バンコクで駐夫(ちゅうおっと)している人
むかしむかし、日本のある村に暮らす幸太郎(こうたろう)という男がおりました。幸太郎は心優しい夫でしたが、仕事がなかなか見つからず、妻の華子(はなこ)が家計を支えていました。
ある日、華子が言いました。「幸太郎、私がバンコクで仕事をすることになったの。あなたは家で留守番をしていてくれる?」
幸太郎は驚きましたが、妻を支えたいと思い、こう答えました。「分かった。僕は立派な『駐夫』になって、君の後押しをするよ」
こうして幸太郎は、はるか遠いバンコクで働く妻を日本で待つ「駐夫」となりました。
最初は慣れない家事に四苦八苦する毎日。料理は焦げ、洗濯物は縮み、掃除は行き届きませんでした。村人たちは「男が家にいるなんて」と噂し、幸太郎を変な目で見ていました。
しかし幸太郎は諦めませんでした。毎晩、バンコクにいる華子と電話で話し、料理のコツを教わったり、お互いの日々を語り合ったりしました。
月日が流れ、幸太郎は立派な「駐夫」に成長しました。家事をこなすだけでなく、村の高齢者を手伝ったり、子どもたちに昔話を聞かせたりと、村の人々から慕われるようになりました。
ある日、村長が幸太郎に言いました。「幸太郎殿、君の働きぶりを見ていると、『駐夫』も立派な仕事だと分かった。村の男たちにも家事を教えてくれないか」
こうして幸太郎は、村の「駐夫養成講座」の先生となりました。男たちは家事を学び、村全体が明るく協力的になっていきました。
数年後、華子が村に戻ってきました。村人たちは二人を祝福し、こう言いました。「幸太郎さんと華子さんは、距離は離れていても心は一つだった。そして村全体を変えてくれた」
それからというもの、その村は「心の通う村」として知られるようになり、「駐夫」という言葉は、愛する人を支える尊い仕事として広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月31日10時55分に無名人インタビュー876回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは Mr.プラー さんです!
年齢:40代後半
性別:男性
職業:主夫
現在:社会人生活20年ぐらいやったらやっぱり、なかなかそんなにゆっくりする時間ってなかったんで、そういう時間が欲しいなと思ってたのが今それは叶ってるっていうので多分、嬉しいんだろうなと思います。
さあや:
Mr.プラーさんは今何をしてる人ですか。
Mr.プラー:
今はタイのバンコクで駐夫(ちゅうおっと)をしています。
さあや:
ヨットですか?
Mr.プラー:
駐夫ってまあ主夫ですね。奥さんがやる場合の旦那さんバージョンみたいな。駐在妻みたいなのを駐在夫っていうんです、はい。
さあや:
駐在夫をされている。そうなんですね。いつからされてるんですか。
Mr.プラー:
2022年の4月からですね、今で2年3ヶ月前くらいです。
さあや:
そうなんですね。どうですか。楽しいですか、その生活は?
Mr.プラー:
そうですね。最初はまだやっぱ戸惑いもあったんですけど、もうだいぶ慣れてきて楽しくなってきてますね。
さあや:
1日の過ごし方ってどういう流れになるんですかね、24時間を時系列で言っていただくと。
Mr.プラー:
そうですね。朝に、朝5時に起きて、子どものお弁当を作ります。
子どもが日本人学校に行っていて、タイの現地の学校じゃなくて、日本人が通う日本のルールに従った学校に行ってるんで、そこにスクールバスで行くんですけど朝が早くて、6時半に子どもが出て行くんです。給食がないんでその前にお弁当を持たせるんで、そのお弁当を5時に起きて、作り始めます。
子どもが朝飯を食べて身支度をして6時半に出ていったらそっからは自分の時間なんで、少しゆっくりして8時ぐらいからオンラインでタイ語を勉強したりしてます、今。
さあや:
タイ語を勉強されてるんですね。
Mr.プラー:
そうですね、はい。住んでもなかなかタイ語って身に付かなくて、だからちょっと現地の人と喋りたいなと思って、今タイ語を勉強してます。
さあや:
そうなんですね。その後はどう過ごされてます?
Mr.プラー:
そうですね。大体それで1時間2時間やった後、9時10時とかになって、こっち側で知り合った同じような境遇の人と遊びに行ったりしますね。
さあや:
どんな、どういう遊びでしょう?
