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人の話を聞くって面白いよね。人

私は、人の話を聞くのが好きだ。
それは、まるで小さな宇宙を覗き込むような感覚。相手の言葉の隙間から、思いがけない光が漏れ出してくる。時には、その光が眩しすぎて、目を逸らしたくなることもある。でも、私はできるだけ真っ直ぐに、その光を見つめようとする。
昨日、いつものカフェで珈琲を飲んでいたら、隣に座った老婆が突然、昔の恋バナを話し始めた。しわくちゃの顔が、まるで少女のように輝いていて、私は思わず聞き入ってしまった。
「あの人とは、ほんの一瞬だけだったの」と老婆は言った。「でもね、その一瞬が私の人生を変えたの」
老婆の目は遠くを見ていて、そこには60年前の景色が広がっているようだった。私は自分の珈琲を忘れ、老婆の言葉に耳を傾けた。
「雨の日だったわ。私が傘を忘れて、駅のホームで途方に暮れていたの。そしたら、突然誰かが私の頭上に傘をさしかけてくれて...」
老婆の話を聞きながら、私は自分の中にも似たような記憶が眠っていることに気づいた。人の話を聞くことは、自分の中にある無限の可能性に気づくこと。そして、まだ見ぬ自分の一面と出会うこと。
老婆の話が終わったとき、私たちは互いに微笑み合った。言葉にはならない何かを、確かに共有していた。
カフェを出て、夕暮れの街を歩きながら考えた。人の話を聞くことは、この世界がいかに不思議で、美しく、そして儚いものであるかを知ること。そして、その中で生きている自分自身の存在の不思議さを感じること。
風が頬をなでていく。どこかで誰かが話している声が聞こえる。私は耳を澄ませる。また新しい宇宙が、私を呼んでいるような気がした。
と思う2024年8月6日21時22分に書く無名人インタビュー856回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 中尾聡志 さんです!

年齢:40代後半
性別:男性
職業:ファシリテーター・傾聴講師


現在:深い話ができる面白さ。こういう時間をもっと人生に増やせたら最高じゃんって思って。対話のイベントを開くようになった。

安東まつ:
今は何をされている方ですか。

中尾聡志 :
仕事は、公共施設で働いています。環境教育の施設なので、環境問題がテーマの講座の企画を普段はやってます。

安東まつ:
環境教育の企画ではどんなことをやるんですか。

中尾聡志 :
例えば、持続可能な暮らし、地球に負荷をかけない食べ物や洋服とか、ゴミをちゃんと分別して資源にするとか。プラスチックを減らして国内の木をもっと使うようにするとか。どうやったらプラスチック減らせるか、どうやったら日本の木々をもっと生かしていけるか、二酸化炭素をあんまり出さないようにするにはなど。そういうテーマの講座を、大学の先生や専門の研究者にお願いしたり、化学肥料や農薬を使わずに自然の力を生かした農業をやってる農家さんにお話してもらうとか。あと服も、海外ですごいいっぱい薬品使ったり、もしくは児童労働とかそういう人権問題が出るような働き方があったり。そういう服じゃなくて、もっとフェアな貿易で向こうの方もちゃんとお金が出て、健康被害もない、そういう服を作ってる人がいるんですよね。そういう人に、服の環境問題やどういう服を選んでいくと地球に優しいのかという話をしてもらう。そういう講座を企画してます。

安東まつ:
講座を受けに来るのはどんな方が多いですか。

中尾聡志 :
一般の人で、でも環境が気になるっていう人が多い。SDGsとかも言われてるし、自分の生活でもなんかできるのかなと、勉強したい人が来てたりとか。あと子供に環境のことを知ってほしいとか、子供向けだと…なんだろう、もの作りとかと合わせて、海のプラスチックゴミって問題になってるけど、そのプラスチックゴミを使ってブレスレットを作ってみようとか。ゴミアートとか、ゴミをただゴミにするんじゃなくてアート作品できるよねとか、ペットボトルをゴミにせずに何か工作してみようとかね。そういうので親子向け子供向けとかにして、子供がそういうのを経験しながら環境のことを知ってもらうみたいな、そういう親子が来たりとかね。

安東まつ:
今まで実施した講座とか企画で、印象に残ってるものやこれ面白かったなみたいなものはありますか。

中尾聡志 :
もうめっちゃいっぱいあるんだよな。もうね、みんなに知ってほしい、紹介したい人がもう何十人といて。
有名な人で言うと、最近テレビにも出てるお笑い芸人でゴミ清掃員をやってるマシンガンズ滝沢さんとかね。あの人は面白いし、やっぱりすごい真剣。テーマも身近なんでね、ゴミ出さない人いないから。自分の手から離れたゴミがどうなっていくかという話をリアルにしてくれるのがすごい面白い。ごみって手から離れたらもう終わりみたいな感覚だけど、これを収集して集めて処理してくれてる人がいるんだよな、滝沢さんみたいな人が頑張ってんだよな苦労してんだよなって思うと、袋をちゃんと閉めてあげるとか、ゴミの出し方もちょっと丁寧になったりね。普段知らないことを知ってる人の話を聞くのはすごい大事だなと思って。

さっきの服の話…植月友美さんっていう人がいて、本当にサステナブルな服を、地球にできるだけ負荷をかけない服を作るって言ってすごい奮闘してる人で。その人は服が大好きすぎて、もう一時期借金までして服を買ってたっていう人なんだけど、あるときその服がすごい環境に負荷かけてたり、環境汚染、情報汚染、人権問題、児童労働問題、うわーって世界のありとあらゆる問題が凝集した業界だって知って。自分が着ている服が、そんな問題をまき散らしてるのかって鬱になっちゃった。でもそこから色々考えて、もうじゃあ自分が地球に負荷をかけない、人にも優しい服を作るって言ってセレクトショップから初めて、今はブランドも立ち上げたりしてる。この人の話も、この人も本当にぜひ知ってほしい。そういう思いがすごいあります。

