Unityで人生が変わっちゃった
みなさん、こんにちは!
Unity Japanのコミュニティ・アドボケイトの田村幸一です。私は普段、Unityを広く世の中に伝える、広報的な役回りをしています。
今でこそUnityの中の人になっていますが、私も初めはひとりのUnityユーザーでした。2010年に使い始めてからはどっぷりとのめり込んで、気がつけば社員になっていました。それは純粋に「Unityのおかげで人生が豊かになったなあ、もっと広まるといいなあ」と実感していたからです。
そして、いろんな社員の話を聞いていると、どうやら私と同様、ユーザーとしてUnityと出会い、Unityに惹かれ、そしてそれが入社のきっかけになった人が多いんですよね。言い換えると「Unityに出会って人生変わった人が非常に多い」と。
そんな話を沢山聞くにつれ、Unityがどんな風に人生を変えたのか……私自身がめちゃくちゃ気になったので、今回の記事をつくることにしました!
今回、Unity Japanの社員の中から4人の話を紹介します。そして最後に、4人の話を通じて分かったこと・感じたことをまとめます。ぜひ最後までお読みいただければと思います。
Unityで初音ミクを踊らせたら、人生変わっちゃったの人
Marketing Director / Coordinator of Advocatesの荒木ゆいは、今回の「変わっちゃった人」企画のトップバッターを飾るに相応しいエピソードを持っています。今でこそ、Unityユーザー向けの情報発信のサポートや、海外YouTubeコンテンツのローカリゼーションなど、さまざまな業務を担っていますが、その始まりはTwitter上での偶然の出会いでした。
Unityと繋がったきっかけは、ボーカロイドの初音ミクさんの存在です。2012年頃からミクさんを好きになってライブで踊っている姿を見て感動していました。たまたまTwitterで「VRで初音ミクと握手できる」という『MikuMikuAkushu』を発見して、2013年開催のデジタルコンテンツEXPOに体験しに行きました。
『MikuMikuAkushu』は、Unityで制作されたVRコンテンツです。「Oculus Riftを装着して、目の前でミクさんと握手ができる」というもので、私はこれを会場で体験して「すごい未来だ……!」って感動したんですよね。
それからしばらくしたら、MikuMikuAkushuの製作者・GOROmanさんがTwitter上でやりとりする中で「もし、プログラミング経験がない文系の主婦がUnityをはじめて1ヶ月でミクさんを出してダンスさせることができたら」――通称「主婦ゆに!」の企画をツイートしていて。「目の前でミクさんに会いたい!」という思いから「やりたいです!」と返事しました。この「主婦ゆに!」の企画を通して、私は初めてUnityに触れることになります。
自分はコンピュータに疎く、当初は「(マウス)ホイール……って何ですか?」という状態でしたが、Twitter上で過程をつぶやきながら勉強していたら、GOROmanさんだけでなく、たくさんの開発者の方々が教えてくださって、一週間後にはVRでミクさんに踊ってもらうことができました。
自分が作ったVR空間で踊っているミクさんに会えて、「Unityを使うといろんな世界が実現できるんだろうな」と強く感じました。
その後「主婦ゆに!」のご縁から、GOROmanさんの会社に就職し、VRの普及を手伝うことになりました。一方で、Unity主催のイベントに登壇したり、VR開発者コミュニティのミートアップを主催したりと、Unityとは継続的に関わりを持っていました。
そして2020年、田村さんが「Unityで働いてみませんか?」と誘ってくださったんですよね。「これからユーザー向けのイベントを強化していきたい。そのために、コミュニティの理解度が高く、VR界隈に精通している人にぜひ来てもらいたい」と言っていただいて。私もUnityが好きだし、純粋にもっと広まってほしいと思っていたので、ぜひとお返事しました。
Unityに入社して、立場の上下関係なく、分からないことは教え合う文化が根付いていることを実感しました。ユーザーの方々同士のやりとりも、社員同士のやりとりを見ていても、Unityを取り巻く環境は相手に貢献しようという気持ちが強い世界だなと感じます。
私にとってのUnityは……そうですね、「いろいろな人の可能性を広げるツール」です。私自身、「主婦ゆに!」の企画でUnityに出会って、それまで想像もしていなかった未来が開けました。もしUnityが初心者には使えないツールだったり、学ぶための情報発信をしてくださっているたくさんの方々がいらっしゃらなかったら私は今ここにはいないでしょう。
