マジックも小説も僕の中ではやることは変わらない人
むかしむかし、ある村に、幻語(げんご)という名の若者がいました。幻語は不思議な才能を持っていました。マジックを披露するのも、物語を語るのも、彼にとっては同じことだったのです。
村人たちは最初、幻語のことを理解できませんでした。「マジックと物語が同じだなんて、どういうことだ?」と首をかしげていました。
ある日、村に大干ばつが訪れました。作物は枯れ、人々は希望を失いかけていました。
そんなとき、幻語が村の広場に現れ、こう言いました。「皆さん、私の話を聞いてください。そして、目で見てください」
幻語は物語を語り始めました。それは、干ばつに苦しむ村が、やがて豊かな実りを取り戻すという物語でした。彼の言葉は生き生きとしており、まるで目の前で情景が繰り広げられているかのようでした。
そして突然、幻語は手品を始めました。彼の手から水が湧き出し、枯れた植物が蘇るかのような錯覚を村人たちに与えました。
村人たちは幻語の演技に引き込まれ、希望の物語を心に描きながら、目の前で起こる「奇跡」に息を呑みました。
幻語の公演が終わると、不思議なことが起こりました。村人たちの心に希望が芽生え、みんなで力を合わせて drought に立ち向かう決意が生まれたのです。
彼らは新しい井戸を掘り、水を大切に使う方法を考え出しました。幻語の物語とマジックが、村人たちの imagination と創造力を刺激したのです。
やがて、村は干ばつを乗り越え、以前よりも豊かになりました。
後に幻語はこう語りました。「マジックも小説も、人々の心に wonder と可能性を植え付けるもの。現実を変える力を持っているのです」
そして「言葉の魔法、目の魔法、心を動かす」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月12日23時23分に書く無名人インタビュー911回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは ヤマギシルイ さんです!
年齢:不詳
性別:男性
職業:マジシャン
instagram:https://www.instagram.com/cafe_bar_magic/
現在:マジックも小説も結局「自分の理想を形にする」っていうのが楽しいんですよ。
ミミハムココロ:
今、何をしている方でしょうか?
ヤマギシルイ:
プロマジシャンです。もっと正確に言うと、個人事業主……社会的には飲食店経営者ですね。いま、わざわざ「社会的には」と限定したのは、子供の頃から「仕事って何だろう」みたいな疑問があったからで。「その人は何者か」という質問はイコール「その人は何の仕事をしているか」という意味になるのが一般的ですけど、仕事ってたまたまそのときの社会的に認知されている本人の一側面に過ぎなくて……とか面倒臭いことを考えちゃう。「何をしているか」に対して率直に答えると、僕はただ好きなことをやっているだけなんですけど、たまたま好きなことがいっぱいあったからそれを全部やって、その中で生計を立てやすかったのがマジシャンで、その土台として自分の飲食店を持つのが僕の場合は向いていたっていうだけですね。
ミミハムココロ:
マジシャンの方は具体的にどういったことをされてるんですかね。
ヤマギシルイ:
自分の経営している飲食店がマジックバーで。正確には「マジックの見れるカフェバー」。四年半ほど前、二〇二〇年の二月に独立して、金沢駅から徒歩五分ほどのところに開業して。そこのお客様にマジックをお見せするのが一番多いですね。その他に、イベントに出演したりパーティーに呼ばれたりでお店以外で披露することもあります。
ミミハムココロ:
始められたきっかけとかは。
ヤマギシルイ:
マジックですか、お店ですか? どっちから喋りましょうか。
ミミハムココロ:
そしたらじゃあ、まずマジックで。
ヤマギシルイ:
マジックは……最初の記憶は多分三歳くらいですね。二歳上に姉がいるんですけど、自宅でマジックを見せてくれて。ハンカチにマッチ棒を入れて畳んでパキンと折って、ハンカチから出すと折れたマッチ棒が元に戻っていて……それを見て「本物の魔法だ」と思って。姉は子供向けのマジックの本でそれを覚えたんですけど、自分から頼みこんで訊いたのか、もしくはその本をたまたま見ちゃったのかは記憶があいまいなんですけど。種を知ったときにすごく幻滅したんですよ。僕が期待したのは本物の魔法のやりかたであって、どんなふうに準備して、裏側で実際に何が起きているか、そんな無味乾燥な現実を知りたいわけじゃなかった。
それで誰も悪くないのに、裏切られた、騙された、マジックなんか嫌い……というか警戒しちゃう感じになっちゃって。マジックって演劇の一形態なんですよ。演じている役が死んだときに「死んでませんから」って俳優さんが言わないのと同じで、マジシャンも「タネがあります」とは言わないけど、ただ、演劇と違って、マジックはどこまでが本当で嘘かわからない。だから子供の僕にとってはすごく胡散臭いもの、嘘で塗り固められた不誠実なものに見えちゃった。それでずっと斜に構えてたんですけど。一〇歳ぐらいの頃、テレビでイリュージョン、デビッドカッパーフィールドという今でも現役でラスベガスでも活躍してるマジシャンが出てきて。「自由の女神を消す」というマジックがあって。それで……価値観が根底から変わっちゃって。
たまたまそのタイミングで……僕は石川県の白山麓出身なんですけど、地元の図書館が新しくできて、行ったらマジックの本があって、それでマジックを始めました。当時はYouTubeとかもなかったから、ずっとそうやって本だけでマジックを覚えて。当然、最初は趣味というか、あんまり人には見せなかったんですよ。練習ばかりして。「自分の理想を形にする」っていうことが楽しかったんです。だから、それを人に見せて喜ばせてっていうのが目的じゃなかった。そうやって自分のためだけにずっとやってたんですけど、色々あって今は仕事になってます。
ミミハムココロ:
次は、飲食店の方も。
ヤマギシルイ:
父親が飲みに行くのが好きで。一〇歳ぐらいの頃にマジックバーに連れて行ってもらったことがあるんですよ。当時はそのあたり寛容な時代で。それが生まれて初めて見るプロのマジックで。マジックバー以前に「バー」って行ったことのない人にとってはすごい敷居が高いものだと思うんですけど、そんなこともあって僕にはむしろ憧れの場所というか、原風景なんですよね。大学生時代もバイトは夜の飲食店だったんですけど、大学を卒業して県外に就職したけど転職して金沢に帰ってきて、平日の日中はサラリーマンをしつつ、夜や土日にマジシャンをするみたいな二重生活をしている時期があって。
その時期で出演したイベントで、とある飲食店経営者のかたに出会って。その人が「新しくお店を作りたい」と。その人自身もマジックをやる人で「二軒目はマジックバーはどうだろう」と漠然と思ったところに僕と出会って。意気投合して、僕もサラリーマンを辞めて、その人が新しく作ったマジックバーをいきなり一軒まるごと任されることになって。カウンターだけの、一〇人しか座れないその小さなマジックバーを二〇〇九年一〇月から二〇一九年末までの一〇年ちょっと続けて。二〇二〇年に独立して、金沢駅前エリアに移転して、ワンフロア丸ごと使える広いテナントでゼロから内装を作って、それなのに開業したタイミングで新型コロナウイルスが世界中に蔓延して……ひとまずお店を作った経緯としては、そういうことですね。
ざっくり説明しましたけど、なにか追加の質問とかあれば。
ミミハムココロ:
先にですね、お仕事以外の時間は他に何かされてますか?
