他者っていうものに戦慄して生きてきた人
むかしむかし、ある静かな村の端に、震之助(ふるいのすけ)という若者が住んでいました。震之助は人と出会うたびに、心が震えるほどの戦慄を感じていました。
それは恐怖というよりも、「他者」という存在の深さに打たれる感覚でした。一人一人が持つ計り知れない世界に、震之助は圧倒されてしまうのです。
市場の八百屋の笑顔に、
郵便配達人の足音に、
パン屋の子どもの声に、
老人の沈黙に。
どの人の中にも、深い物語が流れていることを感じ取ってしまう震之助は、時にその感覚に押しつぶされそうになりました。
ある日、村の賢者が震之助に言いました。
「他者への戦慄は、あなたの繊細さの証。それを恐れることはないよ」
震之助は少しずつ、その感覚と向き合うようになりました。
戦慄を感じながらも、一歩ずつ前に進み、
震えながらも、誰かの話に耳を傾け、
動悸を抑えながらも、誰かと言葉を交わしていきました。
すると不思議なことに、その戦慄は次第に、畏敬の念へと変わっていきました。
「一人一人が、こんなにも深い存在なのだ」
「出会うことは、なんて奇跡的なことなのだろう」
「他者の存在に震えることは、生きていることの証なのかもしれない」
後に震之助は、こう語りました。
「私は他者という存在に戦慄して生きてきました。でも、その戦慄こそが、人との出会いの尊さを教えてくれたのです」
そして「戦慄は心の目覚め」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年12月11日8時36分に書く無名人インタビュー968回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは さくさく さんです!
年齢:20代前半
性別:男性
職業:公務員
現在:教員にはなるもんかと思ってたんですけど、結構楽しいですね。
ミミハムココロ:
さくさくさんは現在何をされている方でしょうか?
さくさく:
教育系の公務員をしていて、大学院に来年から進学します。
ミミハムココロ:
公務員はどういったお仕事をされてるんですか。
さくさく:
学校の先生をしていますね。
ミミハムココロ:
これは何年生に対してとかですか。
さくさく:
1、2年生対象ですね。あとは5年生の図書の授業とかも見てます。時間講師ってやつですね。
ミミハムココロ:
これはどういった流れで始められたんですか。
さくさく:
そもそもはなんだっけ。前にインタビューされてた、今週の輝けないワセジョさんっていますよね。あの方とかにも協力してもらいながら早稲田大学の英語の院に行きたかったんですね。早稲田大学の英語の院に行きたくて、それは何でかっていうと、結構また過去が絡んできちゃうんだけれども、大学1年2年くらいのあたりに後でお送りするんですけど、見田宗介っていう学者の文章にはまって。あと上田紀之かな。
これは社会学者と人類学者なんですけど、それぞれ。この人の文章にはまって、大学2年生からAMSEA(アムシー)っていう東京大学のプロジェクトみたいなもので、放課後に…なんだっけ。これ名前が長いんですよ。AMSEAって訳語で社会と芸術の文化政策とかに関する勉強をみんなでしましょうみたいなプロジェクトで、選ばれた人が毎週東大に行っていろんな日本中から呼ばれた社会学とか人類学とか哲学とか法学とかいろんな教授たちから話を聞いて。
アートマネジメントフォーソーシャリーエンゲージドアート=AMSEAっていうんですけど、美術館のキュレーションの仕事とか、文化政策として国がやっているようなこととか、美術展の開催に関することとか、そういう問題について勉強する場所があって、そこに大学2年の1年間通ったこととかもあって、学者になって、海外の大学院に行って。海外の大学院で安いんですよ、いくつかの国とかだと、院の費用が。それでその安い費用で留学したいなっていう夢があって僕が学生時代。
それで、そのためには英語がやっぱりちゃんとできないと修士博士で留学するっていうのは難しいだろうなと当然思っていたので。語学力を鍛えるためには修士から英語が難しいところに行って、ずっと英語で授業を受けたりとか友達と話したりすれば、そのまま海外大学院博士とか修士とかに行きやすいだろうなと思ったんですよ。
それで一番魅力があったのが、、早稲田大学のワセジョさんが商学部なんですけど、早稲田大学の商学部の使ってる建物に1個あるのが、国際教養っていう学部でそこの大学院。だから同じ建物なんですけど、ワセジョさんがいたのと同じ建物の上の方に入ってる大学院を目指したんですけど、これに結構落ちまして。
ワセジョさん曰く、表向きは英語能力は足切りがないって言われてるんだけども、人気だし世界中からくるし、倍率は高いので事実上の足切りみたいなのがあるっぽいんですよ。それがワセジョさんのnoteの発言かTwitterの発言だとTOEIC970でもギリギリみたいな感じなんですよ。
だから満点取ってやっとスタートラインみたいな感じっぽくて、TOEICでね。それは短期間では無理だったんですよね。
英語の試験も対策の順序が僕結構ギクシャクしてて、TOEFLからやろうって思ったんだけど、TOEFLやってIELTSやってからTOEIC受けたんですよ。しょっちゅうしょっちゅうあれこっちの方が点取りやすいんじゃないかな?って乗り換えてるから、それぞれの対策にそんなに一本調子で行ってなくて、かなり何て言うのかなギクシャクして、その代わりたくさんやれたとも言えるんだけど、いろんな種類が違うので内容が全然。でもそれであんまり何て言うのかな。一つのテストごとの点数が伸びてないっていうのもありますね。
TOEFLが潰しが利くかなと思ったんですけど、TOEICなんて最初は眼中に入れてなくて、やっぱり基本はTOEFLかIELTSじゃないと、そのTOEICは日本でしか評価されない基準だから、外資に行くとかだったらいいんだけど、やっぱりTOEFLやってIELTSじゃないとって思ってたんだけど、TOEFLはすごい雑なんですよね。
アメリカがやってると思うんですけど、すごい狭いところでぐちゃぐちゃに受けさせられて、リスニング中に他の人が喋ってる、ずれた設問の声とかがめちゃくちゃずれて混じってきたりとかするような環境で受けて僕は。
