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TENETを見て感じた、時間の表現について。

 公開初日にTENETを観た。何より、公開前にIMAXスクリーンで観た予告編の映画冒頭が、全く内容は掴めなかったが、ただワクワクした。
 私が映画に求めるのは、感動で涙が止まらない体験や、人生観を変えられるような体験ではなく、ただ、シンプルにワクワクする体験である。
 そういう意味で、オペラハウスが爆発するというのは、ありきたりであれ、ワクワクする演出だ。しかし、そのワクワクは無秩序に爆破されればいいかというとそういうものではなく、実感として、現実に根付いていなければならない。突飛なものではあってはいけないのだ。
 TENET公開前に、プロモーションとして、クリストファーノーラン監督の作品がリバイバル上映されていた。実際、TENETの冒頭を観たのはインターステラーを観た時なのだが、恥ずかしながら私はインターステラーを初めて観た。
 インターステラーを観て感じたのは説得力だ。科学的な根拠が示されもっともらしい。(私は物理学について全くの素人なので、その根拠が正しいかどうかは知らない。)
 フィクションはフィクションである限り、何をしてもいい。時間を自由に行き来してもいいし、論理的に破綻していても面白ければいいのだ。そういう意味でSFにおいて科学的根拠があるということはフィクションに制約を設けることに他ならない。
 しかし、科学的根拠を求めることは制約を設けることになる一方で、論理的正当性を与えるということである。したがって、科学的根拠のあるSFには説得力があり、リアルに感じるのだと思う。
 そして、ここでTENETに話が移るが、私は「逆行」という表現に革命を感じた。
 今まで、タイムスリップのような話では、時代をジャンプして移動してきた。一方で、TENETでは無秩序な時間移動が全くない。故に、10日前に戻ろうと思ったら240時間逆行して過ごさなければいけないということだ。なんという真面目さだろうか。
 インターステラーでは時間は「相対的で巻き戻すことができない」ものだった。一方でTENETの「逆行」という表現は、時間の相対性を守りつつ、巻き戻すという新たな表現である。
 こう考えれば、時間の相対性を守っている限り、「逆行」している時間軸ももっともらしさを帯びてくる。この意味で、「順行」も「逆行」も対等なのだ。そうすれば、どちらが正しい時間の進み方かも曖昧になってくる。例えば未来の人類が地球を覆い尽くす回転ドアを作れば、「逆行」こそが「順行」になるかもしれない。

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