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螺旋を描いてキャッチしてる人

むかしむかし、ある村に、螺飛(らひ)という不思議な若者が住んでいました。螺飛は、物事を直線的に追いかけるのではなく、ゆるやかな螺旋を描くように、まわりまわって捉えることを得意としていました。
周りの人が真っ直ぐに進むとき、螺飛はぐるぐると回りながら前に進み、
人々が一足飛びに結論を出すとき、螺飛は渦を巻くように考えを深めていきました。
村人たちは最初、螺飛の動きを理解できませんでした。
「なぜ、まっすぐ行かないのか」
「遠回りではないのか」
しかし螺飛は答えました。
「螺旋は、すべてを包み込むんです。直線では見えないものも、螺旋なら見えてくる。そうやって、本当に大切なものがキャッチできるんです」
不思議なことに、螺飛の螺旋は、
困難な問題を解決し、
深い理解をもたらし、
新たな発見を生み出していきました。
後に螺飛はこう語りました。
「人生は螺旋のよう。回り道に見えても、それは実は必要な道のり。その過程で、本当に大切なものが掴めるんです」
そして「螺旋の道も、必ずつかむ道」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年1月8日13時35分に書く無名人インタビュー990回目のまえがきでした!!!!!

【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 金綱志保 さんです!

年齢:20代後半
性別:女性
職業:アーティスト

instagram:https://www.instagram.com/___zzz.shihokanetsuna/



現在:具体的にはほぼしてないですね。してないけど、たまにイベント出展させてもらった時に「あっ、私、人が集まる場所を作れてるんだ。これが人が集まる場所になってるんだ」みたいに気づくことはありますね。

ミミハムココロ:
今、志保さんは何をしている方でしょうか?

金綱志保:
今、アーティストとしていろんな表現をやっています。

ミミハムココロ:
アーティストというのは、具体的には。

金綱志保:
ダンスと歌と、あと刺繍をやってます。

ミミハムココロ:
これは全てお仕事という形でしょうか?

金綱志保:
仕事です。

ミミハムココロ:
何か団体とかに属してるんですか?

金綱志保:
いや、全部個人でやってます。

ミミハムココロ:
それぞれバラバラのタイミングで始められたんですか?

金綱志保:
そうですね。

ミミハムココロ:
どれが1番割合の多くを占めてるとかはありますか?

金綱志保:
その年によるんですけど、今は刺繍が多いかな。

ミミハムココロ:
刺繍はどういったきっかけで始められたんですか?

金綱志保:
刺繍は服飾系大学に4年間、学生時代に通ってて。その時に授業で習ったのがきっかけ…きっかけだけど、でもそういえば小学校ぐらいの時からずっとやってましたね。

ミミハムココロ:
そういう刺繍の活動をしている時の気分としてはどうですか?

金綱志保:
小学生の時は「ユザワヤ」とかで売ってるクロスステッチのキットみたいなやつを買ってやってて。それはもう図案が決まってるんですよ。「プーさん」とか「イニシャル」みたいな図案があって色の指定もあってみたいなやつをずっとやってて。やってたけど、大学の時の課題は自由に全部自分で図案も考えて、色も考えてみたいなやつで。

刺繍は今、アクセサリーの制作をメインでやってて。刺繍の図案を考えるのに絵も書き始めたんです。図案考えることも含めて刺繍は私にとって「楽しい」かな…どんな気分かで言えば、楽しいっていう感じ。

ミミハムココロ:
どうしてそんなにダンスとか歌とか刺繍とか色んなことをやってるんですかね。

金綱志保:
何からやり始めたかな…あ、日記かな。日記も売ってた時期があって、久しぶりにまた再開しようかなって思ってるんですけど。本読むのとかも結構好きで、10代の頃からなんか紙とかに日記書くみたいな感じで、思いついたことをバーって書き出すとすごい気持ちがすっきりするなっていうことにある時気づいたんだけど。「何にも言葉が出てこないな」みたいな時とかに踊るとスッキリしたり。「踊る気にもなれないし、書く気にもなれない」みたいな時に歌ってスッキリしたりとか。なんかそういう感じで「何かこれではない表現、だけどこれなら何か表現…出せた感じがする」みたいな気分になれる何かがあると、すごい助けになっていくみたいな感じで表現の幅が広がってったっていう感じ。

