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結婚相談所を運営している人

むかしむかし、ある村に、結び手(むすびて)という心優しい人がいました。結び手には不思議な力があり、相性の良い二つの心を見分けることができました。
結び手は小さな茶屋を開いていました。そこには、縁を求める人々が訪れ、結び手は一人一人の話に耳を傾けながら、その人の心の色を見つめるのでした。
「あなたの心は春の若草のよう。だからきっと、秋の実りのような心の方と出会えば、素敵な調和が生まれるでしょう」
「あなたの心は静かな湖のよう。波立つ川のような方と出会えば、きっと良い塩梅になりますよ」
結び手は、ただ二人を引き合わせるだけではありませんでした。
出会った後も、
二人の心が育つのを見守り、
時には優しく助言を与え、
時には黙って二人の成長を待ちました。
村人たちは言いました。
「結び手さんは、単なる仲人ではない。心と心を結ぶ、大切な橋渡しだ」
後に結び手はこう語りました。
「縁結びとは、二つの人生を結ぶ神聖な仕事。だからこそ、一組一組の出会いに、全身全霊を込めるのです」
そして「縁は心で結び、愛で育つ」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年12月27日18時18分に書く無名人インタビュー978回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 荻野義隆 さんです!

年齢:40代後半
性別:男
職業:婚活カウンセラー&Webディレクター


現在:人が困っていることに対して、改善できるっていうのはなかなかかけがえのないことかなと思ってます。

くじらぐも:
今何をしている方でしょうか。

荻野義隆:
東京結婚相談所Soyoという結婚相談所を運営しています。

くじらぐも:
Soyoというお名前の由来はなんですか。

荻野義隆:
由来は僕の名前が荻野で荻っていう草があるんですけれども、それススキみたいな花なんですね。花というか草なんですけども。それが昔は揺れると秋が来たっていうふうに言われてたんです。その風がすごく柔らかい風だったのでそよ風って呼ばれてたんすよ。そこからそよ風のようにこう人をサポートしていきたいなとか、あと人の素養を引き出したいなとかっていうところで、Soyoっていう名前にしました。

くじらぐも:
事業は始めて何年ぐらいになるんですか。

荻野義隆:
実際に動き出したのは1年前ぐらいです。

くじらぐも:
始めるきっかけなどはあったんでしょうか?

荻野義隆:
始めるきっかけは基本的に僕がお人好しだったっていうのが一つありまして。元々僕はシステムエンジニアで働いてたんですけれども、ちょっと30のときに大病しまして、2年間ちょっと療養してました。で、復帰したときに、もうちょっと人の役に立ちたいとか人のリアクションを見たいっていうふうに思ったんですね。それでWebだと反応が、リアクションがわかりやすいのでってことでWebディレクターの道に入ったんですけれども、さらに、そこで一回派遣から下積みをして正社員になれて一つ区切りがついたんですけども、もっと人の、何て言うんすかね、役にというか、対人でやれることないかなと思ったときにライフイベントを仕事というかあれにしている結婚相談所っていうのに興味を持って始めました。

くじらぐも:
数ある中でなぜ結婚だと思ったんですか。

荻野義隆:
僕が婚活をしていたからです。

くじらぐも:
ご自身の経験を踏まえてというところですか。

荻野義隆:
そうです。ちなみに今も婚活中です(笑)。

くじらぐも:
お仕事は実際やっていてどうですか。

荻野義隆:
難しい反面もありますけど基本的には楽しいです。

くじらぐも:
どんなところが楽しいポイントでしょうか?

