持ってるものを渡して隠居したい人
むかしむかし、ある村に、分福(ぶんぷく)という賢者が住んでいました。分福は長年かけて、知恵と技と宝を集めていました。
しかし分福には、世間の多くの人とは違う夢がありました。「持っているものを必要な人に全て渡して、静かに隠居したい」と考えていたのです。
村人たちは首をかしげました。「なぜ集めたものを手放すのか」「老後の心配はしないのか」と。
ある日、分福は村の広場に大きな看板を立てました。
「分福の持ち物分け。必要な人に、必要なものを。明日から三日間」
初日、分福は自分の知恵を分けました。
農夫には作物の育て方を、
職人には技の極意を、
若者たちには人生の知恵を、
子どもたちには夢の見方を。
二日目には、技を伝えました。
料理の腕前を料理人に、
織物の技を織り子に、
薬の調合法を医者に、
歌や踊りを芸人に。
最終日には、宝物を分けました。
困っている人には少しのお金を、
病人には薬を、
寒い思いをしている人には着物を、
花が好きな人には種を。
ただし分福は、ただ渡すだけではありませんでした。それぞれに「これを活かして、また誰かに分けてあげてください」と伝えました。
全てを分け終えた分福は、村はずれの小さな庵に移り住みました。村人たちは心配しましたが、分福は穏やかな笑みを浮かべるばかり。
そして、不思議なことが起こり始めました。
分福から知恵を得た人々は、その知恵を活かして新しい知恵を生み出し、また他の人に伝えていきました。
技を受け継いだ人々は、その技を磨いて新しい技を創り出し、弟子に伝えていきました。
宝物を受け取った人々は、それを活かして新しい価値を生み出し、困っている人に分けていきました。
村は少しずつ、でも確実に豊かになっていきました。それは単にものが増えたのではなく、人々の心が豊かになっていったのです。
後に、村人たちが分福の庵を訪ねると、分福は幸せそうな表情で言いました。
「私の持っていたものは、皆さんの中で新しい命を得て、さらに大きく育っている。これほど嬉しいことはありません」
そして「与えて増える、心の財産」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年10月22日19時11分に書く無名人インタビュー931回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 渥美洋行 さんです!
年齢:40代後半
性別:男性
職業:地域の課題解決をする人
現在:僕自身はあんまり一生懸命努力するのが得意な方ではないので、何とかしてこれをもっと楽にする方法はないかなっていろいろ考えるんですね。
ナカザワアヤミ:
渥美さんは今何をされてる方ですか?
渥美洋行:
今は民間企業で働いています。
地方創生というワードがここ数年流行ったかと思うんですけど、地方自治体に対して、そういった事業の開発だとか、社内でやってる地方創生事業の全体の仕組み化を進めているところです。会社の中でいろんな事業部が地方創生事業をやっているので、そこをうまくまとめていくというような仕事をやってます。
ナカザワアヤミ:
会社全体としては地方創生をテーマにした事業をやっているんですか?
渥美洋行:
それだけではないですけど、主要テーマと置いている会社です。。
ナカザワアヤミ:
転職されたと伺ったんですけれども、この仕事を始めたのはいつですか?
渥美洋行:
2024年9月末で辞めて10月からジョインしたので2週間ぐらいしか経ってないですね。
ナカザワアヤミ:
まだ2週間というところだとは思うんですけど、実際やってみていかがですか?
渥美洋行:
やっぱり、体力的には結構疲れますね。これまで24年間ずっと公務員やっていたので、そこからガラッと世界が変わって。
今まで国家公務員だったので、大きな組織の中で大きなリソースを持って仕事ができていたので。渡される仕事ってのはその中の本当に一部分なんですよね。人数も多いので。
それが、急にいろんなことをやらなきゃいけなくなりますし、当然企業ですから利益を出さなきゃいけないっていう、やっぱり公務員とは全然違う視点があるので、体力的には疲れます。でも精神的にはだいぶ楽ですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど、楽なんですね。
渥美洋行:
公務員っていうと、まあ公務員だけじゃないと思うんですけども、いろいろ法律上の縛りがあって、やっちゃいけないことがあるんですよね。
民間人だったら許されるんだけど、公務員がやっちゃいけないこともあって、例えば副業。無償でもいちいち許可を取らないといけません。以前、教育関係の団体の委員になってほしいと依頼を受けて、申請をしたら、なんでやるんだ、どうして君がやるんだと、アレコレ聞かれて、めんどくさくなってお断りすることになりました。
世の中のためになることなのに。
仕方ないことだとは思いますが、いい気分ではないですよね。
無償でそういった部分で縛りがないというのは気分的には楽ですね。
ナカザワアヤミ:
転職をされたのはどうしてだったんですか?
