勝手に縁を感じたまま、去ることもあるだろう
バリに20年来通い続けている知人(ご本人曰く、バリを本拠地、日本はビジネスの場)がお勧めする日本食レストランを教えて貰った。
到着してすぐの日本人中心のお茶会でレストランオーナーでキッチンにも立つAさんに出会った。
知人曰く「バリ島の母」
なぜなら、Aさんの日本食レストランは寿司・ラーメンではなく、私たちが家庭でよく食べて育ったような料理が中心。しかもすごいことには、バリで手ににはいる食材を工夫して、一からたい焼きやどら焼きまで作ってくださるのだ。
物柔らかな雰囲気の中に気品と知性と逞しさと優しさを感じさせるAさん。
Aさんのお人柄とお料理にも、一度でファンになってしまった。
そこからしばらく時間が過ぎ、滞在も二週間を過ぎた頃から、連れの食欲が落ちた。
そう、味が濃いめで時々スパイシーなインドネシア料理、味変でしばらく通ったイタリアンもソルティーでグリーシー(脂多めでしょっぱめ)。
その他食べてみたニンニク多めだったりして、「いくらおいらがガーリック好きでも。こんなに毎食毎食は食べられない。もうしばらくガーリックいらない」と言い出すほど。
せっかく行ったビュッフェレストランでも、長米の白飯(スチームライス)メインでほんの少しのおかずしか食べない(食べられない)。
「お腹は空くが、食べるものがない。」
ポカリスエットとカップ麺で凌ぐのも1日くらいでやめておきたい。
餃子宅配や中華料理屋なども交え。。。。
先日Aさんのレストランへ、満をじして、行ったところ・・・
全てが美味しい、何もかもが美味い、と連れもわたしも大満足
連れは、本当に何日ぶりかというくらい生き返った。
そこから他の日本食レストランにもいろいろ足を伸ばし、連れの食欲と体力は回復。
明日のフライトは元気を維持して乗り込めそう、となったところで、連れからのバリ最終晩御飯はAさんのレストランをリクエスト。
もちろん二人でうかがい、たくさん美味しくいただいて、お店にいたAさんにもご挨拶。
一緒にし写真を撮ってもらい、またバリに来た時は、Aさんのレストランへ行こうと、ほんわかした気分でホテルへ戻ってきた。
バリに来て、Aさんに会った後思い出して、気づいたことがあった。
7年以上まえに亡くなった母が海外旅行で行ったことがあるのが、仲のいい友達に誘われて行ったバリ島だけだった。
その時は疎遠にしていながらも母からお土産と称して木彫りのオブジェとテーブルクロスが送られてきた。
今にして思えば、バリのどこに行ったの?とか旅行はどうだった?とか電話で聞いてみればよかったのかもしれないが、忙しさを理由にろくに会話もせずに終わった。彼女はバリ旅行で何を感じ、何を楽しんだのか、今は知る由もない。
私自身まさかこうしてこのわたしがバリにいくとか、当時は思いもしなかった。
そしてAさん、偶然にも母とおなじ名前のかただったのだ。
まだ母が元気でわたしはとっくに三十路を超えた大人の頃の話、母のことをさん付けの名前で読んでみて、すかさず激しくこっぴどく怒られたことがあった。(我が子に名前で呼ばれるのはなんだか逆鱗に触れたみたいだったが、怖さの迫力が抑圧となり何も理由聞けず)
今回目の前のAさんへ名前で呼びかけながらも、心の中には母の名前とシンクロするという、不思議な経験。
Aさんに出会えて母とのトラウマを癒していく感じ。
この縁は、ここにだけ、ひとまず書いておく。
次にAさんに何年後かお会いできたら、実は・・・ってお話しそうな気がする。