2回目を受けたときはTOEFLはコロナで自宅受験だったんですね。そのときに本当に何もしてないんだけども、中国人の人たちが一時期すごい不正をした時期みたいなのとかぶっちゃったみたいで、見た目がすごい日本人って中国人と似てるからそれで怪しく思われたのか知らないけど、急にあなたは怪しいからもう駄目ですみたいなふうに言われちゃって、それで打ち切られて。
成績とかを公式の書類とか送ってもらわなきゃいけないときってあるんです。大学院試験のときにTOEFLから公式の書類を取り寄せるみたいな。それもめちゃくちゃ遅くて発送とかが。いろいろガバガバな感じで運営してるんだなっていうのがすごいわかって、これがアメリカの適当さなんかなとか思ったんだけど。
後でTOEICを受けたときに、その何かパーフェクトな対応にめっちゃ感動するんですけど。
TOEICめちゃくちゃちゃんとしてるやんけみたいな。さすが日本がメインでやってるだけのことはあるなみたいな。発送も早いしWebサイトもきっちりしててわかりやすいし。
IELTSとかもちょっとWebサイトわかりにくいんですよね。全部読んでもちょっとわかりにくいようになってるみたいな。Appleとかもわかりにくいじゃないですか、何かそのiPhoneの細かい仕様についてみたいなのって全然Webサイトとかに載せないじゃないですか。
ミミハムココロ:
うん。
さくさく:
その問題も顧客が勝手に解決してねみたいな感じって何かそういう客同士で何か解決するフォームがあるだけみたいな感じで。そういう適当さみたいなのがすごいありますね。利用者目線には立ってないみたいな。
何の話してたんだっけ。
そうそう現在の話ですよね。それで落ちて、何回か落ちたんですよ。もうそこしかないと思ってて、何回か落ちた後になんか早稲田に魅力を感じてて、教育学部と文学部を受けたんですよね。文学部先に受けました多分。それはなんだっけ一応受かって2次で落ちたんですけど。教育も1次は受かって2次落ちてるんですけど。要するに、面接で落ちてるんだけど。なんかね、やっぱり面接で思ったことが伝わらないみたいなことが、結構ありますね。
今はやっと地元の大学に良かったので。地元の大学1回も受けてなかったんですね。TOEICとかもそうなんだけど、最初に行きたいところがあったらそうじゃないところは全然気にしないっていうか、なめてるっていうかという感じでちょっと軽視する節があるのかもしれないですけど、TOEICとかもやっぱり最後の方に受けてみたらやっぱりいいテストじゃんとか思ったし、地元の大学もやっぱり何か先生がすごい話がわかるっていうか、スムーズだから、いい先生だったんだなって思ったりとか、時間が経っていろいろ試してからわかるみたい。
意外と身近だったりとか、何か日本人が普通に受けてるテストとかそういうのは結構。国際系国際系って狙ってたけど、戻ってきたって感じですね。
院試があんまり長かったから2年くらい院試浪人にしてたんですけど、あんまり長かったから途中から働かなきゃって感じで時間講師っていう感じですね。そっちは一発で受かりました。面接とかも行ったらいきなり何大学で何とかですって言って、そうなんですねとか言ってぜひすぐ来てほしいんですよみたいな感じで面接終わりました。
ミミハムココロ:
時間講師の方は、やっててどうですか?
さくさく:
教育系の大学なんですよ。教員養成系の大学なんですけど、教員にはなるもんかと思ってたんですけど、結構楽しいですね。図工の僕は学科だったんですけど、図工やるもんかとか思ってたんだけど、結構楽しい。子供が作ってくる作品がすごく良くて。自分が物作りするときって何か慣れちゃってたんですよね。気持ちが乗らなくて絵が描けないみたいな感覚って自分の中であって、多分受験のためにデッサンとかやりすぎたんだと思うんですけど。ドライな気持ちで描くっていうモードができちゃって。
デッサンやるのってすごい主観的にはできないんですよ。すごい冷たい気持ちでやらなきゃできないから。その冷たい気持ちでやるっていうのはちょっと邪魔になって、絵が描けないみたいなところがちょっとあるのかもしれないですね。
子供たちは全然そういうのじゃないのですごくなんか癒されてますね、多分。
ミミハムココロ:
癒されているなって思うんですか。
さくさく:
それは今喋ってて出てきた感じで。普段見てて思うのは、やっぱり多幸感がすごいあるんです子供の作品に。色使いとか鮮烈で、才能はすごくあるなっていう感じがするんです、子供1人1人に。何て言うのかな。いわゆるプロの大人の美術館に飾ってあるようなやつとかの人たちが、これが彼の強みだよねって言われてるような才能と同じような才能の輝きの強さみたいなもの自体は、子供がランダムに持ってるみたいな感じがして、その輝きの強さはプロが発揮するのと同じ輝きなんですよ。
それは意外かもしれないんだけど、輝き方とか、例えば、遠洋航海する先住民の視点みたいな感じの絵を描いた子がいて。空気遠近法を使うんですよ。遠くの山に、小学2年生なんだけど。それは教えてないんですよね。だから自然に感覚でやってるんですよ。
空とかも、なんていうのかな、1色の青なんだけど、濃淡をつけて掠れで手で直線的にわしわし描いた空がすごくダイナミックな空の荒れ模様みたいな感じで綺麗なんです。とかね。版画で乗り物を作って奥に景色を絵の具で書いてる絵なんですけどそれは。版画の乗り物とかも船なんですけど何て言うのかな形が実際の流木みたいな丸みとハリがあるフォルムの船なんですよね。
何かそういうものの構成のセンスとか、輝かせ方、その人の見えてる世界観の輝きの魅力の強さみたいなものが全然プロとかと変わらないんだなってすごい思って。
ただその代わりプロはもっと洗練されてるから、プロというか飾ってあるような絵とかは、やっぱりどれをとってもこの人はこういうのが好きなんだなみたいな感じで出るじゃないですか、カラーが。そういうのをこの子たちは意識してないからないと思うんだけど、いつでも毎回みたいなのは。宝石箱じゃらって振ったら、毎回いくつかの宝石が違う角度から輝いてくるみたいな楽しさがありますね。
ミミハムココロ:
暇なときって何することが多いですか?