安東まつ:
そういう講座を依頼する方ってどうやって探しているんですか。

中尾聡志 :
ネットで探したり、うーん、どうしてるかな…人づてで知ることもあるし、記事やニュース、なんだろう、どっかで講演をしてるのを見つけてうちでも呼びたいなってこともあるし。自分がイベントに出かけていって、そこで偶然登壇されてたみたいなこともあるし。そういう環境イベントみたいなのが、けっこう色んなとこでされていて。このブースの内容は子供向け講座に良さそうだなって思ったり。あとSNSのコミュニティ、環境系のコミュニティに入ってると色んな情報が入ってくるんで、Facebookのグループとかそういうところで見つけたり。

安東まつ:
環境教育のお仕事以外でやってる活動についてもお伺いしてもよろしいですか。

中尾聡志 :
対話の場を作るという仕事をしてて。対話の場って言われてピンときます?

安東まつ:
実際にどんな感じかはイメージつかないかもしれないです。

中尾聡志 :
なんだろうな…ちょっと普段よりも深い話をしようっていうことなんですけど。例えば僕がやってるので言うと、子育て中のパパさん向けに「子育てパパの対話会」っていうのをやっていて。そこに子育て中のパパが来て、悩みでもいいし、なんか気になるんだよなみたいなことを話せる場で、聞いてもらえる場みたいなものを開いていて。

例えば8人ぐらいのパパさんが来て、時間は2時間ぐらい。みんなで輪になって座って、自己紹介とかして、僕が進行するんだけど、「今日話してみたいとか皆さんに聞いてみたいことありますか」みたいに聞いて。そしたら一瞬沈黙になることもあるんだけど、「あ、じゃあちょっと僕いいですか」って誰か手を挙げてくれて、「実は最近子供が小学校上がって、7月で3ヶ月4ヶ月、でも学校がなかなか難しいみたいなんですよね」って、身の上話が始まるわけですよ。それを聞いていると、中学生の子がいるパパさんが「うちも実はそれあったんですよね」みたいな話になったり。

でも悩み解決を目的にすると、ああした方がいい、こうした方がいいってアドバイス大会みたいになっちゃう。アドバイスがあってもいいんだけど、なんかこう…やっぱ何に悩んでるか、何が苦しかったかとか、何がちょっと困ってるのかみたいなことを言えるだけでけっこう楽になったりするから。そういう気持ちの部分が言葉になるのを大事にしながら、問題が解決しなくても全然OKっていうことにしてて。

深く話していったり、何か気づくことがあったり、その視点はなかったですねとか、子供はそういう気持ちなのかもしれないなとか、そういういろんな視点で他の人もちょっと思ったことを言ってみるとか、みんなでそういうような話をしていくみたいなのが対話のひとつのイメージです。

安東まつ:
なるほど。

中尾聡志 :
これが例えば、ママさんでやってもいいし、色んなカテゴリーでできる。これは20年ぐらい前だけど、ミスチルのファンで集まる対話会をしたこともありました。他にも、漫画が好きな人で集まる対話会とかね。推し漫画を熱く語りまくるみたいなのもできるし。真面目な話で、日本の教育をどうするかとか、学校の先生が来たりとか保護者が来たりとか、先生になろうとしている学生さんが来たりとかしながら、教育ってどうしていったらいいんだろうみたいな話とかしたり。

もう本当に色んなテーマでできます。他にも「あなたにとって幸せって何だと思いますか」みたいなのを対話するとかね。「僕にとって幸せとは…うーんなんでしょうね」みたいな感じで、みんなでじっくり話す。居酒屋とかカフェとかでは話せない、ちょっと沈黙しながらも「なんだろう、なんだろう」って考えを深めていく。そういうのをしていく対話の会っていうのをやってます。

安東まつ:
中尾さんはどんな立ち位置で対話会を進めていくんですか。

中尾聡志 :
簡単なところで言えば、まだ話していない人に振ったりとかね「今の話聞いて何々さんはなんか思うことありましたか?」みたいな。インタビューじゃないけど、質問する、ひとりにインタビューするっていうよりかはグループ全員にインタビューする感じで、Aさんがばーっと身の上話をされたら、Bさんに聞いてみるとか。あと話長すぎる人をちょっと止めたりとかね。

あと質問をして人の話をもう一歩深く踏み込む。インタビューも、こうやって今も質問してもらってますけど、ちょっと分かんないところとか、もうちょっと深く聞きたいところを「〇〇っておっしゃってましたけど」とか言いながら話を深めていく。そして自分も思ったこともしっかり話す。そんな形で、話を進めて深めていくことしていますね。

安東まつ:
この対話の場を作ろうと思ったきっかけとか理由は何かあるんですか。

中尾聡志 :
一番最初のきっかけは、僕はITの会社にいたんですけど、会社の会議がつまらなかったんですよ。会議つまんねえってなって。でもせっかく集まるならね、職場の人が6人とか10人とか会議室集まって30分とか1時間も時間を使うのに、ひとりだけ部長が喋ってるだけとか、何か意見あるかとか言うけど誰も意見言わないで終わっていく。で、会議終わった後に、みんなタバコの部屋では意見がいっぱい出てえらい盛り上がったりとかしてて。部長あれ分かってないよなとか。飲み会は盛り上がってみんなよく喋るのに、会議になるとみんな無口になるみたいなのがすごい勿体なくて、会議を変えたいっていうのが最初ですね。