渥美洋行:
公務員をやっている中で、20代はずっと事務系の予算とか経理をやってたんですけど、30代になって事業の担当になるといろんな民間の方や自治体の方と接する機会が増えたんです。
そういう中でいろいろ知り合いも増えて、ちょっとした相談も受けるようになって。いろんな課題があるんだと感じたんですけど、結局公務員だと自分の担当事業以外のことではできないし、個人的にやりたいなと思っても全体を見た中でやれることやれないことがあるんですよ。むしろ、ほとんどやれないことが多いですし。
それを何とかしたいなと思ってずっと過ごしてきて、最初のうちは休みの日とかに、ボランティアっていうほどでもないですけど個人的な活動としてやってたんですけど、それだと限界があるんですよ。できないことも多くて、結局、口で言ってるだけになっちゃう。もうちょっとしっかりとやれたらいいなっていう部分もあって転職したって感じですね。
ナカザワアヤミ:
個人での活動はどんなことをされていたんですか?
渥美洋行:
一つはSDGsの普及のための講師みたいな。ファシリテーターです。
ナカザワアヤミ:
ちなみに、どうやって講師になるんですか?
渥美洋行:
講師養成のための団体があって。民間団体なので別に法的資格でも何でもないんですけど、そこで勉強のための受験料を払って研修を受けて、試験をパスすると、講師になれるんですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。仕事以外でされてることは他に何かありますか?
渥美洋行:
趣味でいうと旅行で海外に行くのが好きです。最近ちょっと言語を学んでいて、海外でいろいろ話すと面白いですね。
あと、博物館とか美術館に行くのは好きですね。
ナカザワアヤミ:
博物館や美術館はどういうところが好きですか?
渥美洋行:
発想が違うというか、普段思いつかないようなことを見せてくれるところがあるので、新しい発見があるんですよね。そういったものは仕事にも役に立つし、生活においてもなるほどなって思うことがあるんですよ。
ナカザワアヤミ:
海外旅行に行く面白さと、博物館美術館の普段見思いつかないところへの発想・インスピレーションを得ることの楽しさっていうのは似てるんですか?
渥美洋行:
そうですね。海外に行くと当然文化とか風習が違うので、日本にいるときと生活のスタイルが違うんですよね。
例えば、僕はよく台湾に行くんですけど、台湾でマッサージを受けていると、マッサージしてくれているスタッフが割と普通に携帯電話で話したりするんですよ。そもそも彼らはマナーモードにしないんです。
「ちょっと待ってくれ、奥さんからLINEが入ってきたんで出なきゃいけないんだ」って言われたりとか、クッキーを取り出しながら「おなかが減ったんで食べていいか」って言われたりとかですね。日本だったら絶対クレームになるよなっていうのも普通にあるんですよ。
アメリカとか、結構有名な話ですけど、彼らは空港とかでスーツケースを普通に投げるので、そうするとスーツケースが買ったばっかりでもボロボロになったりするんです。そういったことが許されるんだっていう世界ですね。リモワのスーツケースってすごい人気なんですけど、アメリカでバシバシ投げられるんだったら確かにリモワのスーツケースいるよなっていう感覚が理解できてくるので、そういった意味では面白いですね。
ナカザワアヤミ:
最近楽しかったことはありますか?
渥美洋行:
台湾に行ったときですね。
中国語を話せるのですが、日本人で中国語ができる人って結構珍しいみたいでスタッフの人が話しかけてきてくれて。お店とかで会話ができたりとか、地元のバーに行ったりとかして、ちょっと仲良くなってFacebookだとかインスタグラムとか交換してですね、そうやって仲良くなってくっていうのは面白いですね。
ナカザワアヤミ:
さっき言語を勉強してるっておっしゃってたんですけど、中国語ですか?
渥美洋行:
中国語と英語ですね。
ナカザワアヤミ:
勉強するっていうのは具体的にどういった形でやられてるんですか?
渥美洋行:
最近はアプリを使って単語の勉強したりとか、文法書を読んで勉強をしたり。中国語はもう契約は終わってるんですけど、コーチングの契約をしているので、わからないところを質問したりとか。
あと、SNSとかで文章を書くことがあるんですけどそのときに英語と中国語で書くようにして。
ナカザワアヤミ:
どうして言語の勉強をしてるんですか?
