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意味があるところに進んできてるような気がする人

むかしむかし、ある村に、道理(どうり)という若者が住んでいました。道理はいつも、自分の歩んできた道を振り返っては、「どの一歩にも、きっと意味があったんだ」と感じていました。
最初は意味が分からなかった出会いも、
後になって大切な縁となり、
一見の回り道に思えた経験も、
今になって必要な学びだったと気
当時は辛かった出来事も、
今の強さにつながっていました。
ある日、村の長老が道理に尋ねました。
「なぜそう思えるのですか?」か
道理は空を見上げて答えました。
「川の流れのように、人生には自然な導きがあるような気がするんです。振り返ると、すべての道が今につながっていて...それは偶然じゃないような気がするんです」
後に道理はこう語りました。
「私たちの歩みは、意味のない一歩なんて一つもない。すべての経験が、今の自分を作っているんです」
そして「道は意味を持ちて、己を導く」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年2月4日20時41分に書く無名人インタビュー996回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 松本真澄 さんです!

年齢:40代前半
性別:女
職業:会社員



現在:やれちゃうというところがなんかすごく嫌だなって多分思ってたのかもしれない、自分で。

🐳くじら:
では最初の質問ですが、今何をされている人でしょうか?

松本真澄:
それはお仕事ってことですよね?

🐳くじら:
そうですね、何でも。今ぱっと出てくるもので。

松本真澄:
ぱっと出てくるところで言うと、超ワンオペ人でしょうか。

🐳くじら:
おお。

松本真澄:
表現が正しくないかもしれませんが・・仕事では役員にちょっと足を突っ込んだような肩書きを持ってさせていただいていて。と言っても、仕事としてはほぼ1人で動きまくるようなスタイルで。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
なので仕事もそれなりに忙しく。子育てもほぼ自力という感じです。うちは主人が朝から晩までで休みも日・祝日のみ。加えて両親・親戚も遠方で。子供2人の世話と仕事と家庭。そうですね。それら全てを担っているという感じです。

🐳くじら:
これはどれぐらいの期間そういう生活をされてるんですか。

松本真澄:
もうかれこれ8年目になると思います今年で。

🐳くじら:
8年こういうふうにしているっていう状態ですか。

松本真澄:
そうですね。

🐳くじら:
8年間、何か心境の変化というか。

松本真澄:
そうですね。子供が生まれた時は30代前半なので、体力的にも余白がありました。
加えて、アドレナリンが放出されまくっていて。この子の未来のためにやんなきゃ!!みたいな。ただ、睡眠時間を削らないと時間が全然足らないという。
どんなに削ってみても全然バランスできなかったけど、
トドメのようにうちの子たちは全然寝ないタイプで、、ということで、睡眠時間が平均3時間切るっていうのを何年もしてたんですよ。でも、日中に眠くなっちゃうとか、そういうのはなかったですね。これもアドレナリンの効果なのかなって。

🐳くじら:
へえ。

松本真澄:
戦闘モードが四六時中起動していて。 それが下の子が産まれるぐらいまでなので、40代に入るギリギリのところまでそんな状態でした。しんどいということに気が付かなかったんですよね。 いや気づいていたのかもしれないんですけど 本当は。無視できたというか、普通に生きてこられてたんです。

それが、40歳にポンと上がるタイミングぐらいで面白いようにですね、やっぱりいろいろガタがくるもので。初めは大したことないんですよ。例えば腰が痛いとか膝が痛くなってきたとか。ちょっとした身体の節々の痛みだったんですね。 でもそれがどんどんおかしい感じになってきて。元々頭痛持ちなんですけど、ダラダラ何週間も続くようになっちゃったりとか。

