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生粋の遊び人
私は今年の2月、スペインの地方を毎日20kmくらいの道のりを5日間くらい続けて歩く、という巡礼みたいなことを卒業旅行で体験しました。
これまで毎日1時間位は散歩していた程度には散歩が趣味と話していた私ですが、2日目の最後には「歩くんじゃなかった」と後悔していました。
けれど、4日目に差し掛かると「ああ、歩いていて気持ちいい」という感情が湧き上がって、やれ太陽やぬかるみの道、手を振ってくれたトラックの運転手、おなじく巡礼者、アルベルゲの優しいオーナーさんなどなど、すれ違う人や自然に感謝したくなっていきました。
人間、ある一点を限界突破すると、これまで感じていた痛みなんてどうでも良くなる。そんな体験をここに書き残してみます。
と思う2024年11月26日0時15分に書く無名人インタビュー940回目のまえがきでした!
【まえがき:一休誰絵(無名人インタビュー副編集長)】
今回ご参加いただいたのは しまづ さんです!
年齢:30代前半
性別:男性
職業:無職
現在:生粋の遊び人ってよく言われますよ。
いまじん:
しまづさんは、今何をしている人ですか?
しまづ:
今職業は特に何もなくって。大体何だろう。昼ぐらいというか、9時ぐらいに起きて、何やってんのかな。記憶は残らないのであんまり分かんないんですけど、記憶があるっていうか、ルーティーンになってんのは、大体0時から4時ぐらいまで、友人とずーっと何かしら話をしたり、各々作業したりもするんですけど。
例えば友人との会話を、録音して。いろんな音声とか録音、カセットテープに録音するんですけど。録音して、カセットテープからUSBに移して、パソコンにまた移すんですけど。それでパッチワークみたいに、例えば女の人のインスタLIVEとかあるじゃないですか。ああいうのとかも、まぁ個人が特定できないようにっていうのを考えてるんですけど。まぁでも友人は「それは別にいい」って言ってるんで、友人のは結構簡単に使わせてもらってるんですけど。
友人とかと、あと音楽もですね。音楽も例えばもう簡単に言えば、重ねてしまえば結構分かんなくなったりするとか、エフェクトかけたりとかして、バックグラウンドミュージック作ったりとか。動画はそうですね。動画はそうだな。自分で撮ったもので、自分が結構ちょっと遅れててデジカメとか使って、散歩してる動画とかあったりするので、そういうのを使ったりして。
全体的にはまぁ動画、音声なしの動画+なんだかよくわからないアンビエントなバックグラウンドミュージック+パッチワークした音声みたいな、なんかそんなものを作ったりとか。最近そういう最先端ではないか、そういうので遊んだりしてますね。4時ぐらいに疲れたから寝るかみたいな感じで寝て、9時に起きるぐらいですかね。
いまじん:
ご友人との話っていうのは、どんなことをお話されてるんですか?
しまづ:
結構本当に多岐にわたるんですけど、それこそでも、何だろう。最近AI強いじゃないですか。彼がAIとかプログラミングとかの仕事をしてるので、そっち。
例えば一時期ハマってたのが、自分たちのペルソナ、ペルソナってわかりますかね?ペルソナを作って、例えば、変な話ですけど、彼と僕との子どもだったらどんなペルソナが出来上がるんだろうとか。この人が劣悪な、良くない環境で育ったらどういうふうな人になるだろうとかっていうので、人を作る。
何歳とか設定、大体ちょっとほぼプロンプトで、このペルソナとこのペルソナの子供っていう感じで。あとちょっと生育環境だとか、ちょっとそのままだと面白くないんで。そういうのでプロンプトで、例えば子供を作って。
例えばこの前作ったのも、すごい良くない環境に育った子供が出てくると、彼の遺伝子を受け継ぐと、プログラミング彼がやってるので、結局それはどうなったかな。なんかハッカーになりましたね。10歳にして、ハッカーになったんで。10歳にしてハッカーに、女の子がなったんで。で、その子を教祖にして教団を作って教団の破滅までをAIに書かせました。とか、そういうでも、でも本当にそんなAIの話だけじゃなくて、結構でもそうだな。
本当に哲学、哲学的な話って言ったらちょっと大げさですけど。彼は結構クリスチャンなんで、クリスチャンで結構悩んだ、プロテスタントだったのがカトリックになったんですよね。そのタイミングでいろいろ相談も受けたりしたり、そう。魂って何なのっていう話とか。
例えばAIが究極的に発展したときに、人間が超えられるものって何かあるかなとか、そういう話とかですかね。ちょっと哲学的な話とかもしたりするし、あともうなんか、でもあんまりふざけた話はしないかな。結構真面目な人だから。
いまじん:
それ以外にご自身で使ってる時間っていうと、何がありますか?
