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やりたい事を仕事にしなくてもいい

やりたい事が、世の中に必要とされ続け、

やりたい事がずっと死ぬまでやりたい事である事はとても難しい。

僕自身、高校時代から考え、大学院時代に研究していた

戦争を廃絶し、違法化するための世界連邦や超国家組織についての

研究と活動はライフワークとしてこれからもずっと続けて行きたいが、

社会が必要としてしなければ、あまり仕事にはならない。

そして、それは仕事にならなくても構わない。

ミュージシャンや学者、経営者も含め、自分のやりたい事が偶然にも現在の

人々が求めているものと合致し、死ぬまで求められ続けられるならば、

それはとても運がよく、幸せな事だろう。

一方、ゴッホやマルクス、カフカ等、死ぬまで貧しく、評価されなかった人物も数多くいる。

やりたい事が幸運にも社会に必要とされ、仕事になり続ける場合もあるが、

真理や美、本質を追求する人は、無理に現在の人々に必要とされたり、評価されなくても良いと思う。つまり、仕事にならなくてもいい。

やりたい事を追求している人に、「それで食えるのか?」と言う人もいるが、そもそも食うために生きたい訳じゃない。

僕自身起業したり、お店を開いてきたが、ずっと純粋にやり続けたい事かと聞かれると違うし、現在の人々の必要に応え続ける事も億劫になる。自分が純粋にやりたい事が世間に必要とされるとか、求められているかどうかと考えたくないのである。

そして、売れているものや売れている人を評価する市場主義のマインドになると、本質が見えにくくなるし、近視眼になってしまう。そして、売れないと(評価されないと)自他の言説に説得力も無いと感じてしまう。

恐らくタゴールもヘッセも、幸運にも生きている間に評価されたけど、運悪く生前も死後も評価されなかったかもしれない。ただただ、彼らは自分の純粋なる精神や世界観を発露し続けていたのだと思う。

純粋なる精神、本当にやりたい事は、子供達のように、周りのためとか評価は気にせず、無理に今生きている人たちに必要とされる仕事にしなくてもいい。


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