ミミハムココロ:
例えばその「ダンス」とか「歌」とかって、趣味でもできると思うんですよ。それこそ最初はお金にならなかったと思うんですけれど、それがどうして仕事になったのかなって。

金綱志保:
私も別に人前で踊るとか仕事にするためにダンスを始めたわけじゃなかったんですけど、ある芸術祭で「マッサージ」と「日記」と「アクセサリー」で出店したことがあって。その時に太鼓のパフォーマンスチームが同じ芸術祭で出展してて。で、2日間彼らは公演するって言って、1回目の公演を面白そうだなって思って私も見て、お面をつけて太鼓を叩くっていうパフォーマンスを彼らはやってて、1日目の公演の後に「お面をみんなどうぞかぶっていいですよ」っていう時間があって。私もお面被らしてもらって、勝手にちょっとユニークなポーズで遊んでたら「君、踊れる子?」って感じで話しかけられて。

私その時、オンラインのダンスみたいなやつのワークショップをたまに受けたりしてて、「自分で森の中で1人で踊って動画に収める」っていうのもなんの目的もなくやってたんですよ、それを記録用にインスタとかに上げてっていうのをやってたから聞かれた時に「踊れます」みたいな感じで二つ返事で返事したら、「明日も公演があるんだけどダンサーの子が急遽来れなくなっちゃったから、君代わりに踊ってくれる?」って言われて「うん、いいですよ」って言って、踊らしてもらって。その時は多分お金もらわなかったと思うんですけど、「次の公演によかったら来ないか」って言われた時に、ちょっと場所が遠かったのもあって「出演料とかっていただけるんですかね?」みたいな感じで素直に聞いてみたらちょっといただけて、みたいなことがあって。

その時のその人たちとのコラボのパフォーマンスをInstagramで見てくれた別の絵を描いてる知り合いが「ちょっと作品に参加してくれないか」みたいな感じで声かけてくれてその時は向こうから「志保ちゃんにもこのぐらいお支払いできたらと思うんだけどどうかな?」みたいな感じで言われて、「ぜひやらしてください」みたいな感じで。それで仕事になってたっていう感じですね。

ミミハムココロ:
インスタに投稿してるときのダンスと実際に参加してみた時のダンスっていうのは、やっていてちょっと違ったんですか?

金綱志保:
違う…なんかやっぱり、人の前でやるっていうのと1人でやるっていうのとでは、同じことやってても同じダンスでも「なんか全然別物だな」っていうのは未だに思いますね。

ミミハムココロ:
大学の時に「将来的にどういうお仕事したいな」とかは当時考えてたんですか?

金綱志保:
えっと…学生の頃から「人が集まる場を作りたい」みたいなことは思ってて。でも、新卒で入った会社は東北のニットメーカーだったんですよね。そこに入ったのは「もの作りをもっと学びたいけど、学校で習うより実際に働いた方が何か吸収が早そうだな」と思って、そこに行って。で、人が集まる場所とメーカーに勤務したことの繋がりで言うと学生時代とかに、大学が新宿だったんですけどルミネ行くと、平日の真っ昼間のルミネとかってなんかどこの店舗めっちゃ店員さん暇そうにしてて。「この館とこの人件費…っていうか人のエネルギーすごい無駄だな」って思って。「こういう時に、お客さんがいない間にこの人たちとこの場所が生かされる仕組みみたいなのが絶対あるんじゃないか」みたいな。「こんな人と場があって何も動いてないって、なんかおかしいな」って思って。

当時は「服でやっていきたい」みたいな気持ちが結構強くって。でも、服を売ってる店舗に店員が1人何もしないでいるっていうのじゃなくって、その場で何かが動いたらいいなーっていうそういう思いがあって。で、やっぱ服はやりたいからって言って服作りの会社、服のメーカーの会社に入ったっていう感じでしたね。

ミミハムココロ:
暇な時は何をしてることが多いですか?

