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難病支援の地域おこし協力隊の人
むかしむかし、山深い村に、希美(のぞみ)という名の若者がいました。希美は都会で看護師として働いていましたが、「難病支援の地域おこし協力隊」という噂を聞き、この村にやってきたのです。
村には、長年の間、原因不明の病に苦しむ人々が多くいました。村人たちは「山の呪い」だと恐れ、病人たちを遠ざけていました。
希美は村に着くなり、病人たちのもとへ通い始めました。彼女は都会で学んだ最新の医療知識を活かし、一人一人に寄り添いながらケアを行いました。
同時に、希美は村人たちに病気についての正しい知識を伝え、「呪いではなく、治療法がまだ見つかっていない病気なのだ」と説明しました。
最初、村人たちは半信半疑でしたが、希美の献身的な姿に心を動かされていきました。やがて、村人たちも少しずつ病人たちを手伝うようになりました。
希美は、病人たちが作った手工芸品を都会で売る仕組みを作り、彼らに収入と生きがいをもたらしました。また、村の豊かな自然を活かした「療養の里」として、外から人を呼び込む計画も始めました。
ある日、都会の大学病院の医師が村を訪れ、病人たちの症状を詳しく調べました。その結果、この地域特有の難病であることが分かり、新たな研究のきっかけとなったのです。
月日が流れ、村は「思いやりの里」として知られるようになりました。難病と向き合いながらも、互いに支え合い、前を向いて生きる村人たちの姿に、多くの人が勇気づけられて訪れるようになりました。
後に希美はこう語ったそうです。「病は辛いものです。でも、それと向き合い、乗り越えようとする姿こそが、人々の心を動かし、地域を変える力になるのです」
そして「病も個性、人も地域も共に生きる」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年9月18日8時15分に書く無名人インタビュー899回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 丸山雄也 さんです!
年齢:20代後半
性別:男性
職業:新潟県地域おこし協力隊
現在:スマートスピーカーを使って、難病の方の生活の質を上げることができる
ナカザワアヤミ:
丸山さんは今何をしている人ですか?
丸山雄也:
私は今、新潟県の地域おこし協力隊として、新潟県全域の難病患者さんとその家族の要望に合わせて、スマートスピーカーをはじめとした安価で操作性に優れたICT機器を選定し、一定期間無料でお試しいただく『在宅環境におけるICT機器利用促進支援』を実施しています。
ナカザワアヤミ:
機器をお試しで使ってみることができるんですね。
丸山雄也:
そうですね。例えばALS、パーキンソン病とか、難病って言われる病気はいろいろあるんですけど、だんだん体の一部が動かなくなってしまうことが共通してあります。そうした中で、スマートスピーカーやスマートリモコンという機器を活用することで、今まで家族に頼んでいた、エアコンをつけるとか、テレビのチャンネルを変えるとか、そうしたことを本人が声で操作できるようになる。しかも、それが数千円から数万円ぐらいでできるようになる。そうすることで、本人の生活の質を上げることができ、家族の負担も減る、ということを私の方でお伝えして、支援させていただいてるような状況ですね。
ナカザワアヤミ:
どうしてそういう活動をしようと思ったんですか?
丸山雄也:
2022年頃に新潟県長岡市にある長岡保健所がこうした機器を貸し出す支援を始めていたんです。きっかけとなった患者さんはALSを患っている方で、歩行はできて喋ることができるけど両手が全く動かないという状況の方でした。その方に対して長岡保健所の保健師が、スマートスピーカーとスマートリモコンを使えば、自分で声を出して、家電を動かすことができるから使ってみないか、ということを伝えて機器を貸し出す支援を始めたんです。支援後、今まで家族に頼んでいたテレビの操作やエアコンの操作が自分の声でできるようになって、家族の負担が減り、本人の生活の質が数値として上がって、これは良い支援だよねっていうことが確立されたんですね。
そこで、この支援をもっと広めるために地域おこし協力隊という制度を使って難病支援の専任の人を募集しようという話になって、その募集を見たことがきっかけで私は応募しました。
長岡保健所の取り組みが取材された動画
ナカザワアヤミ:
新潟県から募集があったんですね。
丸山雄也:
地域おこし協力隊には二つ種類がありまして、県の協力隊と市区町村の協力隊。私は県の協力隊なので活動範囲が新潟県内全域になります。
ただ、私が今住んでるのは長岡市なので、長岡市から糸魚川市や新発田市など、難病患者さんとその家族から要望があれば、県内どこへでも訪問しています。
ナカザワアヤミ:
なるほど。募集を見つけて参加されたっていうことだったんですけど、どういったことをやりたいと思って応募されたんですか?
