見出し画像

【海士町】日々の小さなことに感謝して感動できて楽しめる人でありたい人

海の中に生きていたことがあって、そんなことはじっさいないんだが、生きていたような気がして、そんな時は、海の中に、ただよっていて、ぷかぷか浮いていたのであった。
さながらさまよえる、霊験あらたかななんというかかんというか、さながら私qncは海の中で考えごとをする、なんだかよくわからない生命体とでもいったような。
私は、万里の長城が、よく知らんけど好きで、それは、まだあるから。昔からあって、まだやってるから。そういう意味では、田んぼだってそうだな。栗もそうなのかもしれない、食べられると思って植えていった栗林。それなら、犬や猫も、そうか、人類のパートナー。
地域にインタビューしていくにあたって、私の中のテーマは、人はインターネットみたいに大勢と触れあう世界観にフィットするのかどうか、と。だいたい、人口数百いかないサイズで暮らしていた時間の長かった人類にとって、なんか世界中の人とふれあう、みたいな感受性って持てるのかな、疲れちゃわない? ということを確かめるためのインタビューだった。
答えはなんとなく見えてきていて。たぶん、そういうことが好きな人と好きじゃない人がいる。サイズ大きいほうがいい、小さいほうがいい、て人がいるだけ。そんなもんなんだよねえ、いっつもさ。
と思う2024年6月30日10時35分に書く無名人インタビュー810回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは よー さんです!

年齢:20代前半
性別:その他
職業:大学生(休学中)


現在:土着の文化だったり家庭内で語られていくものに、ただの観光客である自分が触れられたっていうのは、嬉しかったですね。

ナカザワアヤミ:
よーさんは今何をされてる方ですか。

よー:
休学中の学生です。

ナカザワアヤミ:
普段はどういった生活をされているんですか。

よー:
普段は、地方創生とか、そういった活動をしていて、3月までは島根県でインターンをしていて、今は新潟県でインターンをしています。

ナカザワアヤミ:
具体的にどんな活動をされてるんですか。

よー:
新潟だと、移住定住促進であったり、あとは町の中に小・中学校が統合されたところが1ヶ所だけあるんですけれども、そこで学習環境の整備に関わったりしています。

ナカザワアヤミ:
差し支えなければ、場所を伺っても大丈夫ですか。

よー:
新潟県の湯沢町です。

ナカザワアヤミ:
なるほど。普段は毎日どんなことをされてるんですか。

よー:
まず最初の移住定住促進っていう部分でいくと、町に今、地域おこし協力隊の方が何名かいらっしゃるんですけど、そのうちの1人のサポート業務っていう形で。
その方は、町の不登校支援っていう課題に対して、子どもたちの居場所作りに取り組もうとされています。私はその方がNPOを作りたいっていうお話をされてるから、設立要件だったり、あとその方が運営してる場所でやってる子ども食堂のお手伝いなんかをやったりしています。

ナカザワアヤミ:
よーさん自身が地域おこし協力隊というわけじゃなくてその仕事のお手伝いをしてるってことなんですか。

よー:
正確に言うと、私は地域おこし協力隊のインターンなんです。

ナカザワアヤミ:
なるほど。これはその仕事で新潟に、インターンをするために行ったっていうところなんですね。

よー:
そうですね、島根にいたときも、地域おこし協力隊の制度を使っていて。あんまり大々的には言ってないんですけど、無名人インタビューさんでもよく取り上げられている島根県海士町の大人の島留学とか島体験とか、制度的には地域おこし協力隊なんですよね。

ナカザワアヤミ:
よーさんはどうして、こういった地域おこし協力隊インターンをされてるんですか。

よー:
元々湯沢町っていう場所の名前すら聞いたことなくて。出身が愛媛で、大学が広島県で、ずっと中四国の生活しか知らなかったので、それ以外の生活を見たいなと思って、より自分の心理的に距離がある場所に行きたいなと思ったので、北陸とか東北とか、そっちで探してて、たまたま今の関わってる場所のインターンを受けました。

