睡眠薬が効くまで
GW中にバーンアウトして仕事に行けなくなった。
思えば昨年度末から仕事に追われ、職場の人間関係にストレスがあり、2年目の重圧もあり、後輩もできて、相談できる先輩は異動し、作るべき授業が追いつかなくなり、全体で発言するプレッシャーで寝れなくなり、教室では笑顔を演じることに疲れ、完璧でなければならないという強迫観念に囚われ、身体も心も自分で止められないところまで動きすぎてしまっていたのだと思う。
もともと身体は強い。熱を出したり風邪をひいて堂々と休むことがない分、身体の悲鳴に気付けなかったのも無理はないと思う。
診断書ってあっさり出るんだな、とか、睡眠薬も安定剤も結構いっぱい貰えるんだな、とか、そんな発見もあり、診断書って高いんだなって悲しい、とか、病気休業も一定の日数までは給料満額なんだな、とか。
1日でも休んだら他の人に迷惑かけまくるから休んじゃいけないって思っていたのに、いざ休んでみたら2〜3回メールのやり取りしただけで、一切連絡こなくなったな。
所詮2年目なんて、ある日突然ポッといなくなっても、組織にダメージ与えないんだな。
なんて、思ったり。
本当は担任してる生徒の様子がすごくすごく気になって、毎朝欠席連絡見てみんなが元気か確認してる。
でも多分、生徒からしたら3年になっていきなり担任として現れたと思ったらいきなりいなくなっても、代わりに去年の担任が入ってきて結局去年と同じじゃんって感じなんだろうな。とか。そうじゃなかったらいいな。とか。でも、いなくても別になんともないよねって思ってもらいたかったり。全員で笑顔で卒業しようって言ってた張本人が真っ先にカットアウトかよって思われてたらダサいなとか。フラグ回収かよ。とか。
良くしてくれた先輩に申し訳ないな。手間暇かけてかなり丁寧に育ててもらったのに。そんなことばかり。でも先輩からしたらなんてことないただの後輩で、カットアウトしようがなにしようがきっと、あー残念だなーってくらいなんだろうな。とか。残念とも思わないんだろうな。とか。申し訳ない。寂しい。でもちょっと安心。みたいな。本気で失望されたり、時間返せとか言われるよりは、そのほうが全然いい。かもしれない。
私は結構自分のことが見えていない。
生徒の前で何度も自己理解大事って言ってたけど、教員としての自分を私は全く理解できていない。
1年ですごく成長したと言われることが何度もあったけど、そのうち片手で数えられるくらいしか自覚はできていない。そして自覚できる成長が、教員にとって、これからの人生において必要な成長なのかどうかを、考えなくていいのに真剣に考えて、未来に焦って今の自分を追い詰めていると思う。
自分が人間であることを、生徒の前では隠してしまうし、自分の人間らしさを、先輩の前で曝け出せるほど信用できなかった。
性善説なんか信じない方が期待しないで済むのかもしれない。
聖人君主のような先輩に、どうしたら穏やかでいられるのかと聞いたら、性悪説を信じていると言われた。
でも私は、自分自身がいい人でありたくて、いい人であることを疑いたくなくて、努力や根性じゃなくてありのままの自分がいい人でいたくて、だから性善説を信じてしまう。それを人に求めてしまう。
違う一面が見てただけだと理解しても、感情がうまく追いつかなくなってしまう。
こんなことを考えなくていいのにと思うのに、考えることをやめることができない。言葉にすることを止めることができない。
教室に入った瞬間に、呼吸の仕方がわからなくなった。声の出し方も、言葉の作り方もわからなくなって、無数の目玉から出る矢に感情を刺し殺されたのだと思った。
「自分の機嫌に関わらず、朝は笑顔で元気よく。」
自分に課したルールを破ることもできなくて、でもどうしたら自分の輪郭を思い出せるのかもわからなくて、そのときにやっと自分がもう自分を止められなくなるまで酷使したんだと気付いた。
それでも全員を帰すまで、笑顔でいられた私だけは、なんとか認めてあげたいと思う。
今でも毎日夢に見るのは学校のこと、生徒のこと、職員室のこと。
でもそれは全く心地よくなくて、薬で眠らせている身体とは対照的に、朝になってもくっきりと残っている夢の風景が、一日中心にずっしりのしかかってきて、これが罪悪感なのか焦燥感なのか無力感なのかわからないけれど、
でも確かに、今休めている自分にほっとしていて、笑顔で機嫌良くいられる自信なんかなくて、自分の人間らしさを隠せる自信も曝け出す勇気もなくて、
ああなんかちょっと、こんなはずじゃなかったのになって。