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私なんでもないから、こいつつまんねえなとしか思わないと思う人

と思う2024年8月25日17時41分に書く無名人インタビュー873回目のまえがきでした!!!!!

むかしむかし、ある村に誠(まこと)という若者がおりました。誠はいつも自分のことを「何でもない人間」だと思い込んでいました。
誠はこう考えていました。「私なんてつまらない人間だ。きっと誰も私のことなんて気にも留めちゃいないだろう」
ある日、村で大きな祭りが開かれることになりました。村人たちは誠に「お神輿を担ぐのを手伝ってくれないか」と頼みました。
しかし誠は、「私なんかが手伝っても、みんな『こいつつまんねえな』としか思わないでしょう」と言って断りました。
そんな誠の様子を見ていた村の長老が、誠に声をかけました。
「誠よ、なぜそのように思うのじゃ?」
誠は答えました。「だって私には何の取り柄もないし、つまらない人間だから...」
長老はにっこりと笑って言いました。「誠よ、人はみな違うのじゃ。つまらない人なんて一人もおらん。あなたにしかできないことがきっとあるはずじゃ」
誠は半信半疑でしたが、長老の勧めで祭りの手伝いをすることにしました。
お神輿を担ぐとき、誠は自分の力が役に立っていることに気づきました。そして、みんなと力を合わせて祭りを盛り上げていく中で、少しずつ楽しさを感じ始めました。
祭りが終わった後、村人たちは誠に感謝の言葉をかけました。「誠のおかげで祭りが大成功だったよ」「来年もぜひ手伝ってほしい」
誠は驚きました。自分がつまらないどころか、役に立つ存在だったのだと気づいたのです。
その日から誠は少しずつ自信を持ち始め、村の様々な活動に参加するようになりました。そして、自分にしかできない役割があることを学んでいったのです。
誠は後にこう語ったそうです。「誰もがかけがえのない存在なんだ。自分をつまらないと決めつけるのは、自分の可能性を閉ざすことなんだね」と。
そして、誠の物語は「自分を大切に思うことの大切さ」を教える話として、村に長く語り継がれたとさ。
めでたし、めでたし。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは せいる さんです!

年齢:30代後半
性別:多分女だと思いますが
職業:障害者雇用の会社員


現在:喜怒哀楽でいったらもう、怒の哀の間にすごい細い谷があって、そこの間に挟まってる感じ。

目次

qbc:
今何をしている人でしょうか。

せいる:
今は会社員で出版関係で勤務してます。

qbc:
それ以外に何かされてますか。

せいる:
それ以外に何かしたいなと思ってるんですけれど、何をやろうと思って取りかかっても中途半端に挫折してしまうというか。だからそれ以外の者になれずに会社員をしています。ただ会社に勤めているのも、一般就労ではなくて障害者雇用で働いています。

qbc:
その中途半端にしたいなって思ってやったことって?

せいる:
英語とかあと国家資格みたいなのを取る勉強とか。正直、障害者雇用って給与がすごく低いので、今私実家に住んでるんですけれども一人暮らししたいって考えてるからもっと稼げるようになっとかないとっていうふうに思ってるんです。じゃあ他に何か技能がなきゃ駄目だって思うんですけれども、やっているうちに疲れたりとか、3日坊主そのまんまっていうようなことがかなり多くて。最近も英語の勉強を始めてみたはいいものの単語全部800ぐらい載ってる本のうち今100ぐらいで止まってます。

qbc:
自分はこれが向いてるとか得意とか何かそういうんじゃなくて、とりあえず取れる資格だったら何でもいいみたいな感じですか。

せいる:
最初はそうだったんですけど、公務員系とか法律系とかそういう国家資格系はあまり向いてないのかなっていうのはやってみて思いました。

qbc:
それはなんで?

せいる:
やっぱりそのジャンルのことだけ知ってればいいっていうものではないじゃないですか。社会情勢のことも時事系のことも分かってなきゃいけない。例えば公務員系でも、私は理数系科目は非常に苦手なんですけど、そっちのジャンルもある程度分かっていなきゃいけない、数字のこともわかっていなきゃいけないってなったときに、自分はこのオールラウンダーになるのは無理だなっていうふうに思ったんですね。オールラウンダーではないってことにもうちょっと早く気づきたかった人生といえばそうかもしれないですね。

qbc:
障害者雇用は何で認定されているんですか。

せいる:
私は認定されたときは確かADHDという呼び方をしてたんですけれども、注意欠陥多動っていう。今は全部ASDでまとめちゃってるのかな。私は実際に体が動き回るっていう多動ではなくて精神多動って呼ばれるもので、よく学校の先生にボーっとして話聞いてないとかの通知表に書かれるようなタイプでしたね。先生とか周りが話してることに興味を持てないと別の方へ思考がすぐ飛んでいってしまって、話聞いてないってことで結局信頼されなくなるっていうそういう子供でしたね。