ナカザワアヤミ:
実際に今やってみていかがですか。

よー:
うーん、そうですね。私は元々海士町にいたときは、関係人口の創出とか、移住支援とか、そっちに興味があったので、今の場所でもそういう感じを期待して来てたんですけど、実際に来てみたら湯沢町って関係人口を創出しなくても、そもそもスキー場でめちゃくちゃ有名な場所だから、結構な割合で場所の名前を聞いたことあるし、来たこともある人が多くって、そこはものすごく意外というか、想像してなかった部分だなっていうふうに思います。
あと、海士町は人口が2300人とかで、湯沢町は人口が大体8000人。
だから、規模的にはちっちゃいっていうほどではないかもしれないけど、もうちょっと地域と密なのかなと思ってたら、意外とそんなに密ではなくって、むしろ都会という感じの雰囲気だったのが意外なところだったなとは思います。

ナカザワアヤミ:
都会、なるほど。実際生活の方でそう感じることはあったりしますか。

よー:
生活面でも同じように、ちょっと都市的だなと思うことがあって。
海士町は結構地域との関わりが密というか、そこにいる人たちがお互いに、地域のイベントなんかも、小さなコミュニティだけど、その中でみんなが生み出していくみたいな感覚があったんですけど、こっちに来てみると普段の生活の中でそういうのを感じる機会がなくて、なんていうか、消費することが当たり前になっている感じが普段の生活の中でして、ちょっとギャップだったなと思います。

ナカザワアヤミ:
うんうん。結構ギャップがあったとか想像とちょっと違ったっていうお話ですけど、それは海士町と比べてですか。

よー:
そうですね、海士町と比べて、だと思います。
あとはその人口規模的なところですかね。
私が今までいた場所で1万人切ってる場所ってなくて、愛媛の中でも7万人ぐらいのところと2万人ぐらいのところで、広島は大体20万人ぐらいだったんですけど、広島は結構、そこに距離を感じてそれが嫌になっちゃったから。海士町みたいな、距離感が近くて自分の居場所を感じられるような場所に惹かれていたっていうのがありまして。
でも、愛媛県の中で5万人前後ぐらいの規模だったら割と密な関わりがあったなっていう気がしていたので、こっちの8千人規模でこんなに人の距離が遠いかなっていうのを思いました。

ナカザワアヤミ:
遠いっていうのはどういうところから感じるんですか。

よー:
なんか、地域の伝統文化みたいなところ、私はあんまり触れてなくて、こっちに来て、ここに住んでいる方もちょっとおっしゃってたんですけど、なんちゃら太鼓みたいなものは形式として残ってるけど、それをみんなが伝えていこうとしてるかっていうとそうじゃなくて、イベントがあるから練習して、みたいな。
あと、湯沢町っていう場所自体が、バブルのときに栄えて、リゾートマンションが大量に立って、っていうところなので、なんていうか、バブルを機に栄えてどんどん消費社会になっていったっていう感じなので、ある種、そういう背景があるから、コミュニティがあまり強くない部分を感じるのかなとは思ってます。

ナカザワアヤミ:
うんうん。よーさん自身もあんまり関わることはないんですか。

よー:
そうですね、さっき申し上げたように、小中学校に関わっているので、そこを取り巻く大人の方との交流はもちろんあるんですんけれども、ただそれを含めたとしても、もうちょっと、この規模だったら他人との距離感って近いものじゃないかなと思うのが、何となく遠いなという印象を持ってます。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。ちょっと話変わっちゃうんですけど、最近楽しかったことはありますか。

よー:
そうですね。なんだろう、こないだ佐渡島に旅行に行ったんですね。
そこで、空き家図書館っていう、ミニイベントみたいなのをやってるのを港で見つけて行ってみたんですけど、そこで、その空き家図書館を運営されてる方が、実は私が海士町にいたときの知り合いの知り合いだったっていうことがわかって、それが楽しかったことですかね。

大人の島留学のnoteで、島留学を終えて、佐渡島に行った人がいるってのは知ってたんですけど、そのトレードマークみたいなものが空き家図書館に飾ってあってて、これって○○さんのやつですよね、みたいなのを話しかけたら、実はこれ、僕の大学の知り合いの知り合いなんだよね、みたいな話になりまして。
世界、世界というか、海士町を起点にいろんな世界が繋がってるんだなっていうのがわかって、それはすごく楽しい瞬間でした。
あとはその空き家図書館で全然知り合いじゃないけど地元の方とかもイベントのためにいらしてて、その方とちょっと交流できたっていうのも楽しい瞬間でしたね。