しまづ:
彼女とかと、恋人とかと過ごす時間とかですかね。
いまじん:
どんなことをして過ごすんですか?
しまづ:
例えば、いつだっけ日曜かなんかに六義園とか行ったりとか。
いまじん:
六義園っていうのは、庭園ですか?
しまづ:
東京、駒込にある庭園ですね。その後喫茶店に行ったりとか。だからお互い本が好きなんです。
いまじん:
どんな本がお好きですか?
しまづ:
何だろう。でも入りは明確に覚えてて、中3のときに太宰治の『パンドラの箱』ってやつを読んで、すごい衝撃受けたのを覚えてますね。すごい衝撃受けて、なんて面白い小説なんだと思って人に勧めたら、全然受けは良くなくて、「あれ。何でこれ皆面白くないんだろう?」みたいなのを思った記憶はありますね。だから基本的に純文学というか、私小説が多いかも知れないですね。
でもなんていうか、自分でも書くんですよ結構。自分が書くときはどっちかっていうと、テーマ的には夏目漱石的なテーマが多分大きいような気がしますね。
いまじん:
具体的に言うとどんなもの?
しまづ:
夏目漱石はでも後期ですね。夏目漱石の後期作品の分かりやすいとこでいったら、『三四郎』とか『行人』とか。そこらへんのって基本的に他者への不信感、不信感というか、他者との相容れなさというか、心の通じ合わなさみたいなのを描いてると思うんですよね。なんかこれちょっと違う言葉ないかな。通じ合わなさというか、そうですね。他者と完全に理解し合えることはないみたいな。
特に印象的なのは、『三四郎』も『行人』もそうなんですけど、匂いのない花を嗅ぐっていう表現があるんですよ、どっちも。どっちの作品も。僕これはおそらくそういう意味だと思ってとってるんですけど。自分が書く作品は、結構そういうところの影響が大きいと思いますね。
いまじん:
今現在書かれて執筆中ってことになるんですか?
しまづ:
2020年か。2020年ごろから同人誌に書いてたんですけど、同人からなんだろう。文芸雑誌に書いてたんですけど、でもその頃は全然そんな方向性は特になくて。結構めちゃくちゃというか、めちゃくちゃというか、全然方向性は定まってないで書いてたんですけど。
同人雑誌って編集部があるじゃないですか。作品何個か送りますと。そうすると通る作品と通んない作品がある。つまり、載る作品と載らない作品があるっていうのが分かるわけ。ある意味それがフィードバックになってて、それがなんかね、嫌になっちゃったんですよね。だから結局、編集部の意向に寄せた作品になっていく自分が嫌だったのかな。
何となくそんな気がして途中で、途中でというかいつかな。1年半ぐらいかな前から多分書いてないと思いますけど。そっから自分の軸どこかなって思って書き始めたのが、さっきの言ったテーマはそういうところにあるんですけど。
いまじん:
これはどこかに載せたりとか公表というか、発信みたいなのはされてないんですか?
しまづ:
基本的に自分のために書いてる感じなんで、あんまり。でもそのときの同人雑誌の同い年ぐらいの人が、ZINEっていうのを作りたいって言って。
いまじん:
マガジンのジンをとって「ZINE」ですよね。
しまづ:
はい。「何か書いてない?」って言われて、一応「書いてるけど」って言ったんですけど。
別に何もフィードバックも返ってこないから、いいかなと思ってるんですけど。でも校正とかするんだろうなと思うと、気が重いというか。自分のために書いてたら校正なんかしなくていいわけで。
基本的に僕、アナログなんですよ、書き方は。パソコンで打てない、パソコンで書けない人なんで。全部打ち込まないと。20作品とか30作品とか打ち込まないといけないから。それもまぁ・・・っていう感じで、思ってるんですけど。
いまじん:
原稿用紙で書くんですか?
