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来年の3月の私は笑っている気がする人

むかしむかし、ある寒村に、未来(みらい)という名の若者がいました。村は厳しい冬に見舞われ、多くの村人たちは希望を失いかけていました。
しかし、未来だけは違いました。彼はいつも「来年の3月の私は笑っている気がする」と言い続けていたのです。
村人たちは最初、未来のことを馬鹿にしました。「こんな厳しい状況で、どうして笑えるというのだ」と。
それでも未来は毎日、春に向けての準備を始めました。雪の中から薪を集め、凍った畑を耕し、種を蒔く準備をしました。
「なぜそんなことをするんだ?」と村人たちが尋ねると、未来は笑顔で答えました。「来年の春、私たちが笑っているために今できることをしているんです」
未来の前向きな姿勢は、少しずつ村人たちの心を動かし始めました。ある者は未来を手伝い、またある者は自分なりの春の準備を始めました。
厳しい冬が過ぎ、3月が近づいてきました。雪解けとともに、未来が蒔いた種から芽が出始めました。村人たちは驚きの目で見守りました。
そして3月が訪れた日、村は見違えるように変わっていました。畑には新芽が顔を出し、人々の顔には笑顔が戻っていたのです。
未来は大きな笑顔で言いました。「ほら、私が言った通りでしょう。来年の3月の私たちは笑っているって」
その笑顔は村中に広がり、人々の心に春をもたらしました。
それからというもの、村人たちは困難な時こそ、来年の笑顔を思い描くようになりました。「来年の3月の私は笑っている」という言葉が、村の合言葉になったのです。
後に未来はこう語りました。「未来を信じ、そこに向かって行動することで、私たちは自分の運命を作り出すことができるのです。笑顔を思い描けば、その笑顔に向かって歩んでいけるのです」
そして「明日の笑顔は今日の種蒔き」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月14日16時54分に書く無名人インタビュー916回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 渡邊菜月 さんです!

年齢:20代前半
性別:女性
職業:大学生


現在:「感情人間」である自分を否定しなくなった気がします。今年からかな。

qbc:
いま、何をしている人でしょうか?

むん:
今は大学4年生です。

qbc:
大学生では何をやっていることは?

むん:
大学では、人間を学ぶ学科で福祉と衣食住と経営経済を幅広く学んでいて、卒論は福祉の観点から、生きづらさを生み出す社会構造について研究しています。

あとは、外部で、今岡山県に住んでるんですけどスタートアップ支援拠点でイベント運営をしていたりだとか、コンビニのスタッフをしていたり、家庭教師をしていたり。企業さんのインタビュー動画の撮影に行ったり、いろいろやっております。

qbc:
何かに属してやってると?

むん:
そうですね、いろいろ属していて。
業務委託の場合もありますし、イベント運営は企業に属してやってます。

qbc:
余暇は何をしているでしょうか。

むん:
余暇はラジオを聞いたりとか、あとは読書をしたり、YouTube見たり、ずっと人の価値観に触れている感じですかね。それが余暇の楽しみ方です。

qbc:
タイトルベースでラジオとか読書とかYouTubeでどんなものを見ているんですか。

むん:
そうですね。ラジオはオールナイトニッポンが好きで、特にフリートーク1週間で何があったか、みたいなことをずっと喋ってるのを聞くのが好きです。あとは、最近は古典ラジオにも最近はまっていて、知ってます?

qbc:
説明してほしいっすね。

むん:
昔の歴史からその人間の生き方を学んでいくみたいな感じのラジオで、知り合いに紹介してもらって聞き始めました。「COTEN RADIO」ですね。あとは、YouTubeでも、ずっと誰かの価値観に触れていて。お笑い芸人さんとか、あとは作家さんのインタビュー動画とか、読書を最近新書が多いかな、誰かがこういう主張します、みたいな感じで論じているのを読むのが好きです。

qbc:
オールナイトニッポンは誰が好きですか。

むん:
ずっとフワちゃんが好きだったんですけど、ちょっと燃えていなくなっちゃって。他にも星野源さん、オードリーさん、あとは佐久間宣行さん、あのちゃんも聞いてたり、あとは霜降り明星も聞いたり、SixTONES聞いたり、まんべんなく。