丸山雄也:
募集を見て、可能性がすごくあるなと思ったんです。
もともとドキュメンタリーを見るのが好きで、例えば難病の方が視線で五十音を選んでコミュニケーションを取るっていうのは見たことがあったんですけど、そういうものじゃなくて、私自身も普段から使っているスマートスピーカーを使って、それが難病の人に転用できるっていうことであれば、どのぐらい可能性があるんだろうっていうのを確かめたくなって。
ナカザワアヤミ:
なるほど。新潟県地域おこし協力隊になって、難病支援を始めたのは去年からでしたっけ?
丸山雄也:
そうですね。2023年の11月からなので、本当にちょうど1年ぐらいですかね。
ナカザワアヤミ:
うんうん、もうすぐ1年。実際やってみて今どう感じていらっしゃいますか?
丸山雄也:
実際やってみて、手応えはありますね。声で家電を動かすことができることに喜んでいただくことも多いですし。ほかには、スマートスピーカーには特定の時間になったら特定の言葉を話してくれるっていう機能があります。パーキンソン病の患者さんの場合、1日8回ぐらいお薬を飲まなきゃいけない方もいて、そういう方にとっては、「お薬の時間ですよ」って音声でお伝えすることを設定するだけで、今まで家族が「薬飲んだ?」と確認していたけど、スマートスピーカーが代わりに言ってくれることで家族も確認できるし、本人もわかるし、飲み忘れの回数が減ったりとか。
そういう、私も着任する前に気づかなかったような使い方もあるんだなっていうことがだんだんわかるようになってきたので、可能性はあるなと。ただ、まだまだこの支援自体の認知度があまり高くないので、本当に届いてほしい人たちにまだ届けられてないのかなという思いも今はあります。
機器を今まで触ったことのない人に一番届けたいと思っていて、そういう人たちも使えるのがこのスマートスピーカーとスマートリモコンだったりするので、そこがちょっともどかしい部分ではあるなと。
ちょっとつらい部分ではあるんですけど、支援の途中でお亡くなりになってしまうとか、そういう場合もあったりするので、もうちょっと早く接点を持てたらいいなとも思っています。
ナカザワアヤミ:
日々の活動はどのようにやられているんですか?
丸山雄也:
活動としては主に3つあります。
1つ目は、在宅環境におけるICT機器利用促進支援。新潟県内の難病患者さんやその家族、支援者から依頼があったら要望を聞いて、ご自宅に伺い、機器を一定期間無料で貸し出す支援をメインの活動としてやっています。これは主に新潟県内の保健所から難病患者さんに対して情報を発信して、そこからお問い合わせをいただいた方に対して、支援を実施しています。
2つ目は、看護学生との協働による難病支援。将来の医療従事者である、長岡崇徳大学ICTサポーターサークルの看護学生と連携し、様々な形で難病支援を提供しています。
3つ目は、活動の広報。主にnoteで難病支援についての情報発信をしています。
https://note.com/niigata_nanbyou
丸山さんのnote
元々この支援は長岡保健所が令和4年度から始めたものなんですけど、そのときは実績としては5名でした。私が着任した令和5年度は、倍の10名の方に支援させていただきました。今年度も月に大体1人か2人ぐらいのペースで支援を実施しているので、10人以上の方への支援を見込んでいます。
こうしたスマートスピーカーなどの安価で汎用性の高いICT機器を難病患者さんに活用していただく支援は全国的にもあまりないので、新潟県内外の難病に関わる医療従事者に向けて事例を話す機会も多くなってきています。また、最近は地元のテレビや新聞にも取材いただくことも多くなってきました。
https://www.ohbsn.com/tv/programs/omusubi/article/n22.php
新潟に暮らす移住者たちに密着した番組「Nターンズ」に出演
ナカザワアヤミ:
なるほど、ありがとうございます。
ちょっと話が変わるんですけれども、丸山さんは最近楽しかったことは何ですか?
