信じることと信じきること
にんべん(人)に言うと書いて、信。
年度末を控えて、単位・進級が黄色信号のJKが担任と話をしたことを真剣な目をして教えてくれた。
「2月は頑張って乗り切らないとやばいって。覚悟する」と、JK
ー 瞬間、ハハの頭の中は、疑問が錯綜する、
ー え?何を覚悟するの?頑張ること?諦めることを覚悟するの?
ー ハハは思わず口に出す。
「それで、どうするの?」
ー ハハ、色々聞きたいことをそぎ落として、曖昧な質問を投げかけてみる。
「自分なりに考えてやっているから、口出ししないで黙っててくれる?」とJK。
強い目力とハッキリした口調の言葉が返ってきた。
ー ハハ、この決意に何も言うことはない
「わかった」とわたし。以上、黙る。
JKの成長っぷりと自立心を感じ、信じる踏ん切りがついた。
つもりでいた。
クラスの保護者親睦会でこの話をしたところ、
「それって愛が足りない。信じきっていれば、何も口出しはしないものだ。」と、他の保護者さんの言葉。
あー、視点が全然上だ。それって。
自分の不安の裏返しを、子供の心配をしているかのような口ぶりで出すのは、愛が足りないそうだ。
自分への愛、だと。しかも。
口出ししない親をやりきる愛のチカラを、自分にインストールすること。
「信じる」ことから「信じきる」ことができる自分へ、新しい月の朔日に変容しよう。
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