🐳くじら:
うんうん。

松本真澄:
あとは寝れなくなっちゃったり。なんだか変だぞみたいなのがですね、2年前ぐらいからスタートして。で、ご質問の回答ですが、変化っていうところで言うと、限界のずっと先を走ってきたんだなとやっと気づいたんです。振り返ってみたら、すごく大変だったようにも思いますし、いろいろやってきたようにも思うんですが、あんまり記憶がなくて。これはまずいなって思い始めてるっていうのが今です。 

🐳くじら:
まずいなっていうのはその記憶がないとか、ちょっと限界を超えてやり続けてることにですか。

松本真澄:
そうですね。当時の自分はあんまりピンときてないので事態の異常さを。何年も全然寝なくても平気っておかしいですよね。人類として。そこを問題として捉えていなかったし。

🐳くじら:
はい

松本真澄:
わりとできるんだって思ってたっていうのも異常だなって。子育て大変でしょ?ワンオペきついっしょ?とか言われても、そんなに?って思うぐらい麻痺している感じです。

何年か前に会社の女の子から、「私は松本さんみたいにはやれない」みたいに言われて。それって異常じゃないですかって。異常ですとは言ってなかったですけど、そんな雰囲気で言われたことがあって。 
そのときは、そんなことないでしょ?って思ったんですが、今になって確かに!と納得してます。なので、なりふり構わず休まず走り続けることは、メンタル的にも体力的にも限界があるよねって。この数年で気づきました。

🐳くじら:
ちょっと生活を変えていかなくてはっていう。

松本真澄:
そう、やっとそういうことを考え始めました。

🐳くじら:
何かご自身の性格というか、今までも育児とか仕事に限らずそういうところってあったんですか?なんかこう、やれちゃうからやっちゃうみたいな。

松本真澄:
そうですね。  本当にこれもつい最近気づいたのですが。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
この年代では珍しいぐらい転職してきてるんですよ私。しかも未経験を渡り歩いていて。 スタートは教師だったんですけど、2・3年ぐらいで辞めてるんですよね。
辞めてその後アメリカ行って、30代に入るくらいに戻ってきて。そこからマーケティングをやってみたり、営業とか人事とか総務とか労務とか経理とかやって。
経験値がない場所を自ら選択してきてるんですよ。

なんで?と考えたときに、経験値もないし知識もないんですけど、2ヶ月もしたらやれちゃってる。 しかもそれなりにうまいことやってる。 教師だって、たまたま人が足りなくて声をかけてもらったので、その道に行く用意なんてできていなくて。それなのにやれちゃう。ビギナーズラックなのかもだけど。 毎回それが嫌だなって思うようになって。

🐳くじら:
それが嫌?

松本真澄:
自分がやりたいことではないし。

🐳くじら:
ふうん。

松本真澄:
といっても、喜んでくれる人がいたり、頼られたら嬉しいんですよ。ただ何か違うなって思うみたいな。だから、これまでのぐちゃぐちゃな歩みは、しっくり来る何かを探してたのかもしれないなと思い始めました。

自分がわくわくするものはなんだろって飛んできたんだろうなって。

🐳くじら:
何か趣味とかはあるんですか。

松本真澄:
趣味はー、趣味と言っていいのかわかんないんですけど、絵を描くのは好きですね。

🐳くじら:
どんな絵を描かれるんですか。

松本真澄:
これっていうのはないんですけど。私、ランニングするんですよ。夜明けくらいのタイミングでするんですけど、その夜明けのお空とか、街並みとかですかね。

🐳くじら:
ご自身では、ご自分の性格についてどう思いますか。

松本真澄:
性格かー、そうですね。なんというか、とっても移ろいやすい気もしますけど、移ろいやすいわりに定着もしないような気がします。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
だからってすぐ何かを投げ出すとかそういうことではないんですけど。なので何かにはまるってことがない、ですね。経験がないですね。

🐳くじら:
ふうん。

松本真澄:
そうなんですよ。推しの話とか教えてくれるんですけど。いつも羨ましいなって。

🐳くじら:
一つのことにちょっと熱中をするとか、そういうことがあんまり?

