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ベット ~Das Bett

 蓑虫のように体を毛布に巻き付けたまま転げ落ちた先が栗色のフランネルのラグで、その心地良さに落ちたことなど意に介さずに眠り続ける少年、朝日に照らされてやっと僅かな茶を呈する短く整った黒髪から覗く額からでも伺い知れるような健やかな血色の少年は、約束の場所へ間に合うように現在の五分前には自宅を出ているはずだった。彼の横、寝相から言えば「後ろ」と言った方が正確であろうところには、この部屋の中でも数少ない日除けとなり得る部分がのっぺりと木目の床の上に広がっている。尤も、それは人間の為に用意された日除けと言うにはあまりにも天井が低過ぎるもので、彼が日に五、六回ご飯ないしおやつを与え、勉強机に向かうときにも膝に乗せる程甘やかしている茶虎の猫が使うのが限界であった。しかしもう世界から秋の気色が消えかけていて、かつ毎年自慢の冬毛が未だ生え切っていないその猫にとっても、その日除けは無用の長物であるようだった。
 そうこうしている内に予定の時間から十分程が過ぎたが少年は未だ蓑の中である。彼にとって、ベットから出るのは至難の業である。至難も何も彼は私達が一見してベットと名指す四本足の台―無用の日除けを作る天井面の裏側とでも言える部分―から落ちているのだから、ベットから出るということ自体は既に達せられているではないかと思われるかもしれないが、しかし彼は未だベットの上にいるのである。活字の前の貴方には一度頭上の疑問符を片付けて頂き、些細な説明の暇をお許し頂きたい。彼が未だにベットの上にいるという事象を明々白々と理解できるはずだ。
 そもそも私達にとってベットとは何だろうか。ある者にとっては文字通りの目的の為の寝床、他の者にとっては愛を試し合う舞台、作業場として使っている者もいるだろう。その為の場所、でベットの説明は事足りる。四本足の台、などと言っても机との区別はつかないし、六本足、或いはスカートのように台の下に板が広がっているタイプの「ベット」を見た瞬間にその定義は簡単に崩壊する。
 そう、今を眠れる彼にとっては自分の下にあるものがベットであり、またただ今彼の横腹の上に乗り体をまるめた茶虎の猫にとっては彼の図体こそがベットなのである。そこに我々が躍起になって求めるベットの姿はない。
 それと同じような瑣末な哲学を頭でこねくり回しながら寝ぼけ眼をこすった少年が自身の失態に即座に気付いた瞬間、ベットは消え去った。急ぎ蓑を解いて現在の彼にとってのベットに、つまり長い板に四本足がつけられた台に、放り出されていた本を取り約束のドイツ文学読書会のため(従って私は寝具の名称の末尾を無声音で語ったのである)大慌てで準備を済ませた。爽やかな秋晴れの下を駆けていく少年を、未だ役割を続ける数々のベットが見送っている。その中の一つに私が、他の一つには貴方が、彼を見送るベットの中で、彼が今見ているだろう景色を自分にとっての原風景として夢に見ているのである。

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