そんなに働かなくてもよかったじゃん、人
むかしむかし、ある村に、働き太郎(はたらきたろう)という男がいました。働き太郎は日の出から日の入りまで、休むことも知らず働き続けていました。
村人たちは彼のことを「働き者の鑑」と呼び、誰もが褒め称えていました。働き太郎も、働くことこそが人生の価値だと信じて疑いませんでした。
ある日、村に不思議な旅人がやってきました。旅人は働き太郎を見て、こう言いました。
「そんなに働かなくてもよかったじゃん」
働き太郎は初めて、その言葉に心が揺れました。
「でも、働かなければ...」と言いかけると、旅人は優しく微笑んで言いました。
「川を見てごらん。流れが速すぎても、遅すぎても、魚は住めないものさ」
その夜、働き太郎は眠れませんでした。自分の人生を振り返ると、気づかないうちに見逃してきた多くのものがありました。
咲いては散る桜の花。
子どもたちの成長する姿。
両親の老いていく背中。
そして、自分自身の心の声。
次の日から、働き太郎は少しずつ変わり始めました。
朝は、急がず日の出を眺めてから仕事を始め、
昼は、ゆっくりと食事を味わい、
時には、子どもたちと遊ぶ時間も作り、
夕暮れには、家族と語らう時間を持つようになりました。
不思議なことに、仕事の量は減っても、質は上がっていきました。心に余裕ができたことで、より良いアイデアが浮かぶようになったのです。
村人たちは最初、働き太郎の変化を心配しました。しかし、彼の穏やかな表情と、充実した仕事ぶりを見て、次第に理解するようになりました。
後に働き太郎は、若者たちにこう語りました。
「そんなに働かなくてもよかったんだ。人生には、働くこと以外にも大切なものがたくさんある。それに気づくのが遅すぎた、なんてことにならないように」
そして「適度な働き、心の余裕」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月29日15時44分に書く無名人インタビュー917回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 石野 愛 さんです!
年齢:30代後半
性別:女性
職業:自営業
現在:子どもたちに囲まれながら自営業12年目の忙しい生活
qbc:
石野さんは、今何をしてる人でしょうか?
石野愛:
今は自営業で、天然石を海外から輸入して加工・販売する人ですね。
qbc:
お仕事以外だと何かありますか?
石野愛:
これがもう専業になってるので、あとは子供たちの世話みたいな、家族の世話っていうのをやってます。
それ以外だと、趣味で本を読んだり、どっちにしても家族と一緒っていうのがやっぱり多くなっちゃうんですけど、ちょっと遠方にドライブに行ったりとか、アウトドアっていうほどではないんですけど、デイキャンプに行ったりとか。家族といるときはそういうみんなで過ごせる時間を大切にしていています。一人でいたいときももちろんあるので、そういうときはこうなんだろう……本読んだりとか、あとは日中になってしまうんですけど、子供がいない時間でちょっと仕事の合間に休憩が取れるっていうときは、一人アフタヌーンティーじゃないんですけど、そういう自分ご褒美タイムみたいなのを取ったりとかですかね。
あとはすごく時間があって、「この日は休み」って決めた日とかだったら、一人でふらっと買い物に行って、いろんなものを見て帰ったりします(笑)。
qbc:
買い物は近所のスーパーとかですか?
石野愛:
田舎に住んでいるので、都市部っていうか家から40分ぐらいの距離なんですけど、その辺に行って百貨店に行ったり、デパ地下に行ったり、「どういうものを」「どういう人が」「どういう感じで持ってて使っているのか」とか、人の流動や姿を見たりするのが結構好きなので、人間観察をしたりとかですね。
あとはコーヒーが好きで、自家焙煎してくれるところに行ったりとか。
自分でも自宅で焙煎したりとか、結構いろいろやってます。
qbc:
いろいろやられてらっしゃるんですね。ちなみに、お子さんは何歳ぐらいですか?
石野愛:
3人いて、一番上が今何歳だったかな……11と多分9と7だったと思うんですけど、ちょっと学年を超えてるのであいまいで……(苦笑)。
3人もいると、もうとにかく毎日忙しいからあんまり自分の時間がないって感じです。
qbc:
一番上のお子さんは小学校6年生ですか?
石野愛:
11なので、今5年生です。5年生と3年生と1年生ですね。
qbc:
1年生か……大変ですね。
石野愛:
ふふふ(笑)。そうですね(笑)。
qbc:
ちなみに、性別はどういった感じでしょうか?
石野愛:
女の子、女の子、男の子ですね。
qbc:
なるほど、あとは生活時間の中で食事・入浴・睡眠以外ってどう過ごされていますか?
石野愛:
んー……夜はもう体力がないので、もう23時ぐらいに寝ちゃって(笑)。
翌朝6時ちょっと前に起きて、朝の支度をバーってやるみたいな感じなので、子供の世話、仕事、家事をやったら一日が終わるので、ゆっくりできる自分の時間はない感じです。
qbc:
ありがとうございます。では、今現在どんな気持ちで過ごしていますか?