松本真澄:
無い。はい、無いです。

🐳くじら:
周りからどんな性格って言われますか。

松本真澄:
共通してるのは変な人・・かな。 おそらく異端児のように見られるようです。そんな言い方をされることが多いかもしれない。

🐳くじら:
異端児?

松本真澄:
わかりやすく言うと、女っぽくないよね!とか。何々っぽくないみたいな。深堀したことないので真相はわからないですが、多分、おかしな人ってことだと思います。

🐳くじら:
わかりました。
では、ちょっと過去の質問に移っていこうと思います。

松本真澄:
はい。


過去:中学校を卒業するぞ、くらいのあたりから行きたかったんですよ。日本の高校じゃなくって、アメリカの高校に行きたいってずっと言ってたんですね。 

🐳くじら:
松本さんは子供のときはどんなお子さんでしたか。

松本真澄:
やんちゃ系だったと思いますね、うん。

🐳くじら:
友達と遊ぶのが好きとか。

松本真澄:
 そうそう。あとは、私4人兄弟の一番上で、下2人が男の子なんですね。妹は少し年が離れてるので、わりと3人で過ごしてた時期の方が長いっていうのもあって。 ってすると弟のお友達とかも来るじゃないですか。 男の子たちと私の友達とみたいで遊んでたし、弟をおもちゃにするような姉でした。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
あとは、プール(笑)。私が小学生のときって、学校にあるプールを夏休み中開放するんですよ。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
ものすごい雷雨とか台風でなければ、若干雨が降っててもオープンしていて。外のプールなんですけど。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
オープンからクローズまで一日中いましたね。暇さえあれば毎日。友達がいなくても行ってたな、1人で。

🐳くじら:
1人で?

松本真澄:
そう。だから誰よりも黒かったです。何かそういう感じで、やりたいことをやりたいようにやっていたように思います。

🐳くじら:
小学校のときとかは、何か印象的なこととか、どんな子だったとかありますか。

松本真澄:
小学校のときの印象的なこと…。
当時、誘拐が流行ってて。 

🐳くじら:
え?

松本真澄:
(笑)。いや、記憶がもしかしたら違うところあるかもしれないけど。覚えてるなかでお話すると、黒い乗用車で、子供の登下校の時間帯にウロウロして、誘拐するみたいなのが多かったと記憶していて。

🐳くじら:
へえ。

松本真澄:
全校朝会で、校長先生が気をつけなさいって言うぐらい、近場の小学校でも起こっていて。そのタイミングで、部活動を始めたんです。そしたら、帰りが遅くなるんですよね、6時とかだったかな。他の友達はスタートしてなかったので1人帰りになるんですよ。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
で、その日も1人で帰ってて。田舎なので、6時って人がそんなに歩いてないし、街灯もそんなにないし。暗かったんですよね。そんな中歩いてたら車が付いてきてて、後ろから。でも、誘拐だ!って決めつけるのは失礼だなって子供心ながら思い。気にしないようにしてたんですよ。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
そしたら、突然ブイーンって横付けされたんですよ。で、話しかけられたんですよね。その時、やばい!って感じて、見知らぬ家にピンポンして、ただいまーー!ってやってみて。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
そしたら、その家の人がドア開けてくれて。 そこで、「多分あれ誘拐の人だと思う・・」って話して。なんとか大事に至らなかったんですよ。
それでその夜両親から、部活は駄目だってなって。当時多分3年生とかだったと思うんですよね。やりたいんだったらもうちょっと大きくなってからにしなさいとなったっていうのは結構斬新な経験だったかなと思います。

🐳くじら:
本当ですね。

松本真澄:
ははは(笑)。うん。

🐳くじら:
わかりました。さっきお話されてた、アメリカに留学したっていうのはいつ頃なんですか?