それで、僕、本とか全然読む人じゃなかったけど、本屋さん行って会議を面白くする方法あるかなと思って探して、そしたらなんか対話とかファシリテーションとか色々あるんだよね。コーチングとかコミュニケーションの本がけっこういっぱい出てて。それを読んで会議をどうやったら面白くできるかなっていうのをやり始めたのが最初のきっかけです。

そこからけっこう関わり方次第で、インタビューもそうだけど、質問すれば答えてくれたりとか、自分の受け答えで全然コミュニケーションが変わるのが面白くなってきて。やっぱ普段は話さない話をするとか、質問されて深い話ができることの面白さに気づいて。こういう時間をもっと人生に増やせたら最高じゃんって。それがだんだん流れになって対話のイベントを開くようになりました。

安東まつ:
ありがとうございます。趣味とか好きなものとかは何かありますか。

中尾聡志 :
趣味はもうめっちゃいっぱいあります。本を読むこと、マラソンすること、ピアノを弾くこと、人の話を聞くこと…お悩み相談とかやってたり。音声配信をやっていたり。あと絵を描く。絵を描くのは趣味から仕事になってきています。筆ペンで絵を描くんだけど、「筆絵作家」っていう肩書きで活動してる。今描き始めて3年なんだけど、絵も売れたんですよ。1枚4万円。

安東まつ:
それはどこで売ったんですか。

中尾聡志 :
個展を開いたの。人生初個展を去年の9月にやって。そこで1枚買ってくれた人がいて。あと元々の知り合いの方でやっぱり絵がすごい趣味だった人が僕の絵をFacebookで見て買いたいって言ってくれて。

安東まつ:
普段はSNSに載せてもいるんですね。

中尾聡志 :
そうそう。

安東まつ:
先ほどおっしゃっていた悩み相談は、公式にやってる活動ですか。

中尾聡志 :
公式…別に隠してないので、誰が相談してきてもいいって意味では公式なんだけど。ホームページとか作ってないから、僕の発信が中途半端なので、あんまり僕に悩み相談していいってことは知られてない。オープンではあるけど、そうそう。

安東まつ:
どういう方が相談を送ってくれるんですか。

中尾聡志 :
最近は音声配信の人が多いかな。僕の音声配信を聞いてくれてる人が相談したいって言ってくれることが今は多い。

安東まつ:
そこが繋がってるんですね。

中尾聡志 :
そうですね。

安東まつ:
ありがとうございます。

過去:高校ときの写真を見ると、目が、現実を見てない目をしてるんだよね。目つきがちょっと現実見てないなこいつっていう。そんな目に見える。

安東まつ:
小さい頃はどんな子供でしたか。

中尾聡志 :
子供の頃の話ってなかなかしないからめっちゃいいですね。どんな子供だったか...けっこう小中高で全然違くて。小学校時代はやっぱりなんか楽天的、好きなことをとことんみたいな感じでした。ファミコン世代なのでとことんファミコンをしてました。友達とファミコンするのが日課でしたね。学校終わると友達んち行ってファミコン、僕んち来てもファミコン。あとプラモデル作ったりとか。けっこう友達に影響を受けるので、3,4年生はファミコンがメインだったけど、5,6年生になったらけっこう外で遊んだりとかも。でも僕は運動音痴だったんで、5,6年の友達はアクティブな友達が多くて、外のグラウンドで学校終わったあと野球するとか言ってみんなで野球やったり。ただ自分的にはそんなに…なんだろう、みんなほど野球やりたいやりたい!みたいな感じでのめり込んではなかったかな。でもまあ友達といるのは楽しいから、下手だけど下手くそなりに野球参加して。でも全然ボールも取れないしバットにも当たらないし。でもいじられたりはそんなにしなかったから楽しく遊んでたなっていうふうには思います。けっこう友達についてって遊んでた気がするな。でもプラモデルは好きだったね。友達と一緒に作ってたりもしたけど、やっぱり基本的には個人で。まあ流行ってたからね、みんなも作ってたし。あとミニ四駆とか。あとビックリマンシールとかって知ってます?

安東まつ:
聞いたことあります。

中尾聡志 :
ビックリマンシールを集めてたリアル世代なので。昭和の流行ってたものを基本的に全部やってたかなっていう。どんな子だったかっていうと…なんだろうね、どんな子供だったんだろうな。なんか友達といても楽しむし、ひとりでいても楽しいみたいな。けっこうどこに行っても楽しんでた。漫画もよく読んでた。それが小学校時代。

安東まつ:
中学校はどんな感じだったんですか。

中尾聡志 :
中学校になって、剣道部に入ったんですよ。でも剣道部がめちゃくちゃ厳しかった。さっき運動音痴って言ったけど、剣道部ナメてました。こんなにしんどい部活だと思わなかった。もう大変だったんだよね、筋トレもきつかったし防具つけての練習もすごい大変で。それで僕1年の2学期からだんだんサボり始めちゃったんですよね。もう剣道部に行かなくなっちゃった。それで友人から「なんでお前部活来ないんだよ」って部活の友達に言われるようになって。それでちょっと学校に居場所がない、気楽にいられないっていうか。部活が始まる放課後はちょっと…なんていうんだろうね、、、見つからないように帰るみたいな。それで部活をやってない友達と遊んでた。不自由を感じて3年間過ごしたわけじゃないけど、やっぱりでもなんか色々気を使いながら過ごしてたなと思いますね。

安東まつ:
はいはい。

中尾聡志 :
でも相変わらずファミコン楽しいなって。ファミコン大好き人間でファミコンして遊んでました。めちゃくちゃインドアだった。仲良くなった友達もゲーム好きだったから、ゲームして一緒に遊んだりとか。でもその子とは中2になってクラス変わってそんなに遊ばなくなった。