ヤマギシルイ:
読書と執筆ですね。
ミミハムココロ:
読書と執筆。
ヤマギシルイ:
子供の頃から小説が好きで。中学生くらいの頃に初めて「自分でも小説を書いて本にしたい」と思って。結局、最初に短編小説を書くことができたのは一〇年前くらいなんですけど。いま……というかこの一〇年くらいは長編小説を書くために、仕事と家族とのの時間以外のすべての生活を、ずっと読書と執筆に充ててますね。最初に「何をされてるかたですか」って聞かれた時に言い淀んだのは……いま小説家としての社会的な実績はゼロですけど、自分自身の認識としては、僕は小説家なんですよ。僕の中でマジックと小説の境目っていうのは全然ないんですよね。テレビみたいなものです。チャンネルを変えると映るものが変わるけど、でもテレビ自体が変わるわけではない。マジックと小説は、表現手段、出力のチャンネルが違うだけで。
ミミハムココロ:
小説は書いていてどんなところが楽しいんですかね。
ヤマギシルイ:
推理小説、本格ミステリが好きで。小っちゃい頃からいっぱい作品を読んでいく中で、自然と自分でも新しいトリックを思いついて。それはマジックの知識や経験があるからトリックを作りやすいかったんでしょうけど、それでトリックだけがいっぱい溜まっていっちゃって。
というのは、それをいざ小説にしようと思うと、人と人の関係、ドラマを作らないといけないわけで。「どうやったら人間を活き活きと描けるか」みたいなところを長年ずっと悩み続けてきていて……ただ、その悩むこと自体は最高に楽しいですね。悩みといっても目的地が明確だから、苦しいのは苦しいけれど、絶望的に苦しいわけじゃない。ただ到達できないだけでゴールは明確にそこにあるのが見えている。マジックも小説も結局「自分の理想を形にする」っていうのが楽しいんですよ。マジックは自分の理想を作品にできているし、できていないものも時間や予算が必要だから着手していないだけで、なにをどうやれば作品になるかはもう知っている。でも小説はまだ、なにをどうしたら自分の理想を作品にできるか未知の部分が大きくて、だからこそ燃えるんでしょうね。
ミミハムココロ:
そのマジックバーと小説家で言ったら、小説家の方が燃えているという。
ヤマギシルイ:
一般的には「人を楽しませるのが好きでマジックを始めた」みたいなマジシャンが多いんでしょうけど、僕が好きだったのは自分の理想を形にすることだったから、むしろ「マジック見せてよ」とか言われたら「恥ずかしいし無理」という感じで。一旦、一般企業の一般職を経てマジシャンになったんですけど、仕事について模索する中で「自分の能力で他人にとって価値のあるものはどれか」を見極めて、それでマジシャンになったから「自分が楽しいからやる」という段階はとっくに通過していて、だから、いまはマジックは「お客様のためにやる」のが楽しいですね。理想の追求が終わっていたことで、お客様とのコミュニケーションに専念できる状態に、結果的になっていたのが大きかったなと。頭の中で作ったものって、机上の空論だけにある意味では完璧なんですけど、それを実際にお客様の目の前に立ってマジックを演じて、お客様の表情や反応を見ながら臨機応変に微調整したり、場合によっては崩しちゃったりするのがものすごく楽しいですね。あれ、質問なんでしたっけ?
ミミハムココロ:
あ、いえいえ。全然合ってます。
ヤマギシルイ:
マジックはライブパフォーマンスだから、同じ時間、同じ場所で同じ体験を目の前のお客様と共有するわけで、それが「強い」んです。配信や記録映像において、これはどうしても失われてしまう。カメラやディスプレイの存在以上に、そもそも同じ時間に同じ空間にいないわけですから。ライブには絶対条件があって、それは「私とあなたが同じ時代を生きている」ということなんです。この世界に生を受けて、生きているのはそれだけで奇跡で、つまり私とあなたが出会うのは奇跡をも超越している。だからライブが強いのは当然なんですよ。人と人が会うこと自体が強いわけですから。
一回性、その場かぎりであることに価値があって。僕が死んでしまったら僕のマジックは永遠に……映像に残すことはできたとしても、ライブパフォーマンスとしての僕のマジックは永遠に失われるわけです。すべての人間は、過去にも未来にも二度と存在しない複製不可能なものだけど、でも、小説は複製可能だから、時空を飛び越えて存在することが可能で。
マジックって花火みたいなものなんですよ。映像の花火大会も見るのももちろん綺麗だけど、やっぱり実際に会場に行って、火薬の爆ぜる匂いとか、その音が空気を震わせてお腹の底に響く気持ち悪さとか、ずっと夜空を見上げた首の疲労感とか……その「肉体的経験性」のようなものこそ鑑賞行為の本質であるわけで。
一回性だからこその価値があるんですけど、反対に、その儚さがやはり寂しくもあって。小説だと僕が死んでもこの世界に残る可能性がある……そこに、そうですね、そこに価値というか、マジックとは違ったやりがいを感じますね。
ミミハムココロ:
今マジックバーと小説家ふたつ続けられてるんですけれども、今の生活で何か不満とかはありますか?