qbc:
全部ってことですよね。

むん:
今は、全部聞いてない。マヂカルラブリーさんとかまだ山田裕貴さんとかは聞いてないんですけど。そう父の影響で父がね、誰だっけ、ナインティナインのオールナイトニッポンが好きで、それを聞かされてた影響もあるかもしれないですね。

qbc:
そのほか、生活時間、ご飯食べたりお風呂入ってあると思うんですけど、それ以外の時間って何か思い当たるところありますか。

むん:
そうですね。何か人生にそれこそ悩んでいて。自分が何がしたいのかわからないみたいな。何かしたいことはあるか。

起業もしたいなっていうふうに思っていたので。今、岡山県に住みながら、京都の起業家プログラムに参加していって、そこでヒアリングをしてほしい、ああした方がいいとか、課題を頑張っていこうとか、自分が何がしたいのかみたいなことを深掘りしていくワークシートみたいなのが出ていたりとかするので、それを埋める時間に使っています。

qbc:
考え事ってどうやってやってるんですか。

むん:
考え事は、ずっと頭の中でしてて、アウトプットにノート使ったりとか、あとスケッチブックに書き殴ってみたり、スプシで整理してみたりして。でも、基本頭の中で完結させることが多いです。

qbc:
最近、人間関係ってことは?誰かと何かをするみたいな入ってそんな感じでさっき言ったことを考えることによって。さっきの活動とかも含めて、学生大学生活も含めて。

むん:
考えることを誰かと一緒にするかってことですよね。

そうですね、考えたことをアウトプットするために人と話すみたいな感じで。友達にはほとんど相談することはなく。
今一応そのADHDで病院に行って担当医がいらっしゃるのと、ゼミの先生、あとはそのコワーキングスペースで一緒に働いているメンバーだとか、その周辺にいる起業家さんが信頼できる人が何人かいるので。

大人というか、自分の信頼できる目上の方にめちゃくちゃ壁打ちしてもらってるって感じですかね。

qbc:
人生全体で考えるときにどんな気持ちで生きてるのですか。

むん:
そうですね。大きくは二つの自分がいると思ってて。私、めちゃくちゃ感情の起伏が激しいので、その感情に流されるように生きてる自分と、それがうまくいかなかったりとか、外部、友人の世間、普通に生きてる友人とか、周りの価値観に触れることで、こうしなきゃああしなきゃみたいなのが自分で生まれて、その「べき」思考に縛られてしんどくなる

その普通に寄り添いながら生きてるときと、感情に流されるのを楽しんでる自分と2人いる気がしますね。

qbc:
感情に流される自分と「べき」思考にしんどいと思う自分の二つ?

むん:
はい。

qbc:
それは、どんな気持ちなんですか。

むん:
今までは感情に振り回されるのが本当に嫌いで。すぐに病んだりとか、すぐに調子乗って失敗とかして。
もう本当にいやだ、みたいになってたんですけど。なんかそれでもいいんじゃないって肯定してくれる人たちが最近は周りにいて、それを面白がってくれる人がいるんで。これ面白いになるんだって思ったときに、noteでアウトプットして、自分面白いかもって、これも感情に振り回されていけるのも面白いかもと思ったのが一つ。

あとはADHDの薬を服用していて。1回感情の起伏がなくなって落ち着いた時期があったんですけど、そうなったときに、めちゃくちゃこれつまらんな〜って思ったんですよ。人生において。

それに気づいて、感情の起伏があった方がいいなって思うようになってから、大事にするようになりましたね。

qbc:
はい。

むん:
質問なんでしたっけ

qbc:
どんな気持ちっていう。
質問は重要じゃないんで大丈夫です。

むん:
就職活動を一時期していて、何かの正解に当てはめることをすごく強いられていたので、何か質問に対しての答えが違うよとかよく指摘されていて、気にしちゃいました。すいません。

qbc:
気持ちの変化でいうと、この数年で、二つの自分っていう話をされたでんすけど、いつ頃からとか何か、意識したのってあったりします?

