ずっと旅したい人
思い出から遠く。短めのお別れをすこしだけ。漂う記憶の中で、主体はどっちかあっちか。
ここまで喉に出かかって、言うのをやめて。それは喉まで出かかった言葉が本当に言いたいことではなくて、まだ、言葉にならず、自分の腰や背中にただようなんらかの血液やリンパ液の中でまだもやつく、自分の思念、想念のようななんというかかんというか。
言葉は筋肉に宿るのか、脂肪なのか、骨か、皮か。
脳だろう、という単純な答えではおそらくすまないだろうという、あの教科書的な単純な感覚はもうなくて、それは腸こそ脳だとか、そもそも肉体の変化と脳はすごく親密だから、脳だけで〇〇みたいなことなんてないんだよね、って知見だったりとか。そもそもそもそも、人体実験が行われなくなって久しく、脳を調べるという手段が大幅に減ったせいなのかもしれない。ともあれ脳だけじゃない。
脳だけじゃないなら、じゃあ言葉はどこからやってくるのかと考えて、たとえば一人旅に出かけて、新しい風景に刺激されて言い知れぬ思いを体にため込み、それを、内部顕微鏡ではなく、旅先の人とのべつまくなし喋ったり、あるいは写真を撮りまくって。言葉になりそうでならない言葉以前のイメージ、想念を散らすようなことをする。
え、何を言いたいかって? ある種の旅人は、本を読むように旅をし、対話するように旅をする。つまり我を問う旅をしてるから、賢者、哲人みたいな顔つきをしている人がいるのさ。
と思う2024年6月15日8時3分に書く無名人インタビュー808回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 丸井陽介 さんです!
年齢:20代前半
性別:男性
職業:地域おこし協力隊
現在:なんか普通に今、毎日結構新しい人とかと会うのが楽しいっていうか。いろんなお話をできるのが楽しいっていう段階。あとは自分の今後学習塾っていう事業を作っていくっていうところが初めてなので、まだ何もできてないんですけどすごい毎日楽しみながらできてるなって感じはあります。
ナカザワアヤミ:
今、何をされてる方ですか。
丸井陽介:
はい。今は涌谷町で地域おこし協力隊を仕事としてやってます。
ナカザワアヤミ:
涌谷町っていうと宮城県ですよね。
丸井陽介:
そうですね。はい。宮城県の涌谷町で、北の方でやってます。
ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。具体的には毎日どんなお仕事されてるんですか。
丸井陽介:
4月に来たところなんですけれども、今は学校終わりの放課後の時間帯に、週に1回誰でも来れる英会話の教室と週4回フリースペースをつくっていて。勉強してもいいし、友達と駅の待ち時間だべっててもいいし、悩み相談してもいいしみたいなところを開いています。
ナカザワアヤミ:
それはどなたが行けますか。学生さんですか。
丸井陽介:
そうですね。英会話は大人の方も来たりするんですけれども、基本的にフリースペースは中高生がメインで来てる感じですね。
ナカザワアヤミ:
お仕事の内容としてはそこで、毎日どんなことをされてるんですか。
丸井陽介:
そうですね、来た中高生とお話したり勉強したいっていう子がいたらサポート解説とか、ちょっと一緒に単語を覚えようみたいな形でやったりですね。そこでは、直接的に子供たちからお金を取ってるわけではないです。
ナカザワアヤミ:
で、その会は時間で、そこに行って話を聞いてっていうお仕事。
丸井陽介:
そうですね、それ以外の午前中は、今後の活動について中学校だったり高校とミーティングしたり。あとは協力隊の活動以外に学習塾を個人で副業扱いでやるのでその準備に取りかかってます。
ナカザワアヤミ:
なるほど、これから始めるんですね。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
仕事の話と学習塾の準備とかあったんですけど、何か他にされてることとかってありますか。
丸井陽介:
趣味とかですか。
ナカザワアヤミ:
そうですね。
丸井陽介:
そうですね。好きなのは旅行とか。旅が好きなので、休みの日はあっちこっち、宮城だったり岩手だったり、自分がまだ行ったことないところにふらっと行ったりしてます。
ナカザワアヤミ:
出身はどちらなんですか。
丸井陽介:
あ、出身は兵庫県です。
ナカザワアヤミ:
今年の4月から宮城に引っ越して。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。どんなところに行くのが好きですか。
丸井陽介:
自然があるところ、山だったり海だったりっていうところがメインで、あとはそのご当地でしか食べられない飲食店に行くのが結構好きですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。なんで旅行に行くようになったんですか。
丸井陽介:
大学時代に、それまで特に趣味がなかったので、みんなが大学生だったら旅行し始めるっていうブームに乗っかって自分も始めたっていう形です。