しまづ:
本当にもう藁半紙みたいなやつです。
だから世に出ることは、誰かの目に触れることはほとんどないんじゃないかなと思ってるんですけど。それでちょっと参考までに、自分なりにうまく書けたかなっていうのをチョイスして、「こんなの書いてるけど」ってその方に送ったら、「全く意味がわからない」って言われて返ってきましたけど。
それもそうで、何て言うんすか、抽象的じゃないですか、テーマが。それを変に写実的というか、リアリズムというか、リアリズムじゃないな、写実的に。というか、どっちかっていうとああいう雰囲気に書いてるところがあるので。多分それが、分かりにくいんだろうなとは思ってますけど。僕は自分のために書いてるからいいやっていう感じでって感じですね。
いまじん:
ご自身的には、それを書き終えたときはどんな気持ちだった?
しまづ:
だから1作品ごとにやっぱり書き終えるとなんていうか、作品ごとっていうか、ここまでっていうとこまで書き終えると、自分やっぱり仕事してないから、その日何をした?ってなる、なりがちだったんですよ。今千葉に来てから結構そうでもないんですけど。前大阪に住んでたんですよ。
大阪に住んでた頃は結構、朝起きて「あれ、もう夕方?」みたいな感じでた日々があったんで。やっぱ書き始めてからですかね。今日書いたぞっていう、労働にはならないですけど、何かしらしたぞっていう。自分のためですけど。そういう意味で、自分にとっては意味がある行為。
いまじん:
ちなみに少し話変わるんですけど、しまづさんはご自身をどんな性格だと思っていますか?
しまづ:
今は結構多分、柔和で合ってますかね。あんまり、っていうかほぼ怒らない。10年20年って言ったらおかしいですけど、7年に1回ぐらいしか怒らない。基本的に性格上はそんな感じだから、そうですね。
あと結構我慢する。我慢する傾向・・・もないな。ないな。結構自己中というか、自己中なところはあるんですけど。自己中がゆえに人を傷つけることはないんですよね、あんまり。
いまじん:
どんな時に自己中だなって感じますか?
しまづ:
例えばほら、友人がクリスチャンでしょ。友人がクリスチャンで、友人はだから、イエス、神、精霊ね。聖書。これに従わなきゃいけないと。っていう感じの信条を固く持ってるわけなんだけど。
自分のことを考えたときに、自分が何に従って動いてるかって言えばやっぱ、自分の心地よさとか快楽とか、それが高まる方へっていう感じですかね。
でも浪費って言ったらあれですけど、あんまりお金のことを気にしたことないですね。でもこれ勝手に「精進」って呼んでるんですけど。勝手にっていうか、怠惰な言葉を変えて「精進」って言ってるんですけど。菊池さんって知ってます?菊池成孔って方。
いまじん:
ちょっと存じ上げないです。
しまづ:
彼が言ってるんですけど、コスパが悪いほど気持ちがいいって言ってんですよ。そういう言葉があって、僕も精進っていうのは大体同じような考え方だと思ってるんですけど。だからコスパ悪いほど楽しいなっていう。意味がない、例えばだから、意味がない。意味がないことほど、やっぱ遊びですよね本当。生粋の遊び人ってよく言われますよ。
友人と話してると本当に、アイデアがすごい僕は浮かぶ人間みたいですね。わかんないけど、そういうAI使うのでも、カセットテープ使うのでも、いろんなことをするときに、アイデア浮かべるのがすごいから、勿体ない。社会に貢献しないのもったいないとかって言われる、お世辞言わない人だから、でも本当のこと言ってんだと思うんですけど。自己分析あんまりできないけども、そんな感じと思ったんですけど。
そういえば大阪にいるとき、付き合ってた人がいたんですけど、その人ってその10年前に付き合ってた人なんですよ、埼玉でね。会ったら、「すごい善人になった」って言われました。昔は「デートする度に家に帰って泣いてた」つって。でも僕覚えてないんですよ、10年前のこと何にも。だから昔と今だと多分、全然性格が違うかもしんないですね。
過去:悲しいことっていうか苦しいこととかそういうことも全部無表情にしたら、楽しいことも笑えなくなっちゃった。
いまじん:
これから過去について伺っていきたいと思うんですけど。昔と今は性格が違うっておっしゃいましたけど、昔はどんな人でしたか?