荻野義隆:
やっぱこの人の意識を変えてあげたいとか、人が困っていることに対して、改善できるっていうのはなかなかかけがえのないことかなと思ってます。

くじらぐも:
お客さんと関わる上で大切にしていることとかってありますか。

荻野義隆:
そうですね、自分がなるべくお客さんに話していただいて、お客さんが困っていることを引き出すみたいなところを大切にはしてます。

くじらぐも:
婚活を進める上で大事なことって何だと思われますか。

荻野義隆:
メンタルです。婚活を続けていくと必ず理不尽な振られ方とか、つらい出来事って短時間で起きるんですよね、普通の恋愛と比べて。そこで立ち止まっちゃったり、ちょっと変えちゃったりするっていうところが結構難しくて。あんまりそのなんだろう、重くというか、その捉え方が難しいんですね。重く取りすぎちゃうと落ちていっちゃうし、かといって軽く捉えすぎても次に繋がらないっていうのがあって。そこのモチベーションを僕の方でどうコントロールするかっていうのがかなり重要かなと思ってます。

くじらぐも:
実際のお客さんへのサポートはどういう感じでされてるんですか。

荻野義隆:
えっと、まず自分にできることっていうのは僕はその限界をわかってるつもりで、お話を聞いてあげたり、服を少し直してあげたりとかっていうのはできるんですけども、それ以外は基本的にはうちはプロに任せます。例えば、ファッションとかはスタイリストさんにお願いしますし、髪の毛とかは美容師さんにお願いしますし、写真とかでもちゃんとした写真屋さんプラスそういう髪とか。あと女性でしたらメイク、メイクをやっていただけるところとか。

その中全部に共通して言えるんですけども、自分で再現できるような形にしてもらいたいですね。そのプロの人たちがやっちゃうと、ものすごく綺麗になったりものすごくかっこよくなったりしちゃうんですけども、それを婚活で生かすには、日常的にそれができるようになってもらわなきゃ困るっていうところがあって、そういうところはプロの人たちには、注意点としてあんまり仕上げすぎないでくださいみたいな。本人にこういうふうにすれば再現ができるよっていうのを教えてくださいみたいな。あともちろんメンタルが落ちたとか恋愛のセミナーみたいな人たちのセミナーとかも受けられるようにしてます。

くじらぐも:
そのセミナーはどんな内容なんですか。

荻野義隆:
男性向けだったら、女性はこういうふうに考えているんだよとか、恋愛セミナーみたいな感じですよね。あのLINEの送り方間違えてるよみたいな、自分日記にしちゃったりしてないみたいな。とか、逆に女性向けだったら、男性はこういうふうに考えてるからこういう文章を送ってきちゃうんだよね、だからそこはこういうふうに考えてねとかって教えてくれたりとか。とか何だろう、あの向こうがご飯食べるどこがいいって言ったときに何でもいいって言いながら何でも良くないでしょみたいな、そういうときはちゃんと自分の食べたいものを気遣わないで食べたいものを言った方がうまくまとまるよとかって言ってくれたり。そんなようなセミナー、本当のそのささいなところからのサポート、あれができる、なんて言ったらいいんだろう、カバーできるようなセミナーをやっていただいてます。

くじらぐも:
なるほど。お仕事以外で休みの日などにどんなことをして過ごされてますか。

荻野義隆:
基本はそうですね、休みの日は外に出たがりなんで、多少アウトドアとか、ソロキャンプやったりとか、バーベキューみんなでやったりとか、あとはドライブ行ってますね。はい。

くじらぐも:
今熱中しているものとかハマっていることってありますか。

荻野義隆:
おっと難しい質問だな。そうですね、熱中してるもの。でも野球、プロ野球の野球観戦とかはすごくハマってます。中日ファンなので。それの試合とか情報とかは常に追ってるような感じです。

あとは熱中してるもの。そうですね。あのですね、これは補足でもいいんですけど、実は僕ゆで太郎マニアで結構活動してて。

くじらぐも:
蕎麦屋さんですか。

荻野義隆:
そうです。ゆで太郎のチェーンが大好きで、ゆで太郎に365日通ってた時期があったんですけど、それであの何だろう、取材とかテレビ出演とかもしてます。

くじらぐも:
ゆで太郎はどんなところが魅力ですか。

荻野義隆:
まず安いのに、うまいっていうところですね、基本。そのスタンダードの部分がやっぱめちゃくちゃうまくて。今はちょっと値上がりが激しくなってきてしまってるから、なんかあれなんですけど、昔はほんと立ち食いそばの値段で町蕎麦レベルの蕎麦が食べれると思ってました。あと季節、毎月メニューがいろいろと出てくるっていうのも面白いですよね。季節限定メニューみたいのがあって、旬を感じられたりするのがいいかなと思ってます。