松本真澄:
ああ、はいはい。アメリカに行ったのは大人になってからで25歳くらいでした。実際は中学校を卒業するぞ、くらいのあたりから行きたかったんですけど。日本の高校じゃなくって。 

🐳くじら:
へえ。

松本真澄:
私は、両親に物をねだったり、これがやりたいって言ったりしない子だったので、1つくらいは許してくれるんじゃないかなって期待してて。渡米についてわりと熱くプレゼンしたんです。親に。まー駄目と言われて、日本の高校に行くことになって。そこでもあきらめてなかったので、高校卒業タイミングでアメリカの大学進学について熱弁したのですが、それも駄目で。大学生になったら次は自分が遊び呆けて。

🐳くじら:
うんうん。

松本真澄:
アメリカで心理学の専攻をしたかったんです。当時の自分が調べる中ではアメリカが先進的かなと思って。
児童発達心理をやりたかったんですけど。両親にはものすごい反対されました。そんなのやったらあんたが頭おかしくなるよとか、アメリカ行ったら銃で撃たれて終わりよ!とか(笑)すごい脅されたなー。なのでしょうがねえなって諦めて。
であれば、日本の大学で心理学専攻すればよかったんじゃ?って思われるかもですが、当時の私は、最先端で学べないならいいや。みたいな生意気なことを思ってですね。心理は選ばなかったんですよ。
でもやっぱり大人になっても、アメリカに行きたいって気持ちがなくならなくって。子供のときは両親のお金で行かなきゃいけないので許可が必要だけど、大人になったら自分で行けるじゃん!と思ってですね。

先生の道には行きたくなかったけど、行ったことが好都合といえば好都合で。っていうのも、忙しすぎてお金使う暇がないんですよ。 だから貯まる一方で。辞めるまでひたすら貯めて、辞めるタイミングで渡米しました。

🐳くじら:
アメリカの大学に?

松本真澄:
そのときは教職をしながらだったので、アメリカの大学にアプライできる余裕はなくて。なのでどうしようかなって探してました。方法はそれなりにあるじゃないですか、ワーホリとか。でもワーホリって違うなと思ってたら、オペアプログラムっていうのがあって。 

🐳くじら:
ああ、はい。

松本真澄:
あ、ご存知ですか。

🐳くじら:
そのお宅でお子さんのお世話をする…。

松本真澄:
そうそう、おっしゃる通りです。それでいくと、とりあえず最長2年かな?向こうにいることができるんですよね。

🐳くじら:
へえ。

松本真澄:
その2年で、大学に行くとか次のアクション決められるなって考えて。しかも手っ取り早い。手っ取り早いって言ったらあれだけど、何か試験を通過するとかもなく、先生をやりながらでも応募できるものだったので。 そしたらとてもラッキーなことに、お邪魔することになった家庭が、日本人の旦那さんとアメリカ人の奥様と、お子さんが2人という夢のようなご家庭で。

🐳くじら:
はいはい。

松本真澄:
日本人の旦那さんのご両親もアメリカにいらして。 面白くて気さくで。そしてハイスペックで。とっても良くしていただきました。

そこで様々な体験をさせていただき。インターンしたりケータリング事業をやらしてもらったり。それで2年経ったときに、もう少しいなさいよ!って言ってもらえて。ついでに何かやりたいことない?と聞かれたので、「児童発達心理が学びたい!」って話したら、いいじゃん!ってなって。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
そこから大学へアプライをして入学!というところまで行ったんだけど、実はちょっと問題があってっていう話を初めてカミングアウトしたんです。私ずっと生理がきてなくて、1年ぐらい。理由はおそらく、ご飯が全然食べられなくなったこと。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
洋食がダメになって、バナナとか、枝豆とか、サラダとか食べてました。そしたらやっぱ体重減るじゃないですか。体重減るのは別にいいんですけど、減りすぎたんでしょうね。 1年ぐらい止まっていて、ちょっとそれはあれだなってなり、やっとそこで病院に行ったんです。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
検査しても悪いところなくて。なので注射打って様子見ましょうって。しかし待てど待てど全然来なくて。