ナカザワアヤミ:
交流っていうのは具体的にどういうことですか。

よー:
佐渡の地域に関する話を聞いたんですけど、そのお話した方は、お年寄りの方の民話とか妖怪とか、そういう部分に興味がある方で、それで活動されているみたいでした。そういう妖怪とか民話的な部分って、いかにも観光のパンフレットに載ってます、みたいな感じではないんじゃないですか。土着の文化だったり家庭内で語られていくものに、ただの観光客である自分が触れられたっていうのは、嬉しかったですね。

ナカザワアヤミ:
うんうん。なるほど。ほかに趣味とか、なにかされてることはありますか。

よー:
ちょっと前まで俳句がすごく趣味だったんですけど、最近は俳句を詠む心のゆとりがあんまり自分になくって、できてないんですよ。

ナカザワアヤミ:
今は仕事じゃない時間は何をされていることが多いですか。

よー:
その佐渡とか、旅行に行くっていうのもしますけど、地域おこし協力隊関連っていうとあんまり休みと仕事の境目みたいなのがなくて、仕事で知り合った方にこれこれおいでよとか、仕事の関係者にちょっとこれ手伝ってよって言われたら休日でも普通に行くっていうのが多いので、今日は仕事だからとか、がっつり休みだとかは考えずに過ごしてるっていう感触の方が強いですかね。

ナカザワアヤミ:
地域おこし協力隊インターンとか、そういった立場であればどこでも一緒ですか。

よー:
どこでもっていうのはあまりわからないんですけれども、海士町にいたときも、もちろん仕事の日とそうじゃないっていうのはありましたけど、結局繋がってる人同士で、今日はこれイベントがあるから行くぞとか、そういう声掛けで成り立ってる部分があるので、全国的にどうかわかんないんですけど、私の経験的には、そこまで仕事とプライベートは切り離されてないかなっていうふうに思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。その今の生活に対してご自身ではどう感じてらっしゃいますか。

よー:
私自身はそういう生活は全然嫌いじゃなくって。なんていうか、生活の中に一貫性とか繋がりがあることは、私の中で結構重要なことだなと思ってます。というのも、大学で広島県にいたときは、何をやってもぶつ切りにされてる感覚が強くて。
もちろん人間って多面的なものではあると思うんですけれども、生活に一貫性がなかったり、一貫性がないことで、自分の居場所ってどこなんだろうとか、ここで自分1人欠けたところで、っていうのを思ったりもしたので、仕事とプライベートが切り離されていない生活にはある程度満足してるかなと思っています。

ナカザワアヤミ:
何をやってもぶつ切りにされてる感覚を初めて感じたのは広島での生活の時ですか。

よー:
そうですね、それまでは、うん。そんなに感じたことはなかったかなと。

過去:もしかしたら、感情って出した方が人とのコミュニケーションやりやすいんじゃないのかな

ナカザワアヤミ:
そしたらですね、これまでの話についてもお聞きしていきたいなと思うんですけど、よーさんは子どもの頃はどんなお子さんでしたか。

よー:
子どもの頃は、なんというか、感情をあまり持たないようにしていたかなと思います。

ナカザワアヤミ:
感情をあまり持たない、ということは、自分であまり持たないようにしてたってことですか。

よー:
そうですね。小学校3年生くらいのときから、ちょっと周りとのずれというか、なんとなくしんどさみたいなのを覚えるようになって、そのときに、感情を持たなかったら、こころが揺れ動かされて、疲れちゃったり消耗したりすることがなくなるんじゃないかなと思って、結構そういう感じの心持ちが中学校2年とか3年ぐらいまで続いたかなっていう感じです。

ナカザワアヤミ:
ずれっていうのはどういうところで感じていましたか。

よー:
私はあんまり、集団に入って特定の人だけと仲良くするみたいなのは合ってないんですよね。だから誰々のグループとかあんまりそういう感覚がなくって、いろんな友達、友達じゃなくてもいろんなところをちょっとずつ転々とするっていう感じの人間なんですけど、小学校2年生くらいまでは割と周りのみんなもそんな感じで、誰とでも仲良くみたいになってたのが、小学校3年生からぐらいから、いきなり男子と女子で別れ始めた感覚があって、その中でもいろんなグループがちょっとずつ出来上がっていって、自分がそのどこにも属してないし、属したくもないし。でもみんなとは違う。っていうことに、何だかモヤモヤした時期だったかなっていう感じです。

