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未来。そうですね、どうなんだろう。難しいですね。なんか、あんまり何か、わかんないです。わかんない。わかんないです。人

むかしむかし、ある村に、迷道(まよみち)という若者が住んでいました。迷道はいつも「わからない」と言っていました。
未来のことを聞かれても、
「わからないです」
将来の夢を聞かれても、
「わからないです」
これからどうするのかと聞かれても、
「わからないです」
村人たちは最初、迷道のことを心配しました。でも、迷道の「わからない」には不思議な正直さがありました。
ある日、村の長老が迷道に言いました。
「わからないと言える勇気は、とても大切なものじゃ」
迷道は驚きました。「でも、私にはなにもわからないんです」
長老は穏やかに微笑んで続けました。
「川は流れながら道を見つける。雲は風に乗りながら行く先を決める。時には、わからないままで進むことも大切なのじゃ」
その言葉をきっかけに、迷道は少しずつ変わっていきました。
わからないけれど、今日にできることをし、
わからないけれど、目の前の人に親切にし、
わからないけれど、心の向くままに歩き、
わからないことを、素直に認めながら生きていきました。
不思議なことに、「わからない」と認めることで、迷道の心は少しずつ軽くなっていきました。
後に迷道はこう語りました。
「未来はわかりません。でも、それでいいのかもしれません。わからないことを抱えながら、一歩ずつ歩いていく。それも人生の一つの形なのかもしれません」
そして「わからぬ道も、歩めば道」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年12月12日11時41分に書く無名人インタビュー969回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】


今回ご参加いただいたのは りく さんです!

年齢:20代後半
性別:女性
職業:会社員


現在:自分の幸せ、自分が今まで進んできてやっと掴んだ幸せだと思った瞬間に、周りがボロボロって崩れるっていう感じがして「あれ?」みたいな。

qbc:
では最初の質問です。今何をしている人でしょうか?

りく:
鹿児島で会社員をしています。会社で働いてます。

qbc:
はい。なんかどんな気持ちで日々過ごしてますか。

りく:
どんな気持ち。そうですね。なんか今年で26歳になったんですけどなんかこのままでいいのかなっていう気持ちと、このままがいいのかなっていう気持ちとで、なんか毎日気持ちがふわふわしてる感じで過ごしてます。

qbc:
どうしてそういう気持ちになるんでしょう。

りく:
そうですね。なんか、割と今までこの1年前ぐらい前までは何か、割と自分の直感というか、ノリと勢いで生きてきたところがあって、生きてきたというか、割と人生の決断をしてきたのがあって、全然今までの生き方というか今までの自分の選択に後悔はないんですけど、自分が思い描いた26歳になれてるのかなとか、これから自分の先を考えたときに、今のこの進み方は合ってるのかなとかっていうのを考えるのがすごくここ1年ぐらいで増えていて。
一歩を踏み出せるのか、はたまた踏み出せない、踏み出さない方がいいのかっていうところで多分悩んでるからこそのふわふわなんだと思います。

qbc:
それは何かポジティブな気持ちなんですか、ネガティブな気持ちなんですか。

りく:
そうですね。どちらも、なんか今、さっきお話したんですけど、なんか1年ぐらいでポジティブなこともネガティブなこともいろいろあって、自分の心境の変化にそれが及ぼしてきてて、なので、どちらの側面もあるからこそ動けてないっていうのが今の感じです。

qbc:
今このままでいいのか、このままでいるのか、そう思い始めたきっかけみたいな具体的なことがあるんですかね。

りく:
そうですね。なんか割と今まで自分の勢いで生きてきてるので、何か思い立ったが吉日みたいなところがあって、なので、社会人だったら特にそれは仕事になると思うんですけど、仕事っていうところでも自分が思い描いてた夢というか職業に近いものに行こうみたいなので突き進んでは現実を見て、自分の力の足りなさとかいろんな部分で心が折れて、後退してみたいなのがあって、でもその気持ちはわりと持ち続けてて、がむしゃらにというか、よく言えばがむしゃらなんですけど、割と自分の思いだけで生きてきた部分があって。
それが例えば自分の今の恋愛であったりとか、一番大きなのは多分、私今、遠距離の彼氏がいるんですけど、その人との将来を考えて、それを自分の家族に話したときに、両親に熟年離婚をその場で言われまして。

qbc:
離婚を言われた?

りく:
結局まだ一緒には住んでるんですけど、まだ籍も抜いてないんですけど、事実上っていう感じではあって。

qbc:
それはいつあったコミュニケーションですかね。

りく:
えっとですね、1年たたないぐらい前ですかね、なんかそういう、割と節々はあったんですけどちっちゃい頃から。でも、その節々が見えたっていうのは別に、親が離婚するとかじゃなくて割と私は何か、家族関係はいい方だとずっと思ってて。でも、なんかかみ合わない部分が小さい頃からあって、理由はここだったんだみたいなのがわかった感じではあるんですけど、なので自分の何か、何て言うんすかね。自分の幸せ、自分が今まで進んできてやっと掴んだ幸せだと思った瞬間に、周りがボロボロってくるぐらいっていう感じがして「あれ?」みたいな。
ていうところで何か私は割と周りのことを見てなかったのかなっていうので、今います。っていう感じです。

qbc:
ちょっと聞いておきたいんですけど。自分の遠距離で相手と結婚を考えてるみたいな話までいったんですか?