渥美洋行:
元々は転職のためですね。20代の頃に公務員辞めたいなと思った時期があって、でも目立ったスキルは持ってなくて。特に20代は予算とか経理とか総務的な仕事しか、してなかったので何も特徴がなかったんですね。
その中で、当時中国の経済がすごく伸びていたので、英語ができる人っていうのはたくさんいるけど、当時は多分、中国語できる人っていなくて。それで始めてみたんです。結局リーマン・ショックとか不景気がやってきて、転職どころではなくなっちゃったんですけど。
その後しばらく勉強もしないままだったんですけども、コロナ禍で一時流行ったClubhouseと言うアプリで「台湾好き集まれ」というような部屋があって。僕も割と台湾好きだったのでそこに参加したら、台湾人の友達がすごい増えたんです。そんなに中国語を使ってたわけじゃなくて、向こうが日本語喋れたんで日本語も使って話してたんですけど、なんやかんややっているうちに割と喋れるようになりました。それから、コロナが明けて台湾に旅行に行って現地の人と話す機会があって。
向こうは中国語を喋れる人だとわかると結構難しいことを喋るようになるんです。そしたら話がわからなくて、これは駄目だなって。それまでほぼ独学で勉強してたので、真面目に先生について勉強しないと駄目だなと思って、改めてしっかりやり始めたところですね。中国は一応資格を取ったんですが、転職活動を始めたときに、やっぱり英語できないと駄目だなと感じて英語の勉強を始めて、今もまだ英語を勉強中っていう感じですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。仕事で使っていたっていうよりスキルアップなんですね。
渥美洋行:
そうですね。全然仕事では使ってないですね。
ナカザワアヤミ:
言語を勉強してみるっていうのはどうですか?
渥美洋行:
面白いですね。教科書的な学びだけだとわからない部分も結構あるんですよ。言語も最近や教え方が変わってきていて、YouTubeでも教えてる人も増えているし、コーチングがすごく流行ってる中で、僕たちが昔の教科書で習ってた英語っていうのは日常会話では使わないんだなとか、こういう表現があるんだとかですね。あとは単語自体にも文化背景があるとかですね。そういったことがいろいろわかるのは面白いですね。
ナカザワアヤミ:
「面白い」っていう単語が結構出てきてるんですけど、面白いっていう感情はよくご自身でも感じるんですか?
渥美洋行:
そうですね。結構そういうのを探すのが好きだったりもするんですけど。
今の時代っていろんなものがあふれているので、何か目を引くことをやらないと注目されないんじゃないですか。そのために広告とかも含めていろんな工夫されてるかと思うんですけど、こうやって注目を集めるんだなとか、興味を持たせるんだなとか。
僕自身も仕事の中で、30代のときに防災の教育普及啓発ってのをやってたんですよ。そのとき、意識醸成がうまくいってなくて。
当時の上司と、お役所が普通に防災教育をやっても興味持たないし面白くないよねって話をしていて、どうやって興味を引かせるかねって話になって。とにかくまず面白くしないと誰も興味持たないよねって。興味を持ってもらわないことには何にも動かないというところで、2年間の間でいろいろと考えてその仕事をしてたっていうのもありますね。
ナカザワアヤミ:
渥美さんは人からどういう性格だねって言われることが多いですか?
渥美洋行:
どういう性格…性格ではないですけど、公務員時代によく言われたのはあんまり公務員っぽい雰囲気を持ってないと言われましたね。
ナカザワアヤミ:
へえ。それってどういうことなんですか?
渥美洋行:
たぶんですけど、考え方とか、そうですね、そういうプライベートの活動をしてるときとかに着ていく服とかですかね。あと目のつけどころとかがそんな感じはしないっていうことは言われますね。
ナカザワアヤミ:
具体的にどう違うんですか?
渥美洋行:
人から言われてることなので、自分がどう思ってるかっていう意味で言うと…なんでしょうね、難しいな。でも、何かを変えようとするところかな。
良くも悪くも公務員とか、公務員に限ったことじゃないかもしれないですけど、決まってることってあるじゃないですか。仕組みとして確立してるものがあるとして、それをその仕組み自体を変えようとするとか。
僕自身はあんまり一生懸命努力するのが得意な方ではないので、何とかしてこれをもっと楽にする方法はないかなっていろいろ考えるんですね。
公務員ってちゃんとルールに沿っていれば、線路の電車に乗っていけばいいんですよ。それにも関わらず、僕はそこで何とかしてこう変えてみようと考えるんです。その辺りの考え方はもしかしたら、違うという印象を受けるのかもしれないですね。
過去:ひねくれてるって言い方がいいのかわかんないですけど、素直に路線に乗ってるのが好きじゃなかったんですよね。
ナカザワアヤミ:
これから過去の振り返りっていう視点でお話を聞いていきたいなと思ってまして。覚えてる限りで大丈夫なんですけど、渥美さんは小さい頃はどんなお子さんでしたか?
渥美洋行:
結構愛想のいい子だったみたいですね。よく喋るし、当時はまだ今みたいに怪しい人と付き合っちゃいけませんみたいな雰囲気でもなかったので、愛想を振りまいて何か物をもらってくるとか。お菓子とか大したもんじゃないですけどね。そんな感じの子だったみたいですね。
ナカザワアヤミ:
渥美さんの生まれ育った場所はどんな場所でしたか?