くじらぐも:
では好きな食べ物となるとお蕎麦ですか。

荻野義隆:
お蕎麦ですね。麺類が好きですね、基本。お蕎麦、ラーメン、パスタ、うどんが基本的に大好きですね。

くじらぐも:
お料理とかはご自身でされるんですか。

荻野義隆:
します。アウトドアにもよく行ってるので、男料理とかなんかそういう料理にはなってしまうんですけど。そうですね、お酒も多少たしなむので、そのお酒にあったような料理作ったりはします。

くじらぐも:
家族構成お伺いしてもよろしいですか。

荻野義隆:
僕が長男で、弟が2人います。3人兄弟です。

くじらぐも:
弟さんはどんな方々でしょうか?

荻野義隆:
真ん中は料理か何かやってて、もう自立してます。三男は家の仕事、不動産とかの管理とかそんなのやってます。

くじらぐも:
ご両親はどんな方ですか。

荻野義隆:
そうっすね、もうちょっと親父はもう亡くなってしまったんですけど、母はいろいろとこう苦労された、苦労されてきた方なので、ちょっとそういうところは尊敬しますよね。

くじらぐも:
尊敬する部分ってどんなことが具体的にお伺いしていいですか。

荻野義隆:
ああもう、強いです。あのそうですね、困難を困難としないというか。やっぱり乗り越えてきた人というか、昭和の女性なので。何かこうね、一度こうなんだろう心に決めたら曲げないみたいな。そういうところがすごいなって思います。

くじらぐも:
他に荻野さんが尊敬する人っていますか。

荻野義隆:
そうですね。歴史上でも大丈夫ですか。

くじらぐも:
大丈夫です。

荻野義隆:
だと伊達政宗とか。あとはそうですね、ガリレオ・ガリレイなんかも僕すごいなと思ってたり。その絵で言えば、フェルメールとかもそうなんですけど、なんかその時代にマッチしないような考え方とか作品とかを生み出した人が結構好きですね。

くじらぐも:
それはなぜ惹かれると思いますか。

荻野義隆:
そうですね。自分も元々システムエンジニアで、物を作ってたみたいなイメージがあるので、そういうところで何なんだろう、そういう物作り、物作りというか、その考え方で時代の先を行けるっていうのはかっこいいなって、単純に、すごいなって思いますね。


過去:ああもう人って死ぬんだなって思いました。

くじらぐも:
子供の頃はどんな子でしたか。

荻野義隆:
活発な子ではあったんですけど、基本的に家から学校に朝出てって、15時ぐらいに家帰ってきたらそのままもうランドセル投げて外に遊びに行くみたいな。キンコンカンコンになってもまだ遊んでるみたいな。親に呼び出されて怒られて戻るみたいな。っていうのが小学校ですね。

中学になるとちょっと周りと一緒になんだろう、なんつったらいいんですかね。中学になるとこうグレ始める子っているじゃないですか。ちょっと言葉悪いんですけど、ちょっといじめられっ子みたいのも出てきて。ちょっと思春期の複雑さがあるような年になると思うんですけど。僕ちょうどそのね真ん中ぐらいでね、行き来している不思議な人でした。なんかヤンキーの人たちとも仲いいし、なんかクラスで端っこにいるいじめっ子たちとも仲いいしみたいな。そうですね。高校に入ったらもうずっと野球。野球部だったんで、しこたま野球にぶち込んでました。

くじらぐも:
学生時代、全体を通して最も熱中したことというと何になりますか。

荻野義隆:
まあ野球でしょうね。

くじらぐも:
野球は何がきっかけで始められたんですか。

荻野義隆:
野球はまあ時代っていうのもあると思うんですけど、地域ごとにクラブがあったんですよね、小学校のときの。周りの子供たちが入ったから俺も入るみたいな感じで入って、そこから高校まで続けちゃったみたいな。

