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人形の椅子を作っている人

恋月姫の人形が好きで、20代の時はときおり渋谷にあるマリアの心臓に行っていたのであった。あの地下の階段をくだった不思議な空間。その界隈で知り合ったモデルの女性。モデルの女性は自分も人形作家になりたくて、教室に通っていて、その人も恋月姫が好きだったが、自分も人形作りを学ぶうちに、恋月姫のくせを見つけて、恋月姫の関係者にこうきいたそうだ、「恋月姫さんの利き腕、〇ですか?」って。〇なのは、隠してるんじゃなくて、私qbcが忘れた。
そしたら、その関係者の人は、そうですよって答えたらしい。どうしてそのモデルの人がそれに気づいたかというと、ほほのラインが、左右で微妙に違うんだって。へええー、そういうのに気づくんだ、って。
てかさ、右ほほは右手で、左ほほは左手で、って決まってるのかな。
そういえば、人形作家が人形を作る過程って、私、見たことないな。なんか、さぞかし、ものものしい雰囲気でてるのか、いなか。
お金持ちになったらお人形のひとつでも買ってみたいものですわね!!!!!
と思う2024年6月30日11時5分に書く無名人インタビュー819回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは Kafuneのココロ さんです!

年齢:50代前半
性別:女
職業:ドールソファ作家
instagram:https://www.instagram.com/kafune3209


現在:子供のときからずっと、自分の頭の中にある、美しくてきれいでかわいいものを三次元に落としたくてしょうがないんですよ、昔から。

安東まつ:
今は何をされてる方ですか。

Kafune:
今は個人事業でお人形用の椅子を作ってネットで売っております

安東まつ:
事業の内容を詳しくお聞きしてもいいですか。

Kafune:
市販のお人形が元々子供のときから大好きで。お人形といっても様々なんですけど、私が好きなのはリカちゃんとかバービーぐらいの大きさの人形のことを言ってるんですけど、お人形業界だと6分の1って言われてるスケールの人形なんですね。で、普通皆さんミニチュアの家具って言って思い浮かべるやつって、もっとちっちゃいシルバニアファミリークラスのちっちゃさで、あれは12分の1なんですよね、人間の12分の1。なので、すごいちっちゃくて、ハウスとか家具自体を楽しむ遊びなんですよ。ですけど、6分の1はその倍の大きさなので、人形の方が主役になってきて、子供も遊びやすい大きさだからリカちゃんとかバービーとかジェニーちゃんとかが市販流通してて、すごく手に入りやすいお人形なんですよね。でも家具ってなると、6分の1だと1個1個が大きすぎて市販のものがあんまりないんですよ。みんなお人形が主体で、お人形とお洋服と小物が充実してれば遊べるジャンルだから、今まではそれでよかったんだけど、今はインスタ流行ってて、お人形で育った大人が、お人形で遊んでインスタにアップするようになったら、その背景小物とか椅子とかが、すごい今マーケットがあるようになってきて。でも先ほど言った理由で、1:6スケールの家具は市販で少ないので、私はそれを作ってるって感じです。いわゆるミニチュアの世界標準は1:12なので、私が作っているものを見ると、「大きい!」ってビックリされますね。

安東まつ:
なるほど。お客さんが持ってるお人形に合わせて作っているんですか?

Kafune:
いえ、もう1:6スケールの人形っていうのは巷に溢れてるので、ある程度私の方で、自分も人形持ってるからそれに合わせて作っちゃって、何々人形ちゃん用の椅子ですよって言って売ってます。

安東まつ:
お人形の椅子を作ろうって思ったきっかけって何かあるんですか。

Kafune:
うーんとね、そこも色々あるんですけど…まあ純粋な話をしたら、元々子供のときから工作とか洋裁とか編み物とかが大好きで。私喋らない子供だったんですけど、ひたすら1人でそういうのをやってるタイプの子供だったんですね。自分の頭で考えたものを、私にとっては布が一番使いやすい素材なので、布を使って縫ったり切ったり貼ったりして、自分のアイディアを形にするっていうのが子供のときから本当に大好きで。で、やっぱり大人になっても暇さえあればそれやっちゃうんですよね。

安東まつ:
なるほど。

Kafune:
ただ私、そういう子供だったから親にもあんまり甘えることができなくて、作ったものを「見て見て!」みたいなことをやれたことがなくて。大人になったらインターネットがあるから、インターネットで盛大に「こんなのできたよ見て見て!」ってできるじゃないですか。それでもうどハマりしてしまって。今50代なんですけど、20代前半ぐらいからネットが過程に普及し始めたので、もう色んなことやってたんですよ、布で何かデザインして作って販売するっていうのを。最初は出産した直後だったので、子供服をメインにやってて。でも子供が大きくなっってきたら、男の子だから、アディダスとか着るようになるから。そっからやらなくなってだんだん興味が、昔好きだったお人形に移行したんです。人形の洋服は、作家さんがとってもたくさんいます。ファッションドールだから。なので、そこはチャレンジせずに椅子を作ってます。あくまで私の思いだけど、お洋服やファッション小物が揃ったら、次に欲しくなるのは椅子かな、って。まあそれはちょっと頭であとから考えた理由ですけど。元々海外のインテリア本とか見るのも子供のときから好きでした。それと、お人形が大好きで、お人形の周囲を演出して、おしゃれに撮影をするのが子供のときから大好きだったから、撮影するときにこんなのがあったらいいな、こんなお部屋を自分の手で作りたいなって昔から思ってたんですよね。で、椅子とか周辺小物を作ってます。

安東まつ:
椅子のアイディアみたいなのは、元々見てたインテリア本とかから得て。

Kafune:
そうなんですよ、子供の頃とか若い頃見て素敵!って思った雰囲気がどうにも沁みついてて。だから今のインテリアの流行とはやっぱり違うんですよね。私が作るものは。昔自分が憧れてたものがどうしてもソースになっちゃうから、そこのせめぎ合いが結構あったりしますね。

安東まつ:
どういうテイストのデザインがお好きなんですか。

Kafune:
私は、ロマンチックでヨーロピアンで、みたいな、豪華でラグジュアリーで、みたいなのが好きなんですけど。でもお客様から多く反応が寄せられるのは、そういった大げさなものではなくて、もっとさりげなくて、リアルでシンプルで洗練されたもの。ドールたちもリアルクロージングと言って、本当に今流行している服を着せるのが今とても流行っているように思います。だからインテリアも、そういうものにマッチするものがマーケットは大きいなって思ってます。多分世代の違いだと思いますが。

安東まつ:
作っているのは椅子がメインですか。

Kafune:
そうです、基本的にはソファがメインです。そこから色々派生してチェアも作るし、壁とか…背景の壁とか床とか。あとなんだろう、色々小物も作ります、壺とか日本画とか。とにかく人形がより美しく撮影できるものなら何でもやりたいなって。インテリアブランコとかも作ってます。

安東まつ:
自宅のお人形用の小物は別で作ってらっしゃるんですか。

Kafune:
お人形たくさんあるんだけど、でも私昔からそうなんですけど、考えて作るの大好きだけど、できあがってしまったら、作品にはもうそんなに興味がなくて、どっちかというとどんどん誰かのところに行ってほしいんですよ。だから常に私の手元には全然何にもないです。ちょっと仕上げ失敗したB級品とか、新作のための試作品とかだけが手元に残ってて、それを使ってうちの子たちは座ってるみたいな感じです。

