所有しない暮らしのススメ
*・゜゚・*:.。..。.:**:.。. 2024年 .。.:*・゜゚・*
すべての命にとって最高最善の日々でありますように。
とても間が空いてしまいましたが…。
更新しない間にも、記事を読んでくださる方々がいて本当に嬉しく思います。
フォローしてくださった方々も本当にありがとうございます。
2023年の3月以降動きが大きく変わり、なかなか書けずにいました。
初回から読んでくださった方はご理解頂けるかと思いますが、“ねばならぬ”をやめ“自然な流れに身を任せる”生き方が定着してきた私。
溢れる想いを文にしたくて手が止まらなかったアウトプットな日々から、受け止め発見し続ける日々へシフトした数ヶ月間。
2023年、3月以降実は日本にはいませんでした。
不思議なご縁で東南アジア数カ国へ。
様々な出逢い、氣付きを得ながらの日々は自分を知り、自分を愛することを進めた大きな毎日でした。
そしてやはり確信したこと。
それは“所有しない生き方の心地よさ”です。
モヤモヤしている人の何かしらのヒントになったら幸いです。
家電を使わずに生活して5年以上が過ぎ、持ち物も機内手荷物制限最小の7キロで済んでしまう私。
部屋の契約も、車も手放しています。
私はギリギリ昭和生まれなので、戦争経験者である祖父母をもち、バブルを味わった両親や、平成生まれの妹、そして令和生まれの親戚の子供など新旧どちらも身近です。
食べることすら厳しかった祖父母の時代には、苦労してやっと手に入れた土地家屋で自由とは無縁な酪農業を営む。
そんな苦労をさせたくないと踏ん張って貧しくないような暮らしをさせ、手に職をつけろという祖父母の後押しで都会に出て働き、物質の豊かさが重要視された時代を生きた両親世代。
インターネットで世界中の情報を入手できる反面溢れる情報の中、迷いや戸惑い、混沌とした世界、時代に生まれた妹。
何が本当で何がつくられたものなのか、何を信じて生きるべきかを模索する時代に生まれた親戚の子供。
そんな彼らを中間の立場で観察することが多々ありました。
そして親より上の世代から私たち世代の多くがいまだに受け継いでいる一つに“所有”があるように思います。
ステータスにもなっているかもしれません。
安定的な職業
結婚
マイホーム
マイカー
マイホームやマイカーのために、多くの人が安定的な職業を求めるかまたはなるべく収入の多い職業を選択。
結婚は、適齢期だから、親に言われるから、結婚するのが当然だから…
のようなカタチで多くの人の生活スタイルの基本となっているように思えます。
果たしてどれだけの人がその暮らしを、心の底から快適だと感じて生きているのだろう?
と、考えることがあります。
新しい家と数年に一度買い替える電化製品や家具を楽しんだり、家族で移動するのには必要、と快適な車を求め大きなローンで家と車を維持。夜には大画面のスクリーンでテレビを観ながら宅配のピザを囲む。
そのような光景は、珍しくないと思うのですが“本当はこうじゃない氣がする”と、そろそろ氣付きだす方々が増えてくるような感覚がしています。
30年後までローンを支払い続ける仕事や生活があるということをどうして確信できるのでしょう?
ありがたいことに、両親が何十年ものローンを組んで土地と家を購入してくれたので私たちは壁に汚れをつけても傷をつけても、他人の所有者(大家と呼びますね)に怒られることはありませんでした。勿論、親からは怒られますが。
車も家族旅行のために大きなものを持ってくれていましたので、沢山のキャンプ経験を積むことができました。
けれど、安定した職業についていても、家や車その他諸々の費用の為眉毛をひそめながら電卓をたたく母の姿は疑問に感じられました。
思い通りにならないことも沢山起こったでしょう。
心臓の病を生まれ持った兄の治療費から、父の度重なる病や入院、薬代。
私、妹の教育費。
社会情勢も、変化していく。
当初の予定とは大きく異なったことが幾つかあったことは間違いないように思います。
その最中の私は子供なので全くわかりませんでしたし、やりたいことはほとんどさせてもらった為今では感謝しかありません。
が、そもそもこの“みんな同じ生き方だから当然の如く選択した”この暮らし。
それは人間が人間らしく生きることとは反対の生き方であったように思えるのです。
苦しい想いをしながら、時にはその毎月の経費の為に仕事を増やしながら所有を保ち続けてきたこれまでの時代。
けれど実はもう、所有しなくても生きられるということを知っていますか?
毎月家賃や光熱費などの諸経費、その為に働いていませんか?
そう、それが当然だから。
それが社会のルールだから。
で
その中に存在していませんか?
ひとつひとつに疑問を持ってきた私から見える視点は、“所有する”→“懸命に働く”→“自分を見失う”→“なんのために生きているのかわからなくなる”
という図です。
それだけを見ると暗い世の中に思えますが、その逆を見ると、共有=シェアして生きるという暮らしができる世界ができてきています。
若い世代の間ではシェアハウスでの暮らしや、シェアカーを使う人々も増え、あなたの街にはシェア自転車が設置されていたりするのではないでしょうか?
そう、そのようなサービスをうまく活用しながら自分の持ち物を減らし、負担を減らし、自分の時間をつくってゆとりを作る。
そうするとおのずと家電にまみれた暮らしや、ブランド品でなくてはならないという執着、周りと合わせて生きることを手放したいと思うタイミングもやってくるように思うのですが。
心と体は一体です。
心がモヤモヤしたり、自分を愛せない時、どこかにかけすぎている時間、エネルギーがあるかもしれません。
エネルギー。つまり、あなたの動き。
仕事、生活そのもののことといえるでしょう。
縄文ミニマリストな私は、全員が縄文人のように電化製品を使わずガスやスマホを使わずに生きましょうとはいいません。
令和の時代までに生まれた画期的で便利なインターネットを始めとするツール。これらをうまく自分がコントロールし、縄文的な暮らし=人間らしい心の充足感をもった生き方ができれば最高だなぁと。
私自身は感じています。
古き善きものと、新しいものの融合。
その中にいるために“所有”はしなくてOK。
大丈夫なんです。生きられるんです。
こんなことを、また日々綴ってみたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。また訪ねて頂けたら嬉しいです。
それではまた。
See you next time☺︎
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