qbc:
いつ認定されたんですかね。

せいる:
12,3年ぐらいは経つかな。だから日本にそういう概念が入ってきてまもなく。割と日本で今発達障害っていろいろなところでトピックスに上がるものだと思うんですけれど、結構取り沙汰されるようになったのは本当にここ数年なので。

qbc:
何がきっかけで診断されたんでしょうかね

せいる:
ずっと事務系の仕事をしてたんですけれども、突然起きてもう会社に行けなくなってしまって。ただそれを家族に言えなくて、半年ぐらい空出勤を続けてたんですね。弁当を作って持って出るけれども会社には行けないって、どこか公園で食べて図書館で本読んでっていうのをずっと半年間ぐらい繰り返してて。これを続けていくようだったら自分はもう何もできないなと思って、大変迷惑なことなんですけれども線路に飛び降りようと思って足1歩踏み出したところで駅員さんに止められて。すぐに病院に行った方がいいよって。誰か信頼できる人に電話かけてその人に繋いでもらってる間に病院を探した方がいいよっていうふうに言われて、信頼してるキリスト教会の牧師がいたのでそこに電話をしたらたまたま好意にしている精神科のお医者さんをすぐに紹介してくれて。電車に飛び込むぐらいだったら電車の中に飛び込んでその病院まで行けっていうふうに言われて。

qbc:
そう言ったんですか。

せいる:
本当に言われました。

qbc:
そんなユーモアを。

せいる:
それが今の主治医なんですけれど、話を聞いているうちに、もううつ病が中とか重度に移行する手前の状態まで進んでしまっているから、薬と通院で意識を調整していくしかないっていうふうに言われてしまって、そこの会社は辞めざるを得なくなって。話していくうちにやっぱり過去どういう子供だったかとかどういう生育環境だったかみたいなのを話すようになるんですけど、そこで主治医が「あれ、もしかして?」ってちょっと1回テストを受けてみようって言われて、受けたら脳の考え方とか思考のパターンとか得意不得意の差がものすごくて。よく円グラフで16角形ぐらいのグラフとかって何か調査結果とかで見ることがあると思うんですけど、大体平均がちょっとガチャついてても円にはなるんですよ、健常の人って。私全然円になってなくて。漫画のびっくりしたときとか叫び声を出すときの、わかります?ギザギザした感じになってて適性がないところは数値0に近くて、これじゃあオールラウンダーを求める今の世の中では生きづらいよって言われて。でも検査結果に愕然とはしなかったですね。どうりでって思って腑に落ちたのが多分10年ぐらい前だと思います。

qbc:
それからざっくりどういう?

せいる:
最初は家族にも言えなくて黙ってて。

qbc:
診断自体ですか。

せいる:
診断自体黙ってました。自分だけで障害者手帳も取って、取ったことも黙ってました。

qbc:
自殺未遂は言ってない?

せいる:
言ってないですね。言っても何にもならない、私だけの問題なんだから家族、他人にどうこうなるもんじゃないと思ってました。

qbc:
1人で全てができるわけじゃないじゃないですか。なんでそんなある意味超人的な考え方に?自分で何とかできるみたいな。

せいる:
いや、自分で何とかできるというか何とかしなきゃいけないと思ってました。隠し通さなきゃいけないと思ってました

qbc:
なるほど。隠すんですね。助けなかったとしても別にオープンにしてもいいわけじゃないですか。

せいる:
オープンにしたって、自分の取り巻く環境が変わるわけないと思ってて。

qbc:
なるほど。相談をしなかったと。

せいる:
全くしなかったです。そこから多分4,5年経ちまして、何とか自分でそういう福祉サポートが必要だとか、知識が必要だというときには自分から役所に出向いて窓口で相談をしたりとか機関に電話をかけたりとかして、とにかく自分1人でやるっていうのを続けてました。

qbc:
その間生活は家族とされていたんですか。

せいる:
家族はいたんですけど、別に昔みたく家の電話しかなくて家に役所からかかってくるみたいなことないので、家族は何も気づきませんでした。

qbc:
気づきませんでしたっていうのは確認したんですか、本人たちに。推測の話ですか。

せいる:
病院に行ってるっていうことは言ってたんですけれど、すすめられたから行ってるっていう言ってましたけど、自分がうつ病持ち発達障害があるっていうことは言ってませんでした。でもそう言わなかったのに理由があって、テレビとか新聞で発達障害のこととが報道がされるようなったときに、家族がこんなの頭の悪い奴の逃げ道にしかならないって言ってるのを聞いて、そう思われるぐらいだったら言うまいと。

qbc:
その頃って働いてたんですか。

せいる:
働いてました。アルバイトでしたけど働いてました。

qbc:
その表面的には普通に生活ができる人っていう?