それで、中2になって、やっぱりちょっとこのままサボり続けるのはどうかなと思って顧問の先生に相談したんですよ。相談したら「体力の差は個人差あるからさ。だから全部練習出なくても、例えば1時間とか最初の15分だけ練習に参加するとか、部活の参加の仕方は色々あるよ」みたいなことを顧問の先生が言ってくれて。

それで、それまでずっとサボってたけど見学で参加するようになって。見学というか、その部活の記録係、マネージャーみたいな立ち位置で剣道部に参加するようになって。そう、だから2年3年はそういう意味では部活に参加するようになったね。そういう選択肢をくれた顧問の先生にはすごい恩を感じてて、本当に恩師だなと思ってる。それでちょっと友達の関係も改善されて、でもやっぱりちゃんと練習に参加しないっていうのは後ろめたさは感じてた。

安東まつ:
高校生活はどうでした?

中尾聡志 :
高校はね…1年のときのクラスの馴染み方を間違えたかなんかで、1学期は友達がいたんだけど、2学期途中ぐらいからクラス全員から俺無視されちゃって、クラスで居場所がなくなっちゃったんだよね。まぁ無視されるってだけだったから、なんか嫌がらせをされるみたいないじめじゃなかったから、ある意味無視されることさえ耐えてればなんとかなるっていうかね。やり過ごしたっていうか。

高校1年はとりあえず3月までは無視されるっていうのを耐えて、、、まぁそんなにそれを苦しいとか寂しいとかしんどいとは思ってなかったので、耐えてっていうと少し違うけど。そんな感じでなんかうまく友達作れなかったんだけど、2年では友達できて、なんとかね。

高校時代もゲーム大好きで、ゲームの話ができる友達と一緒によくいたから、なんかずっとオタク路線じゃないけどそんな感じでしたね。なんかね、今その高校ときの自分の写真を見ると、なんか目が、ちょっと現実を見てない目をしてるんだよね!目つきが現実見てないなこいつっていう、そんな目に見える。

安東まつ:
おお、そうなんですね。

中尾聡志 :
オタクって言うのもあれだけど、やっぱりなんか現実見てない表情になるから、なんかオタクってキモいみたいに言われがちなのかなって。妄想の世界で生きていると目つきが変わっちゃうのかなって。

安東まつ:
なるほど。

中尾聡志 :
で、大学入ってからは、軽音楽同好会に飛び込んでバンドを始めたんですよ。高校のときにピアノは始めてたので。バンドやったらモテるかなと思って。でもね、モテないね!(笑)バンドやってなくてもモテる子はモテるわって、それを実体験で知りました。

でもバンド仲間でいい出会いがあって、すごい古いバンドなんだけど、ビジュアル系のカテゴリで『SOPHIA』っていうバンドがいて。ボーカルは松岡充っていう、最近もちょっとテレビ出てたりしてたかな。そのSOPHIAってバンドが僕は大好きだった。それで、そのSOPHIAを大好きなかっこいい友達がいたの。彼とは全然縁がないと思ってたんだけど、SOPHIAを自分がすごい好きになって、彼もSOPHIA好きでコピーバンドずっとやってるっていうの知ってたから、彼に話しかけて「今年からSOPHIAのファンになったんだ」みたいな話をしたらめっちゃそいつが「マジでー!!!」って喜んでくれて。一緒にバンドやろうぜみたいにそいつが言ってくれて。それでSOPHIAのコピーバンドを彼と一緒にやるようになった。で、彼の周りには女の子がいるって言ったらちょっと変なんだけど、遊び人て訳じゃなくて、やっぱりそいつは明るいし楽しいしかっこいいし人気があったんだよね。あと女子大との付き合いなんかもあった。それで僕も女の子の友達がけっこうできた(笑)。

安東まつ:
はいはい。

中尾聡志:
それでSOPHIA…好きなものができて好きなものを語れるようになったときに、同じようにSOPHIAが好きな女の子とかと会話ができるようになったんだよね。それまでは女の子と話せなかったの、苦手で。女の子と話すだけで緊張しちゃうみたいな感じだったから。

もうそれこそ自分は結婚なんかできるかなとか、彼女なんか僕できるんだろうかみたいな感じで18,19と過ごしてきたんだけど、そこがかなりターニングポイントだったかな。女の子とも話せるようになったのもそうだし、恋バナとかにも入って…恋バナとかも無縁だったからね、ほんと。

小中高は男とずっといるだけの、ゲームの話して漫画の話してみたいな。20歳になってそういう感じで、自分もね、告白されるみたいな経験もしてとか、自分の人生にこんなステージが来ると思わなかったみたいな感じで。20歳がひとつのターニングポイント。ここからたぶんちゃんとした目つきに変わってくる。

安東まつ:
現実を見てなかった目から。

中尾聡志:
そうそう、こっから変わってくるんだと思うんだけど。そんな感じで小中高大学と進んできました。

安東まつ:
大学卒業した後はどういう進路に進むんですか。

中尾聡志 :
卒業した後は…僕やっぱゲーム好きだったから、ゲームデザイナー、ゲームの会社に入りたいと思って就職活動をしたんだけど、もう全部落ちちゃって。10社20社受けたけど全部落ちちゃって。でもその延長じゃないけどやっぱりそういうプログラムが好きだったからITの会社に入って。JCBカードってあるじゃん。