そしたら、パパママが、「慣れない環境に疲れたのかもしれないから、1回日本に帰ったら?」って。大学は逃げないし、またやれるし。もう合格できるってわかったじゃん?みたいに言ってくれて。超ポジティブなんですよ。 うちの両親だったら、もったいないから行きなさい!って言うシーンだけど。私も単純なので、あーそんなもんなのねって。1回帰って生理来たら戻ってくるねって言って帰国したんですよね。 
帰国して病院行ってよく食べよく寝て。みたいなド健康生活してみたのですが、半年経過しても音沙汰なく・・いよいよ仕事しなきゃだなとなったんですが、アメリカに戻るつもりなので、腰掛でできる仕事を探していて。アメリカのおじいちゃんに相談して、ある会社をご紹介いただけて。 

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
暮らせるぐらい稼げればいいか、みたいな感じでした。でもでも、いかんせん生理が来なくて。 病気でもないし、だったらアメリカ戻ろうかって考え始めた頃に主人に出会い。結婚しちゃいまして。 そこからしっかり仕事しなきゃってなりました。そしたら子供ができて、という感じで流れてきます。 

🐳くじら:
わかりました。ちょっと時間が来ちゃったので未来の質問に入っていこうと思います。

松本真澄:
はい。


未来:ああいう方は給付金がもらえるのでって。この子が生きる未来が今の延長線上にあるって本気で思ってんのかな、って。

🐳くじら:
はい。では5年後10年後、あるいは死ぬまでは想像していただいて、未来についてどういったイメージをお持ちですか。

松本真澄:
自分の未来ですか?

🐳くじら:
そうですね。

松本真澄:
えっと…。多分大変かなってイメージしてます。

🐳くじら:
というと?

松本真澄:
大変かなというか、私の長男が次3年生になりますっていう子なんですが、 軽度の知的の遅れがあるらしく。

小学校に入学するときに、 ふるいをかけられるんですよテストで。それであの子はふるいから落ちたんですけど、そのときに特別支援学級に行った方がいいですと言われて。なぜ?と質問したら、集団で指示が通りずらいからです。って。え?小学生ってそんなもんでしょ?って。
本人は将来消防士になりたいという夢があったりもしたので、支援級の先にどんな未来があるのかをヒアリングしてみたんです。そしたら、「国からのサポートもありますし・・」とちょっとうつむき加減で言われて。それ以外の具体的な情報は全然出てこず。
なるほど、その道に行ったら選択肢というものはほぼないのね。 レールは1つなのかって。

🐳くじら:
特別支援学級に行った場合ってことですね。

松本真澄:
そうですそうです。あと、支援級って何をされているんですか?と聞いてみたら、「生活を問題なく送れるように訓練します。通常クラスの子より厳しいですよその辺は。」と回答いただいて。つまり、人に迷惑をかけないように過ごす方法を学ぶんだなって。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
例えば、やってって言われたことができるとか、駄目って言われたことをやらない。 だから、列からはみ出さないことを学ぶ。っていうことねって理解しました。加えて、「日本は手当がとても充実しているので大丈夫ですよ。労働だけが幸せではないと思います」とも言われました。10年後が今と同じ世界だと本気で思ってることに絶望でしたね。

消防士になって誰かの役に立ちたいという夢を支援するのが大人の責務だと思うので、まずは覚悟を私が決めて。子供の未来に可能性を作ろうって。通常級に入学させました。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
でも結局勉強がとことん駄目なんですよ。
もちろんちょっとずつですが確実にできることは増えています。でもその他大勢と比較したらできないことが断然多くて。なので、担任の先生からは支援級をやんわり進められてきました。
学校は勉強する場所なのでって。
理解はできるけど、私は学校って、自分を知って、人を知って、社会を知る場所だと思っていて。