石野愛:
どんな気持ちで過ごしてるかっていうと、もうとにかく「忙しい!」「時間が欲しい!」「24時間じゃ足らない!」みたいな、この3つの言葉で生きてる感じですね。
ようやく一番下が保育園を卒園したので、ちょっと自分の時間が取れるんじゃないかとか――、甘い考えも今年の4月くらいはあったんですが。
結局は全くなくて。
仕事の時間になってしまうんですけど、取れるだろうと思ってたんですが、うちの子3人とも発達障害があるんですね。
放課後デイサービスっていう、放課後に療育っていう目的で子供を見てくださるところがあるんですけど、子供たちそれぞれの特性に合わせて施設を選んで、そこの先生にお願いしています。17時とか17時半ぐらいになったら、自宅に連れてきてもらってますね。
学校からデイサービスの先生に迎えに来てもらってそのまま行ってもらって、そこで過ごして17時半ぐらいに家帰ってくるっていう生活だったんですけど、下の2人が通っている施設の先生がちょっとご病気で体調悪くされたっていうのがあって、先月末で施設が閉所になってしまったんですよね。
それでどういうことが起こるかっていうと、学校まで私がちょっと迎えに行って連れて帰って、家で見なければいけない、という状況が発生するんです。
それは自分の子供だから全然苦じゃないんですけど、ちょっと大変だなって思うのが、1年生と3年生の時間割がそろって下校時間が一緒のときはいいんですけど、時間がちょっと30分とか20分とかタイトに違ったりする日があったりするので、そういう日は送り迎えがちょっとバタバタするなっていう。
相変わらずですね(笑)。
保育園に一番下の子を通わせていたときと同じぐらい、結局忙しい感じですね。
もうちょっと時間があったら、なんだろう……仕事の量をちょっと増やしたりとか、別の仕事をやったりとかっていうのもできたりするかなと思ったんですけど、ちょっと実現してない感じですね。そんな感じです。
qbc:
なるほどなるほど。今のお仕事はいつ頃からされてるんですか?
石野愛:
今12年目を走ってて、11年と半年過ぎたぐらいですかね?
qbc:
法人化はされているんですか?
石野愛:
いや、法人化してなくて、個人事業主っていう感じですね。
qbc:
なるほど、個人事業主としても長いキャリアですね。
インタビュー前に写真を拝見したんですけど、どんなものを作られてるかっていうのを改めて教えてもらえますか?
石野愛:
きっと天然石って言われると、多分腕にジャラジャラみたいなビーズみたいなのを多くの方は想像されると思うんですけど、そういうのじゃなくって穴が開いてないルースって呼ばれる状態の天然石を加工して、アクセサリーに仕立てる仕事です。
ルースと言うのは、例えば、500円玉ぐらいに綺麗にカットされていて、ちょっと裏側がフラットで、表面が山なりになってるみたいな、ビースをちょうど半分にしたような感じの形のものが多いです。そういうものを糸で編んで身につけられるアクセサリーにするっていう仕事をしています。
完全にずっと手作業なので量産ができないっていうのと、あとはもうマンパワーでやるしかないので、もう作ってる数が在庫MAXみたいな形になるんですね。
なので、その一点物の製作っていうものが主流になる仕事です。
qbc
糸で編んでっていうのは、金属の糸っていうことですか?
石野愛:
ワックスコードっていいまして、ポリエステル製の糸になるんですけれども、そちらの糸で編むっていうことになります。
qbc:
これってサイトに載っているものも金属の糸じゃないんですか?
石野愛:
そうなんです、金属の糸じゃないんですね。
金属ではなくって、科学繊維という言い方はちょっとあれなんですけど、そういう専用の糸があるのでそれで編んでいます。
あとは絹糸、シルクですね。
あれで編んだりすることもあるんですけど、扱いがすごく難しくって、毛羽立ってしまったり、紫外線に弱かったり、水濡れに弱かったりとか、あと保管を気をつけないと湿気で駄目になっちゃったりとか、虫食いが~とかっていうのがあるので、あんまりそういう素材は長持ちしないのであんまり取り扱わない感じにはなります。
qbc:
なるほどなるほど、そうすると石を糸で包んであげてるような感じですか?
石野愛:
そうですね、おっしゃる通りです。
石を包んでから装飾があるものは縁取りになんだろう……額縁みたいな感じで装飾をするっていう形になりますね。
qbc:
そうなんですね、画像だと金属に見えますね。
石野愛:
金属ほどの耐久性であったり強度っていうのはないんですけれども、できるだけ金属が元々苦手な人だったり、金属アレルギーのお客様とかのような「本当は金属のアクセサリーつけたいんだけど、でもつけられないからこういうのがあったら使えるよね」っていうのでお使いの方もいらっしゃるし。
できるだけ糸のツヤ感が出るようには編んでいるんですけど、言い方はあれですが所詮は糸は糸なので、どうしてもあの金属に比べると……っていうところはあります。
あるんですけど、そこの部分がありながら、質感とか触り心地とか、そういう金属アレルギーの方だったら金属アレルギーのデメリットをある程度は軽減できるような素材で作ってお渡しするっていう形にはなってるかなとは思います。
qbc:
ちょっと気になったのは、一般的にこの糸を使うっていう手法はメジャーなものなのですか?
石野愛:
業界というか、マクラメ編みっていうものがあるんですけど、そういう狭い業界の中では一般的なものです。
世間一般的に周知されているか、と言われると「メジャーではない」と言うくくりになるかと思います。
マクラメの本場って言われたらブラジルがそうなんですけど、今私が使ってるのは、そこの会社さんが作ってるものを輸入してくださって販売している中間店があるんですけど、そちらから個人的に仕入れて使わせてもらってるっていう感じなんですが、イタリア産だったりとか中国で作られてるものであったりとか、日本で作られてるものももちろんあるんですけど、そういうものを使っている方もいらっしゃいます。
私はブラジル産のを使ってます。
qbc:
作品によってまちまちだと思うんですけど、制作時間ってどれぐらいかかりますか?
石野愛:
そうですね……実はちょっと今年、今年~去年ぐらいかな、いろいろゴタゴタしたってのがあったので、制作に対してかけられる時間っていうのを結構絞るようにしたんですね。
今までは、例えばペンダントでとてもシンプルなものだったら、1時間半~2時間ぐらいあったらできてたんですけど、その路線をちょっと止めて、今1個に対して3~4時間ぐらいかけて作ったりとか、物によってもどうしても2、3日かかるものもあるので、そういう風に調整しながらやっている状態ですね。
qbc:
おおまかにでいいのですが、作業時間をギュッてまとめると何日くらいでできますか?
