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教育ボランティア団体の代表の人

むかしむかし、ある村に、教心(きょうしん)という若者が住んでいました。教心は「みんなで育てる、みんなで育つ」を信条に、村の教育ボランティアの輪を広げていました。
教心は村の広場に、「学びの木」を植えました。
そこには、
教えたい人も、
学びたい人も、
支えたい人も、
自由に集まってきました。
村人たちは最初、不思議がりました。
「なぜ、お金をもらわずに教えるの?」
教心は答えました。
「教えることで私たちも学び、支えることで私たちも育つ。それが本当の教育の姿なんです」
子どもたちに読み書きを教える村人、
若者に技術を伝える職人、
お年寄りが昔話を語り継ぐ場所、
すべての人が先生であり、生徒でした。
後に教心はこう語りました。
「ボランティアの『志』が集まれば、どんな子どもも、どんな学びも、きっと花開く。それを信じて、これからも続けていきたいんです」
そして「志の種は、未来を育てる」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年2月12日13時18分に書く無名人インタビュー1018回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 中村鼓 さんです!

年齢:20代前半
性別:男
職業:大学生



現在:素晴らしい教育の機会っていうのは日本にはたくさん転がっていますけど、それを知ることが出来ないという方々がたくさんいます。

ミミハムココロ:
中村さんは今、何をしている方でしょうか?

中村鼓:
私は今「学びのポラリス」というボランティア団体の代表を務めております。で、代表を務めているのですが、本業は東京科学大学というところで学部の3年生をしています。

ミミハムココロ:
その「学びのポラリス」という団体は、どういった団体なんでしょうか?

中村鼓:
教育のサービスを無償で、オンラインで提供をしています。具体的にどういったサービスかというと、無料の授業動画を用いて生徒には学習をしてもらいます。だいたい週に1回ぐらいの面談を通じて、生徒とどんな授業を学習したいかという話をして、学習のスケジュールを一緒に組んでいくという形になります。

実際の活動の様子

ミミハムココロ:
このポラリスというのは、どういった流れで始めたんですか?

中村鼓:
色々なルーツがあるんですけど、まず一番は「教育格差を是正したい」という目的で設立をしました。まあ私自身があまり裕福ではない家庭に育ったというのもありますし、あとは東京科学大学という素晴らしい大学に入れたのはいいものの、周りの人との経済的なギャップというのをすごく感じました。で、その何だろうな…素晴らしい教育の機会っていうのは日本にはたくさん転がっていますけど、それを知ることが出来ないという方々がたくさんいます。なので、そういう子どもたちに学習を提供していきたいなというふうに思ったのが始めたきっかけになります。

ミミハムココロ:
これはいつぐらいから始められたんですか?

中村鼓:
創設メンバーが私含め3人いるんですけど、その3人で「始めようぜ」と話したのが2023年の12月あたりです。で、実際にローンチしたのが2024年の4月ぐらいです。ですが、最初の方はやっぱり…たかが大学生3人が集まってやっているサービスなので誰も来てくれるはずはなく、そして信用してもらえるはずはなく、生徒さんはずっとゼロでした。なので「どうにか信用を勝ち取りたい」と思い、日本経済新聞社さんの方に…まあ持ち込みですね。そこで私達の活動を書いてもらって、それをきっかけに徐々に団体が大きくなったという次第です。

日本経済新聞で掲載の際に提出した写真

ミミハムココロ:
中村さんもご自身で教える側になるんですか?

中村鼓:
はい、私もいま何人かを教えています。ですが、ボランティアのスタッフさんも徐々に徐々に増えてきているので私はあんまり教える側ではなくて、代表としての仕事をメインにしていきたいなというふうには思っています。

ミミハムココロ:
始めてからもうすぐ10ヶ月とか1年近く経つと思うんですけれども、今活動していてどういった気持ちでしょうか?

中村鼓:
そうですね、生徒数もボランティアさんの数も徐々に徐々に増えていっていて、何でしょう…一定の成果を感じているところではあります。実際に生徒さんとかその保護者さんから「とてもありがたい」とかそういうありがたいお言葉をいただいているので。設立の時に考えていた教育格差の是正は少しでも貢献できているんじゃないかなというふうに考えています。

ミミハムココロ:
ポラリスでの活動以外の時間で、何かしてることとかはありますか?