むん:
そうですね。1個私めちゃめちゃ感情人間だなって気づいたのが、中学生から、本当にめちゃくちゃトラブルメーカーで、相談するたびに「いや、考えすぎだよ」って言われるのと同時に、「メンヘラだよね」って笑われたりしてて。

qbc:
うん。

むん:
考えすぎだよって言われたことが、私すごいネガティブに捉えちゃって。考えすぎることは良くないことだって思ってたところから自己否定が始まって。

多分、今年に入るまでずっと自己否定?その「感情人間」である自分を否定し続けて、今年まで生きてきたんですけど。

去年noteに書き始めた辺りとかから、自分の感情に対して「スキ」をしてくれる人が増えたりだとか、共感するコメントくださる方とか言ったり。

あとはそのイベント運営の人たちに出会ったこととかも。本当に人との出会い、あとゼミの先生とか、そういう肯定してくれる人たちに、今年出会えたときがきっかけで、変わりましたね。その「感情人間」である自分を否定しなくなった気がします。今年からかな。

qbc:
いつ頃から否定に入ってたんですか。

むん:
そうですね。多分中学生ぐらい。多分親の影響もすごくて、何しても否定される環境で育ったので、なんか服一つでもこれださいとか、なんでこんなもの食べるのとか。全部否定してから入ってくる親がいたので。

qbc:
なるほど。

むん:
何やっても、自分は駄目な人間なんだっていうのが幼い頃から価値観としてあった気がします。

だから誰に何を言っても、否定されてるっていう気になったのかも、考えすぎてる、とかも。今ならよくも捉えられるけど、当時はイコール悪いことだ、みたいな、何か私に対して言われたことは全部悪いことだって思ってたかもしれないですね。

qbc:
最近、一番楽しかったことは何ですか。

むん:
2日前にめちゃめちゃイベントの話になっちゃうんですけど、そこの7人メンバーがいて、1人が海外に行くって言って送別会があったんですけど。

そこで送別会第2弾みたいな。2回目の送別会だったんですけど、

めちゃくちゃ楽しくて。ご飯食べてから受けてシーシャまで行って、3時ぐらいまで、遊んでいたんですけど、本当に居心地が良くて。大体友達と遊ぶときも、嫌われるかなとか、これを言ったら相手は多分、つまらなさそうにするよなとか。

全部、相手の顔色をめちゃくちゃ細かく気にして喋って、友達と遊ぶのも疲れるタイプで、あんまり遊びたくはないんですけど。この空間はもう本当に何も考えてないっていうか、これ聞いても誰も何も嫌がらないよなっていうなんか安心と信頼の空間で。自由にいられる自分がそこにはいたなって思ったのがめちゃくちゃ楽しかったですね。

qbc:
なるほど。はい。なんでそれが楽しいんですかね。

むん:
嫌われるかもしれない、怖い、がベースで生きてるので。そんなことを考えずに何か楽しい話とか、深い話もあったんですけど。そういう話を、なんか邪念なく聞けた、純粋な気持ちで聞けたのが。

初めて、というわけじゃないですけど、久しぶりの感覚で。すごい、居場所だって思えたのが私にとっては楽しかったのかもしれないですね。普通にワードウルフとかしたんですけど、そういうゲームも楽しかったし。

qbc:
それは、初めての楽しさ?

むん:
部活でうまくいってたときの部活にいる感じ。損得とか、メリットデメリットを考えて生きていて、私は。私が他者に対してメリットデメリットを考えて関わってはいないんですけど。
相手は私といるときにメリットがないと一緒にいてくれないと思ってるので。

それをメンバーに相談したときにメリットデメリット関係なくあなたがいることで、私達は救われるとか、一緒にいたいと思ってるよみたいな話をしてくださったきっかけで。

何も考えずに、好き嫌いとかなかったのが楽しかったですね。

qbc:
うまくいっていた時期の部活はいつ?

むん:
中高、同じ部活に入ってたんですけど、弓道部だった。中高一貫だったので、中三から高一、自分が決定権を持って行動できていた時期がうまくいってたなっていう感じ。仲間とも。不登校だったんで、私の唯一の居場所みたいな、不登校というか別室で受けるタイプの人だったので。

唯一私が、友達と同世代の人と分け隔てなく関われる場所、みたいな感じがあったのが部活で、それと一緒の感じがありましたね。

qbc:
性格は周りの人に何て言われるんです?