ナカザワアヤミ:
実際行ってみてどうでしたか。
丸井陽介:
そうですね。すごい、行くところ行くところに新しい発見があって。旅行すごい楽しいなって大学1年生のときにすごいハマりました。
ナカザワアヤミ:
行ってみて、思い出に残ってる場所とかあったりしますか。
丸井陽介:
そうですね。いっぱいあるんですけど、特に大きかったのは小笠原諸島ですね。
ナカザワアヤミ:
どんなことが印象に残ったんですか。
丸井陽介:
いろいろ島を回った中でも、小笠原諸島の色がちょっと衝撃的で。山の緑だったり、海の青さだったり、あと星の綺麗さっていうところが日本の本州の田舎とは比べ物にならないぐらい、フィルターをかけてるのかなってぐらいすごい鮮明に濃くて。その景色が、すごい印象的に残ってます。
ナカザワアヤミ:
色が濃いんですか。
丸井陽介:
そうですね。なんか緑も自分の今まで見てた緑よりさらに明るいというか、濃いというか、本来の自然ってこんな色なんだろうなって、違って見えたんですね。
ナカザワアヤミ:
へえ、なるほど。ありがとうございます。ちょっと話変わるんですけど、最近楽しかったこととかってありますか。
丸井陽介:
最近、そうですね。今、毎日結構新しい人とかと会うのが楽しいっていうか。いろんなお話をできるのが楽しいっていう段階。あとは自分の今後学習塾っていう事業を作っていくっていうところが初めてなので、まだ何もできてないんですけどすごい毎日楽しみながらできてるなって感じはあります。
ナカザワアヤミ:
毎日新しい人とというのは、どういうところが楽しいですか。
丸井陽介:
そうですね。なんか自分の持っていない感性を持っている方が多いので、「あ、そんな考え方あるんだ」とか。考え方とか、そうですね、捉え方に違いがあるのが面白いなと思います。
ナカザワアヤミ:
ちなみにどういうところで会うんですか。
丸井陽介:
地域おこし協力隊をやってると、誰かの紹介だったり、この人に、町だったらとりあえず会ってみたらいいよ、みたいな形で役場の方から紹介されることが多いので、そのときに度々出会います。
ナカザワアヤミ:
なるほど。地域の方ですか。
丸井陽介:
そうですね。地域の方で、農家の方だったり、お店をやってる方だったり、元々先生やられてた方だったり、いろいろですね。
ナカザワアヤミ:
今、生活の中心になってるのってどういった部分ですか。
丸井陽介:
生活の中心ですか。うーん、人と話すことですかね。
ナカザワアヤミ:
結構、今の活動の中でも話すっていうキーワードが出てきてるんですけど、どういった場面で人と話すんですか。
丸井陽介:
まず役場に行った時点で、朝挨拶してそのまま世間話をしたり。
誰かと午前中だったり会いに行ったり、会議するってなればそこでも自己紹介なり、今後のやっていきたい活動だったりお話して。放課後になれば来る子供たちと一緒に今の、なんでしょう、学校生活のことを聞いたり。で、夜は地元の友達と「今こういう状況だよ」みたいなことを話したりするので、大体ずっと毎日話し続けてるような気がします。
ナカザワアヤミ:
話し続けている。なるほど。話すことは好きですか。
丸井陽介:
そうですね。好き、少し好きですね。
ナカザワアヤミ:
少しなんですね。
丸井陽介:
そうですね。心の底から好きだっていうほど好きではなくて。そこまで好きじゃないんですけど、苦じゃないっていうか。苦しくないって思うのはたぶんちょっと好きだからなのかなって思います。
ナカザワアヤミ:
人からはどういう性格だって言われることが多いですか。
丸井陽介:
うーん、真面目だねって言われます。
ナカザワアヤミ:
それに対してご自身ではどう思いますか。
丸井陽介:
その通りだな、もっとふざけたいなと思います。
ナカザワアヤミ:
もっとふざけたいんですね。
丸井陽介:
はい。
ナカザワアヤミ:
それは変えたいってことですか。
丸井陽介:
変えたい、プラスアルファしたいっていう感じですかね。真面目なのは別に、自分はいいところでもあると思うんですけど、さらになんか面白く、面白さを見つけたいっていうか。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
ちょっと話が戻ってしまうんですけど、学習塾の準備されてるっておっしゃってたんですけど、どういったものを始める予定ですか。
丸井陽介:
一応、中高生向けで受験対策をする、または学校についていくみたいな形の個別指導塾を考えていて。で、ただ勉強、国数英理社だけじゃちょっと自分の中でもすっきりしないので、実際にいろんな職業で働いている方と話すキャリア教育だったり、金融教育も含めながら、できたらなというふうに考えてます。
ナカザワアヤミ:
どうしてそういったものを始めようと思ったんですか。
丸井陽介:
学習塾をやろうと思ったのは、大学時代に4年間アルバイトしていて、新卒のときに1年、1年もいってないか、半年ちょっとぐらい、北海道の公設民営塾で働いていて。
