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マヤ暦を研究している人

むかしむかし、日本のある静かな村に、暦野(こよみの)マヤという名の変わり者の学者が住んでいました。マヤは幼い頃からはるか遠い国のマヤ文明に魅了され、特にマヤ暦の研究に人生を捧げていました。
村人たちは、マヤのことを奇妙な目で見ていました。「なぜ遠い国の古い暦なんかを研究しているんだ?」と、よく噂していたものです。
ある年、村は大干ばつに見舞われました。作物は枯れ、人々は困り果てていました。そんなとき、マヤが村の広場に現れ、こう言いました。
「マヤ暦によると、来週の満月の夜に雨が降るはずです。その日まで待ちましょう」
村人たちは半信半疑でしたが、他に方法がなかったので、マヤの言葉を信じることにしました。
そして、マヤの言った通りの日に、本当に大雨が降ったのです。村人たちは驚き、マヤに説明を求めました。
マヤは微笑んで答えました。「マヤ暦は単なる日付ではありません。自然のリズム、宇宙の調和を表しているのです。それを理解することで、私たちの生活にも役立てることができるのです」
それからというもの、村人たちはマヤの知恵を尊重するようになりました。マヤは村人たちにマヤ暦の知識を少しずつ教え、人々は自然とより調和して生きることを学んでいきました。
やがて、その村は「天の智慧の里」として知られるようになり、遠方から多くの人がマヤの教えを聞きに訪れるようになりました。
マヤは晩年、こう語ったそうです。「古代の知恵は、時代や場所を超えて私たちの生活を豊かにしてくれる。大切なのは、その意味を理解し、今に活かすことなのです」
そして、マヤの教えは「古きを学び、新しきを知る」という言葉とともに、長く語り継がれていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月31日10時55分に書く無名人インタビュー877回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 石竜伊都 さんです!

年齢:50代前半
性別:女性
職業:マヤを勉強してる人


現在:どうもこれは本来のマヤ暦ではないっていうのがわかってきて。

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今何をされてる方ですか。

石竜伊都 :
今は一応、マヤの占いをしてますよって言ってるんですけど、ほぼ研究をしてるっていう感じですね。とくにマヤ神聖暦っていうカレンダーのナワールっていうものについて主に研究をしてる感じです。で時々講座みたいなのもやってます。

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研究と講座以外の時間ってどんなふうに過ごされてることが多いですか。

石竜伊都 :
それ以外は家のこと・・・子供がまだ未成年なのが2人いるので、そっちの世話に今は手を取られてる感じです。そっちを中心に、マヤの活動をしたりだとか。
あとはウェブのデザイン的な仕事をしたりだとかもしていますね。あとは動画見たりアニメ見たりして過ごしてるって感じです。

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ウェブのデザインで収入を得られてるっていう感じなんすか。

石竜伊都 :
そうですね収入はそっちが主になっちゃってます。逆転してほしいんですけどなかなか・・・笑

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動画はどんなものを観られるんですか。

石竜伊都 :
動画は普通にAmazonプライムに入ってるアニメを見たりすることが多いですね。
あとは民俗学系の動画とか観たりしてます。
南方熊楠とか柳田さんの話だけを細かくしてるっていうより、マタギの話だったりとか習俗の話、お祭りの話だったり神様の話だったりをわかりやすく噛み砕いたものを、子供たちと一緒に観てるって感じです。

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日本に限定って感じなんですか、民俗学。

石竜伊都 :
今んとこそうですね。海外のはそういえば観てないですね。

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マヤ暦の研究とのことで海外の民俗学なのかなってちょっとふと感じたんですけど。

石竜伊都 :
国内ですね。動画はそっちの方が多いです。文献はマヤの本ばっかり読んでるんですけど。

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なぜ日本の民俗学に興味があるんですか。

石竜伊都 :
元々、水木しげる先生の世界観がすごい好きなんですよね。
「のんのんばあとオレ」っていう本を読んで。鬼太郎以外にこんな面白いもの持ってる人なんだっていうところから日本の民俗学に興味を持ち始めたという経緯になります。