中学3年間は野球部がなかったんで一時卓球になっちゃったんですけど、それを経てまた高校でやり始めるみたいな感じでしたね。

くじらぐも:
ポジションはどこだったんですか。

荻野義隆:
ポジションはほとんどやったことあるんですけど、ピッチャー、キャッチャー、外野と、あと一塁と三塁か。二遊間だけやったことないぐらいですかね。

くじらぐも:
野球に熱中できた理由ってどこにあるんですか。

荻野義隆:
多分野球自身、自体はそんなに何か好きでも何でも嫌いではないと思うんですけど、野球が好きだからもう絶対に野球をやりたいんだっていうところまで多分なかったです。だけど、チームプレーていうのが楽しくって。周りの人たちと遊んだり、まあ遊んだりというか野球をやったり、さらに高校に行ってからも、こうみんなで何かを成し遂げようみたいな、甲子園行けないのわかってるけどみんなで甲子園行こうみたいな、なんかそうやって団結しながら向かっていくのがすごく楽しかったっていうのはあります。

くじらぐも:
なるほど。高校卒業後はどんな進路になったんですか。

荻野義隆:
高校卒業後は入った会社をやめまして、すぐに。ちょっと何だろう、いじめられるタイプではなかったんですけど、気に食わなかったのかどうかわかんないですけど、ビルメンテナンス会社に入ったんですけども、作業着があるんですね。作業着に何かマジック黒いマジックで馬鹿とかアホとか書かれてて、こんなの着れねえよっつって、それをそのまま家に帰ろうとしたら、すぐ多分書いた本人がですね、なんか逃げんなよみたいな。って言われて、喧嘩になって、その後その室長に呼ばれて、次の日かな、呼ばれて、僕の意見も聞かないで向こうに謝れ謝れお前が謝れみたいなこと言われたからその室長とも喧嘩になって、そしたらもう終わり。

この次の日に今度人事部の人に、部長さんに呼ばれて、次の日かな。同じように、お前お前が謝れって言われたからその人事部長とも喧嘩になって、もう会社行かねえっつって行かなくなったなったのが一番最初のところで。その後ちょっと社長さんと次長さんが謝りに僕のとこに来てくれたんですけど、僕もいろいろとあったんですいませんけど、ちょっともういけないですっていう話になって辞めて、そっからセブンイレブンで2年間アルバイトしてました。

その後専門学校にそのお金で入って、そこでは漫画コミックプロ養成科とCG科に入ってたんですけど、漫画家とりあえず何とかなんないかなと思ったんですけど、先生たち満場一致でお前には絵心がないって言われて。絵心というかセンスはもうないよって言われて、だけどお前の書く物語は面白いから、ちょっとそっちを目指した方がいいんじゃないって言われて、ちょっと文字の世界もかじったぐらいで卒業しちゃったんすね。

その後、ゲーム会社のSEGAっていうとこに入りまして。そこでまた2年間ぐらい働かせていただいて、いろんなゲームとかパソコンとかそこで覚えました。その後に、パソコンの他技術というかプログラム技術とかで、NTTドコモさんに入ることになりまして。そこでも2年ぐらい働かせていただいたんだけど、ですけど社内システムっていうところで、社内システムを担当させていただいて、その後銀行に入りました。

銀行でシステムエンジニアとデータベースエンジニアっていうことで働いて、30歳まで働かせていただいたんですけど、それと兼業で26かな、のときに漫画を書いてもらえないか、漫画の原作を書いてもらえないかっていうことで。ファミ通っていう雑誌からオファーがありまして。そこでGOGOマリオカートっていうのと、ロックマンゼクスとロックマンゼクスアドベントっていうゲームを担当ゲームの漫画を担当させてもらいました。シナリオでコミックが出てみたいな。データベースエンジニアとしても、それなりに順風満帆だったんですけど、肝心のときに大病になりまして。簡単に言えば癌だったんですけど、全部の仕事を一旦ストップして2年間ぐらい療養することになりました。

くじらぐも:
はい。

荻野義隆:
その後、32、3ぐらいのときからフィールドエンジニアにっていうフィールドエンジニアっていうのがパソコンのキッティングとかパソコンの入れ替えとかプリンターの設定とか、要はお客さんのところに行っていろいろとパソコンのことを面倒見るっていう仕事に就いて、35のときに、もっとお客さんのリアクションみたいなと思って。