でも今の日本のシステムでは、平均から外れた人はその道を行くしかないわけです。
納得できないし、未来は誰にも分らないので、家でサポートをしています。
最初、いろいろ限界だなってお話したじゃないですか。実はここも絡んでるんですよ。

🐳くじら:
はいはい。

松本真澄:
本人も、やれるようになりたい!という気持ちが強いので、この2年間家庭学習を頑張ってきました。学習内容を模索して、試して、改善して。これまでのところに勉強が乗っかってきたのでまーまー大変です。

でも。今のままでは、うちの子は自分の道を見つけられないじゃないですか。日本でいう多様性って、限りなく近場に転がる異なりをよんでいるので。あの子は一般から遠く離れた世界で生きることになるんじゃないかって思っていて。夢に破れたり、悔しい想いをする経験すら持てない。

ただこれもおかしな話だなって。大人の世界では、ハンディキャップを!とか、貧しい国の子供を!って、見たことも想像したこともないカテゴリーの多様性を見なさいって言ってるじゃないですか。
実際私もそうでした。息子が来てくれて初めて知ったんですよね。頑張ってもできないという普通があるって。 正直今でもちゃんと理解してあげられてはいないと思います。でも、やっと多様性に足を突っ込めたかなとは思います。

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
誰かを想う気持ちは平等だし、うちの子はその力がとても強いです。
その才能を見つけて伸ばして、生かしてあげられるのが大人の責務なのではと思っていて。
そんな場所作りをしたいと考えています。 

🐳くじら:
はい。お話を聞いてて思ったんですが、そういうお家でお子さんを指導したりとか、ワンオペでいろいろやられてる内容を、なんか外注というか、人に頼んだりっていう発想はあんまりなかったんですか。 

松本真澄:
もちろん考えてましたよ。でもなかなかうまいこといかず。難しい条件出してるわけじゃないけど。

🐳くじら:
へえ。

松本真澄:
あと、コストもかなりのものなので、うちのような家庭では手が出せない。
勉強のところは貯金崩して試しました。でも結局ほとんど意味がなかったです。

🐳くじら:
意味がない?

松本真澄:
トレーニングの内容やレベル感もそうだし、教え方もそうだし。個人に特化できていないし、特性や個性にマッチするってけっこう難しいですよね。いくつか試して辿り着いたところで、今認知能力トレーニングをやってます。ただこれも教材用意したり、家でもトレーニングしたり。家庭のロードはかなりのものです。

異端という括りに入ってしまうと、ノウハウもなければ、サポートもない。
大人になって手当が出るとかの前に、能力を伸ばす教育が大事では?と疑問でいっぱいです。

ということで、私がやればいいと腹を括って今のスタイルになってる。 もしどなたかいらっしゃるのであればぜひともお願いしたいです。 

🐳くじら:
なるほど…。そうか、そんなにないものなんですね。

松本真澄:
うーん、、うちが特殊なのかもですが。。

🐳くじら:
わかりました。
もしもの未来質問というのをさせていただいているんですが、松本さんがもしもやってもやってもできない人というか、何をやってもつまずきがちの人生だったら、どういう人生だったと思いますか。

松本真澄:
半グレになってたんじゃないすかね。ふふふ。どうだろう…。だから自分と正反対の人だったらってことですもんね。

🐳くじら:
そうですね。

松本真澄:
悪いことに手を出すかどうか別として、堕落した人生を歩むんでしょうね。ありたい姿にたどり着ける見込みがないんですもん。となるとうちの息子はすごいなと思います。腐らず、頑張るんですよ。今ちょっと質問されて、思った。

🐳くじら:
気持ちが移ろいがちというか、特定のことはあんまり続けてこなかったっておっしゃってましたが、それはできるがゆえに特定の好きなものができなかったというか、極めるところがなかったみたいな部分はありますか。