中村鼓:
そうですね…基本的に僕の生活はこれ一色ではあるんですけど。あとは、研究室だったりアルバイトだったりですかね。

ミミハムココロ:
大学ではどういった内容を勉強されてるんですか?

中村鼓:
まだ研究室に入ったばっかりなので研究テーマとか決まってないんですけど、自分が今興味あるのは「トランジションデザイン」という分野になります。

ミミハムココロ:
それはどういったものなんでしょうか?

中村鼓:
そうですね…まあ簡単に説明すると。今、素晴らしい科学技術っていうのはたくさんあります。なんですけど、それを実際に使う人たち、これを「エンドユーザー」と言ってたりするんですけど、エンドユーザーに正しく届いていないっていう現状があります。まあ、届いているものが我々が普段使っているものにはなるんですけど、それ以上に、いっぱい技術自体はたくさんあります。だけど届かない。なので、そこを設計する人ですね…「どうやったら素晴らしい技術をエンドユーザーにお届けすることができるのか」というのをデザイン・設計するのが、僕がやっていきたいテーマになります。

ミミハムココロ:
バイトは何をされてるんですか?

中村鼓:
バイトは、集団塾の講師です。

ミミハムココロ:
そちらの方はやっていてどうですか?

中村鼓:
まあ、そうですね、やりがいは感じています。

ミミハムココロ:
集団塾での活動とポラリスの活動っていうのは、何か違いとかはありますか?

中村鼓:
違いは、あります。集団塾の方は、もうおそらく皆さんが想像する塾のものですので説明は要らないかなと思うんですけど、ポラリスの最大の…僕が思っているメリットというか特徴は「我々が授業をしない」というところにあります。というのも、プロの方が既に作った素晴らしいコンテンツがもう無料で見れる世の中なので、それを使い、付加価値をつけているっていうのがメリットになります。

あとは集団塾でも、過去に個別指導塾でもアルバイトをしてたんですけど、その時に感じていたのは…宿題って出されるじゃないですか。でも、やってこない子が大半なんですよね。で、「なんでやってこないのか」っていう話を聞くと「時間が無かったから」っていう話をされるんですけど。「でも本当にそうなの?」「できてる子いるよね?」「同じ部活でも時間の使い方だよね、そこって」とか、あとは「意識の問題だよね」っていうふうにたどり着くと思うんです。

なので、私達の団体ポラリスではそういうところですね…「どうやったらできるようになるんだろう」っていうふうな、一緒に並走するような形をとっています。あとはポラリスと塾の違いは、オンラインなのでいつでもどこでも、「本当に部活が忙しくて塾に行く時間も無いんだ」っていう子とか。あとは、経済的に裕福では無い家庭。と、そうですね…障害を抱えた子とか、学校に通えない子。あとは「友人関係でお友達がちょっと難しくて」っていうので学校に通えない子。あとは、最近はある児童養護施設とも連携をしておりまして、児童養護施設の子どもなんかも私達は受け入れているという形になります。

ミミハムココロ:
なんか最近ハマってることとかありますか?

中村鼓:
そうですね、個人的にはなんだろう…最近でもないですけど、株式投資とかですかね。

ミミハムココロ:
それはどういったきっかけで始められたんですか?

中村鼓:
きっかけは、新NISAのタイミングですね。なんで、去年あたりですかね。「新NISA、新NISA」って騒がれ始めて僕もちょっと調べてみて、ちょうど時間があったんで遊んでたら楽しくなっちゃったっていう感じです。

ミミハムココロ:
新NISAのどういうところが楽しいんですかね。

中村鼓:
そうですね…新NISAというか株の楽しみなんですけど、「利益が出る、出ない」とかではなくて「自分が投資している企業の1オーナーになれている」っていうのがすごく楽しい、ですかね。その企業を応援しているっていうのがすごく嬉しく感じます。

ミミハムココロ:
どこか好きな場所はありますか?

中村鼓:
好きな場所…好きな場所はですね。2ヶ所あるんですけど。1ヶ所目が「センター南駅」という所が神奈川県にあるんですけど、その駅前広場みたいなところに大きなスペースがあって、そこが1つ好きな場所です。で、2つ目が「あかね台小学校」だか中学校の近くに空き地みたいな所があるんですけど、その開けた空間から夕日が綺麗に見えて、そこが好きですかね。

ミミハムココロ:
その「センター南駅前広場」の方はどうして好きなんですか?