だったら、ホームページとかだとすぐお客さんのリアクション見れるから面白いんじゃないかと思って、未経験でWeb業界に飛び込んだんですけど、未経験だから面接で落ちまくって、派遣からやろうと思って、派遣からそっから35からまた派遣に戻って、下積みをして、で、今の社長さんに社長さんと一緒に仕事してたんですけどね、最初は。そこからヘッドハンティングされて、今正社員となって働いてるっていう状態です。

そこで一段落したから、もっと何か人のためになれないかなとか思って、自分がいろいろと経験した婚活とかに何かこう、僕の経験で救える人とか僕の経験で楽になれる人とか、僕の経験で結婚できる人いるんじゃないかと思って立ち上げることになりました。

くじらぐも:
ありがとうございます。

荻野義隆:
長くてすいません。

くじらぐも:
振り返ってみてご自身の経歴についてはどう感じますか。

荻野義隆:
タイミングが全部ずれてた感じがするんすよね。大病になるタイミングもこれからが、これからもっとできるっていったところでかかった、何だろう、かってしまったりとか、婚活も婚活したいのに、なんか35で派遣に行っちゃったりとか。もちろん自分で決めてきた選択ではあるんですけど、何か小さな小さなずれがあったなっていう感じで。逆にね、35のときに派遣になる前に、婚活して結婚してそっから派遣になってまた正社員になればよかったなとか思ったり。

30のときの病気はもうしょうがないけど、そのとき実は付き合ってる彼女と書いて結婚の話も出てたんですけど。ちょっと年上だったんで、俺がいつ完治するかわかんないって言ったら、私ももう歳で子供も欲しいからって言って別れちゃったんですよね。だから何かそういう全てのタイミングが今思うとちょっとずれてるかなって思います。

くじらぐも:
これまでの人生経験の中で、今の自分に最も影響を与えた転換点みたいなところってどこでしょうか?

荻野義隆:
意識の転換点は、その大病を起こしたところだと思うんですけど。その仕事の転換点は今の会社に入ったことかな。仕事もやらせて、いろんな仕事をやらせてもらえる上にこうやって副業とかも認めてもらってるし。そうですね、そこかなと思いますね、転換点は。

くじらぐも:
今のお仕事の充実度は何%ぐらいですか。

荻野義隆:
難しいなあ。Webディレクターとしては、まだまだやりたいっていうのがあるんで50%ぐらいかな。婚活カウンセラーとしては、もう全く満足してないっす。もっともっといろんな人にあれしたいんで、もう20とかぐらい、20%ぐらいとかそんぐらいです。

くじらぐも:
大病を起こされたところの意識の転換については、どんな変化がありましたか。

荻野義隆:
ああもう人って死ぬんだなって思いました。その死が自分の目の前に急に来たから、めちゃくちゃビビリましたし、めちゃくちゃ嫌だなと思ったし、親がいたんで親に申し訳ないなっていう気持ちもあったし、何かいろんな気持ちがごちゃごちゃって出てきて。なんだろうな。かといって丁寧に生きようとは思わなかったから、逆にもっとやりたいことをやろうっていうような感じになったので。だからなんかこうね、Webの業界に未経験から入ろうと思ったり、こうやって自分の経験した婚活を他の人にもサポートできるんじゃないかと思って結婚相談所立ち上げたり、したんじゃないかなって思います。

くじらぐも:
もし過去のどこかに戻って行動を変えられるとしたら、どこがいいですか。

荻野義隆:
大病はしたくないんで、もう大病の前に戻りたいとかって思うけど。でも実際に戻りたいのは大病した後すぐぐらいですかね。そうですね、そこら辺で一番何だろう、避けられ、何か大病結局避けられない物だったら、避けられるんだったら20代前半とかに戻りたいですけど、避けられないのであれば、それが終わった後の方がやっぱり楽。楽というかあれなんで。