Mr.プラー:
そのときそのときによって違うんですけど、私の趣味の釣りとか、こっちに来てから始めたゴルフとかをやったりしています。主には週に1回、釣りかゴルフに行って、他の曜日に1回2回ぐらい食事やお茶をしたりしている感じです。
さあや:
そうなんですね。主夫と聞くと結構家事をされてるのかなっていう印象だったんですけど。
Mr.プラー:
家事はしてますね。掃除とかですね、ご飯作ったりとか。
大体子どもが学校から帰ってくるのが、学校から3時半から4時の間に帰ってくるんで、その間までに、買い物に行ったりして、そっから晩御飯の用意を作るっていう感じですね。
大体夕方4時から5時の間にご飯を作って、妻が大体帰ってくるのが6時前後なんでご飯を食べれるようにセッティングして、食べ始めるっていう、そんな感じですね。
さあや:
お子さんはおいくつなんですか。
Mr.プラー:
今、小学校5年生です。11歳です。
さあや:
そうなんですね。Mr.プラーさんが主夫をされているのが、2年前からっていうことなんでお子さんが9歳ぐらいの時ですかね。
Mr.プラー:
そうですね。
さあや:
最近楽しかったことは何ですか。
Mr.プラー:
普段何気に楽しいことが多いんで、楽しかったことと言われると難しいんですけど、先日自分の姉妹がこっちに遊びに来てくれたんです。バンコクを色々と案内して、ガイドブックに載ってるよりもちょっと細かいようなところに連れて行ってあげたりできるんで、それで喜んでもらえたりするときは楽しいですね。
さあや:
ご兄弟はどういった構成なんですか。
Mr.プラー:
兄弟は、私は4人兄弟で、私は3番目で、兄、姉、私、妹っていう形になってて、この前姉と妹が遊びに来てくれました。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
バンコクにはいつから住んでらっしゃるんですか。
Mr.プラー:
バンコクには2022年の4月からですね。
さあや:
あ、じゃあバンコクにいらっしゃったのと、主夫をされるようになったのが、同じ時期。
Mr.プラー:
そうですね。それまで日本では普通に働いてました。
さあや:
そうなんですね。
人からは性格についてはどんなふうに言われることが多いですか。
Mr.プラー:
性格については、大らかとか、なんですかね。友達が多いとかそういうふうに思われるケースが多いですね。
人付き合いが好きなんで結構広く浅くですけど遊んだりしてますね。
さあや:
自分でもそんなふうに思われてます? 自分の性格について。
Mr.プラー:
そうですね、ちょっとね、そんなに思ってはなかったんですけど、やっぱり自分は、関西の大阪出身なんですけど、こっちに来てやっぱり関東とかいろんな地方の人とよく接するじゃないですか。
大阪にいたときはほとんど大阪から出てなかったんで何も思わなかったんですけど、やっぱり全国レベルで見ると関西の人は人懐っこいみたいな感じで、よく喋って、だからすごく言われますね。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
日本にいたときは、もうずっと大阪ですか。
Mr.プラー:
大阪ですね、はい。
さあや:
バンコクで好きな場所ってありますか。
Mr.プラー:
好きな場所。バンコクで好きな場所は、池ですね。釣りが好きなんですよ。
釣り行ってるときが結構いいなと思ってて、バンコクの釣りするところと言ったらまあ海と釣り堀があって。釣り堀のところは本当にただの池なんですけど、養殖池みたいなのがありまして、こっちはすごく養殖が盛んなんで、その養殖池みたいなところで釣りをすると、すごい自分だけの何か世界になる。
他に誰もいなくてプライベートポンドみたいなところで釣りをしたりするんですけど、そういうのが好きですね。
さあや:
へえ。その自分だけの空間みたいなのが好きですか。
Mr.プラー:
そうですね。自分だけの空間じゃないんですけど本当は。他の釣り人がいないから。私は土日はどちらかというと家族で過ごすんで、土日に行かずに平日に行くんですね、釣りには。
だから平日に釣りにくる人ってタイ人も少なくて、だからやっぱりだいぶすいてて、朝とか行ったらもう自分だけということがすごく多いんで、なんか贅沢な時間やなと思いながら、そこで釣りしてますね。
さあや:
その自分だけの空間というか、あの贅沢な空間っていうのがどうして好きなんでしょう。
Mr.プラー:
そうですね。どうして好きなのか。
多分2年半前までは普通に日本で働いてたんで、今47(歳)で45ぐらいでこっち来てるんで、20年以上日本で働いてて、社会人生活20年ぐらいやったらやっぱり、なかなかそんなにゆっくりする時間ってなかったんで、そういう時間が欲しいなと思ってたのが今それは叶ってるっていうので多分、嬉しいんだろうなと思います。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
他にどんな時間が好きですか。
Mr.プラー:
そうですね。料理を作ってる時間とか結構好きで、その家事の中でも料理が自分の中でのメインな仕事かなと思ってて、なんか気合入れて、1週間の献立を事前に決めておくんですね。
食べた後も晩ご飯は月曜日はこれ、火曜日はこれっていうのを記録してて、タイに来てからの晩ご飯は全部日記をつけているんです。日記にいつ、何を食べたか書いてあると、最近この晩ご飯は食べてないからこれをしようとか、1週間の献立をつくるのにも役に立っています。買い物も献立を決めていると買いやすいです。料理を作ってるときは充実してますね。
何か狙い通りできるのが楽しくて、好きです。
さあや:
狙い通りできるっていうのは?