安東まつ:
お客さんからはどういう反応がありますか。

Kafune:
いやもうとっても喜んでくださいます。なんか、幸せのエネルギー交換…例えば、私にオーダーくださって、こんな世界観でって、メールでやり取りしながら大きさや生地を決めていって、デザインはある程度お任せいただいて素敵なやつを作りあげたりすると、私も嬉しくて嬉しくて。自分一人で作るときに想定する範囲以上のものがお客さんのアイディアでできたからもう嬉しくて。それをお届けしたら、もうお客さんもすごく喜んでくださって。い色々あって落ち込んでいたけれど、本当に元気が出てきました、本当にありがとうって言ってくれて。でも私こそありがとうですって言ったら、いーや私こそありがとう、いえいえこちらこそありがとうっていう、エネルギー交換があって。でも本当こんな感じですみんな、ドールファン同士だと。生活必需品じゃないゆえなのか、なんだろう、ピュアですよね、ここに関するやり取りは。

安東まつ:
今のモチベーションとしては、お客さんからのそういう反応が結構大きいですか。

Kafune:
モチベはまず私やっぱり自分の中なんですよね。子供のときから頭の中にずっとある、美しくてきれいでかわいいものを三次元に落としたくてしょうがないんですよ、昔から。まずそこが衝動で、モチベはやっぱり一番はそれです。ただそのモチベの後押しをしてくれるのがお客様からの反応って感じです。どちらもとても大きなパワーだけど、全然種類は別のものです。お客様からの反応がなくても、この衝動は変わらないです。だから昔から対象物は変わりながら、やり続けているんでしょうね。

安東まつ:
今お人形の椅子作り以外でやっていることはありますか。

Kafune:
実はね、私このあと過去のところで話すことになると思うんですけど、モラハラDVを受けていて。1年前に逃げてくるような形で、今は安心安全空間で暮らせているんですが、1年経って、少しずつ心が元に、いや、元には戻らないんだけど、普通に日々を楽しめる感じのレベルのメンタルの力がついてきて。そうなってきた時に、たまたま知り合った人が同じような被害後で、苦しんでいることがわかって。それがきっかけになって、初めて1年経ってから、モラハラDVということの情報収集というか、勉強を始めました。そういうことがどういうふうに行われてるのかとか、社会的な支援はどんなものが本当はあったのかみたいなのをやり始めたら、もうなんか色んなことが分かってきてしまって。苦しんでた頃の気持ちがまだ昇華できていないことも相まって、その被害後の立ち直り支援みたいな活動をやりたくて、今それで傾聴とか勉強したり、そういう活動をやろうとしてる、手をつけ始めてるところで。それもあってこのインタビュー、今人に話をすることも聞かれることもすごく興味があるので、それでインタビューも今回お願いした感じです。

安東まつ:
そうなんですね。今勉強してることを詳しくお聞きしてもいいですか。

Kafune:
そうですね、まずモラハラDVという被害がどういう実態なのかっていうのが、本当に世の中に全然知られてないと感じています・・・。みんな知ってるようで、本当にみんなが想像してる世界と全然違うんです。問題が根深いのは、まずは、自分が被害者だって気づけないことです。私なんか、殴られ続けていたのに、自分が被害者だって気づけませんでした。これがDVだって、思えなかったんですよ。そんなバカなって思うかもしれないけど、それぐらいメンタルコントロール入れられてるんです。お前が悪いからこうなってるんだぞ、お前の頭がおかしいからだ、お前のためにやっている、大けがしないようにちゃんと調節してやっている、こういうのはDVとは言わない、みたいな。だから絶対外に助け求めないし、なんなら自分から隠すし、一時証拠を集めたりしてみても、ケガ部分の写真撮ったり、出来事を記した日記とかですね、そういうのも、こんなことしていてはいけない、と全て自分の手で捨てていました。あの時の自分の心理状態を思い出すと、たぶん、表に出てない被害、とてつもなくいっぱいあるんだろうなって、自分を振り返ると思うんですよね。実際そんな状態なのに、気付けないって、そんなバカなって思われると思います。でもほんとにそうだったんです。今思えば、そうやって自分の心を守ってるからです。私は不幸じゃない、みじめじゃない、って思いたいんです。これがDVだ、って気付いてしまったら、辛すぎてもうそこでは生きていけません。でも同時に、強くメンタルコントロールされて、そのパートナーの元でしか生きられないように、おまえはおかしいからどこに行っても役に立たない、誰からも愛されない、と叩き込まれています。もう一人で生きていく気力なんかとっくにありません。だからここで生きられるように、自分の感覚に蓋をして、あったことをなかったことにしながら、生きていました。さらに根深いのは、その環境から逃げたあとに、さらにメンタルの危機が来ることです。私はどこでも役に立たない、誰からも愛されない、と深く思い込んでいる状態で、今度は唯一依存できていた相手もいない。離れてからさらにメンタル危機が来る、この時の危機は、本当に死に近いものでした。そしてこのパターンは、モラハラDV被害後のあるあるのようです・・。

私の場合は幸運にも、人に恵まれてある時から心がエネルギーを少しずつ取り戻していきました。かなり元気になってきた、1人の時にも笑えるようになってきた、と思えて来た頃、私の場合は同じような被害者の人に出会ってしまって私よりさらに苦しんでるところを見て、彼女を何とか元気にできないか、と強く思うようになりました。そこで初めて、本とかを読み始めてやっと、あの出来事の仕組みが分かってきて。そうなってみて初めて、当たり前の怒りが湧いてきました。やっぱり人が人を殴る、体力で勝っている男性が女性を殴る、しかもパートナーが、信頼してるパートナーを殴るなんて絶対駄目って、当たり前のことが今やっと当たり前に怒れるようになってきてるんです。ここに至るまでの苦しさ、出口の見えなさ、どうでしょう・・私は運よく伴走してくれる人が複数現れたからこうして色々な気づきを重ねることができましたが・・1人だったらできたかどうか、わかりません。

安東まつ:
はい。

Kafune:
だけど、ちょうどよく付き添ってくれる人って本当になかなかいなくて、それこそ傾聴というようなことが本当に腹の底からできる人っていないんですよ、そりゃそうです、普通いない。みんなちょっと話聞いて、うんうんそうだね、かわいそうだったねって。それでちょっと聞いた後に、いやでも全部あなたのために、最善のことが起こっているんだよね、とか、自分が引き寄せてるんだよねとか、すぐそういうふうなアドバイスが差し出されます。それがさらに被害者を追い詰めるんだけど、そういうことがあまりにも知られていなくて、でもこの被害の形っていうのが本当に被害者自身も口で説明できないぐらい陰湿っていうか、すごく長きに渡ってじわじわ入れられるから説明ができるものじゃないんですよ、人に。ってなると、なんか支援の形も、例えばモラハラDV相談窓口って行政やNPOで用意されていて、もちろん絶対に必要なものなんだけど、そういう看板があると、私自身の経験から思うに、まず行かないです。被害者の人って。自分が被害者だって、パートナーにね、ああいうとこに関わりを持ってるってばれただけでも危険なのもあるし、自分が被害者だと認めたくないからそういうところに絶対行かないんですよ。そういうのを考え合わせると、もっと個人でできる、それこそ傾聴のような、付き添い寄り添いながら否定もせず、でもアドバイスもせず、付き添い寄り添いながら話を聞いて、その人の中からその人なりのエネルギーが湧いてくるのを、付き添いながら待てるような、そんな支援活動を何かできないかなって、今一生懸命いろいろ勉強したり情報収集しているところです。

