24歳になっても欅坂が好きで大人なれない私の話
高校生のとき欅坂46が、平手友梨奈が命綱だった。
高校生の時は本当に、欅坂の世界観が自分の世界で、声にできない苦しさを欅坂がかわりに歌ってくれていた。
大学生になってしばらく経って、欅坂の世界観を俯瞰してみれるようになって、共感よりも懐かしさに近い感情が近かった。
今日、久しぶりに散歩した。
海沿いの道をただ目的もなくまっすぐ。
イヤホンをつけたくなくて、波の音と車の音を聞きながらただひたすら歩いた。
頭の中に流れてきたのは欅坂46の避雷針とエキセントリック。
歌詞をみなくても歌える。
歌いだすと脳内からぶわぁぁって言葉が出てきて、のまれていく感じ。
高校生の時のあの感情が蘇ってきて、叫びたいのに声が出なくなって、うわぁぁぁって。
大人になったからもう出会えない感情だと思っていたのに、しっかりこんにちは。久しぶり。あの時の私。ってそんな感じ。
溢れる言葉の収束先が見つからない感じ。
この二曲から卒業できたときが大人になったときだと信じていた。
とっくに大人になっていたと思っていた。
大人になんかなれていなかった。
むしろ、高校生のときよりも解像度の高い子どもの私がいて、振り払おうにも振り払えなくなる。
高校生の時は思春期という言い訳ができたのに、24にもなってどんな言い訳が通用するのだろう。24にもなって思春期なんていってられないけど、この感情は間違いなく思春期のそれで、恥ずかしいという感情よりも、まだ思春期から抜け出せていないというほうがしっくりくる。
まだまだ全然、大人になんかなれていない。
大人になれないまま、大人のふりして生きていくことなんかできないって今は思う。
何回もそう思う夜を超えて大人のふりができるようになるって、高校生の時の私は全肯定してくれるかもしれないけど、24歳の私は肯定なんかできないよ。
きっかけなんてほんの些細なことで、
私はまだこうやって崩れていくんだなって思いながら海沿いを歩き続けた。
言葉が好きだけど、今は好きじゃない。好きじゃいられない。
言葉が増えるほど脳内がうるさくなる。今の自分を勝手な言葉で当てはめ始める。言葉を知らなければこんな気持ちに気付かなかったし、なんとなくのモヤモヤとしてやり過ごせたはずなのに。
増えた語彙は結局最適な言葉を教えてくれないまま、あの日みたいに吐き出さない思いになって、声にならない叫びしか生んでくれない。
欅坂46からの卒業がいつまでたってもできなくて、
いつまでもいつまでも思春期が終われなくて、
こんなブルーな日々にいつになったら出会わなくなるのだろう。