せいる:
っていうふうに思われて。

qbc:
社会生活を送れる人っていうふうに。なるほど、それからどんな感じになるんですか。

せいる:
結局ばれたのはもう1回うつの症状が重くなって、安定剤を病院のロビーで酒で陰で煽っているのを職員さんに見つかって、先生の前に引っ張り出されて主治医に激怒されまして。いや私はもう死ぬんだからいいじゃんとしか思ってなかったんですけど、今すぐ家族を呼ぶか、入院措置を取るかどっちかだっていうふうに言われて。家族を呼ぶってことで主治医が直々に電話をかけて、非常に危険なので今すぐ来てくれって言ったら母親がもう泣きながら病院に来て。
その後、主治医から今までの経緯の説明があったときに、家族からなんで早く言わなかったって言われたんですけど、発達を逃げ道と思ってる人にどうやって安心して言えるんだよって言って。正直両親は後で聞いたら1年ぐらいは受け入れられなくて一応そういう関連の書籍みたいなのを図書館で借りて読んだりはしたけれども、とても自分の子供が障害者だと認めたくなかったと。何よりうちの父親が一番愕然としたのが、発達障害ってやっぱり遺伝的な要素がとても大きいっていうのを聞いたときに、どっちのせいなんだっていうので、両親の仲もちょっと壁ができた期間って。ただ正直、障害があるってことを認めないって言っても私の障害がなくなるわけではないし、家から自殺者を出されたら困るっていう方の意識が結構強く働いたみたいで、今はもうしょうがないよねっていう感じで良い意味でほっといてもらってるというか。

qbc:
その家族が分かったのは何年前なんですか。

せいる:
それがちょうど4年ぐらい前だったと思う。ありがたいことに私妹がいるんですけど、彼女が大学で心理学とか精神医学とかそっち系の勉強をしてたので、どういうメカニズムで起きるのか、そして本人がどういうことができないのか困り事になるのかっていうのはわかってた人だったので、妹が珍しく繋いでくれたのっていうのはあります。誰のせいでもないんだっていうのは。

qbc:
今はどんな気持ちでいるんですか。感情生活としては。

せいる:
感情生活としてはもうそれで生まれちゃったもんはしょうがないなと思います。ただ、よくこういう当事者の人のインタビューとしてはそれでも自分として生きていくから!っていうふうに前向きに締めるのが美しいインタビューなのかもしれませんけれど、私はそんなに美しい考えを持てなくて、健常者に生まれたかったなっていうのが一番思う気持ちですね。

qbc:
喜怒哀楽のそういう部分で言うと、どんな気分なんですか。

せいる:
喜怒哀楽でいったらもう、怒の哀の間にすごい細い谷があって、そこの間に挟まってる感じ。身動きが取れない。

qbc:
両方とも対象はなんですか。何に怒ってるんですか。

せいる:
やっぱりこんなふうに生まれたくなかったっていう自分に対する怒りもそうですし、あと世間の目っていうんですかね。何年か前に難病を持ってる女の人を安楽死させたっていうんで、お医者さんが2人逮捕された事件があったと思うんですけど。ALSだったかな、体がだんだん動かなくなるっていう重い病気の方を。それの事件についてネットニュースを見てたときにそこについたコメントで、「安楽死なら発達障害のやつらを治験の材料にすればいいじゃないか、生きててもあいつら意味ないんだから」っていうコメントが一番いいねがついてたんですよ。あー、社会ってこういうもんだよなって思ったんで。何だかんだ支援してくれる人とか理解を示そうと言ってくれる人はいるけど、結局社会の行く先はここだなと思ったから、社会に何か期待できないじゃんっていう。そう思ってます、私は。そんなマインドでいるから、理解してもらえないんだとか、発達障害者が余計悪く言われるんだとかあれこれ言われたことはあるんですけど。しょうがないじゃん、事実なんだからとしか言えない。だから本当に発達障害の奴らなんか役に立たないって高見の見物していられる健常者になりたかったし、なりたいですよ今も。

qbc:
哀しみ、哀はどこに向かってるんすか。

せいる:
いやもう、この先どうなるんだろうっていう。そういう希望とか展望みたいなのが見えないのが哀しいというか。発達障害を持ってても素晴らしい活動をされてる方とか、自分で未来を切り開いている方などもごまんといるのは分かっているんですけど、そのごまんに入れる自信がないですね全く。

qbc:
趣味は。

せいる:
趣味は根っからのオタクなので漫画を読む、アニメ見るのが大好きですし、最近は好きになった漫画の聖地巡りみたいなんで旅行へ行くのもやっぱ好きだなって最近思います。

qbc:
どんな作品が好きなんですか。

せいる:
ゴールデンカムイっていう漫画がすごく好きで。去年最終回の地の函館に旅行に行ったりとか、ゴールデンカムイ展っていう原画とか資料とかを展示する展覧会を全国巡回してたので、東京から京都開催、函館開催、仙台開催の展示を見に旅行も兼ねて行きました。

qbc:
展示内容違うんですか。

せいる:
微妙に変わるんですよ。

qbc:
それは全国ツアーというか、全部回ったんですか。

せいる:
いや全部回りたかったんですけど、一番最後が今年の7月に新潟でフィナーレだったんですけど行けなくて、ちょっとそれは悔しかったなと思うんで。せっかくいい展示会だったので、またどっかで見たいなって思ったんです。やっぱり原画とかなかなか見られるものではないので。

qbc:
性格は周りの人から何て言われます?