結局、そのもやもやというか、どこにも属してないし属したくないっていうのは、高校生とか大学生の今でも同じといえば同じなんですけど、高校生のときにもう、それでも別にいいかって吹っ切れちゃったというか、うん、ある意味そこでふっきれられたので高校生くらいからは、ちゃんと感情を周囲に表明することができるようになったかなと思います。
それまでは本当に無感情って感じだったので、周りの人にも、ロボットみたいとか、AIとか、結構からかわれたりもしたので。

ナカザワアヤミ:
感情を持たないっていうのは、表に出さないってことですか。それとも思うこと自体もやめようかなというか、そういう感覚ですか。

よー:
思うこと自体も、ですかね。だからとりあえず学校とか先生の言うことに全て従ってたらそれでいいんだっていう、みんながロボットってからかってたのもその通りだなって思うんですけど、従順になることだけが、自分にとってのある種の正義で、自分の意見を何かに反映していいっていうのが、なかったのかなと思いますね。

ナカザワアヤミ:
高校生のときに吹っ切れたっていうのは、どういったきっかけでしたか。

よー:
うーん、高校生から、実際のところどうだったかちょっとあんまり覚えてないんですけれども、高校生から生徒会に入って、外からの視点を持つことが多くなって、クラスの中だけにいるんじゃなくって、外部的な視点を持てる役割を得たことで、ある意味その集団に属さないことも肯定されたし、あとは、周りの人間を見て、何かに従順になってる人じゃなくって、笑ったり感情見せたりする人の方が意外と好かれるんだなっていうことがわかってきて、最初は作り笑顔でいいからしてみようと思ったら、いつの間にか先生にあなたは笑顔が本当に素敵な人ねって言われるようになって。

そのときは私の笑顔ってほぼ全部作り笑顔だったんですけど、作り笑顔だったとしても、そういうふうに表情で何かを評価されることがあるっていうんなら、もしかしたら、感情って出した方が人とのコミュニケーションやりやすいんじゃないのかなっていうふうに思って、そのあたりから吹っ切れたかなと思います。

ナカザワアヤミ:
そのとき、適切なタイミングで笑顔を作るみたいなことについては、難易度としてはどうだったんですか。いつ笑うかとかもあるじゃないですか、人によって

よー:
そうですね。だから今でもちょっとそれがよくわからなくって、なんで笑ってんのって言われるときもたまにあるんですけど。
難易度としてはよくわからないんですけど、最初はみんなが笑ってるタイミングで同じように笑う。で、生徒会として、なんかの問い合わせの対応とかだったり、先生へのお伺いをするとかっていう立場でちょっとずつ表情を作って出していったり、その場その場でいろんな人の行動を見ながらそれに合わせて作っていって、間違ってるなと思ったら修正したり、だんだんそれを、ルーティンというかマニュアルというか、そういう関係の中にインプットしていった感じですかね。

ナカザワアヤミ:
なるほど、大学生というか、今時点ではその感覚みたいなものは積み上げられてるんですか。

よー:
そうですね。今はあんまり、マニュアルとか作り笑顔とか、そういうことを意識せずに、やってるようになってるかなとは思います。

ナカザワアヤミ:
ちなみに、生徒会はどうして入ったんですか。

よー:
生徒会は、部活の先輩が生徒会長をされてて、そのときの輝きというか、それに憧れて、自分ももしかしたら生徒会に入ったら何か変われるんじゃないかなと思ったのがきっかけでした。

ナカザワアヤミ:
輝きっていうのは具体的にどんな様子だったんですか。

よー:
もうこれはその人の特徴的な部分かもしれないけど、自分にすごく芯があって、全校生徒の前でお話するときにもただのいかにも生徒会みたいな形式ばった文言喋るだけじゃなくてちょっと自分のアイデンティティーが宿ってくるような、そういう話をされてて、そういう姿をかっこいいなと思いました。

ナカザワアヤミ:
そういうふうになりたかったですか。

よー:
そういうふうになりたい。って言うのが正しいかわからないんですけれども、この先輩みたいな人に近づきたい、っていう思いはあったと思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。表情とか感情を表すみたいなことは、今はマニュアルっていう感じではないとおっしゃってたんですけど、それはどういったところで変わっていきましたか。

