渋谷。それは強者の街である。
はじめに
渋谷。その名前を聞いただけで嫌悪感を抱く人も多いのではないだろうか。私もまたその一人である。
このような感情は何故湧いてくるのか。それを何とか言葉にしていきたい。
上へ上への開発
渋谷自体「谷」であるため、その谷に街を作る時点で必然的に垂直的開発にならざるを得ない。上記写真の「渋谷ヒカリエ」をはじめ数多の高層ビルが谷を今や埋めている。
水面方向への開発が過剰に進むと都市圏が過度に広がってしまいそれはそれで問題である。適切な経済圏を開発するには渋谷的な垂直開発は非常に良い解決策の一つである。しかし、渋谷の上へ上への開発には「上へ上がることのできる人」が使う街となっていないだろうか。
いわゆる歩行者と交通の分離をするためのデッキだが、上へ上がるには階段しかない。反対側にはエレベーターがあるが、人混みの中反対側には渡りたくない。「人」を中心とした開発をするならば、言わば「弱者」も使いやすい街にすべきである。
休めない街
次に感じたのは気楽に休める場所がないということである。
ベンチが無く、人混みを歩く中で疲れた時は上記の出っ張りをベンチに見立てて座っている人がたくさんいた。確かにベンチを作り過ぎると人流を阻害するので、作らないのは合理的ではあるが、正直休みたい。私自身体力があるタイプでは無いので、正直本当に休みたい….。妊婦の方や高齢者の方はもっと休みたいはずである。
駅の中も緩く長い坂があり、すこし億劫な感じがした。そして駅構内にもベンチは少ない。つまり駅でも休める場所は限られている(東急の渋谷駅は地下深いのだが)。
汚さと綺麗さ
この街にはゴミ箱が無く、あちこちにゴミが捨てられている。看板のFunの文字が悲しく映る。
少しでも隙間、ものを置ける場所があるとそこはゴミ箱と化す。
さらにゴミ袋自体も捨てられている…。汚い街というイメージが強い。
他方で渋谷駅構内は綺麗になっている。この時、ちょうど清掃員の方が掃除されており綺麗さはこのような方々に支えられていると感じた。渋谷の地上はもはや掃除をしてもしても追いつかない程の状態なのか…と思ってしまう。
まとめ
渋谷は凄く男性的というか強者の街という感覚を抱いた。休むにはお金がいる。移動するには体力がいる。多少の汚れは気にしない等の自分自身が強くないと欲望と人流に飲み込まれてしまう街。それが私が渋谷を好きになれない理由なのかもしれない。一つ断っておきたいのは上記の違和感が生まれた要因は特定の企業の開発によるものではないということだ。渋谷の再開発は非常に数多くの民間、公共セクターが関与しておりもはや「構造的」な問題である。
なお、今回はあくまで参考文献や出典は無いエッセイであるが、今回の散策で感じた疑問点を軸に修士課程への準備を引き続き継続していく。
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