金綱志保:
暇な時…今私、自営、フリーランスみたいなもんなんで。いつが仕事でいつが仕事じゃないかが微妙なんだけど。暇な時…あ、でもなんか散歩かな。それか音楽聞くかラジオ聞くか、テレビ見るか。

ミミハムココロ:
「人が集まる場所を作りたい」っていうのは、いつぐらいから思い始めたんですかね。

金綱志保:
えー、いつだろう。なんか、いつだろう…大学生の頃だった、ぐらいしか覚えてないですね。

ミミハムココロ:
ぼんやりと、思い始めたんですかね。

金綱志保:
んー。中学校の頃に、よくある「女子から無視される」みたいな、そういうので結構辛い思いをしたことがあって。でも、中学生の頃って別に習い事とかもしてなかったし、中学校の中でしか繋がりがなかったから、そこで人間関係が終わると「結構終わった」みたいな感覚になってて。でも高校入って、全然地元と遠い高校通って、個人スポーツやってて、そしたら他校の友達とめっちゃ仲良くなったりとかして。「あっ、なんかこんな違う価値観あるんだ」みたいな。同じ高校の子とはまた全然違う、ルールみたいなのをみんな持ってて。なんかそれはすごい自分の中で空気穴みたいな感じになって。

で、大学入って色んなバイトして、色んな大人とか色んな先生とかと関わったときに、あ、こんな世界広かったんだみたいに思って、親でもなく、昔から私を知ってる地元の人でもない人に話してスッキリするみたいな体験をすごいいっぱいした。身近じゃない人間と話してスッキリするみたいなことをいっぱい体験したあたりから、「サードプレイス的なものを作ったら、世の中もうちょっと風通し良くなるんじゃないかな」みたいな、それで人が集まる場所を作りたいって思ったと思います。

ミミハムココロ:
今、具体的にそれに向けた活動とかはしてるんですか?

金綱志保:
具体的にはほぼしてないですね。してないけど、芸術祭とかに出展させてもらった時とかに「あっ、私、人が集まる場所を作れてるんだ。これが人が集まる場所になってるんだ」みたいに気づくことはありますね。

ミミハムココロ:
東北のそのメーカーのお仕事はもう辞められたんですか?

金綱志保:
1年で辞めました。

ミミハムココロ:
それは、もしよければどういった流れで辞めたのかなと。

金綱志保:
山形県の会社だったんですけど縁もゆかりもない土地で、けど仕事が面白そうっていう理由で入って。で、私すごい東京嫌いだったから「山形のなんもないけど自然あるあの感じめっちゃいいな」って思って夏のうちはすごい楽しめたんだけど、冬に突入して寒さと日照時間の少なさに急に気分が落ち込み出したりとか。あと入社して半年ぐらいで、パタンナーの部署に配属されて、私はCADもそれまで使ったことなかったから研修を受けてるつもりだったのに気付いたらサンプルの型紙9型ぐらい任されたりとかしてたんだけどサンプル縫う人には怒られるしとにかくしんどくて。

でも、「できてるよ、仕事」みたいなことを上司とか社長とかに言ってもらって、心の中ではいや、全然私はできてないよって思ってて、それまでの基礎が全然無いまんま急に任されて、やるしかないからがむしゃらにやったっていう感じだから。次のシーズンも同じ感じでやるとかは無理だな、みたいな。とにかくすごい違和感で、すごい無理してめっちゃ頑張って9型仕上げたから、それをもう一回やれって言われても「いや、これはパタンナーは今の私には続けられないな」って思って「まずは縫製の知識を身につけたら、もっとパターンの仕事が楽になるんじゃないか」と思って縫製の部署に移動したんだけど、作業効率重視だからずっと脇の下ばっかり縫ったり、肩線ばっかり縫ったりを一日中やってて、

ふと、ミシン踏んでる時に「5年ぐらいこれ続けないとサンプル縫うところまでキャリアアップできないって言われてるけど5年したらめっちゃ世の中が変わってて、AIとかがこれやってるんじゃないか」みたいに思ったら、自分が縫う意味がわからなくなっちゃって。そしたらこの会社にいる意味も分からなくなって、「やめよう」って思ってやめたっていう感じですね。

ミミハムココロ:
好きな場所とかはありますか?