安東まつ:
はい。

中尾聡志 :
JCBカードのシステムを作る会社に入って。そこでJCBカードのシステムのエンジニアを6年間やった。

安東まつ:
そこのIT会社は、さっきおっしゃってた会議がつまらなかったところですか。

中尾聡志 :
そうそう、そこに繋がる。JCBの仕事してたときの会議がくそつまんなくて。でもそのおかげで僕はね…さっき20歳でターニングポイントって言ったけど、やっぱり僕は人と関わるのは得意じゃないと思って生きてきたから。大学3年生で就活が始まったときもまだやっぱコミュニケーションは自分得意じゃないっていう気持ちで就活してるんで、ITやパソコンに向かってる仕事がいいなとか、営業とか接客とかそういう仕事じゃない方が自分は向いてるんだろうなと思って入ったんだけど、会議がくそつまらなくて。

そこから自分はわざわざコミュニケーションの本を買い始め、人と関わるとこんなに色んなことが面白いんだ、ものの見方が変わるんだっていう経験をしたことで「人事に異動したい」って希望を出したんですよ。エンジニアだったんだけど、採用担当とか社内コミュニケーション研修の講師とかそういう仕事に180度変えて。社内転職をしました。

安東まつ:
その社内転職後から、今の環境教育のお仕事に就くまでにはどんな経緯があったんですか。

中尾聡志 :
そっから転職が3,4回あるんでまた長いんですよ。今日は話し切れない。そう、でもなんかそこでやっぱりコミュニケーションめっちゃ面白いな、対話ってめっちゃ面白いなっていうのは、もうそっからずっと起点になって今も変わってないですね。

最初自分で起業しようと思ったんですよ。最初の会社は、エンジニア6年、人事3年で、9年勤めて辞めたんですね。で、よし起業するぞと思って。コミュニケーションや対話を中心にした研修の講師とか、そういう仕事をやってくって。30ぐらいかな、そういうふうに決めて会社辞めたんだけど。だからしばらく無職。フリーランスと思ってやってたんだけど、もう全然自分は1人で仕事しない人間だったってことがよく分かりました。

起業のためにホームページ作るとかサービス作るとか知人に相談するとか、色々動けばよかったんだけど、普通に僕YouTube見てたからね。やっぱ覚悟と決心が弱すぎて、甘かった。どうにかなる、誰かからそのうち声がかかるぐらいのこと思ってた。もうそういう感じですっごい甘い姿勢だったから全然起業なんかうまくいかなかった。

安東まつ:はい。

中尾聡志 :
そんな中、そのとき交際してる人と結婚するって話になった。でも向こうの家に挨拶行ったときに無職じゃん。これは許されんてことで、ちゃんともう1回会社にね、転職活動して会社に入りました。なので…最初9年勤めた会社があり、途中塾講師、数学と英語の塾講師やって。その後、転職活動して街づくりや地域おこしみたいなのをやってる会社に2年間勤めました。

その会社の後に、それこそインタビューをする仕事を。『親の雑誌』っていうサービスをやってる会社さんと契約しました。娘さんとか息子さんが自分の父親母親のインタビューしてほしいって依頼があるんですよ。親が高齢になったりしてね。やっぱり自分の父親のこと全然知らない、母親のこと全然知らないんですよね。

それで親の雑誌っていうサービスを見つけた人から依頼が来て、親にインタビューしてその人だけの冊子を作るんです。「創刊号 中尾聡志」みたいなのを作るわけですよ。創刊号って言っても1冊で終わるんだけどね。30ページ弱ぐらいの冊子を作るっていうので、1時間半ぐらいのインタビューを、その人の家に行って話を聞いてそれを文字起こしして冊子にする。生まれてから今までのことをバーッと聞いて、それを文字起こしする。そういう仕事を2年間ぐらいやったかな。やっぱり人の話を聞くってのは本当にすごい好きで、ものすごい自分に合った仕事だった。

その後は、友達の紹介とご縁でNPOに勤めて。それは千葉県にある街づくりの会社で、そこで仕事をして。そしてやっとその後が今の公共施設の仕事ですね。

安東まつ:
千葉のNPOではどういうお仕事をされてたんですか。

中尾聡志 :
1つは、その町の人が集まる対話の場を作るとかそういうのをやってたました。もう1個は、高齢者の見守りの仕事で。でも直接、僕らが見守るというよりは、地域で見守り合うコミュニティをどう作っていくかっていう事業のバックオフィスをやってて。それもすごい興味深い、面白いって言っちゃう誤解されそうですが。とても大切な仕事だなと学ぶことが多い仕事でした。

高齢の方でひとりで暮らされていて、孤独死の危険がある人たちとどう繋がっていけるか。発見が遅れちゃうと色々大変だったりするから。ご本人が亡くなったときにすぐに駆けつける仕組みを作っていました。でも表現がとても難しい。命を助ける仕事ではなくて、ある意味死んだあとに早く見つけてあげる仕事みたいな。

なかなか表現の難しい仕事だったんだけど。それでもその見守りのシステムに登録してる皆さんの気持ちを聞いて、やっぱり自分が死んだ後迷惑かけたくないとか、死んだ後のことが心配でこの仕組みに登録したことですごく日々が安心したとか、そういうことを言ってくれて。そういう話ってなかなか普段聞かないからさ、すごいなんか教わったよね、色々ね。

安東まつ:
ありがとうございます。

未来:生きるってことを、何度も何度も新しく新鮮に経験できるのが対話の魅力。

安東まつ:
5年後10年後、死ぬときまで想像してもらってもいいのですが、未来に関して何かイメージはお持ちですか。

中尾聡志 :
そうですね、30のときに起業がうまくいかなかったっていうのもあって、やっぱり自分で自分の仕事をしたいっていう思いはすごくあります。公共施設の仕事をずっと続けるってよりは、対話の場作りの仕事を自分のメインの仕事にしたいっていうのが自分の夢としてあって。もっとこう、なんて言うんだろうね、幸せを感じる人をもっと世の中に増やしたいとか。しんどい思いしてたり、悩みを相談できない人とか、そういう人がもっと減ったらいいなって。生まれてきてよかったなとか明日も生きていくのが楽しみだなって思えるような人が増える仕事をしたいなと思っています。