で、勉強、受験勉強ももちろん大事なんですけど、それ以外も学べる塾があったらいいなっていうのをそのとき度々考えていたので、作ってみたいな、自分でもやってみたいなというふうに考えるようになりました。
ナカザワアヤミ:
実際の塾の現場を見て、ってことなんですかね。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
準備っていうのはどういったことをされてるんですか。
丸井陽介:
今はもう、単語テスト用の単語だったり、あとは規約書だったり、入塾登録とか堅苦しい部分の書類を作ってますね。
ナカザワアヤミ:
いつくらいにオープンの予定なんですか。
丸井陽介:
もう一応オープン、開けてはいるという形で、実際に生徒募集はまあ来週ぐらいから始めようかなっていうところですね。
ナカザワアヤミ:
結構直近なんですね。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
塾の準備も楽しいっていうふうにおっしゃってたんですけど、どういうところが楽しいですか。
丸井陽介:
やったことない作業というか。初めてこういう事業を立ち上げるところに携わるので、やっぱりうまくいかないところが多かったり、新しい発見が多かったり、すごい楽しいです。
ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。そうですね。なんか、そのお仕事とか趣味とかいろいろあると思うんですけど、ご自身の中ではどちらが大きいとかありますか。今の生活で。
丸井陽介:
大きい。あんまり大きいも小さいもなく、両方合わせて一つの生活みたいな感覚、あんまり自分の中で区切りを大きく設けてるわけじゃない気がしますね。
過去:できるかもな。やりたいっていうところがあんまり強く出てこなくて。なんかこれならできるかもしれない。これでなら生きていけるかもしれないっていうところに、気づいた瞬間だったかもしれないですね。
ナカザワアヤミ:
過去の話を聞いていきたいなと思うんですけれども、子供のころはどんなお子さんでしたか。
丸井陽介:
そうですね。小学校ぐらい、小学校中学校ぐらいまですごい勉強も運動も、野球やってたんですけど、それも真面目に、ずっと真面目に取り組んでたっていうそんな子供時代ですね。
ナカザワアヤミ:
過ごし方としては、野球が大きいですか。
丸井陽介:
そうですね。野球がメインで、野球してなかったら友達と絶対どこかでだべるなり、ゲームなりしてたって感じですね。
ナカザワアヤミ:
生まれ育ったところ、兵庫っておっしゃってたんですけど、どういった環境で子供時代を過ごしてましたか。
丸井陽介:
そうですね。団地に生まれ育ったので、あまり自然豊かっていうよりかは、マンションが並んでて。でも大きなショッピングセンターも特に近くにはなくて。
そこの風景といえばマンション近くの小さな公園で活動したり、ちいさなお店で駄菓子買ったり、そんなイメージ、そんな思い出がありますね。
ナカザワアヤミ:
遊びの思い出とかありますか。
丸井陽介:
中学生の頃なんですけど、自転車ですごい旅をしたくなって。仲いい3人組で、お隣の大阪の方のユニバまで自転車で行ったり。たとえば大阪だったり、神戸、明石の方まで自転車で行ったり。そういうちょっとした自転車旅に憧れてやってました。
ナカザワアヤミ:
遠出するのは好きでしたか。そのときから。
丸井陽介:
そうですね。自分の知らない世界に飛び込んでいく感覚が好きでしたね。
ナカザワアヤミ:
結構、長距離漕いでるってことですよね、それって。自転車。
丸井陽介:
そうですね。片道30キロとか、ですね。3、40キロとかでしたね。
ナカザワアヤミ:
行ってみて、どう思いましたか。
丸井陽介:
なんか意外と、今まで電車で行ってたすごい距離に思えたのが、案外近いなっていうか。意外と世界は広くないのかもなって、その中学生のときに思いました。
ナカザワアヤミ:
ちなみに小学校とか、学校生活はどうでしたか。
丸井陽介:
学校生活はまあ、先生に怒られない真面目な生徒で、問題行動を起こさず。あとは数少ない友達といつも同じメンバーで話すなり、野球するなり、ドッジボールするなり。そんな感じでした。
ナカザワアヤミ:
中学生時代は変わったりしましたか。
丸井陽介:
中学時代もほとんど変わってないですね。でも強いて言うなら、ちょっといじめられたぐらいです。
ナカザワアヤミ:
それは中学校になってから。
丸井陽介:
そうですね。中2ぐらいのときに野球部の人に。同じ部活の人に、はい。
ナカザワアヤミ:
野球は小学校から始めて、ずっと続けてたんですか。
丸井陽介:
そうです。小4で始めて、大学生まで。社会人でもなんやかんや草野球だったりちょくちょく関わってた形ですね。
ナカザワアヤミ:
中学校生活で思い出に残ってることはありますか。
丸井陽介:
中学校で思い出に残ってることは、まあさっきの結構、友達と自転車で行ったことと、そうですね。やっぱその3人組が仲良かったんで、近所のゲーセンでメダルゲームしたりしたっていうところが。3人組で一緒に行動したってのがすごい自分の中では印象に残ってます。