ヤマギシルイ:
一切ないですね。好きなことを好きなだけやっているから……強いて言うなら、二〇二〇年二月に独立して開業したタイミングでコロナ禍が始まって……給付金を申請したり、貯金を切り崩したり、付加価値を追究した上で価格改定したりで経営を建て直して、去年やっと設立当初に想定してた目標値に売上が届いて「やっと最初のスタートラインに立てたなあ」とか思ってたんですけど。
今年の元日に能登半島地震があって、一月、二月の売上がほとんど蒸発……一〇〇万円単位の損失が発生して。コロナ禍みたいに補償があるわけじゃないから、だから今年は単純計算でその売上減はマイナスで。そういう「経済的にもうちょっと安定したらいいな」は思いますけど、でも、それは飲食業で独立した当初から想定内だからなあ。売上が安定してほしいというのは不満じゃなくて願望なわけで。
小説を書くにあたっては、自分の能力の足らなさ、自分の理想になかなか到達できなくて、そういう意味で自分自身に対する不満……というか怒りはすごくあります。こればっかりは他人や環境のせいにはできないし。そもそも自責思考じゃないと個人事業主はやっていけないんですけど。だから周囲や現状に対する不満は皆無ですね。自分に対する不満ばっかり。ただ、そもそも不満だという認識ですらないというか、不満というのはなんらかの不足を意味しているわけで、だからまず何が足りないかを見極めて、それが補えるならそうすればいいだけ。たとえば自分に能力がない場合は、その能力を身に着けるか、他人に能力を提供してもらうか、もしくは、いまの能力で可能な方法を模索するか、もしくは目標自体を変更するか。その四択しかないはず。僕は自己研鑽が好きなので一番目と三番目で解決することが多いですけど。
ミミハムココロ:
マジックバーでも小説家の方でもいいんですけど、同じような職業の他の方との交流とかは結構あるんですか?
ヤマギシルイ:
小説関係の友人の方が多いですね。マジシャンは自己主張や闘争心が激しい人が多いのと……マジシャンはプロとアマチュアの垣根がすごく低いんですよ。ミュージシャンと似てて、楽器が演奏できれば誰でもミュージシャンなのと一緒で、マジックができるなら誰でもマジシャンを自称できちゃう。どちらも実力社会ですけど、だからこそ、たとえば音楽だと下手をするとミュージシャンじゃない一般人から「あいつ音痴だよね」みたいな言われかたをされちゃったりするわけで、それも同じかな。実力がすべてで、しかもその実力を客観的に保証するのは難しいから、俗にいう「マウントを取る」ムーブが多い。自分の実力や成果で自分の承認欲求を満たせられない人は、口先でそれを満たそうとし始めるんですよね。そのほうが楽だから。
違う点を探すとすれば、プロマジシャンは個人事業主の割合が圧倒的に多いですけど。音楽の世界にはレーベルや事務所がありますよね。まあ今はCDの時代じゃないから、昔ほどメジャー配給に権威はないのかもしれないですけど。現在の僕を音楽に例えるなら、自分の個人事務所からセルフリリースしているような状態なんですよ。何の後ろ盾もない。
その状態だと自分でお店を経営して、業界の賞を戴いたり、海外で実績を上げたりしても、「あんなお店すぐ潰れる」「審査員を買収した」「実績を盛っている」みたいなことをすごく言われやすい。まあこれは人気商売の業とか性のようなものですけど……マジックは秘密を扱う仕事だから、よほど親しくないと裏側の話はできないんですよ。学生の頃にアイデアの盗作騒動に巻き込まれたことがあって。だからアイデンティティを確立していないマジシャンとは距離を置かざるを得ないんですね。じゃないとマウントを取られるか、真似されるかで、確実に嫌な思いをすることになる。いや、本人のアイデンティティじゃなくて、僕に対して一定の尊敬があるかどうかなのかもですけど。まあ、基本的に自宅と職場の往復ばかり、それ以外は執筆と読書ばかりだから、そもそもあんまり人と会わないんですけどね。無理に増やさなくても学生時代や小説関係の友人がいるので、それなら自分の時間を大切にしたい。
小説は……僕は本格ミステリが好きなんですけど、推理小説はネタバレ厳禁だからSNSとかに感想を書きづらい。地元にミステリ中心の読書会があるんですよ。「来月はこの作品の読書会をやるから、例会の日までにこれを読んできてね」というかたちで課題所が決まっていて。そこに集まった人は全員その本の内容を全部知ってるから、ネタバレOKで自由に語れる。その例会が毎月あるから、どれだけ忙しくてもそれには参加して、だから小説を書くというよりも読書つながりの友人が多いかな。
マジックも小説も「どこからがプロか」が話題になりやすいんですよね。小説だと商業出版……自費出版じゃなくて、出版社が本にしてくれてそれを書店が売ってくれてっていう状態がひとつの目安ですけど、その場合でもたとえば「数年前に商業出版の本を1冊出したきりの人はいまプロなのか」みたいなことを言われたり。これに技術論みたいなものがからむと、もう地獄ですよ。「プロだけど下手なマジシャンと、アマチュアだけど上手いマジシャンは、どちらが上か」みたいな不毛な議論……議論未満の口論がSNSでもオフラインでも毎日のようにあちこちで発生している。
僕の結論はすごい明確なんですよ。プロフェッショナルという言葉には「職業」と「専門家」の二つの意味があるけれど、まず後者であることを客観的に担保する制度や数値はないので、これを無視します。乱暴ですけどね。そうすると「職業」としての意味だけが残る。最初に「社会的には」という表現をしましたけど、つまり反対に言えば、その人の職業である、プロフェッショナルであるというのは自分が決めることじゃない。社会が決めることなんです。これを客観的に判断する基準はあるか……あるんですよ。日本国憲法にある三大義務は、教育の義務・労働の義務・納税の義務ですけど、後者二つはほとんどセットと言えて……つまり「納税しているのがプロ」が僕の結論ですね。本業が別にあって、マジシャンは副業という方も相当数いらっしゃるんですけど、謝礼を合算して年間二〇万円を超えれば納税の義務が発生するわけですから、その場合、その人は立派なプロマジシャンということになる。ちゃんと納税すればですけどね。反対に言えば、どれだけ稼いでも納税していなければプロじゃない。
過去:社会人になってすぐくらいの頃は「普通にならなきゃ、普通にならなきゃ」みたいなプレッシャー、自分に対する強迫観念みたいなものがものすごいありましたね。
ミミハムココロ:
振り返ってですね、自分ってどんな子供だったなと思いますか?