だからお悩み相談もそうだし、対話の場作りってのは自分の中ではそういう目的がありますね。さっき、パパの対話会をやってるって言ったけど、パパもなかなか自分の心境を相談できる人が周りにいなかったりするから、そういう意味でもっと気楽に気軽に自分の身の上話ができるっていう社会になったらいいなと思って、そういうことをやっていきたい。なので、対話の場作りをもっともっと広めていきたいなと思っていますね。

安東まつ:
はいはい。

中尾聡志 :
今横浜に住んでるんですけど、横浜の地元でそういう対話って面白いよねって、深い話をするって面白いよねっていうような広がりを作っていきたいなと。で、地元の人とかと話すんであれば、自分たちが住んでるこの街っていいよねとかいい街にしたいよねみたいな対話をしていきたい。この街を好きな人を増やしたい、住んでる人がもっと街のことが好きだったり、住んでる人のことを好きになったり、なんかそんなふうに思える活動をしていきたいなと。それってなんかすごく自己肯定感になると思うんですよね。心のことをもっと色々やっていきたいんだけど、僕はあんまり自己肯定感って好きじゃなくて。なんか、街のことが好きになったり街の人のことが好きになったら、自然と自分の中で、なんだろうな、鬱々とした気持ちが消えてくと思うんですよ。自分の中だけで自分を褒めようとか肯定しようとか言ってても、らち開かないと思うんだよね。もっと人に関わっていく…このインタビューもそうだけど。なんか人に関わらず自分の中だけにいるような時代になりつつある気がしていて。他人は他人っていうのは確かに大事だし、自分軸とかね、確かに巻き込まれないってのは大事なんだけども、でもそれが行き過ぎると、今度は他人と壁作りすぎてしまうんじゃないかと。自分はひとりで生きていくんだみたいなのは、すごくもったいない。

こういう活動をやってると、やっぱり人の話って面白いよねってのはあるじゃないですか。

安東まつ:
そうですね。

中尾聡志 :
人の話を聞くって面白いよねとか、自分にない視点を聞くって面白いよねっていうところを広めていきたい。そういう気持ちをみんなで共感していけるような、そんな意思疎通をまず街でできたら、この街の人たちってめっちゃ生き生きしてんだけどみたいな感じになるといいなと思うし。日々が楽しくなるとか暮らしが楽しくなるみたいな。もうつまらない会議はやめて、すればするほど楽しくなる対話的な会議を増やして、そういう働き方や暮らし方をもっとみんなと発見していけるようなことをしていきたいなと思っています。

安東まつ:
人と関わるにあたって、対話という方法のいいところはどこだと思いますか。

中尾聡志 :
なんだろうね…世界が広がるってことかな。自分だけでは絶対見えない景色がある。相手が生きている人生、相手が生きているところから見える世界っていうのが、対話をすることで見えてくる。自分には絶対見えなかった世界の見え方みたいのが見える。自分が見えてる部分っていうのはやっぱり一側面でしかなくて。もちろん相手が見えてる世界も一側面なんだけれど、色んな人と対話していろんな視点や側面が自分の中に入ってくると、もっとこの世界のことがよく分かるし、さらに自分の人生もよく分かってくる。対話をして、人のこともよく分かるようになるし、この世界のこともよく分かるようになるし、それがなんか、現実に目を向けるだったりとか現実をちゃんと生きていくみたいなことにつながる。あとは目に見えないもの、さっきの幸せとか家族とか、人が育つこと成長することもそうだし、そういう目に見えないものについても色んな捉え方があるけど、そういうのをいっぱい聞いていくと、一側面でしか捉えてなかった物事についてもっと深く本質で考えていけるようになる。そうすると生きることが楽しくなる。一側面しか見えてないから生きづらかったり、自分の思い込みから出れてないから生きづらかったりするのかなと思うんです。でも、実はこれ勘違いだったなとか思い違いだったかなとか、ちょっと偏った考え方だったなっていうのが分かると、自分の生き方を修正することもできるし。

安東まつ:
なるほど。

中尾聡志 :
やっぱり人と関わるっていうことの面白さが人生のベースになるって大事だと思っています。自分としては…最終的にやっぱ人生「人」しかいないと思っていて。人と触れるっていうことでしか人生の喜びは最終的にはないと思うんだけど。なんかそこから距離を取るような時代になってないかなってのはちょっと怖くて。最終的に人だよねっていうことをみんなと分かち合える、本来の生きてる喜びっていうのを実感できる、その時間なりやり方なりある中で僕の中ではやっぱ対話っていう。でも色んな方法でみんなそれを確かめてると思うんですよね。人と触れるってこととか、人生に触れるってことを色んな方法でみんなやってると思うんです。生きてるってことをスポーツで確かめる人もいれば、楽器の演奏で確かめる人もいて、ダンスとか踊りとかそういうのでね、確かめる人もいれば、もっと研究とかね、そういうもので生きがいを見出す人もいればとか色々あると思うんです。でも全員がダンスできる訳じゃないし、全員がサッカーできるわけじゃないし、全員がね、歌えるわけじゃない。やっぱりみんなどっかで、自分の才能を使ってそういうのを確かめてるんだと思う。でも僕は思うのは、言葉は全員が使えるから。だから対話っていうのは、全員ができると思ってる。サッカーをしてる人がサッカーで見つけた人生の生きがい、音楽で見つけた人生の生きがい、研究で見つけた人生の生きがい、それらを「あなたにとって生きがいって何ですか?って問いを中心に色んなジャンルが越境して語れるのが対話。お母さんが思う幸せ、お父さんが思う幸せ、小学生が思う幸せ、そこで農業してる人が思う幸せ、同じ街に住んでる人がこの街でどういう幸せを感じてるかっていうのを言葉で確かめ合ったときに、そこに住んでる幸せってのをみんなで見つけていけたりする。なんかそこに改めてまた生きていく喜びみたいのが、新しく更新されていく。生きるっていうことが、何度も何度も新しく新鮮に生み出し続けていけるのが対話の魅力だと僕は思っています。