何かを作りたい、新しい可能性を試したい人たちにとって、その実現のハードルをできる限り下げてくれるものの一つが、Unityであり、その方々を応援するコミュニティなのだと思います。
Unityを知ってもらうこと、使っていただくことで、人の可能性を増やすことができる。そう信じて、今の業務に取り組んでいます。Unityと開発者の方々からいただいた恩を返していけるように、新しい可能性に出会ってやりたいことに取り組める人を増やせるように、働いていきたいです。
Unityの本を書いたら、自分が担いたい人生の役割が見えちゃった人
Senior Developer Support Engineerの岩井雅幸は、Unity Meetupのサービス開発担当として、モバイルアプリの制作と改善をリードしています。彼は業務で触れたUnityについての本を書いたことから、より深く関わるようになった一人です。
僕はちょうどファミコン世代で、子どもの頃からゲーム作りは憧れでした。大学卒業後はその道に進みたかったのですが、提出できる制作実績がなかったためにゲームの制作職には就けず、IT企業にプログラマーとして就職しました。
そこでは主にWindowsアプリの制作の実績を積み、数年ののちに独立。ウェブサイト制作、iPhone向けのアプリやゲーム開発へと軸足を移していきました。
その後、2012年に知人の起業に参画しました。その会社の事業で3Dゲーム開発をすることが決まっており、僕はそこにアサインされることになって。ここで初めて、Unityを触り始めたんです。
iPhone向けのゲーム開発では主にCocos2dというゲームエンジンを使っていたのですが、それに比べてUnityの機能性の高さには驚かされましたね。こんなにも簡単にサクサクと動く3Dグラフィックが作れるものかと。それから数年、Unityを用いたゲームのUI開発に没頭していました。
そうしているうちに、知り合いの編集者から「Unityで本を書かないか?」と声をかけられまして。「UIについてなら書けます」と引き受けて執筆を始め、2015年9月に『uGUIではじめるUnity UIデザインの教科書』を上梓しました。
この頃にはすっかり「ゲーム自体を作るよりも、作り手をサポートしたりする役割に回りたい」と思うようになっていました。本業もある中で書籍を書き上げられたのも、作り手の支援にやりがいや楽しさを感じられていたからこそでした。そして、より直接的にデベロッパーをサポートするような仕事をしたいというモチベーションから、Unityへの転職を決意しました。
Unityの仕事は、そのすべてが「作り手のサポート」だと言っても過言ではありません。だからこそ、いつでも気持ちよく業務に当たれています。ユーザーのリアクションを間近で受け取る機会も多く、人の役に立てている実感、喜びも得られやすい。迷いなく打ち込める仕事って、いいものですね。
僕にとってのUnityは、ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが「人生そのもの」だと言えます。職場では毎日、新しい刺激をもらえます。周りにいるのは気のいい仲間たちばかりで、プライベートで遊ぶ機会も多いです。ここを基点にした人生をこれからも送っていきたい……そう思えるような「人生のプラットフォーム」になっていますね、Unityは。
Unityはゲームに限らず、さまざまな産業分野で役に立てるツールです。活用事例の幅は広がりつつありますが、もっと広範囲で使ってもらえるはず。全世界のあらゆる人に、Unityを活用してもらいたいんですよ。そのために、これからもできる限りの力を尽くしていきたいです。
子どもにUnityを教え始めたら、自分がどっぷり魅了されちゃった人
続きましては、Customer Service Engineerの大嶺嘉織です。今年の4月に入社したて、Unity初の新卒社員となりました。その道筋は紆余曲折。彼女は新卒採用をしていないUnityの門戸を叩いてやって来たのです。
Unityと出会って、私の人生は本当に大きく変わったと思います。Unityの存在ありきで、就活をしていたくらいなので。
初めてUnityを触ったのは、大学生1年生のときです。幼い頃から電気工作やホームページ制作などに親しんでいたので、そういったものづくりの楽しさを子どもたちに伝える活動がしたいなと思い、IT・プログラミング教育サービスを提供する会社でインターンを始めました。ここで私が担当することになったのが、「Unityプログラムコース」の講師だったのです。