むん:
変わってるねとか面白いねとか、行動力あるね。って言われることが多いですかね。

qbc:
なるほど、自分ではどう思ってます?性格。

むん:
行動力があるのは、言われて気づいたからあんまり…。言われて確かにと思う部分と。あとは本当に感情の起伏が激しい。人と会ってるときに表面化されてない部分でも起伏が激しいので、なんかめちゃくちゃ人生を難しく生きてる人だなって。

生きづらい?難しい人間だなって思います。

qbc:
周囲の人、身近な人、家族、パートナー親友みたいなそういう距離感の近い人からなんて言われるのですか。

むん:
母親にはネガティブって言われる。

むん:
親友っていうのかな、なんて言われるんだろう。変わってるよねって言われることが多分多いですね。

あと、純粋だねとか素直だねって言われることは。

qbc:
どこが変わってる?

むん:
あんまわかんないんです。確かに行動、なんていうんだろう、関わる人が同世代に言われることが多くて。多分、人間関係、絡む人たちが大人の方、多分起業家さんとか、年上の人ばっかりだとか、人脈が変わってるねとか、あと周りに変わってる人が多いよねとか。

qbc:
うん。

むん:
サークルとかも所属していないので、一般的な地方の大学生にしては、脇道ずれた人間なんですかね、あんまりわかんない。確かにそこはあんまり言語化したことないな。

qbc:
うん。ADHDっていうのは何ですか。どんな特性がある?

むん:
私がですか。多動ですし、衝動で物言い行動するとか、もう本当に典型的なADHDなんですけど、大学は単位1個も落とさずに3年の後期ぐらいで授業を取り終わったんですよ。

qbc:
うん。

むん:
周りの同じような人たちに言ったら、すごいねって言われたんですけど、自分で決めて動くのは得意で、ただ90分の授業は耐えられないので、先生の話を聞く傍ら、スマホでラジオを聞いたりだとか、そこに座っていられるような工夫をしながら授業を聞いていました。

なので、単位を取り終わったけど、どこまで身についているのかは定かではない。ただ面白い授業にめちゃくちゃはまって取ってましたね。ちゃんと聞いてました。

あとは過集中と依存性もすごくて。人が好きっていうか、人と関わるのが好きなんじゃなくて、人の考え方がすごい好きなので。例えばアイドルとか、あのバンドとか何でもいいんですけど、お笑い芸人とかはまったら片っ端から情報全部仕入れるみたいな。

あとはTwitterとかにあるじゃないですか、隠語。文字で表記して情報があってそういうのを片っ端から調べて、この人はこういう行動指針で、こうやって動いてるんだ、みたいなんで、こういう創作物ができてるんだとかいうのを、知って満足したら次の人を深掘るみたいなことをやってますね。その後依存性がすごいんで、アーティストとかにはまっちゃえば、金銭気にせず地方を回ったり、高いお金を払ってチケット買って前列に行ったりとかしましたね。困ることが多いです。

qbc:
ADHDは、いつ診断されたんですか。

むん:
それは今年の6月なんですけど。
就活鬱がきっかけで、なんか自分でも病んでるなっては思ってたんですけど、大体病んだら3日で復活するんで、またあれかみたいな。

qbc:
うん。

むん:
病んでいるときも学校に行って、就活の情報集めて、大学のキャリアサポートセンターに通って相談してもらってみたいな、普通にしてるつもりだったんですけど、通りかかったゼミの先生に「本当に死んだ顔してるよ」とか言われたり、キャリア相談員に「今自分がやばいのわかってる?」って、「病院行った方がいいよ」みたいに言われて。

メンタルクリニックでも行こうと思ってメンタルクリニックにいったら、2日後ぐらいでたまたま予約が取れて、いざ病院に行こうって思ったら、めっちゃ元気になって。生きていけるってすごいハッピーになったんですけど。

qbc:
うん。

むん:
予約してるし病院行こうって思って。「今はすごい元気なんですけどこういう症状が昨日までありました」みたいな話をしたら、病院の人から、躁鬱、双極性障害ですねって診断がおりて、あまり詳しくないんですけど。