安東まつ:
ありがとうございます。
人と触れ合うことが最終的に人生の喜びになるっておっしゃってたんですけど、人と関わることによって生まれる苦しみについては、ご自身の中でどう捉えているんですか。

中尾聡志 :
いや~いいこと聞くなあ。そうね、なんだろう、人と関わるその苦しみとかしんどさとかっていうのが、なんていうんだろう、そこを乗り越えたときに…その例えばね、僕の場合、もう結婚して11年とか経つんだけど、もうめちゃくちゃ夫婦げんかするわけ。この人となら一番楽しく人生を生きていけると思って結婚した人と一番喧嘩してる。これって一つの本質なんだろうなと思いながら、この人と夫婦げんかをする。それはなんかね、自分と考えが違うとか相手と価値観が違うとか、暮らし方において大事にしてるものが違うとかで色々喧嘩になるわけだけど、その衝突してるってことが既にお互いの個性が出てる瞬間なわけ。個性が出てるから、衝突するし摩擦するしぶつかるし、それが苦しかったり、なんか否定された気にもなるししんどい。でも、それをきっかけに、こんな自分なんだ、こんな相手なんだってことを深く知るきっかけになる。苦しみが生まれる瞬間ってそういうきっかけになると僕は思っているんです。なのでそこが本当に越えられたとき、また特別な喜びがやってくる。自分が受け入れてない自分すらも相手が受け入れてくれる可能性があったりとか、こんな自分でも一緒にいてくれるんだっていうことが分かったりとかって意味でも、その苦しみをきっかけに、今なんで苦しいのかな、今この人との衝突は何を意味してるのかっていうのを対話する、深くもう1回掘り直す。そういうことをした先に、他者と関わるもう一段何か大きな喜びが実はあるっていうのが僕の捉え方で。

安東まつ:
なるほど。

中尾聡志 :
なのでもう言われ慣れちゃってるけど「喧嘩するほど仲がいい」ってやっぱり本当のことなんだろうなと今更思うんですよ。トラブルが起きないドラマなんかないじゃない。他者との関わりにおける苦しみとかしんどさっていうのは、面白いドラマの必須要素なんだよね。僕らはそれを見て楽しいわけだし、でもそれが自分に起きると本当の苦しみになっちゃうからきついんだけど。でもドラマっていうものが、ギリシャ時代からある演劇だったりそういう架空のドラマを楽しむっていう文化が人類上消えてないってことは、確実に僕らに必須なものとしてあって。そこで人は感情とどう向き合うのかとか、人は感情がぶつかったときにどう乗り越えるのかっていうことを、物語なり演劇なりドラマから学んできて。そこで学びながら、僕は人生でこの苦しみをどう乗り越えていくのかとか。本当に自分がね、人生というドラマの主人公になって、そのドラマで自分が感動する、自分の人生でちゃんと感動するみたいな、なんかそんなふうにしていけたらいいなと思うんです。めっちゃ大変だけどね、本当に大変。でもそこには人が大切で、相談できる人とか…僕の妻との喧嘩もやっぱり2人だけでは解決しなかったから。友達に相談したり間に入ってもらったり色々聞いてもらって、2人だけじゃ無理っていうのは本当思った。やっぱり他者との辛さを乗り越えるためにまた他者が必要で。助け合い、支え合いで成り立つものだなと思っていて。悩みってひとりで抱えがちになるけど、僕もやりがちだけど、誰かに頼るってすごく大事。話していく先にこういう喜びがあるかなって僕は思ってるんで。そういうのを、やっぱり大事だよねって話をみんなとしていきたいなと思ってます。

安東まつ:
はいはい。

中尾聡志 :
あともう一つ、未来の話で、ごめんなさい時間が押してる中もう一つだけ。やっぱり僕の中で絵なんですよ、絵、絵はね、家族を支える仕事にするにはちょっとまだ、やり始めたのも最近だし、まだメインの柱にはできないけど、やっぱり自分がやっていきたいことの一つとして絵があります。有名になれるかは分からないけども、自分の絵のことは僕はすごい好きで、同じように僕の絵を好きと言ってくれる人やそれにお金出してくれる程の熱量を持った人との出会いを、この先の人生で僕はそれを目標にしたい。僕の絵が好きって言ってくれる人に出会うために絵を描いていきたいなと思っています。なので、また今後個展とかしていきながら、絵を描き続けていきたいし、同じように、対話の場はそうで。自分が対話の仕事をするっていうのは、さっき言ったようなことに一緒に共感してくれる人に出会うために、僕は対話の場作りをこれからもしていく。僕の中で、絵を描くのと対話の場を作るってのは同じ。人と出会うために、絵を描くし、対話の場づくりもやっていこうと思ってます。