せいる:
とにかく真面目って言われるのと、逆に何考えてるかわからない。いやそんなの何考えてるかわからないなんて私がわからないよって言いたいんですけど、そういうタイプだってわかってるから真面目になるしかない。それしか表に出せないっていうふうにずっとずっと思って生きてきました。

qbc:
自分自身ではどんな性格だと思います?

せいる:
いい加減だと思いますし、熱しやすく冷めやすいけど、その分熱するときにはもう好奇心のまま行くようなタイプだと思います。あんまり世間のこれが大人とかこれが女性とか、この歳だったら普通はこうみたいな枠にはめられるのは、今思えば子供の頃から好きじゃなかったですね。女の子だからピンクを選びなさいみたいな。私が子供の頃は割とそういう風潮がまだまだ強かったので、なんで私は青の方が好きなのに青を選んじゃいけないんだよとか。それこそみんな右向くのが当たり前って思ってたら、左には何があるんだよって左を向いちゃうようなタイプでしたし、それは今も変わらないと思います。

qbc:
身近な人、家族パートナー親友のような距離の近い人から言われる性格の一面ってありますか。

せいる:
家族からは変わり者と。今、一番近い友達っていうのはゴールデンカムイにはまって同じキャラクターが好きな仲間が一番近い友達なんですけれど、人の話を聞くのがうまいって言われたことがあって、それは私自覚なかったんですごくびっくりしました。

qbc:
変わり者っていうのはどういう?

せいる:
世の、私ぐらいの同年代の女性が重きを置く価値、例えば美しさだったりあとは結婚して家庭を持つとかいう安定性とか、そういうものっていうのはどうも私に合わないなっていう。だからもう結婚しないのと早く子供を持ちなよってのも散々言われたんですけど、全部私の特性が遺伝して、子供が苦しんだらそれは耐えられないのでたとえ結婚はできたとしても子供もたないよっていうのは、毎回のように言ってきたんです。子供のときから何か興味を持つものっていうのが同年代の子たちと違っていたんで、周りが当たり前にできるようなことができない。でも周りが興味を持たないようなことはできる。そういう子供だったことを思い返すと、変わり者としか言えないというふうに家族からは言われますね。普通の子ではなかったって。

qbc:
発達障害と呼ばれている、自分のそういう部分っていうのは、どういう特性があるんですか。

せいる:
ずっと考え続けてるので、相手が何か話してたらその話がどっかいっちゃいますし、あとやっぱりすごく視野が狭いというか、これだって思ったらそれしか見えなくなってしまって。周りに言ってることとか周りからの提示されてる条件とかが気にならなくなってしまう。それで進んでしまうので、気づいたときにはもうなければいけない要素が欠けてしまっているとか。あとやっぱり勉強の得意不得意の差がものすごくひどかったですね。文系科目は学年で1桁順位取れるのに理系科目は常に赤点みたいな。バランスが悪すぎて、高校のとき特進クラスには入れなかったんですよ。

qbc:
好きな食べ物は何ですか。

せいる:
食べ物。麺類かな。ご飯と麺類かな。

qbc:
中華、パスタ、そばうどんとかで言うと?

せいる:
そば、うどんもなんですけれど、最近ラーメンが好き。

qbc:
何ラーメン?

せいる:
最近いろいろお店に行って、オーソドックスなしょうゆの味が自分は一番好きなんだなって最近気づきました。

過去:それこそ右向け右がどんどんできなくなっていて。年を重ねるごとに、何で右向かなきゃいけないんだっていう。

qbc:
過去について、子供の頃はどんなお子さんでしたか。

せいる:
周りと集団遊びをするってことが全然できない子供でした。1人でずっと遊んでる。

qbc:
何をしてたんですか。

せいる:
絵を描いたり、絵本読んだり、粘土こねたり折り紙を折ったり。ものを作るのが好きな子供で、だから、絵本読んでてもただ読んで面白かった終わりじゃなくて、この後どうなったのかなこうなってたらどうなんだろう、でもこのときこう思ってたんじゃないかなみたいに思いを巡らせながらずっと読んでた記憶あります。3,4歳ぐらいで。

qbc:
どんな物語が好きとかありました?

せいる:
普通に童話とかディズニーの元になったお話とか、そういうものから、あとは子供の頃よく読んでたのは、いもとようこさんの絵本が好きでよく読んでました。親が好きでよく買ってもらったっていうのもあります。

qbc:
いもとようこさんってどんな絵本を書いている人ですか。

せいる:
「てぶくろをかいに」とか、新美南吉さんのごんぎつねとかの挿絵を書いてる画家さんなんですけど、絵がすごくかわいらしいんですよ。それがすごく好きで読んでました。

qbc:
ご両親からはどのように育てられたと思ってます?