金綱志保:
好きな場所…なんか、海とか山とかかな。

ミミハムココロ:
どうしてですかね。

金綱志保:
うーん…私、マッサージもやるんですけど。氣功とかも勉強してたことがあって。目に見えない世界が好きで。「チャクラ」っていう、人間のエネルギーのツボって呼ばれてるものがあるんですけど、第2チャクラを海は癒してくれる作用があるって言われてて、そういう理由もあって海好きですね。

ミミハムココロ:
山も似たような感じですか?

金綱志保:
山は、高校生の頃から大学卒業…いやもうちょっとか、高校生ぐらいの時から競技スキーをやっててその時も雪山にずっといたから、なんか「ホーム」みたいな感じがするのかな。


過去:楽しいっていうかなんか「中学校の時のいじめてきてたあいつらを見返してやろう」みたいなので、すごい無理やり楽しんでた部分もあったなって感じですね。楽しんでるように見せてる。

ミミハムココロ:
振り返ってですね、自分ってどんな子どもだったなって思いますか?

金綱志保:
なんか「生意気」とか「おてんば」みたいな感じかな。

ミミハムココロ:
どうしてそう思われますかね。

金綱志保:
斜に構えてたような気がする。いつも結構いろいろ考えて、いや、計算…人の顔色をうかがってたかな。

ミミハムココロ:
顔色をうかがってたんですか。

金綱志保:
「どうしたらこの大人が私の話を聞いてくれるか」とかは考えてたかな。

ミミハムココロ:
小学校6年生ぐらいまでを一区切りとしたら、どういった生活でした?

金綱志保:
外食が多くて、土日はいつも遠出してたかな。

ミミハムココロ:
それはご家族みんなで。

金綱志保:
そうですね。

ミミハムココロ:
それはどうでした。例えば「外食が多いこと」であったり「遠出が多いこと」に対しては。

金綱志保:
うーん、波がある感じだったかな。楽しい時は楽しいけど、すごいぶつかる時はぶつかることが多い家族って感じだったかも。

ミミハムココロ:
学校生活はどうでした?

金綱志保:
私がお昼ご飯食べる時とかに4人1組とかになって食べたりとかしてたんだけど、「私がいる班はみんなよく笑ってる」みたいなことをだいぶ前に久しぶりに見返したお誕生日おめでとうカードみたいなのに色んな人からそう書かれてて、人を笑わせるの好きだったかもなみたいな。

ミミハムココロ:
あの「ユザワヤの~」とか「クロスステッチが~」っておっしゃったのって、あれ小学生でしたっけ?

金綱志保:
あれ小学校3年生の時だったと思います。

ミミハムココロ:
それはどういった流れで始めたんですか?

金綱志保:
手芸クラブに入ってた時にクロスステッチをやりましょうみたいなクラブのワークみたいなのがあったっていう感じだったと思います。

ミミハムココロ:
なんか当時ハマってたこととかはありますか?

金綱志保:
英語の習い事、NOVAとか行ったり。あと小学校3年生の時にヒップホップも1年習ってましたね。

ミミハムココロ:
HIPHOPを習ってた。

金綱志保:
はい。

ミミハムココロ:
色々な習い事ってのは、自分から始めたんですか?

金綱志保:
そう。でも、HIPHOPは「友達がやってたから私もやりたい」とかそんな感じだった気がする。けど、NOVAはすごいやりたがってやってましたね、

ミミハムココロ:
その後は中学校に行かれたんですか?

金綱志保:
そうですね。

ミミハムココロ:
中学校生活はどうでしたか?

金綱志保:
中学校はなんか…あんまり、楽しくなかったかな…修行みたいな時間だった。

ミミハムココロ:
修行。どうしてそう思われますか?

金綱志保:
中2の頃になんかいじめみたいなのにあって。教室移動とかも1人でして、お弁当も1人で食べてみたいな感じで。もうそのとき友達いないから全校生徒の誰よりも早く校舎から、4時とかの鐘が鳴ったら帰るみたいなことをしてて。
当時『下妻物語』っていう映画がすごい好きだったんですけど、それは土屋アンナがヤンキー役で深キョンがロリータ役の映画で。それの深キョンが着てたロリータブランドの「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」っていうロリータブランドがすごい可愛くって。

学校終わったらとにかく早く家に帰って、パソコンの前でそのBABYのオンラインショップを帽子から靴下まで全部見るみたいなことをずっとやってました。それがなんか癒し、ってかそれしか友達じゃなかったみたいな感じで。

ミミハムココロ:
小学校の時は、割とみんなを笑わせてたとかって言ってたじゃないですか。そこから中2で突然いじめになったんですか?