さくさく:
暇なとき。最近働き始めて暇な時間が減っちゃったんですけど、思ったより僕は頭を使う労働に対して非常に繊細なところがあって。学校業務とかバイトとか入れちゃうと、普段はその論文のことを考えたいんだけど、そういうのが何かできなくなっちゃうし、やっぱり結構健康にも影響が出やすく、帰りにカフェとか寄ったら2時間くらいぼっとしてるみたいな感じなんですよ。
だから、結構頭が繊細にできてるというか負荷に弱いっていう感じのところがあって。論文のことだけ考えてていいんだったら1日やれるんだけど、でもいろんな人とコミュニケーションして、爆速で喋らなきゃいけないんですよね。ずっとちまちました現場判断みたいなのをずっとしてなきゃいけないみたいな感じで。それも別にそんなに根拠があったりマニュアルがあったりするわけじゃないし。
(何かに気づく)マニュアルあってもつらいですよ。
ユニクロ…。なんだっけ、僕はサブウェイっていうののバイトをしたことあるんですけど、分刻みでやること決まってて、それもかなり疲れる、脳が焼き切れそうになる感じがしますね。大学生とかどんどん辞めちゃうし、その理由はやっぱり普通に肉体疲労というより、脳の疲労なんじゃないかなとか思ったりするんですけどね。そんな感じですかね。
ミミハムココロ:
好きな場所とかはありますか?
さくさく:
どうかな。ご存知かわかんないけど、ボカロの夏曲ってあるじゃないですか。夏の曲。「ボカロ夏曲まとめ」みたいなYouTube動画ってあるんですよ。そういうの出てくるのありますか?なんか海と空と坂道と学生みたいな、そういう景色が近くにあって、すごい綺麗な坂があるんです。
崖線っていうんですけど崖を切り開いた坂みたいな感じで、両脇は林みたいな感じで。学校があったり、林があってだから両脇はちょっと高いんですよね。壁みたいに斜めにそりたってて、ずっと深いんですよ。ダーッて深いから、この目の前が青空と雲なんですよね。両脇を林とか学校ですごい下まで下がってみたいな感じで、そんな感じのところが好きですね。
ミミハムココロ:
それは、どういうところが好きなんですか?
さくさく:
やっぱり守られてる感じがするのかな。両脇に壁があるっていうのも大事で、林みたいな。あとすごい日当たりもいいんですよね、崖の上だから乾いてて、昔昔から人が住んでた場所みたいで。やっぱり崖の上ってやっぱり昔から多分住みやすいんだと思うんですよね。
風通しもまあまあいいし。それはその場所ならではの土の匂いとか、土の感じ?粘土質っぽいんですけど土がそういう感じも好きですね。乾いた土よりも細かい粘土みたいな土の方が好きです、固めの。
過去:1人1人ヴィヴィッドなんだなっていうのが、定期的に確認してるのかもしれないですね。
ミミハムココロ:
ご自身を振り返って、自分ってどんな子供だったなって思いますか?
さくさく:
紙芝居を描く子供でした。保育園とかで紙芝居描いて発表してました。
ミミハムココロ:
それはどうして?
さくさく:
普通に絵を描きたかったんだと思うんですよね。結構自由な保育園に行って、子供たちに結構自主的に生活を任せるところがあって、やりたいことは結構やらせてもらったんですよね。そこで絵を描いて書いて、紙芝居描いたらすごいうけたみんなにって感じですね。途中でもみんな遊びやめてこっち来るみたいな感じでみんな片付けてくれるんですよね、途中でやってたことを。それで描いてましたね。
ミミハムココロ:
絵はいつぐらいから描きたいなと思ってたんですか?
さくさく:
僕は教育学部の美術系のところに行きましたけど、でもそんなに自分の中では、芸術っていう思いはなくて。子供のときからずっと自由帳とか白紙の紙みたいなやつにいろいろなものを描いていたんじゃないかなと思いますね。そんなに白紙の自由帳にたくさん描くみたいな感じで、あんまり大きくなってからも、いわゆる私は描く人だからみたいなアイデンティティを持っていたわけでは全然ない。
ミミハムココロ:
小学6年生ぐらいまでをひと区切りとして、それぐらいまでの生活ってどんなんでしたか。
さくさく:
保育園が、すごく丁寧な保育園だったので、小学校も丁寧なんですけど、でもなんかちょっと相対的に雑だったんです、小学校の方が。みんなの品っていうかその言葉遣いみたいなのが荒かったんですよね。それで1年生くらいのときにそれが嫌でしょっちゅう泣いてたっていうのは覚えてます。
なんか雑なんですよね。なんかみんなさん付けで呼ぶし、言葉遣いも丁寧な保育園だったんですよね。そんな感じかな。3、4年で国語の先生と出会って、あんまり覚えてないですね。でも、ポケット・モンスターのダイヤモンドパールとかが流行ってはいたと思いますね。ダイパとAKBと嵐かな。流行っていたいったような気がするし。あの頃までは、みんながわかる流行みたいなのがすごくはっきりしてた時代かなっていう感じはします。
ミミハムココロ:
そういった流行に対して、さくさくさんはどうでしたか。
さくさく:
僕はゲーム買ってもらってなかったので、それは話聞くだけみたいな感じで、確か小2、小3くらいでダイパだったんですよ。小4、小5ぐらいにハートゴールドソウルシルバーなんですよね。
ハートゴールド、ソウルシルバーすごい好きで、タマザラシっていうポケモンがいるんですけど、タマアザラシっていうのが元になってると思うんですけど、タマザラシっていうキャラクターすごいかわいくて、これをよく捕まえに友達のゲーム機の中で捕まえて名前つけてましたね。
ミミハムココロ:
ご自身の性格とかについてはどう思いますか?