渥美洋行:
生まれは東京都の府中市で、そのあと父親も公務員だったので小金井市にある公務員住宅にずっと住んでましたね。
ナカザワアヤミ:
今も都内にお住まいですか。
渥美洋行:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
府中、小金井だとそうですね、住宅地というか、今ですとほどよく住みやすい雰囲気の場所かなと思うんですけど。
渥美洋行:
そうですね、うん。
ナカザワアヤミ:
小中学生時代はいかがでしたか?
渥美洋行:
小中学生のときには、何かをやりたくないって言って従わなかったみたいですね。あんまり僕自身自分では覚えてはいないんですけど。親に言われたのは、先生に向かって何かの授業をやりたくないって言って違うことをやってたらしいですね。
ナカザワアヤミ:
はい。
渥美洋行:
学生になってからは変わりました。自分で言うのもあれですけど小学校の頃は成績が良かったので。あんまり正直勉強した記憶もないですし、親もあんまり勉強しろって言うタイプではなかったので。割と自由に過ごしてて。でも、本を読むのが好きでしたね。
ナカザワアヤミ:
どんな本を読んでましたか?
渥美洋行:
男の子のありがちな日本史とか三国志とかああいうやつです。
ナカザワアヤミ:
うんうん。中学生時代とかは何か印象に残ってることありますか。
渥美洋行:
中学時代はずっと部活で陸上部の短距離の選手で、都大会にも出たりはしたんですけど、やっぱりそこで、為末さんの話も聞いて同じように思ってたんですけど、もちろん為末さんはもっとすごい人ですけど、短距離の選手って基本的に努力で勝てない世界なんですよ。こういう言い方が適切かわかんないですけど。努力で伸びるのは限界があるって感じたのは覚えてますね。
ナカザワアヤミ:
それが中学生時代。なるほど陸上はその後続けられたんですか?
渥美洋行:
いや、高校ではやめちゃいましたね。中学で疲れてもうやりたくないなと思って、高校は何も部活はしてなかったです。高校時代はどっちかというとアルバイトをしてましたね。
ナカザワアヤミ:
どうしてアルバイトだったんですか?
渥美洋行:
ファミコンとかゲームと言ったら機械系が好きでパソコンが欲しかったんですよ。バイトしたお金でパソコンを買って。当時はパソコンって自分で組み立てとかできたので、よく秋葉原に行って新しいパーツを買い、みたいなことをずっとやってました。
ナカザワアヤミ:
パソコン組み立てはどういう感情でやってたんですか?
渥美洋行:
当時はパソコンってめちゃめちゃ普及してるわけじゃなかったので、それをすることでできることが増えたりとか、あと、ゲームですね。例えば信長の野望が好きだったんですけど、あれって、まずパソコン版が出た後に、コンシューマーのゲームで出るようになってたので、早くやれるのがやっぱりよかったですね。当時は何も考えてなかったんで、パソコンがあってパソコンゲームでやったら自分で武将の数値とか変えられるんじゃないかとか、そういうことも思ってたりとかしたので。実際は全然もちろんいじれないんですけど。
とにかく進化がすごいスピードだったので、いろいろと進化に付いていくってのが楽しかったなってのは覚えてますね。
ナカザワアヤミ:
進化についていく。なるほど。
渥美洋行:
iPhoneが初期に出た頃っていうのは新機種が出るたびに「すごい」って感じがあったと思うんです。今はまたいつも同じのが出たなって感じですけど。そういう感じがパソコンの雰囲気にもあったので、そういうのは楽しかったですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。高校の卒業後は大学に進学されたんですか。
渥美洋行:
それが、行かなかったんですよ。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
渥美洋行:
当時、僕はどっちかいうと、ひねくれてるって言い方がいいのかわかんないですけど、素直に路線に乗ってるのが好きじゃなかったんですよね。と言いながら高校は大学の付属の高校で、何もしなくても普通は大学に行けるんですけど、正直当時は政治の不正とか公務員の汚職とかみたいな事件があったりして、エリートになるってのはあんまり好きじゃなかったんですよ。なおかつ大学行って勉強もしたくないなと。
ファミレスとかで徹夜で勉強して試験をやるバイトの先輩の生活を見てたので、それもあって、技術を身に着けて生きていけたらいいなと思って、プログラムの勉強ができる学校に行きました。いわゆる学校法人の学歴になるようなものではなくて、専門学校って呼んでいいのかわかんないですけども、そういうのを教えてくれる学校に行きました。
ナカザワアヤミ:
ということは、周りがエリートコースに進んでいく中で、進学しないという選択だったっていうことですか?
渥美洋行:
そうですね。先生からはなぜ行かないんだって言われましたけどね。
ナカザワアヤミ:
なんて答えたんですか?
渥美洋行:
いや、もう勉強したくないからですって言ってましたね(笑)
ナカザワアヤミ:
なるほど。プログラミングを学んだあとはどういう進路になるんですか?