ナカザワアヤミ:
3人って部活も一緒だったんでしたっけ。
丸井陽介:
そうですね。部活も一緒で。はい。
ナカザワアヤミ:
高校生のときは、どうでしたか。
丸井陽介:
高校はもうずっと野球中心の生活だったので3年間、休みの日も、自分は疲れて外にもほとんど出れてなかったんで、野球と大学受験の勉強しかした記憶はほとんどないですね。
ナカザワアヤミ:
学校生活も中学校のときと変わりましたか。
丸井陽介:
そうですね。もう野球中心なんで、授業も寝て、すべて部活のために準備するみたいな。そんな感じには変わりましたね。
ナカザワアヤミ:
その変化に対してはどう思いますか。
丸井陽介:
自分はそうですね。高校野球、高校野球がすごいやりたかったので。思い通りにやれてるなっていうか、自分のやりたいことやれてるなっていう感覚でした。
ナカザワアヤミ:
小中でのやりたいこととかっていうのも野球だったんですか。
丸井陽介:
そうですね。小中で特にやりたいことはなかったので、友達といるのがすごい楽しかったぐらいで。でも中学のときぐらいから高校野球をやりたいなと思って、そのために野球頑張ってたっていうところはあります。
ナカザワアヤミ:
高校野球への憧れというかそういったものは、なんであったんですか。
丸井陽介:
近くに、実家の近くに甲子園球場があったので。自分たちが小中学生の頃無料で外野席に行けたっていうのがあって。親に最初連れて行ってもらったり、友達とかと行ったりしたとき、すごい輝いて見えたんですよね。高校生、本当に10歳ぐらい上の人たちが歓声を浴びて野球してるっていうのがすごいかっこよく見えて、そこら辺の憧れですね。
ナカザワアヤミ:
実際の高校野球生活は、いかがでしたか。
丸井陽介:
楽しかったことも苦しかったことも含めて、すごいいい思い出ですね。
自分は甲子園から一番近い高校に通ってて。距離的に。その高校野球部専用グラウンドがあって、黒土で練習できるってすごい恵まれた環境だったんですよ。そこですごいやりたいなって中学生の時に学校見学に行って思って。そのグラウンドで、同学年自分を含めて16人誰も辞めることなく、3年間できたのはすごいいい思い出ですね。
ナカザワアヤミ:
先ほどの話だとそこと、勉強しかしてなかったっていう話だったんですけど。その後の進路を選ぶにあたっては、どういった理由で選択をされたんですか。
丸井陽介:
自分は4年制の大学に通うことになったんですけども、理由は、お金持ちになりたくて、高校生の時。全然何もわからないけどお金あれば幸せだろうと思って。それで経済経営系の大学を探して結果的には、経営学部のある大学に4年制の大学に入学しました。
ナカザワアヤミ:
お金があれば幸せになれそうっていうのを、いつから思ったんですか。
丸井陽介:
それはいつだろう。昔から、小学校の頃からうっすら思ってました。
ナカザワアヤミ:
将来の夢とかあったんですか。
丸井陽介:
なかったです。
ナカザワアヤミ:
高校野球やる以外の目標みたいなものは。
丸井陽介:
全くなかったですね。それが不安でした。
ナカザワアヤミ:
不安だったんですね。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
不安っていうのは、いつそう感じたんですか。
丸井陽介:
度々なんか、将来の夢とかそういうことを考えたりするきっかけってあるじゃないですか。その度に、自分やりたいことないなって不安になるっていう、そんな感じ、そういうことでしたね。
ナカザワアヤミ:
でもやっぱり将来、なりたいものとか、やりたいこととかはずっとなかったんですか。
丸井陽介:
そうですね。なかったですね。大学生の途中までは。
その当時何もわかってなかったので、経営学部に行けばお金持ちになれる方法がわかるんじゃないかなっていうそのぐらいの本当に思考力しかなくて。どうやったらお金稼げるんだろうみたいな、そんなところに興味があったんだと思います。
ナカザワアヤミ:
実際勉強してみてどうでしたか。
丸井陽介:
なんかそんな年収1000万も2000万もいらねえなって思いました。
ナカザワアヤミ:
いらないと思った。なんでですか。
丸井陽介:
なんかお金持ちになりたいなって思ってたけど、自分で実際に大学生だってバイトしたり、友達が一人暮らししてるからっていうことで、どのぐらいお金が必要なんだろうって計算したら、「あ、そんなお金なくてもいいな」っていうふうに気づいたんですよ。
ナカザワアヤミ:
お金なくてもいいなっていうのは、なんだろうな。生活できるなっていうことですか。
丸井陽介:
そうですね。年収1000万とか2000万とかなくても、大丈夫だなっていうふうには思いました。
ナカザワアヤミ:
大丈夫だなって思っちゃうとお金稼ぐ必要なくなっちゃうじゃないですか。
丸井陽介:
そうですね。まあ、年収5、600っていうか、貯金があればみたいな形で。はい。働く必要はありますけど、あんまりそこに対して、大金持ちになるまで体壊してまで働く必要はないなというふうに、そのときに思いました。