よー:
変わったというより、習慣化されていったら、自然とそれが身に付いたっていう方が正しいのかなと。
例えば、ちっちゃい頃にピアノをやってたんですけど、曲を最初弾くときは楽譜をみて右手の練習をして左手の練習をしてそれを合わせて、っていう感じだと思うんですけど、次第にその曲を弾き慣れたら暗譜して、このタイミングでこの音とか考えずに、手が覚えてるみたいな感覚になるんですよね。
それと同じような感じで、最初マニュアル化していたものを繰り返すうちに、それが自然とできるようになるっていうところで、何かが急に切り替わったっていうわけではないと思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。積み重ねというか。
感情を出すようになってみて、ご自身ではどういうふうに感じましたか。

よー:
そのほうが人とのコミュニケーションが取りやすくなったなって思ってて。それまでは、ちょっと人との距離がある感じだったというか、なんか部活に入っててもクラスにいても、自分は自分のことをやってるけど、どこに場所があるのかなとか思ったり。
でも、そういう感情を出すようにしてからは、たとえその人は自分といつもいるようなグループの人じゃなかったとしても、コミュニケーションがうまいことできるようになったかな。

ナカザワアヤミ:
周りの方からの反応はどうでしたか。

よー:
あからさまに急に変わったよねとか言われることはなかったんですけど、話してみたら意外と面白い人だなって言われることが増えたというか、感情とかを出す前は、ただの堅い真面目な人だと思ってたって言われることが割とあって、意外と話してみたら、人間的なんだねとか、そういうのが好きだったりするんだとか。
そういうことを言ってもらうことが多くなったかなと思います。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。
今大学生ですけど、どういった理由で広島に行かれたんですか。

よー:
正直言うと広島にいたことは割と後悔してて。広島は、大学の後期試験で合格したので行ったんですけど、前期試験では関西方面の大学に出願していて、そこに落ちたから、今のところに行ってるっていう感じですね。

だいぶ前期試験では背伸びをした大学に出願したので、後期試験では絶対に受かる大学にしようと思って、なおかつその大学に出願してる同級生が多かったから、そこでいいか、ぐらいの感覚で出願して。そういう感じでした。

ナカザワアヤミ:
後悔してるっていうのは大学生活そのものに対してですか。

よー:
何というか、広島っていう場所自体があんまり自分に合わなかったかなと思っていて、大学生活っていうより。場所の問題ですね。

ナカザワアヤミ:
ちなみに今って何年生を休学してる状態ですか。

よー:
3年生を去年の後期から休学してるっていう段階です。

ナカザワアヤミ:
ということを今は実際は普通にいってたら広島生活4年目とか、

よー:
はい。

ナカザワアヤミ:
広島の生活での違和感みたいなものはさっきもちょっとお聞きしたんですけど、何をきっかけにそういうふうに感じたんですか。

よー:
なんだか接してくる人たちが冷たい感覚があって。具体的にぱっと出てくる事例が三つあるんですけど、まず一つ目が、銀行の口座を作りに行ったとき、その対応してくれた人の接し方が結構冷たいなっていうのがあって。
二つ目が、アルバイトの面接を受けに行ったときに、私が何大学の何学部の者ですって言ったときに、「そんな学部だったら将来は駄目だよ」って言われて。そういうことを簡単に言ってくる人がいるんだって思ったり。
また同じような事例なんですけど、三つ目に、自動車の教習所に行ってたときに、送迎バスの運転手さんにも、どこの学部なのって言われて、何学部ですって言ったら、「そんな学部だったら将来は駄目だね」とか「使いものにならないから公務員にでもなるしかないよ」みたいなことを言われて。

今までに生きてきてそういう言われ方をした経験がなかったので、たった1回会った、初対面の人にそういうことを平気で言えるような環境がここにあるんだなと思って。
そういう、距離が遠いというよりちょっと不躾なところがある意味、自分に合わなかったかな。

ナカザワアヤミ:
なるほど。今のははっきり覚えてる事例だと思うんですけどそれ以外にもあったっていうことですか。

よー:
そうですね。何回かありました。

ナカザワアヤミ:
ちなみに休学をしようっていうことについてはどういったきっかけでしょうか?