しまづ:
昔はね多分ねだから、まずだからその10年前ぐらいと、高校から中3ぐらいのときと、中2のときと中1からそれ以下っていう感じで分割できると思う、多分。
いまじん:
一番古いというか、小さい頃はどんな子どもでした?
しまづ:
小さいときの多分、いや記憶がないだけかもしれないけど、感情はないっていう感じ。感情がないっていうか。感情多分抑圧したのかわかんないけど、感情はない子でしたかね。
小さい、だから、保育園・小学校から中1ぐらいまで、多分ほぼ何ていうか、だからすごい多分いろんなことあったのを覚えてて。例えばね、鉛筆の芯が今でも刺さってたり、彫刻刀でどっか切られたりとかね、そういうことがあったりとか。なんか僕学級崩壊させたりとか。そんなこともあったと思うんですけど。
あと何だろう。先生に例えば「僕は馬鹿です」って職員室で大声で叫べって言われたら、するような子でしたね。
いまじん:
記憶はあるけどそのときの気持ちっていうのは覚えてない?
しまづ:
そうですね。だから例えば小学校2年生のときに、合唱大好きな先生がいたんですよ。僕合唱ね、する度にね倒れてたんですよ。何だかわかんないんだけど、人と一緒に歌うっていうのはすごい苦手で。若干少し短い間だけ不登校になってて、その先生のことは恨んでたのかな。恨んでたかもしれない。それだけ覚えてるかも。恨んでたかもしれない。でもやっぱり捏造かもしれないけど。
恨んでたかもしれないなと思うのはなぜかというと、4年生になったときにその先生ね、事故で亡くなったんですよね。「あぁ、あんときに僕に歌わせた報いだ」みたいな。これ捏造かもしれないけど。いやでも、そんなこと思ったような記憶があったりします。そんなもんかな。小学校とかそこらへんは。
いまじん:
高校から中3とさっきおっしゃってましたけど、中3で何かあったんですか?
しまづ:
だから中2ときに初めてね、学校とかクラスの中のヒエラルキーっていうのを意識し始めて。どうすれば全員から好かれる人間になれるかっていうのを考えたときに、中1から野球やってたんですけど、野球部で同じクラスで、中2も同じクラスでっていう、結構親友に近い、親友と呼んでた子がいたんですけど。
中2のときにその子ね、ずいぶん馬鹿にする、何をしたのかちょっと覚えてないんだけど、とにかくその子をねいじめる、いじめるじゃないけど、馬鹿にするかなんかよくわかんないけどして、それでなんかクラス全体の笑いをとって。で、自分は勉強はまぁまぁできる方だったので、それでどんどんヒエラルキー的なものでは結構上の方行って。
だから僕、あのときは万能感があったな。何しても、「自分は大丈夫」っていう。例えばほうき投げても大丈夫だし。本当に何しても大丈夫っていう万能感がありましたね。その子はね本当にね、かわいそうっていうかね。大学生のとき謝りましたけどね。謝ったけどちょっと謝りきれなかったですね。
で中3になるわけなんですけど。中3になって同じことをね、いないかな、ターゲットいないかなと思って、同じようなことをしようとしたら、いないっちゃいなかったんですけど。「でもこの人でいっか」と思って、おとなしそうな人前にいたから、前の席にいたからこの人にしようかと思ってやったら、それが運悪くというか、なんかどうも陰湿な子たちでグループで、逆にね、僕がねいじめられる形になるようになったんですよね。これが因果応報というやつでね。
いじめる人たちの感情っていうのを考えた場合に、なんでいじめる人たちはいじめたいのかって考えたときに、いじめられた人の反応が面白いんですよね、結局。だから僕はもう何されても無反応・無表情・無言。これを貫いたところ、本当にいじめられなくなって。逆になんかその子たちから尊敬されたりしたんですけど。その子たちの1人かな。そうだね。尊敬されたりもしたんですけど。
でももうなんかね、そのときのせいでね、本当に。好きなバンドがSyrup16gっていうバンドがあるんですけどね、「悲しみを追い払ったら喜びまで逃げてった あの日から僕は全力で走ることをやめたんです」っていう歌詞があるんですけど。その通りで、本当にそういう悲しいことも、悲しいことっていうか苦しいこととかそういうことも全部無表情にしたら、楽しいことも笑えなくなっちゃった。美味しいことも美味しいと思えなくなっちゃう。嬉しいことも嬉しいと思えなくなっちゃう。
だから、中2のときに元親友が浮かべてたあの変な笑顔の意味がわかったなって、そのとき思いました。歪な笑顔っていうか。
いまじん:
それはいじめられるようになってから気がついたことですか?