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では本題で、マヤ暦の研究を始められる経緯をおしえてください。

石竜伊都 :
最初はマヤ暦の占いがあるっていうことを15年前に、その当時通ってたアロマスクールの先生から教えてもらって。面白いなと思って、本を読み始めたんですけど。
やり進めるにつれて、どうもこれは本来のマヤ暦ではないっていうのがわかってきて。

マヤ暦っていうものから、13の月の暦っていうものを学んで、そっからまた古代マヤ暦メソッドっていうのも・・・どれもこれもマヤ文明とは直接関係がないぞっていうのがわかったので、マヤ文明っていう方からアプローチしてマヤ神聖暦っていうものを研究するっていう感じです。

ポンプ:
マヤ暦のどんなところが面白いなって感じられたんですか。

石竜伊都 :
名前がすごい中二的だったんですよね。
マヤ暦占いで使う星座みたいなものが20個あって。
あなたの生まれた日の「太陽の紋章」ですよ、みたいな。その太陽の紋章の響き自体が赤い龍だとか、白い風だとか、黄色い太陽だとかそんな感じの名前がついていて、ロールプレイングゲームみたいな感じがして面白かったんですよ。
さらに13個の数字がそこに組み合わさって260日で一巡するっていうカレンダーがあり、それが占いで使われているんだよっていうのが一番最初に知ったマヤ暦だったんです。

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研究っていうのは具体的に、何を追い求めてらっしゃるんですか。

石竜伊都 :
今、日本で広まりつつあるんですけど・・・占い師さんたちの間ではマヤ暦っていうものが、マヤ文明から直接来てるものではなくて1980年代、1990年代ぐらいに流行ったオカルトブームに乗っかって、アメリカのホゼ・アグエイアスっていうオカルティストがマヤの神聖暦をベースに作った新しい暦が、13の月の暦っていうものだったんですけど。

その中にあるマヤ神聖暦の部分だけを引っこ抜いて占いにしたものだっていうのがわかったので。
じゃあ大元になったマヤ神聖暦の方は、何を表しててどういう意味なのかっていうのをちょっと知りたくなった感じです。

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知る手がかりみたいなものはあるんですか。

石竜伊都 :
マヤ文明の研究をしている方の書籍がまず1つと。あと海外の文献みたいなものはネットを探せば出てくるし、そこから引っ張ってきたりと。あとは年に三、四回ぐらい上京して、大学でマヤ文明について教鞭をとってらした教授、退任された方なんですけど。その方のところに教えてもらいに行ってる感じです。

ポンプ:
教えてもらいに行くのはお金がかかるんですか。

石竜伊都 :
かかります。でも私だけじゃなくてあと仲間がもう3人いて、4人で教わってるっていう感じですね。

ポンプ:
研究されてどのぐらいになるんですか。

石竜伊都 :
マヤ暦からだと、10年以上やってますね。マヤ文明っていうものに切り替えてやり始めてからは、多分2年か3年かそんなものです。

ポンプ:
石竜伊都さんは、一度気になると追い求めてみたくなる印象があるんですけど。

石竜伊都:
そういうところはありますね。

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他には何か探し求めたことがあったりしますか。

石竜伊都:
大学のときは中国文学をずっと勉強してたんですよね。
小学校4年生のときに西遊記を読んで。中国ってなんでこんな面白い本があるんだろうってところから始まって。その後、翻訳してた先生が岐阜の大学で教鞭とってるってのが受験のときにわかったので、私はここの大学に行って、この翻訳をした人に西遊記のことを教えてもらいに行くって言って勉強しに行きました。
なぜ孫悟空は猿じゃなきゃいけなかったのかっていうのをゼミでずっとやってたんですよ。