渥美洋行:
そのプログラミングの学校は2年間だったんですけど、ちゃんとした学校じゃないからルールがなかったんですよ。1年目のときに来ていた先生が会社を経営してて、会社に来ないかって話が来たんで、そこに就職しちゃって、2年目は結局学校には行かずその会社で働いてたっていう感じですね。
ナカザワアヤミ:
うんうん。
渥美洋行:
プログラミングとか、あとデータベース、SQLっていうんですけど、それをいじる仕事をやりながらその会社でパソコンを組み立てて売るっていう仕事をやっていました。1年間は働いてました。で、結局その学校が2年で卒業という形なので、卒業と同時に会社を辞めてしまいました。
ナカザワアヤミ:
辞めたんですね。
渥美洋行:
辞めましたね。
ナカザワアヤミ:
まずどうして在学中に働くという選択をされたんですか?
渥美洋行:
単純にお金が欲しかったんでしょうね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。で、その仕事を辞めたのはなぜだったんですか?
渥美洋行:
2つあって。1つはそのプログラミングをやってみて、同期と一緒に仕事してるんですけどやっぱり自分に才能がないなっていうのは感じたんですよね。
もう1つ、やっぱり当時大きな会社じゃないので給料が安かったので、上司とかを見てもすごく厳しい生活を送られていたのもあって、これでは将来がないなと思って、若いうちに辞めた方がいいだろうと思ってやめたっていうのが、実際ですね。
ナカザワアヤミ:
才能がないっていうのはどう感じられました?
渥美洋行:
たとえば、こういうプログラミングの動きを作ってほしいと言われたときに、僕が書くとすごく作るのに時間もかかるし、できなかったりするんですよ。できないな、とか言ってると、同僚はできるんです。やっぱそこに力の差を感じたってのは一つありますね。
ナカザワアヤミ:
辞めた後はどうされたんですか?
渥美洋行:
その後はバイトしました。特に辞めたからといって何をするってことも考えもなかったので。
1ヶ月はとにかく何もしなかったんですけど、やっぱり1ヶ月何もしてないと、深夜型の生活になって、うまく言えないですけど何となくまずいなっていうのは感じたのでバイトを始めました。とりあえず。
ナカザワアヤミ:
それが20歳前後ぐらい。次を決めずに前の仕事を辞めて、バイトをして。
渥美洋行:
そうですね。
ナカザワアヤミ:
今のところ国家公務員になりそうもない感じですね。
渥美洋行:
そうですね(笑)
なんか漠然と、次に行くのは大きな企業がいいなと思って。でもとにかくすごい不景気だった時期でもあったので、具体的に就職するってことは何にも考えてなくて。そのとき、地元の友達と話していたら、国家公務員試験を受けるんだって話を聞いたんです。
いろいろ調べてたら、そうか国家公務員になったら仕事は当然9時5時で終わって楽だろうと思ったんです、そのときは。なおかつ、学歴に関係なく試験さえ受かればとりあえずなれるので、それもいいなと。
さらに試験の形式がマークシートだったんですね。
ナカザワアヤミ:
はい。
渥美洋行:
僕、割とマークシートの試験って得意で。勘がいいのか何なのかわかんないですけど。高校時代もマークシートの試験と普通に筆記で受ける試験って2種類あったんですよ。マークシートの試験の点数がすごく高くて。差が1教科で20点ぐらい開いたりとかするぐらいで。別に勉強量は変わってないんですけど。それもあって、これだったらいけるかなと思って、公務員試験の勉強を始めて。受けたら受かったっていう感じですね。
ナカザワアヤミ:
どのぐらい勉強されたんですか?
渥美洋行:
そんなに多くはないですね。動き出してから試験が終わるまででいうと試験が6月にあって、その前の年の10月ぐらいからです。9ヶ月ぐらいかな。と、言っても勉強しない時期もあったので、実質はそこまではやってはいないですね。
友人なんかは図書館とかに引きこもって、1日8時間とか10時間とか勉強してたって言ってましたけど、全然やってなくて、本当最後の1、2ヶ月でパパッとやったって感じです。ただ僕元々歴史とかが好きだったのもあって社会系の学科が得意だったんですよ。
ナカザワアヤミ:
はいはい。
渥美洋行:
もともと試験の分野が好きだったのは大きかったと思います。
学生時代とかに憲法とかって勉強したりするじゃないですか。割とその部分の成績良かったので、その部分をやらなくてよかったっていうのが。勉強量が実質的に少なくて済んだというのはあると思います。
ナカザワアヤミ:
公務員試験は受けて1回目で受かったんですか?
渥美洋行:
一回目で受かりました。
ナカザワアヤミ:
ちなみにそれが何歳のときでした?
渥美洋行:
22歳ですね。だから大学卒と同じタイミングで試験を受けたんです。
ナカザワアヤミ:
実質新卒で入庁する人たちと同じタイミングで。
渥美洋行:
そうですそうです。大学を飛ばして新卒で入ったみたいなイメージですね。
ナカザワアヤミ:
勉強とバイトってずっと一緒に続けてたんですか?
