Tomonari Hamamura

元士心Samurai restaurantオーナーのともです。noteでは、自分自身が…

Tomonari Hamamura

元士心Samurai restaurantオーナーのともです。noteでは、自分自身が学んできた武士道、平和学、古今東西の哲学をベースとした想いを、徒然なるままに綴ろうと思います。

最近の記事

絶え間ない欲望と不安

四十にして惑わずと言うが、まだ20代のように絶え間ない欲望と不安に掻き乱される事もある。 恐らく生きんとする意思がある限り、何かを辞めたい、何かをしたい、という欲望はあり続け、また生きるために死ぬ直前まで不安という機能が付き添ってくるのだろう。 命は殆どが水で出来ているから、右にも左にも曲がりくねって往く。変わらない意思、揺るぎない意思がある方が周りからは評価され、信用されるが、そんなに単純明快な人ばかりでない。 子供や家族を食べさせていくために、不必要な物を必要と思わ

    • 徒然なるままに

      誰に読んでもらいたい訳でもなく、 ただ己の想いをつらつらと書いてみる。 先日、3番目の子供が産まれた。 名は平和の和に愛を込めて「和 あい」。 このご時世に平和と愛と言っても何か、 絵空事の様で、空をつかむ様な空虚さもある。 ただ平和は調和であり、愛をエネルギーと捉えるとエネルギーに満ちた宇宙そのものにも感じる。 人間の脳を観ると、あらゆる感情を以って、人間は生き残りたい、命を残したい、という根底の想いで生き延びて来たのだと思う。 ウクライナも含め戦争は昔から、自分

      • 和想録

        自分自身に最も影響を与えた本を思い出すと、『菜根譚』『ルバイヤート』『自省録』、エピクテトスの『語録』などの詩や随想録であった。 名も無き人の言葉でも、時に人の心を癒し、救う時もあるだろう。 そんな想いで、自分自身が今まで書き留めていた言葉をここに記し、そして、新たな言葉もここに書き足していこうと思う。 『和想録』 ・絶望とは究極の安心である。 ・不安とは優しさである。 ・死とは宇宙への旅のはじまりである。 ・平和とは、不安の無い状態であり、それを悟りとも言う。

        • 地球の生涯『地生』から人生を考える

          人は、遠すぎる未来や大き過ぎる話は考えなかったり、考えようともしない傾向がある。 しかし、人生と同じで地球の『死』を深く考える事は、地球を”良く”生きる事に繋がる。 葉隠の「毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。」であったり、メメント・モリ「死を想え」のように、死は生に光を当て、明るみにする。 地球は誕生して約46億年とされているが、太陽は膨張し続けており、約10億年後には生命が存在できなくなるとも言

        絶え間ない欲望と不安

          『地球への国譲り』~右も左も超えた日本のビジョン~

          10年間の士心の経営から退くにあたって、最後にこれからの日本のビジョンを書き残しておきたい。 士心は、「武士道」という理念を軸に「平和」を追求する場であったため、これまで(一般的に)右派、左派両方の人々が沢山いらっしゃった。 私自身は、右左と分ける事を好まないが、双方から共通して感じたのは「愛」であった。 右派と呼ばれる人々は、日本をこよなく愛し、言語、文化、自然、精神、あらゆる角度から日本の大切なものを守りたいと思っていた。 左派と呼ばれる人々は、平和を愛し、不平等

          『地球への国譲り』~右も左も超えた日本のビジョン~

          持続可能性 VS 幸せ

          個人及び組織を持続させる事と、幸せや平和は比例するのか? もしかしたら対立しているかもしれない。 SDGsという言葉が出てくる前、約20年前に大学で環境経済学を専攻していた僕は、サスティナブルコミュニティーについて勉強していた。 その時から感じていたのは、 「持続可能とはどういう意味なのか?」 この世に同じ形で永続するものはなく、人類も地球も必ず「死」や滅亡という変化は訪れるが、どこの時点までが「持続可能」なのか?という疑問だった。 一人の人間も必ずや寿命があるよ

          持続可能性 VS 幸せ

          やりたい事を仕事にしなくてもいい

          やりたい事が、世の中に必要とされ続け、 やりたい事がずっと死ぬまでやりたい事である事はとても難しい。 僕自身、高校時代から考え、大学院時代に研究していた 戦争を廃絶し、違法化するための世界連邦や超国家組織についての 研究と活動はライフワークとしてこれからもずっと続けて行きたいが、 社会が必要としてしなければ、あまり仕事にはならない。 そして、それは仕事にならなくても構わない。 ミュージシャンや学者、経営者も含め、自分のやりたい事が偶然にも現在の 人々が求めてい

          やりたい事を仕事にしなくてもいい

          志は無理に立てなくていい

          志は、「之(ゆき)+心」が組み合わさった文字で、心がゆく方向を意味する。 心が自ずと向かう道を歩む事、それが本来の志の在り方かもしれない。 吉田松陰や坂本龍馬のような幕末の志士達も、立ち上がりたくて立ち上がったのではなく、黒船を目の当たりにして、植民地にされるかもしれないという、已むに已まれぬ想いで立ち上がったのかと思う。 叔父の松下村塾を引き継いだ吉田松陰はたった一年で投獄され、海援隊に引き継がれるものの亀山社中も2年間だけ存在し、いずれも革命のための教育と経済活動で