ヤマギシルイ:
変な子供でしたね……むしろ自分から変な方向に行ったうというか。「普通だ」って言われるのがすごい嫌で、だから変なことばっかりしてましたね。いたずらっ子というか……たぶん構ってもらいたかった。寂しがり屋なんでしょうね。あと、三歳ぐらいから文字が読めたんですよ。ずっと子供の頃から本ばかり読んでて。放任主義の両親が言うには、その点では子育てが楽だったみたいで。テレビの前に座らせておけば何時間でも集中して見てたから、手をわずらわされることがなかったらしくて。いまでも過集中の気がありますね。仕事をしていたら時間があっというま。
だからか子供の頃からすごい目が悪くて。だから球技が苦手でしたね。昔からインドアなんですけど負けず嫌いだし、過集中だから変な持久力があって、あとは変なところで鈍感というか、苦しみに対する耐性があると思うんですよ。痛みに対してはむしろ弱いくらいなんですけど。だからマラソンとか体力テストの成績は悪くなかったんですけど。瞬間的な身体反射を要求されるものがダメなんですよ。焦る状況に追い込まれるのがすごく苦手で。シューティングゲームとか格闘ゲームとかすごく弱いんですよね。マリオとかマリオカートとかも下手くそ。あと平行感覚が求められることが苦手。バランスを取るのって身体反射の連続ですからね。中学生になるまで自転車に乗れなかったんですよ。田舎だから自転車がないとどこにも遊びに行けなくて。あと、たまたま田舎のその集落に自分の同級生がいなかったんですよ。一つ上とか下にはいたんですけど。
そんなこんなで結果的に一人でいることが多かったのかなと。四人兄弟なんですけどね。それで変であることが許容されてしまったというか。「普通」って言われるのが嫌でずっと変なことやってて「空気が読めない」と思われていただろうけど、むしろこっちからずらしちゃうんですよ。「普通」を理解しているが故にしたくないというか。ひねくれているというか、周りから求められてることに対して、ちょっとあえてずれたことをやるみたいな子供でした。
だから就職や仕事では苦労しましたね。社会人になってすぐくらいの頃は「普通にならなきゃ、普通にならなきゃ」みたいなプレッシャー、自分に対する強迫観念みたいなものがものすごいありましたね。でも今は反対になくなっちゃったかな。むしろ小説やマジック、創作の世界では、類型的な発想は徹底して避けないといけないので、逆に今は「なんで普通のことしか思いつかないのか」みたいに思うことのほうが圧倒的に多いですね……まとめると、子供の頃はとにかく変な子でした。そのまま大人になっちゃいましたけど。
ミミハムココロ:
マジックは一〇歳の頃に出会ったんですよね。
ヤマギシルイ:
そうですね。正確にいうとその頃に初めてマジックを覚えました。
ミミハムココロ:
学校とかで誰かに見せたりはしてたんですか?
ヤマギシルイ:
小学生の頃って学芸会というか……お楽しみ会みたいな時間があったと思うんですけど、そういう時にやったりはしましたね。でも、それ以外は特にしなかった気が。トランプって要は遊び道具だから、学校に持って行くのはあまり歓迎されなかったと思うし、まあ機会があればやろうかなっていうぐらいだったかなと。
実家が鉄工所なんですけど、工場の隣にネジとか配管の部材とかを売っている店舗スペースがあって、それがリビングとドア一枚で隣り合わせで。田舎だからいきなりガラガラってドアが開けて知らない大人が「これ欲しいんやけど」って。そのせいか、子供のときからずっと、面識のない大人の人と喋るのがすごい苦手で。だから取引先の人なんかが来ると、両親は「ちょっとマジック見せてあげなさいよ」という話になるんですけど、すごいそれが嫌で。こちらの事情を聞かないまま、なにかを強制されるのは今でもすごい苦手ですね。
だから電話も怖かったんですよ。学校から帰ってきて、夕方、家にいると電話が鳴って。たまたま大人の人が全員出払っていたりすると、僕が取るしかなくて。そうすると、いきなり知らない人から部品の注文がどうとかバーっとまくしたてられて。相手の顔が見えないから余計に恐くて、それなのに父親が帰ってくると、用件とちゃんと聞けって怒られて。だから初対面、特に年齢が上の人と喋るのはずっと苦手だったんですけど、二十六歳でいきなりマジックバーの責任者になって、一人で店頭業務全般をすることになって、そうなると毎晩のように初対面のお客様と会話することが避けられないわけで。最初は雑談とか世間話とか全然できなかったのに、色々な失敗とか試行錯誤をしながら続けている間に、反対に、今は知らない人と喋るのがすごく楽しくなっちゃって……あれ、質問なんでしたっけ?
ミミハムココロ:
質問は、マジック学校で見せたりするのかなと思って。
ヤマギシルイ:
うん。だから機会があるときにだけ、という感じでしたね。
ミミハムココロ:
中高とかで部活に入ってたりしましたか?