さくさく:
子供のときとか本当わからなくて、大人になってから先生やってると、自分って子供のときどうだったんだろうなとかすごい思うんですよ。なんでかっていうと子供たちってなんか結構色がたくさんあるようで一つなんですよね。その個人の色みたいなのは、いつも同じ波長まとってるというか、その子供ごとにかなり癖強いんですよ全員。
なんていうか、人間って街歩いてると似てるんじゃないかとかちょっと思うんですけど、学校で見てると全然似てないわこれってよく思う。よくこれで社会成り立つなっていうくらいカラフルなんですよね、ちっちゃいときから。
一人一つ、個々人の色が強く出てるってことじゃないですかそれって。だから僕も多分子供のときは今よりも、もっとはっきりしてただろうなと思うんですよね。まるっと一つのキャラみたいな、感じで色があったと思うんだけど、それは僕はあんまわかんないですよ。自意識があんまりないからその当時。
多分自意識が生まれて、その文化とか他者との折衝みたいなのが生まれて、どんどんまろやかにっていうか常識的にみたいなふうに、ちょっとずつね。ちょっとずつちょっとずつなんていうか沿わせていくんだと思うんですけど、見られてるとか人に見られてるという意識が全然なさそう。1、2年生は。それがいいんですけどね。
ミミハムココロ:
習い事とかしてましたか。
さくさく:
習い事はいっぱいしてましたね。自分で小1のときにやりたいって言って水泳と書道と一時的に囲碁とピアノですかね。だから、最大4つ。でも3個かな。3個ですね。
ミミハムココロ:
習い事は、やっててどうでした?
さくさく:
書道が一番よく覚えてて、学校の友達が結構後から入ってきてくれたんですよ、習い事に。それでみんなのだから2次会ていうか飲み会みたいな、そういうなオフな時間なんですよね。学校の話をするみたいなクラスは別なんだけどみたいなね。
全然いわゆる真面目な書道教室の静かな空間とかじゃなくてもっとギャーギャーやってたんですよね。それで先生はすごい上手な人なんだけど、そういうの全然いろいろなんていうか、ビシバシ言ってこないっていうか。
ミミハムココロ:
中学、高校はどういった生活でしたか?
さくさく:
中2には仲いい子がいて、そこで何かその辺りで3DSを買ってもらうんですけど、そのあたりで、「ファンタジーライフ」っていうゲームがあって知ってますかね?
ミミハムココロ:
知らないですね。
さくさく:
株式会社レベルファイブという「妖怪ウォッチ」とかを開発してる会社のゲームで、すごい作りがいいゲームなんですよ。すごい丁寧な絵柄のゲームで、アイテム1個作るのにもすっごく丁寧に作っただろうなみたいな感じのファンタジーライフリンクっていうゲームなんですけど、これリンクっていうのが新しいバージョンなんですけど。これは無料でアップデートできる………。無料じゃない。有料アップデートか何かでファンタジーライフっていうソフトがあれば、任天堂のオンラインサービスで確かアップデートできるんですよ。
これめっちゃ楽しくて(!!)ボイスチャットとかあるんですよ。知らない人とのボイチャとかがあって、そこで知らない人と仲良くやってましたね。これ全然ネットで調べてもその魅力が出てこないっていうか伝わらないゲームなんです。全然伝わらないんですよ。すごい、モノとか画面とかがすごいなんかめっちゃこだわって作ってあるっていうか、でも画質が多分パソコンにあげちゃうと目で見るときの感じとかなり変わっちゃうのかな。すごいあたたかくて丁寧な感じの世界観がすごくて音楽とかもめっちゃ凝ってるんですよね。
確か有名な人に作ってもらってたと思うんだけど、そんな感じで音楽がすごい好きでしたそのゲームの。レベルファイブは作品をあんまり長いこと続けると変になってくるっていうことでちょっと有名なんですけど、ファンタジーライフもちょっと変になってて。今も続いてるんだけど、みたいな。続いてるんですけど、「発表する」「発表する」って言い続けて、全然発表しないみたいな感じで、ずっと遅延してますね制作。
ミミハムココロ:
中学高校は部活動はされてましたか?
