絶望は「究極の安心」

絶望とは、望みが絶たれると書きますが、

明日死ぬと仮定したら、それは一種の絶望でもあります。

しかし、明日死ぬとしたらあなたは何をするでしょうか?

家族と共に穏やかな時間を過ごす人、

森や川、海など自然の中でゆったりと過ごす人、

アルバムを開いて過去の思い出に浸る人、

お酒を呑んで、美味しいご飯を食べて朝までパーティーする人、

過ごし方は人それぞれかと思いますが、

最後の一日をどう過ごそうか?

多くの方は、行動が明確になると思います。

キルケゴールという哲学者が、

「不安は自由のめまいである。」

と言いました。

明日死ぬ。今日一日しか自由はない。

そう思った時、人はめまいから覚め、

今日一日だけでも、目をはっきりと開き、

最後の世界を目に焼き付けようとするかもしれません。

しかし、「明日も生きれる」と約束してくれた人はこの世に一人もおらず、

私たちは毎日毎瞬、死ぬかもしれないという絶望の淵を歩いています。

そして、その絶望を意識すれば、毎瞬を究極の安心の中に生きる事が出来ます。

それは、まるで死を覚悟した武士のような生き方かもしれません。

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