丸山雄也:
楽しかったことは、そうですね、新潟には縁もゆかりもなかったんですけど、最近、柏崎の海でSUPを初めてやってみたんですよね。神奈川県の山の方に住んでたので、海で遊ぶみたいなこと全然しなかったんですけど、そういった全然やったことないアクティビティをやれたのはすごい楽しかったなって思いますね。
ナカザワアヤミ:
趣味とか、何かやってらっしゃることって仕事以外にあったりするんですか?
丸山雄也:
今は特に趣味みたいなものはあんまりないですね。でも、同じ新潟県の地域おこし協力隊で、大体同じ時期に着任した方が何名かいて、ミッションは違うんですけど、年代も同じぐらいなので、そういった人たちと遊ぶっていうのが今、趣味というか、楽しみの一つですね。
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ナカザワアヤミ:
なるほど。今の生活の中心はどんなことですか?
丸山雄也:
そうですね、本当に今は難病支援がほぼほぼ生活の中心になっていますね。地域おこし協力隊は3年間と決まっていて、現時点でもうすぐ1年経つ。この任期が終了してしまうと、本当に何者でもなくなってしまいます。
そのため、任期が終わった後も難病支援を継続できるように、2024年4月に『難病ICTサポーターズ』という任意団体を立ち上げました。現在はいろいろと試行錯誤しているような段階なので、本当に生活の中心になっちゃってるっていうのが現状ですね。
難病支援を継続するために立ち上げた『難病ICTサポーターズ』のホームページ
過去:「やりたいときにやるのが人生でしょ」みたいな価値観だったので、こういうふうに生きたいなってすごく思いました。
ナカザワアヤミ:
ちょっと振り返る質問になるのですが、丸山さんは、覚えてる限りの昔のことで大丈夫なんですけれども、どんな子ども時代でしたか?
丸山雄也:
子どものとき、そうですね、何かを作ることが好きだった子どもだったと思います。泥だんごとかを作るのがすごく好きで、図工とかそういうのも授業としては好きだったなって思いますね。
あとはバスケットボールを小学校から高校までは部活で、大学はサークルでずっとやってましたね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。先ほど神奈川県出身っていうふうにおっしゃったんですけど、生まれ育った場所は、どういう風景の場所でしたか?
丸山雄也:
私は神奈川県の横浜市出身なんですけど、横浜市と言っても結構広くて、どちらかというと山側というか、近くには田んぼもあり、山もあり、というようなところで育ちましたね。すごく田舎っていうわけでもなく、自然もあるし、ちょっと行けば商業施設もあるしっていう、環境的にはすごくいいところで育ちました。
ナカザワアヤミ:
なるほど。物を作るのが好きだったと話されてたんですけれど、泥だんごの他にはどんなものを作ってたんですか?
丸山雄也:
絵を描くこととかも結構好きで、いろいろ模写とかもしていた覚えがありますね。
ナカザワアヤミ:
ずっとそういうことは好きだったんですか?
丸山雄也:
何か暇があれば描いたりとかしてた記憶がありますね。ただそれも小学校ぐらいで、中学校からはもうずっと部活、バスケットボールに熱中してましたね。高校もバスケ部でした。
高校のバスケ部が高校3年生の夏で引退になって、それまで熱中したものが急になくなってしまったので、これはどうしようかなと思ってたんですが、そのとき、NHKの「のど自慢」がちょうど横浜の隣の川崎市で開催するっていうことを知ったんです。
父親がそのときちょうど単身赴任で仙台にいたので、父親のために歌いますっていうことではがきを送ってみたら予選に行けて、予選の歌唱審査も通って、高校3年生の秋、10月にNHKのど自慢に出ることができたんです。
それが一つ、ターニングポイントじゃないですけど、すごく自分の中でも嬉しい経験だったんですよね。人と違うことをしたいなっていうのが漠然とあって、それが一つ叶った結果が、NHKのど自慢だった。自分のやりたいことをやることが自分の幸せに繋がるのかなっていうのは漠然とそのとき思いました。
ナカザワアヤミ:
それまでやっていたバスケとかの経験と、のど自慢の経験はどういうところが違ったんですか?