さくさく:
生物同好会なんですけど、部長を早くからやってましたね。中高一貫なんですけど、上がいなくて僕が1年で入ったとき6年がいるだけみたいな感じだったかな、5年がいるだけだったかな。って感じだから上が2、3、4ぐらいがぽっとほとんど人がいないみたいな感じで、どうだったかな。厳密に覚えてないんですけど結構そんな感じですぐに文化祭で予算が下りるんですよ。3万とか1万とか、そういうのの管理とかで、文化祭の展示を作ったりするのも、すぐ任されて、すぐやってるって感じですね。
ミミハムココロ:
どうでしたかそこでの日々は。
さくさく:
生物室が結構教室から離れてるんですよ。離れてるといいんですよねやっぱり。教室って狭いし、みんなお受験で入ってきてる人たちなので、受験があって倍率が結構あったんですよ。やっぱり性格がちょっと歪んでるというか(笑笑)ストレスかかってるのかもしれないけど、嫌味な感じだったんですよね最初ね。お互いに。
そもそも中学生なんてそんな人間できてないと思うんだけど、そんなところに何かお互い知らない人同士だし、競争して入ってきてるし、これからも競争だしみたいな感じで結構ギクシャクしてたので、教室から離れたところに1人で行く場所ができてそれは楽っていう感じでした。特に中学生とかってそんなに授業をやらせることもないから…一応授業あるんだけども空き時間みたいなの結構多いんですよ。その空き時間みたいなのがやっぱり単純に苦痛みたいなところもあるし、よく知らない人たちと、一つの教室にずっと毎日いさせられてるみたいな。
結構1人で僕いたい時間、いる時間は必要な人だから。
ミミハムココロ:
その後大学に行かれた?
さくさく:
そこはストレートで上がってます。
ミミハムココロ:
どうでしたか大学生活は?
さくさく:
毎回新しい環境って大変ですよね。中高一貫だから、後半3年間とかって楽だったんですよ。お互い変でも多少は何か変でも気にしないっていうか。変で気にするから、いづらいんですよねお互いね。お互いの変わったところを気にするから居づらいわけで、そういうのを慣れって言うのかなそういう人みたいな感じでお互い変わりたくても変われないところも多少は無視みたいな感じでやって楽だったんだけど、大学でまたはじめからになっちゃったから。だから結局いつでも人間の癖みたいなものに、すげぇ苦しめられてるのかもしれない。他の人もそうかもしれないけど、小学生を見てても、すげえみんなクセあるなって思うし、中学1年生とかでもすごいみんなクセあるなって思うし、6年間やって、単に慣れただけでお互い癖の取りきれない部分はもちろんあるわけで。
大学に行ってもまたクセがあるなっていう感じでそんな感じですね。やっぱ人間って結構激しく癖を持ってても、みんな集団が維持できる範囲でだったら全然、事実上許容してるっていうか、、許容してるっていうかストレスなのかもしれないけど(苦笑)お互いに。お互い変えられなさそうなところを諦めるしかないわけですから。そんな感じでやってんだみたいな。
思ってるよりだから1人1人ビビットなんだなっていうのが、定期的に確認してるのかもしれないですね。
ミミハムココロ:
そういうふうに考えるようになったきっかけとかはありますか。
さくさく:
いや、やっぱり今喋っててって感じですかね。
小学生がすごいヴィヴィッドっていうのは、多分(学校に)来たらわかります。多分どこでもそうだと思います。すっごくカラーが強いし、もちろん教員とかも、教員が画一的に対応しなきゃ駄目みたいな感じがするじゃないですか。
でも細かい仕事は全然上からコントロールされてないから、すごい色が出るんですよね1人1人の。
教員ってよく批判されるんだけど、勝手に子供たちをこういう知的障害じゃないかとか推察したりするんですよ。でも推察してもねーっていうくらい1人1人の色が強いんですよ本当に。教員の側だってそうだし、すごい人間の癖みたいなものが強烈で。
みんな何かしらの障害のスペクトラムのどこかにいるんだなっていうのが本当に体感としてわかるっていうか。みんなすげえ変わっているけどあんまり意識せず生きてんだろうなみたいな感じですね。
ミミハムココロ:
大学生活を振り返って、これ楽しかったなみたいな思い出ありますか。
さくさく:
楽しかったかはわからないですけど、僕は美術科だったので、教育学部の中の美術っていうところだったので、教員が芸大出身のアーティストたちなんですよね。僕、中でも放任系のところにいて、油絵だったんですけど。でも先生がすごい放任系だったことがあったから、それが一番印象に残ってますね。
だから教育っていうもののあり方が多く多分中高ですごいビシバシビシバシされてたっていうか、めちゃくちゃ手取り足取り系だったから逆みたいな感じで、それはかなり印象的だったんじゃないかと思いますね。
おかげでっていうか、ゼミ運営っていうかみたいなものが大学2年からゼミに入るんですけど全然ビシバシやられなかったおかげで、東大に行く時間ができたっていうのもあって、結構その自由さの間に、自分の好きなことをいろいろやってたみたいなところはあります。
ミミハムココロ:
今までを振り返って、まだこれ話してないなみたいな話ありますか。
さくさく:
どうだろう。最近なんかタイの流れが来てて。
ミミハムココロ:
何の流れですか。
さくさく:
タイっていう国があるじゃないですか。不思議な出来事があって、スタバによく行ってたんですけど、なんていうのかな、隣の人がタイの話をし始めるんですよ。それが1日だけだったら普通じゃないですか。でも連日あって、別の人ですよもちろん。連日電車とかで前の人がうちの娘がタイに行ってみたいな話したりとかが1週間とちょっとぐらいあったのかな。ずっと毎日なんですよ。必ず隣か前にいる人たちがタイに家族が行った話をするみたいな時期があって。その後1ヶ月くらいずっと1週間に一度くらいの頻度は下がったけど、そういうことがあって。これは僕のレッドバス効果じゃないだろうと思ったんですよ。カラーバス効果か。自分が注目してるからそればっかり聞こえるっていうことがある。
でもさすがに隣にいた人が喋ってる国の名前とか、大体な海外の話してたら、前の日のことくらいは覚えてるから、イギリスの話を無視してタイの話だけ聞いてるわけじゃないんだからと思って、これは異常だなと思ってそれでタイに行きました、今年の夏に。
ミミハムココロ:
行かれたんですね。
さくさく:
知り合いもいるし、バイタクに乗りました。バイクタクシーっていうおじちゃんとかの背中に捕まるんですよ。それでぶーんって行き先までいって200円みたいな。日本だったら多分できないけど、安全性を気にしちゃうから。バイクの要するに後ろに2人乗りでパシッとしがみついて動くみたいな感じですね。
ミミハムココロ:
タイ旅行はどうでした?