多分これは猿の顔をかぶった龍だったんだっていうところで一応答えを出して、そこで満足して終わっちゃったという感じですけど。

ポンプ:
龍だったっていう答えは、石竜伊都さんが出したんですか。

石竜伊都:
そうですね、私の出した結論ですね。

ポンプ:
他のゼミの方の意見って、石竜伊都さんにとってどんな印象でしたか。

石竜伊都 :
他の人たちは・・・あんまり熱心じゃなかったっていうか、温度差がちょっとあったので。オタクだよねっていうことは、言われました。

ポンプ:
今マヤ暦の研究で、関係性が近しい方とかっていうのはいらっしゃるんですか。

石竜伊都 :
一緒に勉強してる3名の方ですね。
時々情報交換しつつ、今こんなナワールの日だけどどう?みたいな話をしたりとか。

ポンプ:
占いはされるんでしたっけ。

石竜伊都 :
一応します。ただ致命的なのが私、あんまり他人のことに興味がないんですよ。

なので占いはちょっと苦痛だなっていうのはあります笑
「マヤ暦」っていうものから始まったから占いしなきゃと思ってやってたんですけど・・・占いするのはちょっとしんどいなと思う。
やり方を教えるから自分でやってね、と思って講座をやっている感じです。

ポンプ:
石竜伊都さんご自身を占うっていうことはされてるってことですよね。

石竜伊都 :
そうですね自分のことは見たりはします。何が影響してるのかなとか・・。

ポンプ:
占いって未来を占うっていうことだと思うんですけど・・・。

石竜伊都 :
未来はあんまり見ないですね。今ここで何につまずいてるのかとか、内省のツールにしてるって感じですね、占いをするっていうよりは。・・・先なんかどうとでも変えられると思っているので。
なので、その先をよくするための、今を良くするために使うっていう感じです。

ポンプ:
伊都さんがご自身を占うタイミングってあるんですか。

石竜伊都 :
何かやりたいことができたりとか、ちょっと行き詰まってるなって感じたときに使うって感じですかね。

ポンプ:
例えば何かやりたいときにご自身を占うというのは、何を期待するというか・・何を見つけようとして占うんですか。

石竜伊都 :
目指してる方向に向かって今、自分が進むために何が足りてて、何が足りてないのかとか。
どうした方がよりうまくいくかなっていうところ・・・そもそも駄目なのかなっていうところをみたりします。

ポンプ:
マヤ暦に関して今改めて、研究されている面白さってどういうところですか。

石竜伊都 :
面白さは・・・マヤの神聖暦だと20のものをナワールっていうふうに呼ぶんですけど。
マヤ語っていうものとかマヤの人たちの思想とか文明の奥深さを凝縮したものがナワールなんだっていうのが面白いです。また暦がいくつかあるので、神聖暦以外の暦からもアプローチしていくこともできるんだなって見えてちょっと面白いです。

ポンプ:
暦がいくつかあるっていうのがちょっとイメージしにくいんですけどいくつあるんですか。

石竜伊都 :
わかってる範囲で17個あったそうなんですよ。
現存していて何となく実態がわかってるのが、長期暦という約5,200年のカレンダーです。
2012年12月21日に地球が滅亡するとかいう話があったんですよね。
だけど、それは長期暦が一旦終わって次の長期暦が始まるっていうだけだったという、その話のもとになったカレンダーが1個あって。
それが長すぎて大変だから出来たっていう短期暦、あとハーブ暦は365日のカレンダーで、あとマヤ神聖暦の260日のカレンダーがある。

今の人たちは長期暦だとか短期暦はもう使われていなくて、ハーブ暦は一部の部族では使ってるところがあると聞きます。神聖暦あ現在もマヤ人は使っています。

ポンプ:
マヤ人って、すっかり昔の人だと思ってたんですけど現代人なんですね。

石竜伊都 :
いますよ。マヤ文明が滅亡したから、それこそムー大陸だとか、ああいうものと同じように滅んでしまってもう居ない人たちだって認識されてるようですけれど、末裔の方は現在もいらっしゃいます。