金綱志保:
私の悪ふざけが過ぎて、みたいなので。「志保のせいでここの人間関係がこじれた」みたいなこととか。「秘密だよ」って言われたことを秘密にできなくってバラしちゃって、それでまたどっかの人間関係がこじれて私のせいにされるみたいな。でも、今思えば何も私のせいじゃないのになんか八つ当たりたいな感じですよね。

よく昔からなめられることが多くて。だからなんか当たりやすかったんだと思うし、そういうのでなんか全部私のせいにして、私を嫌いみたいな感じにしてみんなで私を無視するみたいな。そういう対象になんかなっちゃったって感じですかね。

ミミハムココロ:
当時はどういうことを考えてました?

金綱志保:
とにかく死にたかったし、「私がこんなに不幸なのに世界中のどっかで誰かが笑ってるなんて、こんな世の中おかしい」って思ってました。

ミミハムココロ:
そういった話は誰かに話したこととかはありますか?

金綱志保:
その時は誰にも話さなかった。

ミミハムココロ:
ご両親にも。

金綱志保:
うん。

ミミハムココロ:
小学校の時に習っていた習い事とかはその当時も続けてたんですか?

金綱志保:
いや、続けてなかったですね。

ミミハムココロ:
そのいじめっていうのは卒業まで続いたんですか?

金綱志保:
半年ぐらい経って、班替えみたいなのがあってそれからだいぶ落ち着いたかなって感じだった。

ミミハムココロ:
その後は高校は行かれたんですか?

金綱志保:
高校は行きました。

ミミハムココロ:
高校生活はどうでした?

金綱志保:
高校もなんか最初似たようなことが起きて、また無視されるみたいなことがあって。なんか「また続いてる、もうさすがに無理かも」みたいなこと思った時期とかもあったけど、冬になって競技スキーの部活動がだんだん楽しくなり出してそしたら別の高校の友達とかができて、そのときは楽しいっていうのもありつつ、「中学校の時のいじめてたあいつらを見返してやろう」みたいなので、すごい無理やり楽しんでた部分もあったなって感じですね。楽しんでるように見せてる。

ミミハムココロ:
個人スポーツのそれは部活動ですか?

金綱志保:
そうです、部活です。

ミミハムココロ:
楽しんでるように思ってる部分もあるってことは、練習中とかも「楽しいな」ってあんまり思わなかったんですかね。

金綱志保:
いや、練習はめっちゃ夢中でしたね。「とにかく速くなりたい」みたいな、そればっかりだったから。練習は本当集中してた。

ミミハムココロ:
実際にシーズンになったら雪山に行かれたと思うんですよ。先ほど「山はホームだ」みたいなこともおっしゃってたんですけれども、実際に雪山にいるときってどういう気持ちでした?

金綱志保:
なんか「始まったな~」みたいな感じだったかな。

ミミハムココロ:
「他校の子と出会って違う価値観を知った」って言ってたじゃないですか。具体的に何かそういう出会いはあったんですか、それとも何となくそう感じたんですか?

金綱志保:
あ、ありました。都内でスキー部のある高校って大体小学校か中学校から大学まで全部エスカレーターであるような、なんかちょっと頭の良い子が多かった。だから、いわゆる育ちのいい子が多くてそういう子と友達になったりとかしたのは面白かったですね。

ミミハムココロ:
スキー以外の生活の部分は、例えば当時ハマってた事とかありますか?

金綱志保:
あー…なんか夜遊びとかしてたかな。

ミミハムココロ:
夜遊び。

金綱志保:
大した夜遊びじゃないけど、中学校の時の同級生の高校の友達とかと夜に補導される時間とか過ぎても花火とかして、とかを夏やってましたね、そういえば。

ミミハムココロ:
それはやっててどうでした?

金綱志保:
なんか楽しかった。馬鹿みたいで。

ミミハムココロ:
その後に大学に行かれた。

金綱志保:
そうですね。

ミミハムココロ:
大学生活は振り返ってどうですか?

