のんびり高齢者を蔑ろにしちゃいけないと心に強く思った話


銭湯に来た。

風呂上がりに座ってくつろいでいると、近づいてくる二人組のおばあさま。
私の座っているベンチの横が貴重品ロッカーで、どうやらそこに財布を預けていたらしい。鍵と暗証番号の二重ロックのロッカーらしく、カバンから鍵を探すのに一苦労。あそこでもないここでもないと2人でわいわい探し出し、今度は暗証番号がいくつだったっけとわいわいがやがや。いささか声が大きいと思ったが、迷惑にはギリならない範囲だったのでぼーっとその様を眺めていた。
おばあさま二人組の後ろには、同じくロッカーの中身を取り出したそうなにいちゃん。
鍵を見つけて、暗証番号を思い出して、いよいよ財布を取り出す段階のはずなのに、一向に扉が開かない。ああでもないこうでもないとガチャガチャと扉を揺らして、2人揃って「困った困った。」

手伝ったほうがいいかな〜、でもなあ〜、声かけたらびっくりされるかな〜、なんて悩んでいるとようやく開いたようで、おばあさま二人組はどこかへ消えていった。後ろのにいちゃんはサクッと貴重品を取り出して足早に去っていく。
イライラしてたのかな、それともフラットな状態が少し怖いだけなのかな…なんて思いを巡らせてみる。

私もそろそろ動くとするか…。

風呂上がりの珈琲牛乳が飲みたくなって自販機を探すと、自販機コーナーに先ほどのおばあさま二人組。牛乳の自販機の前をああだこうだと言いながら占拠している。
まいったな、これじゃ買えないよ…。
そう思って自販機コーナーの近くの椅子に座って様子を見ていると、どうやら牛乳が出てこないらしい。何度も小銭を入れてボタンを押しては、小銭だけが戻ってきている。故障かな…なんて言いながら何度もトライ。
自販機のライトは付いていて、遠目に見ていると故障しているようには見えないが、もしかしたら本当に故障しているのかもしれない。よくある番号を選んで買うタイプの自販機だから、いくらおばあさま二人組とはいえ買えないわけがない。故障してるよか残念だな、と思っていると従業員が通りかかる。おばあさま二人組が従業員に自販機が故障していて買えない旨を伝えると、従業員が代わりに購入を試みる…と、普通に牛乳が出てくるのだ。従業員もびっくりのスムーズさで牛乳が買えた。
どうやらおばあさま二人組、番号を押す→小銭を入れるまではできたものの、肝心の購入ボタンを押し忘れていたらしい。
そりゃあ買えないよ。と心の中でツッコミつつ、無事自分の珈琲牛乳が買えて安堵。
でも、そんなことなら声かけて手伝えばよかったなーと少し後悔。

珈琲牛乳を飲みながらぼーっとしていると、今度は食事処の食券販売機の前でなにやら困っている先ほどのおばあさま二人組。タッチパネル式の券売機がうまく使いこなせないようで、ああだこうだと言いながらいつまで経っても動かない。見かねた店員さんが声をかけてようやく食券を買うことに成功。

そんなおばあさま二人組を見ていると、複雑な気分になる。
側から見ればタラタラしていてなんなんだよって思われそうだが、おばあさま二人組はいたって真剣なのだ。本当にロッカーの開け方がわからなくて困っていて、牛乳が買えなくて困っていて、券売機の動かし方がわからない。もちろん悪意だってない。
できなくて困ってるのだが、ああでもないこうでもないという声が少しばかり大きくて、困ってる雰囲気というよりはお喋りしているだけのような空気が流れていて、それゆえに周りから見るとおばちゃん2人が喋りながらたらたらしてるよって雰囲気になってしまっている。

私が声をかけて助けるべきだったかなという反省も含めて。

困っている時に『困ってます助けてください』顔ができる人が多くないだけで、街中の至る所で困っている人はたくさんいるんだなってこと。『困ってます助けてください』顔をしていれば助けやすいのになって思ってしまったこと。特に困ってるような雰囲気がなく笑顔でいると、それが周りを若干苛立たせてしまうことがあるんだってこと。
助けを求めることは些細なことでも実はとても難しくて、それはできないことを認めることになるからかもしれないし、できないことを馬鹿にされたくないのかもしれないし、わざわざ助けてもらわなくても自分でできるんだという自負から抜け出せないからかもしれない。
従業員、店員といった関係性がない人にはなかなか声をかけずらい気持ちはとてもよくわかる。ましてや(私も含めて)スマホをいじっている若者に声をかけるのはハードルが高いだろう。
なんにせよ、周りに助けを求めたらすぐに解決することが簡単にはできないんだなってことをうっすらと感じたのだった。

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