ポンプ:
マヤ人ってどんな方達ですか。

石竜伊都 :
日本人と考え方は近いと思います。万物に神が宿るっていう考えなんですよ。
昔の日本人のアニミズム信仰、祖霊信仰とほぼ一緒の感覚ですね。

祖先を敬い、年長者を敬い、ちっちゃい子を大事に育てて行くっていう考え方が根本にあるっていう。
その辺は昔の日本人と変わらないなっていうのは感じてるところですね。

あと物事には必ず二面性があるっていうのも認識してたみたいで。
なのでマヤのナワールには必ず良い意味と悪い意味と両方があります。

マヤの歴史をみたときにスペインに侵略されて散り散りになって文明としては滅んでしまったんですけど、日本も同じようにスペインに侵略されかかったのに、文明は滅びなかったんですよね。
スペインという同じ国に狙われて、侵略されてしまったマヤと、されずに済んだ日本との違いは何だったんだろうと・・・同じような信仰の仕方や考え方をしているのにもかかわらず、道がわかれたのは何だろうっていうのは最近気になってるとこですね。

ポンプ:
そこには違いがあるんじゃないかっていうことですか。

石竜伊都 :
そう思います。何が違ったんだろう。大陸続きと島国との違いってのもきっとあるのかなと思うんですけど。

過去:ババヤガが好い役だったり悪い役だったりするのがすごく面白くて。なんで違うんだろうっていう。

ポンプ:
ちっちゃいときって伊都さんってどんなお子さんだったんですか。

石竜伊都 :
ちっちゃい時から1人で遊んでることが多かったですね。
友達と遊ぶっていうよりは、自分のしたいことを優先して過ごす・・・気になったらもうずっとその本を読んでいるとか。1人でプラモデル作ったりとかそんな感じでした。

ポンプ:
本はどんな本を読んでらっしゃったんですか。

石竜伊都 :
本は伝記みたいなものとか。それこそ西遊記みたいな。民話とか神話を読んでることが多かったです。特にアジア系の神話を読んでることが多かった。

ポンプ:
具体的には。

石竜伊都:
中国とかチベットとか・・お米の起源とか、国の起源みたいなことが書いてある・・・

ポンプ:
ちなみにおいくつぐらいのときですか。

石竜伊都 :
幼稚園から小学校は、そういう本が多かったですね。
中学ぐらいからは文豪って言われる人たちの本を読んでたって感じです。

ドストエフスキは読んでもわけが分からなかったです。ソ連系の文学は何読んでも一つも何もわからないと思いながら読んでいました。

ポンプ:
ドストエフスキーは何を読まれたんですか。

石竜伊都 :
「罪と罰」かな。何言ってるか全然分からなかったですね。

ポンプ:
文豪の作品っていうところでいくと、海外の文学ですか。

石竜伊都 :
夏目漱石とか太宰治も読みました。

ポンプ:
プラモデルはどんなものを作ってましたか。

石竜伊都 :
日本の戦闘機とかヤマトとか戦艦みたいなのが多かったです。
作りたくて作ったってよりは、敷地内に家が2棟あったんですね。1棟は私達家族が住んで、もう1棟は母方の祖父母が住んでて。で祖父がアトリエを持ってたんですよ。
そこにプラモデルが山と積んであって。

で祖父が戦闘機乗りだったので好きなんですよね、やっぱりそういうのが。
買ってきて置いとくんだけど作る暇がなくて、好きに作っていいよって言うから作ってたっていう。

ポンプ:
作ってるときは、どんな気持ちで作ってらっしゃるんですか。

石竜伊都 :
無心ですね。作ることに集中してる。

ポンプ:
作った後ってどうされてたんですか。

石竜伊都 :
作った後は飾ったり。あとは庭に持ってって飛行場っぽく写真撮れないか・・・とかだったり。

ポンプ:
カメラも持ってたんですか。

石竜伊都 :
私のじゃないですけど。家にあったカメラです。それで無駄に撮って怒られる。
フィルムの時代なので今みたいにデータじゃないので。フィルム買わなきゃいけないので。