石野愛:
作っているものがどういうものかによるんですけど、例えばすごくシンプルなもの――THEシンプルみたいな感じのペンダントであれば「早く仕上げろ」って言われたら30分でできるんですけど、大体1時間ぐらいですかね。
2個とか3個とか石をつなげてやるものに関しては、やっぱり2時間とか3時間ぐらいかかっています。
あとはもう大作みたいな感じで、複数の石がつながってるとか、縁取りの模様編みがもう結構幅が広くてたくさん編んでるよっていうものに限っては、一日のうちで7時間とか、あとは日にちを分けるので、トータルだとそうですね……17時間ぐらいかかるときもあります。
qbc:
ちなみに、Xで固定にされてる9月27日にポストされているバングルタイプの作品は、どれぐらいかかって作られたんですか?
石野愛:
こちらが多分10時間ぐらいかけて作ってるはずです。
qbc:
なるほどなるほど、じゃあ作業日数でいうと2日ぐらいですかね?
石野愛:
そうですね。ただ1回作ってはい終わり、じゃなくって、落ち着かせて定着する時間っていうのがその中に含まれてるので、編むだけだったらもうちょっと早いんですけど、全体で見るとやっぱり2~3日ぐらいかかってるって形になりますね。
qbc:
すごいですね、こうやって制作している時はどんな気持ちになりますか?
石野愛:
ほとんど何も考えてなくって、無心で淡々とやっています。
たまになんか「今日夜ご飯何食べようかな」とか「そろそろお腹すいたな、休憩しようかな」ってときに意識がふっと戻ってくる感じですね(笑)。
qbc:
シンプルに「これだけをやっていたい!」っていう感じなんですかね?
石野愛:
いやー、これをやり始めた理由――そもそも一番最初の12年ぐらい前に始めたのが生活のためだったんですよ(笑)。
稼ぐために始めるっていう形だったので、色々な思いはあるんですけど、物販はやっぱり生活をするために仕事をするっていうことでやってるので、どうしても1個に対して時間がやっぱりかかってしまうと、月間で作れるものの最高総数っていうのがどうしても決まってきて、その最高総数が結局その月収の月商のマックスになってくると思うんです。
うちには子どもが3人いて結構お金かかるので、「このままの経済状況でい続けるのは結構厳しいぞ」っていう感じではあるんですね(苦笑)。
例えば、これをやりながら別のちょこちょこやってるやつをやるとか、別の新しいものを少しずつやってみるとか、マルチタスクじゃないけれども、これとはまた別に副業を何個かやるっていう形に今後振っていこうかなとは思ってます。
値上がりがね、厳しいので……(笑)
過去:お金関係と揉めながら転々と仕事をし、天職を探す日々
qbc:
始めたきっかけは「稼ぐ」っていうところだと思うんすけど、そもそも石にまつわるものにした理由とかってあるんですか?
石野愛:
ちっちゃい頃からキラキラしたものはやっぱりすごく好きで、あとは地元の川とかで、大体手のひらサイズぐらいの水晶とか黒水晶が取れてた地域だったんですよ。
そういう幼少期を過ごしながら、セーラームーンとかもののけ姫とかが観る映像世代として入ってきて、「なんか宝石っていいな」とか。
あとはちっちゃい女の子だったら当時は誰でもあったと思うんですけど、昔、家で新聞を取ってるときって宝飾屋さんがチラシを出してるんですよね。
それがツルツルの紙で、そのチラシをはさみで切ってネックレスとかブレスレットみたいな感じにして遊んでた子どもだったので、その影響があって石も好きだし宝飾品っていうものもすごく好きだなと思って育ったんですよね。
ただ学校に行って学年が上がるにつれて、「進路を考えなさい」とか「将来何になるかを決めなさい」とかって言われてくるので、自分が思い描いていた「これ好きだったな」っていうものは多分仕事にならないんだろうなって思い始めたんですよ。
結構母親が厳しくって「安定した仕事に就きなさい、できればいい会社に入っていい給与をもらって、安定した生活をしなさい」みたいな人だったんで。
私は実は母にすごく虐待されて育ってですね、その部分があって母がすごく怖くって「言うことを聞かない」といけないって思ってずっと過ごしてきたんですけど、その延長線上で「母が喜ぶ仕事は何だろうかな」って思ったときに、学校の先生だったら母も文句言わないだろうと思ったんですよ。
だから「学校に先生になりたい」って言ったんですけど、その母自体が学校の先生に対して結構偏見を持っててですね、「学校の先生なんかなるもんじゃない!」みたいなことも言われて「どうすればいいの……」って思ったんですよね。
qbc:
それはそれは……。
石野愛:
そう言っているうちに進学かどうかを決めないといけないし、専門に行くか大学に行くかで……就職は学校の雰囲気的にはないっていう感じだったんですよ。
もう「進学しなさい」ていう感じだったので、母がそんなに言うんだったら一回拗ねちゃっても看護師になるって言ったんですよね。
うちの母が看護師だったので、母と同じ仕事だったら文句言わないだろうと思ったんですけど、そしたらうちの母がですね、「看護師はあんたに向かん!」みたいなことを言ってきて(笑)。
看護師が家に一人いるだけで、結構家族って助かるなって思ってて。
「(人の)ためになる仕事をしたい」っていうのが多分根幹にあったと思うんですけど、母と同じ仕事をしたいって言ったら、「いや、あんたには向かん」って言われて「え、じゃあどうしよう……」と思って、その過程で先生とか同級生の動向を観察していく中で「とりあえず大学に行って考えよう」と思ったんですよね。
4年間の猶予期間があるから、その間をちょっと活かそうかなと思って。
それでも教員になりたいっていう夢は諦められず、教員になるためにはどうしたらいいかって考えた時に「教育学部だ」と思って国立大を受けたんですけど、ちょっとすれ違って地域に行くことになって、母は大学に行くことに対してものすごく反対だったので、田舎っていうこともあって、親族からも反対されたんですよね。
「女の子が大学なんかに行くんじゃない」みたいなことを言って、「行くならせめて短大まで!」とか言われて。
母も「大学に行くもんじゃない大学なんかに行ったってどうしようもない」っていう考えの持ち主でした。
それでも大学に行くと決めて、試験を受けて、合格して。
ありがたいことに、入学費は出してもらったんだけども、通学するお金とか、携帯料金であるとか、あと学費は「もう自分で稼いでいきなさい」って言われたので、奨学金を運よく取れたので、奨学金と併用して大学に行くっていう形になったんですね。