安東まつ:
勉強や情報収集はどういうところからされているんですか。

Kafune:
まず本は、インターネットで調べて手当たり次第ですね、本屋や図書館で借りたりして読むのと。あと被害者の会のおはなし会みたいなところに行ったりとか、講習出たりとか。あとは、モラハラDV関係なく人の話を聞くってところを勉強したいから、傾聴の集団のようなところに所属してトレーニング受けるとか、そういう感じですね。

安東まつ:
ありがとうございます。話は変わるんですが、自分のことはどういう性格だと思いますか。

Kafune:
自分では、うーん…やっぱりちょっと変わってるかなと思います。まずすごい熱いですね、熱い性格です。何事もゆるく弱くさらって流せないタイプで、良くも悪くも熱い性格だなって思います。

安東まつ:
そう思う場面やエピソードはありますか。

Kafune:
色んな場面でそれは感じます・・たぶん感受性もすごい強そうです。ひとつの出来事とか事柄とか見たことからすごく妄想がわーって広がるタイプなんですよね、すごくドラマを作っちゃうタイプ、良くも悪くも。具体的なエピソードってちょっとなかなか分かんない、自分ではこれが普通だと思って生きてきたんですけれど。1年前にこっちに逃げてきたときに、1回人間関係もほぼ全部リセットみたいな状況だったんですよね。そっから新しい人たちと、私のこと知らない人たちと知り合って、結果的にはその人たちの話の聞き方が上手で私元気になっていったんですけど、そういう人たちの間にまっさらから入ってみて、初めて私ってすごい熱いなって気がついたんですけれど。なんかみんなやっぱり、人はみんな違うんだからみたいなことで、話しててもなんかこう、価値観がこの人は違うなと思ったときもさらっと流せるんですよね。私も違うのなんて分かってます、当然分かってます。だけど、何がどう違うのか、あなたの目にはこれがどのように見えてるのか知りたいし、私の目にはどう見えてるかも伝えたいし、ここのもみ合いをやったあと、「人はこんなに違うのだ」の感動にいきたいタイプなんですよね。だけど割と、凪のような人生を望む人たちには、まあまあみんな違うんだから、人ってね。みたいなことで、ササって会話を終わりにさせられちゃうところが、私割と思考停止の合図に感じちゃうんですよね。ここからが面白いのに!人としての、人として生きる、人が人たる人生の面白みだと思ってるのに、ここを味わわないんだ。なんか多様性、とかってすごく言われているけれど、味わうことなく、すぐに「まあまあ、みんな違うから」ですぐに終わらせようとするのって、本当の多様性を認めることになっていないと感じてしまいます。でもまあ、普通の日常会話で掘り下げるのも、時間的にも心的にも無理なんだろう、ってこともわかります。でも、本当に分かり合いたい時にも、掘り下げられないことが結構多いな、とも感じています。「多様性」の言葉が広がりすぎた弊害かも。物分かりよくなりすぎて、向き合えなくなっているというか。おこがましいですかね。

安東まつ:
そうなってくると、周りの人からはどういう性格だねって言われますか。

Kafune:
やっぱりね、情熱的だとは言われますね。みんなほら、言葉はいい方に加工して言ってくれるから、今みたいなところをよく言うには情熱的だねっていう言い方はやっぱりされますね。

安東まつ:
人との会話以外で、自分が情熱を向けているなって感じる対象って何かありますか。

Kafune:
他に…いや今ね、私の中でさっきのモラハラの話と人形がもう二大巨頭で胸の中にあって、他は今のところあんまりないですね。

安東まつ:
ありがとうございます。

過去:結局自分の思いを話すのが好きなんですよね。話したいこといっぱいあるけど双方向は苦手なんですよ。だから演説的な、スピーチ的なやつが好きで、気持ちよかった。

安東まつ:
小さい頃はどんな子供だったと思いますか。

Kafune:
子供のときは、とにかく何か手作業をしてることが好きで。喋らない子供でした、外でも家でも。全然喋らない、1人で本当に編み物10mとか編んじゃうような子だった。私、父が大好きだったんですが、父が割とそういう性格なんですよね、職人肌で寡黙で黙々みたいな性格で。父も私のことすごいかわいがってくれたし。でも父は、ずっと私が大きくなるまで単身赴任で家にいなかったんですよね、年に数回戻ってくるぐらいで一緒に住んでなかったんです。で、母と2つ上の兄と3人でずっと暮らしてたんですけど、母と兄が割と顔もそっくりだし性格も似てて、こっちは華やかなタイプなんですよね、社交的だし家でもめっちゃン喋るタイプ。私全然合わなくて、子供のときから居づらいなって思ってて、余計にその手芸や工作の世界にのめり込む、お人形の世界にのめり込む、みたいな子供でしたね。それなのに、なぜか目立ちたがりなところがあって、小学校の時はずっと学級委員やってて、児童会やるとかいったら立候補して前で選挙演説とかするのが好きな謎の子供でした。だからやっぱ情熱的だったんでしょうね、昔から。男子に説教するタイプの女の子でしたね。

安東まつ:
掃除をしっかりやらないとか、そういう。

Kafune:
まさにそれです、掃除問題、小学校のときの。男子まじめに掃除やってない、みたいな。だから真面目だったのかな、生真面目。

安東まつ:
家であまり喋らない時期と、学級委員やってた時期っていうのは重なってるんですか。

Kafune:
重なってます。家ではね、もうずっと喋らない、今でもずーっと。家ではって、実家のことです、結婚して、自分で作った家族とは喋ります。

安東まつ:
ご実家では、話したいけど話せなかったのか、それとも話さなくても全然平気だったんですかね。

Kafune:
話さない方が楽でした、その方が全然楽。幼児のときから基本、特に喋らないタイプだったんですよ。だけど母と兄がすごい賑やかだったから、口をはさむ隙がなくて。私が声出そうと息を吸っているうちに、言いたいこと全部母に言われちゃう、みたいな。母がすごく、今思えば心配もあるのかもしれないけど、そんな私を暗いって。女の子なのに暗くてかわいくないってことをすごい言われてて。それで余計に喋らなくなっていくみたいなとこもありましたね。

安東まつ:
分かってもらえないみたいなところもあったんですかね。

Kafune:
全然分かってもらえなかったです、タイプが違うから。だから単身赴任から父が数日帰ってきたときだけ、すごく息がしやすいみたいな。分かってくれる、みたいな。

安東まつ:
お父さんとはどういう会話をしてたんですか。

Kafune:
子供のときはあんまり、とにかく私父に対してもやっぱり喋らなかったんだけど、父も工作みたいなことがすごい好きだったので、言わなくても、私が作ってるものをすごい見てくれて褒めてくれて。あと私の父も本が好きだったので、本を読んでくれたりとか、そういう交流が多かったですね。あとスポーツ好きだったから、2人でスポーツしたりとか。