ポンプ:
プラモデルは今ってどうなってるんですか。

石竜伊都 :
捨てられちゃってると思います。
残ってるものもおそらくないないと思います。家を建て替えしたときに捨てちゃったんじゃないかな・・・。

ポンプ:
文豪の作品で面白かった作品ってどんな作品ですか。

石竜伊都 :
夏目漱石の本は面白かったですよね。あとは滝沢馬琴とか。夏目漱石の夢十夜とか、あとは南総里見八犬伝は面白かった記憶があります。

ポンプ:
海外文学で印象的なだったものはありますか。

石竜伊都 :
印象的だったのはチベットの犬の王子様の話とか。
あとスラブ民話だと思うんですけど、ババヤガっていう日本でいう鬼婆婆みたいなのが出てくる話がいくつかあって。
出てくる話によってババヤガが好い役だったり悪い役だったりするのがすごく面白くて。
なんで違うんだろうっていう。

ポンプ:
そこは未だに解明できていない部分ですか。

石竜伊都:
できてないですね。スラブの民話とか神話もやりたいんですけど・・面白そうなので。
それこそ本を探しても出てこないし現地に行かないといけない・・・多分ロシア民族じゃないんだろうなと思って。
となると、そもそもこれが出てきてるのはどの民族のなんていうお話なのか、っていうそっからやらないといけないのかなって妄想はするんですけど、手は動いてないって感じです。

ポンプ:
ロシアのスラブのお話ですかねババヤガの話は。

石竜伊都 :
ロシアのお話という感じで、最初読んだ本には出てたんですよ。
だけどスラブ民話みたいな感じで紹介されてたりもするので、そもそもどこの民族のどういうものなんだろうっていうところから調べなきゃいけないっていうか私がそっから知りたいと思ってます。

ポンプ:
今お聞きした時間帯だと、中学ぐらいにババヤガに出会われたんですよね。
そこからずっと頭の片隅に持ち続けてらっしゃるんですか、今まで。

石竜伊都 :
そうですね時々思い出すっていう・・・。

ポンプ:
その時々思い出す内容で他に何かあるんですか。

石竜伊都 :
結構いろいろありますね、天狗とか狸も調べたいっていう。

ポンプ:
なるほど。今中学校ぐらいのお話だったと思うんですけど、それ以降から今現在の伊都さんまでの間で印象的なエピソードとかありますか。

石竜伊都 :
どうだろう・・・小中高はあんまり楽しかった思い出はないので・・・。
高校入ってからは、同じ学校の子っていうよりは、2次創作みたいなことをしていて。
同人誌を作って、即売会で売るっていうことをやってたので。
そっちでできた友達と遊んでることが多かったって感じですかね。
受験もあったし、あんまり記憶には残ってないかな・・・

ポンプ:
同人誌の内容ってどんな内容なんですか。

石竜伊都 :
当時観てたアニメの2次創作的なものです。バイトができなかったんで、それでお小遣いを稼いでたんですよ。

ポンプ:
月でどのぐらい稼ぐことができたんですか。

石竜伊都 :
5000円ぐらいだったと思います。経費とか引いたら、そんなになかったと思うんですけど。印刷するお金だとか、出店するお金だとかあったんで。
でもそれをやるのは楽しかった。・・・何か作っている時間、考えている時間とか、好きなものを好きなように書けるっていうのは楽しかった感じですかね。

ポンプ:
売ってる場所ってどんな場所ですか。

石竜伊都:
地元の同人誌即売会です。毎月あったので。
・・親が厳しい人たちだったんで怒られながら邪魔されながらやるっていうのはちょっと大変だったかなって。今になったらそう思います。

ポンプ:
販売行為自体を認めてもらえてなかったっていうことですか。

石竜伊都:
マンガなんか描いてるんじゃない!っていう感じだったんですよ。
高校生にもなって・・ていう感じだったので、もうそんなものしなくて勉強をしなさいっていう家だったので。

ポンプ:
勉強やってるときってどんな気持ちでされたんですか。

石竜伊都 :
やらなきゃいけない勉強は本当、楽しくないんですよね。
創作とか販売のこととかはやりたくてやってるから全然楽しいんですけど。
小中高と成績をとるためにやらなきゃいけない勉強が本当つまんなくて苦痛だったと思います。大学に行ってからは本当、一番勉強が楽しい期間でしたね。やりたいことだけ勉強してればいい。