ヤマギシルイ:
中学校、部活は強制加入だったんですよ。田舎だから一学年一クラスしかなくて、世代によっては一学年数人しかいなくて。男子は野球部、女子は卓球部しかないから、全員入らないと部活が成立しなくて。それでも僕くらいの頃から子供がだんだん減ってきてて、僕が中学一年生の夏までは野球部だったんですけど、夏の大会後に野球部がなくなってバレーボール部に変わって。当然、バレー部も強制参加で。
高校に行ってからは小説の影響もあって「音楽したいな」と思って。高校は進学校だったんですけど、軽音楽同好会があって、そこに入って。三年生の時には部長もやりました。同好会なんですけど、校舎の特別教室棟の最上階の、いわば学校の僻地に部室、ドラムやアンプが置いてあるスタジオがあって。みんなで相談して「何曜日のこの時間帯はこのバンドの練習時間」みたいなタイムテーブルがあって、好きな先輩の練習時間に遊びに行ったりして。バンドメンバーの中学生時代の友達、学外の友達もできて、学外の活動、わりと夜だったんですけど、ライブハウスに出たりとか。好きなことばかりやってきたっていうのはそういうことですね。美大に行くくらいだから子供の頃から絵が上手くて、音楽もやって、マジックもやって、いまは小説も書いて。とは言ってもすべて得意だったわけじゃなくて。学生時代は作曲とか映像制作とか、手が出せそうなものを片っ端からどんどん試して、うまくいかなかったことは自然と遠ざかって、たまたま残ったのがマジックとか小説っていうのが自分の感覚なんですよね。
ミミハムココロ:
先ほどなんか「学生の頃にアイデアを取ったり取られたりがあった」っておっしゃってたんですけど、これはどういう。
ヤマギシルイ:
マジシャンと一口にいっても、色々な立場があって。さっきみたいに音楽に例えるなら、まず作曲者がいて、それとは別に演奏家がいて、たまたま作曲者と演奏者が一緒だったらそれはシンガーソングライターと呼ばれたりしますよね。
マジックでも「マジックを演じるのは苦手だけど考えるのは得意」みたいな人、音楽でいう作曲者みたいな人がいて、マジックの場合は「クリエイター」と呼ばれて。クリエイターは、マジックの道具や教材を販売したり、教室を主宰して収入を得る。つまり音楽の世界では作曲家だったり楽器制作者だったり音楽講師だったりになるわけです。一般的に「マジシャン」というのは、音楽における演奏家や歌手、つまり「パフォーマー」としての意味になるし、僕もできるだけその意味でマジシャンという言葉を使うけど、不思議なことにマジックの世界ではパフォーマー以外もマジシャンと認識されていたりする。
それで、高校生の頃から金沢市内の社会人サークルに参加するようになって。それはその主宰者に誘われたからなんですけど、僕が大学生の時、その人が僕のアイデアを自分の作品として発表……教則本として販売しちゃったんですよ。多分悪意がないというか、その人は自分で考えたものだって誤解しちゃってるっぽいんですけど、それでも事前に許可を得るなり、議論が平行線になったとしても。たとえば連名にするとか色々と方法はあったはずで。そういった抗議を一切受け入れてもらえなかった。それで縁を切りました。その時点で一〇数年の付き合いがあったけど、その間に溜まっていた不満がその一件で噴出しちゃった。以来ずっと秘密主義ですね。同業者に対して自分の秘密は絶対に明かさない。僕のリスク管理が甘かったのは事実だから。
ミミハムココロ:
家族、親からはどういうふうに育てられたなとかはありますか?
ヤマギシルイ:
完全に放任ですね。頭の回転が早くて勉強しないでもできちゃったタイプの子だったから、宿題とか一切やらなくて、それはすごく言われましたけど、頑固な子供だったから何を言っても聞かないし、言うとむしろ反発してろくでもないことをし始める。だから放任でしたけど、そのぶん好きな事を何でもやらせてくれて、それはすごく感謝しています。つまり、ものすごく甘やかされて育てられた。これはすごく恥ずかしいんですけど……僕、小学生に上がるぐらいまで自分で着替えができなくて。好きなことばっかりやって言うことを聞かないから、時間がくると母親が目に余って着替えさせてくれて。それくらい好きなことしかしないで育ちましたね。
ミミハムココロ:
覚えてるんですね、そんなの。
ヤマギシルイ:
自分の記憶はないんですけど、未だに親から「あんたすごい変な子で、自分で着替えもできなくて」みたいなことを言われるので……ずっと頭の中で「自分の好きなものを作るにはどうしたらいいか」と考えている生活をすごい小っちゃい頃からやってるんですよね。根がそれなので、やっぱり社会人とかサラリーマンには向かなかったですね。
ミミハムココロ:
一度なられたんですよね。
ヤマギシルイ:
うん、なりました……ええと、美大出身なんです。金沢美術工芸大学のデザイン科を出て……一浪で入って留年もして。三年生を二回やったんですけど……あれ、質問なんでしたっけ?
ミミハムココロ:
えっと、大学も行かれてサラリーマンも行かれた。
ヤマギシルイ:
僕、損切りが得意なんですよ。あるところまでは熱心にやるけれど「もうこれ駄目だなあ」って思うと、そこでパッとやめちゃう。変なところで諦めが良いというか、見切りをつけるのがすごい速くて。さっきの地元のマジシャンと揉めた件でもそうだし。美大でも同級生や先輩後輩にすごい人がいっぱいいて「デザインじゃ闘えないな」と思って。浪人してまで美大に入ったのに、あっさりと一般企業に就職して、派遣会社の営業マンになって。
そうそう。留年した理由っていうのは、僕、朝起きれなかったんですよ。それで必修の授業の単位を落としちゃった。再試験の日も起きれなくて、それで留年。今は良い時代ですよ。スマートフォンのスケジュールアプリがあるから。当時もスケジュール帳を買って頑張ろうとしたけど、スケジュール書くのを忘れるし、書いても見るのを忘れるし、そのうちにスケジュール帳自体をなくしちゃう。あとスマホと違って、紙のスケジュール帳は時間になっても起こしてくれない。
そういえば営業マン時代の最大の事件は、全社会議に寝坊したことで。当時は富山だったんですけど、起きたら東京で会議が始まっている時間で。直属の上司に電話したら絶句して「自分でなんとかしろ」って一言で電話を切られて。取り敢えず営業所に行って、飛行機の時間を調べたけど、全然本数がない。急行で越後湯沢から新幹線に乗り換えても三時間以上かかっちゃう。そこからが冴えてたんですけど、僕の仕事の鉄則は「キーパーソンを押さえること」で、会社の一番のキーパーソンは当然社長ですよね。だから会社の役員名簿から社長の携帯電話に電話して「申し訳ありません。さきほど起きました。午後二時過ぎに着きます」と直接報告。それから電車で行って。もう究極の重役出勤ですよね。新卒の平社員なのに。怒られるのを通り越して呆れられたから遅刻も事実上不問だったし、反対に「あれはファインプレーだった。俺ならできない」って社長に電話したのを褒められたり。