さくさく:
お腹壊しましたね、最後に帰ってきてから、そんな感じです。
未来:何か語らざるを得ないで語っているみたいな形式の方がやっぱり圧倒的に心にくるっていうか、心の深いところに来てるような感じがするんですよね。日常意識とかとは違う部分っていうか。
ミミハムココロ:
最後、未来についても聞いていこうと思います。
さくさく:
わかんないなー。
ミミハムココロ:
今から、大体5年後とか10年後20年後で最後死ぬところまでを想像していただいて未来ってどうなってると思いますか。
さくさく:
やっぱりChatGPTとかがなんかめちゃめちゃ進化してるのかなとか思いますね。それとの関わり方みたいなのを新しく発明して生きてるだろうなとは思いますね。文字起こしとか、すごいじゃないですか、やっぱりAIの進化が。
僕はしゃべって書くタイプなんですけど、しゃべって書いた方がうまいんですけど文章が。これまではそんな簡単にしゃべったのを書き起こしたりとかあとで語尾を敬体の状態にスッキリさせてとか簡単にはできなかったじゃないですか。泥臭く事務的なことをやるしかなかった。
僕は泥臭い事務が苦手なんですけど、だからなかなか形にならなかったんだけど、その泥臭い事務みたいなパワー型の事務みたいなところをAIが多少時間はかかるけどやってくれるっていうか。
事務ってほとんど力仕事だと思うんですよ。同じ作業を繰り返してみたいな感じで繰り返し対象に、作用効かせなきゃいけないじゃないですか。この骨組み変えてーー、とか思ったときにお願い変えるって具体的にどういう作業かって全部を1個1個向き合いながら、これはどのパーツに値するかっていうのをまた考えるっていう作業をひたすら泥臭くやるじゃないですか。それってすごい脳が疲れるしすごい認知コストかかるじゃないですか。
修正のときに、修正って一言で言うけど、実際は泥臭いたくさんの知的な過程を踏んでるわけで。その知的な過程をたくさんたくさん踏むっていうその肉体労働に近いような部分がめちゃくちゃ脳を疲弊させるじゃないですか。つまんないし、楽しくないし、大変みたいな。でも正確に全部同じように聞かせなきゃいけないっていうか指示を、その材料に対して。そういうのめっちゃ苦手なんですけど、そういうのやってくれるから、最近ジェミナイの新しいやつとか。ジェミニ(Gemini)か。(つい)英語で読んじゃう。ジェミナイ(Gemini)の新しいやつとか、やっぱり結構すごいじゃないですか。僕1.5Proでやってて、1.4というやつを使ってないんですけど、この辺りがもっと精度が伸びたりとかしたときに、どうなるのかなみたいなー。
(PCを見ながら)また新しいの出てる。LearnLM 1.5 Pro Experimentalっていうのが出てますね。
そういう新しいのが、それでもうちょっと便利になったときに、例えば文字起こしとかも今だったら数分かかる。1時間のやつとかじゃそれくらいじゃないですか。ダラダラダラダラダラダラって出てくるんだけど、それがもう入れたらもう出るみたいな速度になったら、お願いでボタンを押したときに瞬間全部出てくるみたいな。以下がファイルですみたいな速度になって、読んで直してってやったら、またすぐ出てくる。またここちょっと変えてまたすぐ出てくるみたいなふうになってきたときに、自分の生活がどうなってるかっていうのは気になりますね。
それはやっぱり10年後とかにはもうかなりの便利さなんだろうなと思います。
あと僕たちが、でも、そうですね。中1中2の頃にスマホが出始めてiPhone4とかが出て5かな?出てそこから一気に国民普及率9割くらいになってだから10年くらいでこの有様なわけじゃないですか。2014年くらいにだから、一気に広まった…っていうか1円キャンペーンとかで、ソフトバンクでしたっけ?ソフトバンクauドコモあたりの大規模なキャンペーンによって一気にiPhoneが普及したあたりから、多分このインターネットの世界が爆発してると思うんですけど。まだインスタもなかったしパズドラとLINEで生きてたみたいな感じ。
インスタ僕覚えてますよ。すごい今よりもいろんなことに関してラグが多くて、読み込みの時間がすごい多かったの覚えてます、Webサイトとか。オンボロなウェブサイトとかなんだけどすごく読み込みに時間がかかって、そのサイトのおすすめのアプリでインスタグラムの古いアイコンが表示されてたのを今でも覚えてます。
こんなカメラのやつもあんだみたいなレトロやなとか思って、どうせ地味で何かしみったれたアプリなんだろうとか思って入れなかった。そのときは。(笑)乗っ取られるとは思わなかったですねしばらくしてから日常が。
YouTubeは本当に初期から便利だったけど、すごい読み込みに時間かかってたし、とにかく読み込みに時間がかかるのを待ってたっていうのが僕のインターネット体験の根本にありますね。時間がかかるみたいな。
それは、今の、新しいChatGPTとの向き合い方でもそうで、時間がかかりますよね。ダラダラダラダラ〜〜って出てくる文字で追っていくっていうか、一気に出てくれた方が僕としては読みやすいんだけど、だから、波頭(はとう)のところがあるじゃないですか。水が流れてくるように文字が流れてくる波頭(はとう)のところを気にしながらも、最初から読むっていう、その2視点みたいな見方をしてるわけで認知が二つにわかれてるわけですよね。
下でバラバラ進んでるところもちょっと目が気になるみたいな。でも頭から読まなきゃいけないみたいな。でも進みすぎちゃってるところは、でも途中から気にせずにここを直してほしいなとか思ったらまた打ち込み始めなきゃいけないみたいに、ちょっと認識にコストがかかってるんですよね、あちこちで。