ここでは治療できないって言われて。

大きい病院の紹介状を書かれて。今通ってる大きい病院で、症状とかいろいろたらますADHDの傾向があるんで、診断結果で、検査受けますかって言って検査を受けて、発覚したって感じですかね。

qbc:
診断されてどうでした。

むん:
あってるのかわかんないんですけど、嬉しい気持ちがありましたね。今までできないこととか多いし、人間関係もことごとくうまくいかなかった。多くのトラウマを抱えている身なので。

qbc:
うん。

むん:
自分の性格に難ありっていうよりは、脳の特異性がそうさせてたんだって思ったときに、点が線に繋がって原因がわかったみたいな感覚があって。

向き合える、自分の負の部分に向き合えるチャンスになったんじゃないかって思えたのが一つと、でもやっぱりそうはいっても、障害っていう名前がついていることに対しては、すごい嫌でしたね。その原因がわかったことは嬉しかったけど断定された、言葉が嫌でした。

qbc:
うん、うん。

むん:
だから診断されるまで車で行ってたんですけど、たまに私車で叫ぶのがストレス発散で診断された帰りでも、めっちゃ車で叫びながら帰りました。ええ。でもそれで

qbc:
どんなさけび?

むん:
ワーッているだけ。
あんま記憶ない。なんて言ったんだろうわからない。大きい声を出すのが好き。もう大きい声出してました歌ってたのかな。

qbc:
いつ頃からそのストレス発散方法を?

むん:
そうですね。免許を取ってから、免許取って何か父親が海外にいるので、車が2台あったんですけど1台が使われてないんで、実質私のものみたいな車が1台あって、それを自由に乗り回せる、20歳ぐらいかな。病んだらドライブみたいな習慣があって、そこら辺からかもしれない。

過去:全部、全部いじられて笑われました。何もかも。逆にそれしか私も居場所がないと思ってたんで、それを受け入れてヘラヘラして生きていましたね。

qbc:
過去について聞いてきますね。子供はどんなこどもでした?

むん:
子供の頃は、めちゃくちゃ外が好きで、外で遊んでたイメージがある一方で、マンションに住んでるんですけど、毎週同級生の子供がいっぱいいたんですよね。10人ぐらいかな。

qbc:
親も仲いいので、マンションの広場で必然的に放課後は毎日遊ぶみたいなルールっていうか、その空気ですよね。大体みんな下に集合ねみたいな。下に集まって、親たちも話すみたいなのがあったんですけど。なんか輪の中にうまく入れていない自分がいるような気がして。

qbc:
うん。うん。

むん:
ベランダから外で遊んでる子たちを眺めている方が好きだなって気づいた瞬間もあって。

遊ぶのも好き、外遊びっていうよりは、その途中から、そうですね、ベランダから見下ろすような子供に、変わっていた気がします。

qbc:
どんな遊びをしてました?

むん:
そうですね。鬼ごっことかポコペンとか、小学生がみんなで遊べるかくれんぼとか。集団で遊ぶことをみんなでやってたのが小学生。

その後は、高学年になってくると、セブンでお菓子買って、外に机があったので、お菓子たべながらみんなで宿題するとか、ちょっと遊びが大人になっていたのかな。

qbc:
兄弟は?

むん:
兄弟は弟が1人います。

qbc:
家族からはどんなふうに一つ育てられたかなとか思ったと思うんです?

むん:
わりと自由に育ててくれたなって感じですかね。やりたいこともやらせてもらえたし、うん。やりたいことに対しては否定されなかったかもしれない。

ピアノをやったし水泳をやったし、公文、習字、塾、バレーボール、テニス。
いろいろやらせてもらいましたね。割と裕福な家庭で育ったのかなと思います。

qbc:
幼稚園の頃ってどんな子だったか覚えてます?

むん:
最初は、母親がキリスト教がすごい好きで、キリスト教の幼稚園に4歳ぐらいで入ったんですけど。5歳の時に、地元の幼稚園とどっち行きたい?みたいな選択肢を与えられて、私、外で遊ぶのが好きだったんで、地元の幼稚園行きたいって言って。
そのお嬢様幼稚園から短パン履いて走り回るような幼稚園に転園しました。

ずっと外で竹馬、一輪車、ブランコと、鉄棒とかも好きだったかな。

そのときから友達をいじめてたみたいです。あんま記憶ないんですけど。「〇〇ちゃんをいじめちゃ駄目でしょ」って、先生にも親にも怒られたみたいです。あんまり記憶ないんですけど。

qbc:
なんのいじめ?