安東まつ:
スポーツは何をやってたんですか。

Kafune:
よくやってたのはバトミントン、私が好きで父が付き合ってくれて。あと父は走るのが、ジョギングが好きだったから、私もたまに父にくっついて走ったりとかそんな感じ。キャッチボールとかもやりましたね。

安東まつ:
お父さんとは色んな遊びをされてたんですね。

Kafune:
そうなんですよ、でも本当に年に数回しか会ってなかったから、こんなことやってる暇なかったはずなんだけど、すごい記憶に残ってるんですよね。でもやれた時間はほんのわずかだったと思います。

安東まつ:
学校でお友達と接するときは、またタイプが変わるんですかね。

Kafune:
全然違う。学校だとお喋りではないけど、でも普通に何の問題もなくコミュニケーションしていて、女の子だからどっかしらのグループに所属して、普通にやってましたね。でもそれもできるようになったの、小学校の中学年以降ぐらいかな、だんだんちょっとずつコミュニケーション力をつけたというか、まあまあ、そんな感じで。本当に幼稚園のときとかは、全然喋らない子だったような気がします。

安東まつ:
学級委員とか生徒会をやりたいなと思った理由って覚えてますか。

Kafune:
とにかく人前で、大勢の前で喋るのが好きだったんですよ。だから選挙演説をやりたかった、ただただそれだけ。

安東まつ:
人前で話すっていうことの、どういう部分が好きだったんですかね。

Kafune:
なんでしょうね、今も好きなんですけど、結局自分の思いを話すのが好きなんですよね。それだけなんか普段からすごい頭、妄想が走ってて、自分の中に思いをめちゃくちゃ溜め込んでるタイプなんですけど。だから発信が好きなんですよ。だけど、子供のときからそういうふうに家でまともなコミュニケーションをとってないから、コミュニケーション力はなくて、双方向が駄目なんですよね。話したいこといっぱいあるけど双方向は苦手なんですよ。だから演説的な、スピーチ的なやつが好きで、気持ちよかった。これは大人になってから分析した結果なんですけどね、当時は全然そんなこと思ってない。ただただみんなの前で思ってることをしゃべりたい、と思ってただけで。

安東まつ:
中学生高校生になると、何か変化は出てくるんですか。

Kafune:
変わっちゃったんですよ。小学校6年生までは、本当に私を中心に世界は回ってると思ってて。なんですけど、中学校に上がったら何校か一緒に合わさるじゃないですか、規模が大きくなる。そのときに、なんて言うんですかね、スターじゃなくなったんですよ。あくまで私の頭の中での話ですよ。そのときに限りなく地下に潜っていって、別に普通の子になりました。もう全然演説なんかもうやりたくもない、いや、実はやりたかったけどやるって勇気も欲望もすごい少なくなって、普通の子になりましたね。

安東まつ:
当時ハマっていたことや好きなことはありましたか。

Kafune:
当時は吹奏楽の部活をやってて。ハマってるってほどじゃないのかな、吹奏楽のその仲間が好きで、仲間とふざけて漫画しりとりとかやってて、今思うとなんじゃそりゃだけど。なんかそういうのをほのぼの平和にやってました。

安東まつ:
吹奏楽は中学も高校も続けてたんですか。

Kafune:
高校は弓道をやってて。高校のときは本当にもう弓道にどハマりして、弓道少女でしたね。もうもう朝から晩まで夢中、弓道に夢中でした。

安東まつ:
弓道はどういうところが面白かったんですか。

Kafune:
1人で突き詰めるみたいなところも好きだったし、あとは和のしきたりで礼法で、みたいなのが好きなんですよね。きっちり型を追っていくかっこよさっていうのが本当に心の底から気持ち良かったし、かっこいいと思ってましたね。

安東まつ:
高校卒業してからは、どういう進路に進むんですか。

Kafune:
短大に行きました。秘書科っていう謎の、将来なにしたいか決まってない女子の集まり、みたいな学校で、秘書科という短大に。別にやりたかった訳でもない、ただ家の近所で入れたから入ったぐらいの感じです。

安東まつ:
短大での生活はどうでした。

Kafune:
短大は本当に面白くなくて、何にも記憶に残ってないですね。別に特別な活動もしてないし、ぼーっと過ごしてました。

安東まつ:
短大を卒業した後は。

Kafune:
卒業した後はすぐに就職して、大学の大学事務局にコネで入ってお勤めして、すぐに結婚出産して辞めて家庭に入るみたいな感じですね。

安東まつ:
結婚相手の方とはどこで出会ったんですか。

Kafune:そこの職場の高校時代の先輩だからってことで紹介されて。

安東まつ:
仕事を退職されてからはお子さんと過ごす時間が中心になってくるんですかね。

Kafune:
そうですね、すぐ出産したんだけれど、主人の実家のそばに家建ててもらって、主人の実家がすぐそばにあってそこにお義父さんお義母さんがいて、あと兄嫁夫婦たちとかもいて。かなり田園地帯だったんですけど、人間関係は密な感じでした。子供産んだけど周りに助けてくれる人がいっぱいいました。実家も比較的近かったし。そんな恵まれた環境だったので、子供が1歳入る前ぐらいからじいちゃんばあちゃんに子供を預けてすぐパート出るようになったので、そんなに実はどっぷり育児ってやってないんですよね、お義母さんすごい助けてくれて。離乳食からオムツ外しから、熱心にやってくれて。仕事から帰るたびに、息子は成長していました(笑)。本当にかわいがってくれました。

安東まつ:
お子さんがいながらパートで働いてたときは、どういうお仕事をされてたんですか。

Kafune:
そのときはまだ23歳とかだったんですよ。まだ若くて。アルバイトとかもあんまりやったことがなかったので、私は何ができるんだろう何が向いてるんだろうって、若者ならではの問いがあって、けっこう色んなことやってました。飲食店もやったし、あと何やったっけな、洋裁…やっぱ好きだったから洋裁教室の講師とかもやったし、パン屋さんで勤めたりとか、あとなんだっけな、地元の市役所で事務職もやったし、とにかくなんか色々やってましたね。そのときに子供服作るネット販売にはまったんですよ。これはもう本当に、心から魂から天職だと思いました。これより楽しい遊びは他にないと思った。

安東まつ:
最初は自分のお子さんの服を作るところから始まったんですかね。

Kafune:
そうです、姑が面倒みてくれるから割と自分の時間を持てたので、姑の裁縫道具とかを借りてちょこちょこ作り始めて、面白くなってだんだん大きいものを作るようになって、みたいな感じ。そのうちインターネットが田園地帯だったその土地にも通るようになったので、インターネットなんじゃそりゃみたいな感じでやり始めて、ホームページ・ビルダーでホームページ作ってそこで売るみたいなことを始めて。あっという間にハマっていきましたね。

安東まつ:
ええ、ご自分でホームページ作ってたんですか。

Kafune:
当時ね、それが流行ってたんですよ。主婦がホームページ・ビルダーで自分で作って、手作り品をネット販売するってのが先駆けだったんですよ。25年前。でもそれが先駆けだったから、そういうのをやってる人を応援したい空気もすごくあったんですよ、あっという間にファンがついて。やってる人少ないから。