せいる:
両親とも教育熱心だったので、習い事もかなり早いうちからしてましたし、勉強のことも結構物心ついたときから厳しく言われましたし。中学受験をしてるんですけど、それも結構早いうちから塾通ってたかなと思います。

qbc:
小学校どんな子だった?

せいる:
小学校も変な子ですよ。先生からは扱いづらいって言われる。それこそ右向け右がどんどんできなくなっていて。年を重ねるごとに、何で右向かなきゃいけないんだっていう。今だったらある程度の社会的マナーを身につけないと後々困るぞっていうのが大人になったからわかるんですけど、当時はもう全然わからなくて。例えば、〇〇くんかっこいいって女の子が言ったら女の子みんな〇〇くんかっこいいって言い出すのが全く理解できなくて。なんでって言うと、もういじめられる対象になっちゃうんですよね。違う、異なる存在だから。良い意味で言えば出る杭ですよ、常に打たれちゃう。

qbc:
それを言ってしまうのは何でか分かります?言う必要性はないじゃないですか。

せいる:
いやもう言わないと気が済まなかったからですね、当時。

qbc:
それに対して何か感情はありました?自分と違うものに対して。

せいる:
怒りとかそういうのよりかは、向こうが好きだっていうふうに言ってるんだから何で私が嫌だって言っちゃいけないんだって。なんで?っていう気持ち、ずっと疑問でしたね。

qbc:
今はどう思ってます?

せいる:
その場をなだらかに収めるために言わないっていう方法があるんだよ、って今ならわかるけど。考え方は自由だけどそれ言ったらよろしくない雰囲気になるんだよっていうふうに。今ならわかるけど当時はわかりませんでした、全く。分かろうともしていなかった。

qbc:
中学校はどんな?

せいる:
学級崩壊が社会問題になってたときが中学生で、例に漏れず学校でも学級崩壊が起こってて、もう学校に行きたくないって中学2年の1年間不登校でした。不登校っていうか保健室登校、教室に行けなかった。やっぱり力のある子が言うことが絶対で、その子に従わないっていうことはもう攻撃されるっていう構図が出来上がっていて。私はどうしてもその子に従うのは嫌で、そうしたらもう本当に学年中からいじめの対象になりましたね。お金取られたりもの取られたりカバン壊されたり、いっぱいありました。

qbc:
生まれ育ったところって、都市部とか地方とかそういう意味ではどこら辺だったんですか。

せいる:
生まれ育ったのは東京23区で、学校は横浜市でした。まあ都市部です、ずっと。

qbc:
どんな風景で育ちました?

せいる:
海のすぐ近く。大きい川の河口の近くで育ったので工業地帯と、高速道路の海を越える高架。あと空港が近いので、離陸直後とか着陸態勢に入ったジャンボジェットのお腹を見上げて育つような、そんなところですね。おしゃれな今どきの都市部ではないです、すごく下町です。

qbc:
高校時代は?

せいる:
中高一貫校だったんで中学とメンツが変わらないんですよね。ただもうそのとき、私なりに多少成長していたのか、この窮屈な同級生たち先生たちと離れるには自力で勉強頑張って大学行くしかもう抜け出せる道はないっていうふうに思っていて、高校入ってまもなくから。決して勉強は得意ではなかったんですけど、高校入ったら文系コース理系コースにわかれる学校だったんですよ。ってことはもう苦手な足を引っ張っていた理系科目をやらなくていいってなって、そこから成績が伸び始めたんです。

qbc:
やらなくてよくなったから?

せいる:
やらなくてよくなって文系は得意だったから。それでも今までずっと理系で足引っ張ってたので特進には入れなかったけど、高校1年の1学期終わって終業式で通知表もらう段階になったら、英語の先生から教員室に呼ばれまして。点数割と良かったのに何か文句言われるのかと思っていたんですけど「お前は来学期から英語の授業だけ特進の教室で受けなさい」って言われて、私ともう1人の2人だけ普段は普通科クラスで過ごしてるけど、英語の授業だけは特進の枠で受けさせてもらうっていうので、結構特例中の特例だったみたいなんです。私はもう一方の子がすごい頭いい子だったのは知ってたので、まさか自分がそう言われるとは思わなかったんですけど。そういうことで一つ認められたっていうことで例えレベルとか名前とかが知名度とかそういう関係なくて、自分が行きたいと思った大学に自力で行ってやるって思いがそこでもう芽生えましたね。

qbc:
なるほど。語学能力が高い。

せいる:
それは言われましたし、自分でも割と適性はあるかなと思いますね。英語が元々好きで。

qbc:
英語だけじゃなくて?