ずっとその、もしかしたら再発するかもしれない時期があって、なんか思いっきり動けないんですよね。だからお酒も3、4年やめてたし、タバコもやめたし、なるべく体に負担のかからないそういうフィールドエンジニアみたいなピッキング作業とかPCの入れ替えとかでやってたっていう感じだったんで。でも実際はそこ今もう10何年以上前の話になってるんで、大丈夫だぞ、もっと自分の好きなように生きろみたいなことを言ってあげたいかなと思いますね。


未来:自分の周り、僕に携わってくれた人は、何とかして救ってあげたいなって

くじらぐも:
5年後や10年後、あるいは死ぬときまで想像してみて、未来についてどんなイメージを持たれますか。

荻野義隆:
未来についてはそうですね。5年後、それはどっちで言った方がいいですか。仕事の話をした方がいい、プライベートの話しした方がいいですか。

くじらぐも:
まず仕事の方からいいでしょうか。

荻野義隆:
仕事の方からね。仕事の方としてはやっぱり月に10人ぐらい成婚退会させてあげられるような相談所になっててほしいなって思います。で、10年後とかになったら、まあそうですね、そういう何か表彰されたりとかちょっとメディアに載ったりとかするぐらいの相談所になってたらハッピーかなと思うし、Webディレクターとしても大きな仕事を今与えていただいてるので、そういったところをなんだ、信頼を勝ち取って仕事がある状態にしておきたいですね。こっちが仕事仕事いっぱいで大変になるぐらいオファーが来るような。

死ぬ前は多分僕たちの世代は年金もらえないんで、そんなに。死ぬまで何かしらの仕事をしていかなきゃいけないので、それが一つとして若いね、人たちの幸せを、あれできる結婚相談所っていうのもいいかなと思ってますね。他はもうちょっと野となれ山となれかもしれません。

くじらぐも:
プライベート面はどうでしょうか。

荻野義隆:
もう来年にでも結婚したいです、わかりやすく言えば。子供も欲しいし。そうなんです。だからなかなかね、そこら辺があれかなと思ってるところではありますけど。今んところはそれが一番ですね。プライベートでは結婚したいです。

くじらぐも:
結婚をしたい理由って何ですか。

荻野義隆:
一つは、一緒に生きていくパートナーが欲しいっていうのがまず一つです。喜びも悲しみもっていうけど、やっぱりつらいときに1人で悩むよりかは、何人かで分散して考えた方が僕はいいと思うタイプなので、そういう相談してもらう、できる相手が欲しいかなっていうのが一つと。あとは子供が好きなんで、もし子供が産める年齢の女性の方とマッチングできたら、結婚できたら子供は欲しいかなっていうふうに考えている。これはちょっと僕の年齢がね、さっきも言ったみたいにそういう僕の人生設計の中でずれが生じてるので。

でね、この年、年に実はね、結婚相談所開業する前に1人結婚するって言われていた女性がいたんですけど。多分知らないと思いますけど、アセクシャルっていうLGBTの中の無性愛者だったんですよね。人を好きになる気持ちがわからないと。かわいいとかわかるんだけど、かわいいとかかっこいいとかわかるんだけど、人が好きになれないって言われまして。

いやそれは俺、結婚相談所に入ってたんすけど、要は結婚するっていう、言って何だろう、辞めちゃったんですよね。結婚相談所で成婚退会っていう形になって、成婚料も払って。にもかかわらず、そこで婚約破棄みたいなことされてしまって、ってなっちゃって。だからそこでもうちょっとつまずきがあって。話のあれって何でしたっけ、質問なんでしたっけ。

くじらぐも:
元々は結婚したい理由でしたね。

荻野義隆:
そうですよね。だからそこでまた何か時間を使っちゃったんですよね。2年ぐらいその方と付き合ったりなんだりしてしまった、時間を使ってしまって結局結婚できなかったっていうのがあるので、そこもちょっと僕の人生のずれを生んだあれでしたね。

くじらぐも:
なかなか難しいものがあるんですね。

荻野義隆:
いやあ。だからもう好きになってもらわなくても、パートナーとして認めてくれることはできないのみたいな話とかもしたんですけど。なんか、だって家族になったり、今家族と暮らしてるんだから、その感情で多分いいと思うんだよねっていう話もしたん、もうそこはちょっと僕は女々しいところであれだったのかもしれないけど、結局は無性愛者っていうことで、何て言ったらいいんだろう、あの…。人に対して何も思わない方でした。