安東まつ:
ありがとうございます。
これまでのお話で、話し足りなかったことなどはありますか。

中尾聡志 :
何かありそうだけどね、なんだろう…そうだな、途中で中学校のときに剣道部をサボったって話をしたんだけど、そのときに親に何も言われなかったっていうか。中学のときの僕は、サボってることを親に隠してて、部活に行ったふりをしてたんですよ。でもきっと親は気づいていたはずで。今思えばそんな隠せるようなもんじゃないから、子供の視点じゃ隠してたつもりだけど絶対ばれてたと思う。今すごく思うのは、言い方難しいんだけど、親はね、気づいてたなら、気づいてるって言って欲しかったなって。後々母親と話したときには、やっぱり母親もどうしていいかわかんなかったって言っていて。だからしょうがない、しょうがないって言ったらあれだけど、ほっといたとか無関心だったわけでもないし、母親なりに悩んでいて、母親もたぶんすごく苦しんだ。僕が部活サボってるとか、一時期ちょっと学校も不登校まではいかないけど休みがちになったりしたんで、やっぱり母親なりに苦しんでどうしようと思ってたんだろうと。そこは理解しつつ、今思えば、いろいろ言って欲しかったし自分の話も聞いて欲しかったし。もしくは場合によっては、そこまで悪いことをしてるっていうわけではないけども、決めた部活に行かなくなるっていうのを、自分がどう考えるのかもうちょっと向き合ったり、ときにもうちょっと頑張れって言ってもらうとか、直接やっぱりそのことに触れて欲しかったなって思っていて。

安東まつ:
はいはい。

中尾聡志 :
けっこうなんだろう、甘やかされて育ったなっていう。それを親のせいにしてしまったら、それこそ自分は甘い人間になってしまうんで、親が甘やかしたからどうのこうのってことを言い訳にしないし、結果としてすごく甘やかすもそうだし、大事に育てられた、優しく育てられたなっていう部分では、たぶん僕は親のそういう優しさというか、どんなことも受け入れるっていう愛情を受け継いで自分の中にそういう心が育ってると思うのね。だから周りの人にも、すごく中尾さんは心が広いとか優しいとか言ってもらえたりもするのは、親のそういう、すごく優しく育ててくれたおかげだなと思うんだけど、逆に僕は厳しさを育てられなかった、自分の中に。

自分にめちゃくちゃ甘い。決断したことができなくて、決めたことをすぐ反故にしちゃうというか、難しいことだとは思うんだけどね、なんかダイエットするとか酒をやめるとかと似てるかな。起業するって決めたのにYouTube見ちゃうみたいな、本当に自分への甘やかし以外の何物でもないなと思う。

安東まつ:
なるほど。

中尾聡志 :
最近すごく思うのは、ありのままでいいよみたいなのは、ある面ではすごく優しさを育むあり方ではあるけど、それだけになると、ただの甘やかしにもなりかねないっていう意味で、ありのままはすごい不十分だなと思っていて。自分の実体験から。ありのままとセットでやっぱり厳しさとかね、そのままのあなたじゃ駄目だよっていう愛も必要だよね。でも世の中すごくありのままでいいよとかね、多様性とか人権とかもちろん大事だから、やっぱそれが足りなかった時代の反省として、今それが出てると思うけど、今度それが出すぎると、あなたのままでいいんだよだけでは今度は全く違う苦しみが生まれる。自分のさっきの中学のときの経験と、ずっと自分の中で、人とのコミュニケーションってなんだろう、人の成長ってなんだろう、人の幸せって喜びってなんだろうってずっと考えてきた中で、ありのままだけでは全然足りない。実際に今、みんなもね、そんなに幸せになってないっていう現状を見たときに、今、足りないのは厳しさだなと思って。

って言うのはなんかちょっと、さっき自分の中学のときの話をしたのと、今のね、対話の話をしたっていうのと合わさって、ちょっと最後に話しておきたいなって。

でもこの厳しさが大事っていうのは、なんかそれだけ言ってもたぶん切り取られて、逆に厳しさだけではハラスメントみたいになっちゃうからすごい伝えていくのが難しいんだけど。でもやっぱその部分を、そういうことをみんなと対話していけたらいいなっていうのが、最近の自分の関心とけっこう人生の中心にあるなと思ってます。

安東まつ :
ありがとうございます。

あとがき

自分はなぜ言葉に対するこだわりが強いのか、ずっと疑問に思っていた。
言葉を発するときは、何度も何度も吟味する。その結果出たものが納得いかず、かなり長期間引きずることもある。言葉を誤解されたくないという気持ちが強くて、ちょっとでも違うニュアンスで伝わると「そうじゃなくて」と言ってしまいそうになる(本当はその都度長尺で説明したい)。逆に伝わると死ぬほどうれしいし、相手の意図が言葉から汲み取れたときは小躍りしたくなる。そんなふうに、毎日言葉に一喜一憂させられているのだ。
これまでは、「小さい頃から本に触れてきたからかなあ」なんて思っていた。今回のインタビューでその答えが出た気がする。人と対等でありたいと強く思う私にとって、皆が使える言葉は神聖なものなのだろう。だから、言葉を使って上下関係を作ろうとするような会話や、小手先の言い回しテクニックなんかも好きじゃない。能力の優劣にはそんなに興味がないのに、言葉での勝負を仕掛けられると異常なほどの嫌悪感がある。
一方で、言葉にはずっと飽きずに心を動かされているなとも思う。興味が移りやすい人間なので色んなことを試しては楽しんできたけれど、一番好きなのは言葉だったのかもしれない。これだけずっと触れ続けているのに、今でも言葉ひとつにびっくりするぐらい感動することがある。そんなときは、柄にもなく本気で「生きててよかった」なんて気持ちになってしまうのだ。今回久しぶりにその感情が襲ってきて、なんだかまだ生きていけそうな気がしている。

【インタビュー・編集・あとがき:安東】

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