ポンプ:
改めて、学生時代から現在に至るまでで印象的なイベント、衝撃的なイベントはありますか。

石竜伊都 :
大学のときはサークルで人と交流することを覚え始めたって感じで。
落語研究会に入ってて。そこで初めて人前に立って何か芸を披露するっていうこともやって。
だからちゃんと練習してから講座に上がるのは緊張しないけど、練習してないと緊張するんだなっていうのもよくわかった感はあるんです。

やりたかったわけじゃないんですけど、落語研究会に入ったことで・・・古典落語を見てると昔話とリンクする話が結構いっぱいあったので、落語から見る風俗とか習俗もあるんだなっていうのは、そのとき思いました。

そしたら落語にも興味を持ち始めったっていう。
民族的なもの、習俗的なものがすごく気になるんだと思います。

ポンプ:
落語から来る習俗ってどんなものが見つかったんですか。

石竜伊都 :
江戸落語が多かったんですけど。長屋で暮らしてるのが一般的だったんだっていうのはいっぱい出てくるんですよ。それとか共同体で暮らしてたとか核家族だったんじゃないみたいな。あとどんな道具を使ってたとか、どんな仕事があったとかそういうのも残ってるので、あれはすごいなと思います。

落語が出来たときの生活感だったりとか、人の考え方みたいなものもこの中に入ってるんだっていうのは思いましたね。

ポンプ:
例えば伊都さんにとって、ご結婚っていうイベントだったりとかお子さんに出会うイベントっていうのは、どういった影響がありますか。

石竜伊都 :
他人と暮らすって本当大変だなっていうのを。主人は他人なんですよね、どう頑張っても。だけど子供はやっぱり自分が産んでるので。
他人だけどもうちょっと自分に近い感じがあるし・・・この弱い者たちを、大人になって暮らせるまで看なきゃいけないっていう責任感みたいのは感じますし。責任感だけじゃないですけど、大事にしていかなきゃいけないっていうふうには思って接してるんですけれど。

ポンプ:
お子さんとのそういった関係性が新たに発生したことに対して、伊都さんはどんな心持ちになったんですか。変化みたいなものって何かありましたか。

石竜伊都 :
考える間もなく、って感じですかね。ちょっと目を離したら赤ちゃんって、すぐ死んじゃうんで。
だから子供たちが小学生上がったぐらいから落ち着いたかなっていう感じではあるんですけど。それまでは考える間もなくとにかく死なせないようにしなきゃっていう。
この子たちを生かさねばっていうふうに、とにかくやってたっていう感じなんで、あんまりそうですね・・・改めて考える間はなかったですね。

未来:本当の意味での調和ってそこから生まれるんじゃないかな・・っていうのは思って。それができる世界であってほしい。

ポンプ:
マヤの研究が伊都さんのアイデンティティになっている印象があるんですけど、その研究を続ける先は、どんなふうになっていると良いですか。

石竜伊都 :
神聖暦とか、マヤのカレンダーっていうものがもっと正しく認識されてるといいなと思うので、ちゃんと伝えられるようになりたいなとは思ってます。
今広まっちゃってるマヤ暦っていうのがオカルトブームに乗っかった全く別のものであって、マヤ文明とマヤ人と全然関係のないものなんですよね。
それがマヤのものじゃなくて。こっちだよっていうのは正しく伝わるといいなとは思ってます。

ポンプ:
正しいことが伝わると、どうなると思いますか。

石竜伊都 :
マヤの人たちに対して失礼ではなくなるかな・・・少なくとも。
1つの文明のもので、そこから生まれたものなので、そこは切り分けて知っといた方が、礼儀かなっていうのは思ってたりはするので。

ポンプ:
研究にある程度、ゴールが見えてきたってなったときに、その次は伊都さん、どうされますか。

石竜伊都 :
次は私は日本の歴史を知りたいと思ってます・・・。
それこそこの間、終戦記念日でお昼にサイレン鳴ってたんですけど。
うちの子供達、「何このサイレン」って顔してたんですよ。
「ちょっと待って!今日、なんの日よ!」って聞いたら「今日は夏休み・・・」って感じだったんです。
終戦記念日って言葉が出てこないんだ!と。そういうのは問題じゃないのかなとは思ってて。