丸山雄也:
おそらく、バスケでやっぱり上には上がいるというか、なかなか勝てないことが続いて、引退試合はもうコテンパンに打ちのめされたんですね。でも、のど自慢とかだと、本当に自分の考えたことというか、自分発信で、自分にしかない武器で戦って、それが結果的に通ったような経験だったんですよね。単純な力の戦いじゃなくて、独自の戦略が通用するような経験で、のど自慢は力と力じゃなくて自分の考えでうまくくぐり抜けた感じがしたので。
なんだろうな、単純に強いっていうことじゃなくてユニークさで勝ったなって。今後は多分そっちで勝負していった方がいいんじゃないかなっていうことを考えましたね。
単純に1点が強いってわけじゃなくて、いろんな要素を持ってきて、ぶつけるみたいな戦い方が自分に合ってるなっていうことを、そのときにすごく思いました。
ナカザワアヤミ:
そもそも今まで歌の話ってあんまり出てこなかったんですけど、出ようかなと思うきっかけはなんだったんですか?
丸山雄也:
もちろん、歌も好きといえば好きでして、偶然のど自慢が川崎に来ることを知ったんです。そういえば歌も好きだけど、応募する理由って何だろうなって考えたときに、単身赴任している父親のために歌うっていうのは、ストーリー性あるし、親孝行できるし良さそうだな、と。あとは、高校の制服が学ランだったので、衣装的にもいいのかな…と、いろいろと考えた結果、「受かるかもな」と思いました。のど自慢にずっと出たかったというよりは、いろんな要素の組み合わせとタイミングが全部合ったから出場したっていう感じですね。
ナカザワアヤミ:
なるほどなるほど、結構考えた上で出場されたんですね。
丸山雄也:
そうですね、そのときに、自分の思ってた通りに全部はまった感覚がして。今ある自分の手札というか、そういうのも組み合わせれば、成功できる道もあるんだなっていうのは思いました。
ナカザワアヤミ:
なるほど。その経験が活きた過去の経験は他にもあるんですか?
丸山雄也:
そうですね、その後に私、新卒でフォントのメーカーに入ったんですね。ゴシック体とか明朝体とか、そういうものを販売するメーカーがあるんですけど、そこに就職をして。その後、20代のうちに海外で生活しておきたいなという思いがあったので、その会社を辞めて青年海外協力隊で2年間東南アジアのラオスで活動しました。
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その2年間が終わった後に、日本に戻ってきて今度は都内でベンチャーのコンサルティング会社に就職することになって、そこはすごく成長できる環境ではあったんですけど、もっと自分でガチャガチャ動いて現場でやりたいなっていう思いがあって。そのモヤモヤしてる中で、難病支援の地域おこし協力隊の募集を見つけました。
地域おこし協力隊に着任してから知ったんですけど、一緒に活動する保健師さんが青年海外協力隊の経験者だったり、支援する患者さんが実は過去にのど自慢に出場してたりして。そういった共通点があるとすぐに仲良くなれますし、そうした意味では本当にいろんな経験をしてよかったなというのはそこでも思いましたね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。結構今のところいろいろあったので、ちょっと1個ずつ気になるところ聞いていきたいんですけど、そもそもフォントの会社に新卒で入社してるっていうところで、一応メーカーですよね。フォントメーカーに就職したのはどういうきっかけだったんですか?
