久しぶりに観た高校演劇がなんかちょっとだけこそばゆくて懐かしくて、それでもやっぱり自分達が一番だと思った日のこと
他校の先生に誘われて、高校演劇の東部地区大会を観に行った。
7〜8年前の私が死ぬ気で挑んでいた大会を、フラットな状態で観に行くことになるとは思ってもいなかった。
知っている生徒もいない、今どの学校が強いのかも知らない、有名顧問がどこにいるのかも知らない。
ある意味で先入観なく観ることができた。
高校演劇は演劇とは少し違う。
高校生だからなんでもアリ、だけど、有名顧問に踊らされてらしさを失ってもいる、かと思えば高校生らしさという言葉に表されるようなひたむきで熱心なところもある。
お話の辻褄が合っていなくても、役者の実力が伴っていなくても、なんとなくの若さと熱量で押し切ることができてしまうのが、良くも悪くも高校演劇だったのだと思う。
どの学校も、粗探しをすればいくらでも見つかるし、自分ならこうするを語り出したら終わらない。難しい言葉を使わなくても言える感想と、言葉にはできない感傷と、とにかく複雑な気持ちで見ていた。
私が高校一年生の時にやった演目を観た。
周りからは色々と言われることもあるが、私たちは私たちなりの精一杯で、舞台に対して誠意を込めて上演したと思っている。その誠意のあり方は他のどの学校よりも真っ直ぐだったと思うし、8年ぶりに観てもやはり、私たちの作ったものの誠意は本当に真っ直ぐだったと確信できるものだった。
この演目で私たちを越える学校はないし、越えられたくもない、なんてことを思った。
幕間でぼーっと座っていると、不思議な感覚になる。
7年前のあの日、私たちは死ぬ気で舞台を組み立てた。
搬入搬出も何度も練習して、素早く安全に組み立てて、円陣をして、インカムをつけた。
60分を1秒でもすぎないように、時計と何度も睨めっこをした。
インカムで繋がっているPA卓、照明室、スポットライトと何度も声を掛け合って励まし合った。
あの日の私たちの舞台を、私は客席から観たことがない。
もし観ていたら、粗探しがたくさんできたのだろうか。
大声で笑うことができたのだろうか。
私たちの舞台はどのくらい完成されていたのだろうか。
思い出は美化されてしまう。
どうしようもなく美化されてしまうのは、それだけかけた想いがあって、それだけ犠牲にして取り組んだ時間があって、それら全てを肯定したいからだと思う。
美化した思い出の中で、私たちは間違いなく輝いていたし、舞台の上でどこまでも違う自分になれていた。
実際がどうだったのか、それはもう知る由もないし知らなくていいことだと思う。
もうあの時の私たちを知る人はほとんどいない。
私たちの記憶の中からも徐々に消えていく思い出の一つだ。
だから、この思い出はちゃんと自分の中だけで大切に取っておきたいとも思った。
今の私には高校生ほどの必死さも熱量も勢いもない。出すこともできない。同じ目線に立つことすらできない。
彼らの時間は有限で、だからこそ輝くものに優劣をつけることも間違っているのかもしれないと少し思った。
とはいえ演劇は芸術で、良し悪しを決めて、上位大会に進めるための審判が必要になる。演劇が好きな人からしたら、高校生といえども良いものを作ってほしい、良い演劇を見たいという思いもある。
だから、必ずそこには優劣があって、粗探しをされる対象にもなりえて、センスがないことを一刀両断されることもある。仕方ないことだと思う。ましてやそこに有名顧問という大人が絡むから、高校生だけの責任にならない。だから余計に優劣やセンスの有無を問われてしまう。
それでも私は、高校演劇の本質は高校生で、高校生が高校生にしかない熱量とセンスと感情を舞台にぶつけることが何よりも尊いと思ってしまう。
もしくは、そうやって結論づけないと、あの日の自分達を肯定して支え続けられないからかもしれない。