中村鼓:
いつだかに時間があって、その広場で長く座る機会があったんですけど、その時に色んなファミリーとか高校生、大学生、社会人…色んな方々が入り混じり合ってて、なんでしょう…なんか、色んな人たちが、インタラクティブに遊んでいる感じが素晴らしいなって思いました。

ミミハムココロ:
ポラリスもそうですし塾講師の方もそうですけれども、結構教育っていうものに関心が強いのかなと思うんですけれども。教育に対して興味を持ち始めたのって、いつぐらいからだと思いますか?

中村鼓:
小学6年生ぐらいだったと思います。その時の担任の先生の指導の仕方がすごく好きで「こんな先生になりたいな」っていうふうに思い始めたのがきっかけだと思います。

ミミハムココロ:
その先生の教え方のどういうところが良かったんですかね。

中村鼓:
そうですね、算数とか国語とかの教え方が上手いではなくて、学年行事の進め方とか生徒の気合の入れ方とかがすごく上手いなっていうふうに思ってました。

ミミハムココロ:
ポラリスの代表としてですね、今ぶち当たってる壁みたいなものはありますか?

中村鼓:
はい、いくつかあるんですけど。まず1つは、「あくまでボランティア団体である」ということ。つまり、ボランティアのスタッフさんにお金を渡すことができていないということです。やっぱり持続可能性っていうところを考えた時にいつまでも、スタッフさんにお金を渡せずに活動していくのは無理があるな、と思っているのが1つ目の壁です。2つ目は、生徒さんがなかなか入ってこないというところですかね。

ミミハムココロ:
生徒さんの目標とかは今、人数はあるんですか?

中村鼓:
ひとまず30人を目標にしてます。今20人ぐらいです。創設メンバーで話していたのは、僕がとにかく「世界を相手にチャレンジしたい」という話をしていて。というのも、この前の夏休みにですね、セブ島にボランティアをしに行きまして。セブ島って言われたら、いわゆるリゾート地を思い浮かべると思うんですけど、そこではなくて。スラム街の方に教育ボランティアに行ってきました。

で、「スラム街」と聞くととてつもない場所なイメージをしていたんですけど、まあそんなことはなくて。まあとてつもないことはとてつもないんですけど。でも、そんな彼らでさえスマートフォンを持っていたのが、僕にとっては衝撃的でした。

学校に通えない。通えない理由はいくつかあります。「お金が無い」「家の手伝いをしなきゃいけない」「学校に通える家庭環境ではあるけれども学校までの場所が遠すぎる」「スクールバスは出ているけどバス停までが遠すぎる」など色んな原因があります。しかし、そんな彼らでもスマートフォン持ってる。

「これ使う手しかないよね」「こういう子ほど救うべきなんじゃないか」っていうふうに考えたというか、思ってしまったので。早く世界に、世界中の人にっていうふうには考えています。まあいきなり「世界」って言ってもあれなので、とりあえず日本で30人っていうのを目標にしています。

ミミハムココロ:
好きな食べ物とかはありますか?

中村鼓:
食べ物ですか…好きな食べ物は、ネギトロ丼とか納豆巻きとか牛丼ですかね。

ミミハムココロ:
ネギトロ丼のどんなとこが好きですか?

中村鼓:
ネギトロ丼のどんなとこが好き…ネギトロ丼が好きなのかよく分かんないですけど、ネギトロ丼を食べる時に…下からご飯があって、ネギトロがあって。で、僕はその間に海苔を敷くんですね、刻みのりを。刻み海苔が浸るぐらいに醤油をかけて食べるんですけど。その海苔とネギトロとご飯が混ざり合う感じが、好きです。


過去:「やらなきゃいけないものだから、やる」しか考えてなかったと思います。

ミミハムココロ:
振り返ってですね、自分ってどんな子どもだったなあって思いますか?

中村鼓:
子ども…「子ども」っていうのはどれくらいのことを指しますか?小学生、幼稚園…

ミミハムココロ:
この言葉を聞いて自由に思い描いた子どもで大丈夫です。

中村鼓:
分かりました。そうですね…今よりもさらにさらに、ストイックだったと思います。ストイックというか…かなり他には類を見ない子どもだった気がします。

ミミハムココロ:
どういったところからそう思われるんですか?