ポンプ:
どこに問題があると思いますか。

石竜伊都 :
戦争があったって事を知らない。ってことは日本の歴史っていうものをちゃんと知らないんじゃないかな。民族が歴史を知らないっていうことは自分たちを知らないっていうことなのですごく問題があると思ったんですよ。
そこをちゃんと知って伝えたい。
マヤの歴史を知らないっていうのを・・・・まあ私たちはマヤ人じゃないので別に知らなくてもいいんですけど・・間違ったものが伝えられるっていうのは・・・民族もそうだし個人のアイデンティティっていうものも正しく伝わらないんじゃないかなと思ってるので。

ポンプ:
歴史を知らないことに対しての伊都さんの危機感は、どこから生まれてるんですかね。

石竜伊都 :
どこから来てるんだろう。いま流行ってるボーダーレスな世界ってのは気持ちが悪いなっていうのは思ってるんですよ。
差別じゃなくてそれは区別しなきゃいけないところじゃないかと・・。民族っていう固有のものがいろんなところであるから、世界っていうのが調和して成り立ってるんだって。

金太郎飴みたいにみんな一緒くたにしちゃったらそれは世界じゃないんじゃないか。調和もしてないんじゃないかっていうのは思ったりしてるので・・・そこですかね。

ポンプ:
仮に自分たちのルーツに関して伊都さんが納得できるようなものが得られたとするとどうされますか。

石竜伊都 :
どうするかなあ。自分で終わらせる、じゃなくて伝えていかなきゃいけないと思いますよね。本が残ってるとか、お話が残ってるとかって、伝える必要があるから残ってるんだと思うんですよ。

だからそこで終わるんじゃなくってちゃんと伝えてって、自分たちのルーツだとか、歴史とかあり方とかをきちんと知ることで、正しく民族って立っていけるんじゃないかなと思ってるんですよね。

自分たちがこうだけど、そうじゃない国の人たちはどういう文化で、どういう土壌で育って・・・だからそこは理解し得ないけど、あなたはそうなんだねっていうことも理解してあげられるっていうか。
受け入れはできなくても認識することはできると思うんですよ。
本当の意味での調和ってそこから生まれるんじゃないかな・・っていうのは思って。
それができる世界であってほしい。
大きく言っちゃうとそうなんですけど。

単純に私の知りたがりが過ぎるというところはあるんですよ。
昔流行った、「なあぜなあぜ」がすごくよくわかる。なぜなんだって聞きたくなる気持ちはすごくよくわかる。だってわからなくて知らないことだから。

ポンプ:
なぜを追い求めても全く時間が足らない。っていう場合もあると思うんですけど、それに対して何か感じることありますか。

石竜伊都 :
仕方がないかなと。
出来る範囲のところまでやってくしかないし、それがいつ終わるのかどこまでやれるのかをやってみないとわかんないんで、
最終的にはわからないまま亡くなることになったとしたらそれはしょうがないから後の人よろしくって。ここまでしかできなかったのでお願いしますって言って。

ポンプ:
後の人っていうのは、具体的にどなたですか。

石竜伊都 :
今はまだいないので。ただ私が認識してないだけで、もっと若い世代の方で気になってやってる人はいるかもしれないとは思ってて。
そこに繋がると良いなとは思います。こんなことやってた人がいたんだってWeb上に残しとけば、誰か見つけてくれるかもしれないし。
本みたいな形で出しとけば、そこに残るわけだし。