話を戻すと、そんな感じだから卒業自体が危うくて。だから「就職は後回しでいいや」って、まず卒業することに専念したんですよ。それで後回しにしてるうちに卒業しちゃって。だから就職活動は卒業式が終わってから始めたんです。「流石にやばい」と思って、急に色々調べて、でも当時はリーマンショックの後で氷河期だったから、入れるだけマシという状況で。どこに行ってもキツいんだろうと思って「一番給料のいいところでいいや」「もうブラックでいいや」と思って会社を決めたら、本当にブラックで。だから営業マンだったんです。そうやって選んだから。漠然と「とりあえず東京行きたいな」とだけ思っていたから本社採用のところを選んだはずが富山に営業支店を作るぞって話になって「立ち上げ要員で行ってくれ」って言われて。それで富山に半年だけ住んで。
ちなみに大学進学のときも第一志望は県外だったんですけど、そこは落ちちゃって第二志望の金沢美術工芸大学に行って。北陸から離れられないのは、きっとそういう星の元に産まれたんだなと。それで富山に行ったんですけど「新卒の新入社員を新規営業所の立ち上げ要員にするのか」っていうのは驚きましたね。設立数年目でなにもかもが勢い任せの会社でした。
さっき言った直属の上司……所長がいて、営業マンの僕がいて、もう一人、採用担当の人がいて。正社員派遣といって自社採用の正社員を派遣先に出向のようなかたちで派遣する。だから採用はいわば仕入みたいなものですけど、一週間ぐらいでその採用担当の人がいきなり辞めちゃって、所長と二人になって……所長がすごい良い人だったんですよ。社会人としての仕事のイロハはその人から学んで。例えば「報告は事実と意見を分けろ」とか。その所長と営業を分担して、僕は新規開拓営業をしつつ、採用の業務をすべて任せられて。北陸三県の名立たる企業すべてに飛び込み営業を片っ端からして、それはそれで楽しかったんですけど、やっぱり会社自体がブラックだったから……最終的に所長も辞めることになって「所長がいないなら僕は無理だな」と。その所長だからその状況で半年間も頑張れたので。
それで辞めて一旦金沢に帰ってきたんですけど。そこで所謂「新卒カード」を使っちゃったわけですけど、当時の僕としてはそれがすごい大きくて。余計に選択肢がなくなって、金沢で正社員で入れる会社を探して入ったんですけど、そこは零細企業だから直属の上司が社長。その社長のパワハラが酷くて、そこも半年くらいで辞めちゃった。深夜まで残業が続いたとかもあるし、仕事を辞める理由って人それぞれですけど、僕はきっと、自分を明らかに見下してくる人間とは一緒にいられないんだと思います。まあそれは誰でもそうでしょうけど。
さっき言ったマジックのアイデアを盗られたのは大学の時なんですけど、そこで「もうマジックいいや」ってなっちゃって。大学でも周囲がすごい優秀だから「デザインでもないな」「じゃあ一般職でいいか」って……いま考えると、そのときは損切りをしすぎたのかなと。好きなことをやっても嫌なことはあって、反対に好きじゃないことをやっていても楽しいことがあったりする。僕も営業マン時代に契約を取れたときとかはすごく嬉しかったし。結局、どの道を選んでも楽しいことと楽しくないこと、良いことと悪いことは絶対に両方あって。それだったら自分の好きなことを仕事にした方が、少なくとも嫌いなことをやらないで済むだけ、その分のストレスはないのかなと。反対に好きなことであるが故のストレスというものもあるけれど、基本的には好きなことの方がストレスは感じにくいと思うんですよ。
今でも、たとえば帳簿をつけるとか確定申告の書類を揃えるとか、そういう事務的なことって昔からすごく苦手なんですけど、でも個人事業主だから自分がやるしかないし、でも、いまは好きなことを仕事にしてるからストレスが少ないんだと思います。まあ、面倒臭いことに変わりはないけど……なんか長くなっちゃいましたね。
ミミハムココロ:
いえいえ、大丈夫です。
未来:だから僕の人生の一大事業になっちゃったし、アイデアのレベルとしては間違いなく本格ミステリの歴史にいつまでも残り続ける最強のトリックなので、世に出さないと死ねないです。
ミミハムココロ:
今から五年後とか一〇年後、あるいは最後死ぬところまで想像していただいてですね、未来っていうものに対してどういったイメージを持ってますか?
ヤマギシルイ:
間違いなく明るいですね。即答できます。
ミミハムココロ:
明るい。
ヤマギシルイ:
明るい。
ミミハムココロ:
なんでですか?
ヤマギシルイ:
それが僕の定義だからですね。僕は問題解決において、そもそもの問題の本質を探るために定義から始めることがすごく多くて。「良い回答は良い疑問から生まれる」という大学時代に知ったことを無条件で信じているところがあるんですけど、この「良い定義」にも定義があって、良い定義とは「少ない規定で多くの対象を包括するもの」なんですけど、だからこれは一種のパズルなんですよ。より少ないルールでより多くの物事をカバーできた方が勝ち、みたいな。だから定義を考えるのが好きというか、趣味というか。ああ、最初の「あなたは何をしている人ですか」の質問も「森羅万象を定義する人」とか答えればよかったかも。
それで「未来とは希望に満ちたものである」というのが僕の人生の定義なんですよ。「直線とは同一平面上の二点を最短距離でつなぐものである」と一緒で自明なんです。微塵も疑う余地がない。なぜならそう決めたから……って説明になってないな。希望とは何か、ということですよ。「希望とは可能性である」が結論で、そして可能性は常に未来に存在するもので。厳密に考えると、だからといって、常に未来に可能性が存在するとは限らないけれど……これはもうほとんど言葉遊びなんですけど、どんな未来にだって「可能性が存在する可能性」があるわけですよ。明日というものは常に新しくて、そしてすべての未来には必ず何らかの希望がある。
「すべての哲学の問いは『良いとはなにか』『悪いとはなにか』という定義論に帰結する」と思っていて。たとえば「人を殺すのは悪いことだ」とか「自由であるのは良いことだ」みたいに、すべての価値観というのは個々の評価軸の上で「良い」「悪い」を決めるわけで……そこで「じゃあなんで人を殺すのは悪いのか」「なんで自由なのは良いことなのか」みたいに質問を重ねていくと、すべての質問は「良いから良い」「悪いから悪い」みたいにしか言えなくなっちゃう。これが哲学の究極の設問だと思ってじっくり考えたら、数日くらいであっさり解答が出ちゃって。
たまたまいま「死ぬところまで想像して」とおっしゃいましたけど、個人における究極の悪いことは死ぬことですよね。だから人を殺すのは悪いし、自由であると基本的には生存率が高いはずだからこれは良いことになる。つまり「『良い』とは生に向かうベクトルであり、『悪い』とは死に向かうベクトルである」というのが僕の結論ですね。僕はいつ死ぬかわからないけど、未来のその時点で生きていたらそれは良いこと、幸せなこと、明るいことなんですよ。本気でそう思っている。希望とは信じることそれ自体で、だから、そう信じているから明るいわけです。
ミミハムココロ:
これやらないと死ねないなみたいなことは何かありますか?