りく:
もう今も割と現在進行形で、その親にはそういう話を伝えて。

qbc:
その話をした瞬間に、その熟年離婚の話題が出たんすか。

りく:
そうなんですよ。多分、私の両親からしたら主に母親からしたら自分と同じような思いを抱かせたくない、自分と同じようなきつさを味わわせたくないっていうところで、私の結婚っていうのが現実的になったときにそれを全て話してくれて、なので母としては愛情というか私のためを思ってっていうことだったとは思うんですけど。

qbc:
うん。

りく:
でも正直、「ここで言うなよ」っていうのが一番だったので。「ええ?」みたいな。それによって私のこれからの選択肢も変わってくるので、実際に変わってしまってるので、どうしようみたいになってるので、はい、っていう感じです。

qbc:
なるほど。そこから具体的に何かアクションとかあったんすか。結婚とかそういうのに関わらず。

りく:
そうですね。私今26なんですけど、26にしてはちょっと転職回数が多くて。実は今、2回転職してて、この前まで3回目の転職活動をしてて、先々週ぐらいに内定をちょっといただきつつもちょっと断ったっていう感じではあったんですけど、それもなんか、そうですね。
なんか家族元々ちょっと家族と距離を置きたいなって感じてたのが明確化されちゃって「もう無理だ」って思って、「出よう」って思って離れちゃって勢いで転職活動をしたんですけど、ちょっと勢いすぎたなっていうのでちょっと一旦止まってみたいな感じなのでうんなので、何か現状何か変わってるかって言ったら何も変わってないんですけどわりと勢いで転職活動だけはしました。結局何も変わってはいないんですけど。

qbc:
一応活動も継続中?

りく:
そうですね。ちょっとゆる〜くはしてます。

qbc:
仕事に関しては、どんな感じのお仕事にしたいと思ってるんでしょうか。

りく:
そうですね。元々一番最初に新卒で入った会社が本当にちっちゃいときからしたかったお仕事で、元々テレビが大好きで、テレビっ子だったので、テレビに携わりたいっていうのが強くて、そこからちょっと広げていろんな媒体で新聞とかも含めて、ていう中で就活をしてたときに、映像制作会社に入社できたので、なので、そこで夢は叶ってるので正直もう何かそれをもう追わなくてもいいかなとは思いつつ、あのときの何かバイタリティが今あるかというとそうでもないので、そのときの気持ちをちょっと取り戻したいなっていうところはあります。
なんかこんな感じで大丈夫なんですかね。

qbc:
全然大丈夫ですよ。それで映像制作会社に入って転職してるんですね。

りく:
転職して、2社目が全然違う観光施設で働いてて。

qbc:
観光施設?

りく:
はい。そうなんですよ。

qbc:
それは、好きだったから?

りく:
いや、全く好きとかもないぐらい興味がないぐらいだったんですけど、なんか、それこそ1社めが結構労働環境がきつかったので、やっぱりどうしても私の家族とかは、心配というか、ちょっと過干渉気味なところがあるのでやっぱり「大丈夫? 大丈夫?」ってなってしまって。

qbc:
うん。

りく:
もうその辞めた1年ちょっとぐらい実家にいまして、なので「もう早く出たい、実家から出たい」っていう思いで、ちょうど募集があったので「ここいこ」みたいな感じで受けて受かって、みたいな感じでした。なんで正直そんな興味とかも全くなかったですね。

qbc:
その後は?

りく:
でもその後、そのお仕事がめちゃめちゃ楽しくて、入った後はすごい楽しくて、ただそのちょっとお給料とかっていうところで、やっぱ勢いで決めてるので環境はすごい良かったんですけど条件が良くはなかったので、ちょっと先を見据えてちゃんとしたとこで働きたいなと思いつつ、ただその鹿児島を出るとかっていうちょっと踏ん切りがつかなかったので、鹿児島でちょっと大きなところに行きたいなと思って鹿児島の老舗の会社に、中小企業なんですけど入って今はいろいろ広告とかを作ったりしてます。

qbc:
なるほど。パートナーはどんな人なんですか?

りく:
えっとですね、もっと出会ったきっかけか彼が小説を書いてまして、それを見ても本当に彼のことを全く知らずに、その小説とあと配信とかも当時は知ってたのでツイキャスとかで。
その小説の世界観とか言葉、ツイキャスの配信とか聞いてて、シンプルに私がファンになってめちゃめちゃ追っかけて、ちょっと仲良くなって、気づいたら、なんかこんな感じになったって感じです。

qbc:
人間性はどんな人でしょう?

りく:
人間性はですね、そうですね。私が今まで出会った人の中で多分一番人を人として見てるというか、何か、何て言うんですかね。
なんか、どうしても何かいろんなフィルターってあるじゃないですか。会社では役職とか学校だったら学歴とかいろいろある中で何か、どんな人のことも最初絶対同じ目線で見るんですよ。
もちろんその関わり方が変わってくれば、その距離感とかは変わってくるんですけど、人をまっすぐ人として見てるなっていうのがすごくあって、それはずっと変わらずにあるので、なので何かどんな人に対してもまっすぐに接するところがすごく尊敬できるなっていうのですごく大好きです。

qbc:
ちょっと今の話題から離れて、他に何かやってること、趣味とかは何をされてます?