Mr.プラー:
美味しくできるというか何か、自分が思ったイメージの味ができてるとか。
さあや:
それは喜怒哀楽で言うとどういう感情ですか。
Mr.プラー:
喜怒哀楽で嬉しいっていうかどっちかというと、わくわくするっていうか、なんかやっぱり料理はちょっと工作やもの作りに似てるかなと思ってて、過去の経験も活かされて、前よりもうまくなってるとか前よりもスムーズなってるとか、前よりもイメージ通りになっているということですかね。
やっぱりこっちに来るまで、日本にいるときは料理とかしてなくて、妻にやってもらってたんですけど、それがこっちに来てやるようになったらまじめに自分でやるじゃないですか。
さあや:
はい。
Mr.プラー:
1回目とかはやっぱりイメージ通りにできなくて、ハンバーグを作ったら一応ハンバーグはできるんですけど、もっと自分のイメージしてるハンバーグの味はあるけど、できた料理は何か違うなとか。その辺はちょっと距離があったのがだんだんイメージが近づいてきて今2年半ぐらい、2年3ヶ月、4ヶ月経ってきて、だいぶ自分のイメージした味になるようになってきて、それが楽しいですね。
さあや:
料理されてるそういう過程とか、実際の料理については、ご家族はどういったコメントをされてるんですか。
Mr.プラー:
そうですね、評価としてはわかりやすくて食べてもらうときにやっぱ美味しかったらたくさん食べてくれるし、またやってよ、作ってよって言われるし。そうじゃなければ何か静かにみんな食べるんで「これはこうしなあかんな〜」とか、自分の中での、ちょっと次の創意工夫に繋がっていくかなっていう感じですね。
さあや:
好きな食べ物は何ですか。
Mr.プラー:
好きな食べ物ですか。そうですね、いろいろあって基本的に日本食のものが多分好きなんですけど、やっぱり今タイにいるんで、タイならではの好きな食べ物で言うと、屋台とかで売ってるね、焼きナマズみたいなのがあるんですよ。
さあや:
焼きナマズ。はい、はい。
Mr.プラー:
日本にいたら鮎とかを串刺しで焼いて炭火で焼くじゃないすか。
さあや:
はい。
Mr.プラー:
あんな感じで30センチぐらいのナマズが串に刺して売ってるんですよ。タイ語で言うと、プラー・ドゥックヤーンって言うんですけど。
さあや:
プラー・ドゥックヤーンですか。
Mr.プラー:
はい、プラー・ドゥックヤーン。プラー・ドゥックがナマズで、ヤーンが「焼き」って意味なんすよ。焼きナマズっていう。それがやっぱりタイ来てすごく美味しくて。
さあや:
なんか日本で食べるもので似てる味の料理ってありますか。
Mr.プラー:
基本焼き魚なんですけど、(笑)
さあや:
はい。(笑)
Mr.プラー:
やっぱ炭火で魚を焼くってのがすごい調理法で、なんかいい具合にその水分も抜けてそれでいてなんですかね、塩加減とかも美味しくなったりするんですけど、そんな感じでプラー・ドゥックヤーンもすごく絶妙に美味しくて。
ナマズって元々身が柔らかいんですよ。白身の淡白な味で、自然な塩とかあとこっちではタレつけて食べるんですけど、そういうので食べるとすごく美味しいです。あと魚の味には少しうるさくて、元々実家が魚屋なんですね。
さあや:
あっ、そうなんですね。
Mr.プラー:
親父が魚屋さんやってて、子どもの頃から結構魚いっぱい食べてて、正月なったら焼き鯛を作ったりするんでそういうのをずっと小学生の頃からずっと手伝わされてて、焼き魚を結構焼かされてて、そういったので何か余計に焼き魚としてのプラー・ドゥックヤーンのポテンシャルはすごいです。味わい深いんで、いや美味しいな。
でも日本の方はなかなか屋台で売ってたりするんで、衛生面を気にして食べない方多いんですけど、食べてみたらすごく美味しいのでおススメです。
さあや:
ご自身でプラー・ドゥックヤーンを作ったりはしないですか。
Mr.プラー:
しようと思ったできるんですけど炭火とかがやっぱ起こすん面倒くさいし。(笑)
魚もね、売っててぱって買えるんですけど、タイではプラー・ドゥックヤーンがすごく安いんですよ。
さあや:
いくらぐらいなんですか。
Mr.プラー:
こっち側のお金だったら1匹30バーツぐらいなんで、1パーツが4円で換算して1匹120円ぐらいですね。
さあや:
ふうん。
Mr.プラー:
すごく安くて、何か自分で作って同じクオリティにするまで多分何回かやらないとできないと思うんで、買ったらだいたい同じレベルのプラー・ドゥックヤーン食べれるから、なかなか自分でも作ろうと思わないですよね。(笑)
そうタイ料理で思い出したんすけど、タイ来たとき当初は友達もいなくて、することがなくて、何か習い事しようと思ってタイ料理を習いに行ったんですよ。
1年間ぐらい毎週、1週間に1回タイ料理を習いに行って、1年間通ってタイ料理の修了証をもらうまでになって。
さあや:
おお、すごいですね。
Mr.プラー:
それで結構タイ料理には何かちょっと知識は深くなって、やっぱりレストランでしか食べれないようなタイ料理とかは、なんかやっぱり自分でも作ってみようと思って、作ったりはしてます。