丸山雄也:
逆求人型、スカウト型の就職サービスを使っていて、履歴書を登録しておくと企業から説明会にきませんかとオファーがあるんですよ。
実は大学時代に、遺影写真を制作するアルバイトをしてまして。いわゆる制作会社みたいなものなんですが、お写真を綺麗にして、枠取りとかゴミちょっと取ったりとかする、そういう会社が家の近くにあったんで、応募して受かってバイトを始めました。
そこで丸2年間ぐらい働いたんですよ。基本的に葬式関連の制作物が多かったんですけど、例えば、お葬式で流す思い出ビデオの制作とかもあって。PhotoshopとかIllustrator、Premier Proとか、そういうデザインソフトが扱えたことが説明会に呼ばれた1つの要因なんじゃないかなって思います。
そのフォントメーカーの説明会に行くまでは、全然私も全然知らなくて。フォントの会社ってあるんだっていうところから、電車の広告とか雑誌とかで使われてるものの大半がその会社のものなんですよ、皆さんも囲まれてますよ、みたいな話を聞いて。確かにフォントって一生使うものじゃんって。学んで損はないよな、面白そうだなっていうことでそのまま面接を受けて、入社しました。
ナカザワアヤミ:
そもそもオファーをもらうタイプの求人だったんですね。それ自体は一般的なことなんですか?
丸山雄也:
ほぼ一般的だと思うんですが、その当時はそのサービスが出たてであまり登録者もいなかった気がしますね。私が就職したのが2017年で、その当時はあまり使ってる人がいなかったと思います。
その会社ではユニバーサルデザインフォントっていう、誰にでも見やすく読みやすく作られたフォントがあるんですけど、そのフォントの営業をしてました。その中でディスレクシアっていう、明朝体とかのちょっととがった部分が、刺さって見えたりとか、ちょっと揺らいで見えちゃうっていう方がいらっしゃるんですけど、そういう方々と直接お会いしていろいろとお話するっていう経験があって、今思えば、難病支援につながるような活動を当時からしていましたね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。
丸山雄也:
そこで働いててすごく楽しかったんですけど、20代のうちに海外での経験をしたいという思いがずっとあったので。
その会社も一応海外展開はしていたんですけど、ただ、その自分が希望する部署に行くには30代ぐらいじゃないと難しいということがだんだんとわかってきて。そこで、自分のスキルを活かして海外で生活できる手段をいろいろと探していった結果、青年海外協力隊という、有償のボランティア制度があることを知りました。これまで培ってきたITの知識で、発展途上国でスキルを伝えて貢献できることに魅力を感じて、勢いで応募しました。そして、ラオスに行くことになったんです。
ナカザワアヤミ:
なるほど。海外に行きたいっていう話はどのぐらいから思っていたんですか?
丸山雄也:
学生時代に海外ドラマにドハマリして、憧れを抱いてました。そこで、20代のうちに海外経験したいなっていうことを漠然と思ってたっていう感じですね。
なんか絶対に行きたいっていうわけでもなかったんですけど、社会人2年目とかになってくると、周りが結婚とか子供でき始めて、身動きが取れなくなってるという話を聞いたときに、本当に20代のうちに行かないと一生後悔するかもっていうのはそこで思い始めて。で、会社辞めてラオスに行くことに。
ナカザワアヤミ:
いろいろな形で違う世界に行くタイミングが結構あったのかなと思うんですけど、ご自身として何か転換点はありましたか?