りく:
私がですよね。

qbc:
うん、はいはい。

りく:
昔は割とその映像を作ったりしてて、その一番最初の仕事で、映像作ったりしてたのでそれこそ当時、彼がツイキャスで配信してた内容とかを切り抜いて映像を作ったりとかしてて、今はそんなに映像を作って何か動画作ったりとかはしてなくて。
あとはそうですね。割と今すごくなんか周りに友達が、どんどんどんどん県外に出ていっちゃって一緒にいる友達がだいぶ減っちゃったので、なんか本当に生活の半分ぐらいが彼氏になっちゃってて、ただその彼氏がだいぶ多趣味なので、その影響でサッカー見たりとか、釣りしたりとか、キャンプ行ったりとか、みたいなことを一緒にすることはあるんですけど、あんまり1人ではしてないですね。
1人だとそうですね、もうあんまり割となんかもう毎日喋ってて、毎日何か一緒にしてるので、最近なんか1人で何かするっていうのはあんまりないかもしれないです。

qbc:
なるほど。彼氏は遠距離って言っても、めっちゃ離れてるわけじゃない?

りく:
めっちゃ離れてます。(彼は)大阪にいます。私鹿児島なので。

qbc:
それでも一緒にいる?

りく:
そうですね。私が行くか、彼が来るかっていうので。付き合って4年ぐらいなんですけどお互いなんか、そのときの感情で「どっちにしようかな」ってなってはいて。
でも現実的なのは多分私が行く方なのかなっては思ってるのでちょっとそれに向けて、近い将来に向けて、動いていきたいなっていう感じです。

qbc:
なるほど。性格は人からなんて言われます?

りく:
そうですね、私ですよね。

qbc:
うん、そうそうそう。

りく:
なんかあんまり、人に興味ありそうであんまりないってよく言われます。なんか、割と初対面の子とか会社とかで全然それなりにお話は全然できるし、楽しくやっていけてるけどあんまり自分の素を出さなかったりとかあんまり深いところを出してこないっていうのがすごくあるって近い人には言われます。
なんか仲いい子とかには割と全部話したりするのでそれが何か、気づかないけど、そういうとこがあるよねってよく言われます。
あとはもう本当に何か、とりあえず何か、フットワークは軽いってよく言われます。そういう転職とかもそうですけど、何か決めたら、もうこう決めたらこうみたいなところがあるからそこが良くも悪くも、決断力がすごいとは言われます。
突っ走るタイプみたいな。良くも悪くも。って感じです。

qbc:
自分ではどんな性格だと思ってますか?

りく:
そうですね。自分……。本当に人に興味ないっていうのが、私としてはなんかいろんな人のこと知りたいなとは思うんですけど「あんまり人の深いところを知りたくない」が多分あるんだろうなとは思います。
なんか、会社とかも学校や今までの学生のときとかもそうなんですけど、何か気づかずにすごい人間観察しちゃうところがあって。なんか今もそうなんですけどなんか全然自分の作業をしながら周りの会話を耳傾けちゃったりとか、横目でいろんな人の行動を見ちゃったりみたいなので、何かそれがうまく働けば「すごく気が利くよね」とか言われることもあるんですけど、私としてはなんか結構情報過多になってるところがあって。
なんかいいところも悪いところもちょっと見すぎちゃうところがあって、っていうので何か自分が接してる以上に、人のことを感じ取ってそれを自分で結論付けちゃうのでなんか、「あ〜嫌だな」って思ったりすることが多くてっていうのなんかあんまり何かできるだけ人との関係を自分から作らないようにみたいなところはあると思います。

qbc:
うん。身近な人から何か言われる一面ってあります? 家族、パートナー、親友、距離の近い人。

りく:
そうですね。近い人からはなんか割と感情的とは言われます。なんか遠い人は結構私のことなんかあんまりいつも変わらずに同じテンションで元気でみたいな感じで言ってくれるんすけど、いつも楽しそうみたいな。でも近い人からはなんか割と起伏が激しいとはよく言われます。
なんか、いいことも悪いことも結構顔に出ちゃうので、仲良い子とか、家族とか、彼氏とかの前では出ちゃうので、それはすごい言われます。

qbc:
起伏の上下、激しいさっていうのは、人に見せないようにしてるんすか。

りく:
基本的にはそうですね、見せないようにしてるんですけど、近ければ近いほどもう出ちゃうって感じ。

qbc:
自分自身もその起伏の激しさっていうのは感じてる?