よー:
一番大きな理由としてはとにかく広島を離れたかったからです。心が結構やられてて、今すぐここを離れないと本当に大変だ。早く逃げたい、ばっかり思ってる時期があって、そういうときに救いのように大人の島留学を見つけて、一回二泊三日のお試しツアーに行ったときに、こんなに距離が近い場所があるんだっていうのを感じまして。
そのとき絶対自分は大人の島留学に行ってやるっていうのを決めました。それに行くためには休学しなきゃいけなかったので、休学届けを出すときの表向きの理由としては島留学に参加するため、だったんですけども、その裏目的というか、ある種では広島を離れることが一番休学の目的だったかなって思います。

ナカザワアヤミ:
実際その離れて、海士町で暮らして、それが半年ですかね。

よー:
そうです。

ナカザワアヤミ:
そこから新潟の方にも行ってると思うんですけど、これもなぜだったんですか。

よー:
理由としては、海士町の生活はものすごく楽しかったし、あんなにちっちゃい島なのにいろんなとこから人が来てて、本当に刺激が毎日あって楽しかったんですけど、関係人口の創出とか移住支援っていう部分でいくと、あの島の環境はめちゃくちゃ特殊で、本土に持って帰ろうと思ったときに、何かちょっと実践的な部分が薄いなと思ったので、本土の中で、もうちょっと移住支援に関して学べる場所を探したいなと思ったので、今新潟にいます。

ナカザワアヤミ:
ちなみに移住支援をしたいっていうのは、いつから、どんな形で思い始めたんですか。

よー:
そうですね、移住支援をしたいっていうより、地方にもうちょっと若者の、還流を起こしたい気持ちが大学の1年生くらいからあって。
自分は卒業したら愛媛に戻る、愛媛ないしは四国に戻るのが当たり前だと思ってたんですけど、周りはそのまま本州に残り続けるとか、逆にもう関東方面に進出するとかそういうこと言ってる人たちが多くて、何でこの人たちは愛媛に戻るって言わないんだろうなって思って。愛媛なんかいても何もないよとか、もう愛媛なんか終わってるとか、そう言う知り合いが結構いたんですよね。

ナカザワアヤミ:
うんうん。

よー:
っていうときに、海士町が、こんなにちっちゃい島に毎年100人くらいの若者を呼び寄せていて。しかも、一番自分に刺さったのが、「ないものはない」っていうフレーズで。こんなに前面に何もないっていうことを押し出していける島があるんだなっていうのを思ったときに、じゃあ何でそういう島に人が呼び寄せられるんだろうなっていうのが気になって、結果的な仕事として移住支援にたどり着いたっていう感じで。

ナカザワアヤミ:
どうして愛媛に戻りたかったんですか。

よー:
どうして戻りたかったかっていうより、それが愛媛で育った者の義務だっていうふうに思いこんでたので。
最近になってその理由がちょっとわかったんですけど、私の親戚周りって、みんな愛媛にいるんですよ。大学もほぼみんな県内の大学に行って就職先も愛媛で、って感じであんまり県外に出る感覚がなかったので、そういう意識になってたのかなと思います。

未来:今いろんな場所に行って新しい人と出会って、多様性に触れてるっていうのが、ものすごく自分にとってポジティブな影響を与えてくれてることだと思うんです。あのとき変われてよかったなって。

ナカザワアヤミ:
将来のことについても聞いてきたんですけど、5年後10年後とか、そういった将来を想像してどういったイメージをお持ちですか。どうありたいとか、そういった内容でも大丈夫なんですけど。

よー:
どうありたいっていう部分でいくと、内面的に豊かな人になりたいなってずっと思ってます。
なんていうかお金稼ぎみたいなところにあんまり興味はなくって、私は。お金はあまり稼げなくてもいいから、日々の小さなことに感謝して、それに感動できて、それを楽しめる、そういう人でありたいなって思ってます。

ナカザワアヤミ:
そのために、今後やりたいこととかありますか。

よー:
自分の中で内面を内面を豊かにしてくれる媒介物が、さっき趣味の一つとして挙げた俳句だと思うんですけど。今はちょっとゆとりがないから詠めてないんですけど。俳句を詠めるだけの心のゆとりを持つことが、今後していきたいことかなって思いました。