しまづ:
いじめられて、解決策を探して、無表情・感情を表さない・リアクションを起こさない、そしてそれをずーっと続けてたんですよ。そしたら、悲しいことも確かになくなったけど、嬉しいことも同じようにリアクションもできないし、何も思わないし。だから高校も第一志望校に受かったけど、県内で一番良い高校に受かったけど、そのときに何も。
例えば先生に、中1・中2の先生は僕のことを本当に、「息子に紹介したい」「友達になってほしい」っ言うぐらい、僕のこと買ってくれてたんですけど。その先生に「おめでとう」って、「お前ならやれるとと思ってたよ」みたいな感じで握手を求められたときに、もう別に何にも嬉しくないというか。
感情が出てこなくて、もう何にも、ただ無表情で握手したのを写真に撮られたんですよね。その写真が残ってるんでわかるんですけど。無理やり笑顔を作ろうとしてるんだけど、全然作れてないっていう。
高校生はもう本当その地続きなんですけど、でも高校生もね高校生で何とかしようと思ったんでしょうね。でも何とかしようと思ったときに多分、本当は違う方向で考えるべきだったんだろうけど、僕はちょっともう自分の力ではどうにもならないと思って。
例えばカフェインとかあるじゃないですか。カフェインを大量に摂取したら、僕は苦しんだりするんじゃないだろうかとかね。もしくはハイになったりするんじゃないだろうかとか。そういう方向に。言ってしまえば最終的にはコデインとかそういうエフェドリンとか、そういうブロン錠ですね。もうそれにたどり着くわけなんですけど。
一番最後まで響いたのは自傷かな。自傷行為がすごいずっと続きましたね。あれは本当に痛みもあるし、快感もあるから、一番感情が動く行為って感じですかね。
いまじん:
そういう状況っていうのは、いつ頃まで続いてたんですか?
しまづ:
どうですかね。でも大学生。僕1回、浪人したくて受かったんだけど、1回休みしてるんですよ、高校卒業してから。そのときに交際みたいなのをしたときぐらいから、変わり始めた。男子校だったんで、高校生のときとか。男子校だったし。そこら辺から少しずつ、少しずつ変わり始めたけど、やっぱり何だろう。
自分の中で、自分は全然何もないから。いろんな交際相手はいても、例えばどっかに行こうっていうときには、そういうね、OTCの薬とかを飲んでた記憶がすごいありますね。カーペンターズの曲を聞きながら飲んでたな。イエスタデイ・ワンス・モアだったかな。
いまじん:
付き合っていた人と一緒にいるときとかは、どういう感じだったんですか?
しまづ:
だから、素の自分は多分駄目。だから、薬を飲まないと駄目っていうイメージ。
いまじん:
素っていうのは、どういう状態ですか?
しまづ:
無表情の感情・リアクションなし。ただ、高校1年生のときから8年間ぐらいずーっとインターネットで、交流があった人がいて。僕は本当に文章は好きというか、その人のせいで文章が好きになったと言っても過言じゃないんですけど。
たまたまそのSyrup 16gっていうさっき言ったバンドは、五十嵐隆っていう方がボーカル・ギターなんですけど、同じ母校だったんで。それで彼女がまずそっちのバンドが好きで、
「その人と同じ学校なの?」っていうんで、最初確か意気投合した記憶を鮮明に覚えてますね。そっから8年間ずっとやり取りしてて、その人の文章が一番好きでしたね。
だから、何だろう。8年間だから、多分大学卒業して就職するまで、就職してまでぐらいなんですけど、その間も付き合った人には申し訳ないんだけど、目の前にいる、付き合ってる人は、「あの人じゃない」っていつも思ってました。「あの人ではない」「あの人とは違う」って思ってましたね。
そのインターネット上の人は1つ下で、僕1回休んでるんで、同学年で大学が上がってるんですけど。その人が京都の大学行ったので、20回ぐらい僕京都行ってるんですよね。でも1回も会ってないんですよ。
いまじん:
どういうことですか?