安東まつ:
作っている人も使っている人も。

Kafune:
そう、育児をブログで発信して、しかも手作り品売っててみたいなのがあっという間に応援者がついたんですよね。

安東まつ:
その活動はどれくらい続けてたんですか。

Kafune:
4、5年だと思います。息子がアディダス、とかを着始める前まで、とかなんで、5歳くらいかなぁ。その辺から急速に尻つぼみしたんです。4、5年はやったと思います。かわいいセーラーカラーとか、ギンガムチェックとかを作って着せていたので、だんだん周りの男の子たちから浮くようになってきて(笑)なにより男の子っぽい風貌になってくるから、もうそういうの、似合わなくて。

安東まつ:
その後は何か新しいことを始めたりとか、何か大きい出来事はありましたか。

Kafune:
その後は、子供に服作るっていうのができなくなって一旦大人服に切り替えたけど、なんかそれはときめきがなくてすぐやめてしまって、洋裁から離れちゃいそうになったんですね。そのとき初めて、子供のときからずっと洋裁好きだから仕事にしてみようかなと思って縫製工場に勤め始めて、その縫製工場が結局一番職歴が長くて11年ぐらい勤めたんですけど。最初の方はミシン踏む職人だったけど、後半は工場の責任者やらせてもらって。工場の責任者になるところがまたね、色々すったもんだがあってもうすごい大ドラマがあって、もう私の人生の中の一大トピックになってるんですけど。色々そういうことを経験して、すごいなんて言うんですかね、つらかったけど、めちゃくちゃつらかったけど、人生で一番エネルギーが満ち溢れてた時期を過ごし。で、やっぱり自分に生きる力ついてくると女って強くなりすぎちゃって、離婚をし。息子連れて2人暮らしが始まって、どんどん仕事にのめり込んでいき。工場の、なんて言うんですかね、今までの従来の人が育たない、新陳代謝が起こらないっていうところを何とかしたいっていうことで会社と一緒に相談しながら、私が新しく工場長になったって感じだったので、4年ぐらいやったら大体やっぱりその形ってのは育ったんですよね、新しい形っていうのは。

安東まつ:
はいはい。

Kafune:
そこで余裕ができたらちょっと欲がでて、管理職ってみんなすごいやりたがらないなっていうのが自分がやってみてすごい分かったんですよ、なんでやりたがらないのか。大変だし、すごいストレスは増えるし。でも逆にやってみたら、みんなが知らない管理職やる楽さも経験しちゃったんですよね。まず給料が格段に上がる、みんながやりたがらない役引き受けるから格段に上げてもらえるのと、あとやっぱり自分の裁量で動けるっていうのがプレーヤーよりも、やっぱり自分の裁量でっていうところは楽なんですよ。どんなに激務でも自分の裁量でやってれば大変じゃないんですよね。っていうのを経験して管理職いいなって思い始めて。ただ縫製業界ってそもそもの賃金がとても低いんです。繊維業界っていうのは。そこで欲が出て、業界は何でもいいから管理職やらせてくれるところでお給料のいいところに転職しようと思い始めたんですよね。そういう採用の仕方をしてくれるところがホテルの支配人で見つかったので、そこに転職をして支配人を4年やりました。

安東まつ:
全然別の業界で。

Kafune:
全然別、だけど管理職経験っていうものを見てくれたので。でもそのホテルの支配人は、結論から言えば失敗でした。面白くはなかった。工場にいたときは、会社が、元々の工場の組織を変えたくて、このままだと将来的に不安だからって会社が思ったので、私に託してくれたから自由にやれたんですよ。自分の思うこと試せたんですね。だけど、そのホテルは全国にチェーンであって、とにかく全国の店舗が同じサービスを提供できるっていうところがお客様に提供できる大きな価値、という会社だったので、トップの通達を追うのですごい必死。事務仕事も慣れてなくて、人事労務も給料計算も店舗トラブルも全て支配人が補佐と2人でする、というスタイルだったので、定型業務と毎日起こる店舗トラブル、お客様トラブルを追うのでものすごい激務でした。新しい試みなんか、なんにもやろうと思えなかった。ただ毎日、何事おも起きないでくれ、と思いながら過ごすようになっちゃった。だから、何か起きるとすごいイライラしてしまう。でもイキイキ仕事している同僚、先輩もたっくさんいたから、やっぱり適性がなかったんでしょうね・・。そんな感じで、管理職って言っても全然違うものだったので、これはしんどさの方が強かったです。ただなんか、名誉心みたいなのは満たされたけれど・・という感じです。


安東まつ:
ホテルの支配人やられてたのってどれぐらい前ですか。

Kafune:
コロナ禍の1年目までやったから、コロナっていつからでしたっけ、2020年?2020年にオリンピックできなかったんですもんね。だから2021年の春までやってました。

安東まつ:
退職後はどういうふうに過ごされてたんですか。

Kafune:
ホテルの支配人辞めたのは、再婚するためでした。でも結局、そのパートナーからモラハラDVにあうっていう期間を過ごすことになります。その期間はパートでセラピスト、いわゆるマッサージ師をやってました。

安東まつ:
色んなお仕事をやられてるんですね。

Kafune:
そうなんですよね。マッサージ師は、ホテルの支配人時代に、ホテルに専属でついてる女性のマッサージ師さんがいて、その方と仲良くなって話したりたまに揉んでもらったりしてたんですよね。で、そのときに、エンドユーザーと直接関わるお仕事で、疲れてるとき本当にありがたいし、素敵な仕事だなと思ってて。もし支配人辞めることがあれば、次にやりたい仕事の1つとして頭に残ってたんです。で、再婚していよいよと思って。

安東まつ:
DVにあっていた頃のお話って、お聞きしても大丈夫ですか。

Kafune:
はい大丈夫です。まだ、メンタルは・・・、もう一生元には戻らないなっていうことを最近悟り始めて逆に楽になりました。モラハラのやり方って、価値観をぶっ壊されちゃうんですよ、それまで自分が持ってた自分というものを完全に壊されちゃう。あの頃のことを思い出すとちょっと頭が混乱するというか、カオス状態になっちゃうんで、正直実態を第3者が完全に理解できるような説明はできないです。1回その人の価値感や存在価値っていうのを壊しながら、同時に優しくして、自分のコントロールを入れていくっていうことをやられるので、何が普通と言えるのか、何が良くて何が悪いのかっていう判断基準がもうなくなっちゃうんですよね。で、相手の、パートナーの判断基準が世の中の全て、になっていきます。当然私の判断基準とは全然違うものだから、怒らせないように、機嫌よくいてくれるように、愛されるように、その人に判断基準を全てお伺いする、顔色を窺って判断する、ように、徐々に、徐々になっていきます。ちょっとね、うまく説明できないですが。そんなこと可能なのか、って思われるかもしれないですが・・なんて言ったらいいのか、なんでそんなふうになってっちゃうのかが本当にうまく説明できません。日々の生活、会話に溶け込んで、あらゆる方面からそういうふうに・・。でもじわじわと私が普通じゃない、他の女性と違う、おかしいっていうことを言われ続けるんです。それも、非常に強い言葉とかでお前おかしいとかって言われたら、それは私だって反発したり、気づいたりできると思うんです、え?この人ってることおかしい…って。でもそういうものじゃないんですよね、もっと日常の中でじわじわって入ってくるんですよ、本当に些細なことから。最初はとても人当たりが良く、愛情表現も豊かで、信頼関係みたいなものができあがってから、それは開始される。例えば、ヨーグルトの蓋、でっかいパックのヨーグルトってあるじゃないですか、上に固い蓋がついてて中に1枚アルミホイルみたいな蓋がついてますでしょ、あれを剥がす剥がさないとかでも、私は全剥がししちゃうタイプだったんですけど、それをいつも通り剥がしたら、信じられないって、今までずっとこうやってきたのみたいな、菌入っちゃうんだよみたいなことを訥々と言われるんですよね。これだけ聞いたら、なんでそんなことでそんなにコントロール入るのって不思議に思われるかもしれないですし、私もそう思います。だけど、そこまでも何かやられてるんですよ、たぶん。言葉にならない、君ってそうなんだ…なんかおかしいよね、君は・・・みたいな、そういう日常での態度とか、あれで徐々に自信を奪われていって。プラス元の奥さんはこうじゃなかったとか、元の奥さんとはこういうふうにスムーズにいったのに、そうか・・君は・・・はぁ・・。みたいなことを日々やられてるんですよ。そのうちもうちょっとはっきりした事が起こる。今言った、ヨーグルトの蓋みたいな、些細だけどはっきりとした事実の事象みたいなことが起こりはじめて、この責めを数日に渡って、いや、その後も何度もぶり返されて延々やられるんですね。おかしいよなって、なんかおまえとだと一緒に安心して暮らせないな、だって色んなことが普通の人と違うんだもん、みたいなことを日常的にされるようになり、日を追って、言葉も態度もどんどんきつくなっていきました。

