バイアスだらけの自分に気づくとき
いつも昼過ぎまで寝ている引きこもり気味の我が家の大学生が、めずらしく朝10時くらいに自分の部屋からでてリビングにいた。いつものように膝をたてて椅子に座り、スマホをながめている。
ありふれた風景。
「今日は早起きだね。どこか行くの?」と、当たり障りのない、もうちょっと気の利いたことを言えばともう一人の脳内自分がツッコミいれながら、話しかけてみる。
「眠れなかったんだ。全然」と、淡々と無表情なまま返事が返ってくる。
おーそーか、夜中に部屋から楽しそうな話し声が聞こえていたが、そのまま寝はぐれて起きてしまったパターンか。。。。
「目をつぶって眠ろうとしたんだけど、眠れなかった」
この年頃、不眠症というラベルとつけるほどでもないが、朝までなにかの考え事が頭から離れなくて起きたまま時間が過ぎる、って確かに時々ある。
まぁいちいち大げさに反応するのも、本質でないし、それ以上の言葉はかえってこないので、「そっか~、そういうときもあるよね」と返して、離れる。
短い会話ではあったが、よくよく思い返すと、リビングに人が座っていたおいう目の前の事実に対して、わたしはなんと瞬間瞬間に勝手な解釈を脳内で垂れ流しているのか、と驚いた。
その解釈を、会話を通して確認する行為と軌道修正する行為をくりかえし、あるがままを受入れようとしているのだ。
相手の世界観は、事実を俎上に載せて、様々な問いの気持ちをこめた対話から引き出すのだろうな。
かける言葉の裏には理解の手がかりになるような
「あなたにはどう映っているの?」
「あなたはどう感じているの?」
「あなたの中で何が起きているの?」
「あなたは何をしているの?」
「あなたは何がしたいの?」
関心のカードがあり、相手とつながる共有の境界を構築するような作業だ。
子どもが小さいときには、わたしの向き合い方や心の余裕が不足して、よく言葉をかけているようでも、指示命令や業務連絡みたいな思いやりのない一方的な話が多かった。
子どもの喜ぶ顔がみたいのに、子どものことをありのままで観れていない、期待や妄想や不安などが勝手に広がってバイアスかかったままで好き勝手にやっていたのだろうな。
「明日はデートで、早く起きなくてはいけないので、このまま夜まで頑張って起きているんだ。」
どこか嬉し気な横顔に、幼いころの子どもの顔が重なって見えた。
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