ポンプ:
改めて、伊都さんがいなくなるまでにこれだけやっておきたいみたいなのって、他に何かありますか。

石竜伊都 :
とりあえず今はそのぐらいですかね。あとは子供たちをちゃんと育てていきたいっていうぐらい・・・。

ポンプ:
ちなみにお子さんに意志を託すっていう選択肢はありますか。

石竜伊都 :
本人がやりたいと言えば・・・っていう感じですね。
別に興味なくて他のことやりたければ、全然そっちやってもらえれば良いなと思ってるので。
だって”やりなさい”はつまんなくなっちゃうと思うんで。
なので我が子にどうしてもやってほしいとかはないです。私が好きでやってることなので。

ポンプ:
逆に、お子さんに託したいものはありますか。

石竜伊都 :
日本人の歴史みたいなのはちゃんと勉強してっていうのはあります。そこは、あの特に戦争周りから・・・。
その辺はちゃんと・・・あれはどういう戦争で、何でそんなことになったのかっていうのはちゃんと、学校で教えてくれる嘘じゃなくて、ちゃんと正しいのを、自分で探りに行ってっていうことは言ってます。

ポンプ:
新しい全く違う分野から学ぶことってあるんですか。

石竜伊都 :
全く違う分野からはあんまりないっていうか・・・そっち(他の分野)で手を伸ばしてないからだとは思うんですけど。

でもマヤを学ぶことで、「ちょっと私、自分の国のことはあんまり知らなくない?」っていう思いは湧いてきたので。
マヤのことを学ぶことで、自分とか自分の国のことを考えてみるっていう思いが出てきたっていうのはあります。
日本の(勉強)やってマヤの(研究にヒントを得る)っていうのはなかったんですけど、マヤを見ていることによって自分の国のこと、自分自身のことにちょっと目が向くようになったというのはありますね。

ポンプ:
例えば日常生活から研究に対するちっちゃなヒントでもあったりしたことはないですか。

石竜伊都 :
占いとして入ったんですけど、予言をする使い方をしてないので。だから見つからないのかなっていうのはあります。

あとは社会情勢とか見たときにその人のその前の生まれた日のナワールっていうのを見て、占ってみるっていうことをするぐらいですか。
今だと、大きな選挙が世界中で行われている、その中で、選挙にでる人の流れや発言なんかをナワールでみて、今と未来を考えるってことはありますけど。

ポンプ:
ナワールという占いで、今の現実に対するヒントをもらえていたっていうことですね。

石竜伊都 :
でもこれは私の妄想かもしれないって思っちゃうので、あんまり占い師としては駄目なんだろうな・・・・・笑

ポンプ :
最後に言い残したことはありますか。

石竜伊都:
そうですね・・・マヤ暦っていう言い方自体が間違ってるっていうところから疑問を皆さん持ってくださるといいなって思います。本当のマヤにもちょっと目を向けてもらえたら嬉しいなとは思ってます。

あとがき

最近のインタビューが占いに関する方が多く、不思議なご縁だなーと思ってたら
無名人のオーナーが意図的に振り分けてたっていうことだったんですけど、それもまたご縁ということで。

マヤ文明が現在のグアテマラで興ったというお話を聞いてちょっと脱線なんですが。

自転車メッセンジャーの世界大会があることはみなさんご存じでしょうか。
いつから始まったのか、ちゃんと調べていないのですが2009年に初めて日本で開催されて、場所は東京お台場ということで僕はご縁があってボランティアスタッフとして参加しました。

イベントの内容は(本来これが主なんですが)置いといて、次回の開催地がグアテマラだったんですが、その突拍子もない場所にしばし魂を抜かれたような気持ちになりました。

僕はメッセンジャーじゃないので別にいいんですけど、レースに参加する人たちっていざグアテマラまで行くのか!と思ったんですが見渡すとバイタリティ溢れる人たちばかりで
次はグアテマラやい!なんつってもう来年のイベントに向けて奮起している様子を思い出しました。

で結局、振り出しに戻っちゃうんですがグアテマラってどこですか(すいませんすぐ調べます)

・・脱線から戻りまして、伊都さんの「内省のための占い」。

まだよく分かってないけど何故か、素敵だなーとぼんやりしました。

【インタビュー・編集・あとがき:ポンプ】

#無名人インタビュー #インタビュー #占い #マヤ暦 #スピリチュアル


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