金綱志保:
すごい楽しかったですね。

ミミハムココロ:
服飾系大学ですよね、行かれたの。どうしてそこの道に行かれたのかなと。

金綱志保:
本当は心理学の勉強したかったから心理学部のある大学の受験を考えてたんだけど、高校1年生から競技始めて、高校3年生の冬が競技スキー歴3年目の冬みたいな感じで、ちょうど受験とインターハイ予選のタイミングがかぶってて、大学受験のために高3のインターハイ予選を諦めようと思ってたんだけど、やっぱり冬になるにつれてすごいスキーがしたくなっちゃって。

それで「もうちょっと違う入試とかで入れる大学でもいいんじゃないか」みたいなことをふと思った時に、私が通ってた服飾系大学にスキー部あるのを見つけてしかもAO入試で入れるってなって。じゃあもうそこに入って、インターハイ予選出て、大学入ってからもなんかいろいろ幅広く学べそうだからそこでいいんじゃねみたいな感じになって、その大学に入ったって感じです。

ミミハムココロ:
大学ではスキーは続けられたんですか?

金綱志保:
大学1年の時とかも大会とか出たんですけど、なんか思ってたのと全然違くて。結局全部4年生まで出たかどうか忘れちゃったけど、出たけどなんか全然思い描いてたような頑張り方ではやらなかったですね。

ミミハムココロ:
バイトを色々されてたっておっしゃってましたけど、どういったことをされてました?

金綱志保:
高校生の時にマックで働いて、大学生の時はユニクロとココイチと古着屋さんとかくらいかな…あと、タイ料理でバイトとしてましたね。

ミミハムココロ:
全体的にでいいんですけど、どうでしたか?

金綱志保:
ユニクロが一番長く続けられたバイトだったと思うんだけど、まあ面白かったのはタイ料理屋かな。

ミミハムココロ:
どうしてタイ料理屋が一番面白いと思ったんですかね。

金綱志保:
学生の頃に1ヶ月シアトルでホームステイさせてもらって。その時の隣の部屋でステイしてた子がタイ人の女の子で。その子が作ってくれたパッタイがめっちゃ美味しくて、そっからタイ料理にハマりだして、「タイ料理屋でバイトもいいかもな」みたいに思って。バイト募集のチラシ見て電話したら、日本人のおじさんが出て。「髪色が指定がある所じゃ働きたくないんですけど」みたいなこと言ったら「あ、全然髪色とか何でもいいっすよ。俺もタトゥーゴリゴリに入ってるんで何でもいいです」みたいな感じで言われて。

そこの店長は元キックボクシングの日本チャンピオンだったりとか、なんか変わった店長で。全部スタッフの呼び方はあだ名。で、そのあだ名もちょっと変わったあだ名だったりとかして、なんか面白かったですね。ご飯も美味しかったし。

ミミハムココロ:
これまで「これまだ話してないな~」みたいな話はありますか?

金綱志保:
学生時代までのことでいえば大学生の頃は映画とかすごい好きでしたね。今も好きですけど。2コマぐらい授業が空いたりとかすると、1人で映像資料室っていう映画が見れる部屋に籠って色んなドキュメンタリー映画見たりとか。その時に『きっとうまくいく』っていうインド映画にすごい感動してから、インドのドキュメンタリー映画とかインド映画とか結構いろいろ見たりとかしてました。


未来:癒そうとして癒されるっていう循環じゃなくて、何かがそこにただあるだけで誰かが癒されるみたいなこととかも含めて、「癒しかな」って思ってます。

ミミハムココロ:
今から大体5年後とか10年後とか20年後で最後、死ぬところまでは想像してですね、未来ってどうなってると思いますか?

金綱志保:
未来か…うーん。まあなんか、自分のスペースは持っているだろうなっていう感じはしますね。

ミミハムココロ:
「自分のスペース」って何ですかね。

金綱志保:
マッサージもやってるからマッサージもやれて、たまに人が集まったりとかしてみんなでご飯食べたりみんなでワークショップしたりとかするような、そういう人が集まる場所はやってるんじゃないかな。

あとは、その…2年前ぐらいに結構メンタル的にっていうか人生的に大きい出来事みたいなのがあってから、トラウマ療法をちょこちょこ受けてるんですけど。そういうのをやる側になることの検討も含めてもうちょっと深掘っていきたい気持ちがあって。だから「人のことを癒すこと」をもうちょっとやってる可能性もあるなって、最近ちょっと思いましたね。

ミミハムココロ:
志保さんが今思う「人の癒し方」っていうのは、例えばどういうのがありますか?

