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ひとり旅にはない地図(新しい詩誌のこと)
以前、このnoteにも書いた。今年は個人誌を作ろうかな、と。
この2年くらいの間に書いた詩に、新作を合わせて小詩集にしてもいいかも……とも考えた。
その本の完成までの経路も想像できた。
ある一つの停車駅を目指して、わたしは小さなコンパートメントにひとりで座っている。長時間の移動にもかかわらず、乗車する人もあまりなく、知り合いに会うこともない。
自分の内側の言葉の振動だけを感じる静けさのなか、窓の外を眺めれば、ひと気のない広場や小さな川や丘、家々の壁や教会の塔など、いつもは開かれない胸の奥にある風景が次々に流れてゆく。
わたしはそれらについて書き、消し、また書き留める。そして駅に着いたら、手のひらのなかの紙を束ね、ホームの先にある郵便ポストへと投函するだろう。
個人誌制作は、そんな「ひとり旅」に似た工程だ。わたしはそんな旅に出るのがとても好きだし、今回もそうしようと思っていた。
「でも……?」とふと考えた。その小さなコンパートメントに、ほかにも誰かいたら? それはひとり旅では味わえない時間になるのでは……と。
わたしは、日常でも親しい友人とどこかへ出かけたとき、映画やコンサートは別にして、書店や美術館などでは一緒に行動しない。それぞれに好きな本や絵の前で止まり、自由に眺め、出口で合流するか、その先のカフェでゆっくりと落ち合う。
そしてお茶を飲みながら、それぞれの時間のなかで惹かれたものについて話す。ただ、楽しかったね、とだけ伝えればいいときもある。
けれど「ひとり旅」と違うのは、別々に行動していても、あとで合流する人がどこかにいる、というほのかな明るさが、胸のなかにつねにあるということだ。その明るさのおかげで、新たな魅力に気づける本や絵もある。
詩誌という小さなコンパートメントに誰かと一緒に座りながらも、それぞれに好きな景色を眺め、好きなように過ごし、好きなものを書き留めてゆく。そして停車駅に着いたら、それらを束ね、一冊の本にする。
それは、わたしひとりでは行けなかった町の地図にもなるだろう。
何よりも、わたしがその作品を読みたいし、一緒に載ることが自分にとっての刺激や励みになる。
だから、そんな人と、今年は同人誌を作ろうと思っている。
これまでも何冊か、個人誌を作ってきて思ったことは……。
昨年刊行した「一号のみの冬の」詩誌「hiver」のように。自分が心から「ああ、いいな……!」と思える一冊を作れたら。それが一番素敵なこと。
たとえば、SNSで注目を集めたり、多く売れることで、その詩誌の価値や良さは上がらない、変わらない、とわたしは感じている。
(逆に注目されたい、多く売りたいという意図が透けてみえる場合は、読み手や買い手は引いてしまうのではないのかなと……)
その詩誌にもともと備わっている「良さ」を、ほんとうに興味のある人に、ただ、伝え、届ける。
そんなシンプルな作り方、届け方を、わたしはこれからも続けたい。
(……これまでの個人誌のときも「hiver」のときも、その「良さ」を受けとめてくださる読者お一人おひとりに手渡すことができた、とも感じています(こちらが思うよりも多くの)。そのことをとても嬉しく、いつもありがたく思っております)
これから楽しみながら、信頼する人たちと進めていけたらと思う。
(同じ列車の乗車券を快く受け取ってくださった方々には心から感謝しています)
どんな旅になるのか。まだわからないけれど、ほのかな明るさが胸のなかにあれば大丈夫……!とも感じつつ。