一人暮らしってどのぐらいお金かかるんだろうみたいの実際に計算したときに気づきました。
ナカザワアヤミ:
気づいてからは、どうしたんですか。どうしたんですかっていうか、そこまで稼がなくてもいいやって思った後に変化とかはあったんですか。
丸井陽介:
経営学の勉強はすごい好きだったので、お金稼ぐための勉強というよりかは、なんでこの物は売れてるんだろうとか、なんでこういうビジネスうまくいってるんだろうっていうふうなことにすごい興味を持ったので、勉強への熱意は別に冷めることもなく。
ただただ、そうですね。気持ちが楽になったっていうか、お金ってそんな執着する必要ないなってことに気づいて心が軽くなったぐらいです。
ナカザワアヤミ:
大学生活は勉強と、あと野球もやられてたんですか。
丸井陽介:
そうですね。野球はまあ、週2ぐらいでやってる、サークルと部活の中間ぐらいな部活でやってました。
ナカザワアヤミ:
他にその生活の中ではどんなことをされてたんですか。
丸井陽介:
そうですね。旅がメインですかね、あとは。
ナカザワアヤミ:
旅が出てくるんですね。
丸井陽介:
そうですね。旅行に行きまくったり、そのあたりは結構多かったです。あとは大学2年生のとき、コロナ直撃した年だったので。オンラインで友達と毎週哲学的なことだったり、面白い話題、話題というか、議題を作って盛り上がるみたいな、そういうことをひたすらやってましたね。
ナカザワアヤミ:
哲学的な問題を話してたんですね。
丸井陽介:
ごくたまに、そうですね。哲学的というか、答えがないっていう方がいいかもしれないですね。なんか生まれ変わるなら、フライドポテトとケチャップどっちがいいかみたいな。
ナカザワアヤミ:
どっちがいいですか。
丸井陽介:
自分ですか。自分はケチャップかなと思ってます。
ナカザワアヤミ:
なんでですか。
丸井陽介:
自分あの、マヨネーズ大っ嫌いなんですけど。ケチャップに生まれ変わったら、マヨネーズと協力してオーロラソースっていういいのができるから。生まれ変わったら今苦手な、嫌いなマヨネーズと仲良くなれるんじゃないかなと思って。
ナカザワアヤミ:
フライドポテト派はいましたか。
丸井陽介:
いますよ。めちゃくちゃ。半々ぐらいです。どこでやっても。
ナカザワアヤミ:
そういうのを考えてたんですね。
丸井陽介:
そうですね。はい。
ナカザワアヤミ:
なるほど。中学までは数人の友達と過ごしたりとかっていう話だったんですけど、高校大学とか、その時点では他の方との関係性とかどうでしたか。
丸井陽介:
高校も一緒で、野球部の友達としかほとんど喋らなくて。遊びに行ったことあるのは、野球部の友達だけです。3年間で。
あとは2、3人、陸上部が近いところで活動してたんで、陸上部の人は高校卒業してからも、会ったりするっていうことありますね。それぐらいの狭い関係でした。高校は。
大学生になると、自分から広げる形でいろんなところに顔を出してみたりして、かなり広がりましたね。
ナカザワアヤミ:
広げたかったんですか。
丸井陽介:
そうですね。大学1年生の時はすごい広げたくて一生懸命やってたんですけど、2年生ぐらいの頃からなんかインスタとかで見ててこの人おもしろそうだなみたいなところだけを、面白そうなところに入り込んでいけば自然と増えていったって形です。
ナカザワアヤミ:
結構高校大学の間で、広げる広げないのところ変わってる感じがしたんですけど、そこはなんでですか。
丸井陽介:
たぶん時間と心の余裕だと思うんですよね。高校まではほとんど野球、1日のほぼすべてずっと野球に使ってたので、それ以外のことをする時間とか余裕があんまりなくて。
ただ大学生になって、授業も空いたり、部活も週2だったりっていうところで、すごい今までの人生で初めてすごい自由な時間が出てきたので、そこで人っていうところを広げていこうというふうに考えたんだと思います。
ナカザワアヤミ:
なるほど。広げてみてどうでしたか。
丸井陽介:
まあ、なんでしょう。広げる、無理やり広げたらしんどいけど、自分で選んで広げていけば、すごい楽しいなっていうところに気づきました。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
さっきちょっと将来の目標とか大学までなかったっておっしゃってたんですけど、そこはどういうきっかけで変わったんですか。
丸井陽介:
これもやりたいことって言ったら、そうですね。ちょっと回りくどい話にはなるんですけど、自分は就職活動を意識した3年生ぐらいのとき、そのときもやりたいことなかったので、とりあえずいろんなことをやってみたんですよ。営業のインターンだったり、同時に自分でプログラミングを作ってみるとか、ライターの勉強とか、いろいろやってみたんですけど。どれもできなくて、なんもできなくて。
本当にこれは無理だと思ってたときに、よくよく考えてみれば大学1年生からやってる塾のバイトは、めちゃくちゃ好きじゃないけど、やってるの苦じゃないなと思って。