Unityはまったく知らなくて、最初は「ゲームを作るためのツールなのかな?」くらいの印象でした。これまでの人生でゲームを全然遊んでこなかった自分が理解できるのか、そもそも興味を持てるのか不安でしたが(笑)、子どもたちに教えるために勉強していくうち、だんだんとその手軽さとすごさにハマっていって。「3D空間上に自分の思い描く世界を自由に創造できる感覚」に、魅了されたんです。
極め付けは、2017年の夏にUnityで作られたショートフィルム『Adam』を観たことです。映像の迫力、美しさに目が釘付けになりました。「Unityはこれからの世界を大きく変えていきそうだ」って思えたんですよね。
すっかりUnityのとりこになっていた私ですが、就活では一度、Unityに関わることを諦めているんです。Unityのエンジニアになりたいと募集を探したのですが、ほとんどがゲームエンジニアの求職でした。ゲームに詳しくない、そこまで思い入れのない私では無理だろうと思って、受けることもなく引いてしまいました。
IT系の会社でエンジニア職に内定をもらった私は、そこで一旦就活を終えて、卒業までに修行を積もうと思い、プログラミングの勉強を始めました。その一環……というより息抜きに、しばらく離れていたUnityを再び触り始めたら、「やっぱりすごいな、これを使う仕事がしたいな」とUnity熱が再燃してしまって。もう一度、就活をし直そうと決意しました。
そして2度目の就活で、たまたまUnity Japanが採用募集を出しているのを見つけたんです。「Unityを使う」仕事ばかり探していて、「Unityで働く」ことはまったく想定していなかったんですよね(笑)。
けれども、あらためて考えてみると、私は「Unityの将来性、Unityが未来に及ぼすであろう価値に魅力を感じていて、そこに関わっていたい」との思いで職を探していたので、そもそも「Unityで働く」というのが一番しっくりくる選択肢だったのかもしれません。
中途を含めた募集枠でしたが、「挑戦せずに後悔したくない、ダメ元で受けてみよう」と思って応募。2週間で数回の面接が行われ、あっという間に内定が決まりました!
面接で社員さんたちと話していく中で、今までの自分の経験が一本の線で繋がり、その先にUnityの仕事があるような感覚を得られて、「ここで働かせてください!」という思いは膨らむ一方でした。英語面接はまったく自信がなかったのですが、結果的に“初の新卒”として採用してもらえて、本当に嬉しかったです。
Unityで働く日々は、本当に楽しく、ワクワクしています。社員同士の関係性がフラットで、立場にかかわらず日頃から意見を交換し合います。私のような新入社員でも、アイデアや意見をSlackにポストすると、すぐにチームメンバーから感謝の言葉と意見についてのフィードバックが返ってくるんです。入って間もないですが、意見や主張を萎縮せずに伝えられるようになったのは、自分が“Unityナイズ”されているなと感じられるポイントです。
私にとってのUnityは、世界を明るく照らしてくれる「太陽みたいな存在」です! その太陽が、これからもっと明るく、もっと広い範囲を照らせるように貢献していきたいと思っています。
世のため人のためを思って、終の住処をUnityにしちゃった人
最後は満を辞してのこの方、Developer Advocateの小林信行です。Unity Japanでの社員No.007、Unity Japanを草創期から支えてきた彼は、多大なるリスペクトと少々の煽りを込めて「世のため人のためを思って、終の住処をUnityにしちゃった人」と名付けました。そんな小林のUnityとの馴れ初め、ぜひ紹介させてください。
「人の生産性と創造性」の正体、そのメカニズムが知りたくて、大学院の研究室より派遣され、旧日本開発銀行の嘱託として共同研究を進めていた時期があります。経済活動や労働などのデータ面からそれを解析、追究ができるかなと思ったんですよね。
数年研究した結果、「データじゃ正体は掴めん!」ということがなんとなくわかって(笑)、ならばものづくりの現場でそれを捕捉しようと、アニメ制作スタジオのガイナックスへ飛び込んだのが、コンテンツ産業との関わりの始まりです。
ガイナックスにもゲーム制作チームがあった関係で、それ以降ずっと、ゲーム業界に携わる仕事をしてきました。僕が転職した当時、今のUnityのような汎用ゲームエンジンはなく各社が凌ぎを削って独自のシステムを開発していましたが、どれも正直に言うと「痒いところに必ずしも手が届く訳ではなく、このまま使っていても幸せになれないなぁ」と感じるものばかりだったんですよね。創りたいものを自在に創れるツールとは程遠かったんです。