さあや:
そうなんですね。
結構お料理を突き詰めたり、献立を決めてやりますみたいなところが、昔から何かに取り組むときはそういう姿勢のことが多いんですか。
Mr.プラー:
いや、多分そんなことはないですね。結構飽き性で、幅広くいろんなことをやるんでしょうけど、多分、家が魚屋とかもあって、食にだけ関してはちょっとこだわりがあったっていうか。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
それで、時間があるじゃないですか。それで役割として食を作る家族の役割をもらったんで、それで何かやっぱりこういうふうにしていきたいなと自分の中で力を入れてるんかなと思いますね。
さあや:
この2年前から主夫をされて、それ以前と生活が大きく変わったっていうお話だったんですけど、2年間この生活を続けてこれたのはなぜですか。
Mr.プラー:
なぜ。難しいですね。なぜ。
やっぱり一番には妻が海外で仕事をしてくれたっていうことが、大きいことだなと思いますね。
海外にきたら、私は家族滞在ビザで来てるんで、ビザの関係上こっちでは働けないです。だからそういう前提で、もう働かずに主夫みたいな、家事が仕事という、そういうのがメインになっています。
日本にいるときはバリバリ共稼ぎだったんで、なんかそんなイメージはなかったんですけど、こっちではビザの関係で、もちろんね、家族滞在ビザからこっちが仕事先を見つけて、就労ビザに切り替えたら働けるんですけど、なんかそんなに無理して働かんでもいい状況を妻が作ってくれているのが大きいですね。状況が許すので、それで今の生活をしてますね。
さあや:
そういう制度面での背景っていうのもあるんですね。
Mr.プラー:
そうですね、はい。
過去:そういうふうにちょっと人の考え方、気持ちとかに対して、何か「自分が知らないから知ろう」という気持ちはすごく強くなりました。
さあや:
過去の質問に移っていきたいと思うんですけど、子どもの時はどんな子でしたか?
Mr.プラー:
子どものときは基本、協調性のない変わった子どもでした。
自分のしたいことだけをしようと思う、とてもマイペースで、生き物が好きだったんでザリガニ釣りとか、そのカブトムシとかそういうの捕りに行くのがすごい好きな子どもでした。
さあや:
なんか協調性がないっていうのは具体的にどんなイメージですか。
Mr.プラー:
子どものときは協調性がないとは思ってなかったんですけど、大人になってからの仕事がね学習塾の先生やったんすよ。
20年間ぐらい学習塾の先生でいろんな子どもを見ていて、ぱっと見て日本の子どもってやっぱり協調性のある子が多くて、みんなでまとまって行動するんですね。中にはやっぱり輪から外れる子っているじゃないですか。それを見てて「昔の俺やな」っていうふうに思うことが多くて。
だから自分はすごく協調性がなかったんやなっていうのは、思いますね。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
なんか同調圧力って言ったらいいんですかね、周りがこうしてるから自分はこうしないといけない、そういう気持ちが薄いというか、希薄というか。
みんなが同じことをやってるけど、「俺は今これしたいからこれすんねん」みたいなそんな感じでやってたんで、はい。
さあや:
やりたいことが結構明確だったんですか、昔から。
Mr.プラー:
そうですね。生き物がめっちゃ好きなんで、水溜まりを見つけたらそこに虫とか魚がいないかなとずっと見たりしていました。今も時々していて、妻によく注意されます(笑)
さあや:
そうなんですね。小学校とか中学校で力を入れてたことってありますか。
Mr.プラー:
力入れてたことですか。
いやもう特には覚えてないですね。生き物の飼育とか、そういうのには何か自分は興味もってやってたと思うんですけど、力入れたかって言われるとね、子どもやから基本的に飽きっぽいんで餌あげんの忘れたとかいっぱいやってたし、だからすごい適当な感じで生きてましたね。
さあや:
なるほど、放課後とかって何されてたんですか。
Mr.プラー:
放課後はずっと遊んでたと思いますね。なんか宿題をやったとかそんな記憶もなくて、ずっと何か小学校のときは学校から帰ってきたら、友達んち行って遊びに行ったり、近くの公園で野球したりとか、生き物を捕まえに行ったりとか。
中学校なると部活動で水泳部に入ってたんで、夏は水泳を頑張ってやってて、水泳部って秋から冬にかけて主な活動ってなくなって陸上トレーニングとかになったらもうすごくあっさり終わるんで、終わったら友達んち遊びに行ってゲームしたりとかそんなんをしてました。
さあや:
そうなんですね。水泳とかをやめた後は、どんな生活されてたんですか。何か力入れてたこととか。
Mr.プラー:
力入れてたことは高校生になってから空手道場に通って、空手道場に3年間通ってましたね。
さあや:
部活ではなくて道場だったんですか?
