わたしのなかで流れるもの
例えば今日から突然、身一つで森のなかで生活をすることになったとして、初めましての森で、一匹の雌鹿に出会ったとする。
その時、その森でどんな風に生きることを、あなたは選ぶだろう。
正解も間違いも無い問いに、どんなこたえを持つだろう。
たとえば、彼らと目が合ったとき、その場でなにも口に出さなくても、なにかを働きかけようと行動に移さなくても、色んなことが起こる。
その時にしか発生しない、お互いのなかに在る"流れ"のようなものが、自分を満たし、森を満たしているのを感じる。
そこに、具体的な生存のための動は、なにも存在しないかもしれない。
生きるための智慧を得ることも、創意工夫してなにかを創りだすことも、そこには存在しないかもしれない。
そんな、一見生命の生存とは程遠いような心地もする、その"流れ"を楽しむのが、わたしはとても好きだ。
そこには、ただ、今の生しか存在しない。
わたしと、鹿と、森と。
今存在する空間に在る全ての生が、わたしと鹿の瞳を通して、強く深く、めぐってゆく。
それでね、わたしはその、瞳から放たれるいのちの深さに向けてまっすぐに恋に落ちるのだけど、そうして恋に落ちた世界で生きる時、新しい地で、まっさらになって生きる怖さも、不安も、全てが恋のドキドキに吸い込まれて、わたしはきがつくと、森の清らかな水場にいて、森のみんなが育んだその水でゆったりと喉を潤しながら、そこから出会う森のいのちの仲間たちと遊んだり、話したりしたりする道のなかで、わたしのいのちが生きるのに必要なものは全て与えられていたりするんだ。
奪わなくても、殺さなくても。
恋に落ちるほど見つめあえたら、わたしはそのしあわせを感じながら、いつも満ち足りて生きてゆく。
今、生きるのに必要なものは、必ず、持っている。
与えられている。
ここに在る。
深く深く、見つめあえる、喜びとともに。
これが、わたしのなかに、流れるもの。
いのちが生きようと決めたときに、最も発揮されて、世界に表現されてゆく、生命のちから。
わたしの持つ、生きる、ちから。
人間のもつ、生命の、ちから♪
地球誕生日記、二回目も日本から
今日は寒いけど暖かくて、雨の後の土からはもう、春の匂いがする。
そこここに生命の力があふれていて、わくわくするね♪
地球に暮らす、さやかより♡