そんな状況下だったから、初めてUnityを触れた時のことは、今でもはっきりと覚えていますよ。少しいじっただけで、その唯一無二さに感動しましたね。
イメージで言うと、Unityはこれまで多大な時間と労力がかかっていた「ゲームを80点のクオリティにまで上げる基礎的な作業」を一瞬でクリアできるようなツールです。そうすると、クリエイターたちは残りの20点分、すなわち「そのゲームをオリジナリティを高めるため、本質的に面白くするための創造的な作業」に集中することができます。
これは本当に画期的なツールだと確信しましたし、Unityの存在が、自分がずっと追究してきた「人の生産性と創造性」を広く解放するファクターになり得ると感じました。
それからしばらくして「自分のやってきた仕事にも一段落がつき、そろそろ次の職場を探そうかな」と思い始めたのですが、唯一「やりたい仕事」として頭に思い浮かんだのが、Unityでした。年齢的にも最後の勤め先になるだろうと考えたときに、「パブリックに貢献する仕事がしたい」と思って。Unityは営利会社でありながら、そのプロダクトや事業の在り方に、強く「公益性」を感じられたんです。
ともあれ、当時のUnityの日本法人は社員数も一桁、明日どうなるか先行きのまったくわからない“どベンチャー”でした。最初、大前さん(※大前広樹、ユニティ・テクノロジーズ・ジャパンの日本担当ディレクター)に話を聞いたときも、正直に言うとあまりに公益性が強すぎて「商売として成り立たないのでは?」と疑っていましたしね(笑)。
最終的に転職を決められたのは、妻の理解があったからです。「給料、かなり下がるかもしれない」とも伝えましたが、嫌な顔ひとつせずに挑戦を後押ししてくれました。本当に感謝しています。
Unityは世界中のクリエイターたち、とりわけ日本のコンテンツ業界の人たちを、今よりもと幸せにできるツールだと確信しています。Unityがより発展し、浸透していけば、3Dの表現や創作はもっと身近になっていくはずです。
クリエイターたちの表現のバリエーションが増え、合わせて生産性が飛躍的に向上していけば、世の中に出ていくコンテンツがさらに豊かになっていきます。それはすなわち、世界が豊かになっていくことと同義です。Unityの公益性とは、まさにこれですね。端的に言えば、僕はUnityの発展に寄与することで、世界をよりよくしたいんです。
僕にとってのUnityは、「人の可能性を伸ばすもの、人の未来を変えるもの」です。そこに人の心が宿り、世界を変えていく。変えようとする、新しい何かを生み出そうとする人の心を、最大限に解放するのがUnityである。僕は、そんな風に捉えています。
「Unityで人生が変わっちゃった」人たちの共通点
「Unityで人生変わっちゃった」4人のエピソード、いかがでしたでしょうか?
4人は出会い方さえ違えど、“Unityの可能性”に惹かれて入社を決めたのは共通点でした。そして、“Unityの可能性“を人から聞いたりしたのではなく、自身が行動し、体験として“Unityの可能性“を感じたからこそ、それぞれその後の人生の歩みに変化が出た=人生が変わっちゃったのだと思いました。
おそらく、この「Unityの可能性に惹かれている、信じている」というポイントは、他のUnity Japanスタッフも同じように感じていることだと思います。そうした職場で働いていることに4人も喜んでいましたし、私も同じ気持ちです。
今回のインタビューを通して、あらためてUnityが「人の可能性を広げるツール」であり、実際に「可能性が広がった!」と実感した人たちが、社員になってくれているのだと知れました。同じ思いを持った仲間と、同じ目標に向かって仕事ができることは、とても楽しく幸せなことだなと感じました。
終わりに──皆さんの「Unityで人生が変わっちゃった」エピソード募集
さて、この記事を読んでいただいた方の中には、すでにUnityをお使いの方もいると思います。そんなアナタにとってUnityってどんな存在でしょうか? もしUnityとの出会いなどを通じて、私たちと同じように“Unityで人生が変わっちゃった“エピソードがあれば、ぜひnoteやその他SNSで投稿してください。ハッシュタグ #Unityで人生が変わっちゃった でぜひお願いします。また、この記事へのコメントもお待ちしています!
さらに、この記事を読んで「Unity Japanで働いてみたい!」と思った方。ぜひこちらの求人ページをご覧ください。同じ思いを持った仲間と一緒に働けることを、私も楽しみにしています!
もしよろしければ、こちらの記事もぜひどうぞ。