りく:
感じてます、感じてます。めっちゃ感じてます。「今めっちゃイラッとしてる、自分」とか思うので、我慢しなきゃってなるんですけど。とか、なんかすごい自分が浮き足立ってるなとかも思うんすけど、基本的には何か押さえてるんですけど、もう近い人の前ではバーンって感じです。

qbc:
なるほど。それは大変じゃないですか、感情を抑えるのっていうのは。

りく:
そうですね。だからこそ多分、意識的にそれをしている毎日があるからこそ爆発しちゃうときが、それこそ家族とか友達とか彼氏とかに爆発するときが定期的にあります。

qbc:
どんな爆発の仕方をするんでしょう。

りく:
基本的には、なんですかね、あんまり基本人と喋らないというか、あんまり会話しないんですけど、もう必要最低限プラスアルファぐらいなんですけど、もう何かいいことも悪いこともワーッて喋って、悲しい時はワーって泣いて、嬉しいときはめっちゃテンション高いみたいな感じです。

qbc:
その、なりたかった自分みたいなのってあるんですか。

りく:
そうですね、なんか、そうですね。仕事もだし自分の何かその人としてみたいなところも2つどっちもあって、仕事は本当にさっき言ったみたいにテレビとか、新聞とかなんかそういう、いろんな人にっていろんな思いを届けるみたいな、それにちょっとエンタメに要素が入ってるようなところに行きたくて、一番は。
なので何かいろんな人と関わって、いろんな人の話を聞いて、っていう姿が、っていう毎日を送ってるんだろうなっていうのが仕事としての自分の憧れであって、人としては何かだからこそ、どんと構えてというか、人の意見に流されずにしっかり自分を持って、ドンッて構えて、あと九州なんであれですけどちょっと女が一歩引いてるけど強くいるみたいなところが理想としてはあったんですけど、もう全然違います。って感じです。

qbc:
うん。ありがとうございます。好きな食べ物を教えてください。

りく:
好きな食べ物、なんだろう。好きな食べ物。食べ物。いっぱい言ってもいいですか?

qbc:
はい、いいですよ。

りく:
卵かけご飯と、海鮮大好きなんで海鮮の中でも牡蠣と、あとは何だろう。
あ、レバ刺しめっちゃ好きです。レバ刺しと鳥だしめちゃ好きです。

qbc:
レバ刺しって、何のレバ刺し食べる?

りく:
鳥とか。

qbc:
鳥レバ刺し?

りく:
ですです。

qbc:
割と限られてますね、食べられるところ。

りく:
そうなんですよ。南九州は食べられるので割と。

qbc:
お店多いんですね。

りく:
そうなんです。だから鹿児島から出たくないっていうすごいちっちゃい理由もあるんですけど。

qbc:
じゃあお酒と合わせるんですか。

りく:
それがお酒全然飲めなくって、そうなんです。全然飲めなくて、本当になんか最初の会社のときとかすごい飲んでたんですけど、仕事で。本当に駄目で、なんか数を重ねても駄目だったので今多分本当に駄目なんだろうなって思います。今も全く飲めないです。

qbc:
うん。ありがとうございます。

過去:あの熱は今思うとちょっとうらやましいなってぐらいの気持ちはありますね。

qbc:過去について聞いていきたいんですけど。子供の頃はどんな子供でした?

りく:
子供の頃は本当なんかいい子でした。すごく。
勉強も運動も頑張ってる感じの子で、なんか基本的に目立ちたがり屋だったので、何か手を挙げて「やらない?」って言われたものに関してはもう真っ先に手を上げるタイプだったので。
なので、何か絵に描いたようなようないい子だったと思います。

qbc:
うん。小学生ぐらいまで、どんな遊びしてました? ちっちゃい頃。

りく:
ちっちゃい頃、なんでしたっけ、何してたかな。幼稚園の頃ですよね。

qbc:
うん。

りく:
なんかそれこそうちが共働きで親がいなくて、両方仕事に行ってるみたいな時間が結構多かったので、なんか外に行っちゃ駄目って言われてたので、危ないから。だからなんか毎日あのチラシのなんか、おもちゃとか切り抜いたりとかしてました。
あんまり、なんかあのチラシとかのおもちゃ屋さんのチラシとかにも何かおもちゃの写真とかあるじゃないですか。めっちゃ切り抜いたりしてて。当時は多分手先器用だったと思います。今は全然不器用なんですけど、やってた気がします。

qbc:
幼稚園の頃?

りく:
そうですね。幼稚園の頃やってました。

qbc:
器用ですね。幼稚園の頃ってね、ハサミとか使うの難しいですもんね。

りく:
うん、でしたね。

qbc:
切り抜いてその後どうするんすか。

りく:
なんか並べて、何かおままごとみたいにしたりとかしてました。

qbc:
ふうん。なんかこのおもちゃの写真気に入ってるみたいな、覚えてたりするのあります?

りく:
なんかあるかな。
なんかねあんまり覚えてないんですけどただ、なんかそのうちの実家に、なんかいろんなとこに落書きとかしたら駄目だからこの棚の裏っかわには落書きしていいよっていうスペースがあって、その落書きスペースにめっちゃなんか、何だったかな。人形とかのチラシのやつ貼ってたりとかした記憶はあります。
そこに何か貼ったりとか、あと何か名前、それこそ幼稚園で教えてもらった自分の名前ひらがなで書いたりとかした記憶はあります。
あんまり覚えてないですかね。なんかこれがっていうより、なんかそこにいっぱい貼ってた記憶があります。