金綱志保:
この間、京都の芸術祭にパフォーマンスで出さしてもらった時にそのパフォーマンスを見て「すごい泣けた」みたいな感想もらった時に、私の思う癒しはただカウンセリングとかで話を聞いたりして、実際に対面で対話しながら癒していくだけじゃなくて、「何かを見て癒される」とか「人がそのまんま色んなものと溶け合ってる状態を見て癒される」みたいなのもあると思うから。

表現を通しても癒しっていうことをやっていきたいし、癒そうとして癒されるっていう循環じゃなくて、何かがそこにただあるだけで誰かが癒されるみたいなこととかも含めて、「癒しかな」って思ってます。

ミミハムココロ:
もしもの質問なんですけれども、もしも2年前のトラウマっていうものがなかったら、今の人生はどうなってると思いますか?

金綱志保:
あー…なんかもっと普通だったかもしれないですね。

ミミハムココロ:
今は普通ではないんですか。

金綱志保:
うーん…普通ではないと思いますね。うん。

ミミハムココロ:
どういう部分が変わったなと思いますか?

金綱志保:
それがあったから楽器にハマったりとか。あと、それがあったから歌にハマったりとかがあって。踊りもそれのおかげで、それのおかげでってかそれのせいで踊らざるを得ないぐらい追い詰められた。なんか踊ってやっと自分が落ち着くみたいな感じだったから。それがなきゃ…うーん、普通だったと思う。普通っていうか、面白みは…面白みが無いっていうか。かなりしんどかったけどその出来事のおかげで出汁は出たと思います。

ミミハムココロ:
「東京が嫌い」っておっしゃってたんですけど、これはどうしてですかね?

金綱志保:
大学生の時に毎日通学路にホームレスがいたんだけど。みんな無視、無視っていうかみんな壁とか床みたいに扱ってる感じがしたんですよ。なんか絶対おかしいって思うのに…少なくとも私はおかしいと思ってた。私は屋根があるところに住んで、普通に落ち着く場所でご飯食べて生活したりしてるのに、温かいのか寒いのかもよく分からないような路上で生活するって異常だし、可哀想に見えたっていうか。とにかくおかしい、「おかしい」みたいなことを何も、思ってんのか思ってないのかもよく分からないけど、そのまま何か景色として普通にね、見て見ぬふりして通学とか通勤してる人たちがすごいおかしい、なんか「絶対、変」って思った。
あとは、
新宿の駅のホームから改札に行くまでエスカレーターに並んでる時に、地上に上がるのにもエスカレーターを待たないと地上に上がれないってなんか「おかしいな」と思って。すでに機械に支配されてるんじゃないかみたいな事とか。人が多すぎるし、自然も無さすぎるみたいな。なんか色んなことが「おかしい」「おかしい」みたいに思って、すごい東京嫌いになったって感じでしたね。

ミミハムココロ:
「これをやらないと死ねないな」みたいなものはありますか?

金綱志保:
うーん…息子がいるんですけど、息子の20歳の成人式とかを見ないと死ねないかもしれない。

ミミハムココロ:
どうしてですかね。

金綱志保:
やっぱ自分が産み落とした生命体がどんなふうに成長していくのかっていうのは、見届けたい。

ミミハムココロ:
息子さんとの生活は今どうですか?

金綱志保:
その息子っていうのが2年前から離れて暮らしていて、それが結構大変なことだったんですけど。息子は今、高知県に前の夫と一緒に住んでて。だから今は一緒にいなくて。1ヶ月に1回ぐらいは会えてるっていう感じですね。

ミミハムココロ:
平たく聞きますけど、5年後に自分の生活はどうなってると思いますか?

金綱志保:
5年後、5年後か…まあどっか海外には1回ぐらいは行ってるんじゃないかな、こっから5年先のうちのどこかでは。

ミミハムココロ:
どうしてそう思われますか?