松本真澄:
そうかもしれないですね。一定のところまでできるようになるじゃないですか。 そうするともういいかなってなるんですよね。大谷翔平くんとかってもっとずっと上を目指してるじゃないですか、同じフィールドで。 ああいうことが私できないんですよ。
多分好きじゃないからなんでしょうね。愛情というか、その熱量が嘘ものなので。必死にやる必要ない。性格めちゃ悪い。

🐳くじら:
(笑)

松本真澄:
だから児童発達心理とかね、そういうところに行っていたら違ってたのかもしれないですね。 本当に自分がやりたいって思ったことってそれくらいしか思い出せないし。

🐳くじら:
その児童発達心理はなんで中学生の頃から興味があったんですか。

松本真澄:
本の名前忘れちゃったんですけど。
私、読書が好きで。夏休みとか、多分図書館の本ほとんど読むんじゃないかぐらい読んでたんですね。中学生のときも。部活動と読書が私の日課ぐらいの勢いだったんですよ。 

🐳くじら:
うん。

松本真澄:
そのときに出会った本があって。タイトル忘れちゃったんですけど。内容が、日本の特別支援学級みたいなところが題材で。ノンフィクションだったと思います。家庭で虐待を受けまくっている子が出てきて。喋れないし、排泄もできないみたいな、4歳とか5歳で。髪もボサボサでお風呂にも入れてもらってないからめちゃくちゃにおうという状態の子がいて、その子を人間に育てていくような話で。ちょっとずつ子供が心を開いてくれて、家庭に介入していくみたいな話だったんですよね。

その描写がすごかったんですよ。 何ていうのかな、人間がわかり合うって難しいんだなって。それがきっかけです。 

🐳くじら:
ありがとうございます。
最後になってしまうんですが、最後に言い残したこととして、読者さんに向けてとか、インタビューの感想とか、ご自身に対して人生振り返って思うこととかあればぜひお願いします。

松本真澄:
ありがとうございます。 自分のことをインタビューされるって初めてで。今回応募させていただいたのって、なんか無名の人、無名っていうか、ほとんどがこの世界は無名の人じゃないですか。 
 でもいろんな人生があって、同じような感じかもこの人!と思っても、その裏側って全然違うんだろうなって思ったりしていて、私って何者なんだろうってふと思ったっていうのがあって、応募させていただいたんですけど。

🐳くじら:
はい。

松本真澄:
お話をしながら、月並みなんですけど、なるほど私ってあの時こう感じて、あんな想いを持って人生の選択をしてきてたんだっていう。スティーブジョブスのコネクティングドットが初めて理解できたっていうか。

全部意味がなくてどうしようもない人生だったようにしか思えていなかったんだけど、意味があるところに進んできてるような気がするってちょっと思いました。すごく良かったです。 

🐳くじら:
それは良かったです。ありがとうございます。

松本真澄:
こちらこそです。ありがとうございました。


あとがき

 マルチタレントというか、何をしても一定の結果を出せてしまう人ならではの苦しみというのを、初めて知ることができました。🐳くじら自身はむしろ向いていることが少ないタイプなので、どこへ行っても活躍できる人を羨ましいなと思うことが多いのです。でもそんな人たちにも悩みがあるんだなあと。

 息子さんがいたからこそ、できない人の気持ちがわかったと仰っていましたが、本当の意味での多様性を理解するための訓練を私たちは積んでいないのだなと、しみじみ感じました。当然のように使っている多様性の言葉それ自体を、もっとリアリティのあるものとして捉えていく必要があると感じました。

 児童発達心理に興味があったこと、実際に今障がいを持つ(可能性がある)息子さんをサポートして、ワンオペで睡眠時間3時間以下の生活を8年間続けていること。好きなことがないと仰っていましたが、そこまで無我夢中で頑張れることこそが、熱意そのものなのではないかと感じました。

【インタビュー・編集・あとがき:くじら】


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