Mr.プラー:
そうなんです、部活ではなくて、家の近所に空手をやってるとこがあって、あ〜空手やろうと思って。
本当はボクシングがしたかったんですけど、ボクシングが家の近くになくて、なんかどこ行ったらいいかわからへんなと思って、家の近くから歩いて行けるようなとこに道場があったから空手を習い始めましたね。
さあや:
ボクシングがきっかけだったと思うんですけど、どうしてそれを始めたいと思われたんですか。
Mr.プラー:
そうですね、漫画の影響ですかね。なんかやっぱ格闘技好きの漫画とか何とか、「明日のジョー」とか、そういうのが好きだったんで。強さに憧れて始めたとかそういう感じですね。
大学生なったら空手も行かなくなってやめたんですけど、つい最近タイに来て今3年目やから、1年目はタイ料理やって、2年目は自分の中でYouTubeを始めようということでYouTube力入れてて、大体3年目になってちょっとYouTubeとかもなんか飽きてきて、違うことやろうと思ってムエタイを始めたんです。
その高校のとき空手がやっぱり繋がって今年の6月ぐらいからムエタイのジムに週1回通ってますね。
「タイ行って何してきたん」てなったら何かやっぱりね、答えられるものがあった方がいいなと思って、「ムエタイ習ってたよ」とかいうのも、お話としてはいいかなと思って今やってますね。
さあや:
今お話いただいて、過去を振り返ってご自身のやってきたことに対して何か思うことありますか。
Mr.プラー:
いや特にはない、そのときそのとき思い立ったことをやりたいっていうのがあって、それを結構優先してるから特に何か一貫性はないな〜と思います。
さあや:
ああ、そうなんですね。
Mr.プラー:
そうですね。小・中・高とかも、これがしたくて本当にやったってのはないですね。でも気がついたらもう1回やりたいなとか、思ったりとかもしてて。
さあや:
ご家族からはどんなふうに育てられたんですか。
Mr.プラー:
家族から、親からはそうですね、4人きょうだいの3番目なんで、一番下でもないからなんかそんなに手をかけてっていうイメージはなかったんですけど、でもなんか上に2人いるから、上の2人を見ながら要領よく自分ではやってきたなって感じはしますね。
「これやったら怒られるからこれやめとこう」とか、「これはやった方がいいな」とかも、取捨選択を何かうまくできたなと思いますね。
さあや:
ごきょうだいの中ではどういうポジションですか。
Mr.プラー:
ポジション。そうですね、比較的真面目やったなと思いますね。一番、自分で言うのも変ですけど親孝行やったなあと。
さあや:
そうなんですか。
Mr.プラー:
4人兄弟で、家が魚屋を営んでたんで、いろんな家の手伝いとか率先してやって、小学校5年生か6年生ぐらいから魚屋の片付けを手伝ってました。その片付けを月から土曜日の夕方6時ぐらいから8時ぐらいまでやってて、それを高校3年生の卒業するまでやってましたね。
さあや:
ふうん。他のごきょうだいがされてないときに、どうしてMr.プラーさんは率先してされてたんですか。
Mr.プラー:
いや、もう周りが誰もしないから、お母さんがかわいそうと思ってやってましたね。
やっぱり商売の仕事とか大変なんで。ほんで自営業、そんなたくさん人を雇ってるわけじゃなかったんで、すごくやらないといけないことがたくさんあるのに1人でやったりとか、2人でやったりするのではなかなか終わらないんで。
夜遅くまでお父さんお母さんが働いてたら、やっぱり不憫に思うじゃないすか。そういうのを思って手伝ったりしてましたね。
さあや:
なんかさっき協調性がない子どもだったっていう話もあったんですけど、それとは少しイメージが違うなっていう印象を受けます。
Mr.プラー:
そうですね。でもその協調しようと思ってやったとかじゃなくてやっぱり身近な親とか誰か知ってる人やから助けたいと思っただけなんで、協調っていうかたくさんの人に合わせようという気持ちはないんですけど、全くもって。人に対して無関心かっていうとそういうわけでもないみたいな。
したいことが親を助けたいこと、手伝いたいだけやったんでしょうね。
さあや:
他にも人が困ってる場面とかでは、やっぱり「率先して手伝いたい」っていう気持ちになったりするんですか。
Mr.プラー:
それはありますね。何となくですけど、その全員を助けたいって気持ちはないですけど、知ってる人とかが困ってたら助けてあげたいし、自分で助けになることなら助けてあげたいなっていう気持ちはすごく強いですね。
さあや:
どうしてそういう気持ちになるんでしょう。
Mr.プラー:
まあ、なんでかわかんないすけど、でも振り返ってみると、道徳とか倫理観とか、そういうのに関して関心があったんですね。
さっき言った協調性がないからやっぱ中学生ぐらいになると、周りから結構言われるんすよね。「お前ポリシーないな」とか「お前常識ないよな」とか言われて、「常識って何やねん、俺はお前が持ってる常識で生きてないねんけど、その常識ってなんやねん」って友達に言ったらすると、そしたら友達が「常識は常識やろう」って言って、説明しないといけない言葉で説明をしてくれないみたいな感じやったんで、そこで自分の中で「常識って何やろう」とか、「ポリシーっていうか、モラルとか、何とか法律じゃないところの、これはしてないといけない道徳観てなんなんやろな」っていうのを中学校ぐらいから考えるようになって、やっぱ自分にはその最初から備わってる感じではなかったんで、その辺は道徳の教科書読んだりとか、哲学書と呼ばれるものを読んだりする方法にたどりついて、高校くらいの時は、そういうのを読むの好きでした。
私は大学受験で1年浪人をしたんですがそのときに、高校では習ってなかった倫理っていう科目があって、浪人の1年間の時間があったから、自分で勉強しようと倫理の教科書を一生懸命読んで、勉強しました。
なんかやっぱそう行動すると、将来は倫理学を深めたいなと思って、大学は哲学科に行こうと思って、哲学科、哲学専攻のある大学を受けて、人の考え方、気持ちとかに対して、「自分が知らないから知ろう」という気持ちは強くなりました。
さあや:
へええ、そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
実際その哲学を大学で勉強されて、どうでした?