金綱志保:
最近「フィンランドにすごい行きたい」っていう気持ちと「インドに行きたい」っていう気持ちがあって、あと、トゥバ共和国っていうところの「ホーミー」っていう発声法みたいなのがあるんですけど、そのワークショップも1回行ったんだけどトゥバ共和国もなんか面白そうだなって思うし。世界のそういう祈りとか民族楽器とか音楽っていうのが好きだから、5年以内にどっかしら行ってるんじゃないかなっていう感じがしますね。

ミミハムココロ:
今のその表現活動の方はどうなってると思いますか?

金綱志保:
刺繍の作品はもっと売れてるんじゃないかなっていう気がしますね。大きいもの、今はブローチとかピアスとかそういう小物ばっかりだけど最近、大きい作品を作るのもいいなと思い始めているから。そういう大きい作品で大きく展示とかしてる可能性もあるかもな。

ミミハムココロ:
フィンランドであったりインドってのは、行けそうですか?

金綱志保:
うーん、行けるんじゃないんですかね。なんかふとしたタイミングで行く感じな気もするしけど、意外とちゃんと予定組んでいくかもしんないし。

ミミハムココロ:
それは「向こうに住んでみたいな」とかはありますか?

金綱志保:
今のところは無いですね、日本食がすごい好きだから、あんまり長くは行きたくないけど、1年ぐらいとかならありなのかなとか思う時もある。

ミミハムココロ:
最後にですね、今回のこのインタビューの感想でもいいですし、自分が最後死ぬ時の遺言だと思っていただいてもいいです。何か最後に一言いただければ。

金綱志保:
本当に色んなことやってきたんだな私って思ったけど意外と反復してる感じがあるなって。
小学校の時もHIPHOPやってて、それが社会人になってからコンテンポラリーっぽいダンスとして何かやってたりとか。大学生の時もインド映画めっちゃ好きだったのが、最近習い始めたインド古典声楽にも繋がってる感じがあったし。

何気なくやり始めてることを何年か後にまた螺旋を描いてキャッチしてるみたいな感じがあるんだなって思うと、スキーのインストラクターとかも社会人になってから2、3シーズンやらしてもらってたことあったから。何か人に教える、スキーとかは関係なくても人に何かを教えるっていうことがこれから先、自分の中で再熱することもあるのかもっていうのは思いましたね。そんな感じかな。

でも意外と難しかったです。インタビュー、もっとサクサクって頭回転した感じで受けれるのかなって思ったけど、今の自分の状態が割と波の中にあるからなのか、意外とスルスル答えられなかったなっていう感じがします。


あとがき

金綱志保さん、ありがとうございました。

ホームレスという単語を聞くと、自分の中で鮮明に思い出される人がチラホラいます。例えば、京都の高島屋の入り口にあるベンチの下で寝ていたおじいさん。かなり昔のことなんですが、子どもながらに「高島屋は普通のスーパーより品がある場所」という認識はあったので、なおさらその光景が印象的に映ったんだと思います。そのベンチには誰も座っていなかったのに、すぐ近くのベンチにはおばさま達がギチギチに座っていました。

あるいは、マドリードのGran Viaという通りで地面に座り、左手でコップを掲げてチップを乞いながら右手でスマホをいじっていたおばさん。職場まで毎日歩いて通っていたのですが、彼女は定期的に現れました。それまでの僕はホームレスを見るたびに「可哀想」とだけ思っていたのですが、その人を見た時は初めて自分の感情が分からなくなりました。理解が追いつかなかった。

あと、どこの国か忘れたけど、地面に置いていたチップ用のコップを通りすがりの若者に蹴飛ばされて喧嘩を始めたおじさん。両者が何を言っていたのかは聞き取れませんでしたが、一連の流れは見ていてただただ不快でした。でも、金綱さんの「私がこんなに不幸なのに世界中のどっかで誰かが笑ってるなんて、こんな世の中おかしい」という言葉を踏まえれば、蹴飛ばした若者も何もせずに素通りした全ての通行人も、そのおじさんからしたら等しく憎悪の対象だったかもしれないなあと、ふと思いました。
【インタビュー・編集・あとがき:ミミハムココロ】

#無名人インタビュー #インタビュー #アート #ダンス #歌 #縫物


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