はもちろん大事なんだけど、なんか愛のある仕事がしたいなと思っております。そんな感じですかね。
qbc:
ありがとうございます。
あとがき
販売促進してえ。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:mii】
#無名人インタビュー #インタビュー #コンサルタント #販売促進
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