安東まつ:
はい。

Kafune:
だんだんそれがきつくなってきたときに、やっぱり私もつらくなってきて抵抗が始まるんですよ、流せなくなって。本当にそうなのって、私今まで言われたことないんだけど、前の夫ともこんなことで揉めたことないんだけどとかって言い始めちゃうと、更なるえぐりが始まるんですよね。前の夫の気持ち分かるよって、きっと君のこれとこれとこういうところが嫌で離れていったんだろうねみたいなことを、会ったこともないのに想像で話し出すんですよね。君はたぶん、これからも誰からも愛されないねって、そういう感じだと。でも僕は、僕だけは君のそういうところも含めてしょうがないなって思ってるから一緒にいるけど、僕だからね、みたいな感じでやられるんですよね。そうすると、月日を重ねて、抵抗しつつも、ここでしか生きられないってなってくるんですよ。私は駄目だ、おかしいんだ、でもこの人だけが分かってくれる、嫌々だけどそばにいてくれる、みたいな感じに長い間かけてじわじわなっていっちゃったんですよね。それでもそんなスムーズにいったわけじゃなくて、その日々のコントロールから抜けそうになると殴られるみたいなことを繰り返しているうちにすごい恐怖も加わって、だんだん思考停止ですよね。おかしいなと思っても飲み込む。なんか本当に説明がつかない、なんであんな状態になっちゃうんだろうって本当に不思議だけど、完全にコントロール入っちゃいましたね。24時間相手の機嫌とって、っていう感じになっちゃいました。

安東まつ:
何か明確なきっかけがあるという訳ではなく。

Kafune:
そうじゃないんですよね。どっから自分がモラハラを受けているのか、被害者なのかなんてもう全然わかんないです、絶対分からない。気づけなかったですね。とにかく自分を直さなきゃ頑張らなきゃと思ってますね、ずっと。

安東まつ:
そこから抜け出すきっかけは何かあったんですか。

Kafune:
きっかけは、2022年から2023年の年越しぐらいのときに…、そのときもかなりやられてたので、周りの薄々気づいてる人たちからは今すぐ別れろって言われてたけども、さっき言ったような状況で、メンタルがもう離れられないんですよね、共依存になってるから。なのに別れることができたのって、年越しのときにちょっと私の中で今までとはレベル感の違う、ちょっと命の危険を感じるような暴力を受けて。そこで初めて、今死ぬかもって恐怖が来たんです。そのときに初めて本能的な強い恐怖が来て、別れる別れないと関係なく、物理的に逃げました。で、結果的に言えばそのまま戻りませんでした。でも離れた後も別れるっていう決心は全然つかなくて、ただその死ぬかもっていうことから逃げたというだけでしたね。それがきっかけでした。だからあれがなかったら今も一緒にいたかもしれないです。今ここで死ぬのか、っていう恐怖の体験、それがきっかけです。

安東まつ:
じゃあ離れたのは物理的にだったんですね。

Kafune:
そうです、思考は変えられなかったけど、とりあえず体がしんどいから離れたって感じです。

安東まつ:
ありがとうございます。

未来:今の心の状態を観察しながら寄り添っていくと、絶対その人の中のエネルギーが勝手にそのうち湧き上がってくるっていうのを、私は自分と、同じ被害を受けた友達に付き添ってて見て確信してるので。その人の中から出てきたその人オリジナルのエネルギーで、やりたいことっていうのを実際にやって花開いていくっていうのの伴走までできる、プログラムが事業だかわからないけど、そういうものが作りたいってめちゃくちゃ思ってて。

安東まつ:
直近でもいいですし、もうちょっと長いスパンで死ぬときまで想像していただいてもいいんですけど、未来に対してどういうイメージをお持ちですか。

Kafune:
私ね、メンタルをこの半年から1年かけて再構築していく中で色々気づきがあって。今までって割とゴール思考だったんですよね、何かゴールを設定して、そこに向かって今やれることをやっていくみたいな思考が強かったんですけど、それとは違う考え方を教わったことが、場面チェンジのきっかけになったんですよ。なので、今はあえてゴールを設定しないようにしています。心からやりたいことをやり続けていたら、オリジナルな未来が出来上がっていくっていう考え方をしてるので。今一番やりたいことは、過去の自分を助けに行くっていうことをどうしてもやらなければ気が済まない衝動が強くて。具体的にどういうことかって言ったら、やっぱりこれが被害だとも気づかずに、自分が悪いと思って自分を責めながら一生懸命頑張ってる人の伴走をしたいって。あとは、来てくれるような場を開きたいってもうすっごい渇望してるんですけど、今やり方が分からなくて模索中です。それを絶対人生でやりたい。成し遂げられなくてもかまわないけど、着手し続けていたい。

安東まつ:
なるほど。

Kafune:
で、伴走していくとたぶん、私のように自分の中から、誰かに「全部感謝だよ」とか「自分が引き寄せたんだからこれからは未来引き寄せようね」とかそういうことじゃなくて、その人の今の心の状態を観察しながら寄り添っていくと、絶対その人の中のエネルギーが勝手にそのうち湧き上がってくるっていうのを、私は自分と、同じ被害を受けた友達に付き添ってて見て確信してるので。その人の中から出てきたその人オリジナルのエネルギーで、やりたいことっていうのを実際にやって花開いていくっていうのの伴走までできる、プログラムだか事業だかわからないけど、そういうものが作りたいってめちゃくちゃ思ってて。私の場合だと、被害にあってる間もずっとさっきのお人形の椅子作りっていうのはやってたんですね。逆にそれだけが心の支えで、私は体も精神もおかしくなりきらずに生きていられたって思ってて。やっぱり自分が心から楽しいって思うことを持っている、やっているってことがどれだけ価値があるかっていうことを、すごくそれも伝えたいんですよね。だから今私の中で、お人形の仕事と被害者支援っていうのは、見た目は全然違うけど根っこでがっちり繋がっていて、どうにか発信して育てて事業だかプログラムだかにしたいってすごい思ってます。

