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ホスピタリティとエンパシーが、ますます必要な社会になりつつあるようだ
最近ホスピタリティに関する本を読んだり、講演会に参加してみて、この言葉に完全に一致する日本語がないことや、ホスピタリティという名詞の元になる動詞がないようだということを知った。わたしなりには、人の「あり方」を表現したもので、どんな行動や考えがホスピタリティかというよりも、状況や目的・理念によって変わるものではないかと理解した。
ますます世知辛くなってきている中、この社会ではホスピタリティとマネジメントの重要性が以前にも増して高まっている気がする。いずれも、基本となるのは人間(人財)であり、ひとりひとりが相互に大事な存在として尊重しあえる環境や、時間軸やコストなどの優先順位・余裕などのビジョンある組織/リーダなどのリソースも大切な要素だ。
働くという意味ではスキルや知識といったマニュアル的能力があることも大事だろうが、心が育つ(育っている)ということがホスピタリティと深い関係があるような気がする。
心、という点で久しぶりに「エンパシー」(empathy)を思い出した。
わたしが敬愛する知人の一人に、そこのスタッフ全員が苦手とするいわくつきのクレーマーさんすらもその人と話をすると、必ず笑顔になって帰っていくという逸話を持つ方がいる。
「必ずどんなに周りが大変な人と言っていても、会って、目の前のその人の中に身を置いて考える」と知人は言う。
きっと相手には知人が発する、相手のことを思う気持ちを空気や表情・声など多様なところで感じて、「クレーマー」というラベルではなく一人の人間として存在感をみずからリセットするのかもしれない。
知人の行動が生むものは「エンパシー」のひとつではないだとうか。
またエンパシーは人に対してのみ生まれるものではないのでは、と感じる。
昔読んだ、金子みすゞさんの詩には、今でも感情をゆさぶるものがある。
積もった雪
金子みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。
さらに雪に投影された人間の姿にも思える。
目の前のことからどれだけのことを感じ、受け取ることができるかという、想像力も、エンパシー・ホスピタリティにつながるのだろう。
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