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初めて格闘技観戦から、感謝の言語化・習慣化を考えてみた

前提知識もルールもよくわからぬまま、友人に誘ってもらった格闘技のイベント。対戦そのものも想像していたよりも面白く観戦したのですが、ライティングと音響効果の演出がとても素晴らしく、エンターテイメントとしてのクオリティが追求されている様子を感じられたのも発見でした。
「リアル」ゆえに楽しいだけでなく、学びと感じたこともたくさんありました。

その一つが対戦後に選手がするスピーチ。
関係者スタッフ・ファンへのお礼の言葉に加えて、ほとんどの方が家族のことにふれているのも感慨深かったです。対戦の場に至るまでの選手が多くの人に支えられいるとともに、その人たちの希望でもあるということの現れなのだろうと感じた次第。

会社勤めの被雇用者を長くやっていると公の場でもプライベートでも家族への感謝を口にする機会も聞くことも稀になっている気がします。
決して自分だけの力で存在するのではないと頭ではわかっていて、無意識もそう思っていても、言葉として口に出して顕在化させることが、きっと本当に少ない。そういう日常が当たり前になっていると、知らぬ間にオンラインでもオフィスででも(学生であれば、学校と言う場になるのかも)相対する人々にも家族がいて、家族にとってはかけがえのない人であるということも忘れて、仕事や成績の面だけで相手を捉えて態度ににじませることが起こるのではないかと、どきっとしました。

小学校とかの卒業式で卒業生の答辞で家族に感謝を述べる経験をしていても、「特別な」シチュエーションで心からそう思えているのは果たしてどれくらいか。あるいは、心からそう思えたときに感謝を表現することが、心を込めてさらりと言える習慣化はどれくらいか。
アサーティブなコミュニケーションの一種のようにも思えますが、感謝することを押し付けない環境で自発的に生まれる感謝を、表現する習慣のような気もします。

自分という存在をいたわり、愛でるという実践とともに、他者もみな等しく存在としていたわり、大事に思うという感覚が自分自身のなかで育まれるということも、自然で広く豊かな感謝につながるのではないかと感じながらの帰り道でした。

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ケィティ(Katy)
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