音声も1時間のやつとかあげたらやっぱりすぐ出てこないのもちょっとイライラするし、90秒とか「これが最新のAIか‼︎」とか思いながら待たされなきゃいけないわけで0秒ではできないんだなみたいな。
これ初期のWi-Fiがめっちゃ重い状態で白猫プロジェクトを夜にやってたときとか、ポケモンで、、、、マルチバトルってわかります?4人とかでできるんですよ。部屋のIDとかを事前にLINEとかで共有しとけば、それで4人とかのマルチとかをやってるときのボイチャとかで、スマホでボイチャしながら3DSで60秒以内に技構成を決めるみたいな。お互い2対2でLINEをあみだくじ機能でペアを分けて2人ずつでボイスチャットしながら、「あいつあの技うってくると思うからさ、お前守ってくんね?」とか言って、「こっちは一旦後ろに引くわ」とか言って、「そのあいだ守ってもらって俺交代して。受けだしきついかな……」みたいな、「ここ炎くるかな」みたいな、「いや炎は来ないと思う、これは多分変えないで、出張ってくるの読みで水技くると思うから、多分ここ出しても半減で耐えられると思うし、この後の行動的にも多分大丈夫」みたいな。
メガガルーラ全盛の時期だったんですけど、XYっていう最強のポケモンメガガルーラが蹂躙していたときで、最強対最強みたいな、ガルーラ対決とか、ガルーラと、ファイアローとかが強かった時期で、その頃のハチャメチャ感すごい好きだった。ラグの話からポケモンの話に変わったんですけど、めちゃめちゃ好きでした。
ポケモンって今なんかすごいなんかコントロールしてるんですよ、環境。ちょっと強いのが出過ぎたらすぐ弱体化させちゃうみたいな感じに多分XYでの反省で、一気にもう何でもかんでもコントロールする路線に行っちゃったと思うんですけど運営が、そういうのじゃない頃、やりすぎてはっちゃけてるポケモンが一番好きでしたね。ガチ勢は一部嫌ってる人もいたけど、そういうはっちゃけられると戦略とかじゃなくて、似たような構成にやっぱり落ち着いちゃう、みたいな。多少運営が、介入した方がフレキシブルな最強パーティー、最強に波ができるっていうか。いやでもガルーラもどんどん新しい型が途中で開発されてましたよ。メガガルーラとにかく使って楽しいポケモンでした。ある種全員に最強キャラ配ってみたみたいな感じなんですよね。
だから一番強い人とかプレイングで見せたい人はそりゃあんまり嬉しくないだろうなみたいな感じはしますよね。だってそれが自分のアイデンティティなわけで、それを過小評価されてるって思うわけじゃないですか、運営から。全員に最強キャラ配るってこと。
でもなんか何でもできちゃう感みたいなのは異常でしたね。すごい楽しかったな。ポケモンをもっとむちゃくちゃやればいいのにと思ってます、今でも。
多分ボカロとかも、その初期の何でもできちゃうかってすごいあったと思ってて、僕2007年はまだボカロ参入してないですけど、13年くらいに参入しているから。
2007年にパソコン持って、ボカロで作曲やってるとかめちゃくちゃ先駆的な人間だと思うんですよ。だって2013年~2014年ぐらいにみんなスマホ持ってるわけで、2007とかの時期にボーカロイドでミュージックビデオあげてるとか、ボカロの声の調整ですとか、人間の声を組み合わせてリアルな人間の声にしてましたとか、初期のレジェンドユーザーたちってめちゃめちゃ先駆的な人間だと思うんですよ。
多分今のなんていうんだ。ちょっとその先駆的なアプリ使ってる人とかとは比べ物にならないくらい、先駆的な人間たちだと思うんですけどね。めちゃめちゃニッチだと思う。そういうときのなんかハチャメチャ感みたいなものとかってすごい好きで。初音ミクに憑依するような形で依代みたいな形で生み出された詩がやっぱり初期の曲はいっぱいあるんですよ。そういうのがどんどんなくなって、個人化してきて、曲の歌詞とかが。
個人の内面の闇ってよく言われるんだけど、内面の苦悩みたいなのをそのまま垂れ流すみたいな感じの歌詞が増えてきちゃったというふうによく言われますけど、そういうのじゃなかったんですよね。初音ミクっていう他者がいて、その他者に乗り移られたり自分が乗っとったりするような形で未来を体現するっていうかね、その作品とか作者が。
未来のあり方とか、未来のボーカロイドの進むべき可能性とかを自分みずからが神の語り手となって預言者みたいになって語るみたいな歌詞だったんですよ、初期の歌って。
例えば、ryoっていう伝説の人がいますけど、ryoとかlivetuneとか知ってますかね?ボカロのメルトとか作った人とかなんですけど、Tell Your WorldとかODDS&END、メルトとかあとなんだっけ。そういう2007年くらいのそのランキングを席巻したっていうかもうその人しかいないぐらいコントロールした初期のレジェンドなんですけど、ああいう人たちの曲すごい好きですね。
ryoさんの方は初音ミクが恋してるみたいな実在感を与えてるんだけど、livetuneさんの方だったかな、もっとなんていうか、ラディカルで。Packagedっていう曲なんですけど、その曲は後にレジェンドになる2名3名くらいの人に影響を与えた曲なんですけど、ryoさんもそのPackagedっていう曲を聞いて始めたのかなボカロを。これですね。
livetuneのkz(カズ)さんだと思うんだけど、ボカロのそういうデビュー曲でミクブーム初期の牽引曲の一つっていうやつで、なんだっけな。DECO*27さんとかボカロPとかもいるんですけど、ryoさんとかそういう何かレジェンドたちがボカロに引き込まれたきっかけの曲みたいな。うん。感じの曲で。歌詞がすごい良くて、「この世界のメロディー私の歌声届いているかな響いているかな」っていうのを繰り返して言ってるんですよ。
