陳腐な一夏に(六週目)
昨日進んだ道を途中まで行き、大通りへの道に折れる。雲の隙間から顔を覗かせた蒼い空が見下ろす傷だらけのアスファルト。上を行く僕の歩みを促すようにも妨げるようにも見えるその道は、多くの車が通っていながらここのより綺麗な表面を見せている大通りへと続いている。焦りを取り戻しつつあった僕は、痛ましい表情の地面から足早に立ち去ろうと普段散歩する時の二、三倍程の速さで歩いた。
大通りへ出たら左に曲がり通りの店の並びに侵食するように広がった畑。全体で一つの畑では無いようで半分で区切られ、道を曲がってすぐの方は整った畝に野菜の葉が青々と広がっているが、もう片方には既に持ち主がいないらしく荒れ果てて雑草が生い茂っている。雑草の原を横目に道を歩いていくと畑の終わり際にこの緑の散らかった畑に不釣り合いな紫の花が数本立っている。どうやらこちらの方は最近世話を受けたらしく背後の雑草に負けじと背を伸ばしていた。何か惹かれるものを感じたが落ち着かない僕には立ち止まる勇気が無くそのままスーパーに向かって歩き続けた。
時間の経過が実感されない程度にはすぐに到着した。何の目的も見出せなかったがここまで向かって来た勢いのままの僕を自動ドアが迎え入れてしまったから、入ってすぐにある野菜のコーナーを素見さなければならなかった。うちで育てているから見る必要が無い野菜まで満遍なく見ていき自分を助けてくれる何かを待つため時間を稼いだ。舞台は鮮魚、精肉、乳製品、粉類、調味料…。
見るところも残すところ三つ程となりお菓子のところに来た。そこは先程まで見ていた冷凍食品のコーナーから少し離れたところにあったのだが、何故か次はそこにした方が良いと感じて、そして実際向かうまでの間にこの苦しみが和らいでいくのがわかった。そこの一角の細かな駄菓子が集まっているところ、そこを見ていると薄れ始めていた胸騒ぎが消えきって、それどころか食べたいものを探すようになっていた。先程まで自分を駆り立てていたものは夢のように消えていた。
成長してもいつも姿を変え続けずにこの棚にある菓子。魚のすり身を平たくしたもの、指で菓子を押し出して破るちょっと硬い銀紙、粉と水を混ぜてつくるカラフルなグミ。色々あるが僕が最もリピートしていたのは十円のガムである。カズトとよくここに来ては当たりつきのやつを買って神社で格安おみくじをしていたものだ。当たった時は次の挑戦の時に交換してもらって、外れた時はそのまま境内に捨てて、それからはガムを膨らましながら鬼ごっこやかくれんぼをしていた。中々バチ当たりなことをしたもので、たまにポイ捨てが明るみに出て神主にこっぴどく叱られたのは良い思い出だ。そのお陰で一応それなりに分別のある学生になれたので今は神主に感謝している。いや、当時でも神主の僕らを思う心をなんとなく知っていた。それでもガムのゴミは何度も境内で見つかったのだが。
この試みを始めて間もないころ、三度目にしてカズトが当たりを引き当てて四度目の機会に嬉々として交換してもらおうとして小さな紙を店員に渡したとき、レシートが無いからうちでは交換できないですと言われカズトも僕も酷く落ち込んだ。あんまりだと思った。あの時ばかりは大人というものを恨んだものだ。
そんな思い出のあるガムから二つ選んでレジに向かった。お昼の少し前くらいの時間になっていたので列が出来ていた。これくらいの田舎でもスーパーには列が出来る。周りに他のスーパーも無く、またここに来れば生活に必要なものは大抵揃ってしまうからここらに住む人達は皆して来る。その上に田舎だからと高を括っていたのか知らないがレジが少ない。少ないということに気づいたのは都会に出て一人暮らしを始めてからだったが、混雑時の列の出来ようはあっちとの比にならないといっても良い。十分過ぎる時間の間に僕は財布から二十円を取り出しておいた。
裏面にある原材料表示をまじまじと見つめていたら自分の番が来た。良い年した学生が十円ガム二つだけを出すのに抵抗が無いのかと思うかもしれないがそんなものは無い。そのような恥じらいはきっと中学生ぐらいの年頃に顕著な現象なのだろう。少なくとも僕には無かった。そうしてさも普通のことかのようにガムを二つ出したのだが、店員さんがバーコードを読み終わって値段が表示された時少し驚くことがあった。なんと表示されている価格が二十一円では無いか。十円玉二枚で用が済んでいたと思っていた僕は慌てて財布を取り出して小銭をあさり、運良く一円玉を発見した。そうだった、と失念していた自分に恥じてしまった。と同時にカズトも来ていればそれぞれで買って一円得を出来たかもしれないと下らない考えがよぎった。
ガムをポケットに突っ込んで元来た道を戻っていく。行きに余裕が無くて通り過ぎてしまった紫の花のところで今度は立ち止まり、細くありながらも強かに背筋を伸ばす茎の一つ一つ、真ん中に真っすぐくっきり通った脈に生命を感じる葉の一つ一つ、薄くて肌触りの良さそうな薄紫の花びらの一枚一枚。それらに見惚れてしまう。ところが趣味の無い僕には花の名前も知識の外でその花が何と言うのかわからなかった。取り敢えずその美しい姿を目に焼き付けて後で調べることにして歩き出した。その場ですぐ調べてしまうのはどこか興ざめな気がしたのだ。
家の路地に続く角を曲がって少し行った時、その路地の手前にカズトの両親がやっていた本屋があったことを思い出した。ガムを渡すついでに寄って行くことにしよう。再び訪れる久しい再会に胸を躍らせながら手前の路地を曲がった。
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