中村鼓:
うちの家庭は父がすごく怖いんですけど。1日のスケジュールは、小学生ながら1人で朝5時に起きて、1時間勉強して、6時になって。で、6時から1時間、近所の公園に1人でサッカーの練習をしに行って、7時になって。7時から朝支度をして学校に行く。授業が終わり、帰りの会みたいなホームルームを終わらしたらダッシュで家に帰って、ダッシュで自転車でサッカーのスクールに通って…っていう生活をしていましたね。

ミミハムココロ:
その時はどんなこと考えてましたか?

中村鼓:
そうですね…「父に逆らう」っていう考えは全く無くて。でも、辛かった。本当に辛かった、と思ってました。ですけど、今となってはそれが、そのことは…とても感謝している。感謝しています。

ミミハムココロ:
感謝されてるんですか?

中村鼓:
はい。

ミミハムココロ:
何か「今活きてるな」って思うことがあるんでしょうか?

中村鼓:
あの時のキツさがあったからこそ、今どんなにきつくても耐えられますし。何よりなんでしょう…あの時に、嫌々だったかもしれないですけど、しっかりやってきたっていうことによって、なんだろう…「自分って意外とできるんだ」っていうことを実感できた気がします。

ミミハムココロ:
改めて期間を区切っていきますけれども、小学校6年生ぐらいまで振り返ったらどういう生活でしたか?

中村鼓:
先ほど申し上げた通り、朝5時に起きて…みたいな生活をずっとしていました。で、放課後ですね。放課後はサッカー行って帰ってきて、7時…8時ぐらいすかね。8時ぐらいになって、なんか父とゲームの時間みたいなのがあって。なんだっけな『スーパーマリオギャラクシー』とかをやってた気がするんですけど、それで敵に当たって死ぬたびにひっぱたかれていて。本当にそれが嫌で、っていう感じでしたね。

ミミハムココロ:
なんでそのゲームはされてたんですか?

中村鼓:
んー、分からないです。分からないですけど、今推測するに、きっと父なりの僕とのコミュニケーションの時間だったんじゃないかなというふうに思います。

ミミハムココロ:
学校の中ではどんな感じの日々でしたか?

中村鼓:
学校の中では…もう「普通のサッカー少年」って感じだったと思います。委員会とかも立候補するし、みたいな感じでしたね。

ミミハムココロ:
その当時、なんかハマってたこととかはありますか?

中村鼓:
ハマってたことは…本当にサッカーしかしてこなかったので、週6でサッカーをしてたので、趣味というものも無かったです。放課後友達と遊びに行くっていうことも無かったので。まあ「サッカーが趣味」みたいな感じだった気がします。

ミミハムココロ:
中学校の生活は振り返ってどうですか?

中村鼓:
中学校は、サッカー部に入りました。もう父はガミガミ言わなくなりました。それがとても嬉しかったです。「伸び伸びできる」って思いました。なんですけど、顧問の先生がすごく怖かったです。勉強もぼちぼち頑張って、っていうのが中1でしたね。で、中1の後期ですね。期末テストでひどい点数を取ってしまって。勉強したんですけどね。それが自分の中では許せなくて、母に自分から「塾に通いたい」と言って塾に通わせてもらいました。

塾の話でそのままいくならば、中2まではその塾に通ってたんですけど、部活の友達がいきなり僕の塾に体験に来て。で、すぐに僕の塾の…上のコースみたいのが設置されてるんですけど、その上のコースに招待されて友達は行ってしまって。それが悔しくてたまらなくて、勉強して上のコースに行って頑張ったっていう感じですかね。

ミミハムココロ:
サッカー部での生活は先生が怖いのはお聞きしたんですけれども、それ以外のサッカー部での生活はどんな感じでしたか?

中村鼓:
サッカー部では、1年生の時は「ボランチ」っていうど真ん中あたりのポジションをやっていて、最終的には「センターバック」っていうディフェンスの真ん中のポジションをやってました。で、自分が最上級生になった時には副部長をやったりしていました。

ミミハムココロ:
中学校の時は、振り返って何かハマってた事とかはありますか?

中村鼓:
中学校は、部活を引退するまではずっと部活のことを考えて一生懸命やってました。土日も毎日、毎週のように遠征に行ってっていうふうな日々を過ごしてました。部活引退してからは、もうずっと塾に行って受験勉強してるって感じでした。

ミミハムココロ:
部活から受験勉強の切り替えってのは出来たんですか?