これ、人と関わるのも嫌いじゃなくて、なんか少し面白いしこれもうちょっと楽しんでみようみたいな形で。できないことだらけだった中に、一つある程度それなりにそつなくできたことがあったんで、それが徐々にやりたいことに変わっていったっていう感じですかね。
ナカザワアヤミ:
ちなみに好きなことはなんなんですか。
丸井陽介:
好きなことですか。新しいところに飛び込んで新しい発見をすること、新しい体験をすることですかね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。最初の就職は、その気づきから、学習塾のお仕事をしようと思ったっていうことなんですかね。
丸井陽介:
そうですね、塾、学習塾関係、教育関係ぐらいしか自分にできることないなと思って。その中で、東京とか大阪とかいっぱいなんでもあるところでやるのは面白くないから、自分じゃなくてもいろんなことやってる人がいるから、地方で何かできたらなと思って。そう考えるようになっていきました。
ナカザワアヤミ:
それで北海道に。
丸井陽介:
そうですね。民間の企業で、公設民営塾、行政と一緒に塾をやっているっていう会社があったので、そこに興味を持って。
ナカザワアヤミ:
なるほど。実際そういう仕事をしてみていかがでしたか。
丸井陽介:
結構田舎町、人口2000人ぐらいで一学年20、25人ぐらいの町でも、教育にすごい関心を持っている親御さんだったり、子供が多いなっていうのをすごい思って。だったら、この町の5倍ぐらいの規模だったら、自分で学習塾作ってビジネス回るなっていうの。そこで思いました。
ナカザワアヤミ:
5倍。具体的ですね。1万人ぐらいですか。
丸井陽介:
そうですね。1万人ぐらいで、なんか一学年で100人ぐらいいれば、そういうまちで、学習塾がそんなにないところを選べば自分でも独立してやっていけそうだなって思いました。
ナカザワアヤミ:
なるほど。ちょっと子供はいるけど、塾は足りてないとか、ない。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。それで特に、自分でやりたかったんですか。
丸井陽介:
そうですね。その北海道でちょっとやりたかったってのがあって、理由ができたんですけど。
北海道で住んでいたのが、児童養護施設がある町だったんですよ。公設の塾なんでその子たちと関わることもすごく多くて。
その子たちが、なかなか環境的な面で厳しいんですけど、海外に行きたいっていう話とかも結構するんですね。自分の経験とかを話すと。
その子たちを海外に連れて行ってみたいなと思ったんですけど、会社にずっとい続けてもそれってたぶんできないんですよ。
でも自分で独立して、自分の生活を回した後に、NPO作るなり、いろんなところで資金調達したり自分でもお金出したりすれば、日本に結構いる児童養護施設の子たちを海外に連れていけるんじゃないかなっていうふうにすごい思って。
それは会社に行ったらできないから、自分で独立しないとできないなと思って。独立しようという、その方向に行こうというふうに考えるようになりました。
ナカザワアヤミ:
それで今北海道の仕事から、地域起こし協力隊になる。
丸井陽介:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
なんでそもそも、涌谷町にしたんですか。
丸井陽介:
協力隊の募集自体はいろいろあったんですけど。実際に10ぐらいの自治体と面談したり、実際に4つの自治体を訪問して町並みを見たりしたときに、涌谷町は役場の担当の方とすごい話の気も合いましたし、実際にそこで協力隊として活動をされていた方々と実際にお話をさせていただいたり、町並みを見て。あとは人口規模だったり、学習塾の数だったり、っていうところを見て。
自分の中で、ここならやっていけそうかもなっていう。すごいプラスではないんですけど、なんか他の自治体のマイナスを見たときに、ここならやっていける可能性が一番高そうだなと思ったのが涌谷町で。それで決めました。
ナカザワアヤミ:
人生の中において、なんていうんだろう。やりたいことがそんなにないみたいなところから、高校野球をしたいとか、塾を作りたいとか、やりたい、になる要素としてはどういうところがあると思います。ご自身で。
丸井陽介:
うーん、なんでしょうね。高校野球とたぶん塾とかまた別だと思うんですけど。
高校野球の場合は、なんでしょう。シンプルに小学生でもかっこいいっていうところ、目立てる、かっこいいっていうところだと思うんですよ。そういうタイミングと時期だったからこそ思ったことであって。
学習塾の方に関しては、やりたいに変わってからたぶんやりたいっていう思いというか、これならできるかなみたいな形で気づいたことがきっかけだったと思うんですよ。
やりたいっていうところがあんまり強く出てこなくて。これならできるかもしれない。これでなら生きていけるかもしれないっていうところに、気づいた瞬間だったかもしれないですね。