丸山雄也:
そうですね、やはりラオスに行ったことが今の自分の生き方が決まった転換期ですかね。ラオスに行く前に70日間の泊まり込みの語学訓練があって。同期の隊員が170人ぐらいいたんです。私のようにアジアに行く人もいれば、アフリカに行く人もいて。
ナカザワアヤミ:
うんうん。
丸山雄也:
そこでいろんな人と話すと、「一度きりの人生だから楽しもうぜ」みたいな人たちの集まりで。それに加えて、自分の力を生かして誰かのために役に立ちたいっていう思いがすごい強い人たちだったんです。なんか、こういう生き方っていいなと。「やりたいときにやるのが人生でしょ」みたいな価値観を直接ぶつけられたので、こういうふうに生きたいなって強く思いました。
実際にラオスに行って、もちろんその現地の生活とか、現地の人たちの触れ合いや文化とかも刺激を受けましたけど、一番はラオスに住んでる日本人の生き方に衝撃を受けました。
皆さん、本当に自分のやりたいようにやってる人たちだったので、すごく刺激を受けて。これからは他人の人生を生きずに自分の思った通りのことをやろうと。もちろん、ラオスに行く前も、一応、自分の思った通りには動いてはいたんですけど、そこの答えあわせというか、間違ってなかったんだなと思いましたし、これからもこういう生き方でいこうと思ったのがその経験でした。
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ラオスで製造している無農薬クラフトラム『LAODI』の日本人創業者に製造現場を案内してもらっている様子
『LAODI』の詳細
ナカザワアヤミ:
こうやって聞いていくと、今の仕事とこれまでの経験は何でつながっているんでしょうか。
丸山雄也:
そうですね、キャリアの軸としてはICT支援っていうところがあって。フォントメーカーのときは、文字が読みづらい人に読みやすい文字を提供するとか。あとはラオスのときはパソコンの使い方を教えるとか。今は難病患者さんへのICT支援なので、キャリアの軸としてはICT支援で一貫していると思います。
未来:基本的に全部逃げなんですよね、私の原動力って。
ナカザワアヤミ:
丸山さんは未来、5年後10年後とかでもいいですし死ぬまでを想像していただいてもいいんですけれども、未来については今どういったイメージをお持ちですか?
丸山雄也:
私自身、昔からですけど、2年後ぐらいまでしかあんまり見えてはなくて。
今は難病支援をどうやって継続させようかなというところが一番悩んでるところなので、2年後の理想形としては、うまく継続できるような仕組みを構築できればいいなと思っています。例えば副業として難病支援してて本業はまた別にありますよっていう形でもいいですし、何かしら継続させることが一番だと思ってるので、そこを目指しているような未来であれば、一番いいのかな、と。
あと、住む場所に関しては、新潟には初めて来ましたけど、周りの人もいい人ばかりで、ご飯も美味しいし、お酒も美味しいしで、すごくいいところなので、このまま新潟に住むのもいいなと思ってますね。
ナカザワアヤミ:
逆に、これをするまで死ねない、みたいなものってありますか?
丸山雄也:
仕事とかは全然関係ないんですけど、北欧の家具がすごく好きなので、デンマークには行きたいなっていうのは思いますね。
ナカザワアヤミ:
なるほど。それは旅行みたいな意味ですか?
丸山雄也:
そうですね、海外は旅行で行ければいいと思ってます。2年間ラオスにいて、楽しかったですけど、やっぱり日本で住むのが最高だなって思っていて。まだ海外と言ってもアジア圏しか行ったことないですけど。やっぱり住む、暮らすってなると、日本がベストだなと、個人的には思いますね。
ナカザワアヤミ:
ここまでのお話で、数年スパンでキャリアを転換する場面が多かったんじゃないかなと思ったんですけど、違うことを始めるようなときに丸山さんはそれ自体に何かハードルを感じたりすることはありましたか?
丸山雄也:
それはほぼなくって。
ナカザワアヤミ:
ないんですか。
丸山雄也:
そうですね、基本的に全部逃げなんですよね、私の原動力って。
良い感じの言葉に言い変えると、「現状を変えたい」という気持ちから来ているんです。例えば、フォントメーカーの時は、20代のうちに海外に行けないという状況に対して、青年海外協力隊という道を選びました。その後、帰国してコンサルティング会社に入ったものの、自分の思い描いていたものとは違い、また新しい環境を求めて動きました。つまり、常に自分の中に「もっと良くしたい」という気持ちがあり、そこから新しい挑戦をしているんです。だから、不安よりも「今より良い方向に進める」という前向きな希望が強かったですね。
ナカザワアヤミ:
ご自身の今までの転換点に関しては、逃げなのか、救いを求めるみたいな感じなのか、そうとらえてらっしゃるってことですか?