安東まつ:
ちょっと過去のお話で聞き切れなかったんですけど、この1年ぐらいはお人形の椅子作りも含めてどういうふうに過ごされてたんですか。

Kafune:
まず去年の年越しのときにそういう感じで逃げたんですが、逃げた先が元の家と近かったので、逃げた先にしょっちゅうそのパートナーが来ちゃうってことが3月までは頻発してたんです。そこでもう本当に、包丁沙汰の出てけみたいなことをやってて、こんなこと続けていたら本当に生活もどうにもならないし心がもうおかしくなると思ってて、引っ越しをなんとかしようって、とにかく物理的にもっと離れなければと思ったんですが、当時仕事も正社員でやってなかったんで、賃貸のところも借りられなかったんです、私の身分では。で、息子に借りてもらう形で、住所隠して離れたところに引っ越しをしたんですけれど、当時の私はモラハラ被害ということがよく分かっていなかったので、物理的に離れさえすればすぐ心が元に戻るって、そこだけに希望を見出して必死な思いで引っ越しをしたんですけど、モラハラ被害ってそういうものじゃなくて。離れた方が心が壊れていきました。依存先がなくなるから、今度。価値観がぶっ壊れた状態で、今度は唯一の価値観だったパートナーから離れることで、本当に価値観がなくなっちゃってグラグラしながら生きていくんで、本当にしんどかったんですよね。何をやっても間違っている気がする。自分はおかしい気がする。存在価値がない気がする。生きる意味が分からなくなっちゃって。

安東まつ:
はい。

Kafune:
命の危機、逆にあのときが命の危機だなって思いますけど、4月の末にお引っ越しをした後にさらにメンタルを病んでいって、9月に本当にひどい状態になって働けなくなっちゃって無職になりました。無職になったときに、さっきも言いましたが、新しく知り合った方々に話を聞いてもらって、9月、10月くらいから徐々に回復してっていうことになるんですけど。でも仕事をしてなかったので、経済的には、現実生活的には本当にどん底のやばい状態になっていたんですよね。そこで初めて、それでもお人形の仕事は細々と続けてたので、その状況で好きなことしかやりたくないってすごい強く思ったんですよね。それで初めて人形の仕事を本業にしようっていうチャレンジが始まるっていう感じです。もう自分の人生、新しくこれから価値観作っていくっていう感じ。今までお勤めをしていて、片手間でお人形やってるからいいんだって思ってたけど、心の底からお人形をやってて楽しいんだから、もう今までの価値観は全部捨てて、もうこれを仕事にするっていう価値観を採用しようって思ったんですよね。そういう感じの1年でした。とはいえ、すぐにこれだけで暮らしていけるほど継続的に稼げるわけじゃないので、ちょっとバイトしてみたり、みたいなことのせめぎ合いの1年。

安東まつ:
似たような経験をしたお友達もいるっておっしゃってたんですけど、その方とはどういう関係というか、どういう交流をされてるんですか。

Kafune:
そのお友達とも何か運命的なものを感じるんですけど。9月から徐々に元気になっていって、12月ぐらいにかなり上辺は、中身は変わらないけど上辺が元気な感じになってきたんですね、一人でいる時も、笑えるようになった感じになって。誰かに見せるための笑顔ではないものが出るようになって、自分で感動している時期でした。で、お人形のイベントとかを、私鎌倉で活動を主にしてるんですけど、鎌倉ですごいちっちゃいお人形のイベントをやったりし始めたんですよ、そしたらそこに来てくれたのが彼女で。最初はお人形のことで喋ってて、彼女は元々お人形好きではないんですけど興味はあって来てくれて、だんだんお人形好きになってきて。最初お人形のことで喋ってたんですけど、2人で話すようになったら、実は別れたパートナーから、聞けばそれモラルハラスメントだな・・と思えるような功を受けて被害後で、今非常に混沌の中にいてみたいなことを話すようになって。そのとき私はかなり、新しい仲間から上手に話を聞いてもらって気持ちが上向いてきていて、人に話を聞いてもらうっていうことの威力をすごく思い知ってたときだったので、私がこの3ヶ月体験してきたことを彼女に再現したいって思ったんです。私がしてもらったことを彼女にしたいって、再現したいって思ったんですよね。

安東まつ:
はい。

Kafune:
でもやってみたらやっぱそんな簡単じゃなくて。経験者が経験者のケアをする弊害とかもあるんじゃないかと思い始めて。それを知るためにモラハラDVのことを学び始めたら、今までシャットアウトしてたそういう情報に触れ始めたら、1月2月もうガッツリ落ち込んで働けなくなってしまって、また経済的にひどく困窮して、みたいな状態にはなってしまったんです。この間も、彼女も話を聴いて、私の話も聴いてもらってて。少し特殊な経験なので、経験者同士のケアが危ない、引っ張り合っちゃうから危ないっていうのも勉強して知ったんですけど、それでもメリットの方が今のところ大きいなと思ってて。やっぱり、他の人に説明しきれないあの空気感を経験者同士だと分かるんですよ。だから皆まで語らなくても、語る前に泣いてしまっても、分かる、ってできるんですよ。分かるよって、言いたいこと分かるよ、何が起こったのかなんとなく分かるよ、それでいいよっていうのができるのがすごくお互いに力になって。今はそうやって、なんでしょう、普通の人だったら、例えば相手への恨みとかを普通の人に話すと、途中の段階で止められちゃうんですよ、やっぱり。そういうふうな強いマイナスの思いを抱いてるとあなた自身によくないみたいな綺麗事言われちゃうんですね。それは確かにそうなんです、確かにそうだけど、でも今の段階では一度地に落ちて黒い思いをしっかり味わって吐き出すっていう段階を経ないと、ほんとの癒しって来ないっていうのをもう私今確信してるから、自分の体験上。だから友達が、どんなにどす黒い、相手を殺したいとか言ったとしても、きちんとこの段階を通るのは必要だって思ってるから黙って聴ける。ストップをかけることなく、修正することなく、今の「思い」、をノン・ジャッジで聴ける。内容じゃなくて、その「思い」を感じること自体が、今後の再構築の土台になっていくと思っているから。1人でここの思いに降りていくのは危ないから、一緒に降りていく、っていうことを今やってる、活動中です。

安東まつ: 
個人的にもやられてるし、勉強もして。

Kafune:
そうですそうです。相手もやっぱり、上がったり下がったりしながらも、少し上向いている感じがしています。元気が出てきたときはやっぱり、私と同じように過去の自分みたいな人を助けに行きたいって、私と同じことを言ったりします。だから2人で聴いて聴かれて勉強もして元気になったら、一緒に活動できたりしたら素敵かな。

安東まつ:
ありがとうございます。
先ほどゴールは設定しないようにしているっておっしゃってたんですけど、今後どういう状態で生きていきたいなとか、どういう気持ちで日々を過ごせたらいけたらいいなみたいなイメージはありますか。