qbc:
小学校の頃とかにいい子だった以外に何かありますか。

りく:
そうですね。なんだからこそなんか結構いじめられるっていうか、いじられというか、っていう対象になりやすくて、多分あれは客観的に見たいじめられてるのかなとは思うんですけど、でも正義感めちゃくちゃ強かったので当時、もうなんかいじめられてへこたれる時期もあったんですけど、どっちかというと割となんかそれを表立って対処していたので、先生に言うとか、何かその子に対してはっきり言うみたいなところがあったので。
そういう意味では何か年齢、その正義感と気持ちの強さが増していって、最初の頃は何かシュンってなってたんですけど、なんかどんどん強くなっていって、いつの間にか何か、朝、男の子たちとドッジボールするのになんか1人女子が混じってて、みたいな感じの子になってたと思います。

qbc:
うん。

りく:
なんかその幼稚園とか小学校1年生のときの私と、小5小6の時の私は多分全然違うと思います。

qbc:
うん。中学でどうなるんすか。

りく:
小学校後半でめちゃめちゃ運動好きになったので、中学校で部活に入るじゃないですか。あの当時、小学校のときから仲良かった友達と、小学校のときにちょっとバスケしたいなって思ってたことがあったので、それきっかけで中学でバスケ始めて、めちゃくちゃもう毎日もう部活部活みたいな。

qbc:
うん。

りく:
バスケットボールと毎日一緒に寝るみたいな。本当に負けず嫌いだったので、部活の朝練よりも前に個人で朝練をして、みたいな毎日を送って、朝、当時実家から学校までちょっと遠くて、私の足で1時間ぐらいかかってたんですけど、歩いて。
そこを走って毎日登校して、着いたら、部活の朝練の前に個人でグラウンド何周とか走って、30分シューティングして、その後朝練してみたいな。なので授業中爆睡してて、5時からまたエンジンが入って部活めっちゃ頑張ってみたいな生活を送ってました。

qbc:
なるほどね。この後どんな感じなんですかね。

りく:
そのままちょっとバスケの縁で高校に行けて、っていうのがあったので本当にバスケバスケのつもりだったんですけど、高1のときに新人戦みたいのがあるんですよね、高校1年生をメインとした、チームでやる大会があって、そこにキャプテンで出させてもらったんですけど、キャプテンマークを巻いた初めての試合で大怪我をしてしまって、全治1年ぐらいかかるやつ。

qbc:
どこを何したんですか?

りく:
膝の前十字靭帯を切ったのと、半月板が割れちゃったっていうので、基本8ヶ月から1年ちょっとぐらいかかるみたいなんですけど。っていうのをしてしまって。

qbc:
松葉杖ってこと?

りく:
ですです。最初車椅子で手術した後、歩けないので、そっから1年弱ぐらいずっと松葉杖で生活して、松葉杖はそんな半年ぐらいかな。なかなかバスケができない期間が1年ぐらい続いて、なのでなんかでも割ともうずっとバスケってなってた脳みそが怪我したことで、なんかいろんなことを勉強できる時間が増えたので。
そのリハビリとかでいろんな人に会って、理学療法士の方とか、スポーツトレーナーの人とか、いろんな人に会えて何かいろんな考えをすごい知れて自分の幅が広がったので、そこら辺からその元々どっちかっていうと目立ちたがり屋で人の前に出てみたいなところがあったのが、何かそれを支える立場になりたいなみたいなのがふわーっとなってきた感じでしたね。

qbc:
高校何年のとき?

りく:
高校1年のときに怪我してて結局、復帰できたのは3年になる前ぐらいだったんで、うん、ですね。高校1年の冬にやって、なったのでもう本当1年ぐらいかな。ずっとなんか筋トレとかしてました。

qbc:
はい、はい。でもそっからそのバスケに戻ったんですかね。

りく:
そうですね。ちょこちょこ復帰しつつ、焦って復帰するとやっぱりどうしても怪我が再発してみたいな感じだったのでちゃんと選手として動けてた時間っていうのはそんなに結局なくって。1年の冬に怪我して2年の冬ぐらいからちょこちょこゲーム出れるようになったので、3年の夏には引退したので、何か競技時間としてはだいぶ短かったと思います。1年ちょっとぐらいでしたかね。

qbc:
はい。そのときの気分ってどんな気分だったんでしょうか。

りく:
なんか本当に、なんですかね。それこそ中学もバスケでキャンプテンしてて、そのまま推薦で高校に行ってたので本当になんかもう、「やるぞ!」っていう気持ちで行ってたんですけど、なんかそんな、言ったら期待してもらったタイミングでのそれだったんで本当に落ち込んで、もうやることないみたいな感じになってしまって。
でも結局、そんなに戦線離脱というか、そのチームと一緒に練習もできない状態でも副キャプテンにしてもらったんですよ、監督から。何かその「チームを支える立場にお前はなれ」みたいな。マネジメントというか「チームを構築する上で絶対何か大事な役割だから」みたいな、練習とか、「お前ができなくても松葉杖置いて見とけ」みたいな顧問だったんで、「お前が見とけ」みたいな顧問だったんで。
なんかそういうところで何かすごいジレンマもあって、できないのに何ができるんやみたいなのあったし、チームメイトともやっぱすれ違いとかもいっぱいあったしっていうのですごくなんか、いろんな複雑な自分もゲーム出たいし、とかあったんで複雑な思いはあったんですけど。
でもその中でそうやっていっぱい考える機会をもらえてたので、顧問からはずっと「今の状況に自分がいる意味を考えろ」ってずっと言われてたので、そういうところで割とポジティブな気持ちで過ごせてたなとは思います。
今思うとなんかあんなにいろいろ悩んでいっぱい考えて、本当に何か顧問とほぼ殴り合いみたいなこともあったので、松葉杖つきながら、やったこともあったので。なんか、あの熱は今思うとちょっとうらやましいなってぐらいの気持ちはありますね。