しまづ:
その人が例えばブログで書いてた場所。例えば、梶井基次郎の『檸檬』ってあるじゃないですか。檸檬の果物屋の看板があったんですよ。それを見たとか、南禅寺に夜横たわって寝てたとか。そういう一つ一つを拾ってって、毎回同じルートをずっと歩いてましたね。
いまじん:
聖地巡礼みたいなことですか?
しまづ:
ある意味そうですね。向こうの方も来たんですよ。でも会わなかったですね、やっぱり。
いまじん:
それはどうしてですか?
しまづ:
わかんないっすね。いや別に会うのが怖かったとかそういうのは全然なくて。本当に、多分ね後から知ったんだと思いますね。彼女が帰ったあとで、記事で。連絡先も全然交換してなかったんだよ。
いまじん:
会いたいみたいな気持ちは、その当時はなかった?
しまづ:
なかったんでしょうね、きっと。でも住所は知ってたんですよ。手紙はいつか送るって言ってたんで。いつか送るじゃなくて、僕が送りますって言ってたんで。
でも結局ね、大学1年生のときに送りますって言ってから、結局3年生か4年生で、唯一の彼女の残ってる手紙が、「私から出せばよかった」っていうそれだけ。その手紙だけ残ってますね。僕はその人がいる京都に、何でもいいから京都にと思って就職して、って感じですね。
いまじん:
就職してから今の間までっていうのは結構いろんなことがあった感じですか?
しまづ:
女性のこと以外で、多分引っ越したことはないんですけど。8回ぐらい引っ越してると思いますね。
しまづ:
それは女性関係でってこと?
しまづ:
そうですね。基本的にそうなります。だからいろんな、福島とかも行ったことあるし。京都から大阪、大阪市内から大阪市外とかなんか訳わからない。大阪市内でもまた別の場所とか、いろんなところ。めちゃくちゃ引っ越しは本当にしてますね。
いまじん:
今は千葉に住んでいる?
しまづ:
そうですね。千葉に住んでる感じですね。
いまじん:
どこが一番住んでて良かったとかありますか?
しまづ:
僕、大学のとき、都市計画研究室っていうとこにいたんですけど。っていうのも僕すごい歩くの好きなんですよ。街を歩くのがすごい好きで。それはでも京都2時間も歩いたって言ったら、大体察するところだと思いますけど。とにかく歩くのが好きで。
だから京都はアガりますね、やっぱり。京都は何といっても、有名ですけど碁盤目状じゃないですか。そうするとね、どうなるかっていうと、道がまっすぐだから、で盆地だから、まっすぐ先に山が見えるわけですよ。こういうのを都市計画的な「借景」とかっていうんじゃないでしょうかね。
そういうふうに街の中に、いろんな建物と普通のデパートとかも、デパートって言うか高さ制限があるから、あんまり高い建物はないですけど。普通に街がありながら、家もありながら、その奥には自然がちゃんとある。
あともう一つ言えるのは、これは僕も多分そうだと思うんだけど、研究の中で人っていうか、違うところから来た人がまず最初に地域に愛着を持ちやすいっていうのは、親水空間っていう研究があるんですよ。京都って鴨川があるじゃないですか。僕ももれなく鴨川ずっと歩いてましたね。
だから、やっぱり自然と、神社とか仏閣もそうですけど。自然と人のなんつうのかな、営みがちゃんとやっぱ道路のまっすぐなってることで、景観として融合してるとこは本当に素敵だなと思いますね。
いまじん:
そういうところに行くと、どういう気持ちになりますか?
しまづ:
もうね、いくらでも歩きますね。もう5時間とか6時間とか歩きますね、本当に。
いまじん:
歩いてるときは、どういうことを考えてるんですか?