せいる:
英語じゃなくて他の語学にも興味はすごくありましたし、ただ高校生って今ほどインターネット発展してなかったんで、どうやったら勉強できるかっていうこともよくよくわかってなかったんですけど、音楽が好きだったので洋楽が流れるラジオをずっと聞いたりとか。あと、InterFMって在日の軍人さん向けに音楽とか流す、全部英語放送のラジオ聞いて、あれもしかしてこのニュースってあのこと言ってんのかなっていうふうに想像しながら聞いたりとかするのは好きでした。

qbc:
大学はどんなところに?

せいる:
大学は私大の法学部でした。

qbc:
法学をやりたかった?

せいる:
当初はやっぱり将来安定するために公務員かなみたいに割と安直に思ってて、でも気持ちは本当は外語とか外国文学とかをやりたかったんですね。

qbc:
法学部は誰の意見だったんすか。

せいる:
自分で進路を考えてるうちに自分が4年間やって社会に出なきゃいけないってなったときに、社会のルールとか仕組みとかそういうものを私みたいなやつが全くわからないまま社会に出るのが怖すぎる!って高校2年のときに思ってしまって。そっちを勉強できるのって何って言ったら、やっぱり社会作ってる仕組み作ってるのって法律なので、これ勉強しといた方がいいかもしれないと思って。元々政治経済とかも好きだったので、法学部に行くと。法学部入ったら多分仕事の潰しは割ときくだろうなっていう、そこで妙に現実的なことを考えて、それで今で言うG MARCHレベルの大学の法学部に行きました。

qbc:
大学生活はいかがでした?

せいる:
大学生活は楽しかった。大変でしたけど、法学部ってどこの大学も卒業既定単位数が多いので、本当に大変な思いをたくさんしましたけれど、いろんな価値観の人とかいろんな世代の人とやり取りすることができて、私が行きたかった学校ってこういうところなんだなっていうふうに思えた4年間でした。もちろん嫌な人にもたくさん会いましたけれども。

qbc:
そのときっていうのは発達障害で生じるストレスってありました?

せいる:
得意不得意の差はものすごく大きかったですし、あと何より就活の準備とか手順みたいなのが、自分で何か進めるってことが全然できなくてすごい遅れちゃったんですよ。それこそ、自己分析・企業分析みたいなのを、自分でやらなきゃいけないのにどうしていいかわからなくて、相談しに行っても何から勧めていくか全然頭に入らなくて結局就活がものすごく遅れて、決まったのが卒業する直前だったんですよね。当時氷河期末期でもあったんで余計。今は発達障害の特性を持ってる学生さんに向けての就活サポートとか就職サポート相談会みたいなのをどの大学も積極的にやっているのでいいなと思いますね。

qbc:
就職して何年後ぐらいにさっきの話に接続するんですかね。

せいる:
就職して4年後ぐらいですかね。

qbc:
働いてるときってどんな感じだったんですか。

せいる:
いやもう物覚えが悪すぎて、マルチタスクができなさすぎて、最初の会社は結局半年で辞めなきゃいけなくなった。

qbc:
ちなみに職種は何を?

せいる:
法律事務所の事務員でした。そこしか会社の大学から紹介してもらえる口がなかったんですよね。

qbc:
何で弁護士になるような人のコースじゃなくて、完全なアシスタント?

せいる:
アシスタントですね。

qbc:
その後は?

せいる:
その後派遣会社に登録して保険会社のバックヤードで書類作ったりとかする仕事をしてたんですけど、それは向いてて。仕事の内容がわりとシンプルにまとめられてたので、このチームの人はこれをやるっていうふうに決められてたんで、私はそれで割とやってたんですけども、ただ派遣だったんで期間が決められてて、2年しかできなかったんです。できればずっとそこにいたかったんですけど。その後もうどうしよう、稼がなきゃ税金も納められない何もできないどうしようって思ったときに、たまたま知り合いが個別指導塾で塾長をやってて、先生のなり手が本当にないから、アルバイトで来てくれって連絡をもらって。自分に適性があるのかわからなかったですけども、それに飛びつかないと仕事がないっていうことで焦って、その仕事をやったんです。ものすごく大変だったし嫌な思い苦しい思いをたくさんしたんですけど、その仕事が5年間続いたんですよね

qbc:
塾講師?

せいる:
はい。もう生徒たち可愛くてしょうがなくて。

qbc:
業務委託契約なんですか。

せいる:
直接ですけどもアルバイト契約ですね。時給換算だから正直仕事のわりに稼ぎっていうのが全然見合ってなかったんですけど、優秀な大学の学生さんがアルバイトに選ぶ理由はそこでわかったような気がしてました。だから最初は社会人なのでこんな仕事してるって明らかに周りからちょっと奇異の目で見られてるってのはわかってたんですけど、そんな私でも慕ってくれる子がいたからやってこれた。

qbc:
どこでうつを発症するんですかね。

せいる:
そこを金銭的な余裕と体力的な事情で辞めることになったんです。やっぱり夏期講習とかになると20連勤とはざらなんですよ。円形脱毛症やってしまって、ちょっとこれは体力的に厳しいなっていうので、切りのいいところで辞めたんですけど、その次に行った会社でうつになりましたね。

qbc:
何の会社で働いて?