そうすると、大学の学費が年間で80~88万円ぐらいたしかあったんですけど、それに加えて自宅から学校まで行くのに電車とバスを乗り継いていかないといけなかったので、毎月3万円ぐらいの交通費がかかってたんですよね。
それにプラス1万円ぐらいの携帯料金も必要だっていうことで、「毎月どれぐらい稼がないといけないんだろう」っていう計算をして、めちゃくちゃバイトを掛け持ちしてやりくりをしてたんですよね。
そこに大学2年生の時、父がうつ病になりまして、休職ののち仕事を辞めてしまうという事件が大きかったんですよね。
母は近くの病院で働いてたんですけど、パートだったので、国国民年金とかそういうものも色々払わないといけないぞっていうことで「これは大学に何か行ってられねえぜ……」って思ったんですよね(苦笑)。
なので、ちょっと1年休学をして、その間にバイトをずっとしていました。
そのお金をもう家庭に入れるっていう生活をしてる時に、私も体調崩してしまって……「これはちょっと大学にはこれ以上通い続けられないぞ」っていう状況までちょっと追い込まれたんですよね。
その時に、今はもうないんですけど広島市内に書店があって、ふらっと気晴らしに入ったら「自衛官募集」って書いてあったんですよ。雑誌で航空自衛隊の絵がバッと入ってきて「これを受けようかな!」と思って。
そうしたら働きながらお金もらえるし(笑)。
人のためにもなる仕事だし、「いいかな!」って思ったんですね。
そこから広島で斡旋してくれるっていうか、勉強とか自衛隊受験のために必要なことを全部教えてくれる方がいるんですけど、その方に連絡を取っていって。
一応航空自衛隊の一般総候補生っていうのを伺ったんですけど、教育隊まで進んで山口まで行くんです。
その身体検査の時に「あの子、甲状腺に問題がないか?」みたいなことを言われて――私甲状腺に問題があってですね、甲状腺といえばバセドウ病とか色々な病気があるんですけど、そういうやつではないけど毎年一回は定期検査をしないといけないみたいなのがあって、甲状腺にちょっと問題があると、ちょうど2014年から東日本ぐらいの時期と被っていて原発の処理とかも行ったりしないといけない頃だったので「ちょっと自衛隊せっかく入ったけど無理です」って言って帰されてしまって。
帰された……と思ったら、もう両親がすごいショックを受けてお通夜状態になっているんですよね(苦笑)。
「私が働かなきゃいけないのに、こんなことになってどうしよう……」と思ってたら、地元でクリーニング屋さんの店員さんが募集してたんですよ。
だから、とりあえず面接受けて正社員で取ってもらおうと思って。
そうしたら、面接で正社員として取ってもらったんですけど、その仕事を続けた3ヶ月目のある日に、先輩パートの60代ぐらいのおばちゃんが「あんた、クリーニング屋なんかに入ったの?」って突然言ってきたんですよ。
私は「いや、働かないといけないから、就職できるところだったらどこでも良くて……」って言ったら、「いや、あんたは若いけえ、こんなとこおったらダメよ」って。
「クリーニングの仕事なんか年取ったこんなおばさんになってもできるけん、別のことやんなさい」って言われたんですよ。
「別のことって……」って思ったんですけど、おばさんが言っていることがなんか自分の心の中にすごく響いたんですよね。
「わかりました!」って言って仕事を辞めて、そのあとはちょっと色々あって百貨店に勤め始めるんですよ(笑)。
なんだったかな……タウンページを見てたら、「正社員募集」って書いてあって、面接があることを知って。
その時、すごく女の子にしてはめちゃくちゃ短い髪の毛だったんですよね。
面接官の人に「なんであなたそんなに髪の毛短いの?」って言われて……「下手したら坊主に近い、坊主よりちょっと生えてるけど」みたいな言われ方をしたんですよ。
そこで「自衛隊でダメで3ヶ月クリーニング屋で働いてた」って言うのもなんかちょっと違うな、説明が面倒くさいなと思って「頭からペンキを被りました」って嘘ついちゃったんですよね(笑)。
そうしたら「なんでペンキかぶったの?」って(笑)。
「ちょっと自宅の壁にひびが入って、自分でペンキで直していて、補修していたらちょっとて滑っちゃって、ペンキを頭からかぶったから、もう髪の毛がベタベタになって切らないといけなくなったので切りました」って言ったんですよ。
たしかにペンキで自宅の壁は補修してたし、ペンキをこぼしたのは事実なんですけど、髪の毛を短く切るほどのことではなかったんですよね(笑)。
そんな風に嘘なんですけど言ったら、ウケてですね(笑)。
「あなた採用!」ってその場で言ってもらったんですよ。
そこから名古屋まで研修を受けに行って、広島へ戻って翌月から働き始めるわけなんですけど、取ってくれた担当の方ってのは元々その広島の店舗にいらっしゃった方で、ものすごく仕事ができる方だったんですよね。
定時から10分以内にはもう全員上がらせて、段取りもきれいに整えて、次の日の用意もして「明日の販売計画はこんな感じでいきましょう」っていう風にビシッとやる方だったんですけど、その方の後輩さんがやられてる店舗に入って働かせていただいたんですけど、その方が大体夜の11時半ぐらいまで仕事をする方でして……(苦笑)。
朝は6時半集合で夜11時半に終わります、終日で帰りますっていう生活をしてたんですよね。
「仕事って本当大変なんだな……」って思ったある日、とある百貨店全体で「打ち上げをやるぞ」ってなったんですよ。
そうしたら「今日は7時半に来てください」って言われて、「なんでだろう?」と思って7時半に行ったら先輩の様子がおかしいんですよね。
なぜかチャキチャキやっている、いつもダラダラやってるのに。
百貨店は8時に閉まるので、大体その8時に閉まってから打ち合わせとかダラダラやってたのに、その日は8時ぴったりに終わったんですよ。
「なんで?」って思ったら「今日は飲みだから早く終わらせる」って言って、「毎日やればいいんじゃない?」と思ったんで、すごく腹が立って。
毎日できることを、きっちりできることをなんでそんなに毎日やらないんだろう……と思って。
「わかった、社会ってそういうものだ」って飲み込めればよかったんでしょうけど、若かったので無理だったんですよね。
なので、もう終電で帰って体もボロボロだし、メンタル的にも結構やられてたので「もうやめよう!」と思って、辞めた翌週にリフォーム会社に勤め出すっていう形になります。
qbc:
すごい壮絶ですね……ちなみに、何歳のお話ですか?