Mr.プラー:
まあ、行ったら行ったで、僕はどっちか倫理学に近いところを勉強したかったんやと思うんですけど、哲学っていうジャンルには倫理学、宗教学、哲学とかいろんなのがあるんですけど、やっぱバリバリ哲学と呼ばれるような、「自分の存在理由を考える」、そういうのを勉強したりして、「全然イメージと違うな」と思いながらも、普段日常生活ではしないようなことを繰り返しするのが好きやったんで、まあ楽しかったですね。
さあや:
そうなんですね。今の生活で、頻繁に思い出したり、何か判断の軸になってるような考えとかってありますか。そういう哲学で学んだことで。
Mr.プラー:
そうですね。そこでたくさんの先人、哲学者のいろんな考え方を勉強できたんで、やっぱり自己と個となるものを意識する力が強くなったと思いますね。自分の個性であったりとか、考え方っていうのかな。
バンコクに来て、自分のアイデンティティっていうか、日本人であったりとか、男性で、40代で、とかいろんなカテゴライズされるものはあると思うんですけども、自分はその中で仕事をしてなくて、いろんなカテゴリーから外れていくんすよ。
自分が思ってた大多数のメジャーなカテゴリーじゃなくてマイノリティな存在になるんですけど、なんかマイノリティを受け入れるのにはすごく役立ちましたね。
さあや:自分がマジョリティーじゃなくなるっていうことを受け入れるっていうことだと思うんですけど、何か葛藤とかもありました?
Mr.プラー:
そうですね。最初は多分ね、ありました。
タイに来て、朝お弁当作って、家族の人は、子どもは学校で妻は会社とか行ってそれぞれ新しい社会とか、集団に入ってるじゃないすか。
でも、自分は何の集団にも入ってなくて、家にいるだけで、友達もいないですねタイに。その辺で「何かの集団に属したいなって気持ちが人間にはある」と思うんで、そういうのを埋めていくのにいろいろと葛藤はあったと思います。
さあや:
うーん。具体的にはどういうふうにそれを埋めていきましたか?
Mr.プラー:
そうですね。習い事でタイ料理教室行ったりとか、そのときはオンラインじゃなくて週1回、週2回かな、タイ語教室に習いに行ったりして、人との繋がりを求めて、外には出ていきましたね。
あとは週1回タイに来て、プロテスタント系のキリスト協会に通うようになりました。大学も仏教系の大学だったので、通うつもりもなかったんですけど、たまたま知り合いの人が通ってて、その人に「暇やったら来たら?おいでよ」って言われていくようになって毎週通ってて、やっぱり自分の居場所もできてきて、洗礼を受けて、今ではクリスチャンです。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
そういう自分の中の何か心境の変化とかもあったりとかして、そういう何かいろいろ気づくことは多かったですね。
さあや:
うん。そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
この後、未来パートの質問に移ってくんですけど、過去の部分で話しておきたいことってありますか。
Mr.プラー:
過去の部分で職業が学習塾やってたんですけど、学習塾の先生で結構バリバリやってて、自分のしたいことが結構子ども的なもの寄りの人間なんで、結構子どもからは人気があり、好かれたりしてて。
勤務していた塾は関西の塾で、個別指導という指導の形態があるんですね。先生1名に対して生徒1名から2名っていう。
そういう個別指導の分野で、その会社では一番生徒数を集めることができましたね。
さあや:
人気だったっていうことですかね。
Mr.プラー:
そうですね。僕だけの力というわけでなく仲間にも恵まれたのもあり、ひとつの教室で大体60~70名ぐらいが平均値だったんですけど、自分が集めたのが260名ぐらいの生徒。
で、今もその記録は多分、抜かれてない。そこの最高スコアを自分が持ってるというのが、ちょっと誇れるかなって。
さあや:
どんなところにこだわりを持ってお仕事されてたんですか。
Mr.プラー:
自分も中学校とか塾に行ってたんで、塾にくる生徒は先生に構ってもらいたい。
どんな子でも多分ひと言ふた言でも良いから先生と喋りたいですし、先生と喋らずに帰ると、なんか損した気分ではないですけどなんか面白くないっていう気持ちになるんじゃないかなと。
そこで、ひと言ふた言だけでも、その子の先週との違いとか変化に気づいてあげて、それを話題に挙げてあげてお話をするというのをすごく心がけてましたね。
さあや:
そうなんですね。なんか人生をいくつかの章に分けるとしたら、どこに区切りがきますか。
Mr.プラー:
区切り。
さあや:
はい、例えば3章に分けるとしたら、区切り2つになると思うんですけど。
Mr.プラー:
1つは、サラリーマン、社会人になるっていうので1つ区切りがあって、で、このバンコクに来たっていうので、(2つめの)区切りがあるってそんな感じです。
さあや:
サラリーマンになるっていうところを区切りはどうしてそこに区切りが来るんですか。意図というか。
Mr.プラー:
過去の延長線上とは違ったベクトルで動き始めてるかなっていう、そんな気がしますね。
さあや:
その前は、どういうベクトルですか。
Mr.プラー:
学業自体ってのは学校の尺度があるじゃないですか。大学やったら大学の尺度、高校の高校の尺度とか。