丸山雄也:
そうですね。違うと感じた時には、次の選択肢を見つけ、そこへ進むという決断を繰り返してきました。それはこれまで、自分のやりたいことが明確でないまま、選択をしていたからだと思います。だからこそ働いていく中で違和感を感じ、少しずつやりたいことの解像度が高くなって、「現状を変えたい」という想いが生まれる。そして、新しい環境を求めるっていう流れになったんだと思います。
それをある程度繰り返してきた今は、一番良い状態ですね。自分が求めていた環境で、これまで培ってきたスキルを活かして、やりたいことをやれているので。ようやく方向が定まった感じです。
ナカザワアヤミ:
なるほど、ありがとうございます。そうですね、お聞きしていてやっぱり、のど自慢の経験が結構大きなターニングポイントというか、それまでにない経験って意味であったと思うんですけど。
丸山雄也:
そうかもしれないですね。
ナカザワアヤミ:
そういう経験をしなかったら、今どんな人生だったと思いますか?
丸山雄也:
多分、あんまり挑戦はしてこなかったんじゃないかなと思いますね。多少気になったことがあっても、ちょっと一歩踏み出せずに普通に東京か神奈川で会社員してたんじゃないかなと。
多分あの経験があったからいろんなことに挑戦しようっていうふうに思いましたし、やり方さえ間違えなければ、成功じゃなくても、何かしらの結果は出るんだなっていうふうに思えたので。あの経験がなかったら、日本からも出てないと思います。
ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。1時間くらい今お話を伺ってきたんですけれども、丸山さんの方から言い残したこととか、何かありますか。
丸山雄也:
地域おこし協力隊は全国各地にいるんですけど、地域おこし協力隊として難病支援をやってる人間は私1人だと思います。また、こうした身近なICT機器を使った難病支援っていうこと自体も、やってる方がほとんどいないので、こうした支援があるっていうことをいろんな人にお伝えしたいなっていうのが一つありますね。
今はnoteでの情報を発信してるので、ぜひフォローをお願いします!
また、地域おこし協力隊の任期後も難病支援を続けていくため、難病ICTサポーターズという団体を立ち上げました。
現在実施している、スマートスピーカーをはじめとした安価で操作性に優れたICT機器を選定し、一定期間無料でお試しいただく『在宅環境におけるICT機器利用促進支援』は、まだまだ周知が足りておりません。
そのため、ここまで読んでくださった方はぜひ、こうした支援があることを拡散していただければとても嬉しいです。
そして、新聞、ラジオ、テレビ、Webメディアなど、少しでもこの支援にビビッときたメディア関係者の方は、こちらのお問い合わせフォームからご連絡いただければ幸いです。取材依頼、待ってます。
今は新潟県内のみが活動範囲ですが、ゆくゆくはモデル化して、全国に展開しようと考えています。お手伝いいただける企業、団体、自治体の関係者の方からのお問い合わせもお待ちしております。
本日は取材いただき、ありがとうございました。
あとがき
厚生労働省が定めている指定難病は、これを書いている令和6年9月時点で341種類あるそうです。日本の福祉行政では指定難病は障害福祉の分野の管轄となります。
行政の障害福祉に関する仕事をしていたころ、指定難病一覧とにらめっこしながら、この社会には私の知らない困難がまだまだあるのだということを実感しました。
編集作業中、丸山さんの言葉を反芻しながらふと「意志ある漂流」という言葉が浮かんできました。
選択の場面で自分の行動を自分で前向きに決めながらも、目の前の壁や条件に対して受け入れながら生き抜いていく、みたいな人生スタイル。挑戦とか行動とか、ちょっと肩に力が入りそうな言葉では表現できない自然体の力強さが良いなと思いました。
これまで無名人インタビューを数々実施させていただく中で、そんな雰囲気の方、他にもいたなあと思います。
私の地元、新潟長岡でこのような取り組みをしている方がいるということを知ることができてそういう偶然のおもしろさも感じられるインタビューでした。
【インタビュー・あとがき:ナカザワ】
#無名人インタビュー #インタビュー #新潟 #地域 #地方 #町おこし協力隊
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