くじらぐも:
なるほど。

荻野義隆:
はい、多分ネットで調べれば出てきます。アセクシャルとか無性愛者って調べれば。

くじらぐも:
アセクシャル、ちょっと調べてみます。

荻野義隆:
はい。

くじらぐも:
荻野さんが結婚をしたい相手ってどんな方ですか。

荻野義隆:
まあなんだろう難しいけど、ガリガリが駄目なんすよね。細い人があんまり好きじゃなくて、ちょっとふくよかな人がいいです(笑)。あとは気持ちが優しければいいですね。思いやりのある人がいいです。あとはあんまりこだわりはないです。

くじらぐも:
これからどういうふうに婚活は進めていくご予定ですか。

荻野義隆:
僕は今はそういう、もう1回入り直そうかなとも思ってるんですけど、自分が所属してしまって、婚活事業立ち上げてしまったので、もう入れないんですよね、相談所には。そこの所属してある、僕が元々所属していた相談所には入れなくて、なので、他のところで活動するか、あと今そういうコミュニティとかによく顔を出してます。婚活コミュニティみたいなところに顔を出して少しでも出会いをっていう感じで動いてます。

くじらぐも:
もう少し先の死ぬとなったときの未来ですけれども、そのときはどんなふうな死に方をしたいですか。

荻野義隆:
死に方ね。基本はやっぱりまあ何だろう。多分皆さんね、ピンコロが一番いいかなとか思うんですけど(笑)。何だろう配偶者がいらっしゃったら、配偶者に重い負担をかけないような死に方がいいかなと思ってます。

くじらぐも:
場所はどこがいいですかね。

荻野義隆:
場所はもうどこでもいいです。仕事中に倒れてもいいし、なんか旅行先で倒れても別にいいし。ただね、その配偶者の方に何年もお世話になるような病気にだけはなりたくないなとは思ってます。

くじらぐも:
これから配偶者の方と出会って一緒に生きていくことになったら、どんな人生を歩んでいきたいと思いますか。

荻野義隆:
いやもうそれはね、笑顔あふれる楽しい人生を歩みたいなって思ってます。なんか極端なね、なんか贅沢とかそういうのはちょっと僕のと合わないと思うので、そういう、そういうのを望んでいる方は。でも普通の幸せだったり旅行だったりなんていうのはできるぐらいの甲斐性は持ってるので。そこを一緒に楽しんでいただける方がいたら嬉しいかなって思ってます。

くじらぐも:
これだけは一緒にしたいなと思うことはありますか。

荻野義隆:
これだけは一緒にしたい、それは何、デートとかでもってことですか。

くじらぐも:
そうですね。

荻野義隆:
そうですね、何だろう。でも何か一緒にいてくれるのか、どうなんだろうな、でも普通に居酒屋行って飲んだりとかしたいなって思ってるぐらいで。あとね、年に1回とかぐらいに良い旅行して、良いホテル泊まって、お互い労ったらいいかなとかって思ったりしてます。

くじらぐも:
仕事面では5年後は月に10人成婚などの目標を達成するためにどんなことをしていこうと思っていますか。

荻野義隆:
人に会って、今は集客ですね。もう結婚相談所は集客っていうところからは絶対に逃れられないので、とにかく人に会うイベントを起こす。みんなに認知してもらう。それだけです。

くじらぐも:
荻野さんの結婚相談所の強みってありますか。

荻野義隆:
基本的にみんな、先ほども言ったようにプロにおまかせするので、サポート力は多分、
僕的にはもう多分全国で1位だと思ってます。要は何でもできます。女性だったら髪の毛を変えたい、できます。メイクを覚えたい、できます。ファッションを覚えたい、できます。気持ちメンタルの部分をちょっとこういうところを変えたい、それもできます。男性だったらオーダースーツが欲しい、できます。そういう日常のファッションできたい、できます。ファッションを学びたいもできます。髪の毛もできます。眼鏡もできます。清潔感もできます。なので、多分できないことが今んところ、競合他社さんでできないことをうちは全部できると思います。

