陳腐な一夏に(八週目)
古くなっていたが心地好い手触りに、確かにこれで遊んでいたなと納得したが、すぐには実際にどう遊んでいたかという記憶が出て来ず、この納得は記憶というよりむしろこのくたびれたあやとりの紐に触れていた指の記録によるものだったのかもしれなかった。実際に指にかけてみて初めて二、三の友人とした二人あやとりの手順が、完全にでは無いとしても一つまた一つと帰って来た。その友人にはカズトも含まれている。身にしみついたものは簡単には消えないみたいで、自分と相手の手順を思い出しきちんと繰り返せる形になるのを確認すると相手が欲しくなるくらいだった。しかし肝心の、それがどうして肝心なのかも定かではなかったが、実際に遊んでいるその状況は一コマも思い出さなかった。今は無理に記憶から引き出すのはよそう、そう思って僕はあやとりを神主さんが用意してくれた箱にしまった。
午後は神主さんにあやとりの礼を言いに行くついでに掃除を手伝いに行くことにした。僕が大学で授業を受けていた三、四ヶ月の間に変わっていなければ毎日午後三時、近所の小学校から子供がはしゃぎながら帰って来る時間に神社に遊びに来る子達に挨拶したり保護者の変わりになったりするのを兼ねて掃除をしている筈だ。そして同時に僕はある決心、その時明確にはなっていなかった目的の為の決心をしてあやとりをそこに持っていくことにした。しかし午後三時までにはまだ一時間と少しあった。この間にさっきの花を調べてしまおう。本棚を探すとすぐに古ぼけて背表紙がはげかけている植物図鑑を見つけた。焦って探す必要もない、リビングに持っていってお茶か何かを飲みながら探そう。
鍋を火にかけ急須に安い茶葉を出しておく。熱を受ける水の表面の僅かな動きを見てぼーっとしていた。考え事に耽っているようで何も考えられない時間が続き、次第に泡が増え始めた水に気付くと僅かに鼓動が早まった心地がしたが、はっと息を吐いて静めた。急須の蓋を開けお湯が沸いたのを確認してから注ぎ、蓋をして待つ。どれくらい待てばいいのかわからなかったので慌ててパッケージを確認すると一分とあったが、細かく計っても変わらないだろうと思い次時計の秒針が十二時を指したら、ということにした。図鑑の横に湯飲みを置き、出し終わった茶を入れさぁいよいよ花探しを始めるかと思った。思ったのだが気が進まない。きっとまだなのだ。もう少し落ち着かねば。
茶はまだ熱く、口を少しつけることもままならない。この茶が冷めて少しずつ飲めるようになり、湯飲みの半分ほどになったら、そうしたら探し始めよう。まだ時間はある。
それを迎えるまでには出るつもりの時間の十分前程まで時間を経たせなければならなかった。いや本当はもっと早かったはずだ。その時には既に茶は必要以上にぬるくなってしまっていた。もう今日は諦めようかとも思ったがけじめをつけなければならぬとぬるまった茶を半分ほどぐいっと飲んだ。よし探そう。図鑑を開くとすぐにそのページは見つかった。それもそのページには調べたかった花が形を綺麗にしたまま栞になり、挟まっていたからだった。栞が被ってすぐには名前の全容がわからなかったが僕は既にその名を知っていた。紫苑だった。
使い古された図鑑はどのページもぼろぼろになっていたが、このページには特別にところどころ斑点状の歪みがあった。僕は栞の裏側を見た。そこには、今は、今は亡きカズトからの言葉が、二行程記されていた。
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