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unknown.-誰も知らない答えを探してる-⑩-


自分「お久しぶりです!」

友兄「久しぶり!」

友兄に最近のことを色々話したところ、
すごいことが発覚した。

友兄「え、Aってそれおれの友達だよ!」

自分「え!?そうなんですか!?」

なんと奇跡的な繋がり。
ん?
そういえば聞いたことなかったけど、
聞いてみるか。

自分「そういえば友兄はAさんと同じムスリムなんですか?」

友兄「そうだよ。」

ななななんと!!

自分「あ、そうだったんですね!」

友兄「まあ、別に自分からカミングアウトすることでもないしね。」

ここで思ったのは、
一概には言えないかもしれないが、
キリスト教はお食事会やパーティやイベントなどの団体の感じが強く、
イスラム教は特にそういった風潮はなくお祈りもそれぞれで行うため個人の感じが強いイメージがある。自分がムスリムであることも別にわざわざ明かさないし、十字架などの象徴的な装飾品など身につけるものもない。中東ではヒジャブと呼ばれるスカーフで女性が頭や顔を隠す様子は見られるが、形が決まっているわけではない。

自分「Aさんとは何繋がりなんですか?」

友兄「Aとはもう長い付き合いだね。」

友兄いわく、
大学生の頃にオーストラリアに留学に行って、スケボーで遊んでいたときに出会った日本人がAさんらしい。
そこから仲良くなって、一緒に世界中を周り、これまた比較宗教のような普通の人がやらないようなぶっとんだ挑戦を2人で色々やっていたらしい。
かれこれ10年くらいの付き合いだそうだ。
奇跡か運命か、そのAさんと私はたまたまモスクで出会った。

世間は狭いとも思うが、
すごい出会い方をしている。

友兄「偶然ってあると思う?」

お得意の答えのない質問が飛んできた。
私は今までのことを振り返ると、
即答することはできなかった。

これは確かに奇跡体験と言えば奇跡体験。
信者たちからすればこれは神が導いた必然と言うだろう。
だが私はこの体験が何かを信じるようなほどではない。

少し間をおいてこう答えた。

自分「偶然も必然も、善悪すらも判断する基準が自分にはないです。」

そう、私には判断基準がないのだ。
偶像崇拝を禁じているイスラム教徒と偶像崇拝を良しとするキリスト教。
国を越えて宗教間ですら善悪がバラバラだ。
国の法律はそれぞれにあれど、
さらに宗教ごとに違うルールがある。
細かいことを言えば、
宗教の中で分裂する宗派ごとにもルールが異なる。

友兄「おーーー、すごいね。考え方の次元が上がってるね。」

友兄特有の返し。
ただ、そう言われて自分でも納得した。
比較宗教を始める前の自分だったら、
こんな回答をしていただろうか?
回答としての厚みを自分自身でも感じた。

自分「ちなみに友兄はどうしてムスリムになったんですか?」

一番気になった質問をしてみたら、
まさかの回答だった。

友兄「今説明しても理解できないと思うしわからないと思う。」

うわ、同じだ。
いつになったら分かる状態になるんだろうか。

友兄「番人に理解できる理由があったら色んな宗教は生まれないよね?」

うわ、それも。

友兄「でも宗教はいくつも存在してる。なんでだと思う?」

不思議だ。
仮に神のような存在がいたとして、
わざわざ何種類も宗教が生まれるようなことなんてしなくたっていい。

私は答えられずに考え込んでしまった。
そして彼はこんな提案をしてきた。

友兄「海外行ってみれば?長期で。」

自分「長期ですか?」

その発想はなかったが、
もともと興味はあった。
19歳の頃にシンガポールへひとり旅で行ったことはあるが1週間程度だ。
今までは目的がなかったから、
長期で海外へ行くきっかけがなかった。
だが今ははっきりしている。

よし、検討しよう。

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