中村鼓:
そこは、スムーズにいきました。

ミミハムココロ:
その後は、高校に行かれたんですか?

中村鼓:
はい。高校に行きました。

ミミハムココロ:
高校は振り返ってどうでしたか?

中村鼓:
まあ、友人関係とか楽しかったんですけど…高校受験で全て落ちてしまって、第1志望ではなかったので。何だろう…そういった意味ではちょっと悔しさも残るようなところでした。体育祭とかも無いような高校だったので、「キラキラの青春」っていう感じではなく。かつ、たまたま高校が近く、自転車通学だったので「電車通学したかったなあ」っていう思い出です。

ミミハムココロ:
電車通学がしたかったんですか?

中村鼓:
はい。

ミミハムココロ:
何かあるんですか、理由とか。

中村鼓:
理由は…買い食いとかしたいなと思ってました。

ミミハムココロ:
部活動はされてたんですか?

中村鼓:
部活は、高1いっぱいはサッカー部に入ってました。で、実は中3の時にサッカー部で怪我をしてしまっていて、それがお医者さんに「治らない」って言われてしまっていたので。
でも、高1で「サッカーやりたいな」と思ってやってたんですけど、やっぱ無理だなということでやめました。そして、高2の1年間は、小学校の時に通ってたサッカースクールのコーチをボランティアでやってました。

ミミハムココロ:
ボランティアとして始めた時の気分ってどんなものでしたか?

中村鼓:
そうですね、当時はアルバイトっていう概念は無かったので別に「お金もらう、もらわない」っていうところは何とも思ってなかったです。やっぱりその時も部活やめてたんで「何かやりたいな」っていうところはあって。何かやるってなったらやっぱり自分が頑張ってきたサッカーかな、ということでコーチをやるって決めましたね。

ミミハムココロ:
なんか「空いた時間とかに何してたな~」とかはありますか?

中村鼓:
高校時代はひたすら勉強してました。落ちた悔しさがあったので、「大学受験こそは」ということでひたすら勉強していました。

ミミハムココロ:
なんか「どっかに行きたい」とかいう目標とかがあったんですかね。

中村鼓:
そうですね…当初は、早稲田大学の教育学部に行きたいと思ってました。というのも、当時から「学校の先生になりたいな」っていうふうな目標があったので早稲田の教育に行きたいと思って、高1の時までは勉強してました。なんですけど、高2からは「東京工業大学」っていう大学の名前を知って、存在を知って。国立だし安いということで、そこを目指すようになりました。

ミミハムココロ:
なんでその、高1のタイミングで教育を志すようになったんですかね。

中村鼓:
まあやっぱり、あの小6の時の担任の先生と…あと中学の時は部活の先生。怖いは怖かったんですけど言ってることは確かだったので、そういう先生方の影響を受けてですかね。

ミミハムココロ:
その後、大学生活を今まで振り返ってどうですか?

中村鼓:
今まで振り返って…実は1年浪人を挟んでるんですけど。浪人の話をした方がいいですかね。しない方がいいですか?

ミミハムココロ:
あ、ぜひ。お聞かせいただければ。

中村鼓:
分かりました。まあ、大学生活が始まる前に浪人1年なんですけど。浪人1年はとてつもなく楽しかった1年間でした。何だろう…現役時代は塾に通っていなかった。正確には通えなかったので、浪人の時に塾に通えてすごく楽しかった思い出はあります。塾に通えたのは、僕が特待を取れたのでそれで通ったという次第です。基本的に浪人生は、受かりさえすれば何をやってもいいので。自分でスケジュールを組んでやっていくっていうのがすごく楽しかったです。

ミミハムココロ:
1年間の中で「うまくスケジュール通りいかなかったなあ」みたいな時はありましたか?

中村鼓:
んー。スケジュール通りはうまくいってたんですけど、思うようにいかなかったのは夏休み後ぐらいからですかね。やっぱり模試の偏差値とかがちょっと振るわなくなってきて、っていうのありましたかね。焦りは無いんですけど、なんかちょっと不穏な空気になり始めたっていうところはあります。

ミミハムココロ:
浪人時代で何か覚えてることとかありますか?印象的だったこととか。

中村鼓:
んー。やっぱり本番の試験ですかね。

ミミハムココロ:
本番の当日はどうでしたか?