今うちって、非モテを専門とかっていうキャッチで出してるんですけど。非モテ専門の結婚相談所っていうふうに出してるんですけど、なんでそれができるのかって言ったら、非モテの人でも結婚できるレベルにまでちゃんとサポートできるからなんですよ。だからもう何だろうな、そういうサポートを受けたかったらもう自称モテないでも入れますので。

くじらぐも:
集客するにあたって、何か計画とかってあるんですか。

荻野義隆:
計画っていうほどでもないんですけど、新しいコミュニティを実は立ち上げる予定です。で、それはSoyoクラブと言って、マッチングアプリではちょっと怖いとか、基本的に何だろう、詐欺とかね、あと既婚者が混ざっていたりとかして、うまく恋愛の効率が悪いと思っている人とか、逆に結婚相談所はちょっと敷居が高いとか、ちょっと内容がわからないんで怖いとかでちょっと躊躇しちゃってるような人。その間の人たちをターゲットにしたリアルで会う出会いコミュニティを作ろうかなと思ってます。

それは月額5500円払っていただければ、他の飲み会とかイベントとかを週1か2で起こすんですけど、そこにはもう基本的には出放題で。ただ、もちろんその飲み飲み代とかは折半で払っていただくんですけども、そこで出会いを作っていっていただければなっていうのと、もしより強いサポートが欲しいとかってなるんであれば、うちの方のサポート、結婚相談所の方にっていう形になりますね。

くじらぐも:
いろんなことを考案していらっしゃるんですね。

荻野義隆:
何かいいアイディアありますか。

くじらぐも:
ええ!

荻野義隆:
何かあったら教えてほしい。

くじらぐも:
なんか、その結婚相談所業を熱心に取り組まれている原動力ってどんなところにあるんですか。

荻野義隆:
もう完全に人の笑顔が見たいとかもう本当そのレベルですね、喜んでもらいたいとか。あとやっぱり一番最初にお話した通りお人好しなんで、人が困ってるところはやっぱりこうね、救わなきゃいけないという、救いたいと、もうこっちの欲望ですね、救いたいというこっちの欲望があるので、そういったところですね。

くじらぐも:
では、もしもの質問というのをお聞きしているんですけども、もしも、例えば大病されたりとか、いろんな人生のずれがあったと思うんですが、そういったことがなく、もうタイミングがビシッとこれまで決まってこられたとしたら、今の生活はどう変わっていたと思いますか。

荻野義隆:
いや、そうですね。でもそうですね、大病もせずに結婚して子供もいたってなれば忙しい日々を送ってるんじゃないかなと思いますけど。子供の手離れが出るまではね、やっぱり責任があるんでそれなりに動いてるかなとは思います。

くじらぐも:
ではインタビューも最終盤となりますけれども、この記事を見ている人に対して、何か最後に言っておきたいことはありますでしょうか。

荻野義隆:
そうですね。僕が望んでいるのは、究極のところこの地球という惑星が平和で包容力豊かな社会になっていればいいなと思ってるんですね。究極を言うと。でもそれが僕はできないので、自分の周り、僕に携わってくれた人は、何とかして救ってあげたいなっていうふうに考えてます。僕から見つけていくこともあるけど、もしこれを見ている人で、結婚とかにつらいなとか悩んでいたりしたら、もうぜひ僕を頼ってきていただけたらなって思います。

まあ変なね、何だろう、僕を頼ってくるのはいいけど、悪用はしないでね(笑)。その代わりちゃんと大変だなって、あれするんであれば僕はちゃんと面倒見てあげたいなというふうに思ってます。そんぐらいかな、うん。


あとがき

婚活相談所運営をされている方、一体どんな方なのだろうとワクワク臨ませていただいたインタビューでした。荻野さんの心からの「善意」を感じる一時間だったように思います。ありがとうございました!


【インタビュー・編集・あとがき:くじらぐも】

【編集:haru】

#無名人インタビュー #インタビュー #結婚相談所 #システムエンジニア


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