ヤマギシルイ:
ありますあります。長編小説を書いて、出版社から商業出版することですね。
ミミハムココロ:
本にする。
ヤマギシルイ:
一〇年ぐらい前に思いついたトリックがあるんですけど。それを本格ミステリにして世に出すまでは死ねないですね。もうそのためにこの一〇年間を費やしていると言っても過言じゃなくて。先日、石川県立図書館……綺麗な円形の図書館がSNSでバズってますけど、そこで島田荘司先生っていう本格ミステリの重鎮の方が講演をされて、その司会、対談役を僕が務めたんですけど。
それで、島田先生が作家の卵に向けてアドバイスしている中で「アイデアのリストを作れ」って言ってるんですよ。思いついて「これは良いアイデアだ、絶対忘れない!」と思っても忘れたら終わりだから必ずメモしろって。そしてそのリストの中から、良いものから順番にコンスタンスに発表していかないとデビュー後は生き残れない」って。昔は小説が最も手軽な娯楽だったわけですけど、ケータイやスマホが普及してからは音楽や映像といったマルチメディアに市民権が奪われて、それでまず雑誌が売れなくなった。昔、本の価格が安かったのは、雑誌を送るついでに一緒に送ることができたからなんです。週刊誌だと毎週、月刊誌でも毎月必ず新刊を送るわけで、そこに本の配送コストを転嫁できた。手軽でもないうえに、だんだん価格は高くなる。今は小説が売れない時代なんです。
そんな中で生き残っていくには安定して良い作品を連発しないと……今は新人賞を獲ってデビューしても二作目が売れないと、もう出版社から見切りをつけられちゃうくらいらしくて。デビュー作、その次、三冊目……全部ちゃんと売れないとデビューしても意味がないから、アイデアのリストを作って。しかも良い順番に出さないと駄目だってことを言ってて。僕の場合は一〇年前に閃いたこのトリックを物語にする、その実力がなくて……だからこの一〇年間、色々なことを試しながら準備をして小説家としての底力を蓄えてっていう状況でしたね。だから僕の人生の一大事業になっちゃったし、アイデアのレベルとしては間違いなく本格ミステリの歴史にいつまでも残り続ける最強のトリックなので、世に出さないと死ねないです。
ミミハムココロ:
それはちなみに世に出せそうですか?今のところ。
ヤマギシルイ:
書くしかないですね。書きます。この一〇年間頑張って……同人誌を友達と作ったり、所謂「実験小説」もかなり試して「小説とは何か」「物語とは何か」というものにも自分なりの答えを出して。小説家として自分が許せる最低限のラインは超えたな、と思うので。それを信じるしかないですね。書く覚悟というか……個人事業主として独立したのは執筆環境をコントロールしたいのも大きかったんですけど、コロナ禍だったり能登半島地震だったりで翻弄されて……ようやくそれも落ち着いてきたし。環境も実力も整ってきたから、もう「書けない」という言い訳はできなくて。そう、ようやく「書くしかない状況」に追い込まれたんですよ。この一〇年それを望んでいたわけで。うん。書くしかない。書きます。
あちこちでこういうことを言っていると、たまに「書いても出版社の目に留まらなかったらどうしますか」みたいな質問をされたりもするんですけど、最悪、本にならなかったところでそれは失敗でも損でも何でもないんですよ。だって小説を書くことそれ自体が好きだから。最初からプロマジシャンになるつもりでマジックを始めなかったのと一緒で。まあ、努力が苦じゃない、むしろ好きっていうのは諸刃の剣というか、努力することが目的化しやすいので、それはちょっと気をつけなきゃなと。そうだ、成功について、これも僕の定義は簡単なんですよ。「成功とは一生懸命生きること」です。これも未来そのものが希望であるのと同様、僕にとっては自明ですね。
ミミハムココロ:
マジックバーの方は今後どうしていきたいとかありますか?