渥美洋行:
そうですね。どっちかっていうとバイトの方頑張ってましたけど。
ナカザワアヤミ:
このときって、実家から通っていたんですか?
渥美洋行:
そうですね、実家です。
ナカザワアヤミ:
ご家族の反応とかいかがでしたか。全体的に。
渥美洋行:
特段うるさいことを言う家族でもなかったので、辞めたことに対しても、「そうか」っていう感じでしたし。公務員試験を受けるって言ったらそれはそれなりに喜んでいましたけど。安定した職業につけるので。ただそれ自体をすごい押してくるとかっていう感じはなかったですね。ああしなさいこうしなさいって言われることはなかったです。
ナカザワアヤミ:
なるほど。それで国家公務員になるんですね。通常の新卒と同じようなタイミングでしたしね。
渥美洋行:
農水省に入ったんですけど、そのとき早く人が欲しかったみたいで、新卒なら4月に入るんですが、当たり前ですけど。僕は人事に「時間空いてるんでしょう、10月に来て」と言われて。僕は正直言うとそんなに農水省に行きたかったわけでもなくて、東京都の試験がその後にあるので、それを受けようと思ってたんですよ。
ナカザワアヤミ:
国家公務員と、都庁の。
渥美洋行:
そうです。単純に都の方が給料が高いっていうだけなんですけど。それが9月の下旬ぐらいにあって、受けるつもりだったのですけど、それを言われちゃって。仮に都に受かったとしても入省していたら、そこでやめますとも言いづらいなと。でも、受かるかわからないし、断って入省のチャンス逃すのはもったいないよなと思って、9月に内定が出たときに、了承して、10月に入ったっていう感じですね。急遽バイトもやめることになって。大卒の新卒の同期より半年早く入りましたね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
渥美洋行:
20代のときは元々一般職として入ったので、農業政策とかそういったことにも携わることがなく、予算とか経理をやってました。民間企業でいうと総務部とか経理部ですよね。僕自身も正直言うとそんなに長くやろうと思ってもいなくて、そのうち辞めるだろうなと思ってました。実際そこで6年ほど経って28ぐらいになったとき、いやそもそもそんなに事務面白くないし、辞めたいなと思って中国語を始めたっていう。
ナカザワアヤミ:
うんうん。
渥美洋行:
辞めようと思っていろいろと中国語の勉強を始めて、さて具体的に転職活動に入ろうとしてたところにリーマン・ショックがやってきて。当時、企業が結構潰れたりとかいろいろ起きてきたのでこれはもうそれどころじゃないなと。でも、仕事に対する行き詰まりを感じてて、当時の上司に「他省庁に行きたいんです。」、と相談して、総務省に出向させてもらったっていう感じですね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
渥美洋行:
2年間総務省で過ごして結構楽しかったんですよ。違う省庁ってのはすごく面白くて、当然出向なんで2年間で帰ってこいって言われて戻ってきたんですけども、やっぱり戻ってきても楽しくなくて(笑)また出たいですって言って、ちょうど内閣府の防災教育担当のポストがあったので出向して、そこで2年間。運良く上司の方が電通から出向してきた方だったので、広告とはなんぞやとか伝え方とはなんぞやといろいろ教えていただいて、これはすごい面白いなと思いながら2年間過ごしました。
で、当然、また農水省に戻るわけですよね。そのときはたまたま総務とかとは違う仕事の部署に就いて、その3年間は割と楽しくやってましたね。
今ではメジャーになりましたけど、食品ロス削減の関係の仕事をやってたので、食品ロス削減を社会に理解してもらう運動の走りのころをやっていて。僕は課全体を見てただけなので、がっちり入ったわけじゃないんですけど、そこのセクションの上司の方がすごく工夫されていて、すごいなと思いながらお手伝いしていました。
当然いろんな民間企業の方とも一緒にやらなきゃいけないので、メーカーの方ともお話する機会があって、大きなメーカーも楽ではないんだと言うことを知りました。知識を得ることができて、話も聞けて面白かったですし、やっぱりそこの3年間はすごく良かったですね。
ちょうどそのときに熊本地震が起きて、防災経験者ということもあって、食料支援チームのメンバーとして3週間ほど被災地に食料を送るための調整業務もやりました。これを送りましたこれ送ってませんとか、これから送りますとか、その調整をやっていましたね。
ナカザワアヤミ:
うんうん。
渥美洋行:
その後、3年間でまた部署が変わるって話が出てくる時期が来たので、事務に戻されるのはいやだなと思って、また出向したいですと言ったんですで、公益法人の監査っていうポストがあるということで公益認定委員会っていうところに出向しました。
最初の頃は財務諸表とかも全然わからないっていう状況だったんですけど、だんだん財務諸表も読めるようになってきて。
監査に行くのって、いわゆる業界団体と呼ばれるところが多かったんです。なので世間一般からは天下りみたいなイメージがあったんですけど、行ってみて監査して事務局長とか話をしてるみると、いろいろ知られていない社会貢献活動もされたりする、そういった面もあって。
天下りとか全然ない公益法人もあるので、苦労もされたりとか、話を聞いてると面白くて、僕自身もすごく勉強になりましたね。
3年間、楽しくいろんなことを知れて面白かったですね。
その中で法人の方から、相談も受けるようになって、もちろんルールがあるのでそのルールの範囲内でできることをお伝えしたりとか、そういったやり取りもありました。本来の立場は監査人なので取り締まるのがメインなんですけども、それ以外のこともできましたし、いろんな業界の団体ともお話ができたので、すごく自分のためになったし、やってよかったなと思う仕事でしたね。
ナカザワアヤミ:
お仕事の部分がこれまでの記憶と結びついてらっしゃるんだなと思ったんですけど、人生の中で人との関わりとかっていうと、印象に残る人はいましたか?