しまづ:
すごいいいなーっていう。ここに人が住んでんだな。川が流れてるな。あそこの山登れんだな。とかって考えたり。本当にいい街だなって。ここに住みたいっていう感じですかね。
でもね、今いるところも結構いいとこなんですよ。でもここはちょっと説明するのは難しいけど、何だろう。ちょっと田舎なんですけどね、千葉の。とにかくなんかね、あれなんですよ。土地が多分安いんでしょうね。広い家というか、昔から多分住んでらっしゃるんだろうっていう。大きな家、地主みたいなそういうことじゃなくて。一般的に言って大きめの家が多くて、大体庭があって。
皆さんね絶対ね、必ず花とか、ほとんど7割方木を植えてるんですよね。これはすごいなと思って。本当にだからここも自然。そういう共存が僕好きなのかもしれないですね。自然とそういう人が住んでいるっていうことの共存。
例えば、ちょっともうびっくりしたんですけど、セブンイレブンであれが売ってるんですよ。植木っていうかなんつうか、ポットっていうか、草が入ってるやつとか売ってるんですよね。
こんなとこあるんだ。みんなでもそれは植えてるもんなと思って。どこでも植えてるもんなと思って。好きですねここは結構。結構だから夜とか、0時から友達と話すときなんか、考えるときって結構歩くこと多いから、もう夜中2時3時とかに歩きながら話したりすることもありますね。
未来:今未来のキャンバスがあるとしたら白紙ですね。
いまじん:
未来のお話を伺いたいと思うんですけど、今後何かどこに住みたいとか、
しまづ:
僕はここに永住しますね、多分。
いまじん:
今の千葉の場所に?
しまづ:
うん。いややっぱり恋人好きですね。好きですっていうか、好きなんで近くに住みたいから、やっぱりここがいいかなって思いますね。ちょっともう考えられないですね、他は。よほどのことがない限り。
いまじん:
次の質問なんですけど、5年後10年後、最後自分が死ぬというところまで見据えた上で、しまづさんの未来はどんなものですか?
しまづ:
僕は結構直感的な人間なので、即興なんです、即興。だから今未来のキャンバスがあるとしたら白紙ですね。キャンバスは白紙です。今から描いてく。今から即興で描いてく感じですね。描きたいように描きます。
ただ、僕はてんかんという病気があるので、あんまり平均寿命とか35とかって言われてるので、ちょっとわかんないですね。そこら辺はあんまり気にしないです。あんまり気にしないで、うん。即興ですね。描きたいように描きます。
いまじん:
もしもの質問っていうのをしているんですけど。いじめっていう結構壮絶な時期があったと思うんですけど、もしもそういう辛かった経験っていうのがなかったら、今のしまづさんはどんな風になっていたと思いますか?
しまづ:
多分個人的な性質みたいなのは変わらないと思うので、何らかの研究分野に進んでたんじゃないかなと思いますね。お遍路ってわかりますかね。あれって杖をつきながら歩く、僕やったんですけど、杖つきながら歩くんすけど、あんな感じで杖つくとコンコンコンコンって音が鳴るんですよ。
あんな感じでなんていうのかな。一歩ずつ歩くような研究っていうかな。一つずつ進めていく、粘り強くみたいなそういう研究が多分好きな人だと思うので。どっちにしろ文学は好きだろうし。理系の定性的な研究か何かわからない、宇宙の研究かもしれないし、数学の研究かもしれないし、わかんないですけど。都市の研究か建築の研究かわかんないですけど、そういう研究をなんていうか、呑気にって言ったら変ですけど、楽しくやったんじゃないすかね。
いまじん:
これが最後の質問になるんですけど。このnoteを読んでいる読者の方でもいいですし、ご自身に向けた何か遺書みたいなものでもいいんですけど、最後に言い残したことがあれば何でもいいので、最後にお願いします。
しまづ:
僕は結構オーバードーズの後遺症にかなり悩まされてる人間なんで、後遺症とか依存症ですよね。ずーっとだから去年まで。ずいぶん長いですね15歳か去年まで、29までか。14年間ずーっと。こういう人生もあるんだなっていう感じで、笑ってもらえればいいかなと。今楽しくやってるんで大丈夫です。以上になります。お願いします。
いまじん:
ありがとうございます。
あとがき
周りを見渡す。好きなものに囲まれていることに気がつく。ちょっと心が満たされる。
【インタビュー・編集・あとがき:いまじん】
【編集:本州】
#無名人インタビュー #インタビュー #無職 #恋人 #オーバードーズ
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