せいる:
コールセンターで、自分からかける方で。

qbc:
アウトバウンドでやったんですか。

せいる:
はい。

qbc:
仕事の相談で誰かに?明らかに向いてない職種に向かったのは何でかなと思って。

せいる:
もうシフトの自由がきくのとある程度の稼ぎが見込めるってただそれだけです。自分の向き不向きの仕事の相談って誰にもできなかったんで。

qbc:
何年ぐらい?

せいる:
それを1年ぐらいやったところで結構もう調子が悪くなり始めて。正直今思えばそこの労働環境って最悪だったんですよ。

qbc:
人生振り返ったり何か自分の人生の転換点ってどこにありますかね。

せいる:
転換点は今の会社に入る前が一番大きい転換点だと思います。1個前の会社も障害者雇用で入ったんですけど、向こうがあまり障害者を雇うってことに対して慣れてなかったっていうこととか諸々あって、結構ひどい形で辞めることになってしまって。その直後にコロナが始まって就活も今まで通りできなくなった。やっぱり外に出れないので自分の内側を見なきゃいけない時間が増えて、就労移行支援に通いながら就活をしてたんです。そういえば前は就職することに焦って、自己理解とかそういったものをすごくおざなりにしてたなと思って。もうここで、それこそ一旦自分の骨を解体して組み立てなおすぐらいのことをしなければまた同じ轍を踏むと思って、自分が今まで選んでこなかったことを積極的にやるようにして、その上で就活して今の会社で今3年目ですね。

未来:自分が何かやっていけないんじゃないかって苦しい思いをしている人に、こいつよりはまともかなっていう材料にでもしていただけたら。

qbc:
未来について、5年10年、30年後、どんどん時間が過ぎて最後自分が死ぬっていうところまでイメージしていただいた上で、未来はどういうイメージ?

せいる:
発達障害持ってて自分の考えとかっていうのは発信したいっていう気持ちはありますし、それで同じ悩みとか苦しみを持ってる人が何か気づいたり、こいつよりはマシだなとかそう思えるようになるんだったら、いくらでも自分の意見は表に出したいと思ってますけどそれで有名になりたいとかお金稼ぎたいとかはあんまり思わないですね。基本的に静かに暮らして名もなきもので死んでいくのが一番理想なんですよ。歴史に名を残すとかそういうことは全然考えてない。

qbc:
何かこういうことがしたいっていうのはあるんですか。

せいる:
今話してて語学の勉強だけは好きだっていうことには、そこはぶれないなと思ったので、諦めないでやっていきたいなっていうふうに思います。そしてそれが少しでも仕事に有効に働いたら、一番幸せかなって思います。

qbc:
語学はいろんな翻訳通訳、いろいろなものもあると思うんですけども。

せいる:
今割といろんなメーカーさんとやり取りをする商談会へ行って、上司の横にくっついてるっていう仕事もやるんですけど、やっぱり最近外国のメーカーさんとかから話が来ることもちょいちょいあって。そういうときに渡された資料がすぐに分かって上司にこういうことですってお伝えすることができればいいなとか。あと、商談のときに英語で話したら、もう少し踏み込めるんじゃないかなって思うときとかあるので。

qbc:
なるほど。

せいる:
興味ある言語は他にもありますけど、まずそこかなっていう感じです。

qbc:
もしも未来の質問っていうのをしていて、いわゆる発達障害と社会からそう言われた部分っていうのがなかったらどういう自分になってたと思う?

せいる:
自分は今も謙虚な人間だと思ってないけど、もっと傲慢だったんじゃないかなっていう気はします。

qbc:
どういうふうなんですか、傲慢っていうのは。

せいる:
それこそ本当に発達障害で苦しんでる人たちの自己責任だって言って切り捨ててただろうなって思います。

qbc:
自分はそっち側だと。

せいる:
そっち側だったと思います。だから人の悩みに共感なんか全くできない人間だったなと思います。今でも共感できる人間だとは思ってないですけど。

qbc:
今は引き算の話ですけれども、自分はそのままで、いわゆる発達障害的特性が職業ないし社会的に認められるポジションを見つけたと。そうなったらどんな自分だったと思いますか。

せいる:
それが認められたら…いや、別に特別な華々しい働き方じゃなくて、いつも通り働いてるような気がします。そこが自分の居場所っていうのは発達障害を持ってても持ってなくてもきっと変わらない。ここで仕事をもらってる、だから私は働く。究極に受身かもしれないけれども、自分で選択してるって私は思います。

qbc:
何か理想の生活みたいなことを聞かせていただけると、思い描いているのが伝わるかもしれない。

せいる:
出勤と在宅勤務が混ざるような、やっぱり人のところにずっとそこって言われるのは落ち着かないんですよね。そこが多分多動なところだと思うんですけど。

qbc:
会社員、フリーランスは?