ナカザワアヤミ:
これなら生きていけるっていうのは、具体的にどういう状態ですか。
丸井陽介:
うーん、これならお金を稼いでいける。仕事をしてお金稼げないと生きていけないんで。お金稼ぐ数ある手段の中で、これかなって。
安定してる中で、できそうなことがあればいいんですけど、自分は安定してる中で、というよりも、安定してないところにも新しい、それはそれで面白いことがあるんじゃないかなっていうのをなぜか見出してしまったので。
ナカザワアヤミ:
安定してれば生きていけるかって言われるとそうではないと思うんですけれども。安定ではないんですね。
丸井陽介:
うーん、ちょくちょく自分の欲があるからだと思ってて。
自分はやっぱり海外を旅してますし、ずっと旅したいんですよ。今までも旅してきたんですけど。それを両立しようと思ったら会社の中にいるとすごい難しくて。学習塾の業界にいると。それだったらやっぱ、独立してある程度自由にできる環境じゃないと実現できないっていうところがあって。まあ海外行ったり、土日に友達と遊びに行こうと思ったら、やっぱ自分で塾を立ち上げるしかないなっていうところですね。
ナカザワアヤミ:
自由。なるほど。ありがとうございます。実際その選択してみて、どうですか、ちょっと挑戦というか、またやってみようみたいなところですけど。
丸井陽介:
そうですね。まだ何も成し遂げれてないので、挑戦する前と変わらないですね。何も。ほんとに何もできてないんで。
ナカザワアヤミ:
なるほど、わかりました。これからですね。
丸井陽介:
そうですね。
未来:抽象的にしか言えないんですけど、自分がそれで幸せになるかどうかっていうそういう基準だけなのかなと思ってます。
ナカザワアヤミ:
今後のことについてもお聞きしていきたいんですけれども、将来とか5年後10年後の未来について、どういったイメージをお持ちですか。
丸井陽介:
5年後10年後は、いやあ、正直あんまりわからないんですけど。でも塾やりながら、他の何かしらこの町で見つかるスモールビジネスをやりつつ、いろんな今までの仲間と楽しくワイワイしてるんじゃないかなというふうに思います。
ナカザワアヤミ:
仲間っていうのはあれですか、この辺りで見つかった方ですか。
丸井陽介:
これは今までの人生で自分と自分に関わってくれる方々ですね。
ナカザワアヤミ:
どういった気持ちで過ごしたいですか。残りの人生というか。
丸井陽介:
どうだろう。長いかどうかわかんないですけど。たぶんシンプルに後悔しないようにっていうことだけじゃないですかね、毎日。
どうせそんな、なんか長いように見えて、たぶんそんなに長くなさそうな気もするんで。これやらなかったら後悔するだろうな、みたいなことを毎日続けてるっていうそんな感じですね。そうやって生きてって、後悔をできるだけなくしたまま、棺桶に入っていたいですね。
ナカザワアヤミ:
やらなきゃ後悔するなっていうのはどういうものですかね。
丸井陽介:
うーん、たぶん直感だと思うんですよね。なんかそんなに、でも、自分は自分を幸せにするかどうかっていうところかなと思ってて。
人にこういうことを伝えておこうとかもそうだし、今美味しそうな魚売ってるから今買おう、とかもそうだし。なんかもう、抽象的にしか言えないんですけど、自分がそれで幸せになるかどうかっていうそういう基準だけなのかなと思ってます。
ナカザワアヤミ:
幸せっていうのは、感情的な部分が多いですか。
丸井陽介:
そうですね。感情的な部分が多いですね。
ナカザワアヤミ:
後悔しないようにっていうところで、どういうことを直近ではやっていきたいですか。
丸井陽介:
そうですね。後悔しないようにやること、直近では、今はそれこそ自分で学習塾の事業を安定させるために、まずは自分の町での認知度だったり信頼を築いていかなきゃいけないんで、見つけた、声かけてもらったりしたボランティアには全部参加したり、自分を誘ってくれるところには、飲み会にしろ何にしろ全部行こうっていうところですね。
ナカザワアヤミ:
逆に後悔してることとかありますか。こうすればよかったなみたいな。
丸井陽介:
そんなの無数にあるんですけど。無数にあるんですけど、でもたぶん今でもぱっと思いつくことといえば、小学校の野球を始めたときに自分左打ちで始めたんですけど、右打ちで始めとけばよかったなっていう。それぐらいですかね。
ナカザワアヤミ:
どうやって決めるんですか。右か左か。
丸井陽介:
そうですね。自分は左打ちが、当時阪神の選手で左打ちでかっこいい選手がいっぱいいたんで左打ちで始めたんですけど、利き手は右っていうか、右で振った方が絶対よかったなと思うんで、始めるところがなんか今すごい一番パっと出てきた後悔ですかね。
ナカザワアヤミ:
あのとき右にしていれば。
丸井陽介:
そうですね。もうちょっと野球でも、いい成績残したんじゃないかなと思います。
ナカザワアヤミ:
逆にあのときこうしていればみたいな思いって、結構あるタイプですか。
丸井陽介:
繰り返して出てくることはないですけど、でも毎日ある気がしますね。こうしてよかったなみたいな。あの、人との会話でこれ言わなきゃよかったなとか、毎日思うタイプですね。
ナカザワアヤミ:
そうですね。なんか人生の中で、なんでしょうかね、結構なんか転換点だったり、ベースとなるものみたいなものを聞いていることが多いんですけど、なんかご自身では、自分の人生のなんだろうな、転換点となったタイミングってどこだと思いますか。
丸井陽介:
大学1年生の終わりの春休みに、友達に誘ってもらってカンボジアに行ったことですね。
ナカザワアヤミ:
なんでそれが転換点なんですか。
丸井陽介:
いろいろあったんですけど、まずはカンボジアの実際の状況を見たり、子供たちを見ると、水道水は飲めないし、小6ぐらいの年齢の子が普通に家のために働いてたり、なんかどっかで聞いたことあっても実際に目の当たりにすると、自分ってすげえいいところで生まれて、本当に全然不自由ないとこで過ごしてきたんだなっていうのを実感して。なんかもっと、もっと頑張らなきゃなってその瞬間にすごい思いましたね。
あと、そのカンボジア、ツアーで行ったんですけど、全然人と喋れなくて。どう思う、とかっていうことにも答えられないし、人に笑顔で話しかけることもできなければ、できないことだらけだったんで、なんかちょっと頑張って、野球しかしてこなかったけど他のことも頑張ってみようって思えた瞬間が、カンボジアの1週間でしたね。
ナカザワアヤミ:
それを経て何か変わったことありましたか。
丸井陽介:
なんでも挑戦するようになりました。高校生までだったらすごいインドアでなんでもやらないタイプだったんですけど。やったことない、自分ではやったことなかったそれこそさっき言ったプログラミングだったり、人と話すこともそうですし、旅行もそうですし、やったことないことに挑戦できるようになったなと思います。
ナカザワアヤミ:
ここがなかったら、どんな人生だったと思いますか。
丸井陽介:
ここがなかったら。まあでも、遅かれ早かれ同じような人生を歩んでるんじゃないかなって思います。たぶんどっかで、そこに気づく瞬間はたぶんあるので、タイミングがたまたまカンボジア。大学1年生の終わりのカンボジア行ったときだったってだけで。たぶんどこか、大学2年生、3先生なり、社会人なってからかもしれないですけど、そこに気づく瞬間があって結局は同じような道を歩むんじゃないかなと思います。
ナカザワアヤミ:
なるほど。また、結局どこかで気づいて、涌谷町にいるかもしれないっていう。
丸井陽介:
そうですね。そう、タイミングがたまたまそうだっただけで。3年遅れでこうなってるかもしれないですね。もしかしたら。
ナカザワアヤミ:
実際その引っ越して、過ごしてみていかがですか。
丸井陽介:
意外と便利だなっていうか、はい。北海道に住んでたところよりはすごい便利なんで、こういうところ最高だなと思ってます。
ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。最後に話しそびれたこととかこれ言っておけばよかったなとか、そういった話はありますか。
丸井陽介:
ないですね。今のところ。たぶん1時間後ぐらいに出てくるんじゃないですかね。
ナカザワアヤミ:
そうかもしれないですね。
丸井陽介:
今日はないです。ありがとうございます。
あとがき
ケチャップとポテトだったら、ポテトがいいかなと思いました。いろんな味になれて楽しそうなので。あと、ケチャップを食べるっていうよりポテトとして食べるって言いますし、主体のまま消えられそうなのもなんかいいなと思います。
ま、それは置いておいて。
学校では教えてくれない〇〇というシリーズの書籍があります。
考えてみれば、学校って、あるいは塾って、何を教えてくれるんだろう。丸井さんも、自ら旅したカンボジアで、人生において大事なことに気づきました。
インタビューをすると、いつも皆さんから学校では教われないあれこれを教わります。私はこんなことも知らないまま二十年以上も生きてきてしまった、と愕然とすることも、一度や二度ではありません。
そんな経験をつみかさねた今、学校で教わるのは、世界を理解するための最低限の仕組みであり、何が自分にとって面白いのか、つまらないのかを考えるためのものさしっぽい何かだと、私は考えています。
だから別にそれがあれば生きられるというものでもないし、それがわからなくても直ちに死んだりはしないでしょう。
(わかるに越したことはないですが)
むしろ、全部学校で教えられなくてよかったかも、と思います。
ネタバレした後の映画見るのも嫌いじゃないですが、やっぱり初見の感動には叶わないなと。
【インタビュー・あとがき:ナカザワ】
【編集:守宮泉】
#無名人インタビュー #インタビュー #地域おこし協力隊 #宮城県 #涌谷町 #地域 #地方
マガジンで過去インタビューも読めますよ!
インタビュー参加募集!
いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!