石野愛:
多分25ぐらいの時だったと思います。
qbc:
なるほどなるほど、ありがとうございます。
では話をちょっと変えて、石野さんの性格について聞きたいんですけれど、周りの人からどんな性格だと言われますか?
石野愛:
親しい友達やちっちゃい頃からの友達は「なんか明るくて話しやすいね」とか「なんか一緒にいると和むね」みたいなことは言われます。
でも初対面だと「真面目な人」とか「何考えてるかわかんない人」とか結構言われたりします。
qbc:
ご自分ではどんな性格だと思いますか?
石野愛:
うーん、自分ではちょっと気難しいところがあって、面倒くさい変な人だと思ってますね(笑)。
qbc:
身近な人、たとえば家族やパートナー、お子さんでもいいのですが、距離の近い人からはどんな性格と言われますか?
石野愛:
なんか明るくて、なんだろう……「親しみやすい」みたいなことを言われることが多いですね。
あとは「面白い」とか。
qbc:
ちなみに好きな食べ物はありますかね?
石野愛:
好きな食べ物はイチゴのミルフィーユです。
イチゴのミルフィーユが好きです!
qbc:
ありがとうございます。
少し脱線しましたが、過去の話に戻りますね。
石野さんは小さい頃、どんな子供でしたか?
石野愛:
子どもの頃は外面がすごくいいとか……一般的に言われてるいい子や優等生とか、大人しめみたいな感じでよく言われました。
qbc:
幼稚園の頃とか幼少期にやっていた遊びで印象に残っているものはありますか?
石野愛:
友達とセーラームーンごっことか、一般的な鬼ごっことかそういうのをやってました。
小学校に上がったら、ちょっと1~2歳年上の幼なじみと一緒に山に行ったり、川に行ったりして秘密基地作って遊んでたりしていたかな。
qbc:
小学生の頃はどんな子どもだったと思いますか?
石野愛:
小学生の頃はなんか「軽い」「明るい」って言われましたけど、なんか取り立ててここが特別みたいな感じはなかったですね。
一般的な明るい普通の子で、別におとなしいとも言われなかったし、明るい子っていう感じでしたね。
中学はすごく物静かになってて、なんか地味な子に入ってましたよね。
おとなしくて地味な子。
高校はそうですね、高校も割と「おとなしくて明るくて真面目」っていう感じでしたね。
qbc:
では、大学生活はどんな感じですか?
石野愛:
大学生活は友達と一緒にどっかに遊びに行く余裕がないぐらいとにかく忙しい感じで、あんまり「楽しかった」とか「行ってよかった」みたいな記憶はないんですけど、あの時大学を辞めずにもうちょっと頑張っとけば……卒業しとけば、今とはちょっと違う道を歩いてたんだろうなっていう気はします。
研究室は楽しかったですけどね。
落ちこぼれとして入りびたっていて(笑)。
qbc:
ちなみに何を研究室で勉強していましたか?
石野愛:
私は社会学が専攻だったので、社会学で先生に師事してカフェとコーヒーの研究をやって、個人的には恋愛の研究をしてました。
qbc:
そこから先ほどの転職の話につながっていくんですね。
リフォーム会社は家のリフォームをしていたんですか?
そしてどんな感じでしたか?
石野愛:
そうですね。戸建てとかマンションとかのリフォームをしていました。
もう本当面白かったし、すごい楽しかったかなと思いますね。
まず知識を入れてから知らないことを吸収――教えてもらうのがすごく好きだったので、メーカーさんに来てもらって勉強会を開いてもらって、各社のキッチンの特性や、トイレの特性、風呂の特性とか、あとは「間取りがこうだったらこういう提案ができるよ」とか。
あとはお客さんの話を聞いて、「こういう風にしたいんだけどどうかな?」って言われたら「それいいですね!」って言って、「こういう風なプランもありますよ」って提案するっていう仕事がすごく合ってたのかな。
お喋りするのが結構楽しかったんだろうなと思うんですけど、それでお客さんに喜んでもらって契約が取れるっていうことがすごく楽しくて、充実した会社員生活でしたね。
会社としては、ちょっと言わせてもらうと福利厚生が最悪だったんですけど、仕事の対応はめちゃくちゃ楽しかったです。
qbc:
いいですね。そして、その後はどうなったんですか?