qbc:
今になって振り返ると、その時の経験ってどうですか。どういう評価ですかね。

りく:
なんかもう本当にあのときに多分できることを本当に何か思いつく限り一生懸命やってたなっていうのがあるので、がむしゃらに、もうひたすらに何かやれと言われたことはやるし、やりたいと思ったこともやるしみたいな状態だったので。
なんかすごく経験は良かったなと、自分にとっては多分大事なものだったんだろうなとは思います。

qbc:
その後、進路進学はどうされたんでしょう?

りく:
その後高校のときにいろんな人と出会って、そういう裏方というか、人の考えをいろんなところに広めるっていう立場になりたいなって思ったので、そういう仕事をしたいなと思ってて。
その自分がその言葉っていうものに対して、学びきれてないなっていうのがあったので、短期大学で文系の勉強できるようなところに行って、そこから編入試験をしてやっぱそっち系の職業に就くためには4年制大学に行かないとなって思ってたので、編入試験の勉強しながら、なんかいろいろ短大でも何かいろいろ興味あることは全部やってみたいな状態で、結局編入試験の日と、たまたま10何年ぶりに募集があったその映像制作会社の選考日がかぶっちゃったので、どっち取ろうっていうのでそっち(映像制作会社)に行きました。

qbc:
短大どうでした?

りく:
短大めっちゃ楽しかったです。

qbc:
何が楽しかったですか?

りく:
そうですね、やっぱり今まで高校生までは自分の中で、自分の知ってる知識で、自分の知ってるものの中で一生懸命やってたんですけど、短大はいろんな県の子が来てて今でも仲いい子が他県の子なので、そういう子たちと出会ったりとか。
あとは、当時その何か、サークルじゃないんですけどなんかNPOのやってて、ボランティアみたいな。その全国区でいろんな子たちと出会えたので、何かそういう意味では何かいろんな本当にいろんな子に出会っていろんな考え方を知れたのですごく楽しかったです。

qbc:
なるほどね。それで就職するっていう。

りく:
そうですね、うん。映像制作会社に入社してって感じです。

qbc:
ご両親からどのように育てられましたかって言われたら何て答えますか。

りく:
そうですね。もうちょっとそのさっき話した両親の離婚とかの話で言うと、過去の両親の話とかを聞いちゃったんですっごい今いろんなフィルターがかかっててあれなんですけど。
母親はすごく私のことに関して、愛してくれてたしすごく愛をもって接してくれてたし、すごくいろんなことを考えてくれていろんな経験をさせてくれたなと思います。

qbc:
うん。

りく:
父親はずっと一緒にいた記憶ってのがあんまりないので。でもその中でも、数少ないですけど一緒に私が興味ある事に関して父親も一緒についてきてくれてあったりとか、ってのもあったので、もちろん。
なので、そういう意味では、そうですね。やりたいことをやらせてくれた。ちっちゃいときこそやりたいことやらせてくれたんじゃないかなと思います。

qbc:
生まれ育ったところの風景ってどんなところですか。

りく:
そうですね。また今の実家も変わらずあるんですけど、2個目の実家というか、その一番最初住んでいた家はそんなに記憶がないんですけど、3、4歳ぐらいからついこの間まで住んでた実家の私の部屋から海が見えるんですよね。ちょうど漁港の上、漁港があってその上に山があるんですね。山の上にある家だったんで、そう。
山から海を見下ろすような形になって、そこから結構星が、田舎だったんで結構暗くて星が見えたりとか、あと夜漁港にいっぱい船が止まってて、漁船だったり何かいろんな、地下の何かを調べるでっかい船が来てたりとかっていうのがあってすごいなんかキラキラしてたんですよね。海の周りとかも。
っていうのがすごい覚えてて、なのでなんか一時期それこそ星見るの大好きだったんで「JAXAの職員になりたい」とかっていう時期もあったし、なんかそういうイメージがすごくあります。なんか空とかすごい好きでした。

qbc:
ここまで話してきて自分の人生に何か転換点ってありました?