          志は無理に立てなくていい

          無条件に生きる。

          お隣のおじさんから、買ったら数万円もしそうな立派な鯛を頂いた。 本当は、自然も、人の心も、分かち合えば豊かな世界。 太陽の光、水や命も無条件に与えて下さる。 そして、自分や両親、祖父母から地球の誕生まで、 天はこの宇宙に無条件に命を与えて下さり、 私たちも無条件に命をお返しする。 ただ、本当は「与える」も「お返し」もなく、 ただ存在が「共生」し、繋がっているだけ。 時間は有限ではなく、無限。 時計によって始まりと終わりが作られたけど、 形を変えてずっと繋が

          無条件に生きる。

          士心閉店に対する備忘録

          先月末に士心閉店のお知らせを発表させて頂いた後、ゆっくりと自分自身を内省し、この10年間の想いの変遷を含め、備忘録としてこの場に残して置きたいと思います。(長文ですので、ご興味のある方だけご覧ください。) 小学校4年生頃から、戦争の無い世界を創るにはどうすれば良いか?という想いを持ち続け、高校時代には「まずは日本から恒久平和地帯となり、国連を超えて地球が一つになっていく必要がある。」と弁論大会で発表し、その想いを元に、英国ブラッドフォード大学平和学部の大学院で「国連の限界と

          士心閉店に対する備忘録

          「欲」が「必要」に代わる発展の危険性

          私たちの身の回りにある生活必需品と呼ばれる物を見渡すと、そのほとんどが人間の「欲」から生まれている物です。 冷蔵庫、洗濯機、エアコン、炊飯器、車、パソコン、iphone.... 近い将来、AIやロボットが生活必需品になっているかもしれません。 しかし、私たちが根本的に必要としているものは、 「愛情」や「自然」、「幸せ」や「心の豊かさ」 なのではないでしょうか? 本来、水を治め、人々の幸せをつくる「政治」 世を経め、民を済うための「経済」 は、人々の欲を「必要」

          「欲」が「必要」に代わる発展の危険性

          死は『希望』

          多くの人々にとって、死ぬ事は「終わり」を意味し、悲観的なイメージがあるかもしれません。 しかし、ブラジルのアマゾンに住むヤノマミ族にとって、死は『希望』だと言います。 死ぬ事によって、身体の中に閉じ込められていた魂が、宇宙の旅へ出発できるからだと。 「始まり」も「終わり」も、「生」も「死」も、時間を区切った仮の名前。 木が倒れて、新たな命が芽生え、 恐竜が絶滅して、ほ乳類や人類が生まれ、 店が潰れた場所に、新たな店が生まれ、 死という一つの時間的、生命的、社会的

          死は『希望』

          幸せ=あるーない

          子どもの幸福度をはかるユニセフ(国連児童基金)の調査で、日本は38か国中、心の幸福度が37位でした。 「子は親の鏡」と言われるように、大人達が幸せではないのかもしれません。 幸せは、人によって違いますが、 私は「幸せ=あるーない」と捉えています。 お腹がペコペコの時に食べるご飯、 とても眠い時に入る布団の中、 凍えるような寒さの中で入る温かいお風呂、 多くの方が「あ~幸せだ」と感じるひと時ではないでしょうか。 「ある」事がずっと続いても幸せを感じる時がなく、

          幸せ=あるーない

          絶望は「究極の安心」

          絶望とは、望みが絶たれると書きますが、 明日死ぬと仮定したら、それは一種の絶望でもあります。 しかし、明日死ぬとしたらあなたは何をするでしょうか? 家族と共に穏やかな時間を過ごす人、 森や川、海など自然の中でゆったりと過ごす人、 アルバムを開いて過去の思い出に浸る人、 お酒を呑んで、美味しいご飯を食べて朝までパーティーする人、 過ごし方は人それぞれかと思いますが、 最後の一日をどう過ごそうか? 多くの方は、行動が明確になると思います。 キルケゴールという哲

          絶望は「究極の安心」

          不安は「やさしさ」

          コロナ禍の中、多くの方が、経済的不安、将来への不安を感じていらっしゃると思います。 しかし、不安に対する見方を変えると、生きる事が少し楽になるかもしれません。 ある脳科学者によると、日本は自然災害が多いので、備えをしたり、不安に感じやすい人が結果的に生き残り、生き残った現在の日本人は不安に感じる人が多いそうです。 祖先に不安というものが無ければ、僕らはすぐ死んでいたかもしれません。 不安は、自分の命を守ろうとしてくれる、「やさしさ」だと思います。 大勢の前で話をする

          不安は「やさしさ」

          「手放す」ことも「手放す」

          人は、目的や意味に執着し、苦しむ事があります。 そして、執着から生まれる苦しみから解放されるために、 「手放す」ことに努め、 そして上手く「手放せない」ことに自己嫌悪を覚え、 新たな苦しみを生んでしまいます。 しかし、「手放す」とは、「手」を「放す」と書きますが、 そもそも、自分の手に入る、というのは幻想かもしれません。 本質的に手に入るものが何も無いので、手を放す事もありません。 ただ、同じ時間、同じ空間を共に在るだけ。 その奇跡に感謝し、味わう事で、

          「手放す」ことも「手放す」