中村鼓:
東工大の試験が2日間に分けて行われて、確か試験の順番が、数学、英語が1日目で2日目が物理、化学の順番だった気がするんですけど。1時間目、一発目の数学を受けて、満点が300点で少なくとも100点取りたいなっていうふうなのは目標としていたんですけど、まさかの70点で。受けてる自分的にも「これやばいな」っていう実感はあって。その時に泣きながらという記憶あるんですけど、「でも大丈夫だ」っていうふうに思えていた謎の自信があった、っていう瞬間が一番記憶に残っていることですかね。

ミミハムココロ:
浪人時代で、勉強以外に何かあえて時間とかでしてた事とかありますか?

中村鼓:
無いですね。ずっと勉強してました。歩いてる時もお風呂入ってる時も、ご飯を食べてる時も、常に勉強してました。

ミミハムココロ:
「スケジュール通りにやるのは楽しい」っておっしゃってたんですけれども、勉強自体に対してはどういった感情でやってましたか?

中村鼓:
何も感情は覚えてなかったと思います。「やらなきゃいけないものだから、やる」しか考えてなかったと思います。「やりたくないな」とかは考えてないです。

ミミハムココロ:
それは「考えないようにしていた」のか、「そもそも感情が湧かなかった」のか。

中村鼓:
その感情が湧かなかったです。

ミミハムココロ:
ここまでで何か「これまだ話してないなあ」みたいなお話はありますか?

中村鼓:
そうですね…あ、あんまり重要じゃないかもしれないんですけど。実は、小学生の時に通ってたサッカースクールがまあまあレベルの高いところでして、久保建英選手と一緒にプレーをしていました。それがすごく貴重な経験だったなというふうに思います。「していました」と言ったらちょっと語弊があるんですけど、彼がスペインから帰ってきたタイミングなのかな、ちょっと分かんないですけど一時的に通ってた時期があったので、その時は一緒にやってました。

ミミハムココロ:
一緒にやってた当時、何か感じたこととかありますか?

中村鼓:
その彼を見て、「自分はサッカーではやっていけないな」っていうふうに思いました。小学生の時は毎週週6でサッカー、毎日朝練1時間やってましたけど、「この世界では無理だな」っていうふうに思いました。


未来:「私は君の人生を買ったのに、落としてしまった」と言われて。

ミミハムココロ:
今から5年後10年後20年後、最後自分が死ぬところまでを想像してですね、「未来」ってどうなってると思いますか?

中村鼓:
未来の自分、ということですか?

ミミハムココロ:
これも聞いてご自由に、自分でも社会でもどちらでも。

中村鼓:
なるほど…未来の社会は…きっと、人が行うことは限りなく少なくなっている社会なんだろうなと思います。やっぱり、何だろう…僕自身、東京科学大学在学中なので、もっともっとテクノロジーが発展していって人間の生活が豊かになってほしいなって願うばかりです。

ミミハムココロ:
中村さんが思う「豊かな社会」ってどんな社会でしょうか?

中村鼓:
そうですね…豊かな社会…なんだろう。豊かって言われるとちょっと困っちゃうんですけど「幸せな社会」に変換させてもらうと、お金とか地位とかそういうものにこだわらなくても満足できるような社会ですかね。自分らしさというか。

ミミハムココロ:
改めてですけど、ポラリスの方はこれからどうしていきたいと思いますか?

中村鼓:
これからは、最終的なゴールは日本じゃなくて発展途上国とかに届けることです。それは、さらにもっともっと後の話になると思うので、直近の目標は、持続可能性を持つこと。つまり、ボランティアのスタッフさんに少しでもお金として対価を渡すことができるようになることです。

先ほど話し忘れてしまったんですけど、現状は「お金」としての対価を渡すことはできないんですけど、我々が業務提携をしている企業さんのサービスを無料で使ってもらったり。あとは、「就活支援塾」みたいなところにアテンドすることができたりするので。そういうリターンをスタッフさんにすることはできているんですけど、お金ではできていないので。やっぱり「お金を渡せるようになりたいな」っていうのが直近の目標ではあります。

ミミハムココロ:
ボランティアさんにお金を渡せるようになったら、この先どうなると思いますか?