石野愛:
リフォーム会社で働き始めて本当すぐに今の主人と出会うんですよ(笑)。
私も仕事が忙しい、向こうも仕事が忙しいという中で、なんかちょっと接点があるようなことが何回かあって、それでお付き合いをすることになって、トントンと結婚の話もまとまって、入社した年の秋ぐらいにはもう結婚の話がまとまってたので、翌年に結婚するっていう感じでしたね。
結婚してすぐぐらいにちょうど妊娠がわかって、出産だってことになるんですけど、会社がですね、これがまた……(苦笑)。
事務員だったんですけど、色々な賞とかもいただいたにもかかわらずと言ったらあれなんですが、手取りが13万円ぐらいしかなくって。
でも、13万円でもいただいてるお給料には変わりないので、ありがたいと思って生活をしてたんですけど、ある日、会社の方から「結婚したんだから旦那さんの扶養に入れるよね?」って言われて……「社会保険をやめるね」みたいなこと言われたんですよ。
今だったら「おかしいな」と思ったんですけど、当時は本当にわかんなくって。
毎月のお給料が10万円以上超えてしまうと、扶養には入れないじゃないですか。
社会保険を切られた場合って、自分で国民保険に入って国民年金も払わないといけないよねっていうことだったんですけど、会社からはもう多分用済みだったと思うんです。
「あなたいらないよね」みたいな、「結婚するならやめて」っていう感じだったと思うんですよね。
石野愛:
なので「社会保険を切ります」と言われて、でも「そこから困るな……」と思って、その時に母に相談したら「社会保険の任意継続っていう方法があるよ」って教えてもらったんですよ。
自分で社会保険を多めに払う代わりに、継続して社会保険に加入できるっていうシステムがあることを知って、それをしたんですけど、会社から任されていた店舗があるんですけど、その店舗が入っているテナント自体を老朽化が原因で取り潰すって話になったんですよね。
「会社を辞めてください」みたいなことを遠まわしに言われたような気がするんですけど、それでもう「会社も辞めてください」「社会保険は外します」っていう風に呼ばれて、「そうか、もう無職になって家で子供を育てる仕事になるのかな」って思ったんですよ。
そうしたら5月ぐらいに主人がですね、上司のひどいパワハラにあって仕事を辞めざるを得なくなりまして、仕事辞めてしまうんですね。
私が辞めていいっていったんですけど、うちの娘が6月に生まれるんですよ。
ほぼ臨月みたいな時に仕事を辞める=収入がない夫婦で、「子どもを産まれるし、どうする!」みたいな感じになって、その時は貯金が残ってたのと、雇用保険のやつかな……仕事辞めた後に何ヶ月かして手続きをするといただけるやつがあったので、なんとかなったんですけど、色々ないんですよね。
住むところもギリギリで「どうする、これから……」みたいな感じで。
運よくその伝手があって、主人は7月に再就職できたんですけど、私も無職で子どもが産まれるとすごくお金がかかる。
「生きている=お金がかかる」みたいな状況になったんですよね。
それで「これはまずい、働かなきゃ」と思ったんですよ。
出産後は本当に「無理してしまうともう後々大変だ」っていうのを散々言われてきたんですけど、そんなこと言っている場合じゃないと思って。
でも、子どもがまだ生まれたてで、1ヶ月で外に出て働きに行けるかっていうと、ちょっと私は無理だったので、家にいながらできる仕事をしようと思ったんですよね。
それで20代で大学に行ってたときにバイトで小論文の添削の赤ぺん先生をやっていたのと、あとは当時のWebライターみたいな仕事もちょこちょこってやっていたので、それでなんかできるんじゃないかってなんか思っちゃって。
当時はパソコンを持ってなかったので、スマホで検索をかけて「文章を作るお仕事がないかな」って探したら、ランサーズさんっていうところだと2社ぐらいちょうどそのライター募集みたいなのをやってたので、原稿をひたすら毎日書いては送る、書いては送るみたいな感じでやっていました。
そうしたら評価していただいて、契約が取ってくれるようになって、出産してから多分1ヶ月半ぐらいで結構そこそこ外に出るのと同じぐらいは稼げてたかなと思うんですよね。
といっても扶養の範囲内なんであれなんですけど、それぐらいの収入はあったんですけど、とにかくスマホ1台でやらないといけなくって、今だったらそのワイヤレスのキーボードがあって、カチャカチャやったらスマホにその印で出てくるみたいなことがあったと思うんですけど、本当に貧乏でスマホを3本指でピチピチやりながら文章を打って確認して……っていう作業をずっとしていたんですよ。
稼いだお金も全部生活に回さないと生きていけない状態だったので、「このままじゃまずいぞ」って思って、当時テレビを見てたらちょうどハンドメイドブームだったんですよね。
そのハンドメイドのCMがぱっと入ってきて、「ハンドメイドだったらできるかな?」と思ったんですよ、軽い気持ちで(笑)。
当時12年ぐらい前って、やっぱり主婦のお小遣い稼ぎとか、趣味の延長みたいな位置づけだったんですけど、それでもいいから稼いで収入が欲しいと思って。
それで「何をやろうか」って考えた時に、他の人と同じだったら埋もれてしまうと思ったんですよね。
minneっていうハンドメイド販売サイトがあって、「自分は石がちっちゃい頃から好きだし、天然石のビーズのブレスレットだったらみんな持ってるから、需要があるんじゃないか?」って最初思ったんですけど、最初に「パワーストーン 天然石ブレスレット」で検索をかけたら、多分1万4000点ぐらいバーって出てきたんですよ。
検索結果1万4000点もあって、「この中から自分を探してもらうのって無理じゃん」と思って。
知名度もないし、「今から始めます」みたいな新人が、この膨大な海の中でピンポイントで探してもらうのって無理だよね……って思って、じゃあどうしようかなってちょっと考えた時に、中学校2年生の頃に両親が2人で出雲の方に行ったことを思い出したんですよ。
その時の博物館かなんかのお土産で中国――今だったら中国網ってわかるんですけど、翡翠の糸で編んであるブレスレットをくれたんですよ。
それがすごく好きで「糸でこんなことができるんだ!」と思ったんですよね。
「だったらこれを仕事としてやってみよう!」と思ったんです。
仕事じゃなくって、とりあえずやってみようと思ったんですが、そのとき私が自由にできるお小遣いみたいな手持ちが1,000円ぐらいだったんですね。
だから、1000円を握りしめてダイソーへ行って、ビーズとそれから水晶ガラス玉みたいな素材を300円ぐらいで買って、ずっと練習し始めるんですよ(笑)。
「ちっちゃいミサンガみたいな編みこみがあるけど、ミサンガみたいな編み方でいいのかな」「いや違うな、これはなんていうのかなって検索してみよう」とかしていくと、天然石ブレスレットみたいなのでGoogleに検索をかけたら、これがマクラメ編みだっていうことがわかったんですよね。
そこで初めて「マクラメっていうんだ!」ってなって。
編み方は「マクラメ 編み方」で検索して探すんですけど、日本語のページが1個も出てこなくって、海外だとマクラメ編みってなんていうのかなって思ったりして、YouTubeで検索してみようと思ったら、YouTubeだと結構出てきて、そこで子供が寝てる2~3時ぐらいにかけて、ずっとスマホを見ながら、コットンの糸で練習するっていう日々が始まりましたね。
qbc:
すごい、そこから今の仕事がスタートしたんですね。
ちなみに両親からどのように育てられましたか?