渥美洋行:
そうですね、防災の仕事をしていたとき、消防の現場の方が、出向で来てたんです。
当時の防災の仕事ってめちゃくちゃ忙しくて、大体月200時間ぐらい残業していて、精神的にはしんどくて。そんな膨大な量をやれって言われるんですけど、1人でのキャパ限界がある。消防の人と一緒に2人で組んで仕事をしていて、彼は僕より若かったんですけど、「別に人が死ななきゃどうでもいいんですよ」と言われて。そう言われたらそうだよね、と。
それまで僕はどっちかというと、言われたことはこなさなければならないっていう考え方を持ってたんですけども、周りはみんな全部こなしてるかと思いきや、そこまで完璧にできてないねっていうものも見えるようになってきて。
そこから仕事に対する考え方が変わりましたね。手を抜くっていうのはちょっと違うんですけど。全部理想の仕事ができれば、最高なんですけども、現実にできることってのは限られてるし。割り切れるようになって上手に仕事ができるようになったなっていうのは一つあります。
ナカザワアヤミ:
へえ。地方からの出向の方。
渥美洋行:
はい。やっぱり消防の人は命を預かる仕事だったので。人が死んだら一番彼にとって悲しいことなんですけど、人の死以外は、現実的にやれることをやる。そういう考え方を持つっていうのは大事だなと感じましたね。
さっきも話しましたけど電通の方と一緒に仕事して、学ぶことも多かったです。
もう一つは、部下をたくさん持つ経験が得られました。
部下にどうやって仕事をうまくやってもらうかと言う経験を得ることができましたね。
特に国家公務員の場合だと、東大とか、いい大学を出た頭のいい子たちを部下にすることがあるので。彼らの意見とか質問ってやっぱり鋭いんですよね。それに対してうまく答えていくっていうのは大変でしたけど、すごい勉強になりましたね。
ナカザワアヤミ:
うん。うん。
ちなみに素朴な疑問で、ないならないでも大丈夫なんですけど、結構仕事中心のお話がたくさん出てきたんですけど、それ以外で印象に残ったことはありますか?
渥美洋行:
確かに仕事しかしてないですね。うーん、意外と出てこないですね。30代は残業ばっかりだったので。
強いて言えば、今のアート好きに繋がってるのは30代のときに付き合ってた彼女の影響です。美大出身の子と付き合ってたんで。彼女が、ここへ行きたい、あそこに行きたいっていうのについていって。自分も元々、好きだったんでしょうね。彼女に言わせると前に付き合った人はそういうの全然興味をもってくれなかったって言ってたんですけど、僕は割とそれを楽しんでたので。そういった面がありますし。
あとは、ほかに付き合った子で、対処が大変だったことがいました。それに対して僕はそんなに恋愛経験が豊富だったわけではなかったので、どう付き合っていけばいいかっていうことで心理学の本をいろいろ読んだんですよ。意外と人生において今でも役には立ってるかなっていうのはありますね。
未来:そもそも考え方が違うんだなっていうことをわかって話を聞いてると、受け止め方が全然変わってくるんですよね。
ナカザワアヤミ:
渥美さんは将来、5年後とか10年後、もしくは死ぬまでっていうところを想像して、未来についてはどういったイメージをお持ちですか?
渥美洋行:
個人としての5年後というのは、そうですね、理想像として言うと、今の仕事で一緒に関わってくる人たち、そういう人たちはすごく若いんですね。僕はそもそも年もいってるので、僕がいろいろ学んできたことを教えてあげて、若い子たちが会社にしがみ付かなくても仕事ができる能力をつけてくれたらいいなと思ってます。
多分それも期待されて、会社も採ってくれたんだろうなと思っているので、僕の持ってるものを渡してあげられたらいいなというふうに思ってますね。その上で僕は、もう隠居したいです(笑)
ナカザワアヤミ:
なるほど。死ぬまでにやっておきたいことはありますか?