Kafune:
とにかくいつもビジネスでわくわくしていたいです。自分のやってること、実は本当に心から湧き出て動いてるからビジネスって感覚は正直ないんですよ、仕事っていう感覚もないんですが。私あんまり遊びには興味がなくて、お友達とお茶飲んで楽しいとかもあんまり、感じなくはないけど一緒にショッピングとかそういうとこに楽しみを見出したことがあんまりなくて、私にとって一番のエンターテイメントってやっぱり今やっている活動、ビジネスなんですよね。常にビジネスで何か新しい、ちっちゃいけど新しいことにチャレンジし続けてわくわくしていたいし、あとは私仲間を何人か、雇ってはないんですけど協力者がいて、私のこの仕事に対する夢を語って、うわいいねって言ってついてきてくれた人たちに作業を手伝ってもらってるんですね。事業がちいちゃいから、そんなに稼がせてあげられてるわけじゃないけど、たまに自分の創造性を出した作品を私にプレゼンしてくれて、私が「ああ!いいですね!これうちで販売してみたいです!」みたいに感激すると、すごい喜んでくれたりして。おこがましいけど、たぶんその仲間の生きがいに少しはなってるかなって。そんな感じで、私が楽しいだけじゃなくて、関わってくれた人が楽しんでくれて、この感覚をきっかけに、自分の本来やりたかったことにエネルギーを注ぎ出すみたいな事業のあり方を作っていきたいなって思います。それプラス、やっぱりさっき言ったように心のケアのところを絶対に絡めていきたいって思ってて、それができたら本当に最高の人生、事業でわくわくしながら心のケアも絡めてやっているっていうのが理想の形ですね。

安東まつ:
今やってるお人形の方も、心のケアもビジネスとしてやっていきたいんですかね。

Kafune:
そうですね、やっぱりちゃんと、決めてるわけじゃないんですけれども、やっぱりちゃんと継続してやりたいってなったら事業にしたいな、と思います。

安東まつ:
ありがとうございます。
最後に、インタビューの感想でも、読者の方へのメッセージでも、独り言みたいな感じでも大丈夫なんですけど、何か一言ありますか。

Kafune:
ここまで、9月に新しい人たちに出会ってちょっと場面チェンジがあって、だんだん元気になってきて、実はその9月に知り合った人のところでスクールみたいなのに入ったんですよ、その人がやってるスクール。まあここは話すと長くなっちゃうんだけど、元々薄い知り合いだったんだけど、そこで繋がりができてその人のやってるスクールみたいなのに入ったら、そのスクールがすごく特殊でね、さっき言ったように。何も教えはしないんだけど、ひたすら、なんだろう、私の発想とか変化を面白がってくれるだけっていう謎のスクールで、でも結局、何をやっても聞いても変わらなかった私の心にそれは作用して、私は元気になっていって、そのスクールが実は今月で終わるんですよ。なので、今まではその人たちが私のやってることを逐一観察して面白がってくれて、それが私のエネルギーになってっていう元気のなり方をしてたんだけど、またここで私場面チェンジしなきゃいけないなって思ってて、なんていうか親離れ的なタイミングだなと思ってて。それでこのインタビューを一回、区切りとして、今の私を記録に残す、という意味で第三者にも聞いてほしいと思ってインタビューを頼んだっていう感じなので。ここからまた、新しい場面に入っていくので、また場面チェンジが来たときにインタビューを受けたいなとか思ってます。

安東まつ:
最後に、そのスクールの方たちとの関係性をお聞きしてもいいですか。

Kafune:
個人情報になる気がするので詳しくは割愛しますが、鎌倉での薄い知り合いで、色々あって、たまたま私のお人形の椅子の仕事の事をチラッと話したときに、面白い!と言ってくださった人がいて。その方が新しい事業の立ち上げのスクールをしていることとか、鎌倉で自分がやりたいことを大勢の前でプレゼンできるコミュニティがあることとか、それにはサポーターが必要だから、やってもいいですよ、と教えてくださって。

安東まつ:
はいはい。

Kafune:
当時出口の見えない感じの苦しさの中にいて、ネガティブオーラ全開で過ごしていたので、友人も家族も距離を置いて、すごく孤独なっていたので、すごく嬉しく、なにか一筋の光のように感じました。スクールが始まるのは、その話を聞いた5か月後、10月だったんですけど、その直前になって初めて、スクールの内容をちゃんと聞いた私もアレですけど、内容を聞いたら私のニーズとは正直合ってない気がしました。ただもう、この5か月、やるって決めて、そこだけしか変化の兆しを感じられなかったので、入っちゃえと思って入ったんですよね。そしたらそこがビジネススクールなんだけど、ちょっと変わってて、スクールは一応ビジネススクールなんだけど、それを禅の精神でやっていくみたいな変わったスクールだったんですよ。だからか・・ニーズがマッチしてなかったにもかかわらず、結局私の心は変化しました。結局ビジネスであろうが何であろうが、自分の内側だけに集中して感じて、そこから湧き出るものによって行動していくっていう、人のエネルギーの本質は一緒だったのでちゃんと作用したんですよね。そういうスクールでした。自分の内側を見つめる、自分の内側から湧き出る本当の衝動によって行動していく、ゴールを決めないで行動していくっていう感じのコンセプトでした。ざっくりいうと。

安東まつ:
そこのスクールの方たちとお話しして回復されていったんですかね。

Kafune:
正確に言うと、そのスクールの人だけではないんですけれども、そこから鎌倉の知り合いが増えていって、鎌倉って非常にマインドフルな土地で、そういうタイプの人がいっぱいいるんですよ。で、そういう感じの人といっぱい知り合って、私の話をたっぷり聴いてもらって。サジェストするのではなくて、その人の内側に何が起きてるのかなっていうのを見ながら聴いてくれる。ただ聴くんじゃないんですけど、正確には。その人の中の変化を見ながら、その人の「今」を味わう。良し悪しそっちのけで、味わう。その「今」に変化が起きた瞬間を捉えて面白がる、喜ぶ、その歓びを見ると、私の驚き、エネルギーになる、ってことを繰り返して元気になっていきました。

安東まつ:
ありがとうございます。

あとがき

会話のスピードについていけないと感じることがある。
聞きたかった話が途中で他の人に遮られてしまったり、もっとこの話広げたい!と思ったら話題が切り替わってしまったり。話の詳細はもちろん、そのときどう思ったのかとか、なんでそういう行動に出たのかとか、そのあたりが気になるのだが、案外さらっと流されてしまうことも多い。しかしそこで切り込む勇気も出せず、なんだか釈然としないまま帰宅することになる。
自分が話をするときも、相手の返答に「いや、そうじゃないんだよな…」とほぼ毎回思っている。と同時に、長尺でないと思いをしっかり伝えられない自分が歯がゆくもあるのだ。曖昧に流してしまったときなどは、そんなにか?というほど落ち込むこともある。
何が違うのか知りたいし、なんで違うのか知りたい。でもそこまでのコミュニケーションを求めている人は少ないらしい。インタビューの速度で普段の会話ができればいいのにと思ったりもする。
今回印象的だったのは、伝える力の強さだ。語気とか説得力とかそういう部分ではなくて、なんだか言葉に実体が伴っている感じがあった。それが「思い」なんだろうか。自分は伝えることを諦めていたんじゃないかと、はっとしたインタビューだった。

【インタビュー・編集・あとがき:安東】

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