りく:
そうですね。変換点は多分2つだと思います。
高校のときの怪我したのでいろんな人に出会って、自分の考えの幅が広がったっていうのが1つと最近の自分との親との関わり方とかが、変わってというか自分の親の話とかを、親っていう立場じゃなくてその1人の人として話す機会がすごく増えたことで、何か割と自分で自分本位で生きてきてたんだなみたいなところで、周りのためにできてるのか、周りのために何かできてるのかなっていうのを考えるようなった、っていうのが2個大きくあると思います。

qbc:
振り返ってみて、何か自分の人生良かったな、悪かったな、みたいな感じで言うと、どっちですか。

りく:
めちゃめちゃ良かったと思います。

qbc:
なるほど。

りく:
なんか割と、後悔は全部してなくて。

qbc:
うん。

りく:
割となんかいろいろ悩んで、いろいろ悩んでは急に決断してみたいなことが割と多いんですけど、でも、なんかそこからその場面場面で考えて、いろんなものを感じてはきてはいるので、蓄積してできてはいるので、何か後悔は全くないですね。

qbc:
なるほど。

未来:何か将来この人と一緒になんかくだらないことでもなんか、キャッキャ言って過ごせてたらいいな〜って、それが一番私にとっては、今の私にとっては幸せなのかなと思います。

qbc:
未来について聞いていきますね。

りく:
はい。

qbc:
5年10年30年40年、50年後、とりあえず最後、自分が死ぬっていうところまで見据えた上で自分の未来をどんなふうに今思い描いてますかね。

りく:
そうですね、どうなんだろう。難しいですね。なんか、あんまり何か、わかんないです。わかんない。わかんないです。
どうなんだろう。なんかでも、多分あんまり何か、それこそ今と同じであんまり後悔はしてないんじゃないかなと思います。楽しく過ごしてんじゃないかなって感じはします。

qbc:
じゃあ、どういう時が一番楽しいんでしょう。

りく:
今ちょっとあれなのかもしれないですけど本当になんか、さっきの話にちょっと戻っちゃうんですけど今の彼氏に出会ったのが結構私の中で大きくて、なんか、なんていうんですかね。いろんな刺激をもらいつつも何か自分が自分として入れる場所では今の段階だとあるので、彼と一緒にいるっていうのが。
なので、何か将来この人と一緒になんかくだらないことでもなんか、キャッキャ言って過ごせてたらいいな〜って、それが一番私にとっては、今の私にとっては幸せなのかなと思います。

qbc:
うん。映像とかその辺りの方っていうのは今はどうなんですかね。

りく:
なんか、理想としては何か仕事とか、そういう決まりきった形じゃなくて自分のなんか人生の中で、そういういろんな人と関わった上で何か1つの作品というものが作れるのが毎日あればいいなと思います。

qbc:
もしもの未来の質問というのをしていて、もし高校生のとき怪我してなかったらどういうふうに人生を過ごされたと思いますか。

りく:
そうですね。なんか、多分猪突猛進が増してたと思います。何か自分の思いにまっすぐ、ただひたすら突き進むみたいなのが多分増して、今以上にノリと勢いで生きてたんじゃないかなと思うので、もしかしたらそれだと後悔する場面が多かったんじゃないかなと思います。

qbc:
今の怪我しなかった状態で、かつ怪我してない世界線で彼氏と出会ってたら、その小説を書いてる人と出会ったら、どうなっちゃうと思います?

りく:
そうですね。多分いちファンで終わってたと思います。その彼に対して人間的にお互い興味を持たなかったと思います。

qbc:
そうすると現時点で何してると思います? 怪我もせず、今の彼とも付き合わないとしたら。

りく:
多分すごいなんか孤独だと思います。なんか誰とも気持ちを共有できないし、自分の気持ちも強いし、みたいなので。
多分私はその場合だと多分、それこそ「家族とも離れて暮らしたい」と思ってて飛び出してると思うので、両親以外に妹もいるんですけど妹とかと話す機会も減り、家族と話す機会も減り、友達とも距離ができてみたいな状態だったんじゃないかなと思います。

qbc:
なるほど。最後もしもの未来の質問で、何でも手に入れることが今1つだけできるとしたら何を手に入れたいですか。

りく:
何でも手に入れられる。めっちゃ難しいですね。なんだろうな。
あ、なんかすごい難しい、言葉にするのが難しいんですけど、人と話してるときに、何かその人の本心というか何て言うんだろう。上っ面じゃなくてその人が本当に思ってることをちゃんとわかるような道具があったら、嬉しいなって思います。
何か人に対して信じられないって言い方はちょっと強すぎるんですけどなんか、その人に飛び込めないのはなんかいろいろその人の言葉の上辺を見て、うわって思っちゃったりすることもあるので、何か、いろんな人のことを好きになっていろんな人に対して関わりを持てるように、深い部分をスってわかるような何かがあれば嬉しいな〜って思います。

qbc:
自分に何かが足りないとしたら、何が足りないと思います?

りく:
何かが足りないとしたら……。知識が足りないと思います。
なんだろう。難しい。何だろう。突出した何か、その専門的な知識というよりなんか、いろんな考え方みたいなところが足りてないとか、自分の思いだけでいっちゃうのは多分そこを理解できてないかなと思うので、知れてないからだと思うので。

qbc:
なるほど。今人生何点ぐらいですか? 点数つけるとしたら。

りく:
今の人生ですよね。120点だと思います。

qbc:
じゃあなんかつけたりしたらそれが、どうやったら300点になると思います? 