渥美洋行:
それは割とないですね。自分で何かを成し遂げたいというよりは、人から相談を受けることも多いので、それを解決できればいいなとは思います。自分としてこれをしたいっていうのはなくて、という感じですね。
ナカザワアヤミ:
うんうん。ご自身の人生の中で転換点みたいな部分ってどこだったと思いますか。
渥美洋行:
今思えばやっぱり中国語を学んだというところでしょうね。
たまたま、2007年に台湾に行ったんですよね、旅行で。今でこそ台湾は日本人に人気の国だし親日国だしっていうのはあるんですけど、当時の台湾って本当にもう昭和30年代のような街で、今みたいに綺麗でもなかったんです。けど、僕にとっては雰囲気が良かったんです。それで中国語を学ぶようになって。
転職のときに、今の会社に繋がるきっかけが中国語だったんですよ。仕事は中国語と関係ないんですけど、中国語が縁で知り合った人からの繋がりで。18年前に始めた中国語がこんなところで役に立つのかっていう感じではあるんですけど。でも、やっぱりそれは結構ポイントとしては大きかったですね。中国語は人生においてすごく役に立ってますね。
ナカザワアヤミ:
うんうん。
渥美洋行:
友人が増えるって意味でも。世界各国に友人が増えたんですよね。台湾人の人たちは別に必ず台湾にいるわけではないですから。日本にもいるしアメリカにもいるし、オーストラリアにもいるし。
ナカザワアヤミ:
なるほど。実際そこで中国語をしなかったらどんな人生になってたと思いますか?
渥美洋行:
今でも細々と公務員やってたんじゃないすかね。
転職のつながりもできなかったし、今みたいにいろんな仕事をしないで、無難に事務職を黙々と続けていっていた気がします。
ナカザワアヤミ:
なるほど。仕事のことでもプライベートのことでも大丈夫なんですけど直近でやりたいことってどんなことがありますか。
渥美洋行:
やりたいこと。知り合いのインテリアデザイナーさんにお願いをして、いい家を作りたいですね。完全に個人的な話ですけど。
インテリアが好きなので、その方のYouTubeとかを見ていて。こういう家が作れたらいいなって思って。僕が連絡して相談して、やりますよと言われてるんですけど、肝心の物件がないっていう状況で。それはやりたいですね。
ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。いろいろお話を伺ってきたんですけど最後にインタビュー1時間を通して残したことは何かありますか。自分向けでもいいですし、読んでいる方に向けてでも大丈夫なんですけれども。
渥美洋行:
何かをすることっていうのは、何かしらの意味があるっていう感じですかね。期待していた効果とは違うかもしれないですけど。
例えば中国語がそうなんですけど。何かをしておくことがのちのちに効いてくることがあるので、やることは無駄ではないってのはすごい感じましたね。
僕は防災の仕事をしたときによく言ってたんですけど、「知っていてやらないのと知らないっていうのは全然違う。」だから、僕は防災の仕事の中での問いかけとしてよく言ってたのは、「とりあえず1回はやってみてください。その上であなたが必要ないと思うんだったらそれを別に強制はしませんけど、知っててやらないのと知らないってのは全然違いますよ」って。
ナカザワアヤミ:
確かに防災だと特にそういう面がありそうですね。
渥美洋行:
はい。仕事でも着手してみると見込みと違ったということがありますよね。
経験のない中で、想像でこうだろうと決めつけて、実践経験がないと思わぬことが起きた時に対処できないので、前提知識があるかないかってのはすごく大きな違いだと思いますね。
物事を話すときもそうで、外国の方とお話をするときに、そもそも根本的に考え方が違うということをわかって話を聞いてると、受け止め方が全然変わってくるんですよね。よく中国とか、台湾の方が失礼だと、日本人で怒る方がいらっしゃいますよね。その気持ちもわかるんですけど、それがその国でそもそもの普通だったので、彼らにとっては別におかしなことではないんですよ。
それがわかって話を聞いてると、変な日本語が出てきたとしても、これ中国語だとこういうことだからこう言ってんだなと思って、別に気にもならなくなるというか。という部分はあるので、やっぱり前提知識は大事だと思いますね。
ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。
あとがき
渥美さんのインタビューを編集しながら、本当にネガティブな評価を口にしない方だなと思いました。
むしろ、運がいいとか、面白いとか、こういう学びになったとか。
原動力をまとめると「好奇心」という表現になるのかもしれないですが、世界を前向きに捉えるために好奇心を使っていて、読んでお気づきかもしれませんがめちゃくちゃにパワフル。でもパワフルの押し売りをされるわけでは決してなく。
こういう方がメンヘラな方とお付き合いするのはどういうきっかけなのだろうと思ってしまいました。
【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】
https://note.com/hana_k/
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