中村鼓:
もっとボランティアさんが入ってくれると思います。そうなると、もっともっと規模が大きくなると思います。で、お金が渡せるってことはおそらく我々の団体にもお金が入っているっていう状況だと思うので、そしたらもっと広告を打てるんじゃないかなっていうふうに思ってます。

ミミハムココロ:
先ほど、多分「セブ島のスラム街にいる子どもたちに届けられたら」みたいな、「将来的には海外に、世界に」とおっしゃっておられたんですけれども、今思い描く最後のゴールって何かありますか?

中村鼓:
そうですね…すごく漠然としているんですけど、どんな人でも教育を受けられる機会が提供される世の中であってほしいなと思いますし、その1つに我々のサービスが選択肢として入っていてほしいなっていうふうに思います。

ミミハムココロ:
ご自身は5年後どうなってると思いますか?

中村鼓:
5年後…おそらくは普通に就職をしているんじゃないかなというふうに思います。ポラリスの方は、代表はおそらく退いて、陰でサポートするっていう形になると思います。後継者の方は既にいるので、その子に渡していきたい、渡しているんだろうなというふうに思います。

ミミハムココロ:
代表から一旦退かれること考えられてるんですか?

中村鼓:
はい。

ミミハムココロ:
もしよろしかったら、どうしてなのかなと思って。

中村鼓:
まあ、僕は就活をすると思います。その時は確実に忙しくなることが予想されます。で、「そんな気持ちで教育に立ち会っちゃいけないな」って僕は思っています。なんでかっていうと、中学の時に受験で全部落ちたという話をしたと思うんですけど。全部落ちた後に、塾の先生のところに行ったんですね。その時、塾の先生に言われたのは、あの…謝られました。「申し訳ない」と。

で、次の言葉が衝撃的だったんですけど、「私は君の人生を買ったのに、落としてしまった」と言われて。僕の中では、『君の人生を「買った」』っていう表現がすごく心に来て、教育って人の人生を買ってるんだなって実感して。そうなると「生半可な気持ちで向き合っちゃいけないな」と思うようになりました。なので、その時はしっかり退いて…退いてというか、もっと団体のことを第1に考えられる人がトップにいた方がいいんじゃないかなっていうふうに今は思ってます。

ミミハムココロ:
今、仕事としてどういったことを将来したいとかありますか?

中村鼓:
僕はやっぱり「誰かが喜んでいる姿」「誰かの役に立っている姿」を見たいので、 to C向けのサービスを提供できるような企業に就きたいなというふうに思ってます。自分の商品とかアプリケーションサービスが世に出回って、それを見て自分の力が世に貢献できてるなっていうふうに実感したいなって思ってます。

ミミハムココロ:
「ポラリスに関して陰ながらでも支援していきたい」とおっしゃってたじゃないですか。「教育」ってものに対して他に何かしていきたいみたいなことは考えていらっしゃいますか?

中村鼓:
そうですね…日本の教育制度は変えるべきだと思っているので。例えば、学校の先生の負担を減らせられるような事はしていきたいなと思います。もし、ポラリスがでかくなったらですけど。で、今実際にちょびっと動いてはいます。例えば、A市ですね、ちょっと名前は控えさせてもらうんですけど、A市と連携を取っていまして。1人親世帯とか不登校児の生徒を我々に教えていただいて、その子と一緒に学習を進めていくみたいなことをやっています。

ミミハムココロ:
その活動は現状やっていてどうですか?

中村鼓:
楽しいです。生きがいです。今まで受験勉強やサッカーを全力でやってきて、でもそれっていうのは全て頑張れば頑張るほど、自分に返ってきました。それはそれでいいんですけど、今僕がポラリスとして頑張っていることは全てが自分に返ってくるわけじゃなくて。もちろん自分の経験、良い経験にもなるんですけど…。それ以上に僕が関わっている全ての人に貢献できている気がしています。傲慢かもしれないですけど。ボランティアのスタッフさんもそうですし、生徒さんももちろんなので、そこはすごい生きがいだなと感じます。

ミミハムココロ:
すごい今更なんですけれども、ポラリスが最初結成された時3人っておっしゃってたじゃないですか。これは、残りの2人とはどういった形で出会ったんでしょうか?

中村鼓:
学科が一緒の友達です。仲良かったので「なんかやってみようぜ」って話になって「何やる?」っていうことで。他2人が中国人だったので「日本でサービスやるんでしょ?」って話をして「うん」ってなったんで。「それだったら俺が代表だよね」って僕がやりたいことをやりたいっていう話をして、教育になりました。

ミミハムココロ:
いつか行ってみたい場所とかはありますか?