で、その尺度に沿った世界でのスコアを競ったけど、サラリーマンになったら、会社の尺度で生きていって、バンコクになったら、他人の尺度じゃなくて自分の尺度っていうか、自分の心の持ちようで生きてるっていう、そういう感じです。
さあや:
わかりました。
未来:新しいことをするのはすごく不安もあるんですけど、なんか自分しかできないことも多いなっていうのを思えるんで、飛び込みたいなって気持ちもありますね。
さあや:
これから未来についての質問をさせていただきたいんですが、5年後とか10年後、あるいは死ぬときまで想像していただいて、未来についてはどういったイメージをお持ちですか。
Mr.プラー:
そうですね。未来には、今海外にいるんですけど、将来的には日本に戻って自分で学習塾を開きたいなと思ってて、学習塾って学校という主体があってそれをサポートするという存在になりがちなんですけど、もちろん、塾なんでそういうことも側面はあるんですけど、どっちかって言ったら生きる力を育てるという、個性を伸ばしてあげて生きる力を強めていけるような塾を作っていきたいなと思ってますね。
さあや:
ふうん。どうしてそういう思いが出てきたんですか。
Mr.プラー:
自分が長いことを塾でこどもを見てて思うことは、子どもの個性を認めてあげたいということなんです。子どものなかでも注目のされ方でメジャーとマイナーに分かれたりすると、メジャーの子らはメジャーの子らに構ってあげたいんですけど、大多数の塾の先生は、メジャーの方行くんで、あまり注目されない弾かれたマイノリティというか少数派の子らにフューチャーしてあげれるような、そういう塾にしたいなっていう、思いがあって。
多分「自分が子どものときにマイノリティやったな、もっと注目してほしい」という気持ちがあるんで、そのときの気持ちはいつも自分の中に持っていて、それを昇華させてあげれるような大人、子どもではなかなか昇華できないところがあるのを、うまく昇華できるようなサポート役の大人になってあげたいなっていう気持ちはありますね。
さあや:
もしそういうサポートができる塾が運営できるようになったら、どんな気持ちになりそうですか。
Mr.プラー:
そうですね。自分の中ではその子が、喜んでくれたら自分の中ではハッピーな満足感のある気持ちになると思いますね。
長いこと子どもを見てきてるんもあって、他の人よりも子どもに対する気づきがあって、この子は今こういう気持ちなんやろなとか、だいぶわかるようになってきたんで、そこでいろんな子どもの気持ちを大事にする環境を作ってあげたいんです、そうすることによって自分も何か幸せな気持ちになりますね。
さあや:
そうなんですね。学習塾の他は未来について漠然としたものでもいいんですけど、何かイメージありますか。
Mr.プラー:
まだはっきりはしてないんですけど、今後も妻の仕事が海外で続くようなら、全く違う縁もゆかりもない国に家族で行って、そこで適応して何か新しい発見をしていきたいなと思ってます。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
そういうご経験が好きですか。
Mr.プラー:
そうですね。新しいことをするのはすごく不安もあるんですけど、自分しかできないことも多いなっていうのを思えるんで、飛び込みたいなって気持ちもありますね。
さあや:
うん。そういうときに不安とかはどういうふうに解消されてるんですか。
Mr.プラー:
正直不安の解消って基本できないなと思っていて、その場面になったときにどう転ぶかだけやと思うんですよ。うまくいくか、失敗するかっていう2パターンだけ。
でも最初からうまくいくことって少ないから自分としては失敗してもいいやと思っていて、でも失敗してもそのままじゃなくて、上手くなるまで続けたらいい、繰り返し、回数を多くやればできるっていう意識ですかね。
多分塾での経験だと思うんですけど、問題を1回目でできる子もいますけど、1回目でできなくても、2回3回とやってみてできる、それでもできなくても25回やったらできるとか、30回やったらできるというのがあるんで、繰り返し回数やればうまくいくなっていうのは自分の中での経験則であるんで、諦めずに続けようっと思ってますし、不安っていうのは失敗する不安というよりかは、初めての事をするドキドキ感。
それが不安なんですけど、自分の中では楽しみたいなと思ってます。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
そうですね。年取ってきたら何かドキドキすることとか、わくわくすること減ってくるんで、マンネリで過去の延長線でやったことばっかりなるんで、やったことのない挑戦する気持ちを忘れずいようと思って。
今思い出したんですけれども、高校のときに好きだった先生が卒業するときにくれた詩がありまして。サムエル・ウルマンの「青春の詩(うた)」というのがあって、それが自分の中のさっき言った、新しいことにチャレンジする気持ちに繋がっているかなと思います。
さあや:
サムエル・ウルマンの「青春の詩」。
Mr.プラー:
そんなんだと思うんですよね。
さあや:
ではもしもの未来の質問なんですが、もしタイに来る機会がなくて日本でサラリーマンを続けているような人生だったら、今どういう人生になってたと思います?