むん:
何が直接嫌いか、言ったんですよね。その子が泣いちゃったみたいで、関係こじらせたみたいな感じですね。素直に言っちゃうみたいな。

qbc:
小学生の頃は?

むん:
小学生の頃はあんまり記憶ないんですけど。あっでも入学した次の日、幼稚園からのそのまま入学、地元の幼稚園からの友達と同じクラスになって、柔道をしようかなんか言われて、いいよって言ったら回し投げか何かされて、顎を打って、入学当初から今にアザをつけて登校していました。

qbc:
1年生で?

むん:
1年生です。
あとは3年生ぐらいです親友っていう子に出会って、スヌーピーにはまって、多分ずっとシェアハウスしようねって言った子がいたのと。3年生でも怒られましたね。先生に連絡帳に落書きしあいをしてたの。不適切な言葉を書きあっていて怒られた。

qbc:
不適切って?

むん:
キモイとかなんとか書いてたんですかね。お互い。あとは、うんちの絵を描いたりとか。

5年6年はスポーツのバレーやってて、チームとチーム年下の子が多かったんですけど、めちゃくちゃいじられ役になって。ヘラヘラしながらバレーしてたら、父兄さんにはすごい嫌われてましたね。ちゃんとやれ、みたいな。

監督にはめっちゃそのエースのポジションを任せていただいて、ボール投げつけられるぐらいまでアタックの練習させられたりとか、サーブの練習、マンツーマンで練習させられることが多かったですね。

あとは、6年生あたりでインフルエンザになったんですよ。

qbc:
うん。

むん:
そしたらその3年生ですね、スヌーピーの家に一緒に住もうと言っていた子と6年生も一緒にいたんですけど、インフルエンザから帰ってきたら、ある子たちとグループ作ってて。

見えない存在みたいな扱いを受けて、そこからインフルエンザ恐怖症、休むことに対しての恐怖がすごい芽生えたのが6年生ですかね。

だから中学生でインフルになったとき、本当は行っちゃ駄目なんですけど、インフルを隠してマスク3重ぐらいにして、学校行ってました。

qbc:
中学校は?

むん:
2年生まで無遅刻無欠席でしたね。

qbc:
その他、中学校生活は?

むん:
中学校はもう私立にもう1回キリスト教の学校に行くんですけど、中高大とエスカレーターで来ていて、中高は一緒の場所。そうですね、女子高だったんで、出だしからトラブル。
大体トラブルメーカー。

なんか、意図せず私が悪者になって喧嘩するみたいな、電車が遅れて学校行ったら、無視されるとか、なぜって思いながら、遊びだよ、とか言って笑われたりするんですけど、ちょっとよくわからず。その後未だに関係こじれてるとかありますし。

あとは文化祭で絵を描きたいって言って、上手い子にお願いしたら、一緒に文化祭のポスター担当していた子に「何で勝手に人にお願いするの?」って言われて。上手い子に書いて欲しかったからって動いたら、意図してたことと違ったのか、急に無視されるようになって。

役から退いたりとか、いろいろありましたね。中3だけは楽しかった。クラスに恵まれたので。

qbc:
高校は?

むん:
高校が不登校になりましたね。高1のはじめ。人間関係をこじらせてきた学校にまた戻ってきたっていう、若干の嫌悪感と。あとは同じ制服を着て同じ授業受けてる同級生に対しての同じという急に気持ち悪さを感じるようになって。

qbc:
うん。

むん:
自転車とパスで通ってたんですけど、自転車乗る前の駅で、動けないほどお腹が痛くなったり、出る一歩が進まなかったりみたいな感じで学校に行けなくなりましたね。そこから不登校の子が集まる部屋に行ったり、あとはテストで1位取るのが好きだったんで、過集中で授業を受けたり、なんかいい感じに学校を使って、何とか卒業しました。

大学は、大学は中高のトラウマがあったので、友達作らないって言って。内部進学なので、3人ぐらい仲良い子と一緒に授業を受けてたんですけど。嫌だなって思って1人で授業取ったりとか。一匹狼かのように生きて外部でいろいろ活動して、大人との人脈を増やす。
同世代を嫌って生きていましたね。女子高なんでずっと、今年で10年目ですね。

qbc:
自分の人生を振り返ってどうでした?