(さくさく、パソコンに向い歌い出して)「この世界のメロディー、私の歌声届いているかな、響いているかな、この世界に笑顔を私とあなたで届いているでしょう。響いているよね」っていう曲なんですよ。
これはだから初音ミクになりきって歌ってるんですよね。しかも生まれたての初音ミクになりきって歌ってる曲だと思うんですけど、生まれたての世界認識になりきるっていうことによって、多分この初期にボカロPたちは多分「自分の力を超えた」んじゃないかなと思いますね。自分の自意識に閉ざされてたらたどり着けないような歌詞を書いてると思うんですよね。
自意識垂れ流し系ってやっぱり魅力があんまりないですからね。
やっぱり何か絶対的な他者みたいなものに、例えばそれはキリスト教の神でもいいんだけど。開かれて、何か語らざるを得ないで語っているみたいな形式の方がやっぱり圧倒的に心にくるっていうか、心の深いところに来てるような感じがするんですよね。日常意識とかとは違う部分っていうか。そういう初期曲が好きですね。
ミミハムココロ:
最後になんですけれども、今回のこのインタビューを振り返った感想でもいいです、もしくは自分自身の遺言でもいいです。最後、何か一言いただければなと。
さくさく:
遺言ちょっと早すぎる気がする。僕80くらいで死ぬと思うんですよね。だからちょっと早いと思うから、、感想か。思ったより僕が他者っていうものに戦慄して生きてきたんだなっていうのはすごい思いました。他者っていうものが予想の範囲をはるかに超えて不快であったりとか、尖っていたりとかするっていうのが人間の社会なんだなっていうのはすごく感じてきたんだなっていうのは思ったし、絶対的なすんごい遠い他者っていうものに開かれていく形で、そのボカロPたちが自分の力のを超えた詩:ポエムを生み出せるっていうか、歌を生み出せるっていうのも、ものすごく感じたし、他者が鮮烈であるっていうこと、他者が鮮やかで多様であってノイジーで輝いていてっていうようなごちゃごちゃした他者と向き合ってきたんだなっていうとこ。
それからそこに電子的な他者もすごい関わってきてるんだなっていうのはすごく思いましたね。ボーカロイドとか、僕が好きだったポケモンたちとかタマザラシとかね、ゲームの中でのボイスチャットの他者たちとか。すごいオタクなんですよそういう人たちって。オタクの人とか、進学校のだから、ゲーム好きな、いわゆるエリート…。エリート理系大学生に進んだ人たちみたいな感じの友達達。でもやっぱり、インターネットづきあいなんですよね。インターネットを介した初期のインターネットのログとかラグとかそういうのもノイズですよね。
今もだからAIのノイズと向き合ってるわけだけど、そういうノイジーな他者、デジタルな他者を含む他者との、奇跡とか邂逅とか未踏の可能性とか、特にボーカロイドにそういう奇跡とか可能性は僕は見いだしてるんですけど。超越性とか、ーー宗教的なものとも絡んでくるような宗教体験と多分近しいようなーー超越性とか、預言者に自らがなるみたいなその曲の作り方、とかね、そういうものとかが自分にとって大事なのかなっていうのはすごい思いましたね。
こんなに多分こういう側面は自分では意識してなかったですね、普段の生活ではね。すごい超越性っていうものに興味があるんだなと思いました。
もちろん他者のノイジーさとかはあるんだけど、そこだけじゃなくて、そこを切り開いていった先にある何かなりきってしまったときに生まれてくる力みたいな。すごい絶対他者なんだけども他者と自分を一緒に無理やりしてしまう心の働きが生み出す圧倒的な想像力っていうかパワーみたいなもの。
それはだからキリスト教的な力かもしれないし、ボーカロイド的な力かもしれない。でも構造は一緒なんじゃないかと思うんですよね。そういう人生なんだなと思いました。これは自分でもちょっと体験があるし。
ミミハムココロ:
ありがとうございます。
あとがき
さくさくさん、ありがとうございました。
本当は自分で編集も担当したかったんですけどね。ちょっと今卒論がやばやばすぎるんで、別の方にお願いしちゃいました。卒論って楽しいですけど、苦しいです。自分で決めたテーマなので先行研究とか本を読んで情報を集めるのは楽しいんですけど、あまりに一進一退というか。(さくさく: 分かります!)進捗度でいうと今は75%くらいですね。
最近は何をしていても、頭の片隅に「早く卒論を終わらせろ」という言葉が棲みついています。もう楽しくないったらありゃしない。うるさいうるさい。締切まで2週間を切ったのでやるしかないんですけども、憂鬱な日々が続いてます。ただ、僕は分かってるんですよね。この卒論が完成するということは、大学卒業が現実となってしまうということを。あ〜、ついに社会人になってしまう。不安と期待が9:1。
インタビュー後に話の流れから少しだけ占いをしてもらったんですけど、僕には「子ども」というキーワードが見えたそうです。確かに1回生で教職過程を取り始めたものの、夏休みが明ける頃には履中しています。確かに塾講師バイトを1年間だけしてましたが、引越しを機にやめています。今は街中ですれ違うくらいしか子どもとの接点が無いですね。
それでもなお「子ども」というキーワードが見えたというのなら、これから僕の人生は再び子どもと関わる方角に転がるのかもしれません。僕の人生【社会人編】、いったいどうなるんでしょうか。占いって面白いですね。
【インタビュー・あとがき:ミミハムココロ】
【編集:さりあ】