中村鼓:
ちょっと話の趣旨とズレてしまう気がするんですけど…今、オンラインで活動しているので、オンラインの生徒とスタッフ全員が一度に集まれたらいいなって思ってます。対面で、です。

ミミハムココロ:
それは、いつか叶えられそうですかね。

中村鼓:
うーん…全員は難しいのかもしれないですけど、何かイベントとかで対面イベントとか考えたりするので、そういうふうな形ができるのかなと思ってます。

ミミハムココロ:
「人がやることは限りなく減っていく」と思うとおっしゃってたじゃないですか。じゃあ、「これから人がやる、残された仕事」って何だと思いますか?

中村鼓:
それこそ、こういう教育とかもそうですし。あとは、やっぱり人には「話す」という言葉があるので。実際、何をやるにも結局は人なので、会社もそうですけど。人を動かすには…いくらコンピュータが育ったところで、人の心は動かない。結局、人の心を動かすのは人の言葉だったり熱量だったりするので、そういうところでまだまだ人は必要になるんじゃないかなとは思います。具体的な仕事って言われたらちょっと困っちゃうんですけど。人の言葉とか、そういうところはコンピュータには置き換えられないんじゃないかなと思ってます。

ミミハムココロ:
これからの人生、ご自身の人生はどうなっていくと思いますか?ぼんやりでいいんですけれども。

中村鼓:
そうですね…自分のやりたいことを突き進んでいく気がします。就活の時期って、年収とか色々あると思うんですけど、おそらくそこに振り回される自分はいないと思います。自分のやりたいこと、自分がどういうふうに社会に貢献できるかとか、そういうことを考えながら生活していくんじゃないかなというふうに思います。

ミミハムココロ:
そしたら最後ですね。記事を読んでくださる読者の方に向けてでもいいです。もしくは自分の遺言だと思ってくださってもいいです。最後に何か一言いただければ。

中村鼓:
「勉強」っていうのは、生まれがどうであれ体が不自由でも、どんな状況であっても、頑張れば頑張るほど自分が報われるものです。なので、全力で頑張ってほしいなというふうに思います。そのためにきっと僕は、「頑張りたい」と思う全ての人をサポートし続けると思います。


あとがき

中村鼓さん、ありがとうございました。

僕は神戸に住んでいるんですけど、神戸市の公立中学校って2026年に部活動を終了するらしいんですね。これまで言われ続けてきた教職員の人手不足や長時間労働を考えれば当然というか画期的な取り組みだなあと思ってるんですけれど、どうなるんでしょうね~

僕はあまり記憶力がよろしくないので、中学高校の授業内容や友達と何をして遊んだかみたいなことを日に日に忘れていってます。でも部活動に関しては、当時自分がどんな理由でどんな感情を抱いていたかってことまで割と覚えているんですよ。例えば中学は野球部だったんですが、試合に出てミスをするのが嫌だった僕は毎日てきとーに練習をして一生下手くそなままでいたいなあと思っていました。一生練習だけしていたかったんです。

ファーストってポジションはですね、1つの試合の中でしょっちゅうボールが飛んでくるんですよ。しかも敵ではなく味方から。これがなんとも嫌でした。サードやショートが飛び込んでなんとかボールを捕ろうもんならそこから先が悪送球やショーバン気味であろうが絶対に捕らなけらばいけません。でなければ、そいつの好プレーが無意味になるからです。

もちろん野球というのは味方から味方へボールを投げ合う種目なので全ポジションが同じ立場なんですけど、「ファーストだけその頻度が高すぎる!」と当時の僕は心の中で文句を垂れ流してました。とはいえ太っていてまともに動けず、痩せる気もなかった僕に可能性のあるポジションなんてファーストくらいだったので、どうしようもありませんでした。「変わりたいなあ、自主練しようかなあ」と思う自分と「今のままの方が楽やしええやろ」という自分がずーっと戦っていたのを覚えてます。まあこの葛藤と後悔のおかげで高校では部活に真剣に取り組めたんですけども。ですけどもですけども。もうちょっと頑張れば違う楽しさに気付けていたかもなあと、ふと思いました。

【インタビュー・編集・あとがき:ミミハムココロ】

#無名人インタビュー #インタビュー #大学生 #ボランティア


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