むん:
いやあなんか。今年の6月にADHDって発覚したのが。

その傾向が全部、幼稚園のときから見られてたんだなって。その傾向あったんだなって思いましたね。そうですね、だから今年、本当にいい人たちに出会えたことがきっかけで、平然としている。

自分らしくいられてるんだろうなっていうのを感じました。
頑張ってましたね。去年までの私は。

qbc:
いい人っていうのは?

むん:
それこそ自分に合う人なんか自分も否定していた部分を肯定してくれる人たちに出会えたことが、私の中で財産かなと変わった感じですね。

qbc:
否定されてたんですか。何か周りから?

むん:
いや、否定されたり肯定はされなかったんで。

qbc:
うん。

むん:
もう、全部、全部いじられて笑われました。何もかも。逆にそれしか私も居場所がないと思ってたんで、それを受け入れてヘラヘラして生きていましたね。

qbc:
転換点ってあります?自分の人生で。

むん:
2個ぐらいあるかな。

1個は今年の就活鬱になったあたりぐらいから支えてくださった方たち、出会った人たちで、変わったのが一つ。あとは高校生の不登校になったときに、不登校部屋にいた体育の先生が。その人だけが私の中の肯定してくれる人だったんですよ、ずっと。去年まで。

でもその人がいるから、何やってもいいやって思えるようになったのは、転換点だったな。こうある”べき”から、呪縛を解いてくれたのがその先生の存在。

もう1個あるのが、高3のときに、起業家さん、学生起業してる人のセミナーに出たんですけど。それで学生起業っていう言葉を知って、大学生起業したいと思って、起業主体でいろいろ人脈を広げてきたので。起業って1個のワードを仕入れたことが、転換点だったかなと思います。

qbc:
なるほどね。

qbc:
生まれたところの風景ってどんな感じのところだったか?生まれ育ったところ。

むん:
生まれ育ったのは、本当に普通の町なんですけど、祖父母両方とも山の中に家があって、なので山に囲まれて親戚も多いので、わいわいお酒を飲む宴会みたいなところで、のびのびとやってた記憶があります。山で走り回っていた。緑とお酒って感じですかね。

未来:届けて勇気づけられる人がいるみたいな、なんていうの、アーティストでも作家でも、今私が見ている人たちの立場になりたいなと思って。

qbc:
5年、10年、30年、40年、死ぬっていうところまでちょっと見据えて、イメージした上で今どんな未来を未来はどんなふうに思ってます?

むん:
そうですね。死ぬ前の1個目標は、何かいろいろあったけど、私で生きててよかったなって。生まれ変わっても私になりたいって思える生き方をしたいなと思ってて。

qbc:
うん。

むん:
大学4年生で、みんな内定思っているんですが私だけ内定を持っていない、進路も院進もきまっていない、何も決まっていない状態で。

不安でしょうがないんですが。なんかでも私の人生は絶対に上手くいくっていう謎の自信だけはあって。

今までやりたいことも行動すれば叶ってきたし。今までの人生に満足しているので、嫌なことも楽しいことも含め、満足できる人生を送るんだろうなって。

根拠なしの自信だけは思ってます。うんそうですね、1つ思ってるのは自分の感性とかを発信して、クリエイティブ。それをいいねって言ってくださるファンじゃないですけど、それは、届けて勇気づけられる人がいるみたいな、なんていうの、アーティストでも作家でも、今私が見ている人たちの立場になりたいなと思って。

qbc:
どんな気持ちでいたいなとかってあります?未来に。

むん:
そうですね。自分に嘘をつかないこと。あとはわくわく刺激がやっぱりすごい好きなので。

わくわくし続けられる方を選択できるような。お金がないとか時間がないとかじゃなくそういうのを一旦取り払い、わくわくできる方法を選択できる状態でい続けたいなって思ってます。

qbc:
起業っていうのはどんなものを考えていますか?