せいる:
会社員のいいところっていうのももちろんあると思うんです。一つのルールを守ってればそこの中にいられるっていう。

qbc:
今の生活特性そういうのを含めて、どっちが向いてるんだろうっていう。

せいる:
でもきっとフリーランスなんだろうなって思います。だってフリーランスだったら出勤しなくていいわけですよね。家で仕事する日もあっていいし、例えばコワーキングスペースで仕事をしてもいいわけですし。

qbc:
フリーランスでもいろいろあって数えるほどしか付き合いのある会社がなくて、ほとんどそこの社員みたいなフリーランスもいれば、自分で営業ばんばんしないと開拓できないフリーランスもある。数社と契約しているフリーランスはいかがですかね。出勤するしないも相談できるみたいな。

せいる:
そういうのがいいですかね。何かちょっとずるいですけどパイプは欲しいなっていうのはあります。

qbc:
人とは会いたい?

せいる:
人とは、意外と会いたいです。昔は全然会いたくなかったんですけど、最近人と会ってやり取りした方が面白いと思うようになってきました。

qbc:
何かもの作りっていうよりかは、そういう方が?

せいる:
多分そうですね。その人の考えとか捉え方とか作ってるものとかを最近知りたいなっていう気持ちが出てくるようになりました。多分今まではそう感じられる余裕もなかったんだろうと思います。

qbc:
その他どんなものが必要ですか?理想の生活って言ったら。

せいる:
自然。去年本当に思い立って日帰りで伊豆大島に一人旅したことがあって。何となく島だからいつもいる世界から離れたようなところっていうのでずっと行ってはみたかったんですけども、タイミングが合って去年の秋に行ったんです。海でも山でも定期的にそういうところに身を置いて、深呼吸するような時間がないと私はもたないんだなっていうのをそこで実感したので、定期的に自然に触れられる。そういう意味では自由な時間が確保されてた方が、いいのかなと思いますね。

qbc:
伊豆大島で、リモート勤務でもいいんですか。

せいる:
いいです。ネット繋がっていたら。

qbc:
東京に行くの、多分月1とかになっちゃうじゃないですか。

せいる:
それでもいいよって言うんだったらそうしそうな気がしますね。

qbc:
週1はちょっと面倒くさい感じがするぐらいの距離ですよね。

せいる:
行けなくはないですけどね。

qbc:
東京2泊とかしてみたいな半々ぐらいの生活。

せいる:
それでも全然いいし、あと房総半島の先っちょとかあっちの方も好きですね。

qbc:
ノマドではない?

せいる:
ノマドなどではないですね。住むところがあって行くところもあるけどっていう感じで、毎日出勤とかよりかは出勤と在宅が入り混じってた方が私はいいなって思います。

qbc:
もうプラスワン、その時間を趣味に使っていくのかそれともさっき言った副業的なことをやっていきたいって思うのか。それともそのときのフリーランスのメイン業務の時間を増やすのか。

せいる:
趣味だと思います。

qbc:
趣味は創作にいくのか、それとも単純に吸収する方なのか。

せいる:
友達の同人誌にちょっと2次創作を書いたりとかはしたことがあるので。ただ自分だけでやったことないので、できたら面白いだろうなっていうのはあります。

qbc:
その理想の生活を手に入れた自分っていうのは、最初の喜怒哀楽の怒と哀はあります?

せいる:
怒と哀っていう字が石みたいに形になったものを片手に持ちながら、目は楽の方を見てるかもしれない。あるんだけど、見てるもん違うっていう。

qbc:
持ってますかね。

せいる:
持ってはいると思います、人間なので。過去にやっぱり傷ついてきたこととか嫌な思いしてきたこと、自分がやらかしてしまったことってのはなくならないので持ってはいると思います、ずっと

qbc:
どんな気持ちですか。今話してきて。

せいる:
もし私がこの無名人インタビューをいろいろ見てたら、こいつの記事つまんねえなって多分いうと思う。だって他の人たち、例えば私が好きな占い師さんが受けたって聞いて、やってみたらって言われて申し込んだっていう経緯があるんですけど、そういう何か一つのこと頑張ってたり、ちょっとニッチな業界でもそこで極めてらっしゃるっていう方がすごく多いのに、私なんでもないから。こいつつまんねえなとしか思わないと思う。

qbc:
ありがとうございます。遺言でも、読者向けメッセージでも、インタビューをの独り言でもいいですけど、最後に残した事があればお伺いしています。

せいる:
とっ散らかってるし、自分でもこれでよかったのかなっていうような内容しか話せていないと思うし、多分文字で見たらその薄っぺらさに恥ずかしくなるんだと思うんですけど。それでも生きていていい、と今生きてる以上はされているっぽいので「自分が何かやっていけないんじゃないか」って苦しい思いをしている人が、もし私のインタビュー記事を読むのであれば「こいつよりはまともかな」っていう材料にでもしていただけたら、もうそれで十分ありがたいです。

あとがき

心とはいったい、どこに向かっていくものなんでしょうかね?
本当に。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:komima】

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