ナカザワアヤミ:
心の余裕。今はあまりないんですか。

よー:
そうですね、いろんなタスクが目の前にあったりとか。
なんか東日本、新潟っていう、自分にとって全くの別世界に来て刺激が多すぎるので多分処理できてないだけだと思うんですけども、そのへんの処理がちょっと綺麗に、処理というか整理ができたら、ゆとりを持てるのかなっていうふうに思っていて。

ナカザワアヤミ:
整理っていうのは、何かタスクを進めて行くとか、慣れていくとかですか。

よー:
慣れていく部分が多いですかね。
新しいものを吸収するっていうのはそれ自体は楽しいことですけど、結局人の心の容量の限界があるじゃないですか。バケツみたいに。あり過ぎたらそれは溢れちゃうだけで、多分今はそれが溢れてる状態だと思うので、入ってくる刺激の量が減ってきたら、落ち着くと思ってます。

ナカザワアヤミ:
ちなみに5年後とかはどんなことをしてると思いますか。

よー:
そうですね、今自分が22になるので、5年後27。社会人になっていると思うんですけど。その時自分がどこで何をしてるかっていうのは、ぜんぜん分からないんですけど、さっきも言った日々のちっちゃいことを楽しめる人であったらどこで何をしててもいいかなって思います。

ナカザワアヤミ:
新潟には、同じく半年いらっしゃる感じなんですか。

よー:
いや、新潟は、7月で活動が終わる予定です。

ナカザワアヤミ:
なるほど。その後はどうされるんですか。

よー:
その後は愛媛に帰って就職活動をしつつ、もうちょっと自分が見てなかった世界を見に旅行とか、そういうことに行けたらいいかなと思ってます。

ナカザワアヤミ:
うんうん。広島には戻らないんですか。

よー:
10月からは復学しないといけないので戻るんですけど、夏休み中は自分の気持ちとしては帰りたくないなと。

ナカザワアヤミ:
うんうん。

よー:
でも夏休みのうちに、海士町にはもう1回行きたいなと思ってるので。

ナカザワアヤミ:
将来的にはやはり愛媛で働くもしくは四国で働くんですか。

よー:
そうですね。自分は、それが、愛媛とか四国に生まれたものの使命というか、みんなに強制するわけじゃないけど、自分はそうすべきだって思ってます。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。
居場所を感じるとかっていう表現が、ちょくちょく出てきていたかなと思うんですけど、よーさんにとっての居場所っていうのはどういう場所ですか。

よー:
建前を使いすぎず、肩肘張らずにいられる場所ですかね。

ナカザワアヤミ:
なるほど。今はどういうところが居場所だと感じますか。

よー:
そうですね。地元の本当に限られた友人と喋ってるときは割と感じるかなと思います。

ナカザワアヤミ:
ちなみに海士町にいたときは、居場所は感じてましたか。

よー:
海士町の時は、場所っていう意味では、今言ったのとはちょっと定義は違うかもしれないけど、でも居心地は良かったなって思っています。
半年しかいなかったから、作れる人間関係はそんなに濃すぎるってことはないですし、みんな結局は、数ヶ月とか1年とか出て行くから、居場所ってほど固定されてないけど、息はしやすい環境だったなって思っています。

ナカザワアヤミ:
うんうん。笑顔を作ったりとか感情を持たないっていうふうに考えていた時期から考えると、建前を使わずにいれるのが居場所っていうのは、ちょっとなるほどなと思ったりもしたんですけど。
よーさんは高校生のときから生徒会に入ってちょっとずつ感情を出し始めたっていう話を伺ったんですけど、こういった機会がなかったら、今どうなってると思いますか。

よー:
そうですね。あいかわらず誰かが言ったことに従うのが自分にとっての正義だって思ってる狭い人間だったかなって。

ナカザワアヤミ:
なるほど。この変化は、ご自身にとってはいかがですか。

よー:
そうですね。今いろんな場所に行って新しい人と出会って、多様性に触れてるっていうのが、ものすごく自分にとってポジティブな影響を与えてくれてることだと思うんです。あのとき変われてよかったなって。
あのままの世界にいたら本当に自分が潰れてたし、狭い人間、狭い視野で誰かのことを適当に、なんだろう、蔑むじゃないけど、批判して、自分の物差しだけでしか見れないつまらない人間になってたんじゃないかなって思います。

ナカザワアヤミ:
なるほど。ありがとうございます。
海士町で暮らしたことのある人とか関係のある方に聞いてるんですけど、半年間暮らした海士町はよーさんにとってはどんな場所ですか。

