事実はあっちからみるかこっちからみるか、どこからみるか
通りには国旗があちこちに掲揚されている。
8月は15日日本敗戦、17日インドネシア独立記念日という流れの週。
オランダから日本の植民地となった後に勝ち得た独立。
79周年祝賀会が国中で行われるという。
今もこの瞬間に地球から戦争も紛争・内乱・闘争といった命が失われ、生活を破壊する争いごとは無くなっておらず、もう何年も世界の平和は失われたままだ。
そんな中1945年の1年間には、国際的な記念日がたくさん詰まっている。
特に夏は戦争にまつわる記憶をそれぞれの人のDNAの中から甦らせる。
各々の国、民間・軍関係・政治関係といった立場役割、体験経験は多種多様。
物差しも、ジャッジもちょっと考えるだけで当てにならない。
「正しい」とは実に主観的にたやすく創り上げられる幻想と信念とバイアスのようなもんだ。
あなたの「平和」とわたしの「平和」、彼や彼女・彼ら彼女らの「平和」そこの誰かの「平和」、隣のあの子の「平和」、電車に乗る通勤中の人の「平和」、学生の「平和」、人生の先輩たちの「平和」・・・みんなの「平和」を取り出して前に全部並べて見る。
思い描く平和の様子は違うようでも、他人の平和を自分の平和と同じように愛でて、心からの大事な物をいたわり癒してみると、心が近づき寄り添い逢う。
そんな平和のタネが寄り添い広げはじめてみると、事実にまつわるいろいろな念や観のそれどれもありのままなのだと、平和の器を大きく強く柔軟に育てることができる。
来年の80周年。
敗戦国・勝戦国、独立国、といった国の属性やラベルの影響。
多くの人が何かを、あるいは全てを「失くした」「再興(さいこう)」してきたこと。
直接第2次世界大戦の経験や記憶を持つ人が圧倒的少数となりながらも、私たちは毎年このことを語り、対話し、本当にあったこと・リアリティを持って後世へ伝えて行く義務がある。
未来へのメッセンジャーとなって、100歳までは生きて伝えるのだ。