石野愛:
とにかく厳しかったですね。
「礼儀正しい子であるべき」とか、「社会通念に反するようなことはするな」とか……そうですね、とにかく母が厳しくて、そういう感じで育てられました。
qbc:
では、人生の転換点について伺いたいのですが、どこがポイントだったと思いますか?
石野愛:
人生の……やっぱり子供が生まれたことが一番だったかなと思います。
未来:死ぬまで働きたいし、生きることは働くことである
qbc:
では、未来についての話に移っていきたいと思います。
5年や10年、30年――最後自分が死ぬっていうところまでイメージしていただいて、どんな未来ってイメージはありますか?
石野愛:
うーん、今の仕事を細々と続けながら、発達障害のだけじゃなくてその親御さんって結構居場所がなくって遊ばせたりとか、あとも集って話したりっていうところがあんまりないので、そういう場所づくりとか、休日ふらっと来て帰れるようなところを作りたいなっていう感じはあります。
qbc:
もう少し具体的に言うとどんな感じですか?
石野愛:
具体的に……そうですね……5年以内ぐらいには、ちょっとちっちゃいものでもいいので、そういう何かの形みたいなのを作れたらなとは思ってます。
qbc:
具体的にすると、何かの場所のことですかね?
石野愛:
場所であったり、空間であったりって、最初は多分空間の方から始めると思うんですけど、ネットもSNSも盛んなので、そういうことであったり、悩みごとであったりみたいなそういうプラットフォームみたいなのを1個作っておいて、あとリアルで集まれるところっていうのをもう一歩踏み込んで作りたいです。
特定の場所じゃなくてもいいからそういう場所みたいなものを作るっていうのが漠然とはしてるんすけど、今の夢ですかね。
あとは、将来的に本当に将来的に10年後とかの先の話になっちゃうかなとは思うんですけど、発達障害の子たちとその親が抱えてる悩みっていうのはやっぱり「自立して稼いで生活するのが難しいよね」っていうところがあって、色々な事業所さんがあるんですけども、パートに行くぐらいの給料が出るところもあれば、歩合制で紙を折って1個10円とか1個5円とかっていうので、毎月7,000~8,000円とか、毎月1日8時間働いて8000円とかの収入しか得られないっていうところもあるんですよね。
なので、自分の子たちがそうだからっていうのもあるんですけど、もそういう発達障害ってもざっくり言われている色々な特性を持った人たちが自立しても、親元から離れる/離れないはちょっと別にして、一般的に社会で働くのと同じぐらいの給料を得られるような場所やh会社を作りたいなっていうのがすごく大きな夢になります。
qbc:
それはさっきの居場所とはちょっと違いますか?
石野愛:
あっちはもうなんかパーソナルな方で、こっち側は社会に接する方などで、ちょっと区分が違うかなと思うんですけど、結局全体を見れば一緒かなとは思ってます。
qbc:
いつ頃からそれを考え始めましたか?
石野愛:
強く思い始めたのは3年ぐらい前からになるんですけど、やっぱり子供が成長していくと進路どうするとかっていうのも、小学生でも考えないといけなくって。
相談員さんっていう方がいらっしゃるんですけど、そういう方に「将来こういう子たちはどういうその仕事をするんですか?」みたいなのを聞く機会があって、そうすると事業所の就労支援とかあるらしいんですけど、そういうところで働いてる子たちもいるし、障害者雇用枠で働いてる子たちもいるし、特性とかが特に目立ってなく、一般の普通の人に見える人たちで特性っていう悩みを抱えてる人たちは、なにか自身の中の矛盾を抱えながらも、一般的な会社で働いてるって方たちもいるって話は聞いたんですよ。
そうした時に、自分の子たちを見ると「普通の働き方はかなり難しいだろうな」っていう風にやっぱり年を追うごとを持っていって。
そういう子たちっていうのは、実は自分の子たちだけじゃなく、ニュースとか見たり、結構世の中にたくさんいるよねっていうことがわかってきて、そうした時にやっぱりその行政とか国からの支援はあるけども、やっぱり普通にお給料もらうっていうのは、国とか、自治体とかっていうのはそこまで手厚く手は伸ばせられないよねって思って。
そう考えると、ちっちゃいところでもいいから、企業が1個そういうのを作ってあげて障害者雇用枠でなくても、そうでもいいんですけど、ちゃんと月20万円ぐらいお給料もらえたら生活できるじゃないですか。
実家暮らしだったらもう13とか15万円とかで、社会保険がちゃんと付いてて福利厚生があったら、その子たちがもっと色々な活動ができるだろうし、育ててる親御さんたちもやっぱりちょっと安心するんじゃないかなっていうのを思うようになって。
3~4年ぐらいかな、将来的にはそういうところを作れるような会社であったり、仕組みっていうのを作ってみたいなって思いましたね。
周辺のことというか一応調べたんですけど、これは多分行政書士さんとかに相談した方がいいだろうなっていうとこで止まってますね。法人として会社を作るルートとかっていうのも調べないといけないし、やっぱり人を雇って給料を給料を払うっていうのは、月々の月収が結構ないと厳しいなと思うんですよ。
なので、その辺を自分がちゃんと構築をしていけるのかっていうのが結構重要かなと思ってです。
なので、下調べの段階ですね。
qbc:
ありがとうございます。
では、自分の人生において、常に持っているテーマってありますか?