りく:
なんだろう。

qbc:
300点にするにはどうしたらいいですか。

りく:
そのさっき言ったあの感情的になっちゃうときに、多分いろんな人との感情的になってしまうときにうまくいかなかった過去もあるので、そこでちゃんと自分で自分の感情を言葉にすることができて、話す機会をちゃんと自分が作っていけたら、その関係をする関係で作っていけたら、もっと自分にとっても生きやすくやりたいことができながら周りとの関係も良くしていけてたんじゃないかなと思います。
多分現状でやれることをやっているので、社会に出てなんですけど、でももうちょっとうまくできたらよかったなって思うことはあります。

qbc:
なんかその、そうですね。今までの人生で一番楽しかったことって何ですか。

りく:
一番楽しかったこと。でも本当になんか過去めちゃくちゃ大好きなアーティストのことを追っかけてた時期があったりとか、その今の彼氏もちょっとそれに近かったりするんですけど、最初の頃とか。
そういうなんかもう本当にいろんなことをとっぱらって好きなことに対して全ベットとしてたとき、時間とかお金とかも。あの楽しさはやっぱ一番でしたね。
もうめちゃめちゃライブ行ったり、めちゃめちゃそのアーティストの告知、私も手売りでチケットを売ったりみたいなときとか、それこそ彼氏のことめちゃくちゃ小説もっと広げたいときに何か動画作ったりとか、その何か告知か方法を一緒に考えたりとか、イベントを一緒に考えたりみたいなことがすごく楽しかったです。
なんか割と自分がしたいことをするというよりも誰かのために自分がこうやりたいみたいな、やってる、みたいな時間がすごく楽しかったかもしれないです。

qbc:
なるほど。一番悲しかったのは?

りく:
一番悲しかったことは、悲しかったことは、何だ?
なんかちっちゃいときの記憶なんですけど、ちっちゃい時、まだ幼稚園とかのときに、私は保育園に行ってたので、親が迎えに来てくれるんですよね、夜。うち、いつも両親が遅くまで働いてたので、なんか延長保育になるんですよ。何時までっていう規定の時間よりも超えちゃうっていう、迎えに来るのが。なので何か延長保育になってみんなが1人ずつ1人ずつ園からお母さんが迎えに来て帰ってる中、数えるだけみたいなときに自分がいたりっていうその時間とか。
あと小学生のときに学校から帰ってきて、帰ってきたらいつも母親が何か大きいおにぎりを置いてくれてたんでおにぎり食べてたんですけど、めっちゃ雨降った日があってなんかもう雷もすごいみたいなときに、でも両親どっちも帰ってこないみたいなのですごく怖くて、悲しかった記憶はあります。

qbc:
はい。なるほど。なんか、このインタビューは受けてよかったなと思います?

りく:
今、この一貫して自分が話した内容を頭ん中で反芻しててなんか思ってた以上に自分って孤独が怖いんだなっていうのを気づいたので、何か話せてよかったなって思いました。

qbc:
なるほど。わからなかったのは、明るいんです明るいんですって言ってる割には、飢えてるんですみたいなことを最初に言った上で空白の話をされてたんです。でも基本的に満たされてる満たされてるって言ってるんすね。

りく:
はい。ですよね。

qbc:
その矛盾がよくわからなかったんですよ。さっきの子供のときの寂しかった話とかは、簡単に解決するんだったらそれが原因ですみたいな話になるかもしれないけど。
何ですぐに同棲しないんですか。

りく:
そうなんですよ。それが私もよくわからなくて。
私の祖父母とかは県外に出るっていうのも「親との縁を切る」みたいなことを言うんですよ、未だに。
私の彼氏が大阪にいるっていうのを知った上でも、もう「じゃあ向こうが来るんだね」っていう認識なんで、それをうまく折り合いがつけれないってのが1個あるのと、やっぱ祖父母とかにもだいぶちっちゃい頃から助けてもらってるので、そこは一番悲しませちゃうことだとわかってるので、悲しませたくないっていうのが1つと。
それをしてしまったときに多分うちの親に全て矢印が祖父母から向いちゃうのでそれを防ぎたい。それをうまくかわせるような状況になってから出たいっていうのがあるので、今私が親から離れてしまうと、その過去親が私達のためにと思って我慢してきた孤独をまた作ってしまうことになっちゃうんじゃないかなっていうのがあるので、もうちょっとこの環境が整えられてから行きたいなって思ってます。

qbc:
なるほどね、ありがとうございます。
そしたら、最後の質問ですね。最後に残したことありませんか。遺言でもいいし、読者向けメッセージでもインタビュー振り返ってのお話でもいいんですけど、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

りく:
言い残したこと、なんだろう。難しいな。感想になっちゃうかもしれないんですけど、なんか割となんか自分のことわかったつもりでいても、いろいろ深い自分のことを見てみるとが一番そうであって欲しくなかったな〜みたいなところが見つかったので、なんか自分で意外と自分のことわかってないんだな、っていうのがわかるよっていう感想をお伝えしたいです。

qbc:
うん。ありがとうございます。

りく:
はい。

あとがき(編集)

一説によると、人間は自分のことを10%しか分かってないそうですね。だからこそ「自分のことがわからないなんて甘えだ」と言われた時に、私は牙を剥きたくなります。人間って何を抱えているかわからない。だから面白いんでしょうね。ということを思い起こさせてくれるインタビューでした。年齢や学生時代の専攻が近いからかもしれないですね。ご参加ありがとうございました!

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:meadow】

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