ヤマギシルイ:
マジックバーは……原理的に多店舗展開できないんですよ。結局「そのマジシャン」がお客さんとその場を共有するからマジックって成立するから。名物シェフの個人レストランと一緒で、二号店とかが出せない。僕が物理的に分裂しない限りは。だから今のお店の安定経営が永遠の目標で……これは独立して感じたことなんですけど、サラリーマンの世界って「成功の地図」みたいなものがわかりやすい。最初は平社員で、それが係長・課長・部長と役職がステップアップしていって、その意味では社長になるのは一つのゴールなわけで。
個人事業主って本質的には社長なので、その先の展望、地図がないんですよ。ある意味ではスタートした瞬間にゴールしちゃってる。転職とちょっと似てますね。転職も基本的には何らかのキャリアアップを目指すわけで、転職することでさっきみたいに役職が上がるとか、あと有名企業に入るとか、場合によっては、やりがいを求めて報酬や地位を捨てて無名のベンチャーに挑戦したりもする。転職の場合、成功の地図は自分で作らないといけなくて、それは個人事業主も同じ。一般的な飲食店だったら「店舗数を増やす」「他県に出店」という方向も可能なんですけど、さっき言ったように僕の場合は多店舗化ができないし……たとえば、新しくお店を作って誰か若いマジシャンにそこを任せるとかやろうと思えばできるんでしょうけど、それは全然僕がしたいことじゃないんですよね。それだと、そのお店において僕はマジシャンじゃなく経営者になっちゃう。僕はマジシャンでいるために自分のお店を作ってその経営をしているだけで、経営者になりたかったわけじゃない。マジシャンでい続けたいだけ。自分のお店の経営はあくまで手段なんです。
一時期まで追求していた僕のマジックは……なんというか演劇性のようなものが強いんですよね。それが最も輝くための理想的なステージがこの世界にないから、自分でそれを作るしかなかっただけで。デビュー前のSEKAI NO OWARIは自分たちでライブハウスを作ったらしいんですけど、もしかするとそれに近いのかも。自分の理想の環境だから、それをずっと守りたい、ずっと守り続けるのが永遠の目標です。最近はお店以外の環境でも自分の理想を表現できるアイデアや実力を蓄えたので、外部出演は増やしていきたいと思ってます。
マジックをやって小説も書いて個人事業主で飲食店も経営して……って結局は好きなことをしているだけなんですけど、それがやっぱり珍しいのか、最近あちこちから「好きなことを仕事にすることについて話してほしい」みたいな依頼がすごく増えてきて。北陸先端科学技術大学院大学といって、日本唯一の公立の先端科学技術大学院大学が石川県にあるんですけど、そこのリカレントセミナー、要は社会人のための学び直しの講座で講師をしてほしいと言われて、昨年末に話してきて……このあとの直近の予定だとさっき話題に出た石川県立図書館で、授業の一環らしいんですけど、読書好きの社会人を集めて「読書の魅力」を小学生向けに語るパネルトークがあって、出版社のかたや書店員さんと一緒に登壇します。
そうやって人前で話す仕事も増えてきて、最近はすごく楽しいんですよ。ゆくゆくは講演も事業の柱の一つにしたいですね。今後ミステリー作家としてデビューした後の話になりますけど「トリックとは」みたいな講演のパッケージを作ろうと思っていて。プロマジシャンでありミステリー作家である人って、歴史上ほとんどいないんですよ。あくまで趣味がマジックの小説家はたまにいるんですけど。
「小説とマジックのなにが一緒か」というのをもっとちゃんと説明すると……マジックって実は、不思議なことが起きる様子をお客様が直接目撃することって意外に少ないんですよ。たとえば古典的な感じだと、ハンカチをかけて、おまじないをかけて、ハンカチを取ると何かが変わってるとか消えているとか現れている……というふうに、お客様は実際にはその様子を見ていない。前後の状況から「ハンカチの中で起きたであろうこと」をお客様自身が想像力で膨らませているにすぎない。マジシャンがやっているのはマジックじゃなくてトリックなんですよ。そのトリックを見たお客様の頭の中で生まれたものがマジックなんです。だからマジシャンが指先で器用にトランプを操ったりというのは、単なるきっかけにすぎない。
トリックのことを「種」って言いますけど、だから本当に「種」なんです。お客様の頭の中が畑で、そこにトリックという種を植えると、芽が出て、花が咲く。だからマジックの半分はそれを見ているお客様自身が作っているし、マジシャンは花が咲くのを信じて種を撒くことしかできない。マジックを演じるということは、お客様を信じるということなんです。
小説においてもそれは同じで、たとえば「コップの水を飲んだ」という文章は、物理的にはただの文字でしかない。紙の上のインクの染みや、ディスプレイの明暗でしかなくて、読者は実際にはコップや水を見てるわけじゃないけど、でも、読者の頭の中にはそのシーンがちゃんと浮かんでくる。小説もマジックも、見ている人・読んでいる人の頭の中に「情報」という種を植えて、それが芽吹いて育つのを信じて待つしかないところがあって。僕はどういうわけだか、それがすごく好きなんですね。
ミミハムココロ:
分かりました。最後にですね、これを読む読者に向けてでもいいですし、インタビューやってみた感想でも何でもいいんですけど、最後一言いただければ。
ヤマギシルイ:
「マジックと小説は変わらない」に象徴されるように、僕の考えていることは全てボーダーレスに繋がってて。鎖みたいなもので、どれか一つを手に取ろうとすると、全部ずるずる繋がってきちゃう。だからどこまで個別のものとして話せたかは、すごく自信がないんですけど……
ただ、ほんの些細なことでいいから、このインタビューの中の何かが「種」になって、読んでくれた人の中で発芽してくれると嬉しいですね。あと、僕がやっていることが全て一緒だって言うのは、それは目的が一つしかないからなんですよ。僕が生きているのは、他の人に……できればその人の「人生」に良い変化を与えるため。僕の全ての活動はこれに尽きます。
あとがき
ヤマギシルイさん、ありがとうございました。
僕はインタビューの最後の方で「これをやるまで死ねないってものは何かありますか」という質問を必ずしてるんですけど、これに「○○」と即答する人に会う度に「いいなあ」と感じます。それこそ今回も「これは世に出さないと死ねないです」と改めて言葉にされた時は痺れました。
そして、こういうインタビューを終える度に「今の自分は何をするまで死ねないだろうか」と考えるんですけど、これがなんっっにも思い浮かばないんですよね。いつも思いつくのは「仮に長生きできるなら結婚したいな~」くらいです。シータみたいにある日急に舞い降りて来てくれたらいいんですけどね。そしたら僕も毎日もっと必死に生きますよ、多分。
生きているとやりたい事が次々に浮かんできますが、たいていの事は「まあいっか」で終わると思います。少なくとも僕はそうです。友達との約束が無くなったり、行きたいライブのチケットが当たらなかったり、観たかった映画の上映期間を勘違いしていて見逃したり。なんかね、やりたい事たちは脳内でゆらゆらしているし気付いたら消えてます。だからこそそんな世の中で「これを叶えるまでは死ねない」ってなんて不動のものに出会えている人はすごく羨ましいです。
まあ今の人生にも満足してるんですけどね。ないものねだりだなあと自分でも思います。
【インタビュー・編集・あとがき:ミミハムココロ】
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