むん:
私ずっと生きづらいで生きてきたので、。生きづらいが口癖で生きてきた一方で、最近は生きやすい、生きてていいみたいななんか自分すごいことにできるようになったので、そういう生きづらさを抱えてる人たちのマイナスな状態がゼロになるだけではなく、プラスになるような何かができたらいいなって思ってます。

起業っていうよりクリエイター気質な何かをやった方が近いのかなと思ったり。

qbc:
クリエイティブってのは何を指して?

むん:
そうですね。デザインすることと、文章を書くことがすごい好きなので。あとはアイデアを考えるのもすごい好きなんで、アイデアでデザインと言葉を届けていきたいみたいな。

qbc:
うん。

むん:
それが、私の指すクリエイティブかなと。

qbc:
今までに、自分が一番経験して記憶に残ってることって何ですかね。変化を伴った記憶。
例えば、留学経験とか、スポーツとか。

むん:
アメリカに行ったことかな。今年の夏、アメリカはすごく変わっていて。短パンの人とかそう自由な人がめちゃくちゃ多いじゃないですか。なんか海外で、それを自分でやりたいと思って。

めっちゃ薄い短パンとタンクトップで生活してたんですけど、なんか周りの目を気にせず生きられるってすごい、いいなって思った。
あとは、グランドキャニオンとかを見て、ガイドさんとかが1万年単位とかの話をしてくださるんですよね。私の人生、100年目って短いって思って。

qbc:
うん。

むん:
なんか岩もこれだけ変化するけど、100年だったらちょっとしか変化しない。だったら、何してもいいかなって。こうあるべきの呪縛をすごいほどいてくれたような。観光しに行ったんですけど、そういう滞在期間だったなと思います。

qbc:
もしも未来っていう質問をしてるんですよ。

むん:
はい。

qbc:
もしも自分がいろんな経験をですね、積んで。変化して、自分が変わった状態になってる、戻ってくるというか、変化をしたあとですね、そしたらその自分は何をしようと思うと思います。何をすると思いますか。

むん:
音楽の世界に生きている、かな。

qbc:
音楽?

むん:
音楽って、言葉を届けやすいなと思ってるんですが。その一方で、自分は音への感性が多分ほとんどないので、ピアノも一切弾けなかったですしみたいな。なので、言葉が一番届くのって音楽だなって思ってて。なんでその何かもしもの話でいうと、音の感性を身に付けて言葉を発信していきたいなって。

qbc:
その音楽家になって何をしたい?ちょっと想像してもらえますかね。

むん:
言葉を届けたいんですよね。とにかく。

qbc:
どんなことば?

むん:
こうあるべき、っていうことはない、好きなように生きていいよじゃないですけど、自分を閉じ込めている人を解放するような文章、言葉を届けたいって感じですね。とにかく「べき」思考をなくしていきたい。普通の枠とか。

qbc:
それこそ、音楽でそういうふうになったことあるんですか。

むん:
ありますね。

qbc:
あると誰のどんな曲?

むん:
King Gnuの、何でも全部。歌詞がすごく好きで
この人みたいに生きていけたらいいなっていう。

qbc:
うん。

むん:
気が楽になる。元気になります。

qbc:
やっぱりボーカルメインボーカルじゃない方とかに共感したりするんすけどどっち、どれどれが誰ですか。

むん:
そうですね共感においては、常田さん。芸大中退の方。
中退の方に共感するというか、こうなりたい、リスペクト?かっこいいなってね、生き方素直。

自分の感情のままに生きてる人だなって。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問ですね、最後に残したことはっていうので、遺言でも読者向けメッセージでも独り言でもいいんですけど、最後に言い残したことがあれば、お伺いしています。

むん:
そうですね。ずっと動いているので、今、めちゃくちゃ不安なんですけど。来年の3月の私は何となく笑っている気がする。わくわくに突っ走っている気がするんですよね。不安、想像していた未来じゃなかったって萎えていない気がするので。
その感情の起伏を殺さず生きていてほしいです。
お願い?未来の私に。社会に潰されないで欲しいですね。こうあるべきに縛られて、やりたくない道を選んでいないことを祈っています。そのために今、私は頑張ろうと思います。

あとがき

人は休むべきなのだ。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:一休誰絵】

#無名人インタビュー #インタビュー #大学生 #地域 #ローカル


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