石野愛:
私の人生のテーマは「死ぬまで働け」ですかね(笑)。
qbc:
いつからそう思ってらっしゃるんです?
石野愛:
うちの祖父母が海の方の牡蠣を自営でやっていて、祖父母も亡くなってからはおじさんがやってて、今3代目なんですけど、うちの祖父が仕事場で倒れて死ぬまで仕事をしていたんですよね。
そこから搬送されて亡くなるっていうのが、すごくキレイな段取りだったんですよね。
もうちょうど秋の仕事も綺麗に終わりますよ、この日全員みんな集まりますよ、っていうときに、祖父があの病院で息を引き取って、それまではちょっと大変だったんですけど、もうその準備ができたのを見ていて、「なんか死ぬまでおじいちゃんは働いてたけど、これで良かったのかな」ってずっと思ってたんですよね。
だけど、祖父は多分、自分のために働いてたんじゃなくって、要するに自分の周りのその大事にしたいものとか、大事にしていきたいその人たちのために多分ずっと働いてたんだと思うと、私は「自分にとって大事なもののためだったら、死ぬまで働いてもいいな」って思うようになっていて。
だから、その、なんだろうな、働くってことは全然苦じゃなくって、苦手なこともあるし、嫌いなこともあるし……やりたくないこととか、避けたいことってものすごいたくさんあるんだけども、自分のためじゃなくって、自分の大切にしてる価値観とか、守りたいものとかそういうもののために死ぬまで働いていきたいなって思ってて、それが人生のテーマになってますかね。
qbc:
働かないっていう選択肢はないってことですか?
石野愛:
多分働かなかったら、マグロみたいになんか死んじゃうんじゃないかなと思って(笑)。
本当は働きたくないんですよ(笑)。
南国の島とかに行ってゆっくりしたいし、「もう働かなくていいよ」って言ったら、もう日本中を色々旅して、ぷらっと行って「これ良かった、美味しかった」とかやりたいんですけど、多分そうすると、私は多分死ぬんだろうなと思って(笑)。
人間も死ぬし人生も死んじゃうかなと思って、ずっと働いていますね。
qbc:
もしも、働かなくてよくなったら何かしたいことってありますか?
石野愛:
働かなくてよくなったら、そうですね……日本中行きたいところに行きまくります!
海外も行きたいですね。
神社仏閣とかの彫刻とかを見たりするのも好きですし、あと美味しいもん食べるのも好きなので、行ったことのない場所にふらっと行って、いろんなものを見て吸収して「楽しかったね」って終わらすのか、結局なんか仕事をしてる気がします。
全部仕事にしちゃおうかなって思うかもしれないですね(苦笑)。
なんかしらの形で「働くなくていいよ」って言われても、結局お金にはなんないかもしれないけど、多分日記とか書いてちょっと小銭を稼ぐみたいなので50円とか「ここのこれが美味しかったですよ」っていうちっちゃい情報を作るサイトとか立ち上げてやっちゃうかもしれないです。
日本全国ツアーじゃないですが(笑)。
qbc:
世の中にはその2人が働かなくてもお金をもらう方法っていうのは、投資とか色々あると思うんですが、そう考えると仕事ってどうですか?
お金が欲しいってことではないんですかね?
石野愛:
今現時点の考えでいくと、生活のためにお金は欲しいです(笑)。
ただ全部全て揃ってて、私今夢がもう1個現実的な夢の方があって、一戸建ての注文中宅のマイホームが欲しいんですけど、他に食器が食器集めるのも趣味なんですけど、そういうのも好き放題にできちゃうよってなった時に、不労収入っていうんですかね?
働かなくても入ってくる不動産とかは欲しいです。
働かなくてもいいんだったら、お金が欲しいです。
株であれ、不動産であれ、そういうのを投資しても働かずにもお金入ってくんだったら、もうできればそういう状態にはなりたいんですけど、現実的にはちょっとやっぱり難しいかなと思いますね。
qbc:
金がないから、先立つものがまず、とも言いますもんね。
石野愛:
それがあった状態でも働くと思います。
多分自分で作る仕事じゃなくって、人の「これ手伝って」って言われたら、ホイホイ行っちゃうので、そっちに手伝いに行ったりとか、あとは実家の本家の牡蠣をやってるところでちょっと手伝いに行ったりはしてるかなと思います。
qbc:
「お金もらわなくてもいいよ!」ってことですかね?
石野愛:
そうですね……「お金はあるんだったらもういいや、でも増やしたい!」って気持ちはありますかね。
qbc:
では、石野さんにとって働くってなんでしょう?
石野愛:
働くっていうのは、多分生きてることと一緒かなと思います。
生きるためにはお金も要るだろうし、お金があっても多分働いてるって考えると、働く=生きるみたいです。
働くっていうことは自分の中のいち部分をなんかしらの形で活かして社会に還元するってことじゃないかなと思いますね。
qbc:
社会との関わりがあるってことですかね?
石野愛:
そうですね、社会の端っこでいいから関わって生きてたいみたいな部分だと思います。
qbc:
社会と関わっているっていう時に、どんな気持ちになっていますか?
石野愛:
多分関わってるときは、あんまり関わってるって思ってないと思うんですよ。
例えば夜寝る前とかに「今日いい仕事した」とか、「喜んでもらえてよかったな」って感じるときが社会と関わってることなんじゃないかなって思います。
qbc:
それってどんな気持ちになりますか?
石野愛:
「今日は楽しかったな」とか「今日はそのお客さんにこんなこと言ってもらえてよかったな」とか、自分がいいな、嬉しいなって思う気持ちですかね。
qbc:
ありがとうございます。
最後に言い残したこと――遺言でも、読者向けメッセージでも、自分自身の独り言でもいいんですけども、何かあればお願いします。
石野愛:
将来、もしかしたら「そんなに働かなくてもよかったじゃん」って言うかもしれないですね。
遺言として(笑)
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あとがき
石はいいよね!
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:森田玲花】
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