「glass」という詩の器
詩集を一冊作ると、「現在の自分の詩のかたちと、次に実現したいことが、自分のなかで少しずつ明らかになって」くる。
(以前「個人誌と詩集制作について」という記事にそう書いたように)
と同時に、一冊をかたちにすると、その一冊を編むために捨ててしまったものや落としてしまったものも見えてくる。つまり、あえて進まなかったもう一方の言葉の通り道や、掴めなかった時間と空間が。
「それは捨てたまま? それとも、まだ愛しい面影を思うように、いつか振り返るのかな……?」
など、最近、考えていた。
おととしには第四詩集を出し、去年はゲストを迎えた詩誌を作った。だから今年は、どこかに寄稿する場合は別にして、自分のなかの方向に沿って詩を書きためていこうと思っていた。
けれど、詩集一冊分の作品がたまるまえに、いくつかの言葉の流れを冊子のかたちにして、客観的に眺めるのもいいのかも……とも思い始めた。
たとえば、作品を書き、自分で読むだけではなく、「編む」という作業を通して、初めて見えてくるものがあるはず……。賑やかな作品が集う詩誌や同人誌に寄稿するのではなく、自分の作品だけを選び、並べ、「編む」ことで現れる言葉の動きや流れが。
一冊の詩集を編むまえに、小さく「編む」手仕事をくり返す。そうすることで、いつか編みたい詩集のかたちも見えてくるのかな……と。
昨年末の「詩集までの、白い距離」という記事では、「花や雪や紙の白い翳りの気配」をすくい取るような詩を書きたい、と記した。
けれど、最近書いたばかりの詩には、別の色が潜んでいる気がした。
それはおそらく、何冊かの詩集を編むにつれて、だんだんと使わなくなっていった、昔なじんだ小函か香水のようなもの。
いつかもう一冊、詩集を編むかもしれない。そのまえに、ほんとうは惹かれながらも別れてしまったものに、もう一度ふれてみようかな……とも思っている。
それを次の詩集に入れるかどうかは、別にして。
2020年に作った個人誌に、文庫本サイズで50ページ程度の「glass」という一冊があった。
「glass」というタイトルは、わたしがもっとも愛する音楽家の高橋幸宏……幸宏さんの曲からとったもの(じつは詩集『微熱期』の詩にもいくつか、幸宏さんの曲名からそのタイトルをもらったものがある……今日1月11日は幸宏さんの命日)。
1号のみで終わっていたこのグラス。その透明な器の続き(2号)に入れるための詩をいくつか、今年は書いてみようかな……とも考えている。
昨年制作した「hiver」はゲストの作品が素晴らしかったので、「この上質な詩をぜひ読んでほしい……」という気持ちから、詩誌としてはたぶん多めの部数……通常の詩集の発行部数くらいの数を刷ったのだけれど(すべて無事に出荷され、たくさんの方にお読みいただけましたこと、心より感謝しております)。
この「glass(グラス)」というささやかな器は、ほんとうにほしい……と思ってくれる方のために……あまり多くない限定数(40~50部くらい?)を販売したいと思う。
そこにはもしかすると、『微熱期』と「hiver」以後に書いた作品(非売品の詩誌や一般の人が読みづらい会員誌などに載せたものも含めて)も入れてもいいかもしれない。そのほうが、自分の言葉の流れが親密に、追えるはずだから。
まずは目の前の、一つの「グラス」を、詩で満たしてゆく。そしていつか、その小さな言葉の波が見えない星々のようにグラスの外へとあふれ、一冊の詩集の輪郭を描いてくれたらいいな……とも願っている。
……………
「glass」no.2は、今年、夏ごろの発行で、と考えています。
まだ一篇、詩を書いたばかり……。でもきっと夏に。またお知らせできるように、前向きに進めたいと思っています。
いつもお読みくださるみなさまには感謝しております。
ありがとうございます。