Mr.プラー:
そうですね。多分会社を辞めて、自分で塾をやっていると思いますね。独立してると思います。
さあや:
そうなんですね。そこは、これからの未来にもありそうなことと変わらないですね。
Mr.プラー:
そうですね。いつやるか、40歳でやるか50歳でやるか60歳でやるか、時間的にはズレるかもしれないですけど、多分したいことをやってると思います。
さあや:
そうなんですね。何か気持ち的には何か違いがありそうですか。そのタイミングが違うことで。
Mr.プラー:
歳をとってから始めたほうがたくさんの経験をそれまでしてるんで、自分の中ではうまくいくんじゃないかなという気持ちは強くなります。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい、根拠はないですけど。
さあや:
はい。やっぱり経験をしてると気持ちが強くなるんですか。
Mr.プラー:
そうですね。
自分の中ではやったことあることとやったことないことやったら、さっきの不安じゃないですけど、やったことないほうが失敗するんちゃうかなって気持ちが増えると思うんで、でも長く生きてきたらそれなりの経験してから同じような経験より新しい経験やって、たくさん失敗を早めにやったら、あとうまくいくんちゃうかなと思ってます。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
「これをするまで死ねないな」とか、人生の中でやっておきたいなっていうものはありますか。
Mr.プラー:
そうですね。基本的には何もないですね。したいことは今全力でやろうと思ってるんで。
後悔のないように生きたいなと思ってて、今も自分の好きなことばかりしていて、妻も子どもも許してくれてるんで感謝しています。
さあや:
やりたいことがたくさんあったときに、優先順位ってどういうふうにつけられてるんですか。
Mr.プラー:
そうですね。他の人でもカバーできることか、自分しかできないかをすごく考えてて、仕事をどうするかという判断のときでも、会社側は辞めて欲しくないとかやってほしいとかあっありましたが、家族側を優先しました。会社の自分の代わりは誰かいるけど、家族の自分の代わりはいない。自分でしかできないことを優先してやっていきたいなと思ってます。
さあや:
そうなんですね。
Mr.プラー:
はい。
さあや:
そろそろお時間になるんですが、最後に読者向けでもいいですし、ご自身の感想とかでもいいんですけど、言い残したこと、言っておきたいこと、ありますか。
Mr.プラー:
そうですね。ありきたりかもしれないけどやっぱりインタビューって初めてで、自分の話をたくさん1時間も聞いてくれるってなかなかないんで、他の人にもちょっとこれおすすめしたいなと思いますね。
自分の中で意識していないことも、インタビューで聞かれると意識して考えるんで、言葉になりますね、これってすごいなと思いますね。
お金払ってでもした方がいいなっていう気持ちになりましたね。
さあや:
ほんとですか。ありがとうございます。どんなことについて考えられました?
Mr.プラー:
幼少期とか、小学校中学校とか、普段は深く思い出したりする機会が減ってきてるんですけど、そういうのも聞いてくれたことで堀り起こせましたし。
さっきも子どもにどうしたいかとか、そのときどんな気持ちになりますかとか聞いてくれたときに、自分がなんで学習塾したいかなって考えて、もう1回言語化できて、改めて自分の中での決意とか、マインドも新たになったなという気はしました。
さあや:
普段あんまりこういう学習塾をやりたいとか、そういったご自身の思いについて話す機会ってそんなにないですか。
Mr.プラー:
なくなりましたね。やっぱ学習塾については他人とあんまり話さないんで。だから(機会が)減ってきたんで、すごくいい機会でした。ありがとうございました。
さあや:
よかったです。ありがとうございます。
あとがき
インタビューをしていると、こんな面白い人いるんだなとか、こんなこと考えてる人がいたんだなっていう感動を覚えることがままあります。それと同時に、今日街ですれ違った人、電車で隣に座っていた人、ランチで入ったお店の店員さん、そんな人たちも話してみたらすっごい面白いんじゃないかって、実は世界は「面白い」に溢れていて、それを見過ごしちゃってるのは自分なんじゃないかって思ったりします。今日のインタビューは、マジックショーの万国旗みたいにずっと面白かったです。ありがとうございました!
個別指導塾でバイトしております京都の大学生Meadowです。小気味の良い関西弁インタビュー、たいへん編集のし甲斐がありました。今回は個人的ヒット回でしたわ。特にマイノリティの話とか、日本で社会人をやる感覚とか。わたしも連日、塾で2人の生徒に挟まれながら苦心しております。それにしても神回やった。いつか哲学の道とか歩きながら、理想の教育とかを語り合いたい。わーー、これからが楽しみ。素敵なインタビューありがとうございました!
【インタビュー・編集・あとがき:さあや】
【編集:meadow】
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