よー:
うーん、人々の息遣いを歴史を通して感じる場所、ですかね。

ナカザワアヤミ:
息遣い。

よー:
うまく言えないんですけど、これは地域の伝統行事だったりに反映されてるのが一番大きいかなと思って。
例えば、隠岐神社っていう神社があるんですけど、ここで子どもたちが相撲取りをしてたんですよね。普通そういうちっちゃい子どもたちのイベントって人はそんなに見に来ないじゃないですか。学校の関係者でもない限り。でも、その日はすごく地元住民の方が集まって、全然名前も知らない子ですけど、そういう子たちが頑張っていたら応援したくなっちゃうし。

あと、隠岐は綱引きも有名で、本土の生活だったら運動会のときにちょっと出るくらいの、そういう感じだと思うんですけど、島民の人たちは本当に綱引き大会のために何ヶ月も前からチーム組んで準備して、減量もして、縄を巻いてそれを引く練習をするみたいな。力の入れようが違ったり、そういうことに本気で取り組んでいる人たちがいるみたいな部分にすごく生活の息づかいを感じていました。だからそういうのが居心地がよかったです。

ナカザワアヤミ:
なるほど、やっぱり結構歴史とかそういうの大きな要因なんですかね。

よー:
私はそうだと思ってます。後鳥羽上皇とかが島流しにあった島ですし、それ以外にも北前船が寄港してた場所っていうので、元々外部の交流もあったし、そういう、昔からの歴史を大事にしてて後鳥羽上皇なんかも芸術祭があって。
昔いた人を大事にする空気感っていうのもあったのが、私にとってすごく好きな部分でした。

ナカザワアヤミ:
ありがとうございます。よーさんの方から話しそびれたこととか、言い残したこととか、そういったものがあればお聞きしたいんですけど、いかがですか。

よー:
そうですねナカザワさんが途中でちょっと感想のようにおっしゃってたことで、今、自分にとっての居場所っていうのが、建前とか肩肘張らず入れる場所って言うのが昔と繋がっててなるほどなっていうのがあって。私はその部分に着目してなかったので、今回そういう気づきを得られたのがよかったなって思いました。

ナカザワアヤミ:
なるほど。本当は、あんまりインタビュアーから感想とか言わない感じのインタビューなんですけど、そう思っていただいたのであればよかったなと思います。

よー:
はい、ありがとうございました。

あとがき

「生活の息づかい」とても素敵な言葉だと思いました。
言葉を紡ぐことを趣味にされている方は、言葉づかいに美しさがあるな、と。

東京にはたくさんの人がいますが、どんなに頑張っても、知っている人の割合は微々たるもの。満員電車にはあんなに人が乗っているのに、肩を寄せ合う距離にいる隣の人の名前すら分からない。とても匿名性の高い場所です。
一方、人口2300人ほどの島では、たとえ交流のある人の人数が東京と同じだったとしても、匿名性はぐっと低いはず。

どんな人が、何を思って、どんなことに一生懸命になっているのか。そういう、人が暮らす固有の痕跡が感じられることが息づかいなのかもしれません。そういう意味では、満員電車の中のほうがよっぽど物理的距離は近いのに、息づかいは感じられないと言えるような気がします。
隣にいる人がどんな人で、何を考えているのか、分かろうとすれば分かる距離であることを望む人もいれば、むしろ分かりたくない人もいる。

人と自分との距離感ってその土地によって違って面白いなと思います。暮らす場所を考えるうえで結構重要な要素ですが、今のところ、その距離感を定量的に評価することはほぼ不可能だと私は思っているので、非常に運要素が強い、出たとこ勝負。
どんなに科学技術が発展してもこういう部分がなくならないのは世界の面白さなんだろうなと思います。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

#無名人インタビュー #インタビュー #大学生 #休学 #地域おこし協力隊 #新潟 #湯沢町 #島根 #海士町 #島留学 #地域創生

マガジンで過去インタビューも読めますよ!

この記事は海士町関連のインタビューです。
他関連記事は、こちらのマガジンからお楽しみくださいませ!!!!!

インタビュー参加募集!

いいなと思ったら応援しよう!

無名人インタビュー@12/1文学フリマR-04 (西3・4ホール)
いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!